パクパク日記6年6月4週

           2週目の旅は、時計と逆周りにアイルランドをグルッとまわった。

ニシュモア島   ニューグレンジ

6月 19日(月) 朝曇り その後快晴!

朝 アラン諸島イニシュモア島 「オスタン・アラン」 ぶ厚いベーコン、ソーセージ、ブラック&ホワイト

     プディング、ヨーグルト、トースト、コーヒー

  

昨夜10時からホテルのバーでライブがあった。部屋にもその音は聞こえて来たが、パジャマに着替え

てしまったので面倒になった。参加した方に伺うと島の人達で大賑わいで深夜までそれは続いたとか。

アイルランドの朝食はたっぷりだ。ぶ厚いベーコン(というより炙ったハムのよう)、ソーセージ、ブラック

&ホワイトプディング、卵料理、焼きトマト、ヨーグルト、フルーツ、トースト、コーヒー。朝食ヴュッフェが

普通なのに、このホテルは、オーダー制。しかし、注文したものがちゃんと来た人は誰もいなかった。不

思議だ。朝食後、お散歩に出かけられた皆さんとは別に、島の中をパチパチ撮りながら歩く。雲は薄い

が曇っている。おぉ猫がいる。全然警戒しないということは島の人に可愛がられているのだね。9時の

開店を待って、早速アランセーターを買い込む人たちがいた。欲しいけど東京の冬では着る時がない。

  

  朝曇っていたが、太陽が顔を出す!   修道院跡に馬が絵のように立っていた      ドン・エンガスの古代遺跡の砦

  

        高さ90メートルのドン・エンガスの絶壁  おぉこわ!                   アランセーターを売る店

晴れて来ましたよ、出かける頃には。それも飛びっきりの青空だ。島の中には本島から車の進入は禁じ

られているため、ボロボロのマイクロバスに分乗する。アーキン城というから城だな、と思ったら小さい崩

れた石造りの家だった。聖教徒革命(ピューリタン)で有名なクロムウェルってヤツは、アイルランドで一

番憎まれている。1649年にアイルランドに乗り込んで来た彼はカトリック教徒を殺しに殺し、土地を奪っ

て自分の部下達に与え、アイルランド人を農奴にしてしまった。カトリックの教会や修道院も殆ど壊した。

そうだ、アラン諸島ってのもあったな、お前どんな様子か見て来いと斥候を派遣。斥候はアーキン城に

滞在して島の中を見回ったが、「クロムウェル様、あの島には土も無いし、木も生えておりません。あん

なところを苦労して攻めて領土にしても金には全くなりません」と報告したらしい。その結果、アラン諸

島は、昔ながらのケルトの文化がそのまま残り、日常会話もゲール語という最もアイルランドらしい土

地となった。さて、島の一番の見所ドン・エンガス。2000年前、古代人が作った軍事要塞で、高さ90

メートルの絶壁の脇にある。この絶壁には柵もフェンスも何もないので、とても恐くて下を覗くことは出

来ない。どうしても見たい人は腹這いになって匍匐前進するしかない。それにしても見事な晴天だ。

 アラン諸島イニシュモア島 「THE MAN OF ARAN COTTAGE」 鮭と鯖のスモーク、

       自家 製生野菜、ポテト、フルーツフランブル、コーヒー

  

  

        THE MAN OF ARAN COTTAGE」は映画ロケに使われた家                  洗濯物が強風にたなびく

ランチは、ウォルフさん夫妻が経営する「THE MAN OF ARAN COTTAGE」で。ここはB&B

が、1934年製作の映画「アランの男」のロケにも使用された建物である。アラン諸島は石灰岩層の岩

盤で出来た島だから、土がほとんど無い。そこで僅かな土に乾燥させた海草等を混ぜ10年かけて土を

創る。この島は風が強いから大切な土が飛ばないように石を積み上げて風から守っている。島のあち

こちは、この石積みの風景である。ウォルフさん夫妻も敷地内に農園を持っており、レストランで出す野

菜は自家製のものだ。出されたサラダは新鮮そのもので、実に美味しい。毎食アイルランド盛りで半分

位残してしまうが、今日は全員が完食した。食後畑を見学させて貰ったり、猫と遊んだり、ほっこりした。

  

