パクパク日記6年3月1日

          リオのカルナバルは最高潮!夢子の体調は絶不調・・・・

            

2月 27日(月) 晴れ

朝 ブラジリア・ホテルカールトン 朝食ヴュッフェ

    ゴーストタウンのようだなぁ

イグアスで世界最大の水力発電所イタイプーを見学して来たところだが、ブラジルは節電ということに

なるとエラクやる気があるようだ。多くのホテルでは、客室フロアーの廊下は有人点灯装置がついてお

り、人が通らない限り暗い。それはいいけど、このホテル、エレベーターを降りると真っ暗で、足を踏み

出すにも勇気がいる。ややあって、ポッと薄暗い電気が付くのよ。カルナバル休暇とあって、街にもホテ

ルにもほとんど誰もいないから、オバケホテルのようで気味が悪い。昨夜テレビでリオのカルナバルが

中継されていた。Aクラスの第一日目で迫力満点。しかし、途中で雨が降って踊る人も演奏する人も気

の毒であった。あれを今晩はこの目で観るのじゃ。ふふふ。朝ご飯は実にプアな内容でがっかりした。

昼 機内持込 和食弁当

  

ご存知と思うが、ブラジルの首都はブラジリア。ブラジリアは計画都市で、それまで何もなかった荒地に

ゼロから街を建設し、1960年リオデジャネイロから首都機能が移された。この首都建設移転の話は何

となく子供の頃にニュースで見聞きして覚えがある。オスカーニ・イマイア氏が設計した街は、完成して

から既に45年も経っているのに、今も未来都市のようだ。町全体が飛行機のカタチとなり、商店街、住

宅街、ホテル街、ビジネス街と機能分離されているが、実際に住んでみると「ドエリャー住みにくいズラ」

ということらしい。新しい街なのに、何故か世界遺産に指定されているのだよ。ドン・ボスコ教会は外見

は地味だが、中に入ると青のステンドグラスで覆われて何とも不思議な空間。1500キロの水晶のシャ

ンデリアがぶら下がっている。一方、カテドラル(大聖堂)は、地下に入っていくと一面明るいガラス張り

の聖堂で教会らしくない。4千人の収容力があるんだって。大統領府、国会議事堂、最高裁判所が集

まる三権広場に立つと、暑くて頭がくらくらした。政治の中枢にいようと思えばブラジリアに住まねばな

らないが、私はこんな街には住めんなぁ。つい、ジョージ・オーエルの「1984」を思い出してしまったよ。

空港で貰った和食弁当の中身は、鮭の鮨と鮭の刺身というこれも変わった内容。ブラジリア弁当か?

夜 リオデジャネイロ・メリディアン・コパカバーナ 夕食ヴュッフェ、ビール2杯 8ドル

   

   

   

  

