パクパク日記8年12月3週
ポカラでもヒマラヤの絶景を堪能して20日帰国の予定が・・・
マチャプチャレ
シヴァ・パールバディ寺院
12月 15日(月) ネパール・ナガルコットとカトマンドゥは晴れ ポカラは曇り
朝 ナガルコット 「クラブヒマラヤナガルコットリゾート」 朝食ヴュッフェ
1ルピー=約1.7円
ヒマラヤのパノラマを楽しんだ屋上や客室のベランダとも今朝でお別れね
2晩過したナガルコットとも今朝でお別れ。屋上からも客室のベランダからもヒマラヤをたっぷり楽しん
だなぁ。左から日本人が初登頂したことで知られるマナスル(8157m)、ガネーシャVを除くTからX、
ランタン(7246m)、ガンチェンポ(6297m)、ドルジェラクパ(6799m)、フルビチャツ(6721m)・・・・・。
こんな素晴らしい景色をホテルにいながにして楽しめるのだからゼータクだ。今日も雲一つない晴天!
タチュパル広場の木彫博物館 ネワール彫刻の最高傑作と言われる孔雀の窓 高さ30m五層屋根のニャタポラ寺院
旧王宮の中の黄金門と55窓の宮殿
ダルバール広場はバクタプル最大
水不足だから井戸端で洗髪
またガタガタ道を揺られながら山を下りて、バクタプルに行く。15世紀の終わり、時のマッラ王朝は、カ
トマンドゥ、パタン、バクタプルの3王国に分裂した。バクタプルは、「帰依の町」とも言われ、当時の雰
囲気を一番残している町なのだそうだ。町にはトイレというものが無いというので、市役所のトイレを借
りる。それが凄まじい汚さで一堂びっくり!市役所だけでなく、この国のトイレ事情は情けないのだ。ネ
パールの宗教はヒンドゥー教が85%、仏教10%、イスラム3%といったところらしいが、町の中はヒンド
ゥー教の寺院も仏教の寺院も仲良く並んでいる。王様の55歳の誕生日を祝して造られた55窓宮殿や
木彫博物館の孔雀の窓など、木彫の高い技術には感心させられる。現在深刻な水不足だそうで、広場
の井戸端には大勢の女性達が集まり、バケツに水を汲み、洗濯をし、髪を洗い、体を洗っているのだ。
昼 バクタプル 「パレス」 ダルバート・タルカリ(トマトスープ、パン、ライス、ダルスープ、野菜カレー、
青菜炒め、チキン、漬け物、ヨーグルト
ヨーグルトはバクタプル名物
ネパール料理はインド料理の影響を強く受けている。つまりカレーだ。但しインドより唐辛子の使用量
は少ない。ネパールの定食は、バク(豆スープ)バート(ご飯)タルカリ(おかず)でダルバート・タルカリ。
おかずのタルカリは、ご馳走の場合は何品もあり、家庭だと1品になる。この日の野菜カレーはかなり
辛く、私以外の人はヒーヒー泣いていた。私は旨い!と言ったのだ。旨いヨーグルトはこの町の名物。
夜 ポカラ 「フルバリリゾート&スパ」 夕食ヴュッフェ、3点セット 20ドル!
カトマンドゥの国内線空港。イメージに反し、この国ノセキリュティチェックは厳しい。男女別にボディチェ
ックがあり、飛行機に乗る直前ももう一度チェックされる。手荷物もオープンチェックだ。これから西のポ
カラに向かう。つまり右側の席から北に位置するヒマラヤが見えるということだ。現地の旅行会社が右
側の席を揃えてくれていた。ヒャッホー!その上で席のくじ引き。おぉ、窓側を引いたぞ、と喜んだのも
束の間、翼の上だった・・・。30分でポカラに着いたが、何だか町の中が変。車が1台も走っていない!
