パクパク日記8年4月3週

           果たして夢子は幻の鳥・ケツァールのオスに会えたのか!

古代の石細工 カルタゴの大聖堂

4月 14日(月) コスタリカは晴れたり曇ったり降ったり・・・

朝−1 フォルトゥーナ 「ボルカーノロッジ」 朝食弁当(サンドイッチ、フルーツなど)、コーヒー

早起きはエスカレートして午前2時50分起床!いつもなら寝たばかりの頃だよ。4時前にはスーツケー

スを出して、4時20分からカンタンな朝食。だって今日は5時出発なのだ。バスが出発すると東の空が

朝日でピンクに染まりそれなのに今度は深い霧、次は雨が振り出した。さよなら、アレナル火山さん!  

朝―2 グアピレス「セイボレストラン」 朝食ヴュッフェ

  

        ここのカージョ・ピントは評判だそう    私が撮影したイチゴヤドクガエル             こっちは絵葉書

今日2度目になる朝食は7時40分に着いたグアピレスで。ホントはバスの中でN川さんからおにぎり貰

って食べたから3回目なんだけどね。食後、レストラン中庭の大木辺りで蛙を探す。いたぞ!真赤なイ

チゴヤドクガエル!カラダは真赤なのに、足は青。だからブルージーンズなんて言われるらしいよ。こ

の毒蛙は、おたまじゃくしを背中に乗っけて木の上に上り、着生植物に溜まった水にポチャリと入れて

育てる。♂と♀が交代で一日数回様子を見に行き、場所が適当でないと判断すると場所替えをする。

  

            途中で寄ったデルモンテのバナナ農園 みなキビキビ働いている               大きなカブト虫

バスはカリブ海に向かって走っている。この辺りはバナナプランテーションだらけで、左右ともバナナ、

バナナ、バナナ。毎日食べているが、コスタリカのバナナはすごく旨い。ついでにパイナップルもかなり

旨い。休憩がてら、デルモンテのバナナ農園で収穫&出荷までの工程を見学。運ばれて来た大きなバ

ナナを小分けにする人、水で洗う人、洗ったものをベルトコンベアに乗せる人、袋詰めする人・・・それら

の人々がみなキビキビと働いている。アシタマニアーナの中米の人とは思えんぞ!働き者なのだね。  

昼 トルトゥゲーロ 「エバグリーンロッジ」 ランチヴュッフェ

トルトゥゲーロには船か飛行機で行くしかない       ウエルカムドリンク                     お昼もまたヴュッフェです

10時半、ようやく船着き場到着。モーレツに蒸し暑い!途端に汗が噴出す。カリブ海の側にあるトルト

ゥゲーロは湿地帯だから、船か飛行機で行くしか無い。宿泊するロッジごとに船は分れるが、他の客と

混乗だ。その上、大きなスーツケースも積み込んでキュークツ極まりないが、その姿勢で1時間半のガ

マン。しかし、船が出発すると川風が気持ち良く、愉快な気分になって来た。アマゾンに似ているなぁ。

     ロッジの前に飛んで来たオオハシ         鬱蒼とした森の中に点在するエバグリーンロッジ

ぴったり1時間半かかって12時40分エバグリーンロッジ到着。深い森の中のバンガロー風のロッジに

案内された。何と!窓ガラスが無い!部屋の窓には網が張られているばかりで、天井にはファンが回

る。そして室内は夜のように暗い。ま、1泊だからいいか。ランチを済ませて部屋に帰る途中、数人が見

つめている木にオオハシが止まっていた!黄色の嘴が大きいね。間近で吼え猿の鳴き声が聴こえる。 

      

      ここではどこに移動するにも船で       船体の絵柄はアカメアマガエル    海ガメの保護にも力を入れている

           海ガメが産卵に来るカリブ海海岸         吼え猿が木の上にいた!     絵葉書のノドジロオマキ猿

3時半からボートに乗って、海ガメ博物館に行く。1952年アーチカールさんという人がトルトゥゲーロに

やって来た時、海ガメは「海からの贈り物」として食用にされていた。有り難く食べて、その結果海ガメ

が減っているなんて気づきもしなかった。こうゆうことではアカンよ!と彼が呼びかけ、世界初海ガメの

保護・調査・研究に乗り出したんだって。博物館から数十メートル歩くと、もうそこは波の荒いカリブ海。

ここなら安心と、毎年7月から9月、海ガメ達が産卵にやって来る。産み落とされた卵は55日後に孵

化して、20年後には自分が生まれた海岸に帰って産卵するそうだ。近くのトルトゥゲーロの町に行く。

人口1000人の小さな村では、女の子も混じって野球に興じていた。ロッジに帰ると頭上に吼え猿が!

