パクパク日記7年1月4週
ペンギンちゃん、アザラシ君さよならー、南極大陸よ、さよならー
ウシュアイア
アルゼンチンタンゴ
1月 22日(月) 曇り
朝 ブレーメン号 メインレストラン 朝食ヴュッフェ
今荒れ狂う海で有名なドレイク海峡を進んでいるんだと思い出し、おそるおそる目を開けてみる。れれ
れ?部屋の中は整然として船が揺れた形跡は無い。オカシイ。何せ来る時は低気圧を避けるため大き
く迂回し、海峡を渡るのに3日もかかったのだから。それも大揺れでね。カーテンを開けると、信じられ
ない光景が。海面は静かそのもので、ベタ凪。こんなことってあるのだろうか。後刻教えて貰ったが、こ
んな海を「ドレイク・ミラー」というのだそうで、滅多にお目にかかれるもんじゃないよね。びっくりしたぞ。
朝食を摂っている時、こんなに海が静かな時に荷造りするのがいいのだよね、とY口さんに言われ、コ
ーヒーも途中で部屋に帰った。そうだ、明日の夜中までにスーツケースは出さねばならないのだ。スー
ツケースを出したら寝巻きや洗面道具など1泊用の荷物は手荷物とするのだ。集中してさっさとやる。
天気の良い日ドイツ人は日光浴する人多し
プールは温水だが人気はない
風の無い日は客室のベランダで過す
昼 ブレーメン号 メインレストラン サラダバー、クルトン要りガーリックのクリームスープ、ドイツ風チ
ーズ玉葱パスタ、アイスクリーム、コーヒー
4階のメインレストラン こっちがドイツ人グループ席
こっちは日本人グループ席
午前10時からの第2回ビンゴ大会はカスリもしなかった。続いてのジャンケン大会もダメ。あーあ。部
屋に帰って本の続きでも読むかぁ。14冊本を持って来たが、晴れている時は上陸だ、景色の撮影だと
忙しく読めず、海が荒れている時は気持ち悪くなるから読めず、寝る前は酔っ払っていてたいして読め
ずで、未だ4冊目なのだよ。12時半から昼食。150人の乗客が一堂に着席できる広さだが、入り口から
左手はドイツ人&スペイン人席、右手が日本人席と分かれている。お互い「グーテンモルゲン」「おはよ
うございます」、「ダンケシェーン」「ありがとう」位は挨拶を交わすが、それ以上は会話進まないしね。こ
ちらも84歳を筆頭に80台が5、6人いらっしゃるが、ドイツ側も負けじと84歳を頭にお年寄りの集団
だ。でもほとんどはご夫婦で、日本グループのように男女ともに一人参加はごく少ないようだ。約76名
の日本人グループで私は若い方から4,5番目と行ったところか。食事中の話題は旨い蕎麦屋だった。
第1次南極観測隊では初の越冬隊11人を残し帰国 皇帝ペンギンが宗谷を見学に来たそうよ
犬ぞりで大活躍したカラフト犬
大瀬正美先生による南極アカデミーも6回目を数え、今日のテーマは「昭和基地物語」。昭和31年11
月8日53名の隊員と20頭のカラフト犬が南極観測船宗谷で出発。当時南極の知識は現在の小学生
並の知識しかなく、帰還できるかどうかもわからず、全員遺影を撮影してからの出発だった。シンガポ
ール、南アフリカのケープタウンを経由して、翌32年1月7日南氷洋に到着。先日、夕食時に船が15
度ほど傾いたといって大騒ぎしたが、宗谷は最大48度も傾いて大揺れだったそうだ。周囲を偵察した
上で、現在基地のある東オングル島に基地を建設。船から荷揚げする様子を皇帝ペンギン達が遠くか
ら泊まりがけで見学に来たという。初の越冬隊11人を涙涙で残した宗谷は厚い氷に閉じ込められ、ロ