え?何ですって?ポカラは今日一日ストライキで車は止められている?昨日ポカラの大学で政治絡み
の衝突があり、その余波でストライキになったらしい。フロントに「観光客を乗せています」と表示したバ
スに乗ってホテルに向かう。車は1台も無いから当たり前だが道はガラガラ。今晩から3泊する最高級
ホテルに行ってみたら、こっちは併設しているカジノの従業員がストライキ中。ロビーでタムロしている
ではないか。ったくもう!である。楽しみにしていた絶景は曇って見えないし、夕食も不味いのだった。
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12月 16日(火) ポカラ朝濃霧 晴れ
朝 ポカラ 「フルバリリゾート&スパ」 朝食ヴェッフェ
ポカラの標高は800メートル。今回訪れる町では一番暖かいと聞いていたが、朝晩はかなり冷える。ナ
ガルコットの2晩目から、添乗員のMさんが気をきかせて希望者には湯たんぽを頼んでくれた。湯たん
ぽなんて何十年ぶりだぁ?しかし、ホテルに湯たんぽはたくさんは無いからと、ナガルコットでは氷嚢の
お湯を入れて持って来た。今朝は遊覧飛行をする予定なのだが、濃霧で10m先は全く見えない。これ
じゃあダメかなぁ。飛行機飛ばないかなぁ。このホテル朝ご飯もあまり旨くない。お粥があるのが救い。
ポカラでの遊覧飛行はチャーター機だった
マチャプチャレ頂上「魚の尾」状態を撮影したいのだが・・・
濃霧ではあるが、とりあえず空港に行くことに。ストライキは昨日で終わったらしく、車がビュンビュン走
っている。ポカラの空港には飛行機は1機もなかった。カトマンドゥを飛び立てないらしい。じゃあとスル
ーガイドのSさんがペワ湖に連れて行ってくれた。この湖畔には大きな王様の別荘があったな。バスか
らジロジロ見た。王制は廃止になったから、今は返上されたらしく兵隊がうろうろしているのが見えた。
11時過ぎ飛行機が飛ぶことになった。今日は私達だけの貸切りだよ。ブッダ航空のCAは昨日の便と
同じ女性だった。ポカラから見える山はアンナプルナ連山が中心だ。左からアンナプルナサウス(7219
m)、アンナプルナT(8091m)、マチャプチャレ(6933m)、アンナプルナV(7555m)、W(7525m)、
U(7937m)、ランタン(6966m)、ちょっと離れた右側にマナスル連山が見える。この中で一番目立っ
ているのは意外なことに一番低いマチャプチャレ。頂上が2つに分かれているので「魚の尾」とつけられ
たそうだが、スイスのマッターホルンンによく似ている。そして一番手前にあるので高く見える。しかし急
峻なため登れない。未踏峰の山なのだ。英語の名前は「ヴァージン・マウンティン」。眺めて飽きない。
昼 ポカラ・ペワ湖 「ビストロ・キャロリン」 ほうれん草のスープ、パンとバター、魚のソティ ポテトと
野菜添え、ミックスフルーツサラダ、コーヒー
レイクサイドには土産物屋が並ぶ ペワ湖の船は観光船と生活移動用
煙草を吸いながら客を待つ
ランチはまたペワ湖に戻って。「ビストロ・キャロリン」という店名が洒落たレストランだった。丁寧な料理
でまずまずの味だったが、ニンニクがえらく効いていた。食後厨房を見学させて貰ったが、整理整頓さ
れていた。レイクサイド通りはお土産屋、登山用品店、レストランがギッシリ並ぶ。結局何も買わない。
ヒンドゥー教のビンドゥバシニ寺院は祈る女達で一杯 町のどこからでも見えるマチャプチャレ
下校する小学生達制服姿が可愛い オールドバザーでは彫金細工が盛ん
ボク達もお店番
ヒンドゥー教のビンドゥバシニ寺院に行く。今日はシヴァ神の息子ガネーシュ神の日なのだそうで、食事
を抜いて祈りに来た女性達で溢れていた。こういうハレの日はなるべく派手な服を身につける習慣だそ
うで、ほとんどの女性が赤いサリー姿であった。昔ポカラの中心地はオールドバザールだったが、今は
ペワ湖畔に賑わいは移ってしまった。すっかり寂びれてしまった町には貴金属の店が多かった。ネパー
ル版ビリヤード「キャレム・ボード」に興ずる若者達や小学校の前に孫を迎えに来たお年寄り達の姿。