 トルトゥゲーロ 「エバグリーンロッジ」 ディナーランチ+添乗員Y田氏特製そうめん、3点セット

  

夕食に添乗員のY田さんがそうめんを作ってくれた。キャッホー!ウレピイ!スープやパスタも皿には

あるが、ついそうめんに手が伸びて16玉も食べてしまったよ。そうめんだけで満腹だよん。ご馳走様!

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4月 15日(火) 早朝強い雨  晴れたり降ったり

3時半起床。昨夜から今朝まで猛烈な雨が降り続けた。トタン屋根は凄まじい音を立てるし、窓ガラスも

無いから雨の勢いを全身で浴びたような気持ちを味わった。それでも5時頃には雨は止んだ。湿気が

スゴイ土地だからか、汗で湿ったシャツなどはじっとり濡れている。干したものは濡れちゃうのだ。濡れ

て欲しくないものはスーツケースに入れたままにする。そのスーツケースも湿気で濡れて・・・。アハハ。

     激しい雨があがったトルトゥゲーロの朝             水面はまるで鏡のよう             羽根を乾かすアメリカヘビウ

                              アメリカヒレハシ                     これ何だっけ?            葉っぱと同じ色バジリスク

            全く動かないカイマンワニ      ロクロッ首みたいなトラフサギ       向こうの木の上で遊ぶクモ

防水パンツを履いてコーヒーを飲み、ボートで5時半出発。普通クルーズは6時開始らしいが、ガイド

S村さんは人のいない時間がいいと早い出発となった。先ほど前までの雨で両岸の木々はしっとりと

濡れ、川面は鏡のように澄んでいる。野鳥の鳴き声以外音は無い。ミドリトキ、タイランチョウ、アメリカ

ヘビウ、ヒメアカクロサギ、トラフサギ・・・。鳥が総出演だなぁ。あそこに吼え猿がなる木があるぞ!それ

ほど大きくはないのに、ゴリラのような大きな鳴き声だ。ワニのカイマンもバジリスクも死んだふりしたみ

たいに動かない。おぉっ!カワウソが走って来て水の中に飛び込んだ!最後にクモ猿も見て大満足。

朝 トルトゥゲーロ 「エバグリーンロッジ」 朝食ヴュッフェ

2時間余動物観察クルーズしてロッジに帰る。私が持っている2台のデジタル一眼レフは両方ともペン

タックスだが、どうも動きの速い動物を撮るのは苦手のようで、大事なシャッターチャンスを何度も逃し

てぐやじー!え?カメラのせいにするな?腕が悪いんだろ?まぁ、それもありますけどね。動き速動物

用に別のメーカーも検討しようかしらん。さぁ朝飯だ。3時起きだから腹ペコ。コスタリカ国民的朝食ね。

昼 グアピレス「セイボレストラン」 ランチヴュッフェ

  

    昨日の2回目の朝食を食べたレストランで今日はランチ                      レストランの庭の木にナマケモノが!

9時15分ボートで昨日下って来た川を遡る。苦労してやって来たトルトゥゲーロを1泊で帰るのはもった

いない気もするが、こう湿気があってはねぇ、ホッとするよ。船着き場では、昨夜一人で過したドライバ

ーのパウロがバスを用意して待っていた。昨日の朝と同じレストランでランチを済ませ中庭に出る。ヤド

クガエルは見つからなかったが、すぐ上の木にナマケモノがいた。昨日見た子とは違い、豚似である。

  

        元陸軍要塞だった国立博物館       コロンブス以前の先住民の壷           真球の石は何に使ったのか

  

