パクパク日記9年2月3週
ブータンの朝晩の気温は2度、バンコックは35度、成田は2度だった・・・・。
ブータンの棚田
パロ・ゾンで修行中
2月 16日(月) ブータンのパロは晴れ
朝 ブータン・ワンデュ・ポダン ドラゴン・ネスト・リゾート 朝食ヴュッフェ
K野さんから梅干貰った
5時45分、川沿いに建つ町一番のホテル(と言ってもスンゴク簡素)で目を覚ます。昨夜は風が強く夜
っぴいてガタガタとガラス窓が揺れていた。外に出ると寒さでぶるっと身震いする。客室には電話が無
い。添乗員ISさんはモーニングコールならぬモーニングノックしてくれたのは6時過ぎ。さぁ朝食だよ。
首都ティンプーの中央郵便局。局の奥には珍しい記念切手の販売場がある。切手で外貨を稼いでいるのだ
今日は、昨日下りて来た山を逆に上ってゆく。標高1350mのワンデュ・ポダンから一気に1800m山を
上って3150mのドチュ・ラ峠へ。そこから800m下りて首都のティンプーそしてパロに行くのだ。ブータ
ンでは昨日までが長い冬休みで、今日から新学期とか。ところどころにある町では、男子はゴ、女子は
キラの民族衣装の制服を着た子供達で一杯。不思議なことにカバンらしきものが無く、子供達は教科
書やノートを重ねてハダカで持っている。ワイワイガヤガヤ賑やかだ。順調にドライブを続け、予定より
早くティプーの郵便局に着いた。ブータンは、外貨稼ぎのためにかなり前から切手に力を入れている。
宇宙開発もの、プレスリーやJFケネディやエリザベス女王などの世界的有名人もの、オリンピックやW
杯や万博などの記念ものなど絵柄とする珍しい切手に加えて、40年前には鋼鉄製の切手シリーズ、世
界で初の立体切手の蝶切手や昆虫切手、布製、プレスティック製、ソノシート製、香りつきの切手、CD
つき切手・・・・など開いた口が塞がらないほど珍種の切手発行国なのである。私もいろいろと買った。
昼 パロ ホテル「リックスム」 ランチヴュッフェ(赤米、汁肉じやが、モモ(チベット式餃子)、焼き茄子、
川海苔の辛いスープ、野菜、西瓜、バナナ、コーヒー)
国立博物館は山の中腹に
パロには午後1時に着いた。ランチはもちろんヴュッフェ。茄子の料理があったが、まるで炭火で焼い
た焼き茄子と同じで何とも旨い。汁けの多い肉じゃがのような料理もあった。午後の予定がまた変る。
パロ・ゾンの建物
少年達はゾンに併設されている学校で学び修行をする
パロ・ゾンに行く。ゾンとは17世紀に統一されたブータンの各地に整備された城塞である。同時に仏教
の国分寺の役割と地方行政機関の機能も持つ。城と寺と役所だ。それに今では仏教の学校でもある
のだ。ガイドのソナムさんは、例によってゾンに入る前に白い布カムイを肩にかける。ソナムさんが寺院
で祈る姿を何度か拝見したが、長い間に身についた、流れるような動作が3度繰り返される。美しい祈
りだ!小さな修行僧達がたくさんいた。素直で初々しいお坊さんもいれば、そうでないお坊さんもいる。
ブータン最古の寺院キチュ・ラカンは7世紀に建てられた
キチュ・ラカン近くの農家を訪問 2階の居間には三代の王様のカレンダーが貼ってある。仏間にはダライ・ラマの写真が
ブータンに仏教が伝わったのは7世紀。チベット仏教がインドの高僧によってもたらされた。一番古い
寺院のキチュ・ラカンに行った。狭い中庭に蜜柑が成っていた。橘だろうか。この寺には猫が3匹いた
ので私はそっちに夢中。寺の隣の農家を訪問。ブータンの民家は大きくリッパな作りだ。1階は納屋、2
階が居住スペース。居間にはSONY製テレビも鎮座していたが、一番目立つのは若き5世国王と三世
に渡る王のスリーショット写真。空港にも町にも店にも国中どこにも王様の写真が飾ってあるのだ。そし
て家の一番良い部屋は広い仏間。ダライ・ラマの写真もあり、実際ダライ・ラマにお会いしたことがある
