パクパク日記5年7月2週
以前レニングラードと呼ばれたサンクト・ペテルブルグで3日間過ごした
ピョートル宮殿
イサク聖堂内
7月 11日(月) サンクト・ペテルブルグは快晴
朝 ロシア・サンクト・ペテルブルグ・ルネッサンスホテル「キャンパス」 朝食ヴュッフェ(オレン
ジジュー
ツスープ、
初めてのホテル、ましてや初めての国、その上高級ホテルとなれば、朝飯は実に楽しみだ。待ち遠しく
て5時20分に目が覚めた。我ながらアホかと思う。昨夜夕食を摂ったレストラン「キャンパス」に急ぐ。
オープン時間の6時半きっかりに行ったので、料理が全部揃っていない。早ようせんかい!!おうおう、
色々並んでおるな。最初の朝だから、いろいろ食べようね。ビーツのスープがあった。ビーツはボルシ
チに入れる赤い野菜で、ロシアでは最もポピュラーな野菜だ。食事は旨いが、コーヒーが苦い。満腹。
昼 ロシア・サンクト・ペテルブルグ 「Demidov」 ビーツとポテトのサラダ、パン、ボルシチ、ピ
ロシキ、ビーフストロガノフ ポテト添え、フルーツ、エスプレッソ
血の上の教会(スパス・ナ・フラーヴィー聖堂) イサク聖堂の建物内 スゴイでしょ?
バルト三国の1週間は、良い天気が続いた。湿度も低いのでとても爽やかだった。さて、ここサンクト・
ペテルブルグはフィンランド湾に注ぐネヴァ川の河口に造られた町だけに湿気が高い。涼しいハズが、
お日様ギラギラで、持って来た長袖では汗びっしょりだ。大ネヴァ川を渡って、エルミタージュの4つの
建物を撮影したが、朝は逆光でダメなのよね。イサク広場でニコライT世の銅像、デガブリニスト広場
でピョートル大帝の銅像。ロシアにいた間、このピョートル大帝の話がいつも出て来る。だって、この町
を作ったのは彼だから。パブロフの犬で有名なパブロフさんの家、料理名にもなったストロガノフさんの
家、チャイコフスキーが最後に住んでいたアパートもちょっと見た。青と白が美しいスモーリヌイ修道院、
玉葱屋根の血の上教会を見た後、イサク聖堂に入る。やや、これはスゴイわ。4回目の改築で今の姿
になったと言うが、その見事さにうっとり。うっとりすれば腹も空く。この日のランチは、滞在中一番美味
しい食事だった。中身ぎっしりの温かいピロシキ、牛肉とビーツたっぷりと壷に入ったボルシチ。旨い!
夜−1 ロシア・サンクト・ペテルブルグ 「Tchaikovsky」 サラダ、シチー(キャベツのスープ)、
パン、
ルーブ
復元されたエカテリーナ宮殿 二番目の妃エカテリーナとピョートル大帝
王冠の間
午後から郊外にあるエカリテリーナ宮殿に行く。エカテリーナT世は、ピョートル大帝の2番目の奥さん
で、何とリトアニアの洗濯女だったと言う。ピョートル大帝という人は2mを超える大男だったらしいが、
とにかくエピソードの多さは凄まじい。身分を隠してオランダの造船所で工員として働いて造船技術を
身につけたとか、歯医者でじっくり観察した後、部下の歯を抜いたとか・・・。しかし最大の功績は、ここ
サンクト・ペテルブルグに要塞を築き、首都を移してスェーデンとの戦いに勝利したこと。彼の時代ロマ
ノフ王朝は最初の繁栄期を迎えた。彼は外国人で庶民出身のエカテリーナのためにいろいろ贈りもの
をしたそうだ。肖像画を見ても美人でじゃないのでどこに惹かれたのか。第二次世界大戦時ドイツによ
って徹底的に破壊されたがコツコツ修復して三分の2が出来上がった。だからピカピカである。最近「琥
珀の間」が完成して見物客は一挙に3倍になったとか。夜は、「チャイコフスキー」という名のレストラン
で夕食。かなり若い頃の肖像画が飾ってあり、ミネラルウォーターもこの店のオリジナル。この場所は
チャイコフスキーが音楽家になる前4年間通った法律学校の建物の由。料理はいま一だが雰囲気ね。
夜―2 ロシア・サンクト・ペテルブルグ・ルネッサンスホテル・ラウンジバー ジントニック 2杯
2泊目の夜は気楽だ。Y田さんとバーで飲みながら大笑いした。旅で気の合う人と知り合えると嬉しい。
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7月 12日(火) 晴れ
ロシア・サンクト・ペテルブルグ・ルネッサンスホテル「キャンパス」 朝食ヴュッフェ
イクラはルビーキャビア?
