パクパク日記8年2月4週

         帰りのタヒチで持病の腸閉塞になり、情けない食生活の1週間

ボラボラ島   ゴーギャン博物館

2月 25日(月) タヒチ・パペーテは晴れたり曇ったり

朝 タヒチ・パペーテ タヒチシェラトンホテル&スパ 朝食ヴュッフェ

  

7時起床。昨夜10時過ぎの飛行機でイースター島から5時間半飛んでパペーテに到着。早朝のハズ

なのに時差が5時間あるから、また午後11時なのだ!シェラトンホテルに夜中チェックインして寝たの

は午前1時。眠りにつくとまたもや咳き込んで目が覚めた。咳風邪ってホントにシツコイ!!イースター

島のホテルと違って、ズラリと料理が並ぶ朝食ヴュッフェ。でも何ツーかどれを食べても余り旨くない。

  

         ポール・ゴーギャン博物館 パリに生まれた後ペルーで幼少期を過した彼は世界中を回った

  

      彼は絵画以外にも彫刻作品も数多く残す               「貴婦人」          緑に溢れた博物館の中庭

  

遺作的作品「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」  中庭からタヒチ・イチが見える

タヒチと言えば・・・ゴーギャンである。ゴーギャン博物館に行く。瓢箪型のタヒチのクビレ近くにあり、ホ

テルから1時間近くかかる。博物館であって美術館ではない。つまり、彼の美術品を展示するには、こ

の高温多湿の気候はチョー不向き。よってすべてがコピー。で博物館というわけ。4つある展示室の1

つは改修中。証券会社に勤めながら日曜画家だったゴーギャンが専業画家に転向したのは35歳の時

だった。世間ではフランス人のゴーギャンはタヒチの楽園で楽しく過したというイメージを持っているよう

だが、実際は欧州化されたタヒチに失望し、貧困と病苦と人々の冷たい視線に悩む寂しい生活だった。

  

帰り道マラーの洞窟に寄る。以前は目の前の海で泳いだ後、この洞窟の真水で水浴びをする人が多く

ゴーギャンも度々訪れたというが、現在は崩落の危険があると入場禁止。しかし、周囲に珍しい南国の

花が目を楽しませた。海は飽くまでも青く、珊瑚礁のある部分はエメラルド色だ。涼しければ天国だ!

 タヒチ・パペーテ タヒチシェラトンホテル&スパ カルボナーラスパゲッティ、クラブハウスサンド

(半分)、フレンチポテト

  

昼過ぎホテルに帰る。これよりフリータイム。ランチはホテルで摂りますかぁ。サンドイッチ、パスタ、ピッ

ツァなどの軽食メニューだが、私が頼んだカルボナーラでも2600円もムッチャ高い。しかもマズイし。T

山さんが頼んだクラブハウスサンドは3千円近くで量がエラク多い。半分貰って食べたが、こっちも・・。

  

タヒチと言えば・・・黒真珠である。午後のフリータイム、その黒真珠などを買いに街に行こうと大勢の

方々がタクシーで出かけられたが、私は行かんよ。南国リゾートらしいホテルの庭を撮影しながら散歩。

あっちに見えるのはモーレア島だな。映画で観たバリハイ山はあれかぁ。中学生の頃ミュージカル映画

「南太平洋」を観た。一番有名な「魅惑の宵」主題歌も良かったけど、現地のお婆さんが歌う♪バリハー

イ♪のフレーズは今もはっきり耳に残っている。でもあの映画ハワイで撮影したのよね。その後読書。

 タヒチ・パペーテ タヒチシェラトンホテル&スパ マグロのサラダ、海老の揚げもの、ミックス

      フルー ツとアイスクリーム、ビール、白ワイン、赤ワイン 

  