とその家の主婦は涙を流さんばかりに私達に話してくれた。感動再現。家族8人この家に住んでいる。
今夜から2泊する「ジワ・リン・ホテル」も2005年に出来た高級ホテルである。ティンプーの5ッ星ホテル
「タージ・タシ」と違って、ここはブータンの伝統文化を存分に取り入れた作りとなっている。本館と8棟の
宿泊棟があり、私の部屋は一番近い2番。しかし、緩やかな坂の上り下りがあるので、食事の度にハァ
ハァするのだった。ウマ・パロホテルやアマンリゾートと共にこのホテルも公共料金に上乗せが必要だ。
夜 パロ 「ジワ・リン・ホテル」 パン、オリーブとガーリックバター、パンプキンスープ、豚肉の伝統的カ
レー 赤米とエマダツィ添え、バナナケーキ チョコアイス添え)、ハイネケンン 4ドル、赤ワイン9ドル、
白ワイン 8ドル
昼間は汗をかくほど暑くなるが、日が沈むと同時に一気に寒くなる。夕食にはコートを着て、ハァハァ緩
やか坂を上って食べに行く。このホテルはイタリアンだそうだ。ブータンで?はぁい。2人のうち今晩は
女性シェフですって。スターターもメイン、デザートも2種の料理からのチョイスだった。メインはポークカ
レーを頼んで期待したがイメージが全く違った。ショックでほとんど食べなかった。デザートはどっさり。
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2月 17日(火) 晴れ
朝 パロ 「ジワ・リン・ホテル」 朝食ヴュッフェ
今世紀初めてふりかけ食べた
5時半起床。昨夜はひどい目にあった。さて寝よう、と思った頃から両脚が痒くなり始め、痒みは増すば
かり。眠るどころではないのだ。ゴソゴソ薬袋を漁って、塗り薬を塗り、飲み薬飲んで。どうだ?効くか?
ジェンジェン、効きまシェーン。仕方なく本気で起き出して、この4年間行った国々を思い出して一覧表
を作ったり(よくもまぁ、こんなに行ったねぇと呆れる)、大介君&有里ちゃんに絵葉書書いたり、本読ん
だり・・・。午前4時にベッドに入って1時間半寝て起きたというわけ。眠いですなぁ。朝食はヴュッフェ。
硬いサラミがあるだけで、ハムやソーセージといった食肉加工品はごく少ない。しかしパン3種はどれも
焼き立てでほっかほか。お粥もあり添乗員ISさんから貰った鮭ふりかけをかけて食べた。満腹だじょ。
これがブータン仏教伝説の聖地タクツァン僧院!!垂直に切り立った岩壁にある
午前中のタクツァン僧院見学こそこの旅のハイライトだ!と誰かが言っているが、私はとっくに不参加を
決めている。ここに限らず、どこでも山を上るような機会があればすべてパスする人間である。ガラスの
膝でこの体重を支えているのだから、山登りなど言語道断なのである。それでも写真は撮りたいから、
登山口まではご一緒した。500mの切り立った岩壁の上にチベット仏教の中でも指折りの聖地タクツァ
ン僧院はあった。うーむ、こういう風景どこかで見たぞ・・・・・そうだ!ギリシャのメテオラだ。あそこは長
いスカートを履いて、90段下りて170段上るのだった。ここタクツァン僧院に見学者は入ることは出来
ないから対岸のレストハウスに上って見るそうだ。早い人で1時間、遅い人で2時間の登山するのよ。
昼 無し!!(でもくず湯 2杯)
いろいろ並べたけど、口にしたのはくず湯だけ
「行ってらっしゃーい」と登山隊を送り出して、私を含め女性4名はホテルに帰って来た。読書したり、散
歩したりで午前中を過し、12時半に迎えに来て貰って昼食と午後の観光に合流する、予定だったのだ
が、11時頃からお腹がゴロゴロし出して、ずっとトイレ篭城状態。泣く泣くランチと国立博物館見学は諦
めた。幸いお腹コワシにはピッタリのくず湯を持って来ている。お湯をわかして2杯飲んだ。50年ぶり?