シア船に救助された話など、実際に経験された方ならではの実感がこもっていて話に引き込まれた。
夜―1 ブレーメン号 ラウンジ サヨナラカクテルパーティ シャンパン 3杯
下船は明後日の朝だが、今晩はサヨナラパーティだ。ドレイク海峡が揺れること、明日では荷作りに忙
しいからという理由なのだろう。着飾った乗客がラウンジに集まり、船長や各パートチーフから感謝の
挨拶がある。船長はスピーカーでお馴染みの「クジーラ!」を実際にやって見せてくれ喝采を浴びた。
夜−2 ブレーメン号 メインレストラン サヨナラディナー 仔牛肉のカルパッチョ、パイ生地のドー
ム
シ
このところ、夕食は関西組の方々とご一緒することが多い。関西組と言っても関西は2人だけで、高知、
福岡、名古屋からの5人の皆さん。サヨナラディナーの名物らしいデザートはベイクドアラスカ。パチパ
チと光る蝋燭をたくさんつけて行進入場して来た大きなケーキである。なかなかの美味しさであったよ。
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1月 23日(火) 晴れ
朝 ブレーメン号 メインレストラン 朝食ヴュッフェ
海の朝焼け これが地球の最南端ホーン岬だ! 5ヶ月前に完成した管理棟や教会が見える
5時過ぎ起床。結局「魔のドイレク海峡」は特に揺れることもなく昨夜通過してしまったようだ。行きは3
日もかかったあの海峡を帰りはあっさりと。信じられない。海峡を越えたら、いよいよ南極を除く地球上
の最南端ホーン岬に近づいて来る。南緯55度55分。去年10月に訪れた南アフリカの喜望峰より
2080キロも、ニュージーランドのスチュアートより900キロ南にある。大航海時代、オランダの東インド
会社がマゼラン海峡を独占してしまい、他の船乗りは困り果て新しい航路を探していた。そんな中、ア
イザック・ルメールは2人の息子に命じて探し当てたのがホーン岬なのである。彼らの故郷、オランダ
のホールンに因んでホーン岬と命名した。ついでに息子2人は南極のルメール海峡も発見してしまった
のだからスゴイね。以来、ホーン岬は、パナマ運河が作られるまで大西洋と太平洋を繋ぐ貴重な役割
を果たしていた。で上陸できたか?お天気は良いのに風が強くてね。波が高過ぎて上陸は中止だす。
その昔、あのダーウィンも通ったビーグル水道
おぉ!あれは超豪華客船、クィーン・メアリーU号ではないかぁ!
船はビーグル水道にさしかかる。1831年ロバート・フィッツロイ船長がビーグル号で航行中に発見した
水道である。このビーグル号には、高い乗船料を払って同行した若き学者チャールズ・ダーウィンが乗
っていて、この時ガラパゴスなどにも行った経験がベースとなり、後に「種の起源」、「進化論」となって
発表された。その時アナウンス。ビーグル水道の向こうから豪華客船のクィーン・メアリーU号が近づ
いて来るよん。屋上で彼女が近づいて来るのを眺めた。2004年デビューした同号は、15万1400トン、
客室数1310室、2620人収容、レストラン・ラウンジ・バーだけでも15箇所もある。これだけ大きいと揺
れることも少ないだろうから、ブレーメン号のようにレストランで椅子ごとひっくり返るなんてスリリングな
経験は味わえないのだろうなぁ。まさに動く超豪華ホテルって感じ。私達はここで降りるのでさよなら。
昼 ブレーメン号 メインレストラン サラダバー、クリアビーフスープ、特製日本かけ蕎麦、胡桃バル
サ
蕎麦も1杯だけ?