  美しく晴れ渡ったイニシュモア島の海岸                夕方、馬車に乗って島の中を見学した

ホテルの前の海岸で、海草名人?のケルプおじさんから食べられる海草の講義を聞くことになってい

たのだが、いつまで経っても彼は来ない。何度も電話すると「今行くよ」と蕎麦屋の出前のようなことを

言う。海を眺めながらガイドのケイコさんの話を聞く。日本では海草=食べ物だが、こちらでは薬とか土

を作るための役割の方が大きいようだ。若い人は比較的食べるが、お年寄りは肉とじゃが芋を好み、

魚や海草を食べる人は少数派。19世紀の大飢饉時代に仕方なく食べた魚と海草を嫌うのだとか。日

本の高齢者がさつま芋やすいとんは戦争を思い出すからイヤだというのに似ている。結局約束より2

時間遅れてケルプおじさんこと漁師のヴァンさんは来た。たくさんの種類の海草を持って。私達のため

に遠くの海岸で食べられる海草を採っていたらしい。それじゃあ夕食に頂きますよ。5時から1台に3

人ずつ馬車に乗って島の中をゆっくり回った。海で命を落とした人たちのモニュメントがあった。農業に

は向かないから漁業で生計を立てていたアラン諸島だが、船と言えばコロックという木製の小さなボー

トのような伝統船。木の上にキャンバスを張り、その上に動物の脂を塗っただけのシンプルな船だ。風

が強く荒れる海に乗り出すのだから、遭難はよくあった。しかし、漁師は泳げない人が多い。何故なら

泳いでも助からないのなら、速く溺れて苦しみを短くした方がいいと考えていたという。島の突端まで行

くと隣の島イニシュマーン島(真ん中の島の意)がよく見えた。その手前には飛行場があり、セスナ機が

離発着している。人口900人に年間の観光客は25万人だ。この島の冬は4,5度で雪は降らない。し

かし強風が吹き荒れ、とても寒いそうだ。島の西側では4メートル、6メートルの高波があるらしいよ。

 アラン諸島イニシュモア島 「オスタン・アラン」 添乗員K氏特製の数種海草味噌汁2杯、チ

     ョイス メニュー:魚のチャウダー、野菜のリゾット、ケーキ、ギネス、白ワイン

  

    海草味噌汁旨く「お替り!」

今日一日素晴らしいお天気だったので、グループの人は皆ごキゲンだ。今回のツァー参加者は21

で、私が最年少。アハハ。中には毎月海外旅行という、どこかで聞いたことのある方もいらした。添乗

員は入社3年目の野球少年K藤氏。素直で仕事熱心だから皆に可愛がられている。その彼が例の食

べられる海草で味噌汁を作ってくれた。いろんな海草が入っていてとても良い出汁が効いている。うま

いうまいとお替りしてしまった。チョイスメニューは今晩もチャウダーとイタリアンを選択しちゃったのだ。

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6月 20日(火) 雨 時々大嵐

 アラン諸島イニシュモア島 「オスタン・アラン」 セットメニュー

515分起床。昨日から一転、雨が降り風も吹き荒れている。8時半のフェリーに乗るので、船の揺れ

が心配だ。時間がかかるオーダーは止めて今日はセットメニューにして貰った。意外なことに、岩ばか

りの島に建つこのホテルは全館禁煙。寒い外での喫煙も今朝で終わりとなる。さようなら、アラン緒島。

昼 エニス 「THE ROADSIDE TAVERN」 野菜のカレースープ、サーモンのフィレ ポテトと野菜

添え、コーヒー

   マッシュポテトにマッシュキャロット?

思った程船は揺れずにロッサヴィールの港に着いた。しかし船を降りて200メートル先に停まっている

バスに乗るまでがタイヘン。雨はバチャバチャ、風はビュービュー、全員ずぶ濡れになった。1日半ぶり

のドライバー・ディヴィットと再会し、バレン高原へ。バレン高原はアラン諸島と同じく石灰岩の丘陵でド

ルメンという自然の石を組み立てた墓石が点在する。その中でも最も大きい「巨人のテーブル」を見に

行こうとバスを降りた途端帽子が吹き飛んだ。傘をさそうにも風が強くてさせない。見に行くのはヤメタ。

広角レンズを望遠レンズに取替え、車内で撮影して済ませた。ランチにはカレースープが出て嬉しい。

              「可愛い村」コンテストの常連アデア村                  トウの立った新郎新婦の記念撮影

午後2時前モハーの断崖に着いたのだが、ビジターセンターに行くのにも難行苦行。この私が強風で

思わずヨレてしまう程の強風だ。雨脚も強い。この時、台風時に岬で中継するテレビスタッフの心境に

なったぞ。モハーの断崖は、海から200メートルの断崖が8キロも続く景勝地なのだが、これじゃあ行

いけないわなぁ。多くの人が諦めて土産物屋で時間を潰すから店内はラッシュ並の混雑。でもこのチョ

ー悪天候を押して断崖を見に行かれた人が4人いらした。脱帽。小降りになった頃、ケリー県で実施し

ている「一番可愛い村コンテスト」で受賞の常連になっているアデア村に立ち寄る。日が射して来たの

でやれやれと傘を畳んで仕舞ったらまた降り出す。どうなってんだ、この国の天気は!猫の目のよう。

夜 キラーニー・グレート・サザーランド・ホテル チョイスメニュー:クラッシックオニオンスープ、パ

       ルメ ザンチーズのプロヴァンスパスタ、ベイクドポテトと温野菜、ダークチョコとラムのアイスクリー

       ム、 ギネス、白ワイン

  