夜 ポカラ 「フルバリリゾート&スパ」 夕食ヴュッフェ、2点セット 12ドル
ネパールに着いてから夕食は3晩続けてヴュッフェだった。今晩もホテルのヴュッフェではあるが、昨夜
とは別のレストランでインド料理にしますよー!と言われて楽しみにしていた。今日もホテルに併設され
ているカジノの従業員はスト続行。でもホテルのロビーを占領するのは迷惑ですぞ!「インド料理だ、イ
ンドだぞ」とスキップして別のレストランに行くと・・・・あら?インド料理でないぞ。しかも昨夜と全く同じ料
理が並んでいるではないか!どこがインド料理よ!と皆ブリブリに怒っている。食事が終わる頃、ホテ
ルのスタッフが「料理が昨夜と同じですんませーん」と軽く言って帰ろうとしたから、皆激怒。彼はこのレ
ストランまで私達を連れて来た。インド料理を提供出来ないことはわかっていたハズなのに、事前に断
りもしなかった。添乗員とガイドがクレームをつけたら、初めて「あぁ、そうなのよ、例のカジノのストライ
キで大変でインド料理作れないのよ」なんて軽く答えたらしいよ。私達も団交することに??腹が立つ。
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12月 17日(水) ポカラは晴れ
朝日に輝くアンナプルナサウスとアンナプルナT ネパールのマッターホルン、マチャプチャレ ヒマラヤをバックの母子
4時過ぎ起床。今日は朝日の名所サランコット(1592m)まで行くのだ。ホカロンなどあちこちにペタペタ
貼り、セーター、襟巻き、手袋と寒さ対策もしっかりして5時15分出発。もちろん真っ暗である。驚くこと
に5時半なのにもう開いている店もあった。車を下りてサランコットの頂上までは30分急な山を登らね
ばならない。面倒なら私らのようにリトルサランコットでいい。日の出時間の45分前に着いたのに既に
人々が集まっていた。なるべく良い場所に三脚を立てたいらしい。でも三脚は大勢いるところでは邪魔
だよね。ネパール3度目のI上さんが隣でコーフンしている。「ここでこんなに美しい日の出とヒマラヤを
見たのは初めてだ!!」。3度来るってスゴイ。私には出来しません。1度目で見ることが出来た幸運。
朝 ポカラ 「フルバリリゾート&スパ」 朝食ヴェッフェ
ホテルに戻ったら8時だった。皆さんは9時半からハイキングに出かけられるから忙しそうだが、膝に
悪いことはしない主義なのでパスする私はゆっくり朝食。しかしろくに食べるものが無いのだけれど。9
時半ホテルの責任者が昨夜の夕食の件で謝罪した。軽くね。小さな紅茶が形で酒代は要らないって。
昼 ホテル客室にて A姉妹とM添乗員のおにぎり各1個、サッポロ一番味噌と塩ラーメン(小)、バナ
おにぎりとラーメンのランチ
客室から見える庭園の向こうはヒマラヤの山々 もちろんマチャプチャレも見える
フルバリリゾート&スパの屋外プール
亜熱帯の花が咲く
セティ・ガンダキの断崖に立つホテル
ハイキングに行く代わりに、ホテルの広い庭を散歩する。ネパール版グランドキャニオンのようなセテ
ィ・ガンダキを見下ろして、振り返るとホテルの建物のバッグにはヒマラヤの山々。標高800メートルの
ポカラの町から僅か30キロしか離れていない場所に8千メートル級の山々が聳えているから、迫力満
点の景色なのだ。庭に咲くハイビスカスやポインセチアの赤が印象的だ。お昼は、A姉妹から頂いたお
にぎりとM添乗員手製のおにぎり、成田のラウンジで貰って来たカップラーメン(小)の味噌と塩ラーメン
もしようっと。ところが、さてカップ麺用のお湯を沸かそうかという時、停電。ネパールは停電ばかりなの
だ。1時間後ようやく電気が点いたのでミネラルウォーターの水を湯沸し器にドボドボ入れてセットした
ら、今度は湯沸し器が故障していることがわかり・・・。結局ホテルの厨房にお湯を頼んで食べたのだ。
夜 ポカラ・ペワ湖 「日本料理古都」 すき焼きセット(生卵、漬け物、ご飯、味噌汁)、揚げだし豆
腐、日本茶)、ビール 320ルピー、赤ワインボトル 1480ルピー
