パクパク日記6年8月1週
仏教遺跡・カレー・象・カレー・ペラヘラ祭・カレーというスリランカ
シーギリヤ・レディ
キャンディ・ペラヘラ祭
7月 31日(月) 晴れ 1ルピー=約1、2円
朝 スリランカ・ダンブッラ 「アマヤ・レイク」 朝食ヴュッフェ
スリランカ旅行3日目。5時45分起床。わが家から庭園を歩いてレストランまで3分。あちらこちらの
木々で鳥が鳴いている。花も美しい。料理の数は多く、カレーを代表とするスリランカ-料理が半分、ウ
ェスタンスタイルの料理が半分というところか。始め敬遠していたカットフルーツもムシャムシャ食べる。
ポロンナルワの宮殿跡 クワドラングル内の蓮の茎を模したラター・マンダペヤ ワタダーゲの仏像
ワタデーゲ 入り口のムーンストーンとガードストーンが見事 ガル・ヴィハーラの苦悩する立像
アヌラーダプラの次に10世紀の終りから12世紀にかけて都がおかれたのがここポロンナルワ。ウィジ
ャヤ・バーフ1世、パラークラマ・バーフ1世、ニッサンカ・マーラ王といった歴代のシンハラ王は、この地
に大規模な灌漑設備を整え、仏教の保護、普及に意を注いだ。その結果、タイやビルマ(現ミャンマー)
からも僧が訪ねてくるほどの仏教都市となったが、南インドのチョーラ王朝の侵略を受けて衰えて行く。
パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡に行く。当時は7階建ての荘厳な宮殿だったらしいが、今は3階まで
の壁しか残っていない。次がポロンナルワ遺跡の中心、クワドラングル。スリランカ仏教の最重要施設
の仏歯寺があったところで、その周囲に11の建築物がある。その中のワタダーゲは大きな仏塔でそれ
を囲む四方の入り口には悪魔の侵入を防ぐガードストーンと輪廻を表現するムーンストーンが。千年前
の彫刻とは思えない程の見事な出来映えだ。この国は重要な仏教遺跡や寺院に入る際裸足(靴下可)
となり、帽子も脱ぐのがマナーとなっている。世界遺産。バスで少し移動してガル・ヴィハーラに行く。巨
大な一枚岩に坐像、立像、涅槃像の3つの大きな仏像が彫られている。中でも高さ7メートルの立像は
腕を胸の前で組み、その表情も悩んでいるような、哀しんでいるような、何も考えていないような・・・・。
昼 ハバラナ 「アクメ・ホテル」 カボチャクリームスープ、10種のカレーとライス、フルーツ盛り合わ
せ、紅茶、バナナジュース 130ルピー
スリランカに来てから猫を1匹も見ていなかった。町は犬だらけ、寺や遺跡には猿ばかり。猫はいない
のか!と怒っていたらようやくワタダーゲでスマートな猫を発見して安堵。ランチはハバラナまで戻り、1
時半になった。いろんな材料のカレーがドンドコ出て来て、その皿をグルグル回して皿に少しずつ取る。
それを右手でグチャグチャに混ぜ、指で掬って食べる、のは現地の人で我々はフォークでね。どれも辛
くないなぁと不満だったが現地レベルの辛――いチキンカレーも出て来たぞ。やっぱカレーはさ、辛くな
いとね。ここで今回の旅行グループの自己紹介タイム。総勢20名で、ご夫婦が5組、友人女性2人が1
組、一人参加男性2名、女性6名である。私がやっぱり最若年かもしれんなぁ。それとも下から3番目?