リオのアントニオ・カルロス・ジョビン空港に到着。ボサノバの神様の名前を空港につけるなんて粋だね

ぇ。凄い暑さ。夕食までちょっと時間があったので、この旅行初めての洗濯をする。ゆったりした旅行の

ハズだったが、ここまでは押せ押せの強行軍で洗濯もままならなかった。もっとも私はケガしたりでそっ

ちもタイヘンだったのだけどね。ヴュッフェの夕食もそそくさと済ませて8時過ぎエスコールサンバ催行

場に向けて、いざ出発。会場に近づいただけで、熱気むんむん。バスの中で観覧席のくじ引きでC席を

引く。私達が見学する特別観覧席は、何と@8万5千円もするのだよ!しっかり見なくちゃね。おぅおぅ

盛り上がっているねぇ。パレードは夜9時から始まる予定だが、花火は上がるし、みな踊ち始めて良い

雰囲気。事前に資料が配られて、カルナバルのことをちょっと勉強して来た。○○サンバスクールとい

う阿波踊りで言えば「連」にあたるチームが77チームあり、JリーグのようにJ1にあたる一軍は14

ーム、以下J2、J3と続く。毎年成績順位をつけ、下位2チームが降格、上位2チームが昇格する。キビ

シイんだねぇ。J1の14チームは日・月曜日の2日間7チームづつ出場し、昨日が初日、今夜が本選の

2日目になる。1チームは、何と3千人から5千人のメンバーを擁し、パレードの制限時間は60分から

80分。時間をオーバーすると減点されるそうよ。チームは毎年テーマを決める。そのテーマに沿って音

楽を作り、衣装をこさえ、構成、踊りを考える。パレードを漫然と見ず、テーマがどう表現されているか、

謂わば「動くオペラ」と思って欲しいとガイド氏は説明していた。最初のチーム「Porto da Pedra」のテ

ーマは「国の魂 ブラジル女性すべてに祝福」。チームカラーは赤と白。時計のゼロが動き出し、パレー

ドが始まったが、何ぜ840メートルもあるから目の前に来るまでにはかなり時間がかかる。来た来た、

派手だねぇ、衣装が凄いじゃん、造り物の精巧なこと!おぉ!あの山車の上の女性達はトップレスだジ

ョー!周りの男性が全員立ち上がってマジマジ見つめているよ、アハハ、400人のパーカション団は迫

力あるなぁ、山車は大勢の人間が押しているのね、サンバの歌は生で数人が交代で歌っている、それ

にしても何と大勢が出て来るんだろ、プロっぽいダンサーもいるし、子供もいれば、おばあさんもいる。

女性も男性も肌の色もいろいろだなぁ、踊っている人達は汗びっしょりだけど楽しそうだねぇ、時間管理

する人が急げと合図すると皆小走りだよ、この準備に1年かけたってわかるよ、あれれー、パレードの

最後はお掃除隊がせっせとキレイにして歩くんだ・・・・ここまで80分。ふー、見るのも疲れるわ。次のチ

ームは、今まで5回も優勝した「Mangueira」で「海のごとき大河の水から希望の河生まれる」って何だ

かわからないテーマだったが、サンバの音楽がいいねぇ。2チーム終わってもう12時だ。私達は26

で見ていたが、もうオネムと帰る人も。結局私は4チームを見終わり、340分に帰ることにした。あと

3チームあるが、全部見ると朝8時半位になってしまうな。バスに乗って5分で雨が降って来た。安堵。

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2月 28日(火) 晴れ 一時曇り

朝 リオデジャネイロ・メリディアン・コパカバーナ 朝食ヴュッフェ ジュース、フルーツ、コーヒー

  

4時過ぎにホテルに帰ったが、興奮してなかなか寝付かれず寝たのは5時過ぎ。それでも9時前には

起きた。部屋の窓の外を見れば、コパカバーナ海岸には既に海水浴客が押し寄せて賑わっておる。こ

の海岸、ドロボー海岸としても有名らしく、こんな素晴らしいロケーションにいるのにツァーでは外出禁

止。小型のデジカメがもっぱら狙われるらしいよ。昼も近いのでカンタンな朝食にした。未だ眠いなぁ。

昼 リオデジャネイロ 「エストレラ・デ・ソル」 サラダバー、ポテトフライ、バナナフライ、シェラスコ

     (焼 肉)食べ放題、ラムレーズンアイスクリーム

  

  晴れていたらねぇ、こんな風に見えたのかなぁ(写真です)           「霧スト」さまとうっすら見えるお顔

  

  