今朝はちょっと出遅れた。その日中に寝れば、5時起きも平気だが、昨夜は1時に寝たからね。2日目
に朝食を摂りに行って気がついた。このレストラン、ちょっとづつ出すものを代えている。昨日の朝は無
かったイクラがあり、ルビーキャビアと表示があった。シャンパンも出ていたが、私は飲まんよ。クロワッ
サンがサクサクと旨い。ヨーグルトもとてもクリーミーだ。コーヒーだけむせ返るように苦くて旨くない。
昼 ロシア・サンクト・ペテルブルグ 「Myshi」 サラダ、パン、家庭風マッシュルームスープ、白身
魚の
夏の宮殿・ピョートル宮殿の大噴水 庭内は花々と噴水で一杯 宮殿の中の教会屋根
ホテル近くの船着場で船に乗り、夏の宮殿・ピョートル宮殿があるペトロドヴァレッツを目指す。船は大
ネヴァ川から小ネヴァ川、そしてフィンランド湾に出で約35分。大宮殿の前の大滝と64もの噴水が作
り出す光景は口をポカンと開けちゃうほど圧巻。1000ヘクタールの広い敷地には、太陽の噴水、ロー
マの噴水、いたずらの噴水など151もの噴水があって楽しめる。ここもナチス・ドイツ軍によって破壊さ
れたが見事に復元されていた。バスで帰る途中のレストランで昼食。店内はすべてネズミの装飾がなさ
れた変わったレストラン。アイスクリームだけ美味しかった。さてと、午後はエルミタージュ国立美術館。
番外編 エルミタージュ国立美術館
いよいよエルミタージュ国立美術館だ。何と言っても世界三大美術館の1つだかんね。これもピョートル
の娘エリザベータ女帝とエカテリーナU世に感謝するのかな。今まで見学して来たエカテリーナ宮殿や
ピョートルの宮殿はナチス・ドイツ軍によって破壊炎生したが、幸いここまでドイツ軍は来なかった。宮
殿広場に爆弾が落ちた位で破壊は免れたそうだ。良かったぞ。美術館には大きなバッグは持ち込めな
い。なのに私はツカマった!水と財布しか入っていないのにさ。一口でエルミタージュ国立美術館という
が、美術館としての建物は4つある。エルミタージュ、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミター
ジュ。しかし内部廊下で繋がっているので、建物が変わったことに余り気がつかない。絢爛豪華な大使
の階段を上って行く。ま、その後は豪華豪華の連続ダス。ここは今美術館だけど、そもそも冬の宮殿だ
ったのだから。300万点の収蔵品があるのだから、1つ1つ見ていたら、24時間ぶっ続けでも数年かか
っちまう。時間の無い観光客は、いわゆる「目玉作品」に走ることになる。人気は何と言っても西ヨーロ
ッパ芸術部門。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、エル。グレコ、レンブラント、ルーベ
ンス、モネ、ミレー、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、マチス・・・・・。もう世界に名立たる
名画がズラーーリと並んでおるのだよ。スゴイが疲れる。エルミタージュの意味は「隠れ家」ですってさ。
夜 サンクト・ペテルブルグ 「Adamant」 ミックスサラダ、パン、ブリヌイパンケーキ サワークリーム