7時からの夕食はサヨナラパーティ。8日間ってあっという間だね。1週間前は全く見ず知らずだった

方々と、今はこうして旅の思い出を語り合い、別れを惜しむのだからツァー旅行って面白いよね。今回

はチョー元気印の男性と女性が1人づつおられ、良くも悪くもグループのムードメーカーだった。私?私

はいつだって静かそのもの。黙って酒を飲み、煙草を吸い、カメラパチャパチャ撮っているだけで大人し

い客なんさ。アハハハ。メイン料理には海老が7尾も出た。デザートが一番美味しい夕食であったぞ。

              ___________________

2月 26日(火)&27日(水) 時差の関係で2日足しても29時間だよ

朝 エアタヒチヌイ パペーテ=成田 ビジネスクラス りんごジュースとヨーグルトのみ

夜中に異変。昔からの「馴染みの痛み」がシクシクとしだして、腸閉塞の前兆であることを知る。今日は

6時に出発して日本に帰る日というのにぃ!働いている頃はストレスだらけだったから、よく腸閉塞にな

ったものだが、仕事を辞めてからは3年で2度目だ。この前は・・・・1年半前ジンバブエで誕生日の夜だ

った・・。痛みは時を経るにつれ激しさを増し、パペーテの空港では最悪に。ようやく出た朝食機内食も

薬を飲むためにジュースとヨーグルトだけ。患部に携帯プラズマを2つ当てて、ひたすら耐えるだけだ。

昼 エアタヒチヌイ パペーテ=成田 ビジネスクラス チーズ一切れ、パイ半分、ラザニア一口、チョコ

レートケーキ二口、ダイエットコーラ

  

帰りの便は成田まで12時間。8時間経過した頃から痛みの間隔が随分開いて来た。よしよし。お腹も

空いて来たので、2回目の機内食はチーズ一切れ、パイ半分、ラザニアひと口、チョコレートケーキふ

た口食べた。隣のT木夫人は「このワインもチーズも美味しいわよぉ!」と自慢する。ようございました

ね!こっちはダイエットコークですよ!この旅で一番美味しい食事はエアタヒチヌイの機内食であった。

夜 家食 じゃこうどん、添乗員S藤さん特製赤飯おにぎり、でこぽん

  

午後3時半成田着。荷物もさくさく出て来て4時前にはタクシーに乗っていた。タヒチと日本の時差は19

時間もあるから、2月27日はたったの5時間しかない。その代わり2月20日は43時間もあったけど。

意外と暖かいと感じたが、風が強い。運転手さんに聞くと、この数日日本は強い風が吹き荒れたのだそ

うだ。洗濯、買い物をして夕食はうどん。一応病人食。添乗員のS藤さんから貰ったおにぎりも。無酒日

             ___________________

2月 28日(木) 晴れ ぽかぽか陽気

朝 家食  じゃこきしめん、でこぽん、アロエヨーグルト

    今朝も病人食だす

帰国早々であるが、今朝は月に一度のパートの日だ。6時半に起きて朝風呂。やっぱり家の風呂が一

番いいなぁ。リラックスできるし落ち着くものね。朝食はちゅるちゅるっときしめんを食べて出掛けましょ。

昼 新橋 「江楽」 たんめん 750円

    久々のたんめん

会議は1時間ちょっとで終了。でも会議の終わりにショックな知らせが。年13回から16回に会議が増

える?カンベンしとくれよー!日比谷で用事を済ませ、午後の美容院予約を前倒しして貰う。遅くなった

ランチは「江楽」でたんめん。カタカナ会社で働いていた頃ここでチキンライスとかたんめんよく食べた。

夜 家食 ニラ卵雑炊、メカブの黒酢、はじかみ生姜、でこぽん

  

帰宅して、雑炊の準備をしながらパクパク日記を作成していると電話があった。O社さんだ。「理事会の

件ですけど」「あぁ、明日の夜ですよね、伺いますよ」「明日でなくて今夜です。もう始まっています!」。

ガッビーン!!で、でも、私の手帖には「29日午後7時理事会」と書いてあるぅー!「いえ、最初から2

月28日木曜日とお伝えしたハズです!」。すみませーん、それでは結果的に欠席です・・・・・。無酒日

              ____________________

2月 29日(金) 晴れ 今日もポカポカ

朝 家食 ニラ卵雑炊、もずく酢、はじかみ生姜、アロエヨーグルト

  

昨夜の理事会日程間違いのショックを引き摺っている。子供の頃からそそっかしく日程間違い、曜日間

違い、場所間違い、時間間違いなんか数知れず。いつかは別の団体の理事会に1ヵ月間違えて行って

しまい、恥をかいたこともある。生来のそそっかしさか、それともボケか・・・。病人食はそろそろいいね。

昼 四谷 「嘉賓」 労麺(牡蠣油和えそば) 800円、水餃子(小) 400円、杏仁豆腐(サービス)