予定ではすぐランチに行く予定だったが、あまりにお天気が良いのでコルコバードの丘に行くことで全

員一致。コルコバードの丘って、ほら710メートルの絶壁に両手を広げたキリスト像があるところ。高い

場所だけあって、下が晴れていても丘あたりは霧が発生しやすいらしい。で、晴れているうちに急いで

行こうということになったのである。とはいえ、そこに行くには登山電車でゴトゴトと上らねば。途中でス

イッチバックもあって30分もかかる。途中険しい斜面に小さな家がへばりつくように建っている。あの有

名な映画「黒いオルフェ」の主人公もこんな所に住んでいたのだろうな。そうやってようやく頂上につい

たら突然濃霧。コルコバードの丘のキリストは「霧スト」になってしもた。それでもジーッと眺めていると、

霧の流れで時折キリスト様のお顔が見えてくる。箱庭のようなリオの町を見たかったのに残念。ランチ

はブラジル料理の名物「シェラスコ」。牛の部位ごとにテーブルを回って切り分けてくれる。その部位が

また多くてね。ブラジルの牛はインドから連れて来たとかで、背にコブがある。そのコブ肉は食べた人に

言わせると脂っこかった由。前菜のヴュッフェをたくさん食べた私は、牛肉3口くらい食べてギブアップ。

夜 リオデジャネイロ・メリディアン・コパカバーナ 夕食ヴュッフェ、ビール2杯 

ブラジル最後の夜だが、昨日と同じレストランでヴュッフェでは意気も上がらん。今回の旅行参加者は

25名。ご夫婦9組、親娘1組、一人参加5名。うち4人の方々が80歳台である。皆さんお元気である。

そのうちのK賀澤さんのパパがお世話になりました、と全員にビールをご馳走してくれた。ご馳走様。

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3月 1日(水) 晴れ

朝 リオデジャネイロ・メリディアン・コパカバーナ 朝食ヴュッフェ

  

夜中3時に激しい咳で目が覚めたが、6時起床。みなさん、カシューナッツって、どんな風になっている

かご存知?朝食ヴュッフェの料理に、その生のカシューナッツがあった。カラーピーマンそっくりの実の

下にたった一つぶら下がるようにしてなるのがナッツ。実の方は余り甘くないスモモのような味だった。

大きな実にたった1つしか成らないナッツだから、高いんだわー。納得。さて、帰り支度をしなくてはね。

昼 リオデジャネイロ・イパネマ 「弁慶」 和食ヴュッフェ

  

  

  

朝食後、ポン・デ・アスーカル山に行く。そのまま訳せば「砂糖のパン」。昨日コルコバードの丘が霧だっ

たので、今日こそは山頂も晴れてくれよと祈る。ケーブルカーを2台乗り継いで山頂。スンバラシイ晴天

である。コルコバードの丘ほど高さは無いが、それでも世界三大美港と呼ばれるリオデジャネイロを俯

瞰することができる。3キロ続くコパカバーナ海岸、深く抉られたような湾、その湾にかかる14キロの

橋・・・・美しい景観だなぁ。K賀澤親娘、K子さん、S井節子さんはヘリコプターに乗って上から見学に

行った。私は小さな飛行機やヘリコプターなんて恐くて乗れんのよね。母親の係累は三半器官が弱い。

夜 サンパウロ 空港レストラン 夕食ヴュッフェ

  

  18万人収容する巨大なスタジアム               ほら、これがペレの足跡        あの明りがフィールドだぁ

  

   現役時代のジーコ監督の雄姿

午後は世界最大のサッカー場「マラカナンスタジアム」を見学。サッカー王国ブラジルらしく、18万人の

収容力を誇る。このスタジアムは、ブラジルで開催されたW杯のために建設されたが、記念すべき大

会の決勝戦は、ブラジル対ウルグァイだったが惜しくも1:2で負けてしまったらしい。入り口には、ハリ

ウッドのようにかつての名選手の足跡が残されている。ほほう、これがあのペレの足跡か。これはジー

コ監督のね。希望すれば、選手達が使用するロッカールームも見学できて、そのままフィールドにも出

ることが出来る。フィールドに続く薄暗い通路を歩きながら、ここをあの選手達も歩いたんだと思うとワ

クワクするのだった。夕刻リオからサンパウロまで飛んで、いよいよ帰ることとなったが、この頃から咳

がヒドク、気管支炎のような状態に。咳をする度に転んで打った胸に激痛が走り、担架に乗せて貰いた

い程であったよ。空港レストランで何か口に入れて、後は倒れるように飛行機に乗り込んだ。 無酒日

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3月 2日(木) バンクーバーは曇り

朝−1 エア・カナダ サンパウロ~トロント ビジネスクラス機内食

いつ離陸したかも覚えていない程、朦朧とした状態で座席に倒れこんで眠ること9時間。途中で出た食

事の臭いを、マスクを通してさえ嗅ぐのも不快であった。目が覚めて喉が渇いたので、フルーツとヨーグ

ルトを貰う。相変わらず胸が痛いのう。リオの気温は34度だったが一気に真冬のトロントに到着する。

朝―2 エア・カナダ トロント~バンクーバー ビジネスクラス機内食

  