添乗員は元美術館学芸員で社交ダンス特訓中S崎氏、独身である。皆さんよろしくお願いしますだ。
偶然川で水浴びする像を発見 民家訪問、アーユボーワン! 正月用のお菓子を作って貰う
ラモス瑠偉似のご主人 庭に咲いていた美しい花
昼食の後は、レストラン近くの民家を訪問する。向かう途中、散歩中の象や川で水浴びしている象を見
つけてバスの中は大喜び。滅多に通らない線路を歩いて訪問家に到着。ラモス瑠偉似のご主人と奥さ
ん、子供2人の4人家族だそうだが、近所の奥さんや大勢の子供達が集まって歓迎してくれた。臼で雑
穀を搗き、風で殻を飛ばし、石臼でひいて粉にする作業を見学。昔の日本と同じや。正月(こちらでは4
月)用のお菓子も作ってくれたが、カレーで満腹だったから手を出さなかった。家の中も見せて頂いた
が2Kの日干し煉瓦とトタンと椰子の屋根であった。出迎えてくれた方々も緊張しながら楽しんでいた。
夜 ダンブッラ 「アマヤ・レイク」 チキンと野菜の中華風スープ、エビや魚・野菜の揚げ物、アイスク
リ
セットメニューといっても・・・
帰り道バティック(ロウケツ染め)の店に寄り、ホテルに帰る。昨夜お願いしたヘアドライアーが今頃来
ていた。貸し出し制なのである。明日も含めて夕食はずっとこのホテル。同じレストランでヴュッフェば
かりじゃ飽きるだろうとの配慮でセットメニューとなったが、何てことはないヴュッフェで並んでいる料理
が出て来ただけだった。レモンも無しでこんな大量の揚げ物食べられまへんって。部屋に帰るとターン
ダーンサービスが入、ベッドに花びらで「GOOD NIGHT」と書いてあった。そんなのよりドライヤーだ!
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8月 1日(火) 晴れ
朝 ダンブッラ 「アマヤ・レイク」 朝食ヴュッフェ+インスタント味噌汁、しば漬けとおかゆ、緑茶
旅行社からしば漬けを載せたお粥と味噌汁サービスがあった
5時50分起床。6時過ぎ停電した。その後も何度か停電するので驚かなくなった。この国では3割の民
家に電気は来ていないらしい。水力発電に頼っているため安定的な供給が難しいのか。朝食では、旅
行社からのサービスでお粥、しば漬け、野菜の味噌汁、緑茶が出た。5月オーストリアでも食べたな。
スリー・マハー菩提樹まで続く長い参道 スリー・マハー菩提樹入り口 左側が樹齢2千年以上の菩提樹
シンハラ王国最古の首都アヌラーダプラに行く。紀元前500年頃シンハラ人の祖先と考えられるウイジ
ャヤ王子が統治していた地に紀元前380年パンドゥカーバヤ王が首都とし、在位紀元前260年〜210
年のデーワーナンピア・ティッサ王時代にインドから仏教が伝えられた。ティッサ王は仏教を保護し、そ
の下で仏陀が悟りを開いたインド・ブッダガヤの菩提樹の分け木を植樹して仏教の聖地としての条件
が整うことなる。スリー・マハー菩提樹は今でも最重要なものらしく、裸足&脱帽は当然の上、2度も荷
物検査&ボディチェックを受けなければならない。樹齢2千年以上を下手菩提樹は支えられ細かった。
ルワンウェリ・サーヤ大塔
大塔の左右には凄い数の象が
仏陀の右鎖骨を祀ったトゥーラーパーナ・ダーガバ
おうおう、ここは猫がいっぱいいる、とご機嫌で長い参道を戻ると、左手に大きなダーガパ(仏塔)が見
えて来る。真っ白なルワンウェリ・サーヤ大塔である。ここも裸足&脱帽だよーん。ギラギラの太陽の下
での脱帽には参った。大塔に登る階段の左右には何頭もの象の造り者がズラリと並んで壮観である。
ピラミッドに次いで大きなアバヤギリ大塔
幼稚園で遊ぶ子供達
午後1時半授業が終ると下校ラッシュ
昼 アヌラーダプラ 「ミリディア・ロッジ」 ランチヴュッフェ パパイアジュース 200ルピー
カレースープは旨かった!