ホテルの本館中央で民族舞踊のショーがあった。男性のダンスは勇壮で派手で面白い!
4時半からホテル本館で民族舞踊のショーが始まった。女性5名、男性4名、楽団3名。女性の地味な
衣装と地味な振り付け踊りは単調に感じるが、男性陣は動物の仮面をつけたり、高くジャンプしたりで
迫力満点。楽しいわぁ、これ。ブータン最大のお祭り・法要「ツェチュ」で演じられる躍動感ある踊りね。
夜 パロ 「ジワ・リン・ホテル」 パン、オリーブとガーリックバター、マッシュルームスープ、野菜とチー
ズのリゾット、北欧のケーキ、赤ワイン(サービス)
早くもブータン最後の晩餐である。昼飯抜きだから眩暈がする位空腹で食堂までははって行った。ウソ
に決まっているだろ、ガハハ。昨日は女性シェフだったが、今晩は金髪碧眼の甘いマスクの兄ちゃんで
女性参加者は一様にポーっと。私以外。私は「腹減った!メシ食わせ!」と騒いでいた。ウソだよ。今日
もメニューはスターター、メイン、デザートともチョイス。スープとリゾットとケーキを選んだ。今夜は旨い。
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2月 18日(水) ブータンのパロもタイのバンコックも晴れ
朝−1 パロ 「ジワ・リン・ホテル」 朝食ヴュッフェ(ジュース、オムレツ、トースト、コーヒー)
3時45分起床。4日前もエラク早起きしたけど、今日も飛行機の出発が早いのだ。部屋には床暖房が
入っているから暖かいが、スーツケースを出す時、ドアを開けたらブルルッ!気温は2度くらいだろう。
レストランは5時から開くと聞いていたが、5分過ぎに行ってもジュースとコーヒーだけ。徐々に増えては
来たけど。6時空港に向けて出発。4泊5日のブータンの旅はアッという間に過ぎてしまったって感じ。
朝―2 ドゥルック・エア パロ=コルカタ ビジネスクラス機内食+IS添乗員特製赤飯おにぎり
赤飯おにぎりの中に胡麻塩が
今回参加した旅行社では、原則おにぎりを旅のどこかで配ってくれる。赤飯好きだから、それが赤飯お
にぎりだと私は異常に喜ぶ。今日も定刻出発(珍しいらしい)の機内でまたもや機内食が出たが、ISさ
んが握ってくれたおにぎりだけ食べる。赤飯につきものの胡麻塩は外側ではなく、おにぎりの芯部に固
めて入れてある。むむ?これは・・・・I原氏の握り方と同じだ。聞いてみたら、彼に教わったのだそうよ。
昼 ドゥルック・エア コルカタ=バンコック ビジネスクラス機内食
カレーだけ食べた
行きはインドのコルカタ経由、帰りはやはりインドのブッダガヤ経由と聞いていたが、コルタカ経由に変
更されたらしい。昼飯の機内食が出た。西洋料理、インド料理、ブータン料理の3つからの選択だ。イン
ド下さい。ブータンとの時差は3時間、バンコックとは2時間。飛行機を降りる前に時計を1時間進める。
スワンナプーム国際空港に予定より早く到着。気温35度だった。暑くて徒歩観光はイヤ!ということで
意見は一致しバスでの観光となる。この1年で何度も来ているバンコクだが町に出るのは35年ぶり?
夜 タイ・バンコック 「キャック・フカヒレ・レストラン」 カシューナッツ炒め、フカヒレの土鍋煮込み、野
菜炒め、レタス炒め、海鼠と冬瓜の煮込み、アワビご飯、銀杏のシロップ煮、パパイア、ビール
タクシン元首相もお忍びで訪れたらしい
夕方バンコクの有名な店である「キャック・フカヒレ・レストラン」に行く。開店前に行ってしまったので、暫
くビールなど飲んで待つ。ここはフカヒレの料理が人気で、高級な感じは全くしないのに、タクシン元首
相もお忍びで訪れたそうだ。2品目にフカヒレの土鍋煮込みが出た。食事はアワビご飯だった。ゼータ
クだよねぇ。さて、帰国だ。空港に戻って深夜のANAに乗る予定。ところが、空港で添乗員のISさんと
ハグレテしまい・・・。40分後全員合流してホッとした。ラウンジで日本の新聞を3紙読んで溜め息つく。
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2月 19日(木) 東京は晴れ 寒っ!!
