夢子のニッポン大好きシリーズ      

山形・そばと温泉湯けむり

 99年12月4日、山形新幹線が新庄まで延伸された。この時JR東日本はテレビCMの

内容を温泉一色にした。若いOLも、出張で新庄に来たらしい会社の上司と部下も、到着を

待ち切れずに全員が車内で浴衣に着替えてしまう。みんな温泉に入りたくてそわそわしてい

る。12秒半の内容を温泉だけに絞ったほど、山形には温泉が多い。しかしそれだけではな

い。山形は「フルーツ王国」とも言われ、さくらんぼやラ・フランスがある。今や首都圏に

も広がった「いも煮」もある。そして、板そばが有名なそば。これも「そば王国」の称号を

持つ。王国だらけ。温泉とそばの山形は何度来ても楽しい。

  山形に初めて来たのは大学1年の冬。山形蔵王にスキーに来た。新潟で生まれ、北アル

プスの麓で育ち、3歳から始めたスキー歴は長い。スキーを始めた頃の子供用のスキーは、

板の中央部分にゴムの輪っこを半分に切って釘で打ちつけただけの簡単なもの。長靴をその

半円のゴムの中に入れて履いて滑る。だから、途中で脱げるとスキーだけが滑って行ってし

まう。新雪が降ると、裏山にずぼっずぼっと太股ほどまで雪に埋まりながら上って行き、テ

ッペンに着くと父親が「さぁ行け!」と背中を押す。ただただ直滑降で降りて行く、素朴だ

が恐怖のスキーだった。長野県に引っ越してからは、本格的なスキー場が近くにあったから、

斜滑降、ボーゲン、シテムクリスチャニアとか次々とワザを覚えて上達した。中2で東京に

移る頃には、ウェーデルンも出来る程になっていて、いつもはシブイ母も「スキーに行く」

と言うと金を出してくれた。但し、高校までは。フツーの大学生は暇である。日曜日の夜行

で山形に向かう。で帰るのは土曜日。5泊もしているから、吹雪けば温泉浸かってマージャ

ンなんかしている。蔵王の温泉は、山形駅から乗ったバスを降りると、もうぷ〜んと強烈な

硫黄の臭いがした。黄色がかった乳白色の硫黄泉だった。女性陣でにぎやかな風呂場は、互

いのお尻にゲレンデで転んで出来た青痣を見つけては笑い合い、一層にぎやかになった。金

持ちの子女が多い大学だったからか、10人ほどの仲間は親に貰った小遣いでこんな豪勢な

スキー旅行を何度かする。私以外は。ビンボー苦学生の私は、休み前に「金になるバイト」

を吟味して選び、時給の高い、つまり労働のキツイ旅館の住み込み女中や10時間立ちっぱ

なしの女工などせっせとやって、稼いだ金を持って合流する。こんな形の山形蔵王スキー旅

で山形には大学時代に5〜6回来たか。帰りの夜行を待つ間、いつも決まって山形市内のカ

レー屋で過ごす。4時間以上粘るから、カレーも時間をおいて2皿目、3皿目と頼むことに

なる。「え〜っと、さっきはチキンカレーだったから、今度はドライカレーね」という具合。

それから15年位経って山形の街でそのカレー屋を探してみたが見つからなかった。

 福島で切り離されたつばさは12時30分山形に到着。暑い! 気温30度くらいか。初

秋の山形だから、と長袖を用意してきたのに、例年より6〜7度気温が高いようだ。昼食は、

数あるそば自慢の店から道連れが選んだ東根市の「一寸亭支店」と決まっていて、食べる料

理まで既に選ばれている。冷やし鳥そば。冷やしたぬきや冷やしきつねのようなものではな

い。普通のラーメンのようにスープがたっぷり入っているがスープは冷たい冷やしラーメン

がたまにあるが、あれの日本そば版。だからスープというかそばつゆはごくごく飲んでちょ

うど良い加減に薄めてあるのだとか。将棋の駒で有名な天童を過ぎて、東根市に入り、飛行

場の横をどんどん走って一寸亭支店到着。支店というからには、本店はどこにあるのか聞い

たが、寒河江の方らしいと曖昧な答え。平日の午後1時半というのに、満員で少し待たされ

る。テーブル席もあるが、多くは小上がりになった座敷席。ほとんどは近隣の客のようだ。

空いた小上がり席に座り、メニューを一通り見る。日本そばの人気店と聞いたが、ラーメン

など中華メニューやカツ丼、天丼などもあり、普通の食堂の日本そばがやけに人気が出てし

まった店のようだ。冷やし鳥そば800円と盛りそば500円を注文。道連れ2人は冷やし

鳥そばの大盛りを頼んだ。やがて運ばれてきたそばを見て仰天。100円増しの大盛りは丼