カナダに入国手続きをしてから国内線でバンクーバーに向かう。カナダの国だけでも時差が5時間もあ

る。少し気分がよくなって来たので、フルーツとオムレツを食べる。このチーズオムレツがむちゃんこ旨

い。機内食で美味しいものなんて初めて食べたよ。後で聞けば、エコノミー席では、国内とはいえ5

間もフライトするのに、ドリンクサービスだけで食事は一切出なかったそうだ。何か食べたいというと、ク

ッキーは2ドル、これは何ドルと要求された由。しかも機内が寒いので毛布を貸してと頼むとそれも有

料を言われたそうな。ガイドさんに聞くと、去年からカナダもこのようになったらしい。皆憤慨していた。

昼 バンクーバー 無し

時差の関係で、3月2日は24時間+5時間で29時間もある。朝トロントに着いて5時間も飛行機に乗

って来たのに、バンク−バーはお昼であった。エコノミー席でお腹ペコペコの皆さんは、そのまま美味し

い中華料理屋に直行したが、体調ゼッ不調の私だけホテルにチェックイン。ベッドに倒れ込んで寝る。

夜 カナダ・バンクーバー・ハイアット・リージェンシー ルームサービス 野菜スープ、サーモン

     ステー キ 野菜添え、お粥、ケーキ

  

    一人客室で食べるディナー

この旅行の最初の頃、アルゼンチンでは毎食美味しいものを食べて「食事も期待できるぞ」と思ったの

だが、その後はヴュッフェばかりでいささかウンザリした。もっとも何度か私はパスしたけどね。今晩は

お別れパーティということで着席のセットメニューでちょっと豪華な夕食と言う。しかし、食事のために着

替えて出て行く程体調は良化していないので、泣く泣くパス。すると添乗員のM藤さんが、ボーイさんと

一緒に食事を部屋に届けてくれたではないか。しかも彼女特製のお粥までつけて。ワーイ!嬉しい。そ

れほど食欲があるわけでも無いが、スープやサーモンステーキから上がる湯気に有り難さをシミジミ感

じた。A藤さん、ありがとうございます。半分ほど食べて、満ち足りた気分でまた寝入った。そういえば、

今日3月2日は亡くなった母の誕生日だったが、久々に母の夢を見て幸せな気分も味わった。無酒日

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3月 3日(金) バンクーバーは晴れ

朝 カナダ・バンクーバー・ハイアット・リージェンシー  朝食ヴュッフェ

  

昨日の昼から寝ていたから、5時半には起きた。体調は悪いままだが、十分睡眠を取ったせいか気分

はいい。それに空腹でもある。6時半オープンのレストランに5分前に行って待つ。朝からやけに陽気

なオッちゃんにオムレツを焼いて貰った。ご飯と味噌汁だけだが和食もある。ムシャムシャ食べていると

O山田ドクター夫妻が見えた。このお二人には、ホントお世話になって感謝しきれない。たまたまご一

緒したツァーにドクターが居合わせた幸運に有り難く思う。「それだけ食欲があったら大丈夫ね」って。

昼 エア・カナダ バンクーバー〜成田 ビジネスクラス機内食

  