朝 ANA バンコック=成田 ビジネスクラス機内食(和食)
ほとんど食べなかった。生麺うどんにすればよかった。
この1年でバンコックから成田に向かうのは4回目だ。行きは近いから便利と思うが、深夜便の帰りは
不便だ。ロクに眠らないうちに着いてしまうのだよ。5時間弱の深夜便はキライ。そんなことで1時間も
寝ていないのに朝食だ。和食を頼んだのは失敗。S竹さんご夫妻のようにうどんにすれば良かった!
昼 四谷三丁目 「かつ新」 ヒレカツ定食 1200円
ダイエットやめたの? 何それ
成田には朝7時半に着いた。到着前のアナウンスで「成田の気温は零下2度」と聞いてゾクッとした。バ
ンコックは35度だったからなぁ。タクシーの中で運転手さんとの話題は、中川酔いどれ大臣記者会見
と辞任話。あーぁ、であるよね。渋滞もなく、9時過ぎには帰宅した。すぐ洗濯。写真もPCに入れたよ。
あれれー馬胃男君インターネット繋がってないぞ。昼は何も考えずにトンカツ屋の「かつ新」で食べた。
夜 舟町 「おちあい」 しょうゆ豆、玉こんにゃく、揚げ銀杏、牛蒡天、和風しゅうまい、芋鍋、白菜
漬け、雑炊、ビール(小)、冷酒 5合 @4600円
カンタンな片付け以外はパクパク日記の作成をしている。ただし眠くて仕方がない。昨日の朝は3時45
分に起きた。今日は飛行機の中で1時間しか寝ていない。眠いハズだ。しかし、眠いからって昼間寝て
しまうと時差ボケになるから寝ない。7時まで頑張って「おちあい」に行く。眠らないように、お父さん相
手に喋りまくり、食べまくり、飲みまくる。牛蒡天が美味しいね。鍋も食べ雑炊も食べた。帰宅して爆睡。
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2月 20日(金) 午前中冷たい雨 午後曇り
朝 無し!
目が覚めてもぼーっとしている。若干頭も痛い。二日酔い?3日ぶりにまとめて寝たから元気になるハ
ズなのだが冷たく降る雨をぼーっと見るばかりでね。結局朝飯抜きで午前中は無駄に過してしまった。
昼 愛住町 「フェクァファックスグリル」 フェアファックスプレートランチ(グリーンサラダ、スープ、パ
ン、鶏胸肉のロースト、小柱とカラスミのペペロンチーノ、デザートとコーヒー) 1,000円
雨は午後になって止んだ。腹ペコである。ガツンと食べたくなる。これだからメシ抜きはイカンのだよな。
「フェクァファックスグリル」で一番ボリュームのあるプレートを注文。近所では「アンシャンテ」に続いて
コストフォーマンスの良いランチである。ただ今日のパスタはヤケに脂っこくて塩味もキツカッタですよ。
夜 家食 おふくろ中華そば、もずく酢、熊本でこぽん、黒烏龍茶
「これは旨い」と自画自賛
今日中に2月2週のパクパクをアップしなくっちゃ。でもその前に夕食だ。今晩はおふくろ中華そばを作
る。あらら?竹の子が見つからない!498円もしたのに!さっき「丸正」で買って来たばかりなのに。竹
の子―!どこにいるー!いるなら返事しろー!返事が無いので竹の子無しそばを作った。サビシイが
でも美味しい。名前通り、母の味なのだ。パクパク日記を更新したら、明日になってしまったよ。無酒日
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2月 21日(土) 晴れ
朝 家食 ランチパック(ハム)、小さなおふくろ中華そば、アロエヨーグルト、でこぽん
今日は忙しい。朝刊さっさと読んで朝食もちゃかちゃかと食べる。さて朝風呂に入ろうかと思ったところ
に電話。香港のK岩だった。何?今我が家に向かって歩いている?何分で着くの?ゲゲ?数分?慌て
て着替え、K岩母娘の到着を待つ。春節休暇に一家で北海道スキーを楽しんだ際、K岩と高2の万里
ちゃんは英検1級を受験した。母親は1点差で落ち、娘は合格した。で二次試験が明日上智大であると
いうことで四谷ご滞在とのことだ。「満記」の揚枝甘露(ヤムチンガムロウ)を持って来てくれた。謝謝!