からして違う。そばは手打ち太めの黒いそばで、冷たいそばつゆがたっぷり。その上に長葱、

たけのこ、鳥肉がどっさりのっている。鳥肉の歯応えのあることといったら。普通盛もかな

りの量で、盛りそばも隣に控えている。頼み過ぎたと思いかけた時、いいことを思いついた。

鳥そばのそばが減った分、そこに盛りそばのそばをどんどん足していく。料理が減っていく

寂しさを補える名案?である。満腹である。店を出た途端また飲みたいと思う程、クセにな

る冷やし鳥そばのスープであった。が待てよ、午後2時近くでこんなにお腹が一杯で、夕食

を美味しく食べられるのか。喰いしん坊は、早くも夕食のことを考えるのだった。

 肘折温泉。この名前を聞いたのは月山麓の宿のご主人からであった。6年前に下は3歳か

ら上は62歳まで15人で山形を廻った旅は、実に思い出深い旅だったが、その2泊目で月

山の麓のポレポレファームに宿泊した。ご主人とは以前からの知り合いだが、ポレポレなん

て「のんびり行こう」という意味のスワヒリ語を宿の名前にしてしまうようなのんびりした

人柄。前日、大正時代に作られた木造三層、四層の古い旅館が立ち並ぶ風情溢れる銀山温泉

(尾花沢市)がとても良かったという話をすると「あすこもいいんだげんどね、肘折はもっ

とひなびってでよ〜」と教えてくれた。ずっと気になっていたが、肘折に来るまで6年もか

かってしまった。新庄から約30キロ。大蔵村にある。含重曹・弱食塩泉で効能は打撲や神

経痛など。今夜の宿泊は「つたや肘折ホテル」。カルデラ温泉館(黄金温泉)に加えて河原

湯、上の湯など外湯があるというので、近い方の「上の湯」に行く。ホテルの裏手を2分程

歩くと、小さな建物の前でおばあさん、おじいさんが数人たむろっている。そこが上の湯だ

った。200円らしいが宿で入湯券を貰ったので無料。いやいや実に簡素で素朴な施設。服

を脱いで湯殿に入ると、丸い湯船があるきりで、他には何も無い。石鹸、シャンプーどころ

か、手桶も湯桶も座り台も、水道の蛇口すら無い。2つ水道管があった跡はあるのだが、も

げてしまったか外したのか粗っぽくセメントで塗り固めてある。だから、掛け湯もせずに、

いきなり湯船に入ることになる。湯に入る。む、む、結構熱いぞ。43〜44度位はある

か。数分で頭から汗が盛大に流れて顔が濡れる。いい湯だと直感で思うのだが、元々「カラ

スの行水」で長湯に耐えられないから湯船を脱出。あ〜アヂガッタ〜。身体を洗う道具も無

いので、これで上の湯おしまい。誰もいない脱衣場で、汗を拭き拭き火照った身体を涼ませ

ながら、貼り紙を読む。「小学校PTA上の湯清掃当番表」なるものがあり、大蔵村の人達

で運営していることを知った。そうか、大蔵村のみなさん有難うございます。

 下駄を引きづってカラコロと歩く。上の湯当たりが肘折の中心地らしく、少し曲がりくね

った狭い道の両脇に西木屋、亀屋などの看板を掲げた旅籠(はたご)と呼びたい小さな宿や

商店が軒を連ねる。鄙びた風情、という言葉がぴったりだ。1軒の宿の廊下のガラス戸が開

いていて、障子も開け放ってあるから部屋の一部分が見えてしまう。蒲団に投げ出された何

本もの萎びた足が見え、山形弁の賑やかな話し声もする。湯治に来たおばあさん達だな。大

同2年(807年)1200年前に開かれて以来、湯治場として愛されてきたここでは、湯

治客のために冬場を除く早朝5時から朝市が立つそうだ。宿の一方の裏手に最上川の支流の

銅山川(別名烏川)が流れ、橋を渡ったところに1軒屋根に大きく「生そば」と書いたそば

屋が見える。肘折には現在22軒の宿があると聞くが、一望に出来る場所が無いせいか、実

際にはもっと小さな温泉地に感じられる。宿に帰って、内湯で温泉のハシゴをする。上の湯

とは違う湯元ということで、熱さも適当で湯船の下の玉砂利が足の裏に新鮮だ。それにして

も、女湯の入り口には大きなのれんにはっきりと「おんな湯」と書いてあるのに「あっ、間

違えだきゃ」なんてニヤニヤしながら戸を開ける男がいる。ったくもう!見られて減るもん

じゃなし(いえ、減って欲しい!)とも思うが、腹が立つ。翌朝、肘折からちょっと坂を上

ったところから山々を見渡す。遠く遥かに、月山も見えた。

             秋草や隠れ湯めぐる烏川

 