トリノ冬季オリンピックが終わったばかりだが、次回の開催はここバンクーバー。4年後のために、空港

から市内まで地下鉄の工事が行われていた。この街には、昔仕事で来たことがある。あの時買ったロ

ングの毛皮のコートは、暖冬続きでほとんど着ることがなかった。たった1日の滞在で、しかも私はずっ

と寝ていたから、久しぶりのバンクーバーを味わうこともなかった。成田行きの飛行機に乗り、日本語

の新聞・雑誌を貰う。日経新聞と朝日新聞、そして「週刊文春」。2週間ぶりに日本はどうなっているん

だと興味津々。民主党のメール問題はこんな結末だったのか、でも大したことは無かったようだね。

夜 エア・カナダ バンクーバー〜成田 ビジネスクラス機内食

    一応天丼ではありますが・・・・

思えば、この旅行中よく飛行機に乗ったよなぁ。1,2、3・・・・11回だ。チリ・サンチャゴ経由ってのもあ

ったから12回離発着したことになる。で機内食は何回?えー、17回であります。何度も書くように、機

内食は不味い上に、ブラジル国内線の機内食は、特段不味いからほとんど食べなかったけどね。その

代わり例のブラジルの活性飲料ガラナを飲んでいた。エア・カナダビジネスの売り物、パーソナル何ち

ゃらというオーダーで天丼を注文してみたが、二口食べて止めた。飛行機の中なんだからこんなもん?

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3月 4日(土) 東京は曇り

朝、昼は日付変更線によりないのだよん

午後3時半成田到着。水曜日午後リオデジャネイロを発って、サンパウロで国際線に乗り換え、トロント

を経てバンクーバーで1泊し、成田に到着したのは何と土曜日の夕方だ。24日かかっての帰国?

南米は遠いなぁとつくづく実感した。旅でお世話になった方々に御礼を申し上げてタクシーで帰宅した。

夜 四谷三丁目 喜多方ラーメン「小法師」 喜多方ラーメン 550円、焼き餃子 360

    食欲ないんですわぁ

留守中さぞ溜まっているだろうとメールを開けようとするが、どうしたことか開かない。ゲゲゲである。電

話でA先生に応援を頼み、明日夕刻来てくれることになった。もう面倒でラーメン夕食にした。 無酒日

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3月 5日(日) 晴れ

朝 家食 卵トースト、「日清」のチキンと香草のフォー、リンゴヨーグルト

  

8時起床。咳が止まらないので内科と胸のケガの整形外科に行きたいが、今日は日曜日なのだなぁ。

仕方ないから洗濯と旅の片付けでもするか。暑い国から帰ってくると、洗濯物が山のようでタイヘンだ。

昼 四谷3丁目 「尾張屋」 カツ丼(漬物、味噌汁つき) 800

    試合は無いけどカツ丼

冷蔵庫カラッポだし、仏壇のお花を買わねばと買い物に行く。こうゆう体調不良の時は元気が出るもの

を食べないとイケナイじゃないの?という気になって「尾張屋」でカツ丼。いつもより美味しく感じない。

夜 無し!