今日のランチには特製かけ蕎麦が出た。旅行会社の添乗員もタイヘンだね。そうめん、カレー、ちらし
寿司、蕎麦、めん汁、漬け物、山葵、生姜などどっさり持って来たんだものね。それも80人分だもの。
プエルト・ウィリアムズにある小さな博物館 ここには裸族がかつて住んでいた シャクルトン隊を救出した船の舳先
ホーン岬上陸が果たせなかったので、代わりにプエルト・ウィリアムズという小さな村に上陸することに
なった。しかし、7回南極ツァーに来ているH谷川さんに寄れば、ここ十数年ホーン岬には一度も上陸
できた試しがなく、それ程波の高い場所なのだそうだ。そして決まってここプエルト・ウィリアムズに上陸
するのですって。船が出発したウシュアイアが最南端の市なら、ここは最南端の村。チリ領で、チリの
海軍基地がある。もうウェットランディングは無いだろうと、さっき長靴や何やかや全部スーツケースに
入れて鍵をかけたのに・・・・仕方ない、また出すか。小さな博物館に行くと、この地に住んでいた先住
民の写真が展示されていた。何と裸族なのである。こんな寒い場所(今日は18度という異常な暑さだ
けど)で、裸で暮らしていたなんて!大瀬先生に伺うと魚から取った脂を体中に塗っていたらしいという
が、それにしてもねぇ。埃っぽい道路を歩くと車が来て更に埃を舞い上げる。車は日産、三菱、トヨタな
ど日本車が圧倒的に多い。坂を上ったところにシャクルトン隊の救出を行ったチリ海軍の船の舳先だけ
展示してあった。小さな船だったのだね。チリというので、あのアニータはいるか探したがいなかった。
夜 ブレーメン号 メインレストラン ヨーグルトとライムのきゅうりサラダ、生姜風味ワンタン入りビー
フ
コ
いよいよブレーメン号最後のディナーとなった。コンソメ系のスープが濃過ぎたり、エスニック系の料理
は首をヒネルものもあったりの欠点はあったものの、十分に楽しませて貰ったレストラン。15日間も新
鮮な野菜、果物を供し続ける保管技術はたいしたものだ。ご馳走さまでした。船は午後9時の予定を早
め7時20分ウシュアイアの港に到着。出発する時雪で白かった山々が、雪が溶けて黒々としていた。
すっかり雪が溶けたウシュアイアの山々 町で出かける人も多かった 美しい夕陽である
食後ウシュアイアの町に買い物に行く人、散策する人達が船を降りて行った。私は5階のラウンジで、
下戸の男性2人を前にジントニックをごくごく。ウシュアイアのミ港が夕陽に染まって美しい。明日下舟。
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1月 24日(水) ウシュアイアもブエノスアイレスも晴れ
朝 ブレーメン号 メインレストラン 朝食ヴュッフェ
朝起きて、郵便受けの請求書を受け取る。あら?昨夜0時に出したスーツケースが未だ廊下において
あるじゃないの!請求書のチェック。乗船している間の酒代、写真代、クリーニング代、買い物代など
はすべて部屋付けにして最後に精算する仕組み。一度お願いしたクリーニングで、子供用かと思う程
縮んでしまったロングパンツの弁償代として20ユーロマイナスしてあった。合計3万5千円。2週間の
酒代と考えるとムチャ安い。しかも、これには買ったジャケットとか写真代も含まれているからね。預け
てあったパスポートを返却して貰い、最後の朝ご飯。結局15日間、同じような朝ご飯を食べていた。昨
夜大きなほうき星が長く見えたとか、前に停まっていた日本の漁船に乗り込んだよなんて話を聞いた。
昼 アルゼンチン航空 チャーター機 ウシュアイア=ブエノスアイレス 機内食
空腹なので食べます!
9時ブレーメン号にお別れしてバスで空港に向かう。またボロボロのチャーター機に乗るんだなぁ。飛行
機が動き出したと思ったら、ヤケにゴロゴロと音がする。まるでパンクした自転車のようだ。ピタっと止ま
った飛行機。「当機はタイヤに空気を入れますので、駐機場に戻ります」って。オイオイ、である。1時間
遅れで離陸し午後3時半ブエノスアイレスに到着。暑い!この蒸し暑さを忘れていた。ホテルに向かう。
夜―1 ブエノスアイレス 「ソレント」 イカの天ぷら 生野菜添え、ミラネッサ(ミラノ風ビーフカツレツ)
マッシュポテト添え、フルーツポンチとアイスクリーム、ビール、赤ワイン
船はずっとシャワーだったので、久々にホテルの湯船に浸かって気持ちがいい。7時から4グループ全
員同じレストランで夕食。この時事件が起った。どうゆうことか詳細はわからないが、一人の方が店に
入った途端バッグを盗まれてしまったのだ。パスポート入りのバッグを。この町ではそうなれば二度と出
て来ない。再発行して貰うにも明日では間に合わないということで、ご夫婦が1日遅れて帰国することと
なった。3人ケガ人はあったものの、せっかくここまで無事に来たのに残念だ。ミラネッサというビーフカ