              金もあるにはあったらしい    中米の平和に寄与しノーベル平和賞授賞               南国らしい花

サンホセに向かう道は、ひたすら上りだ。一番大きな国立公園の山岳部を抜けた辺りは標高1600mで

そこから500m下ると首都サンホセに到着。1週間山の中で過したから、たった30万人の都会でも眩し

いような場違いのような。しかし涼しいのは嬉しい。予定より早く着いたので、そのままサンホセ観光。

国立博物館。昔陸軍司令部があった要塞跡で、軍隊を廃止したから用無しになった建物が博物館にな

っている。展示はコロンブス以前、黄金の部屋、コロンブス以後とざっと3つのコーナーに分けられてい

る。石細工を見るとこの地の先住民のセンスの良さを感じる。それにしても真球の大小の石はどうやっ

て作ったのかなぁ。何のために作ったのかなぁ。徒歩でナショナル公園へ。隣国ニカラグアの傭兵隊長

だったのに大統領になった米人ウィリアム・ウォーカーが女性にやっつけられるモニュメントがあった。

夜 サンホセ 「エル・パティオ」 豆と豚とトマトの前菜、パン、チーズハンバーグと野菜、チョコレートバ

バロア、生ビール、白ワイン、赤ワイン 各5ドル

  

今夜から宿泊するグランオテルコスタリカは、国立劇場の真ん前という絶好のロケーションの老舗ホテ

ルだが、1930年創業だから使い勝手が悪い。夕食に行った近くのレストランでは、部屋が狭過ぎる、カ

ーテンが壊れている、トイレットペーパーのホルダーが無い、エレベータに閉じ込められた・・・とあちこ

ちで文句タラタラ。メインは5択だったが、私は外れだったみたい。NHK海外放送で久々日本語TV

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4月 16日(水) 晴れ

朝―1 サンホセ・グランオテルコスタリカ カフェ トースト、フルーツ、コーヒー

3時半起床。昨夜は9時に寝てしまった。ホテルのカフェは24時間営業で、5時でもカンタンな朝食を食

べることが出来る。5時半出発。バスの最後席に座ったら、揺れること揺れること!未舗装道路の上り

では、頭をぶつけるし、荷物は席から転がり落ちるし、全くもってケツァール観察は苦労がつきないよ。

       

              首都サンホセから車で1時間半  セロ・デラ・ムエルテでケツァールを探す

       

        いました!ケツァールのオスが! でも遠くて望遠レンズでも小さい!!             で、これは絵ハガキ

   

              で、3点とも絵ハガキを借りました。尾羽がきれいでしょ?美しいでしょ?顔が可愛いでしょ?

悪夢のような(私だけ)ドライブをして7時10分セロ・デラ・ムエルテの「サンセットロッジ」に到着。標高

2700mだから息苦しい。ちょっとした坂を上ってもハァハァ。さーてと、ケツァール君はいるかなぁ、姿を

見せてくれるかなぁ。期待は膨らむぞ!ここも熱帯雲霧林で、「サンセットロッジ」を経営するご家族の

私有地である。若主人のアントニオさんの案内で山を上る。私有地だからトレイルなど無く、あるかない

かの道を上って行く。ぬかるみだらけで、どこに足を置いていいか迷う。でも地面が柔らかくて気持ちい

い。15分位上ったところで、アントニオさんの足が止まった。え?え?ケツァールがいるの?いました

ぁ!!しかもオスですぅ!!!大きな望遠鏡で見ると、緑やら赤やら白やら色鮮やかで何て美しいんだ

ろう!あっ、飛んで行っちゃった。あっちの枝に移ったよ。そぉーっと移動。バチバチバチ。でも望遠レン

ズ一番伸ばしてもケツァールは小さいなぁ。おっ、メスもいた。こうして念願のケツァールを観たのだ!

朝―2 セロ・デラ・ムエルテ 「サンセットロッジ」 各種フルーツ、トースト、スクランブルエッグ、カージ

ョ・ピント、コーヒー

  

           この朝ご飯が旨かった!       セロ・デラ・ムエルテからの絶景    ワン君も一緒にケツァール探し

全員大満足でロッジに戻ると美味しい朝食(2回目!)が待っていた。バターたっぷりのトーストがラスク

のようで何とも旨い!旅行中食べた朝ご飯ではここが一番だ!大満足ではあったが、撮影した写真で

は心もとない。多分アントニオさんが撮影した絵ハガキを買った。余り小さくては、ケツァールの可愛い

顔と尾羽根の美しさがわからないからね。目標達成しての一服は実に美味しいものですなぁ。スパー。

昼 オロシ 「ミラドール」 カスージュース、ビーフと野菜のプレート、アイスクリーム、コーヒー

   

下りのバスも揺れた。最後席で必死の形相でバーに掴まっていたら、席を代わってくれる人がいてホン

トに助かった。12時半高台にあるレストランでランチ。カスーというジュースが酸っぱくて美味しかった。

          古都カルタゴを2度襲った大地震で建設を諦めた教会跡                       今日も暑いですなぁ!