アデア村を出発したら、晴れて来た。今日の観光中は全部雨だったのさ、フン!午後7時前に2泊する

キラーニーに到着。宿泊するグレート・サザーランド・ホテルは駅の隣にあって、19世紀お金持ちがゲ

ストハウスとして建てたものをホテルに改装した。ロビーもレストランも貴族の館のように優雅だが、食

事のサービスはちょっとチグハグね。アランでもチョイスメニューだったが、ここもそう。またもやメインは

イタリアンを頼んでしまう私である。ギネスが来るのを待っていたら、オニオンスープが冷めてしまった。

ヨーロッパを旅しているとW杯を観るには都合が良い。ドイツとは1時間の差があるから、午後2時、

5時、8時から試合は始まる。第二と第三試合は後半からライブで観ることが出来るし、第一試合も翌

朝ダイジェストが流れるからね。ほう、イングランドはスェーデンと2:2の引き分けね。4年前もドロー。

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6月 21日(水) 曇りのち晴れ

朝 キラーニー・グレート・サザーランド・ホテル 朝食ヴュッフェ

    味はどうも・・・・

6時起床。レストランが開くのは7時半と遅い。大勢が開店前から待っている。ここヴュッフェなのに、温

かい料理だけはスタッフが希望を聞いて皿に取る。スタッフは1人。時間がかかる。長蛇の列が出来る。

手の余っているスタッフは他にもいるのになぁ。やっぱりこのホテルのサービスはチグハグだ。この国

は茹で卵が出ることは稀だ。何故だろう。その代わり、トーストとコーヒーはたっぷりサービスされるよ。

午前中のお酒 ボグ・ヴィレッジ アイリッシュコーヒー 5ユーロ

今日はイベラ半島のケリー周遊道路とキラーニー国立公園を回る。ボグ・ヴィレッジという村で名物の

アイリッシュコーヒーを飲ませると言う。アイリッシュウィスキーとコーヒー、生クリームを入れたものとい

う。オテントウ様が照っているうちは酒は飲まない主義だし生クリームキライだし、悩む。せっかくアイル

ランドに来たのだから飲むかと。味はウィスキーとコーヒーと生クリームの味がしました。当り前だね。

  

         公民権運動の父」オコンネルの生まれ故郷に建つ彼の胸像と廃屋になった家

アイルランド建国の父とも公民権運動の父とも呼ばれるオコンネルはケリー周遊道路のカーシーヴィー

ンという町で生まれた。700年間英国に支配された(一時は併合された)アイルランド人で、初めて英

国議会の議員となったオコンネルは、カトリック協会を結成し、1829年にはアイルランド解放令の施行

にこぎつけた。国内のあちこちの街にはオコンネル通りがある。今は廃墟となった生家が河の向うに。

    「妖精の国」アイルランドではあちこちに妖精の家(真ん中の小さい家)がある。      レプラホーン(妖精の1人)通り道だよの看板

アイルランドは「妖精の国」とも呼ばれる。キリスト教が入ってくるまで、いたるところにいた古代ケルト

の神々が忘れられ、崇められなくなった腹いせに小人となったなんて話があるそうな。群れで暮らす妖

精は陽気で良い小人、一方一匹狼型は意地が悪い。一番有名な妖精はレプラホーンで職業は靴屋。

靴修理でせっせと稼いだ金貨を土の中に埋めていて、彼をつかまえれば金持ちになれるんですってさ。

他にも愛を語るガンコナー、妖精の女王バンシー、人魚のメローなど妖精も多彩。驚くことは地方のあ

ちこちに妖精の家が実在すること。上の写真左から2点はそんな妖精の家だす。おまけに、人気者の

レプラホーンが道路を横断するので注意してねという交通標識もあった。想像力が豊かな人々である。

昼 ウォーターヴィル 「WATERVILLE INN」 野菜のスープ、サンドイッチの盛り合わせ、コーヒー

    旅のメニュー表に「軽食」とあったがホントに軽食だ

  

海の眺めも魅力のケリー周遊道路       どこの街も美しい花が溢れる          これが貴婦人の眺め

ランチを摂ったウォータービルという街は、チャーリー・チャップリンの最初の夫人(ユージン・オニール

の娘)の出身地。チャップリンも訪れたことがあり、海岸沿いに銅像が建っていた。チャップリンって天麩

羅大好きだったんだよね。昨日行ったアデア村と同じく「可愛い村コンテスト」に選ばれたスニームとい

う町では人懐こい猫がいて私は大喜び。その昔ヴィクトリア女王が絶賛したというレディス・ヴュー(貴

婦人の眺め)は期待した程ではなかったなぁ。レプラホーン・クロッシングの看板はこの近くにあった。

夜−1 キラーニー・グレート・サザーランド・ホテル チョイスメニュー:野菜のポタージュスープ、白身

魚のフィレ 温野菜添え、三色アイスクリーム、ギネス 1.5パイント、白ワイン

   