あぁ暑かった。冷房の効いたホテルのレストランでホッとする。またもやヴュッフェだが、カレー味のスー
プが旨い。そういえば、この国こんなに暑いのに、朝昼晩と必ずのようにスープが出る。ジュースも最初
は手を出さなかったが、いつの間にかお昼にはジュースを頼んでチューっと飲んでいる。パパイア、バ
ナナ、パイナップルなどのフレッシュジュースで美味しい。ここは200ルピーで一番高い値段であった。
イスルムニア精舎のド派手な横たわる仏像 宝物殿にある「恋人達の像」と「王族の像」
ランチの後はイスルムニア精舎に行く。通称「ロック・テンプル」というだけあって、岩山をくり抜いた御堂
と岩山に建つダーガバ、極彩色の仏像が並ぶ本堂。有名な寺院というのに、本堂の中は散らかり放題
で係員がダラダラと掃除している。真赤な仏像の全身を撮影しようとずっと待機しているのに、だらだら
と動いて退かない。チェッ!宝物殿に行く途中、夥しい蝙蝠が住む巣があった。宝物殿では素晴らしい
彫刻に出会った。紀元前2世紀のドゥッタガーマニー王の息子サーリヤ王子が恋をした美しいマーラは
カーストの身分の低い娘。サーリヤ王子は周囲の反対にも耳を貸さず、王子の身分を捨ててでもマー
ラとの結婚を望んだんだってさ。それが真ん中の写真の「恋人達の像」、そして右の写真が結婚後の
「王族の像」となる。但しマーラらしい娘は右の端に小さく彫られているだけ。これで世界遺産も3つだ。
夜 ダンブッラ 「アマヤ・レイク」 ディナーヴュッフェ 3点セット 1040ルピー
ホテルに帰り、6時に予約したアーユルヴェーダのためスパに行く。去年一時アーユルヴェーダに凝っ
たことがあった。1回やると700グラムから900グラム体重が減り、20回やれば、30回やれば15キロ
減る、25キロ減ると幻想を楽しませて貰った。ホントに幻想になっちまったが・・。シンハラ語の挨拶「ア
ーユボーワン」のアーユはゆっくり年を取る、つまり長寿の意味である。ならばアーユルヴェーダは?
長寿の方法という意味らしいよ。インドで始まったものだが、美容だけでなく古くからの健康法でもある。
1時間半のハーバルオイルボディトリートメントと15分のハーバルフェイシャルトリートメントの君あわ
せを予約した。オイルを全身に塗られ、叩かれたり揉まれたりした後は、熱いスチームに入れられ、最
後はハーバルバスという泥湯に漬けられた。東京なら2、3万円かかるところ2750ルピー+750ルピ
ーという安さだから文句は言えんが、満足したとは言えない。ヴュッフェの夕食は始まっていた。余りに
暗くて写真はボケボケになったので省略。参加者の方々の中には、地球の隅々まで行かれている方も
多くお話が面白い。ほうほう、ふーん、なーるほどぉと学ばせて頂く。気の合う方々に恵まれて嬉しい。
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8月 2日(水) 晴れ
朝 ダンブッラ 「アマヤ・レイク」 朝食ヴュッフェ
今日はチェックアウトする日なので5時半に起きる。朝食レストランで昨夜のキャンディダンスの話題が
出た。夕食後9時半からダンスのショーがあったのだが、アーユルヴェーダ疲れで部屋に帰ってしまっ
た。素晴らしいダンスだったのに観客が少なくてもったいなかったらしい。3泊したダンブッラさようなら。
正面の岩山がシーギリヤ・ロック 洞窟内のシーギリヤ・レディは美しい 巨大なライオンの入り口の足
いよいよこの日が来てしまった。旅行のパンフレットに「シーギリヤ・ロックでは約300段の石段をお上
りいただきます」とあって、上るかヤメルか悩んでいたのだ。さらに「ご心配の方は腕を支えてくれるアシ
スタント(有料)を頼むこともできます」と。独力で上る、アシスタント1人頼む、2人頼む、上らないで下
でボーっとしているの4つの選択肢。バスを下りると、大勢のアシスタントからモーレツな攻勢を浴びせ