このホテル、バスルームのお湯は午前6時から10時までの4時間と午後6時から10時までの4時
間しか出ない。だから、早めに入浴しようなんて思ってもダメなのである。この日はしかも6時15分に
なってもぬるま湯しか出て来なかった。夕食は昨日ランチを摂ったレストランの2軒隣の「古都」ですき
焼きだ。和食が嬉しいというよりヴュッフェでなくて嬉しいというのが正直なところ。ヒンドゥー教徒にとっ
て牛は神様。神様を食べるわけには行かないのではないかと思ったが、輸入した牛肉ならいいんだと
か。すき焼定食に揚げだし豆腐はまぁまぁ。グラスワインは無いというのでボトルで赤ワインを取った。
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12月 18日(木) ポカラもカトマンドゥも晴れ
朝 ポカラ 「フルバリリゾート&スパ」 朝食ヴェッフェ
5時半起床。毎晩早く寝るから早起きも苦にならない。6時半レストランに向かう時、廊下でIMさんに会
った。コートを着て帽子を被っている。「朝ご飯に行かれるのに重装備ですねぇ」と声をかけると、「昨夜
雪が降ったので雪景色の写真を撮りに行くんです。木も庭も真っ白でしたね」。はぁ?雪が降った?朝
晩冷えると言っても10度はある。10度で雪は降らない。IMさんは2日目カトマンドゥで迷子になった。
昼 カトマンドゥ 「SOBA ヒマラヤ」 蕎麦だんご、揚げ蕎麦、天麩羅とかけ蕎麦、蕎麦がき、蕎麦羊
羹と蕎麦茶
何だかいろいろあった「フルバリリゾート&スパ」をチェックアウトして、ポカラの空港へ。ここには機械が
無いからとスーツケースのオープンチェックがあるのだよ。私もやったところで、「この後の人はいいで
す」って。チェッだ。今朝も濃霧だったので飛行機は1時間15分遅れた。カトマンドゥの空港から道は大
渋滞。抗議デモが行われていて、警官や兵隊が数多く出ていた。ポカラに行った日行われていたバン
ダと言われるゼネストに抗議デモ。ネパールはいろいろタイヘンだ。喧騒を抜け出して数分走ったとこ
ろに、ブーゲンビリアなどの花々が咲き乱れ、静かで空気さえ奇麗だと思える一角があった。サンセット
ビューホテルというこじんまりした建物の中に、「ヒマラヤ」という蕎麦屋があるのだ。店もホテルも戸隠
に蕎麦打ちの修行に10ヶ月行ったというネパール人のご主人と日本人の奥様が経営されている。ネ
パールの地でよくここまでと感心はするが、蕎麦好きの私には「旨い」と褒めるわけにもいかないのだ。
カトマンドゥのシヴァ・パールバディ寺院
神様である牛は大事にされる
シヴァの化身である破壊神カーラ・バイラブ
3歳半の生き神クマリが住むクマリの館
喜寿の祝いが盛大に行われていた
午後はカトマンドゥの市内観光。ネパールの首都であり、世界遺産でもあるカトマンドゥだが、マスク無
しでは歩けない。とにかく人が多い。人口2500万人のうち200万人近くがカトマンドゥ盆地に住んでい
るのに、その数は増える一方。貧しい地方から仕事の当てが無いまま首都に集まるからだ。埃っぽい
町にバイクや車や荷車がガンガン走り、砂埃がもっと舞う。神様の牛がそのへんに寝そべっている。猫
はほとんど隠れていてやたら犬がうろうろしている。野菜が腐ったような匂いもするし、騒音は凄まじい
し、30分も歩くと頭が痛くなる。たくさんの寺院を見た後、クマリの館に行った。生き女神であるクマリは
初潮前のサキャ族の少女の中から30もの条件をクリアした美少女が選ばれることになっているそうで
一番地位が高いロイヤル・クマリには昨年3歳の少女が選ばれたばかり。クマリに選ばれたら、親から
離され、クマリの館で「人間の姿をした強力な女神」としての振る舞いを学ぶのだそうだ。旧王宮前広場
では喜寿を迎えたお爺さんのお祝いが一族によって盛大に行われていた。77歳7ヶ月7日に当る日、
一族は当人を祝いの神輿に乗せ町中を練り歩くのだそうだ。観光が終わった時、皆一堂にホッとした。
夜 カトマンドゥ・ソルティ・クラウン・プラザ・ホテル・カトマンドゥ「ALFRESCO」 野菜サラダ、ガーリッ