ツレツが出た。どうもミラノ風ビーフカツレツがここではそう呼ばれているらしい。ウィーンの名物料理、
シュニッツェルも、元を辿ればミラノ風ビーフカツレツに行きつく。世界中の人に愛されている料理だね。
夜―2 ブエノスアイレス タンゴクラブ「カルロス・ガルデル」 ジントニック
お客で満席の「カルロス・ガルデル」 妖しく激しいアルゼンチンタンゴショー
食後、希望者はタンゴショーを観に行く。カルロス・ガルデルというかつての国民的歌手の名前を冠した
店だ。カルロス・ガルデルの前にも後にもアルゼンチンタンゴの歌手はいない、とまで言われた彼は40
代の若さで飛行機事故により命を落とす。それから数十年経った今でも、地下鉄の駅名、商店の名前
など広くカルロス・ガルデルの名前は使われているのだそうだ。昨年は食事しながらのタンゴだったの
で堪能したが、今晩はショーだけだから1時間半。2階席であれよあれよという間に終ってしまったぞ。
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1月 25日(木) ブエノスアイレスは小雨のち曇り
朝 ブエノスアイレス・メリアホテル 朝食ヴュッフェ
料理の少ないヴュッフェです
昨夜夜中にトイレに行った。足がふらつくので壁伝いに歩く。今晩は随分波が高いのだなぁ、こんなに
揺れるもの。帰りにちゃんと部屋を見たら、ホテルだった!船を降りたことがわかっても、まだ足はふら
ついている。オカシナ経験だった。昨夜2時に寝たので8時に起きた。あらー、外は雨だわ。今日は川ク
ルーズに行くのになぁ。メリアホテルの朝食ヴュッフェは料理の数が少なく、つまらない食事だった。
これが中産階級の夏の別荘だそうですよー
元大統領の別荘が保存されている
正午チェックアウトして、ラプラータ川のデルタ地帯に向かう。イグアスの滝を源流とした長い川がいく
つかの支流と合流し、河口から400キロをラプラータ川と言う。長さが400キロなのに、最大の川幅は
220キロもあり、最狭でも40キロも幅がある。内陸のデルタ地帯は2万1千平方キロもあり、隣国ウル
グアイと接している。ここに純粋に住んでいるのは3千人位だが、ブエノスアイレスの中産階級の人々
の別荘がたくさんあって、夏場の今は釣りをしたり、泳いだり、犬と戯れる家族連れで賑わっていた。船
が唯一の交通手段だから、郵便屋さんも物売りも船でやって来る。桟橋の上のスーパーも見かけた。
昼 ブエノスアイレス郊外 ティグレ「GATO BLANCO」 椰子のカクテルサラダ、ますのビール焼き、
サラダ、フレンチフライ、アイスクリームホットッチョコレートがけ、エスプレッソ
そんな一角の「GATO BLANCO」というレストランでランチ。「白い猫」という名前だ。どの器にも、金
色の目をした白い猫の模様があって可愛い。白い猫はどこにいるのかとキョロキョロ探すが見つからな
い。食後ようやく裏の倉庫で昼寝している白い猫を発見。写真を撮っていたら蚊に刺されてしまったぞ。
夜 デルタ航空 ブエノスアイレス=アトランタ ビジネスクラス機内食
ラプラタ川のデルタ地帯から、空港でデルタ航空に乗り込むのだ。チェックインに時間はかかるし、乗る
前に荷物の徹底検査、身体検査などエラソーにやるし、「アメリカの飛行機には今後絶対乗ってやんな
いかんな!」とむかっ腹が立つ。空港に喫煙場所がたくさんあるのはいいな。遅い夕食は注文の間違
いでメインがチャウダーになっちゃった。美味しくもないけど、食べ過ぎだからこんなものでいいっしょ。
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1月 26日(金) アトランタは晴れ
朝 デルタ航空 ブエノスアイレス=アトランタ ビジネスクラス機内食
起きて3分でご飯食べるんですかぁ?
朝のお茶 アトランタ空港 デルタラウンジ コーヒー
アトランタには予定より早く、5時半過ぎに到着。到着したゲートと乗り換えて出発するゲートが同じだっ
たのでゴタゴタせずに済む。それでも入国検査で指紋を取られ、写真も撮られる。これで終りかと思え
ば、今度は機械を相手に指紋、写真撮影をされる。なんで2度もやるんだ!Eゲートで唯一煙草を吸え
る場所は行きに探しておいたから、喫煙組を引き連れてご案内。感謝された。ラウンジでコーヒーを飲
んでいると、1月26日の朝日が静かに上って来た。長い旅行だったが、あと一息で日本に帰れるね。
昼 デルタ航空 アトランタ=成田 ビジネスクラス機内食(和食コース)
ひさしぶりに和食です
成田行き機材の操縦席の窓に支障が出たということで2時間飛行機は遅れる。電車や汽車で2時間も
遅れたらタイヘンだけど、飛行機の場合は「トーゼン」という雰囲気があるのが不思議だ。当事者もスマ
ンなんて顔しないし、乗客もそれほど怒らない。ヘンだ。飛行機の中で咳が止まらない。風邪引いた?