  

午前中代々木の整体。ちょっと休んでいるうちに、治療室のレイアウトがガラッと変わっていた。腸の痛

みを随分軽くなったから、もう普通食でいいな。四谷の「嘉賓」で労麺と水餃子。あんまり美味しくないな

ぁ。ってことは完全復調ではないということか。一旦帰宅して3時半からN原先生の治療院。今日は医

療機関ハシゴの日だ。デトックスしたら盛大な毒がどくどく。やったぁ!これはどこで摂取した毒だろう。

夜の軽食 コンビニ夕食:レタスサラダ、塩豚まん、「永谷園」生姜坦々スープ、キュウイゼリー

    全部コンビニ食だす

パクパク日記の作成に集中している。このモアイはどこのだっけ?モアイはどうやって運んだんだっ

け・・・・。ようやく書き上げてアップしたらもう8時半。食材は買ってあるのだが、今から料理をする気に

ならん。2軒隣のコンビニに走って、テキトーなものを食卓に並べる。こんな食事はイカンよ!!無酒日

              _____________________

3月 1日(土) うすらぼんやりの晴れ

朝 家食 焼きチーズカレー、わかめスープ、でこぽん、アロエヨーグルト

  

6時半起床。暑い国から帰ったらまたあの寒い日々かと覚悟して来たが、ここ数日はめっきり春めいて。

そうか、今日から3月だものね。今年はことの他早く過ぎていくような気がする。メインはコンビニ食。

昼 無し!

午後のおやつ 「玉屋」の豆大福、黒豆茶

午後2時過ぎ、A先生来宅。2週間前風邪で新パソコンの設定日を延期して貰ったのだ。設定もあるが

今日のメインは私が新しいパソコンに慣れる練習。今後パクパク日記などをどのソフトで作成するか検

討する。確かに新しいソフトにはいろんな機能がついているが、これって面白いものの実用的なものは

少なくない?じゃぁ今まで通りワードで作成する方がいいわ、という結論。でもワードも進化しちゃって。

夜 曙橋 「天ぷら荘司」 1万円のお任せコース(黄人参の鴨スープ、天ぷら:車海老2尾、秋田の巨

大椎茸、タラの芽、ふきのとう、能登のぎんぽう、天草の新玉ねぎ、目ヒカリ、空豆、たろ芋、芝海

老と菊の葉かき揚げ、料理:鹿児島の初カツオ藁燻し、自家製豆腐よう、尾長鯛の胡麻ネギポン

酢、ヤリイカの沖漬け、マナ鰹の焼物 ふぐのあちゃら漬け添え、鯖の押し鮨、香の物、赤だし、デ

ザート:苺の葛プリン、伊予柑ゼリー)、ビール、冷酒「飛楽泉」 @1万2600円

  

  

  

  

  

6時半には一旦作業終えて、徒歩5分の「天ぷら荘司」に食事に行く。今日は土曜日だが、この前酒を

飲んだのは5日前の月曜日、食事も消化の良い病人食が多かったから、今晩の夕食は嬉しい。「天ぷ

ら荘司」は、贔屓にしている早稲田「松下」の若いお弟子さん2人が4ヶ月前にオープンさせた店。12

Sピーにご馳走になった。天ぷらと称しているが、天麩羅の合間には「松下」直伝のお料理の数々も出

て来る。店で修行した若者達が、「松下」の料理を身につけて供する姿って、ファンとしても嬉しいね。天

麩羅ではぎんぽう、新玉ねぎ、目ヒカリがことの他美味しかった。デザート2品もいいね。満腹である。

帰りにA先生は、ファイル転送の設定にまた寄られた。私は、上野樹里ちゃんのタンザニアの番組を見

ているうちに居眠りしてしまい、「もう終わりましたから帰ります」と起こされた時は、12時を過ぎていた。

             _______________________

3月 2日(日)

朝 家食  「天ぷら荘司」の鯖押し鮨、じゃが芋白菜の味噌汁、もずく酢、甘酢生姜、アロエヨーグルト

    「天ぷら荘司」の鯖押し鮨

今日3月2日は亡くなった母の誕生日だ。生きていれば95歳?5年後に亡くなった父が100歳だから

なぁ。死んだ子供の歳を数える、という言葉があるが、私は親の年を考える。母が95歳の今も生きてい

たらどんな人生を送っていただろう。寝たきりか?それとも元気に漬け物漬けていただろうか。母の味

噌汁にはよくじゃが芋が入っていた。今朝はそんなことを思いながらじゃが芋入りの味噌汁を作る。昨

夜、満腹で食べ切れなかった「天ぷら荘司」のバッテラ鮨と一緒に。腹八分目の食事ってこんな感じ?