最上川の支流の銅山川(別名烏川) 「上の湯」前の道は肘折温泉のメインストリート

 「五月雨をあつめて早し最上川」。山形を旅すると、芭蕉翁の名句にぶつかる。あの有名

な山寺は、あの「閑さや岩にしみ入蝉の聲」を詠んだ場所だし。車で走ると「芭蕉立ち寄り

の地」という看板があちこちにある。「おくのほそ道」で芭蕉翁と門人曽良が元禄2年に辿

った道だ。権勢を奮った大名や富を築いた大商人の名前なぞ、余程の英傑でもなければ、死

んでしまえばいずれ忘れられるが、俳人の松尾芭蕉は300年以上経っても尊敬され親しま

れている。文化の力は凄い。その最上川の舟下りをする。戸沢村の古口の船番所で乗船券を

買い、乗り場に向かったのだが、土産物、飲み物、食べ物売り場をず〜っと通らないと行け

ない仕組になっている。こうゆうの、押し付けがましいし、貧乏くさくてヤダな。靴を脱い

で船に乗る。30人乗り位だろうか。床には畳ゴザが敷いてあり、屋根にも葦簾が下がって

いる。船頭は2名。船の先頭で船を漕ぐ漕ぎ手と後でガイドをする話し手。漕ぎ手は、日焼

けした顔に深い皺が刻まれた、いかにも東北人らしい無口そうなおじさんに対し、話し手は

女性であった。40人以上いる船頭の中で、たった1人の女性船頭で、この4月に入社した

ばかりとか。名ガイドの水準にはもちろん届かないが、大きな声で張り切っていて好もしい。

その日の最上川、たっぷりした水量。左手は開けていて、川に沿った道路に車が行き交い人

家が続くが、右手は川岸ぎりぎりまで山が迫っていて、木々は9月中旬だが深い緑だ。暑い

ほどの日射しの中で、遠くの山々が緑の濃淡のグラデーション状に見えて美しい。

♪ヨーイサノマカショ エーンヤコラマーカセー…………

 酒田さ行ぐさげ 達者でろチャ 

 ヨイトコラサノエー 流行風など引がねよに…………♪

 女船頭さんの「最上川船唄」。掛け声の部分は私も一緒に唄う。これを、彼女は英語とハ

ングル語で唄い分けて観客を楽しませた。1時間程で最上川リバーポートに到着。見せどこ

ろ「白糸の滝」の対岸にある。この船下りの名前は「最上川芭蕉ライン舟下り」という。し

かし芭蕉翁の「五月雨を……」の句は、もっと上流の大石田町で巻いた「さみだれ歌仙」の

発句(ほっく)であって、最初は「五月雨をあつめてすずし最上川」だったそう。後日最上

川を舟下りしてから「すずし」を「早し」に変えたが、大石田町にある句碑には今でも「す

ずし」のままなんですって。「さみだれ歌仙」は芭蕉翁、曽良に同地の一栄、高桑川水の四

吟歌仙で、芭蕉翁の発句に続けて一栄は「岸にほたるをつなぐ舟杭」と脇句をつけた。お上

手! 同町にも「最上川紅花ライン舟下り」がある。ついでにいえば、JR陸羽東線(古川

ー新庄)は奥の細道湯けむりライン、JR陸羽西線(新庄ー酒田)は奥の細道最上川ライン

と言うそうよ。芭蕉宗匠、300年経っても、引っ張りだこの大忙しなのであった。

             最上川舟下りして秋扇

   船の奥に女船頭さん   水量豊かな最上川         

 「戸沢村いきいきランド・ぽんぽ館」に行く。未来型の温泉リゾートを目指しているのだ

そうで、村営。未だ新しいらしくぴっかぴかだ。大浴場のぽんぽ湯、砂風呂、プールなどが