られる。「ゆっくりゆっくり」「お金あとで」とかワーワー言いながらゴーインに腕を取ろうとする。ある男の
汗に濡れたベチャッとした手が腕に触れる。気持ち悪いので振り切る。何度も振り切っているうちに、い
つの間にか「独力で上る」というカタチになってしまった。ここシーギリヤ・ロックには、5世紀父であるダ
ートゥセーナ王を殺して王位についたカーシャパが、腹違いの弟モッガラーナの復讐を恐れて岩山に
築いた宮殿跡がある。平野に突然聳える200メートルの岩山である。小柄なA本さんのご主人は両脇
を屈強な男に支えられ、まるで逮捕されたような様相だ。ハァーハァー、ダラダラ(汗が流れる様子)、
ハァーハァー、ダラダラ・・・着いたぞ!最後は急な螺旋階段を上って山の中腹の洞窟に辿り着く。世界
遺産のシーギリヤ・レディのフレスコ画。1500年以上前のフレスコ画とは思えない程鮮やかな色彩が
残っている。当初は500人以上の美女が描かれていたらしいが、今は18人だ。洞窟を下りて再び上る
とライオンの入り口に着く。巨大なライオンの足から更に上に上る階段があるが、私はここでヤーメタ。
昼 マターレー 「A&Cレストラン」 野菜スープ、カレー9種とライス、フルーツ、紅茶、パパイヤジュー
ス(サービス)
いち早く下山して涼しいバスの中で休憩していると、やがて皆さんが戻って来る。何だか騒がしい。アシ
スタントは1人500ルピーの約束なのだが、米ドルや円を要求されたとか、2人頼んだ人が2万円取ら
れたとか、頼んでもいないのについて来て金をせびるとかトラブっている。警察呼んで金返して貰うとか
ね。それはともかく、最大の山場を乗り越え、みな達成感を味わっているよう。ランチでは1ドリンクサー
ビスとなった。ペラヘラ祭の期間中キャンディでは公共の場では禁酒です!と今朝突然告げられ、I浦
さんとS井さんが「聞いていない!寝首をかくな!」と暴れた。ハハハ。お陰で全員飲み物をゲットした。
食後、スパイスガーデンに寄る。鬱蒼とした森で、「これバニラ、あれスパイスの女王カルダモン、それ
は白檀、あっちはスパイスの王様胡椒・・・」と流暢な日本語で説明を受ける。お茶をご馳走になって、
調合したオイルで無料マッサージ。腕っぷしが強い男のマッサージは気持ち良い。スパイス沢山買う。
夜 キャンディ 「アマヤ・ヒルズ」 ディナーヴュッフェ 3点セット 1120ルピー
高度を増している。乾燥地帯から、雨がよく降る丘陵地帯に移ると緑の色が格段に濃くなる。木々も高
い。気のせいか家も立派に見える。最後の王国の首都であったキャンディは標高550メートル。今晩か
ら3泊するホテルには大型バスは入れないということで、ホテルのボロボロ中型車に乗り換える。15分
揺られて山腹のホテルに到着。涼しい!!今朝まで滞在したホテルと同じアマヤグループだが、ここは
コテージではなく、普通の建物。ロビーとの往復が楽チンなのねと思ったら、何と部屋は3階下だった。
エレベータ無し。ヘヤドライヤーも無し。お湯もなかなか出ない。金庫は壊れている。バスタブの栓も無
い。スリランカの4ッ星高級リゾートホテルはこんなのかぁ。夕食時のアルコールは禁止と言われてい
たのに、「今日からOKになりましたー!」。3点セット頼む。料理の写真はボヤケタので省略しまーす。
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8月 3日(木) 一時小雨 のち晴れ
朝 キャンディ 「アマヤ・ヒルズ」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。昨日は結局お湯が出なかったので、朝のシャワーとなった。ボイラーが小さいのだね、き
っと。朝食ヴュッフェは「アマヤ・レイク」とほぼ同じ。オムレツを焼いて貰う。全員に聞き回ったわけでは
ないが、お腹を壊した人はいないようだ。すっかりスリランカ飲食環境に慣れたせいか、皆さんジュース