5時前、A先生がメールの接続を見に来てくれる。日曜日なのにすみませんねぇ。留守中、サーバー側

で点検の何かをやったらしく、それでメールを開けられなくなったらしいよ。無事開通。ユメコアドレスに

来た百数十通の大半は、海外からの売り込みクズメールばかりでうんざり。これ止めさせる方法ない

の?え?メール出すともっと来る?ホントに迷惑な話だ。カラダの調子は悪いままだが、留守中のパク

パク日記をよろよろと作っていたら夜中になってしまった。夕食を抜いてしまったけど、いいか。無酒日

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【今週の振り返り】

初めて行ったブラジルの感想を書こうと思うのだが、どう書いてよいか悩む。アルゼンチン・ブラジル・

パラグァイの3国の国境近くにあるイグアスの滝あたりからブラジルに入ったが、あの世界最大の大瀑

布も、高層ビルが林立するサンパウロも、ピラニア釣りしたアマゾンも、遠い未来にいるような人工都市

ブラジリアも、カルナバルで弾けるリオデジャネイロも全部ブラジルなのだから、頭の中でまとまりがつ

かない。国土面積は日本の23倍で、南北にも東西にも広いため、気候も様々。南米大陸の半分はブ

ラジルなのだよ。そこに、白人系、混血、黒人系、アジア系の人々が1億8千万人近く住む国だ。先住

民に加え世界中から移民や奴隷としてブラジルに移り住んだ人々は混血を繰り返し、人種の坩堝のよ

うな国でもある。誰がブラジル人か、誰が異国民か見分けはつかない。しかし、楽天的、精力的、組織

だったことが苦手で無頓着といった気質は「ブラジル人」に共通のようである。

アルゼンチンも含めて、6人のガイドの皆さんに会った。日系2世、3世、子供時代の移民、成人になっ

てからの移民、結婚移民と立場は様々であったが、その方々が語るブラジル人の横顔はなかなか興

味深いものであった。その中で、サンパウロのガイド女史立花さんの話がケッサクだったので紹介した

い。彼女は、日本に留学していたご主人に甘い言葉を重ねられ、すっかりその気になってブラジルに嫁

いで来た経歴を持つので、ブラジル人を見る目が私達と似通っている。

サッカー熱狂王国ブラジルを物語るエピソード。日本・韓国開催W杯は、ブラジルにとって標準時差12

時間である。午後3時半からの試合は午前3時半に始まることになる。そこで考案されたのが、ブラジ

ルの国旗柄の各種寝具用品。ブラジルの国旗はご存知の通り、一番外側の緑は森を、菱形の黄色は

ブラジルで産出される鉱石を、そして真ん中の青い円は海を表す。海の青円には22州と連邦を表す

23個の星があり、国旗では珍しい文字入り。内容はホントなんでだろう、という「秩序と進歩」という文

字。その国旗をデザインしたパジャマ、ネグリジェ、寝帽子、タオル、シーツ、枕、毛布など思いつく限り

の商品を作った。売れに売れて、パジャマは増産したそうだ。それらを買った人々はブラジル国旗柄の

寝具をまとって眠る。3時半まで。そして目覚まし時計が鳴るや起き出して、テレビをつけて国旗柄のパ

ジャマ姿で応援を開始する。国旗柄のタオルを打ち振り、国旗柄の枕を投げて悔しがり、勝てば窓を開

けて爆竹に盛大に火をつける。試合が終わったら、そのまま再びベッドに入って一眠りするというわけ

だ。決勝は日曜日の朝だった。ドイツを破って優勝するや、みな車で街を走り回る。対向車が来ると互

いに車をとめて、知らない人同士で勝利の握手、握手。そして日が傾くにつれて祝杯を上げ、飲む飲

む。翌日は、国中が二日酔で、役所も含めて国民の休日。そしてその翌日の火曜日も「出勤できない

人は来なくてよろしい」という準休日だったそうである。今年のドイツ大会は、時差4時間だから、そんな

苦労は要らないと喜んでいるそうな。

私がブラジルに滞在していたカルナバルの期間もブラジルは休日。カルナバル=カーニバル(謝肉祭)

は、復活祭の40日前に行われるから、毎年開催する日が異なるが、その間国は休みになる。前夜祭

のようなものが金曜日から始まり、本選は日・月曜日だったが、火曜日も休み、銀行は水曜日の午後

から営業を開始した。一般の会社は木曜からの営業と聞いた。カルナバルといっても、国中でパレード

をやっているわけでもない。そして、ブラジル=カルナバル好きか、というとそうでもないらしい。現地で

読んだ新聞によれば、カルナバル好きは43%で、残りの人々は好きではないと答えている。じゃ、そう

ゆう人も何しているの?首都ブラジリアは住民の姿をほとんど見なかった。ブラジリアのお爺さんガイド

氏は「牧場とか、どこかに行って遊んでいるのでしょう」と言っていた。嫌いな人はともかく、カルナバル

に参加する人々の1年はすべてその準備に費やされるらしい。カルナバルが終わると、すぐ次の年の

準備に入る。テーマはどうするか、音楽は数十曲候補を作って絞り込もう、衣装はどうする、構成は?

という具合だ。組織としてキチッと動くのが最も苦手な国民というのに、カルナバルに限っては、見事な

チームワークと統制力を発揮する不思議な国民ではある。まさにオーパ!の国だ。

混沌として不思議な国ブラジル。また行くには遠すぎる。しかし、もう行かないと決めるには余りに魅力

を秘めた国でもある。どうするかは、明日の朝、彼らのエネルギー源泉のひとつ、ガラナを飲んで考え

ることにしようかな。

     ブラジル良いとこ一度はおいで、ドッコイショっと

             バックナンバーのトップへ    夢子倶楽部のトップに戻る

          * アルゼンチン&ブラジル編 24週分 もご覧ください。