あり、砂風呂とお風呂利用で1000円。全館使用は1800円。まずは屋内砂風呂では最

大規模という砂風呂に入りたい。連れの男性陣と入浴後の待ち合わせ時間を考えている時,

年配の副支配人らしい紳士が通りかかった。で、聞いてみる。

「初めて砂風呂に入るのですが、どの位の時間を考えたらよろしいでしょうか?」

「あっ、お客さんだつ、はずめて? んだな、もののずっぷん(10分)もあればなぁ」

「えっ? たったの10分ですか?」

「いっぐら言っでもな、みなすて、無理すっがらほだば、救急車ば呼ばねばなんねえ、いっ

ぺえよ、昨日も救急車きたず」

山形の人は澄ました顔でユーモア溢れる言葉を発する。東北人は無口といわれるが実はユー

モア好き。中でも山形の人は一番明るい印象がある。好きだなぁ。

 「大袈裟な、救急車だって」と思いながらフロントで渡された浴衣を着て砂風呂に行く。

すると。先に砂風呂に入っていたおばあさんが、砂だらけの浴衣姿もアラワによつんばいで

悶えているではないか。その横で係のおばさんが

「これっ、ばっちゃん、大丈夫だけが? んだはげやめれ、ってゆたべな、無理すっから 

ほだいなんなんだずー」

と息も絶え絶えのおばさんを大声で励ましている。次の客の私に「ちーっと待っててけろ」

と合図しながらの懸命の介抱である。やがて少し落ち着いたばっちゃんが、おばさんの肩を

借りてふらふらと去って行った。救急車は大袈裟ではながったのだ。急に用心深くなって、

係のおばさんの助言を鵜呑みにしよう、と心に決める。でっかい砂場のような長方形の砂風

呂には、7〜8つの枕替わりの木製の台が並べられ、台の下方向に1人入る分位砂が掘って

ある。その1つに横たわるよう命じられる。へいへい、仰せの通りに。そこにおばさん、工

事現場のようにスコップで私の上に熱い砂を掛けていく。へこんだ所に寝ているから、砂を

掛けられるに従って「埋められる」気分になる。即身成仏? 違うなぁ、あれは弘法大師だ。

どんどん砂を掛けられて重みがずしんとコタエ始める。熱く湿気を帯びた砂だから重い。足

首から先を動かそうとしたが動かない。不安になる。やがて首だけを残して、すっかり埋っ

てしまった。首をちょっと起こして自分の姿を見ると「前方後円墳」を後から見たようだ。

心臓が血液を送り出している音が聞こえる。規則正しい音が身体全体で感じるような動きに

変わる。重い。熱い。血液の流れが、頭部に送り込まれる。こめかみがドクッ、ドクッと動

いている。のぼせてくる。「もののずっぶん」がやけに長い。正面の壁に掛かった時計を睨

みつける。顔から汗が流れ出す。身体はともかく、足元が動かないことに不安が募る。熱い。

重い。ヤケになって13分まで頑張ったが、ここで降参。無事掘り出されたら、身体がめっ

ちゃ軽く感じた。錯覚です。シャワーで砂を洗い流してから、半円形に配置された薬湯や花

の湯などを巡って、最後にぽんぽ湯という大浴場に。入った途端ぬるぬるしたかなり熱い湯

が実に気持ちがいい。さらっとしたぬるぬる感とでもいおうか。癒しながら身体にまとわり

つくような重い湯である。ここも含重曹・弱食塩泉でリュマチや婦人病、創傷に効能がある

のだとか。美肌効果もあるに違いない。ついお湯を顔に塗り込んでしまう。奇麗になれよ〜。