昼 無し!

留守中の222日放映のあったNHK総合プレミアム10「80歳の青春」の録画を観る。昨年12月にハ

ワイで行われた日米スーパーシニア親善野球大会を巡るドキュメント番組。64年前太平洋戦争で敵味

方に分れて戦った男達が、過去を引き摺りながら親善の試合をしようというもので、当時10代だった青

年達も今や80代。日本チームは大会のために急遽結成されたが、チーム名を考えて欲しいと依頼され

15秒後に頭に浮んだのが「オーバーザレインボウズ」。映像には、わだかまりが抜け切れない両リーム

が戦没者の墓参に行った場面で大きな虹がかかり、バックに「虹のかなたに」の音楽が流れていた。咄

嗟に浮んだイメージが、そのまま意味ある現実となったと知って私もカンドーしちゃったよ。涙止まらず。

午後のおやつ 「玉屋」の四谷小町、葱味噌せんべい、煎茶

    叶匠壽庵の「あも」に似ている

今日は久々に寛いでいる。先週は旅行中、その前週は風邪で寝込んでいたから。留守中に溜まった郵

便物をチェックしたり、今年の旅の行き先を検討したり。申し込んではいないが、ほぼ9月までの旅のプ

ランを作った。気の早い人間だから、先々の計画が明確になると妙に落ち着くのだよ。昼メシ抜いたの

で和菓子のおやつ。「玉屋」の四谷小町は「叶匠壽庵」の「あも」に似ているなぁ。「あも」の方が上だが。

夜 家食 胡麻チゲ豆乳鍋(鶏肉団子、豆腐、油揚げ、白菜、人参、ニラ、ささがき牛蒡)、ご飯、でこぽ

ん、黒烏龍茶

  