クトースト、ミネストローネスープ、ピッツァ、グリルチキン パスタと野菜添え、デザート、ビール、
赤ワイン
ホテルは初日に泊まったのと同じソルティ・クラウン・プラザ・ホテル。ここはいつでもお湯が出るから嬉
しい。夕食はヴュッフェの予定だったらしいが、ガイドのSさんが飽きただろうとイタリアンレストランに変
更してくれた。レストランは庭を歩いていく。この国にはキリスト教徒は1%もいないだろうに、庭中派手
なクリスマスの飾り付けがされているのが可笑しい。料理は悪くは無かったが、この日一番美味しかっ
たのはガーリックトーストだった。デザートタイムにちょっとしたサプライズ。既に過ぎてはしまったが、
77歳IMさんと80歳のUSさんのお誕生日祝い。若々しい80歳のUSさんはお礼に詩吟を唸り、赤ワイ
ンのボトルを振舞ってくれた。お陰で、デコレーションケーキと赤ワインのお裾分けを頂いたのだった。
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12月 19日(金) カトマンドゥは晴れ
朝 ソルティ・クラウン・プラザ・ホテル・カトマンドゥ 朝食ヴェッフェ
ヴュッフェに粥があるということは日本人客が多いということ
今日は帰国するが、夜便なのでほぼ一日観光して過ごす。水道の水を飲んではいけない国では、ジュ
ースもカットフルーツも生野菜も氷も避けているが、何日目かになると「これくらいはいいよね」とジュー
スを飲んだりフルーツを食べたりする。カラダが合ってくるというのだろうか。でもお粥がやっぱり旨い。
昼 カトマンドゥ チベット料理「ロイアルサイノ」 スープ(お替わり!)、揚げパン、パオズ、モモ(ネパ
ール餃子)、ギャコク(チベット風寄せ鍋)、炒飯と焼きそば、フルーツヨーグルト、ジャスミン茶
午前中は2日の遊覧飛行の予備日であったが、無事飛んだのでフリーになった。スルーガイドのSさん
のご主人は市内でパシュミナを中心とする土産屋をやっているというので希望者はお邪魔した。女性
陣はパシュミナ、男性はナゼか大きな岩塩に目が行くらしい。今回は夫婦2組、姉妹1組、一人参加女
性5名、男性1名の計12名。それぞれの買物をした。ホテルをチェックアウトしてランチへ。ネパールで
はチベット料理も盛ん。今日はチベットの寄せ鍋ギャコクを食べる。鍋の前にモモというネパール餃子
が出た。ギャコクには、肉団子、鶏肉、魚、豆腐、きのこ、春雨、海老団子、茹で卵、人参、ピーマン、カ
リフラワーなどがぎっしり入っていて、濃いスープはちょっとあるだけ。これだけボリュームがあるのに、
炒飯とやきそば食べながら鍋をつつくのである。ダイエットしている人々には大敵の料理ではあるなぁ。
15世紀3王国に分裂したマッラ王朝カトマンドゥ、パタン、バクタプルのうち、午後は残りのパタンの観
光だったが、4人は行かないことにしてランチを摂ったレストランの2階で過した。本読んで。停電の薄
暗い店内で、ほとんど会話を交わさない若い男女が3時間も座っていてどうゆう関係なのか不思議だ。
夜 カトマンドゥ 「カトマンドゥ・キッチン」 ネパール料理前菜盛り合わせ、ナンとマッシュルーム
スープ、ダルバート・ダルハリ(ライスとたくさんのカレー)、ヨーグルト、ミルクティー、赤ワイン
観光組は予定より早く帰って来た。昼食べたレストランから、夜のレストランに徒歩で移動。ここで民族
舞踊を観ながら食事して、10時55分のドラゴン航空で香港に向かうのだ。民族舞踊は素朴なものば
かりであった。8時外に出ると真っ暗。夜停電って困るよねぇ。バスに乗ったところでショックなニュース
が。「今夜のフライトはキャンセルになりました。乗る予定の飛行機は香港から来ていません。何時にな
るかわかりません。とにかく空港に行って調べてみましょう」。ガッツーン!!こんなギリギリになってそ
れは無いだろう。1時間待ってわかったことは今夜は飛ばない、明日午後出るかもしれないということだ。
幸い昼チェックアウトしたホテルに空室があったので、戻ってもう1泊することになったのだ。エーン!!