添え、魚のスープ、名物キエフ風チキンカツレツ、自家製ベリーのパンケーキ、シャンパン、ビール、赤
ワイン 2杯
今日は目いっぱいのスケジュールで、エルミタージュ鑑賞の後は、ホテルで着替えてクラッシックバレエ
を観た。マリンスキー劇場。サンクト・ペテルブルグに来たからには、ここは必須でしょう。演目は『バク
チサライの泉』というプーシキン原作のバレエ。初めて観た演目だったが、まぁ面白かった。驚いたのは
休憩中はともかく、上演中も誰かが撮影していてフラッシュが焚かれる。最後のカーテンコールなんか
殆ど全員がパチパチと写真を撮る。日本ではカメラ没収ものの光景である。呆れて見ていた私も、「そ
れなら私も」とカーテンコールを撮影しちやいましたー、すんませーん。サヨナラパーティは夜10時から。
シャンパンで「楽しい旅ありがとう!!」と乾杯。最後の食事だから、皿数も多い。ブリヌイパンケーキは
サワークリームとキャビアをのせて。うまいじゃないの。キエフ風チキンカツレツは、そおっとナイフを入
れると溶けたバターがパーっと流れて歓声を呼ぶ。これで旅もおしまいかぁ、アッと言う間だったなぁ。
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7月 13日(水) 晴れ
第1食 ロシア・サンクト・ペテルブルグ・ルネッサンスホテル「キャンパス」 朝食ヴュッフェ
いよいよ旅行最後の朝が来た。10日間、元気で食べ過ごしたことに感謝。3回目となるとこのラストラ
ンの朝食もそろそろ飽きて来る。今日はトーストサンドにすっかな、などと考えながら8時から朝食。そう、
昨夜寝たのが2時なんざんす。先ずは全粒パンを2枚トーストに入れてから、皿に料理を取り始めた。
途中でヤケにクサイなぁと振り向いたら、トースターからモクモクと煙が出ていて、私が入れたパンが燃
えていた・・・・。笑いながら片づけてくれる女性スタッフに謝って、もう一度パンを焼く。ハムとチーズを
挟んでバクッ。旨いぞ。本日のスペシャルは、フレッシュのオレジジュース。贅沢で美味しいよねーー。
第2食 プールコヴォ空港で 添乗員のS井氏とI原氏が作ってくれたお赤飯おにぎり
今日の昼飯はツァーに含まれていない。空港で各自テキトーに食べるのかと思っていたら、添乗員のS
井氏とアシスタントのI原氏が早起きして、何とお赤飯のおにぎりを作ってくれていた。胡麻がたくさんつ
いたおにぎりで、大好評。それにしても添乗員という仕事、タイヘンだわぁ。私は出来ん。頭が下がる。
空港の待合いロビーで見たことのある人がいらした。数ヶ月前毎日のようにテレビに出ていた元会長。
第3食 ロシア航空国内線ビジネスの機内食(コールドミート、ラタトイユ、パン、フルーツ、コーヒー)
これもパンに挟んで食べる
夕方のお茶 ロシア・モスクワ 「ノボテルホテル」カフェ アメリカンコーヒー 80ルーブル
サンクト・ペテルブルグからモスクワ、そこから国際線で成田に向かう。又しても4時間待ち。往路で休
憩したノボテルホテルにまた寄る。同じ飲み物を頼んだのに行きは90ルーブル、帰りは80ルーブル?