          ロス・アンヘレス大聖堂            大聖堂内部  ミサをやっていた             奇跡の黒いマリア象

カルタゴの町に行く。16世紀半ばコスタリカを支配し、入植を開始したスペイン人はここに都を置いた。

1563年からサンホセに都を奪われるまでの250年間、カルタゴがコスタリカの中心だった。中央広場

には、1840年、1910年の2度の大地震で建設を諦めた教会の廃墟があった。350年前薪拾いに来

た少女が発見した黒いマリア。数々の奇跡を起こしたというマリア発見場所にロス・アンヘレス大聖堂

が建っている。現在の建物は大地震で崩壊後、1926年再建されたもの。大聖堂の地下には、黒いマ

リア像が安置され、毎年8月2日には中米中から巡礼者が訪れて、その数は100万人に上るという。

 サンホセ・グランオテルコスタリカ シーフードスープ、パン、ラビオリ・ゴルゴンゾーラソース、アイス

クリームとフルーツ、3点セット(ビール、白ワイン、赤ワイン) 18ドル

  

  

ホテル前の文化広場を見て今回の旅行の観光終了。NHKの番組に仁左衛門丈が出ていて嬉しくな

った。コスタリカで仁左衛門さんのインタビューなんて感激だ。コスタリカには、3種類のビールがあった。

どれも美味しいが、私はBAVARIAが一番気にいった。濃くて旨い!S村さんによると、BAVARIA

黒も旨いという。コスタリカ最後の夜はそれを飲もうじゃないか。ん?これも旨いけど、私はレギュラー

の方がいいかな。今晩の食事も選択肢が多く、運不運があったようだ。パンがとても美味しかったぞ。

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4月 17日(木) サンホセは小雨

朝―1 サンホセ・グランオテルコスタリカ カフェ 朝食ヴュッフェ

    朝ご飯一番乗り!

今朝は早起きする必要はない。だから6時に目覚ましをかけておいたのだが、4時には起きてしまう。

習慣ってこわいね。ニュースによると日本は全国的に大雨らしい。サンホセは小雨がパラパラ。帰る日

だからどうでもいい。ホントに今回はお天気に恵まれた。6時一番乗りで朝食。どこに行っても同じよう

な内容だったがこの国の朝食は充実していていい。久しぶりにヨーグルトを食べた。さて出発の準備。

遅い昼 デルタ航空 サンホセ=アトランタ ビジネスクラス機内食

    空腹でガツガツ食べる

10時前空港着。コスタリカさよなら!ケツァールさよなら!パウロ&S村さんさよなら!サンホセの空

港には、デルタ航空のビジネスラウンジが無い。ケチやねぇ。スモーキングバーで煙草吸って過した。

貰ったお弁当とN川さんおにぎりは夜食にとっておいたので、ランチにありついたのは2時過ぎだった。

夜 アトランタ フェアフィールドホテル客室にて S村さんの奥様手製のランチボックス、N川さん

      のお にぎり、ウィスキー「バランタィン12年」

    S村さん奥様手製のお弁当とN川さんのおにぎり、豪華でしょ?

時差が2時間あるので、4時間後アトランタは午後7時だった。入国審査に1時間以上、バゲージクレー

ムなどに手間取り、空港の外に出たら到着後2時間半が経過していた。イミグレでは10本指紋でムッ

としたが、係員が「コスタリカどうだった?楽しかったの、それは良かったねぇ」なんて愛想が良かったか

ら許す。空港近くにホテル村みたいな一角があり、今夜の宿はフェアフィールドホテル。全館禁煙ホテ

ルである。ガハハハ、そうだったよな、アメリカって。だから嫌い!とっておき弁当で豪華な夜食となる。

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4月 18日(金) アトランタは晴れていた

 アトランタ フェアフィールドホテル カンタン朝食スナック

禁煙ホテルに泊まったら、コツは早く寝てしまうことだ。そして早く起きて、外に吸いに行く。喫煙者の苦

労は絶えない。チョーカンタンな朝食を済ませ、6時55分空港へ。10時過ぎのデルタで成田に向かう。

 デルタ航空 アトランタ=成田 ビジネスクラス機内食(和食)