午前のお茶 銀座 「カフェドクリエ」 コーヒー 250円
2月の新橋演舞場は、ここ7年中村勘三郎と藤山直美の舞台である。その前は・・・「浅草パラダイス」と
いう超人気の芝居があった。平成9年新派公演で、水谷八重子、波野久里子、菅原謙治などの新派に
勘三郎(当時は勘九郎)、直美、柄本明、寺島しのぶが加わった「浅草慕情〜なつかしのパラダイス」
が大評判を取り、翌年「浅草パラダイス」、翌々年「ご存じ浅草パラダイス」とシリーズ化したが、13年
「さらば浅草パラダイス」で惜しまれて終わってしまった。グスン。演出は、3年前に亡くなった久世光彦
氏だった。久世氏の4回忌に8年ぶりの舞台「帰ってきた浅草パラダイス」が上演される。14名で観る。
昼―1 新橋演舞場にて ランチパック(卵)、水
幕が上がった。あぁ、あの懐かしい世界がここにある。夢のような空間が戻って来た。この数年勘三郎
と直美の芝居でそれはそれで良かったが、やっぱり柄本明が加わると面白さは飛び跳ねちゃうね。確
か腰痛持ちなのに、こんなにガンバっちゃって大丈夫かよ。芝居の間、ずっと顔は涙で濡れている。笑
い過ぎて流れた涙が、しんみりした涙に変り、かと思ったら爆笑してまた笑いの涙。おもしろうて、やが
て哀しき浅草人情の世界である。この世界にいる限り幸せは続く。舞台が終わらないでと本気で思う。
昼―2 四谷4丁目 「金吹」 太巻き、稲荷寿司、漬け物、とんぶり豆腐、鶏スープ、スモークサーモン
と野菜とチーズ、豚肉炒め、きんかんと苺、ビール、ジントニック @7千円
昨年の11月にはSイチローと今日の観劇会の相談をした。メンバーを募った。14名集まった。忙しい
人達だから、ドタキャンとかメンバー変更とかかなりあるだろうと思ったが、意外に少なく2名代役となっ
ただけだ。3時10分に芝居は終わり、タクシー数台で四谷三丁目に向かう。昔から芝居の後は、「反省
会」が行われるのだ、酒場で。観劇会参加メンバーに、別の日観劇したIマリちゃんと小S子さん、チケッ
ト手配のSイチローも加わり17名の大宴会、いや大反省会となった。代役マコちゃんは半年前再婚し
た。再婚に至った詳細に加え離婚の理由も言え!と酔っ払いは困るよね。芝居話からただの宴会に。
夜―1 四谷三丁目 「韓国家庭料理 DADA」 チャプチェ、焼き餃子、プルコギ、ビール、冷酒
@2500円
「金吹」の反省会宴会は、午後3時半から7時半まで続いた。一応ここでお開きにしたのだが、やっぱり
というメンバーは「夢子、次の店はどこだ!」なんて騒いでおる。私は用があるんだよぉ。R子に酔っ払
いオジサン達を「DADA」に連れて行って貰い、A先生とオジョーは我が家に向かった。パソコン馬胃男
君がまた調子悪いのだ。直して貰っているところにK岩到着。明日受験の娘をホテルにおいて飲みに
来たのだ。では4人で「DADA」に行こう。座敷では、ケンイチさん、Sケンちゃん、Sイチロー、Sブンち
ゃん、マキコが大声で騒いでいた。正気なのはR子だけだ。それにしてもオジサン達の話はクドイぞ!