      国立公園内のマックロス・ハウス             広い敷地だから?             今晩は早飯です  

キラーニー国立公園に入り、3つある湖のミドルレイクの側にマックロス・ハウスに行く。19世紀この辺

りを統治したヒューバートが造ったヴィクトリア王朝風の大邸宅で、ヴィクトリア女王も2泊されたそうよ。

何度か持ち主は入れ替わり、ギネスビールのギネス家がオーナーだったこともあるし、アメリカの銀行

家が持っていたこともある。その銀行家は子供の結婚祝いにこの邸宅をプレゼントしたのだとか。「結

婚おめでとう!プレゼントは何にしよかな。そうだ!マックロス・ハウスを上げよう」なんて言ったのかな

ぁ。まことに広い敷地で、迷子になりそうと思ったら、ホントに迷子が出てしまった。30分間のフリータイ

ムの後集合時間になっても1人バスに帰って来ない。暫く待つが帰って来ない。K添乗員走って探すが

いない。で数人で手分けをして彼女を探すことに。トイレに入っていくのを見た、馬好きという証言を元

にトイレを探すこと2回。鍵がかかったままの隅のトイレに呼びかけるが答えは無い。下から足がある

かと覗いていたら、他の客から変態と間違えられちゃったよ。馬車乗り場にもいないし・・・・。1時間が

経過した。事故にあったのかもしれないという結論を出して警察に協力を要請することになる。Kさんと

Iさんのご主人が公園に残った。いろんなケースを考え歩いてホテルに向う途中かもと歩道をずっと見

ながら帰る。ホテルに近づいた時、誰かが叫んだ。「Kさんホテルの前に立っているわよ」。迷子になっ

てバスに帰れず、タクシー呼んで帰って来たのだとか。ま、無事で良かったよね。ロス城は見損なった。

今晩多くの人はアイリッシュダンスのリバーダンスを観に行く。私はちょっと前オーチャドホールで観た

から行かない。でも夕食は6時15分からという早飯だ。毎日イタリアンのメインではと魚を選んでみた。

夜―2 キラーニー・グレート・サザーランド・ホテルのバー ジントニック2杯

皆が出かけた後、S藤さんと2人でバーへ。夕食後のバーと言っても、外は太陽がギラギラ。北に位置

するこの国は今の季節午後10時頃まで明るいのだ。明るいと罪悪感がある。アルゼンチンとオランダ

は引き分けた。スペインとメキシコ接戦の末スペインの勝ち。セルビア・モンテネグロは3敗しちゃった。

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6月 22日(木) 晴れたり曇ったり降ったり   夜・・・ガッカリ!!!!!

朝 キラーニー・グレート・サザーランド・ホテル 朝食ヴュッフェ

6時起床、シャワーを浴びて荷作り。昨夜到着したA旅行社のツァーの方々もいて日本人比率高し。

昼 キルケニー 「LANGTONS」 アイリッシュシチュー、パン、アップルパイ、コーヒー

    シチューの量が足りんぞ!

  