    汁かけご飯だよん

2月3週アップしたばかりなので、今晩はパクパクの更新はしないことに決めた。腸の具合も9割方良く

なったし(但し咳は相変わらず!)、ちゃんとしたものを作ろうか。胡麻チゲ豆乳スープにじゃんじゃん具

を入れていったら大きな鍋一杯になり、他のおかずは止めにした。ただでさえスープがコッテリしている

のに、ささがき牛蒡と鶏肉団子から良い出汁が出て更に濃厚に。雑炊はやめて汁かけご飯に。無酒日

               _____________________

【今週の振り返り】

世の中には「島好き」がいる。今回イースター島の旅でお会いしたT山さんもそのお一人で国内の島を

せっせと回られている由。私は・・それ程は行っていないな。北から礼文島、佐渡島、伊豆大島、神津

島、淡路島、小豆島、平戸島、生月島、天草、桜島、石垣島、西表島、竹富島・・・そんなもんか。たいし

たことないなぁ。カタカナ会社で長年秘書をやってくれたSブーの旦那は、かつて「狂」がつくほどの島

好きだった。しかも海外の南の島に限ってね。休暇といえば、南の島に出かけ、帰って来ると地黒の顔

が更に焼けて目玉の白さだけがギョロギョロと目立っていた。Sブーとの結婚披露宴は、会場のホテル

に無理を言って、招待客のテーブルには島の名前がつけられた。モーレア島とかボラボラ島とか。結婚

後も長い休暇は2人揃ってバリ島三昧。何が人を島に惹きつけるのだろうと、私は不思議でならなかっ

たけど。

フレンチポリネシアと呼ばれる島々はかつて海底火山が爆発して出来た島々だ。マルケサス諸島、ソ

シエテ諸島、ツアモツ諸島、ガンビエ諸島などがあり、小さな島の総数は118島。有人の島は80あり、

合計25万人の人々が住んでいる。で、タヒチ島やモーレア島、ボラボラ島などはソシエテ諸島に属して

いる。この人達はどこから来たか?うーん、南米からという説もあるけど、モンゴリアンが紀元後3世紀

とか4世紀頃南下して来たという説が有力だそうよ。例のごとく大航海時代になると、スペイン、ポルト

ガル、イギリス、フランスなどがじゃんじゃん島々を訪れて、自然に溢れた島と素朴な島民を好き勝手

に利用しようとする。すったもんだを繰り返して1880年フランスの植民地となり、1957年フランス領P

リネシアと命名された。だから、タヒチの人々は「メルシーボーク」「シルブープレ」「ケスクセ・・・」なんて

フランス語で喋っている。この楽園のような島々だが、フランスはガンビエ諸島に核実験場を作り、

1966年初の核実験までやってしまったのだよ。

フランス領になって暫く経った1891年、フランスから一人の画家がタヒチを訪れる。画家はポール・ゴ

ーギャンと言った。パリで1848年に生まれたゴーギャンは、生後間もなく父親の亡命でペルーのリマに

移住し5歳まで同地に育つ。1歳で父親を亡くした彼は母と共にフランスに戻る。航海士時代は南米や

インドを回り、やがて証券会社の社員となって日曜日には好きな絵を書く青年だった。35歳で専業画

家となり、5年後には南仏アルルでゴッホと共同生活を始めるも個性の強い同士衝突して決裂。そして

彼はタヒチに渡った。デンマーク人の妻メットと3人の子供をフランスに残しながら、タヒチでも13歳の

女性を妻にして子供をもうける。せっせとタヒチの女性達をモデルに絵を描き、18ヵ月後フランスに戻っ

て個展を開くも絵は売れず。またタヒチに舞い戻るが、今度は島の人々の視線が冷たい。余りに女グ

セが悪いとこうなっちゃう。トーゼンの報いじゃあ!貧困、病、そしてフランスからは娘の訃報・・・・。遺

作として取り組んだ大作「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行く

のか」を仕上げて自殺するも失敗。マルキーズ諸島に移って、190355歳で死去。亡くなる時そばに

いたのは世話をしてくれたお婆さんと近所の男の子だけだったとか。ゴーギャンは、人生の後半を南国

の楽園タヒチで優雅に過したと思っていたのに、サビシータヒチ生活だったのだね。

タヒチは、ゴーギャンと黒真珠だけではない。タトゥ(刺青)はここが発祥の地。その昔は闘う男として強

さを誇示するためのタトゥだった。男達は全身くまなくタトゥを入れ、中には耳の中にも、舌の上下にもタ

トゥをしていたというから驚く。なんて話もあれば、タヒチには今も「レイレイ」と呼ばれるオカマも多いと

か。部族間競争が激しかった時代、血統を守るために第2男子を幼い頃から女の子として育てたことの

影響だそうだ。子供が多い時代は、母親代わりを勤めてくれるから楽チンだったようだし。発祥といえば

サーフィンもそうだ。今3ヶ所のサーフィン海岸があり、瓢箪型の小さい方の島タヒチ・イチでは毎年国

際大会が開かれている。

物価が高い。ホテルのランチでサンドイッチやパスタが3千円もすると目を剥いたが、現地の人は余り

の物価高に泣いている。大きなキャベツは1個千円!鶏の胸肉2キロで4千円!板チョコ1600

円!ハーゲンダッツ800ml4千円!TOYOTAのピックアップトラック1000万円!!!た、た、高い!

だからって、給与が高いわけではなく、生活はカツカツとか。これじゃあ私も暮らしていけんよ。でも、フ

ランスパンと米だけは安いんだってさ。

蚊には刺されるし、蒸し暑いし、物価は高いしとタヒチの困ったことはたくさんある。しかし!エメラルド

色の海と煌く太陽、色とりどりな花々が咲き乱れる美しい姿は、何物にも代え難い。ガイドのツノさんの

話に寄れば、タヒチのベストシーズンは5月中旬から8月とか。この頃は少しだけ気温が下がり、湿度

も低い日が多いと言う。快適なエアタヒチヌイに乗ってビィーンと行ってみる?

             僕もタトゥしよっかニャア え?しても見えニャイ?

           バックナンバーのトップへ      夢子倶楽部のトップへ

      旅の始まりは 2月 3週 をご覧ください!

【今週のオマケ×イースター島の思い出】