楽しいぽんぽ館体験であった。とはいえ、昨日2回、今朝早く肘折でも温泉に入ったし、1

日足らずでもう4回も温泉に入ったことになる。何だか疲れてぐったりする。んだはげ、今

夜は是非ども温泉のない宿にしてくらっしょ〜。

 山形新幹線が延伸されて出来た駅は5つ。山形の次は天童、さくらんぼ東根、村山、大

石田、そして終点新庄。どうして東根だけさくらんぼが付いたんだろ。それなら「しょうぎ

天童温泉」「元祖そば街道村山」「そば芭蕉大石田」とか付けてもいいんじゃないか。JR東

日本さん、どうでしょう。と、新幹線の話をしながら、車に乗って山形を走る。初秋の山形

の風景は、つい人を油断させる。心を和ませる。私が知っている山形の人々の大半は、おお

らかでのんびりした人ばかりである。偶然なのか、県民性なのかは知らない。戸沢村を走っ

ている時、田んぼや畑の中に忽然と現われたド派手な建物。山形はフルーツやそばの王国で

あることは知ってはいる。が、王国だからと城を作ったのではあるまい。お城のように大規

模で豪華絢爛の建物なのである。あれは何だぁ!と指差す私に、山形出身の連れの1人がこ

ともなげに「あぁ、韓国のお寺ですよ」と教えてくれた。何でも、この辺も嫁不足で外国か

ら嫁いで来る人が結構いる。韓国出身のお嫁さん達が、お参りする寺もなく寂しいと訴えた

ことで、村が「高麗館」というこの寺を作ったのだとか。結構いる、という韓国出身のお嫁

さまが何人なのかは知らぬが、それにしても…………。道の駅を併設しているとはいえ、こ

んな建物こさえてしまって、おおらかというか無謀というか。そばの収穫直前とあって、白

く咲いたそばの花が風にそよいで、あたりの風景を一層豊かにしている。

 平成6年から村山市のそば屋が多い地域を「そば街道」と名付けたのだそうだ。ドイツの

ロマンティンク街道のパクリだろうか。村山に限らず、元々そばの盛んな地域だから、北の

隣町大石田町も負けじと「大石田そば街道」とか「そばの里」を名乗る。6年前の旅ではそ

の中の次年子(じねご)地区の「七兵衛」に行った。こんな所に果たしてそば屋があるのか

と不安になる程どんどん山を登って行き、着いた所は1軒の農家風の民家。その前庭に停め

られた客の車を見ると、山形市はもちろん、宮城や品川ナンバーまであって、随分遠くから

来ていることがわかる。「そば好きは遠くを厭わず」とパンフレットにあったが、その通り

なのだ。民家の座敷はもちろん、6畳、4畳半の部屋も全部開放して客を入れる。台所では、

主婦の働き手が床にしゃがみ込んでそばを練ったり、打ったり、大根をおろしたりとキビキ

ビ働いておられる。

 食べ放題1050円を注文して、暫く待っていると次々に漬物や煮物など田舎料理が並べ

られた。韓国で料理を一品頼むと色々なキムチが出てくるシステムに似ている。ようやく出

て来たそばは、板でもなくセイロでもなく、丼にモサッと盛られて出て来た。まさに手打ち

の田舎そばで、コシが強く噛みごたえたっぷり。が、そばが10〜15センチに切れており、

ズルッと勢いよくすすることは出来ない。これを大根汁を入れたつゆで食べるのである。食

べ放題ということで、5〜6杯はいけるかと張り切ったが、お替わりを注文してから出て来

るまでに時間がかかって、そのうちにお腹が膨れてしまい結果は大して食べられなかった。