美しいキルケニー城                    初夏に咲くバラ         初期キリスト教の聖地グレンダーロッホ 

時計と逆周りにCの文字を描くように移動しているが、今日はいよいよ首都ダブリンを目指す。途中、か

つて1000年以上政治と宗教の中心地であったキャッシェルという町でトイレ休憩した後、キルケニー

に向う。今までいた町はキラーニーでややこしい。「兄さん殺しはケニーも殺す」と覚えたんだけど気味

悪いわねぇ。12世紀領主のバトラー家が建てたキルケニー城は均整がとれた美しい姿だ。アイルラン

ド民謡「庭の千草」と日本で歌われる曲の原題は、「夏の終わりのバラ」というのだそうで、この辺りで創

られた詩とか。バラが千草になっちゃったのね。ランチはキルケニーのパブで。名物のアイリッシュシチ

ューは田舎のおふくろが作ったシチューのように素朴な味。でもメインならもっと盛りを多くしておくれよ。

全員にギネスビールの半パイントが配られたが、昼間は飲まない主義だからI村さんにプレゼント。彼

はあちこちからプレゼントされて4杯も飲まれた。バスは東北に進んでいる。ここまでアラン諸島以外ず

っとバスで移動して来たが、車窓の外を見るのも楽しみ。どこまでも続く緑の牧草地。農家の牧草地が

大きく仕切られ、その中で羊や牛、馬、山羊などがのんびりと草を食んでいる。食べ疲れたのか座り込

んでボーっとしている牛、眠っている羊。そんな風景がどこまでも続くのだね。国土の8割はこんな感じ

だからさぞや農業従事者は多いのかと思うと、たった1割と聞く。羊の数は人間の倍だ。ダブリンの近

郊、グレンダーロッホ。ゲール語で「2つの湖に囲まれた谷間」という意。初期キリスト教時代の6世紀

聖ケビンが修行した地でアイリュッシュ・カトリックの聖地として巡礼者などで賑わった。だがヴァイキン

グの来襲、クロムウェル軍の弾圧で多くが崩壊され、今は高さ33メートルの鐘楼、台所の愛称で呼ば

れたケビン教会、大聖堂跡などが残るだけ。夕刻時間というのに強い陽がハイクロスを照らしていた。

夜 ダブリン 「バーリントンホテル」 チョイスメニュー:野菜スープ、チキンのソティ (ここで途中退場)

  

首都ダブリンに到着。ダブリンとは「黒い水溜り」という意味で、ヴァイキングが建設した町だ。人口120

万人でアイルランド共和国の5分の1の人口が集中している。町の真ん中にはリヒー川が流れ、今日

から4泊するバーリントンホテルは川の南側の郊外にある。午後7時に夕食は始まったが、どうにも落

ち着かない。8時から「運命の試合」があるから。ここもチョイスメニューで野菜スープ、チキンのソティ、

バナナのデザートを選ぶ。飲み物が出て来るの遅いじゃないか!最初の料理も早く出せ!こっちは急

いでいるんだかんな。焦る気持ちとは裏腹にサービスはゆっくりしたペースだ。8時を過ぎた。デザート

はイラン、茶もイランと途中退場して部屋に急ぐ。サムライブルーがブラジルと戦っている。おぉ!玉田

のシュートが見事に決まったぁーーー!!!頭の上で拍手しながら部屋を踊り回る。ブラジルの初失

点を日本が?ワッハハハ。やったやった。いいぞ!これが喜ぶ最後の機会のような予感がして、精一

杯歓喜。両隣の部屋は食事中で誰もいないしね。前半終了間際同点。後半のことは言うまい・・・・・・。

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6月 23日(金) 晴れ

 ダブリン 「バーリントンホテル」 朝食ヴュッフェ

5時50分起床。昨夜の試合後、部屋で大量のウィスキーを飲んでフテ寝したのが10時半。目が覚め

て起きると外が暗い。おかしいなぁと時計を見ると午後11時50分だったのだ。もちろん寝直しましたよ。

悪夢を洗い流すような気持ちでシャワーを浴び、朝食。このホテル、ロビーやレストランのツクリは煌び

やかなんだけど、朝食ヴュッフェのレベルがどうも高くないというか低いというか。4泊もするのにね。食

1人でぶらぶらと散歩。この周辺はダブリンでも高級住宅地とかで、ジョージ王朝時代のジョージア

ンハウスの玄関が色とりどりで美しい。赤、青、黄色、白、黒、紫、オレンジ・・・・。8時半出発、今日は

ダブリンから足を伸ばして3つの県の観光だ。モナスターボイス。ここも修道院の跡地で、国内にある有

名なハイクロス6本のうち3本がある。昨年の愛知万博のアイルランド館には、このハイクロスのコピー

(と言っても千年くらい経過したもの)が初めて国外に持ち出され、シベリア鉄道で運ばれた由。天皇陛

下ご夫妻もアイルランド館をご覧になったようだ。ドロヘダの街。ここも9世紀の初頭ヴァイキングが作

った街で、聖オリヴァーの首を祀ったオリヴァー・ブランケット教会がある。今では織物の街としても知ら

れ、アイリッシュ・ツィード工場を見学。併設されているショップで「あら、安いじゃない?」と皆買い込む。

昼 ニューグレンジ 「BRU NA BOINNE RESTAURANT」 メロンカクテル、温かい野菜の

    キッ シュと野菜サラダ、コーヒー

  

                        今日のキッシュは温かくていい      ニューグレンジから見た素晴らしい眺め

  