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12月 20日(土) カトマンドゥは曇り
朝 ソルティ・クラウン・プラザ・ホテル・カトマンドゥ 朝食ヴェッフェ
5時半起床。本来なら昨夜10時50分のドラゴン航空で香港に行き、+時差2時間15分の香港に6時
に到着、3時間の待ち合わせで午前9時過ぎのキャセイにて帰国というものだった。しかし、昨夜のエア
キャンセルで、こうして今朝はまたもやカトマンドゥで目を覚ました。NHK海外の世界の天気予報で香
港をチェック。晴れか。それなら午後の折り返し便は飛び立ったハズだ。初日と7日目の計2泊の予定
だったこのホテルも3泊した。朝食ヴュッフェで頼りにしているお粥は無く代わりに味噌汁。旨くないぞ!
昼 ドラゴン航空 カトマンドゥ=香港 ビジネスクラス機内食
意外とイケタチキンカレー
9時45分空港に行ってみると、今のところ昨夜の便は14時間超遅れで午後1時過ぎ飛ぶ予定だと言
う。しかし、香港から成田への乗り継ぎがはっきりしない。キャセイはワンワールドに加盟しているから
JALの羽田深夜便乗り継ぎという便宜を図ってくれるなんてことは期待出来ないのか。乗り継ぎが無
い場合、香港に泊まるのか、ホテルは取れるのか・・・・。寒い空港のベンチでジッと待つ。添乗員のM
さんが汗だらだらで走り回って、答えを持って来たのは午後12時半!「香港からの乗り継ぎはありませ
ん。よって今晩は香港に宿泊します。しかし、スーツケースは成田まで行ってしまいます。どうしても必
要なものがあれば、ここでスーツケースから出してください。航空会社はホテル代を持たないと言い張
っていましたが出すことになり・・・皆さん、急いでくださーい!」。午後1時40分ようやくカトマンドゥを飛
び立った。はらほろへれ〜。期待していなかったのに飛行機の窓からヒマラヤがバッチリ見えたのだ。
夜 ナシ!!!
現地時間午後8時半香港着。ドラゴン航空の職員が、国籍もバラバラな30人程の乗客をホテルに誘
導したが、その態度に「迷惑かけた」とか「お詫びに」とかそんな風は全くない。難民の世話をイヤイヤ
する役人のようである。空港すぐそばのマリオットホテルに入ったのは9時半過ぎだったが、ここでもエ
ンエンと待たされた。「今晩の夕食か明日の朝食か食事は好きな方選んでください。食事は1回です。
今から部屋の鍵を配ります」って言われたのは午後11時15分!空腹であるが、それよりクタクタだぁ。
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12月 21日(日) 香港も東京も晴れ
朝 香港・マリオット香港スカイシティ 朝食ヴュッフェ
過去にも航空会社のダブルブックなどで延泊したことはあったが、それは1泊だった。異なる国で計2泊
もしたのは初めてだ。スーツケースは成田まで預けてしまったからパジャマも無くエラク困った。とんで
もなく迷惑な展開であったが、唯一良いことがあるとすれば、思いがけず香港の朝食を食べることが出
来ることだ。だからもちろんレストランには一番で行く。美しくカットされた野菜や果物も並んでいるが、
そうゆうものには目もくれず、中華点心系に絞る。わんたん麺茹でてね、お粥にはピータンと油条を入
れよう、小籠包も2個、あぁ焼そば忘れちゃイカンな・・・・。アイランド・シャングリラホテルの「カフェトゥ
ー」に比べればかなり味は落ちるがそれでも香港食好きの私には嬉しいのだ。ゲップが出る程食べた。
昼 キャセイ航空 香港=成田 ビジネスクラス機内食
このスタイルの座席好き!