  

夜 デルタ航空 アトランタ=成田 ビジネスクラス機内食

相変わらず、ジントニックや赤ワインをグビグビ飲んだが眠くならないので、誘眠剤を飲んだらコロリと

寝た。到着する時刻を考えて、ぐっすり寝るか、ちょっと寝るか、起きているか、考えて乗っているのだ。

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4月 19日(土) 東京は曇ったり小雨が降ったり

朝と昼は存在しない

時差13時間あるから、4月19日は11時間しかない。定刻通り、午後1時半成田着。ゲートが近かった

こともあって1時55分にはタクシーに乗る。昨日は大雨だったと運転手さんに聞き、50分後帰宅した。

夜 家食 そうめん、薬味(きゅうり、油揚げ、茗荷、大葉、ネギ、万能ネギ、生姜)、野菜かき揚げ、でこ

ぽん

  

留守電とメールチェック、洗濯、スーツケースの片づけ、買い物、写真のパソコン取り込みと、帰国後の

作業をサクサクこなしそうめん茹でる。トルトゥゲーロで食べたそうめんも旨かったがこれもね。無酒日

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4月 20日(日) 曇りのち晴れ

朝 家食 野菜かき揚げにゅう麺、アロエヨーグルト、でこぽん

    にゅう麺大好き!

昨夜、早速「のだめ」鑑賞を再開して午前2時過ぎに寝たが、8時には起きる。コスタリカではあんなに

早寝早起き生活だったのに、途端に夜更かし生活やね。にゅう麺食べて、9時45分にはパソコンの前

に待機。6月の新橋演舞場のチケット売り出し日なのだ。新派に仁左衛門が出るのだ。良し!一列目。

昼 愛住町 「峨嵋山」 豚肉の辛味醤油煮定食 800円

    味はいいが、肉だんごが・・・

パクパク作成していると、目と頭がエラク疲れる。休憩がてらランチは外で食べよう。中国料理屋では

ほとんど麺を食べるが、そうめん続きなので定食。味はいいけど肉だんごが気にいらん。愛想悪いし。

午後のお茶 舟町 「にんじん」 コーヒー 450円

「峨嵋山」の愛想の無さもかなりだが、この喫茶店もそう。競馬中継と馴染み客しか眼中にないらしい。 

夜 家食 麻婆豆腐、「たじみや」の鮭の粕漬け、ねぎ納豆、味噌汁、ご飯、でこぽん

  