もカットフルーツも躊躇しない。生野菜まで食べている人もいる。吹き抜けのロビーに涼しい風が吹く。
ペーラーデニア植物園 この木何の木気になる木・・・・と同じ種の大ジャワ・ビンローの木
またボロボロ中型バスで麓まで下りて大型バスに乗り換え、ペーラーデニア植物園に向かう。1821年
開設され、南国の植物が4000種類もある広大な植物園だ。熟すまでに5年もかかる世界最大のココ
ナッツをつける双子椰子の木や枝の下の面積1800uもある大ジャワ・ビンロー、黒壇の木などを見る。
ここで記念撮影した。植物園の隣にはスリランカの東大とも言えるペーラーデニア大学があるそうよ。
昼 キャーガッラ 「ピンナランダ」 トマトスープ、カレー7種とライス、パイナップル、紅茶、パイナップ
ルジュース 190ルピー
植物園から出たあたりから大型バスの調子が悪い。途中で止まってはエンジンを冷してダマシダマシ
走ったものの、目的地まであと1歩のところで完全に停止してしまった。アッチャー!ガイド、ドライバー、
アシスタント氏が走り回って代わりの中型バスを見つけ乗り換える。午前中象の水浴びを見ることにな
っていたが、サカリのついた象が川で行方不明になったとかで中止らしい象。なら、見られない象。じゃ、
昼飯にする象ということでレストランへ。川のほとりの店の1階では結婚披露宴がニギニギしく行われて
おり、その間をぬって2階へ。今日もカレーだ。最後の方にチキン、ポークの辛―いカレーが出て来る。
ここはキャンディから西30キロのピンナワラという町。1975年ピンナワラに世界初の「象の孤児園」が
出来た。現在スリランカには3500頭の象がいるが、森で迷子になったり、親に死なれた子象を保護す
るためだ。母親のいない赤ちゃん象には1日5回ミルクを与えるが、そのうち3回は公開されている。
午後1時15分のミルクタイムを見学。大きな哺乳瓶が数秒で無くなる。何本も何本も飲む。少し歩いて
開けた所で目に飛び込んで来た光景に口をアングリ。何十頭もの象がこちらに目がけてユッサユッサ
と近づいて来る。これだけの象の集団を見るのは初めてだから怖いくらい。ここには今72頭の象がい
るというが、大迫力ですなぁ。失明した象、片足の無い象もいる。象使いが巧みに象を静止させ、観光
客と一緒に写真を撮らせている。午後の水浴びは決行と決まり、一旦諦めた水浴び見学が出来る象。
午後2時になると、リーダーの象を先頭に全部の象がドドドドと商店街を抜けて川に向かって行く。キャ
ーッ!スゴイ光景です象!ややあって、ついて行くと、広い川で思い思いに水浴びする象がいて感動。
夜 キャンディ 「アマヤ・ヒルズ」 野菜とチキンのコンソメスープ、寿司もどきなどの前菜盛り合わ
せ、
象を堪能した後は、紅茶畑へ。ま、紅茶畑と言っても、紅茶、緑茶、烏龍茶は同じ茶の木から採るんで
すけどね。畑には蛭がいるそうだし茶摘みの女性達から「マネー、マネー」と金をせびられて早々に退
散した。紅茶の茶摘みをしている人達は南インドからの移民が多く、未だに無国籍で貧しい暮らしをし
ているらしい。製茶工場の見学の後、セイロン紅茶を購入。夕食はセットメニューであったが、焼き鳥は
真っ黒に焦げて炭のようだった。旅行社のサービスのソーメンは茹で過ぎで皿に盛られて登場したよ。
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8月 4日(金) 晴れ
朝 キャンディ 「アマヤ・ヒルズ」 朝食ヴュッフェ
世界遺産の仏歯寺には大勢の仏教徒が敬虔な祈りを捧げている
ペラヘラ祭の出番を待つ仏歯寺の象
昨日エンコしてしまった大型バスの代替車が麓に待っていた。昨日コロンボを出て待機していたようだ。
今度は富士急バスの中古使用車で前のバスよりキレイだ。世界遺産の仏歯寺に行く。紀元前543年
火葬された仏陀の犬歯が4世紀にスリランカに運ばれて来た(そうだ)。以来、覇権者は仏歯を持って
いることが条件とされ、都が移る度にそれを祀る仏歯寺も移転して来た。シンハラ王朝最後のキャンデ