夜―2 四谷三丁目 「カラオケ アゼリア」 ジントニック
みんなを送り出して、ようやく静かになった。じゃ、K岩とオジョーと3人でカラオケでも行くか?歌いたい
わけじゃないけど、K岩の歓迎会ね。K岩は深夜便だったし、芝居組ももう12時間経過してくたくただ。
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2月 22日(日) 晴れ
朝 家食 おふくろ中華そば、もずく酢、香港「満記」の揚枝甘露(ヤムチンガムロウ)
香港から届けられた揚枝甘露
8時まで寝ていた。ホントに昨日は疲れた。ベッドに入るとヘトヘトだった。でも楽しい疲れだからいい。
昨日の朝K岩が届けてくれた香港「満記」の揚枝甘露は未だところどころ凍っていた。中華そばを飲み
干した口に冷たく甘く美味しい!万里ちゃんは今朝英検1級の二次試験だ。高2で合格したら凄いね!
昼 四谷3丁目 「香港食堂」 醤油ビーフンセット(点心、ザーサイ、お粥、杏仁豆腐付き) 850円
それほど不味くなかった
K岩母娘が来たことで昨日からちょっとした香港熱。だからというわけでも無いが、お昼は「香港食堂」
に行く。愛想が悪い上、それほど美味しくもないのであまり行かないが。明後日の午前中には、早くもス
ーツケースを預けねばならない。明日は忙しい。ということは今日荷作りをせねばならないということだ。
珍しく集中してやったら1時間半でメドがついた。まぁ帰国したばかりでスーツケース出しっぱなしだった
から、衣類と本を入れ替え、薬とウィスキーと水を足して防虫関連グッズを入れると、ハイ、出来上がり。
次は、ブータンの写真選びだ。出かける前にプリントして送ってしまいたい。午後私は働き者になった。
夜 家食 「トロワグロ」の牡蠣フライと千切りキャベツ、人参サラダ、おふくろ中華そば、もずく酢、香港
「満記」の揚枝甘露(ヤムチンガムロウ)、黒烏龍茶
これでおふくろ中華そばもおしまい
働き者夢子は、更に新宿小田急に行ったのだ。DMや電話で「来て来て!」と催促されるので、仕方な
く洋服を買いにね。別に欲しいわけではないが。8枚買って許して貰う。SUICAが見つからないので、
それもついでに買ってチャージした。ついでに小田急デパ地下へも。中華そばも最後になった。無酒日
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【今週の振り返り】
ブータンは1907年から王国になった。東ブータンの名門出身のウゲン・ワンチュクがドゥク・ギャルポ
(雷龍王)として初代国王に即位した。3代国王ジグメ・ドルジ・ワンチュクは近代国家に向けて国際社
会への参加に積極的な姿勢を見せた。1969年万国郵便連合加盟(それが最初にやることか?)、
1971年には国連加盟も果たした。しかし、近代化政策で歩調を合わせて来たジグメ・ドルジ首相(義父
でもある)は保守勢力に暗殺され、自身もケニアのナイロビで急死。そこで弱冠16歳でブータン王国の
4代国王になったのだが、ジグメ・シンゲ・ワンチュクである。「世界最年少君主」と世界中から注目され、
女性陣からは、若い!ハンサム!素敵!と熱い眼差しを集めたのだよ。日本にも昭和天皇の大喪の
礼や皇太子の立太子の礼にも来日され、キリッとしたゴ姿の国王は鮮烈な印象を与えたものだ。因み
に日本の皇室とブータン王家は交流が厚く、87年には浩宮殿下(当時)、97年には秋篠宮殿下ご夫妻
がブータンを訪れ、2004年にはブータン王妃が来日している。
4代国王は父王の政策を受け継ぎ堅実な政策を実行する傍ら、「GNPよりGNH」を提唱したり、2004
年には禁煙国家を宣言したり(ちょっと前までは余計なことすんな!と私は怒っていたけど)とユニーク
な動きも示した。GNH(=Gross National Happiness)は経済的発展を目指す世界基準を、国民