朝から集中してガンバッたので、7時には完成した。アップするのは食後にして、夕食の準備。昼も中

華だったが、夜も麻婆豆腐だよ。ネギ納豆ご飯も旨いし、家食はいいなぁ。8時から「篤姫」を観る。宮

崎あおいちゃんの篤姫は腰元みたい、と言う人もいるらしいけど、彼女は演技が凄く巧いよね。無酒日

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【今週の振り返り】

北からベリーズ、グァテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマを中米7ヶ

国と言うと思っていた。ま、それはそれで正しいのだが、現地ではちょっと違う分類をするらしい。まず、

ベリーズ。スペイン語圏にあって、この国だけ使用言語は英語である。というのも、17世紀半ばに武装

した英国の船団がやって来て住み着き、そのまま居座ってしまった。グァテマラは「出て行けー!」と叫

ぶが馬耳東風。そうやって盗賊的にベリーズは英国のものになってしまった訳ですな。だから独立して

も英語が使われている。次に一番南に位置し、運河で有名なパナマ。アメリカ大陸で最も狭い陸地を持

つために、各国入り乱れてパナマの領有を争ったが、南米のコロンビアのものとなった。スペインから

ではなく、コロンビアから独立したのがパナマである。よって、ベリーズとパナマを除いた5ヶ国は、近代

化への共通の歴史を持ち、より親密な関係があるようなのだ。

コロンブスの4回目となる最後の航海で、ホンジュラス、ニカラグアと共にコスタリカは見つかってしまう。

スペイン人を海岸で出迎えた先住民インディヘナは金細工の装飾品を身につけていた。「うん!これは

期待できるぞ!」と金好きのスペイン人はほくそえむ。だから「豊かな海岸・コスタリカ」と呼んだわけさ。

しかし、金を求めて内陸に入っても金など無い。「ちぇっ、スカ引いちゃったよ」とスペイン人はがっかり。

しかしスペイン人が持ち込んだ疫病に免疫の無かった先住民はバタバタと倒れ、1万人くらいに減って

しまう。「金もないし、密林ばかりだし、奴隷にする人間も少ないから、ここは放っておこう」とコスタリカ

は見放されてしまったのだよ。その後、カルタゴを中心に殖民は行われたが、グァテマラ総督府に併合

される。1821年、他のグァテマラ総督府領だった各国と共に独立はするも、一つの国としては余りに貧

しい。で、すぐにメキシコに併合される。以後、貧しさ同士で寄り集まろうよという中米連邦共和国派と

いやいや国としての独自性は守るべきだという独立派が交互に力をぶつけ合う。ニカラグアの傭兵隊

長だったアメリカ人ウィリアム・ウォーカーが同国を分捕って大統領にふんぞり返った時は、5ヶ国が協

力してウォーカーをやっつけたが、やがて独立の方向に向かった。

1848年独立後、コスタリカの大統領になったデラグアルディアは、死刑廃止まで盛り込んだ民主主義

憲法を制定し、後継者のソトは1889年自由選挙を実施して民主主義体制を確立する。1949年には

「恒久制度としての軍隊は保持しない」と謳った新憲法を発布し、更に1982年には永世積極的中立宣

言を行う。進んでいるじゃないか!わが国の憲法9条をどうするという問題では、コスタリカの姿勢も参

考にすべきだよなぁ。他の中米諸国がぐちゃぐちゃ内戦やっているのに、コスタリカは先見性のある行

動を取っていたのだ。その後も対立する米国と中米諸国の和解に奔走するなど中米の和平に寄与した

ことで、1987年アリアス大統領がノーベル平和賞を受賞した。中米に、そんな国があるなんて、皆さん

ちょっと意外でしょ?それもこれも、コスタリカが経済的に豊かであったことが背景にあった。それまで

中米諸国の中で最貧国であったコスタリカにとって、19世紀初頭いち早くコーヒー栽培に着手したこと

が重要な舵取りとなった。良質なコーヒーと共にバナナ、パイナップル、さとうきびなどの農業発展で、

コスタリカは中米で指折りの豊かな国となった。「中米の優等生」と呼ばれる所以である。教育には国

民総生産の6%以上を投じ、福祉や医療も世界のトップレベルと言う。環境保護推進国で、エコツーリ

ズムを軸とした観光業も伸びている。

コスタリカを旅していて安心出来るのは、治安がいいということばかりではない。水が良いから、生野菜

もカットフルーツもジュースも氷も油断して飲み食い出来る。歯を磨くにもミネラルウォーターを使わざる

を得ない暑い国が多い中、これはマレなことだ。そして、その野菜や果物がとても美味しい。食事が充

実していて日本人の口にもよく合う。トイレがキレイということも旅人にはありがたい。今回の旅はほと

んど地方を回っていたが、ジャングルでも川っぺりでも山奥の公園でも、トイレットペーパーは完備し、

水は流れ、鍵もかかるし、汚れていない。感心した。感心といえば、コスタリカ人の働きぶり。ラテン気

質の明るさと親切心がある上に、テキパキとしっかり働くのがコスタリカ人であった。

この国の道路は未舗装道路が結構ある。特に国立公園に近い場所はほとんどが未舗装。道路特定財

源が無いから?ちゃうちゃう。舗装して道路が整備されると、大きな車がどんどん入って来る。すると自

然環境が破壊される。それは困るから、このままでいいんじゃないの、ということになるのだそうだ。経

済的に豊かになるのもいいけど、ほどほどでいいじゃん、とこの国の人は思っているらしい。

現地で旅行会社を経営し、今回スルーガイドを担当して下さったS村さんは、最後にこんなことを言っ

た。「コスタリカは小さい国だが希望を持つ国だ。皆さんがコスタリカを旅してこの国をとても気に入った

としても、日本に帰って言いふらさないで欲しい。言うなら親しい人だけにね。知る人ぞ知る素晴らしい

コスタリカでいたいから」。

 来て欲しくないような、来て欲しいような・・・ニャン!

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*コスタリカ旅の始まりは 4月 2週 をご覧くださいまし。