ィ王国は、1815年300年以上の歴史を閉じたから、仏歯寺もキャンディにある。スリランカ仏教の最高
の宝だから、セキュリティのチェックも厳しい。財布もピルケースも開けられる。カラダも至るところ触ら
れて、I浦夫人はつい「うっふーん」と身をよじったとか。お寺の中は通勤ラッシュ並の大混雑で汗びっし
ょり。仏歯を奉納した箱は7重に管理され遠くからチラッと箱を拝むだけだ。裸足&脱帽もこれで終了。
昼 キャンディ 「キャンディアン・アート・レジデンシー」 チキンと卵・コーンの中華風スープ、チキ
ンの
王宮跡、人工湖のキャンディ湖などを見てから、宝石博物館へ。ガイド氏は政府経営の宝石博物館と言
っていたが、博物館も工場も宝石を買わせるための付属施設であることは見え見えで不快だった。宝石
店に来ると、目がランランと輝く人たちもいれば、私のようにどんよりと目を曇らせて何の興味も示さない
人もいる。長く待たされてホントーに退屈した。ランチは中華と聞いていたのに、目の前に出された料理を
見て??スリランカ「中華風」ってことで。がチキンにかかっていたカシューナッツピリ辛ソースは旨い。
夜 キャンディ 「クィーンンズホテル」にて 持参のお弁当(クラブハウスサンドイッチ、チキンの唐揚げ、
りんご、バナナ、水
見学場所となったクィーンズホテル 夕食の弁当はクラブハウスサンドイッチ 今や遅しと待ち受ける観客
迫力満点の火の踊り 象の後には踊りチームが続く イルミネートされた象の行進
夜に備えて早めにホテルに帰って休憩。今夜はいよいよ最大のイベント・ペラヘラ祭を見学するのであ
る。ペラヘラとは行列、行進、つまりパレードね。エサラ月(7月〜8月)の満月の前2週間に行われ、
パレードは10日間続く。交通規制のため早めに市内に着いて食料市場を見学。イヤー、ものスゴイ
活気と暑さと臭いだ。もういいから見学場所のクィーンズホテルに行こうよ。パレードが開始される仏歯
寺の真ん前にあるホテルで、見学には絶好の場所だ。パレードには未だ2時間以上ある。ホテルから
持参したお弁当の箱を開ける。400、600、700ルピーの三種の弁当があったので一番高いのを注文し
た。テヘヘ。クラブハウスサンドイットだった。8時10分パレードが始まる。先ずはヒューっと音の出る長
いムチ打ち、続いて大きな火の輪をクルクルと回したり放り投げたりする火の踊り、旗持ち、そしていよ
いよ象の登場だ。立派な牙を持った大きな象が、ピカピカと電飾された衣装をまとってノッシノッシと行
進する。この後40頭以上の象が出て来たが、先頭の象の風格はピカ一であった。笛、太鼓隊の音楽
も迫力がある。ゆっくり進む行列の両脇には松明を持った男達が等間隔で歩くが、その油の臭いが強
い。また象が来る。その後にはダンスチーム。曲芸をしながら行進するグループもある。象、ダンス、象
太鼓と繰り返し、保護者の登場。ここまでが仏歯寺の行進で、続いてキャンディに祀られている四大守
護神(ナータ:菩薩、ヴィシュヌ:ヒンズーの神、カタラガマ:ヒンズーの安全の神、パッティーニ:ヒンズー
の女神で安産の神)の行進があった。写真を撮りまくりパレードが終ったのは2時間後であった。ほっ。
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8月 5日(土) 晴れ
朝 キャンディ 「アマヤ・ヒルズ」 朝食ヴュッフェ
昨夜ホテルに戻ったのは午後11時前だった。12時半頃寝たが6時半には起床。チェックアウトする。
昼 ワラカポラ 「アンベプッサ・レストハウス」 カレーヴュッフェ パパイアジュース 100ルピー
キャンディに別れを告げ、山を下ってコロンボに帰る。今日はひたすら移動するだけだから気が楽。ラ
ンチを摂ったレストランは、英国占領時代馬車の休憩処だったところで、現在は政府が経営する趣のあ
る店だ。カボチャのスープが美味しくお替りする。庭に設けられた見張り台で男性が笛を吹いていた。