悔しかった。ここ大石田町にも「あったまりランド深堀」という公共温泉施設があって、そ

ばと温泉競争の激しさはいや増すのであった。でも、そんなにじゃんじゃん掘って、温泉は

渇れないのでしょうか。心配。

           山形を真っ白にして蕎麦の花

 山形の最後の食事はもちろんそばだ。旅の連れの父君が大変なそば好きでいらして、県の

あちこちに転勤される度に周辺のうまいそば屋を探されたのだとか。だから、県内の地域を

指定すれば、直ちに2〜3店の推薦が出来るという「そばデータバンク」のような父君なの

である。息子は父親が苦労して探し当てた店をこともなく聞きだしては「うまいでしょう?」

と皆に威張っているから世話はない。でも、そのお世話で私もうまいそばを食べられるのだ

から、いいか。山形市内を突っ切って、蔵王エコーラインを目指して車は進む。どんどん進

んで山を登っていく。森閑とした山深い道に入ってもう5分は経過した。あたりは太陽の光

りを拒否して薄暗く、冷気のような寒さまで感じる。誰も口をきかない。心細さに思わずゾ

クッとする。ここまで楽しく旅を共にしてきた、人の良さげな男性陣2名が豹変して攻撃を

仕掛けて来たらどうなるのか。1人なら倒す自信があるが、2人がいっぺんに襲って来たら、

負けるかもしれない。負けたら、猿轡をされてホンコンに売り飛ばされるのか。えっ? 商

品価値無い? まっ、そうかもしれない。そんな妄想が頭をよぎったが、やがて道は再び秋

の日差しを浴びてぱっと明るくなり、荒屋敷という集落のそば屋に着いた。「三百坊」とい

う。いやいや、何という広さであろう。見渡したあたり一面が三百坊の地所とかで、段々になっ

た庭には無数の石が配置され、低い木々が形良く刈込まれている。庭の真ん中にはせせらぎ

も流れて、段をおちる度に小さな滝を作っている。ここからは見えないが、自家製のそば畑

もあって、収穫したそばを挽く小屋が店に併設されている。建物は、由緒ある大地主の古い

建物そのものか、移築したかのようで、板の間は良く磨き込まれて黒光りしているし、座敷

の間の欄間が見事だ。メニューをみる。ジャン!板そばだ。自家製そばと、そうでないそば

は値段も違う。どうせここまで来たのだから、自家製の板そばにしよう。1人前1800円。

3人で2つ天ぷらも取ろう。800円。やがて運ばれて来た熱々の山菜ばかりの天ぷらと、

上品な板そばを美味しく頂き、山形の2泊3日のそばと湯けむり旅は終了したのであった。

  

石が多数配置された三百坊の見事な庭園  自家製板そば もっと食べたかったなぁ 

 山形県のカタチ。左(日本海側)を向いて口を大きく開けた男の横顔のようだ。ちょっと

ポルトガルの国のカタチに似ている。今回の旅は、こめかみから頭部全体を回ったことにな

る。何度も来ている山形だが、鼻梁から額にかけての鶴岡・酒田地区、顎と首部分の米沢・

南陽地区には未だ行ったことがない。楽しみが残っている。

すすき揺れ翁たどりし道遠く

                                   おしまい

データ:旅した日/99年9月 書いた日/00年3月 方言指導/青木某氏

 

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