朝ご飯食べ過ぎて気持ち悪く、「皇府」で焼そばを買おうと思っていたが止めた。午前9時過ぎのキャセ
イ航空。ビジネス席は、ヴァージン・アトランティック航空と同じスタイルの、4列斜め席だった。これはプ
ライバシーが守れていい反面、周囲から遮断されている分、自分がブロイラーになった気分になる。快
適な時間はアッという間に過ぎるもので、成田には午後2時半(時差1時間)に到着。エラク暖かいな。
夜 四谷三丁目 「鮨処 某」 付き出し:ぶり大根、つまみ(氷見の寒ぶり、萩の白イカ、よりすぐり貝柱
焼き立て卵焼き、握り(青柳とすみイカ)、生ビール、冷酒 「東北泉」 2合 @8400円
少ない酒で酔いました
普段なら海外から帰って来た日は、買物に行って自炊し、酒も飲まずに夜遅くまでパクパク日記を作成
している。しかし、写真をパソコンに取り込んで、メールをチェックしている間に疲れがドッと出て来た。
思えばネパールでは美味しいものはほとんど食べなかった。日本の美味しいものを食べに行ってもよ
かろう?慰労もかねてさ。鮨処某で日本海の幸を味わう。旨い!やっぱりコレよ。私の留守中、世界や
日本に良いことは無かったか、店内にいた皆さんに聞く。「無し!何も無かった」って。現実は厳しい!
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【今週の振り返り】
帰国してテレビを観た。ソフトバンクのCMで、なぜかガチャピンと一緒にいる白戸(ホワイト)家のお兄
ちゃんに白犬のお父さんから電話がかかって来る。父「いまどこにいるんだ?」、兄「ヒマラヤです」、父
「コラ!会社に行け!」、兄「はい、お父さん」と言った後、父はヒマラヤの山に消える。あぁっ!!という
小さな悲鳴と共に。お父さんヒマラヤで電話していたんだぁ。そうか、白戸家のお父さんもお兄さんも同
じ時にヒマラヤに行っていたのだなぁ。でも会わなかったなぁ・・・・・。ばーか。
ネパールは、今極端な電力不足、水不足である。もちろん根本的な金不足でもあるが。電力がどのくら
い不足しているかと言えば、週45時間停電だったものが、私達が滞在している間に週63時間に増え
た。つまり1日平均9時間電気が無い生活なのである。ナガルコットのホテルで昼間トイレに行ったら
真っ暗。ロウソクに火をつけてトイレ個室に入った。ポカラでも停電に泣いた。カトマンドゥのレストラン
で4時間過したが、本を読むにはエラク薄暗かった。しかし、昼間はいいのだ、停電でも。問題は夜も
停電があるということ。仕事を終えた人々がテレビを観ようにも停電ばかりでなかなか観られないらし
いよ。そんな国のテレビ局やタレントや歌手や広告代理店やスポンサーって、どういう気持ちで仕事を
するのだろう。ドラマを作っても「どうせ停電で観て貰えないんだろ」と思っているのか。「停電だったから
提供した分はただにしろ!」とスポンサーは要求するのか。
カトマンドゥは水も不足している。とんでもなく。水道は一日でたったの1時間しか出ないのだ!!!し
かも地域によって時間は異なるが、夜中の1時間給水なんてザラだそうだ。スルーガイドで8日間ご一
緒したSさんの自宅あたりは早朝5時から6時までが給水時間だそうだ。その1時間に家族総出でバ
ケツや鍋を並べて水を汲まねばならない。足りない分は、井戸に汲みに行くか、有料で買わねばならな
い。電力も水も不足しているということは、水資源が乏しいのかと思えば、さにあらず。ブラジルに次い
で世界で2番目の水量を誇るのだそうだ。その水を使って発電出来る程の資金と技術が不足している