夜 マウント・ラヴィニア ・マウント・ラヴィニアホテルのテラスレストラン 蟹とブロッコリーの前菜、
マッ
点セット(赤ワインは3杯) 1400ルピー
コロンボの南近郊のマウント・ラヴィニアに到着したのは午後3時半。スリランカ最古のシーサイド・リゾ
ートホテルのマウント・ラヴィニアホテルに1泊する。英国総督の別荘だった建物をホテルに改築した名
門ホテルで、サマセット・モームも愛したそうよ。今朝まで3泊地下3階の部屋で苦労したことを慮って
か、最上階5階の部屋となった。窓の外には、真っ青なインド洋が広がり、遠くコロンボ・フォート地区の
高層ビルも見える。金庫が無い、バスローブが無い、バスルームが暗い以外はすべて配慮された居心
地の良いホテルだ。水着を持参しながら今まで一度も使用しなかったので、プールで泳ぐことにする。
既にF谷さん、I浦さん、K間さんがプールに浸かっておいでだ。水は生ぬるい。泳ぐか歩くつもりだっ
たのに、結局お風呂に浸かったみたいにお喋りして終った。大きな太陽がインド洋にポッコリ沈み、サヨ
ナラパーティ。せっかくのフレンチのコースだったが薄暗くて写真が不鮮明。ドイツ人チーフシェフで、マ
ッシュルームスープが美味しかった。旅行社の赤ワインサービスに加え、I浦さんからもご馳走になる。
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8月 6日(日) 晴れ アッチャー!
朝 マウント・ラヴィニア ・マウント・ラヴィニアホテルのテラスレストラン 朝食ヴュッフェ
朝ご飯もなかなかです
5時半気持ちよく起きた。8時半バスに乗って、コロンボの国立博物館に行く。1877年英国時代に始め
から博物館として建設され、今も当時の建物のままである。つまり古くてボロボロってこと。冷房も無く、
カビ臭く、早く終ってくれと願う。見所はシーギリヤ・レディの宝石と王様の刀くらいだった。コロンボは首
都であったが、1984年国会議事堂は近郊のスリー・ジャヤワルダナプラに移された。しかし、首都機能
は依然としてコロンボにあり、最大の町であることに変わりない。今日は日曜日とあって休みの店が多
かったが、それでも庶民的な街ペター地区などは猥雑で賑やかだ。土産物屋で最後の買い物をする。
昼 コロンボ 「日本料理さくら」 そーめん、煮物、天麩羅、ご飯、漬け物、味噌汁、パイナップル、ラ
イ
海外の和食はこんなものでしょう
明日の昼には日本に到着するが、昼食は日本食レストランだよ。不味くも無いが美味しくもないよなぁ。
夕方の軽食 バスの中にて クラブハウスサンドイッチ、ポテトフライ、水
大汗かいてホテルに帰り、シャワーを浴びて帰国する準備。夜の便の場合、こうしてホテルのチェック
アウトが遅くする配慮はとても有り難い。バスの中で軽食半分食べて空港に到着。スリランカさよなら。
夜の軽食 スリランカ航空 コロンボ=モルジブ ビジネスクラス機内食 スモークサーモンのク
ロワッ
8時半のフライトまでラウンジで心地よく過ごして機内へ。来る時は成田から直行便だったが、帰りはモ
ルジブ経由。モルジブに着くと、ゾロゾロ降りて行き、エコノミー席はガラガラになったようだ。本格的な
夕食を食べる前に日付が変わる。ってことは、8月2週になったということね。夕食は来週掲載でーす。
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【今週の振り返り】
アーユボーワン。先週から8日間とちょっと、インド洋に浮ぶスリランカを旅した。世界遺産の貴重な仏
教遺跡、人々が熱心に信仰する仏教、ヒンズー寺院、キリスト教教会、イスラムのモスク、大迫力のペ
ラヘラ祭、人々の生活を決める占い、百頭以上見た象、餌を狙う白い顔と黒い顔の猿、町中にいた犬、
木を飛び回るリス、大きなトカゲ、コテージにいたヤモリ、エネルギッシュなキャンディダンス、古来の健