第4食 ロシア航空ビジネスの機内食コース(アミューズ、アペタイザー、スープ、ビーフ料理、温か
いご
行きも帰りもほぼ同じね
出国する空港ではX線検査が3回もあった。しかも一度は靴まで脱ぐのだよ。元々そうなのか、ロンドン
の事件があって厳しくなったのかはわからないが。19時20分発成田行き。成田に着いたら朝だからゆ
っくり寝ようと酒をがぶ飲みしたのに、ちっとも眠くならない。映画は「ミスタービーン」等をやっていた。
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7月 14日(木) 日本は午前中雨 午後曇り
朝 ロシア航空ビジネスの機内にて オレンジジュース、コーヒー
30分遅れで午前10時半成田着。結局ほとんど眠れず、朝ご飯なんか食べる気にならん。液体だけ。
昼 四谷3丁目 「香港食堂」 高菜と豚肉のビーフン炒めランチ(お粥、点心、デザート、ザーサイ
付
久々日本の味は濃いなぁ
10日間、毎日のように真っ青な空を見て過ごして来たのに、東京に帰ってみれば雨がシトシト降る梅
雨空であった。それでも午後には雨は上がったが、空は灰色。バルト三国の人が東京に来たら、この
空を見て何て言うだろう。洗濯、150通のメールチェック、25件の留守電を聞いて遅い昼飯。味濃い。
夜 家食 ソーメン、ネギかき揚げ、たっぷり薬味(長ネギ、油揚げ、きゅうり、茗荷、青紫蘇、細ネギ、
生姜)、納豆つけだれ
海外から帰って来た日の夕食はナゼかソーメンになってしまう。初めて海外はハワイだった。たった6
日だったのに、帰国すると空港から母に「ソーメン山のように作っておいて」と電話した。あの時むさぼ
るように食べた揚げたての天麩羅とソーメンの味を今でも覚えている。納豆のつけ汁も旨い。無酒日
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7月 15日(金) 晴れ
朝 無し!
前日全く寝なかったので早く寝ようと思っていたのに、写真の整理やパクパク日記の作成などで寝たの
は午前2時だった。寝不足続きで、今朝起きたら10時半。寝過ぎで目が腫れている。腹も空かない。
昼 三栄町 「じゃがいも」 野菜カレー(辛口) スープ、サラダ付き 840円
カレー食べてピシッとしろ!
未だボーっとしているが、留守中に溜まった支払いや銀行手続きに行かねば。海外に行っても日本食
を食べたいとは余り思わないが、カレーを思い出すとその気になる。おばさん達だけでやっている店。
夜 家食 納豆野菜ぶっかけソーメン、もずく酢
今晩はぶっかけでーす
午後治療に行くと「全身お疲れです」と言われた。肩も背中も腰も膝も肝臓も腸も・・・。もっと長い旅だ
ったらどうなるんだろ。夢子倶楽部の表紙に「次回の更新は15日」と書いてしまったので、昨夜も遅くま
で格闘していた。3台のカメラで撮影した写真がやっぱり3000枚を超えて、ファイルも6つになった。各
国のレストラン名や料理名を書き、読者の皆さんにお見せしたい写真を選んで、6つのファイルから探
して・・・という作業で今日になってからも既に6時間経過。10時過ぎにようやくアップ出来た。ヤレヤレ
である。ぢがれだー。昨夜のソーメンアンコールで今晩はぶっかけに。もちろん納豆も乗せて。無酒日
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7月 16日(土) 晴れ 暑いっす
朝 家食 煮麺(油揚げ、長ネギ、卵入り)、ジャージーヨーグルト
3日続きのソーメン
早起き生活に戻さねばと思うが、今日も8時半起き。ダメじゃん。ソーメンが2日続いたんだから、3日
になってもいいか、と今朝は煮麺を作った。旨いが食べ終わると汗びっしょり。夏の食べ物ではないな。
昼 早稲田 「モスバーガー」 フレッシュバーガー 300円、オニオンリング 210円、マンゴーラッシー