   ニューグレンジの入り口の石には渦巻き模様     アイルランド人の心の故郷タラの丘    丘の上の「運命の石」

お昼はダブリンから北西に60キロにある世界遺産のニューグレンジのレストラン。グループは完全予

約制で温かいキッシュのランチを摂った後145分発のシャトルバスまで待つ。バスで5、6分行くと

小高い丘に巨大な墳墓(表紙写真右)が見え始めた。紀元前3200年というから今から5200年も前に

建造されたと推定されている。5200年前って、英国のストーンヘンジより1000年、エジプトのピラミッド

より500年も早いのだからねぇ、びっくりだ。内部に通じる廊下は19メートルで緩やかな坂になってい

る。墓石の天井は高く、自然の石を20万トンも使用して巧みに積まれている。今まで一度も一滴の雨

も漏らしていない。発見された時は5体の人骨があったそうだが、どうも儀式に使っていたのではと推

定されている。毎年一番日の短い冬至の1221日前後5日間、午前858分から9時15分まで

の17分間、外部から奥まった墓室に太陽が射し込む。太古の人も天文や建築の知識が豊富だったの

だなぁ。デモンストレーションに墓室を暗闇にして電気の光を実物と同じように照射してくれたが、実際

の太陽は電気照明の数倍の明るさになると言う。その日に観たい人は抽選に応募するですってさ。こ

の日の最後はアイルランド人の心の故郷「タラの丘」へ。そう、スカーレット・オハラが「私にはタラがあ

るわ。タラに行こう」って終わるあのタラの原本ね。19世紀飢饉で100万人がアメリカなどに移民したが

移り住んだ国でもアイルランド人はタラに望郷の念を集約させるのか。宗教的王の中の王を決める儀

式を行った「タラの丘」から眺めるとアイルランドの3分の2が見えると。気持ちの良い風が吹いていた。

夜−1 ホーツ 「BRASSERIE NA MARA」 スモークサーモン、ロブスターと付け合せ、パ

       ノッフィ (バナナのパンケーキ)、ウィスキーチョコ、ギネス1パイント、白ワイン、赤ワイン

  

  

今夜はご馳走だよ。7時にバスで郊外のホーツに向かった。港町でレストランは駅舎を改造した建物。

奥のテーブルに案内されるまで食事している人の皿をジロジロ見る。日本人のカップルはムール貝か。

アイリッシュの夫婦はぶ厚いステーキ。期待できそうだ。私達のメニューはスモークサーモン、ロブスタ

ーと付け合せ。酒もギネスに白、赤ワインの3点セットだ。パンが旨い、ロブスターも旨い。ご馳走様。

夜―2 ダブリン 「バーリントンホテル」のバー ジントニックと何ちゃらカクテル

連泊だし、バーの巨大スクリーンでW杯見ながら飲もうよ、と誘い、M田・T中・S藤仲良し3人組とK

添乗員氏の5人で飲む。思い出したくもない昨日の結果だが、ちゃんと整理すればブラジル、オースト

ラリアが予選リーグを勝ち上がり、クロアチア、そして日本はドンベだった。オーストラリアがねぇ・・・。

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6月 24日(土) 雨のち曇り

 ダブリン 「バーリントンホテル」 朝食ヴュッフェ

珍しく6時半まで寝ていた。朝食から帰ろうとした時、突然左膝の裏に鋭い痛みが!アッチャー。今日

は午前中けっこう歩くんだぜ。そんな足でどーすんの!部屋に帰って、N原先生から貰った低周波スリ

ッパ、プラズマのバンドを患部に巻いて自分で治療。観光バスする手もあるが、痛み弱まったので行く。

雨だ。町のど真ん中にあるトリニティ・カレッジのオールドライブラリー。トリニティ・カレッジは1592年エ

リザベス1世の命によって創設されたアイルランドの最高学府だが、当初はアイルランド人の入学は許

されず移民して来た英国プロテスタントの子弟のための大学であった。トリニティとは三位一体を表わし

シャムロックも同様この国の象徴である。ここの図書館には、国の宝ともいうべき「ケルズの書」、「アー

マーの書」、「ダローの書」を保管し閲覧することができる。「ケルズの書」は、マタイ伝、マルコ伝、ルカ

伝、ヨハネ伝を豪華に装飾した手書きの福音書。ケルト芸術の最高峰と称されている。2階のロングル

ームはその名の通り65メートルの旧主要図書館で20万冊の蔵書がある。見事な部屋だ。15世紀に

創られた最古のアイリッシュ・ハープの展示されているが、これは硬貨のデザイン、ギネスビールのデ

ザインにも使用されている。一番奥に1916年に起きたイースター蜂起で配布された「アイルランド共和

国宣言書」の実物が展示されていた。蜂起は失敗に終わり、宣言書を読み上げたパトリック・ピアスな

ど十数人の闘士は処刑されてしまった。刑務所で結婚し、数時間後には処刑された闘士カップルの実

話もある。聖パトリック教会。「ガリバー旅行記」を著したジョナサン・スィフトはこの教会で長く司祭長を

務めており結婚はしなかったが永遠に愛し続けたステラと並んで葬られている。粋な計らいではある。

  

             聖パトリック教会      長年この教会の司祭長をつとめたスィフト     スィフトの墓の隣には恋人ステラの墓

昼 ホテルの部屋で ツナサンド、インスタント味噌汁、チョコカップケーキ、紅茶

国立考古学・歴史博物館と国立美術館をサラーーと観た後、午後はフリータイム。膝裏の痛みがいつ

起こるかわからないので、私だけホテルに帰る。サンドイッチとお湯を沸かして味噌汁、紅茶で終了す。

夜−1 ダブリン 「バーリントンホテル」 チョイスメニュー:クリーム野菜スープ、豆と野菜のラザニア、

チョコレートババロア、ギネス1パイント、白ワイン、赤ワイン

  