総幸福量でも測ろうよ、という主張であり、ブータンはGNHだからね、というスローライフの考え方は世
界中に刺激を与えた。そうそう、先日聞いたところでは、世界の幸せ指数トップは南太平洋に浮ぶバヌ
アツという小さな島国だそうよ。話は戻ってブータン。4世国王は、国王統治から民主的ブータンへの脱
却を自ら図った。国王自らが民主化を宣言するって聞いたことがない。つまり、成文憲法を制定し、地
方分権を確立し、政党政治や内閣制を導入し、親政制をヤメタのだ。そして2008年に憲法の国民投票、
総選挙を実施したら自らは退位すると宣言。「げぇ!2008年になっても王様まだ52歳ですぜい?そん
なにお若いのに、国中から尊敬されているのに、なんで退位?」と国中はびっくり。ところが、ブータン
の人々がもっとタマゲたことに、4世国王は006年12月予定を繰り上げて、皇太子に譲位してしまった
のである。先週2月2週のトップの写真(右)が戴冠式の写真だよ。
10年程前まで、ブータンは鎖国に近い状態であった。だから、社会のインフラや人々の生活スタイルも
信じられない程他国とは違う。吉幾三のかつてのヒット曲に「俺ら東京さ行ぐだ」という曲(作詞作曲とも
吉幾三)があったが、何となくあんな感じ。
♪ハァ テレビも無エ ラジオも無エ 自動車もそれほど走って無エ ピアノも無エ バーも無エ
巡査毎日ぐーるぐる・・・・・・俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ 東京へ出るだ ・・・・・
銭コ貯めで 東京で馬車引くだ
2月16日に訪ねた民家には、テレビと冷蔵庫とミキサーがあった。金持ちの家だから特別なことで、冷
蔵庫などは高嶺の花だそうだ。この国は農業に携わる人々が多く自給自足が基本だ。しかし、農業機
械などはほとんど無い。だいたいあんなに狭い棚田に機械を入れるわけには行かんし。日本人の西岡
京治氏が28年間もブータン農業の近代化に尽力し、高地での稲作を実現させた。酪農も盛んでエマダ
ツィという一番ポピュラーな料理は唐辛子野菜とヤクのチーズで作られる。時代で言えば、ブータンは
昭和初期だろうか。もちろん、そんな時代を私は知らないが、何となくそんな感じがするのだ。ブータン
が目指してはいないGDPで言えば、この国は決して豊かではない。しかし人々から貧しさを感じること
は無いのである。世界を旅して来て、多くの貧しい国を見て来た。地方を捨てて大都会のスラムに住む
人達の貧しさは凄まじい。ブータンには食べられない人はいない。住む家がある。極めて質素であるが、
飢餓者やモノ乞いはいない。
4代国王は、他国の近代化の失敗に学んで、「急ぎ過ぎない近代化」を標榜していた。しかし、民主化
の道を歩み出したブータンが今後どのような近代化のスピードを採用するかはわからない。若い人々
は、ブータンの山々の向こうに物質的に豊かな快適な世界があることを知ってしまった。パンドラの箱
が開いてしまったら、ゴやキラの民族衣装を着て、GNHが大事と言っていられるのだろうか。ブータン
はガラガラと変ってゆくのか。地球温暖化はブータンの北に聳えるヒマラヤの氷河をモーレツな勢いで
溶かしている。氷河湖が全部溶けたら標高差の激しいブータンの国土は洗い流されてしまうのではな
いか。ブータンへの心配は尽きない。皆さん、21世紀の奇跡のような今のブータンに行ってみて下さい
よ。若き5代国王は、タイで熱狂的な人気を誇るのだそうだ。4代に似てハンサムだから。そして独身!
ということで、女性にオススメのブータンです。
4代も5代も王様はハンサムなんだニャア
*
旅の始まりは 2月 2週 をご覧ください。
*
帰国したばかりではありますが、25日からちょっと遠出して参ります。
老人性疲労(そんな言葉ある?)と肥満に気をつけて行って参ります。
次回の更新は、3月10日頃でしょうかね。