(S) 200円
タクシーに乗って、今日から3連休が始まったことを思い出した。サンデー毎日生活になると、そんなこ
とにも無頓着になってしまうのだね。働いている頃なら待ち遠しい連休なのに。早稲田ランチをどこで食
べるか考えた末、「モスバーガー」に決定。ちょっと来ない間に、新しいメニューがいろいろ出来ていた。
夜 早稲田・リーガロイヤルホテル東京「セラーバー」 オニオングラタンスープ、マルゲリータピッ
ツァ、
疲れている時は運動するのもいいよ、と言われてヘルスクラブ。プールで喘いでからアーユル・ヴェー
ダ90分。最初からグーグー寝てしまってもったいないことをした。4時間の禁煙に耐え、走るように「セ
ラーバー」へ。軽い食事をと2品頼んだら、どっちもチーズ料理だった。軽めに飲んで早めに退散する。
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7月 17日(日) 晴れ
朝 家食 「喜楽亭」のカレーパン、「キューピー」の鶏挽肉とキャベツの寒天麺、ジャージーヨーグルト
「喜楽亭」のカレーパン
リーガロイヤルホテルの帰りにローソンを覗いたら、「喜楽亭」のカレーパンがあった。この店ビストロ喜
楽亭という人気のカレー屋さんかしら。1つ買って来て温めてパクリ。それほど旨いものでもないなぁ。
昼 新宿・紀ノ国屋地下 「スナックモン」 スタミナカレー辛口(たっぷり野菜とチキン、卵入り) 750円
いつぞや新宿・紀ノ国屋地下に旨いカレー屋があると聞いて行ってみた。2軒あって迷った。読者の方
から「夢子さんが行った方はハズレ」とメールが来た。今日はもう1軒に行ってみる。他のカレーはスー
プカレーに近いゆるいルーであったが、頼んだスタミナカレーは普通に近い。味もどうということの無い
普通の味。辛口を頼んだが、辛くもない。メニュー選択を間違えたかなぁ。今度はポークでも食べるか。
午後のお茶 新宿 「シェーキーズ」 アイスコーヒーM 190円
最近、新宿などでランチを摂ると、午後3時まで全席禁煙という店が多くて困る。他の時はガマンしても
食事の後、お茶、お酒を飲む時一服したいというのが愛煙家の願いなんざんす。よって、煙草を吸うた
めにもう1軒探さねばならない。この店でA先生大学時代バイトをしていたそうだ。調理やってたって。
夜 家食 口福コロッケとつけ合わせ野菜、ネギ納豆、もずく酢、キャベツとワカメの味噌汁、ご飯
久々の口福コロッケ旨い!!
帰って来てからロクな食事を摂っていない。お疲れモード(古い言い回しだね)で食欲があまり無い、と
いうこともあるが、旅の写真をたくさん入れるために粗食を心がけているということもある。写真点数を
考えてね。親切だろ?えへへ。でも今晩は1ヶ月ぶりにご飯を炊き、口福(こうふく)コロッケを揚げたよ。
久しぶりだったが、サクッとカラッと旨いんだなこれが。ご飯を1膳半に抑えるのに苦労したぜ。無酒日
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【今週の振り返り】
トヨタがサンクト・ペテルブルグに工場を建設することを決め、その起工式にプーチン大統領が出席した
という記事を新聞で読んだ。トヨタが工場を作って生産活動をすれば、新生ロシア連邦が安定した国家
とみなせるかどうか不安視している他国にも影響が大きいと踏んでいるようだし、トヨタがサンクト・ペテ
ルブルグを選んだのも、そこがプーチン大統領の故郷でもあるかららしい。
旧ソビエト連邦社会主義共和国も、現ロシア連邦に対してもフクザツな思いが交錯する。子供時代、学
生時代、ロシアは遠くて近い国であった。兄の書棚に並ぶ本はロシア文学も多かった。プーシキン、ツ
ルゲーネフ、トルストイ、チェーホフ、ドストエフスキー。子供のことで何のことやらよくわからぬまま読ん