午後は自室で読書したり、膝の治療したりでゆっくり過す。お蔭で膝もよくなったようだ。ただ、部屋のテ

レビが映らなくなり、W杯をじっくり観ようという計画はオジャンになった。今晩もチョイスメニュー。そろ

そろメインはイタリアンにすっか。これラザニアかぁ?と何度も言いながら食べる。酒今日も3点セット。

夜―2 ダブリン 「バーリントンホテル」のバー ジェイムソンのロック

修理をお願いした部屋のテレビが直っていないかもと、1人でホテルのバーへ。大型スクリーンでアル

ゼンチン対メキシコの試合をジェイムソンのロックをチビチビ舐めながら観ていると、カウンターの隣に

デカイジーサンが椅子を運んで来て座った。何か聞いている。何度聞いても理解できん。やおら、ジー

サンは私の手を取ってキスなんかする。ヤッダなぁ。「私はフットボール観たいからほっといて」と無視。

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6月 25日(日) 晴れ

 ダブリン 「バーリントンホテル」 朝食ヴュッフェ

550分起床。昨夜の試合は、延長戦の末アルゼンチンが勝った。外を見る。雲はあるが明るい。一

日おきに雨、晴れを繰り返して来たアイルランド島の天候だから今日は晴れの番だ。一日フリータイム

だが、添乗員のKさんが考えてくれたコースに乗ることにする。コリノー駅から電車に乗って、乗り換え

ホーツの港へ。途中乗り換え駅でたっぷり時間があり、ホームでヨガの実演をする人もいた。太陽が燦

燦と輝く下青空市が開かれていた。電車で戻って市電のLUASに乗り換えてオールドジェイムソンへ。

昼 オールドジェイムソン蒸留所のカフェ ハムとツナトマトサンドイッチ、トマトスープ、チョコカップケー

キ半分、コーヒー

  

                           オールドジェイムソンの見学コース       アイリッシュウィスキーは3度蒸留する

ジェイムソンは、2日目に見損なったブッシュミルズに古さでは負けるが、1780年創業この地でウィス

キーの生産を始めた。国内シェア7割を超えるアイリッシュ・ウィスキーの代表格だ。今蒸留所は地方

に移り、ここは博物館とカフェ、レストラン、ショップが併設されたニュー・ウィスキー・センターとなってい

る。アイリッシュ・ウィスキーの特徴は、大麦をローストする時決して煙に燻さないこと、そして蒸留を3

回行うこと。とうもろこしを主原料とするアメリカバーボンは1回、スコッチは2回の蒸留するんですって。

見学の最後に利き酒ゲームがあり、4人の出場者全員が「一番美味しいウィスキー」にジェイムソンを。

   アメリカのホワイトハウスの原型     2階建てバスが走るダブリンの街     最も美しいと言われる玄関扉

夜 ダブリン 「新世紀酒楼」 2種の焼売、麻婆豆腐、酢豚、海鮮チャーハン、海鮮揚げやきそば、青

菜炒め、フルーツ、ビール2本、紹興酒

  

  