夜のおやつ カップラーメンと茶蕎麦、白ワイン
カップラーメンに茶蕎麦を続けて?
眠れずに咳をしながら本を読んでいるからお腹が空く。カップラーメンチョーダイとお願いしたら、そのあ
と、茶蕎麦まで持って来られてオタオタする。残しちゃ悪いので2つとも食べてしまった。ゴホンゴホン。
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1月 27日(土)
朝 デルタ航空 アトランタ=成田 ビジネスクラス機内食
もうたべられません!
カップ麺と茶蕎麦でお腹いっぱいのところに朝食が配られる。もう入りませんって。ゴホンゴホンゴホ。
昼は該当なし
アトランタと日本の時差は14時間。朝ご飯は要らない!なんて言って1時間半後成田に着いたら、もう
4時過ぎだった。1月27日は10時間しかないことになり、短い。もっとも行きの1月6日は38時間もあ
ったけどね。関西組はカナダ経由で関空に向かった。3グループの方々とお世話になりましたと挨拶。
夜 無し!!!
成田に着くと寒くない。むっつりした運転手のタクシーで都心に向かう。土曜日夕方の渋滞に会って1
時間半かかり家に着いた。毎月、帰宅するとすぐ洗濯、スーツケースの片付け、写真の整理、買い物、
料理と精力的に動くのだが、風邪と疲れのせいか、エンジンがかからない。ご飯も抜いちゃお。無酒日
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1月 28日(日) 曇り
朝 家食 野菜たっぷりサッポロ一番塩ラーメン、アロエヨーグルト
ホントは美味しいんだけど
久々の我が家のベッドで熟睡したかったのだが、何度も目が覚める。その度に船に乗っている夢を見
ているのだ。トイレに向かう足がふらつく。カラダは未だ船に乗っている。昨夜食事を抜いたから何か食
べねば。風邪のせいか食欲が無い。そんな時は、あれだね、野菜たっぷりサッポロ一番塩ラーメンだ。
昼 無し!
午後のおやつ 「田中屋」の雷鳥の里、黒胡椒せん、棒々茶
ようやく動く気になり洗濯と片付け開始。5800点撮った写真もパソコンに取り込んだ。700通も来てい
たメール(大半は消したよ)のチェックと急ぐものの返事。パクパクの1月2週目の作成に取りかかる。
夜 家食 「魚久」のカレイの味噌漬け焼き、もずく酢、お赤飯、きのこ汁、パイナップル
何はともあれ無事帰国うを祝し
2年近く毎月海外に出かけても、帰国して疲れたなんてことはほとんど無かった。今回は初の船の長旅
の後遺症(そんなのあるのかなぁ)と風邪が重なってチョー調子悪い。ちゃんと食事した方が元気にな
る気がしてカンタンな夕食を作る。まぁ無事に帰って来たってことで、お赤飯でも食べますかね。無酒日
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【今週の振り返り】
大旅行が終った。今まで一番長かった旅は5週間。2週間のアメリカ出張のあと3週間ヨーロッパを一
人で回った。あの時は、アメリカからイギリスまでコンコルドに乗ったり、たった1人でヨーロッパ6ヶ国を
ウロウロしたりしたから、それはそれで大冒険であった。31歳の時だ。今回は22日であったが、その
遠さということでは特筆ものだ。ウシュアイアで船に乗り込んだのが4日目。15泊16日でブレーメン号
が移動した距離は5800キロだったそうだ。自宅には地球儀が2つあるが、その地球を引っくり返さない
とお目にかかれない南極に行って来てしまったのだ。5800キロの航海をカラダがなかなか忘れようとし
ないように、意識の面では南極で味わった「感動疲れ」のようなものが帰国して数日経っても離れな
い。
船旅の前半は最悪だった。キングペンギンを見るために、わざわざ行ったフォークランド諸島では、強
風高波のため上陸は中止。3箇所上陸するハズだったのに、全部中止。キングペンギン(王様ペンギ
ン)は皇帝ペンギンと同じ種で、1メートル20cmの皇帝ペンギンよりは小さいが、体長は80センチもあ