というが、国境近くでは水はインドに送っているという話もあってよくわからない。
ネパールは、ついこの前まで「ネパール王国」とい名前の王制国であった。今年4月制憲議会選挙が
実施され、5月連邦民主共和制を宣言したばかりだ。最後の王となったギャネンドラ国王は退位して王
宮を去った。歴史上いくつかの王朝はあったが、最後の王朝は240年で幕を下ろす。しかし、このギャ
ネンドラ国王はついこの前王位に就いたばかりなのだ。2001年6月1日世界中を慎感とさせた事件を
覚えておられるだろうか。「ネパール王族殺害事件」である。日本の皇室とも親交のあったビレンドラ国
王夫妻、王女、王子、王の妹や弟9人が射殺された。結婚を反対されたために犯行に及んだとされる
ディレンドラ王子も間もなく亡くなったから真相はわからない。王室が月に1度開催していた晩餐会での
出来事だったが、なぜか国王の弟ギャネンドラ王太子はポカラの別荘にいて助かり、その上晩餐会に
出席していたギャネンドラの一族は全員生き残った。そしてギャネンドラが次の国王になったのである。
うーむ。これだけでもびっくりなのに、もっと驚くのは1846年にも王宮で大虐殺事件が起きて、宰相の
地位を奪ったジャンガ・バハドゥール・ラナが権力を握った。以降約100年間はラナ家の世襲となって
王家は傀儡となっていたのだ。1951年亡命していたインドからトリブバン国王が帰国し、ラナ家を退け
て立憲君主制を宣言した。
こんな国で人々はどうしていたのか。唯々諾々としていたか?ウンニャ、結構ガンバってはいた。議会
政治を本格化させて封建的な社会を改革しようと走り回った人々はたくさんいた。すると国王との間に
溝が出来ちゃう。「調子に乗るな!」と国王は、議会を解散させて政治活動や政党を作ることを禁止し
たりする。こんなことが繰り返され、民主化の流れは行きつ戻りつでなかなか進まない。ネパール会議
派と共産系7政党は共闘して踏ん張る。しかし「そんなことではテヌルイ!」と、1996年ネパール共産
党毛沢東主義派(マオイスト)は王制を打破すべく「人民戦争」を開始し、5年後の2001年は人民解放軍
を創設した。王族殺人事件の後即位したギャネンドラ国王もクーデターを起こして、何度か内閣や議会を
停止させた。7党連合とマオイストは国王独裁と闘うことで合意し、全国でゼネストを実施して民主化運動
を進めた。ま、その結果前述したような王制廃止まで今年持って来ることが出来たのである。しかし、現在
第一党のネパール共産党毛沢東主義派も含めどの政党も過半数を獲得出来ないでいる。連合政府である。
歴史上初めて本格的な民主主義を獲得したものの、船頭が多くてどこに進むのか混乱が続いている。
たくさんの民族が住む町や村には「混迷」の文字がどっかりと居座るが、ヒマラヤの山々は飽くまでも
清々しく峻厳と聳えている。1953年エベレストに初登頂したとされているエドマンド・ヒラリーがNZのオ
ークランドで亡くなったのは今年の1月11日だった。88歳だった。そうそう、彼と一緒に登頂したテンジ
ン・ノルゲイはシェルパである。日本ではシェルパというと「登山隊を支える現地ガイド」と思っている人
が多いようだが、元はと言えばヒマラヤ登山の支援を得意とする山岳民族の名前であった。それがす
っかり定着してシェルパ族で無くてもシェルパと名乗るほど一般的になったんだってさ。念のため。
アタイもヒマラヤ登りたいですけど、猫でも大丈夫かニャア
*
夢子さん、未だ12月4週が・・・。わかっとるわい!年内にはアップするわい!