夕食は17人で中華レストランへ。メニューはK藤さんに任せた。食事が一段落したところで、店の前で

タバコを吸いに行く。する前に大型テレビがあって、大勢の人がW杯を見て騒いでいる。ポルトガル対

オランダでポルトガルが1:0でリード。観ている人は喜んでいる。何故か・・・。うーん、名誉革命で呼び

出されたウィリアム3世がオランダ人だったからかしら?彼はカトリックのジェームス2世とアイルランド

人を破った王だからね。レストランのスタッフが自分の車の中を見てくれという。何と運転席はサムライ

ジャパンのユニフォームを着ているではないか!大ファンですって。中でも小野のファン。私がやおら日

本代表のマーク入りライターとポケット灰皿を見せると「売って!売って!」と懇願されプレゼントした。

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【今週の振り返り】

先週の6月3週「今週の振り返り」で、アイルランド共和国の国旗の説明で重大なミスをした。三色旗の

説明で「右」からというのはマチガイ。大マチガイ。正しくは「左」から緑、白、オレンジの三色旗。緑はカ

トリックを、オレンジはプロテスタントを、真ん中の白は両者の平和を表わすのだね。子供の頃から、右

と左をどうしても間違えるクセがあって、自分では「左右逆転混乱症」と名づけている。

私は訪れた国に惚れっぽい。もっとも、大キライになった国なんて一つもないけど。その国の景色を見

て、彼らが作った食材や料理を食べて、彼らの住む家を見、暮らしぶりを覗き見し、歴史を調べて旅し

ている間に、その国に心が移ってしまう。ましてや判官贔屓だから、その国の歴史が涙や苦悩に溢れ

ている場合は一層好意が増してしまう。社会に余り知られていない地味な国だと好意に二乗してしまう。

その点アイルランドという国は私が惚れるにはピッタリの国であった。

アイルランド島は、ブリテン島(英国)の西側の海に浮ぶ小さな島だ。地図をジッと見ていると、英国に

背を向けて太った子犬が後ろ脚で立ちながら大西洋をジッと見つめているようにも思える。「太った子

犬が後ろ脚で立つ」という表現は、司馬遼太郎氏が「愛蘭土紀行」の中で書かれていたもの。現在の人

口は410万人に過ぎないが、世界各地に散らばるアイルランド系の人は7000万人を超えている。オ

ーストラリア、ニュージーランド、英国など英語圏が多いが、うちアメリカには4200万人のアイルランド

系の人々が住む。アメリカに移民した最も有名な人はJF・ケネディ大統領だろう。次いでレーガン大

統領。次は西部劇の名作を次々と撮った映画監督のジョン・フォード。そして彼の映画の常連だったジ

ョン・ウェインやモーリン・オハラもアイルランド移民の子孫だ。有名人シリーズを続けるとなると、英国リ

バプール出身のビートルズのメンバーの3人もアイルランド系らしいね。これだけの大量の移民を出し

た理由は、1845年に始まった大飢饉。アイルランド人の主食であるじゃが芋が根腐れ病にかかって収

穫が出来なくなったのだ。じゃ、パンでも肉でも食べればいいって?そんな状態じゃなかったのよ。

歴史を最初から詳しく紐解くのは長くなるから省略するとして、紀元前200年、中欧からローマ軍に押さ

れるように西へ西へ逃れて来たケルト人が住むアイルランド島には8世紀からヴァイキング、12世紀

にはノルマン・ゲルマン人が侵攻して来た。伝統的な土着宗教ドルイド教を信じ、独得のケルト文化を

育んでいたアイルランドに同化して行く者も多かったらしい。しかし、16世紀に自分が離婚したいがた

めにローマと縁を切って英国国教会を設立したヘンリー8世の頃からアイルランドの上空に立ち込めて

いた暗雲は急を告げ悲惨な歴史が待ち受けていた。カトリック対プロテスタントの深刻な対立は、プロ

テスタント側(英国)が、カトリック側(アイルランド)を支配し、搾取し、殺戮し、破壊するという一方的か

つ惨鼻をきわめる関係に移って行った。しかも何百年の長きに渡って。特に清教徒のリーダー、クロム

ウェルはアイルランド人を殺し、土地を奪う。クロムウェルに土地を貰った英国人はアイルランド人を農

奴、小作人とする。9割の土地で収穫された農作物はすべて地主に没収され、残りの1割の農地にじ

ゃが芋を作ってようやく食べていたのだ。そのじゃが芋が採れなくなってしまっては飢える。100万人が

餓死し、100万人がアメリカに渡ったという。

この国の歴史は涙なくして語れないが、芸術面、特に文学の世界では素晴らしい作家を輩出している。

ウィリアム・バトラー・イェーツ、ジョージ・バーナード・ショウ、サミュエル・ベケット、シュマス・ヒーニーと

4人もノーベル文学賞受賞者がいる。その他にも前述のジョナサン・スゥイフト、「幸福の王子」、「サロ

メ」のオスカー・ワイルド、「ユリシーズ」のジェイムス・ジョイス、「ゴトーを待ちながら」のサミュエル・ベケ

ットなど、この国の文学界はきら星のごとくである。そうそう、小泉八雲もこの国の出身ですよ。音楽も

近代のU2やエンヤ」の活躍はご存知の通りだが、民族楽器の演奏やリバーダンスも魅力的である。

1949年に英国連邦から脱して、完全な(北アイルランドの6県は英国領ではあるが)自由国、アイルラ

ンド共和国となった。55年国連加盟、73EC加盟。この十数年は「ケルティック・タイガー」の異名を

取る程の経済発展を続け、失業率は4%台に過ぎない。長い歴史で移民を送り出し続けて来たこの国

に、EC内から若い人達が移民して来ている。平坦な島は緑で溢れていた。人口より多い羊や牛が草

を食んでいる。霧雨が降っていたと思うとサーッと太陽が顔を出す。生のギネスビールは泡が細かくて

実に旨い。毎食、好物のじゃが芋が出て来る。人々は素朴で信じられない位に親切だ。この国、アイル

ランドをもっともっと多くの人に実際に知って欲しいと思いながら帰路につく。

          アイルランド良いとこ、一度はおいでー どっこいニャア

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      アイルランド旅行の始まりは、パクパク日記6月3でご覧ください。

      え?まだ65週作るの?ゲゲゲ