康法アーユルヴェーダ、五大産地のある紅茶、数多いスパイス、毎食を飾るカレー、豊富なフルーツ、
珍しい野菜、椰子やゴムなどの南国らしい木々、咲き誇る花々、ブルーサファイア、ルビー等の宝石、
コロンボやキャンディなど大都市のむせ返るような雑踏、クラクションが鳴り響く狭い道、昔の王が作っ
た湖のように大きな灌漑用池、川で水浴びをする人々、金をねだって差し出される手、「5枚で千円、3
つで千円」と執拗に纏わりつく物売り、暑い街角でぼろ切れのように蹲る老人、真っ青な空、波の荒い
インド洋・・・・・。北海道より小さな島なのに、こんなことがギッシリ詰まっていた。
この国には伝説が多い。そもそもシンハラ人、シンハラ王国の始まりから伝説となる。昔、インドでオス
のライオンとベンガルの王女が結婚して双子の兄妹が生まれる。ライオンを殺した兄は妹と結婚して子
供を作る。その長男が暴れ者だったので国から追放する。700人のお供と共にスリランカに漂着したウ
ィジャヤ王子は、島の悪魔を退治してシンハラ王国を建設した・・・・。この話6世紀編纂された「マハー
ワンサ」に出てくるのだそうだ。日本にも当時の統治者の都合で編纂した「古事記」や「日本書紀」もあ
るが、後世の人は「歴史上の事実」としてすべて受け止めているわけではない。旅行期間中ずっとお世
話をしてくれたガイドのラトゥさんは、「乾いた所(乾燥地帯)」、「これダイジン(大事)です」、「このスー
パーには何もあります」、「女の人が子供出す(産む)時」なんてヘンテコリンな日本語を話し続けたが、
世話好きな人柄の良いオッちゃんだった。そのラトゥ氏は、これは伝説ですが、とも言わず、自分達の
国の誇りある歴史としてトウトウと語るのである。「シンハはライオン、ラは血、つまりライオンを殺した
者というのがシンハラの意味なんですね、ワハハ。スリランカにはライオンはいないけど、ライオンを殺
した祖先がいるですね、ワハハ」という調子だ。最後の日に泊まったマウント・ラヴィニアホテルの成り
立ちも、ガイドブックには「伝説」としっかり書いていあるのに、「昔イギリスの知事さん(総督)がうちゅく
しい娘さんのために作ったのがこのホテルなんですね」とニコヤカに説明する。正しい説明が欲しくて何
度か質問したが、途中で諦めた。この国の人がそう信じているのなら、それでいーじゃないか。
8月4日のペラヘラ祭は7時半開始となっていたが、占いの結果8時10分開始と変更された。占い
は深く人々の生活に根ざし、結婚式、葬式、新居への入居も占いの先生に日時を占って貰って決める
のだとか。生まれた子供の名前の頭文字も占って貰うらしい。ま、中国の風水は今も盛んだし、日本で
はクールな人でも子供が生まれると姓名判断に頼るから、それほど不思議なことではないのか。
先週の振り返りにも少し記したが、この国は複数の民族と複数の宗教、複数の言語が共存している。
長い間ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地に甘んじていたが、独立の気運が高まると、ナショナリ
ズムを高めるために「シンハラ語を話すシンハラ人×仏教徒」が独立した国の中心であると力説し、他
民族、他宗教を排斥することにもなった。アメリカにおけるWASP(アングロサクソン系白人プロテスタ
ント)がエリート層であると勝手に差別化する言葉を編み出した現象にちょっと似ている。この仏教徒シ
ンハラ人の数が多かったことから、20%弱のマイノリティ・タミール人×ヒンズー教徒は抵抗し、深刻な
対立が生まれる。2002年スリランカ政府とタミール過激派との間で停戦合意がなされたが、一昨年12
月タミール人、イスラム・ムーア人が主に住む地域が大津波で大被害を受けて、またまた緊張状態に
戻った面もある。但し、今回私達が旅したあたりは平和で安全だからご安心を。早く島の名前=光輝く
島スリランカになって欲しいと願うばかりだ。
この国気に入ったのなら、また来るのだ象!