でいた。当時はマセタ高校生も含めて、大学生、若者は共産党や社会主義のイデオロギーに密かに憧
れを持っていたように思う。社会と大人が共産主義や「赤」を嫌えば嫌う程、若者は反アメリカ的、反政
府的、反権威主義のそれらに惹かれたのかもしれない。その背景には安保闘争真っ盛りの時代で、ア
メリカに睥睨する日本政府にやりきれなさを持った若者達の捌け口が必要だったのかもしれない。演劇
界では、新劇というわれるジャンルが盛んで、チェーホフの芝居などが上演されていた。
中学2年東京に引っ越した私は、新宿の歌声喫茶に度々誘われて歌いに行った。ポッと出の山出しの
少女(私のことね、アハハ)は、単に新宿という都会で子供だけで遊びに行く冒険が嬉しかったし、歌え
ることが楽しかった。「ともしび」に行くと歌集が何冊もあり、歌手達が壇上に上がってアコーディオンの
伴奏で一緒に歌う。ナゼかロシア民謡が多く、ここでたくさんのロシア民謡を覚えた。「インターナショナ
ル」、「世界を繋げ花の輪に」という歌もあって、家で歌っていて兄に咎められたことは以前この欄に書
いたことがある。高校の合唱部に入ると、一年間ロシア民謡ばかりを練習した。哀愁を帯びたロシアの
曲は、日本人がその時代求めていたものだったような気がする。ムソルグスキーやリムスキー・コルサ
コフなど「ロシア5人組」やショスタコーヴィッチの作品はあまり好きではないが、チャイコフスキー、ラフ
マニノフは大好き。ボリショイ・サーカスやボリショイ・バレエ、そしてオリンピックの体操女子のソ連選手
は憧れの的であった。
今は中欧と呼ばれる東欧諸国に旅した時は、未だソ連邦時代だった。初めて共産圏に足を踏み入れ
たので、ちょっとドキドキした。一見自由に暮らしているように見えて、プラハの春、ハンガリー動乱など
の話を聞けば背筋が寒くなる。サンクト・ペテルブルグの前に旅したバルト三国には、多くの犠牲を払
わされたソ連邦時代の負の遺産が残っている。その後で加害的立場のロシアに行くのだから、どうして
も暗い心境であった。1991年のクーデター失敗の後、ソ連邦は一挙に崩壊した。それから14年経って
ロシア連邦は「新しい大国」作りの苦難を味わっている。1917年のロシア革命から74年間続いた社会
主義を捨てて、国の将来をどう描くが迷っている。ヨーロッパかアジアか。強いロシアか自由なロシアか。
突然得た自由をどう処したらいいのか。強硬な政権の下、鬱屈して来た人々は自由を得たが、社会保
障は一気に薄いものになり、生活レベルは下がらざるを得ない。一番所得の低いのは国家公務員で、
平均月収は250ドル位と言う。ガイドの母親の年給は月90ドル。アルバイトや子供から支援を得ねば
到底暮らせない。学者などの知識人は外国に去る人もいるようだ。物資は豊かになったが、どれも高く
て生活を圧迫する。それでも、美しいサンクト・ペテルブルグの町をガイドしてくれた日本語ぺらぺらの
女性は、「ロシアは社会主義でも共産主義でもありません。共産党は多党の中の1つです。自由主義で
す。生活が苦しくなっても自由が良いです。誰でも外国に行くことが出来ます。お金が欲しければ努力
して働けば良いのです。今のロシアが良いです」と胸を張って言った。
子供時代、ロシアケーキの詰め合わせの箱をよく頂いた。1つが大きくて嬉しいのだが、真中に真っ赤
なジャムが入っていて、歯にネバッとするのがメンドーだった。ロシアンティーは砂糖の代わりに苺ジャ
ムを入れる。お茶を飲み干すに従って甘くなる。ロシアンティーのような、新しいロシアを期待せずにい
られない。それにしても私は外国から帰って来ると、どーしてこう真面目になっちゃうんでしょうね。根が
真面目だから?そうなのよ、実は。アハハハ。
ステンカラージンでも歌って考えるかニャ
*7月1週はバルト三国の巻を掲載しています。そっちも読んでちょ。 7月1週 に飛ぶ