る。首が黄色のキングペンギン見たかった・・・・。残念で仕方ないが天候には勝てぬ。でも悔しい。それ
から海は荒れに荒れた。船酔い者続出。食事中に椅子ごと倒れた人もいた。ケガ人も出た。来る日も
来る日も終日クルーズ。それでも南極に着くという保証があれば安心もするが、あの頃は疑っていたか
らね。私達は南極なんかに向かっていないのでは?って。何度も上陸予定は中止となって諦観が船内
に溢れていった。
ところが。南極半島西側に回ると天候も景色も一変した。真っ白な高い山々、空と海は真っ青、その海
に白い氷山がポッカリとあるいはドッシリと流れる。そこに白い腹の海鳥が飛ぶ。目が痛いような青と白
のコントラストである。空気は飽くまでも澄んで、吸う空気が美味しい。スモッグなど全くない空もくっきり。
昭和基地あたりでは、100キロ先の景色もはっきり見えると聞いた。海からにょっきり生えたように見え
る山々はいずれも千メートル級の高さがある。すべてに名前をつけるなど無理という程、呆れる程そん
な山が次々と登場する。ヒマラヤ山脈、ヨーロッパアルプス、ロッキー山脈、アンデス山脈、ついでに日
本のアルプス全部足してかかっても、南極にある山の数には叶うまいという気がした。何度も「南極に
来て良かった」と呟く自分がいた。
キングペンギンは見逃したが、たくさんのペンギンに会った。アデリーペンギンは、目の回りが白くかた
どられ、全身はタキシードを着ているみたい。アデリーは発見者が自分の妻の名前をつけたのだ。頭
の上の白い斑点がターバンを巻いたインド人(フォークランド諸島の人はインド人をジェンツーと呼ん
だ)に似ていると名付けられたジェンツーペンギンは嘴が赤いのも特徴だ。ホワホワ毛の赤ちゃんペン
ギンが赤い嘴を開けて鳴いている所は実に可愛い。アゴヒゲペンギンはその名の通り、アゴにヒゲを生
やしているように見える。ジェンツーより一回り小さく、よくイジメられる光景を見たが、実は一番気性が
荒いのだそうだ。ペンギンは海に漁に出かける。数羽でグループを作り、飛ぶように泳いでいるペンギ
ンを船の上からしょっちゅう見かけた。陸ではヨタヨタ歩いても、時速30キロから40キロで泳ぐ。そして
175メートルも潜れるのだそうだ。皇帝ペンギンは530メートルも潜れるの?スゴイ!漁を終えて海か
ら上がって来るペンギンは魚をたくさん食べてお腹がパンパンに膨らんでいる。鳴き声で我が子を探し
反芻した餌を子供に与えて育てるのだ。どういう意味かはわかぬが、ペンギンは天に向かって雄叫び
を上げる。何時間見ていてもペンギンは見飽きない。
そんなペンギンは数が多いから、他の動物や鳥の餌にもなる。南極のハゲタカ的と言われるトウゾクカ
モメは不気味だ。彼らの営巣地に近づくと人間にだって襲いかかる。巣の近くには必ず1羽が見張り役
として鋭く眼をとばしていた。その点、本当は獰猛なのだろうが、ミナミゾウアザラシはのったりと過して
いた。デカイカラダだが顔は愛嬌がある。のたのたと動くのに、海に入れば1256メートルも潜れると聞
いてびっくりした。そんな動物を上陸して眺めて来た日は「南極に来て良かった」と呟いていた。
最悪の前半に対し、後半は最高の日々であった。差し引きしてもたくさん余る素晴らしい後半の南極で
あった。
結局、南極の魅力とは何であったか。うーむ、ひと言で表現するのは難しい。南極でしか味わえない厳
しさ、南極でしか味わえない自然の美しさ、南極でしか味わえない動物の営み・・・・。いやいや、それよ
り何より、その南極に実際自分が行った、という事実ではないだろうか。3週間分のパクパク日記をご覧
になって、南極の魅力の一端は味わって頂いたと思うが、大事なことはそれを「自分で味わう」ことだ。
オススメします。「一度南極行きませんか?」
私、「ガト・ブランコ白い猫」の看板猫なんダニャ
*
南極の旅は 1月 2週、 1月 3週 にも掲載されています。
是非、全部ご覧ください。
あー、シンド。やっと終ったよ。え?2月1週分も作っているかって?えーん。