パクパク日記9年3月1週
中央アメリカのマヤ遺跡見学も、いよいよハイライトのティカルへ!!
ホンジュラスの少女
ティカル遺跡
3月 2日(月) ホンジュラスは昨夜から雨 曇ってグアテマラは晴れた 1Q(ケツァール)=約12円
朝 ホンジュラス・コパン 「ポサーダ・レアル」 朝食ヴュッフェ
早く料理全部出してー!
4時半起床。昨夜は風雨が激しかった。朝になっても雨が残ってシトシトと降っている。4時半に起きて
何をしているか?起きたらすぐ本を読み出す。レストランが開くのは6時だが、着替え・洗面・スーツケ
ース作りは30分もあれば出来ちゃうからヒマなのよ。6時にレストランに行ってみるとフルーツしか並ん
でいない。早くせんかい!こっちは腹ペコなんじゃ!珍しく茹で卵があった。殻は剥かれていたのだよ。
キリグア遺跡も世界遺産 「嵐の空王」が「18ウサギ王」を殺害してからステラ(石碑)が盛んに作られた
「嵐の空王」のステラ、彼はコパンの王になりたかった。ステラの側面にはマヤ文字
獣形祭壇の動物の中に王がいる
今朝も恒例7時出発。昨日来たばかりなのに、今朝にはもうホンジュラスを出てグアテマラに戻る。コ
パン遺跡も泊まったホテルも国境近くにあるから、出発して30分もしないうちに国境に着いた。昨日
「出入国税」という名称の「袖の下」を支払ったから、レシート見せればすぐ通ることが出来る。グアテマ
ラに入って暫く走ると、大きなバナナ農園地域に入った。19世紀末アメリカのユナイテッドフルーツ社が
この辺一帯に広大なプランテーションを作った。コーヒー農園もそうだったが、先住民を追い出して農園
を作り、先住民を廉価な労働力として搾取し続けたのだ。今はグアテマラ政府の所有だけどね。キリグ
ア遺跡に到着。近くに交易に便利なモダグア川を持ち、古代から発展したキリグアであったが、50キロ
離れたコパンの常に支配下にあった。しかし、絶頂期にあった13代王「18ウサギ王」をキリグアの「嵐
の空王」が捕縛して殺害したことから、この支配関係は清算されキリグアは独立したのである。独立の
喜びと自信で「嵐の空王」はせっせとステラ(石碑)を作った。ステラの中にはコロンブスが上陸するまで
マヤで一番高さを誇った石碑もある。しかしキリグアの勢いは続かず、コパンと共に衰退してゆくのだ。
昼 グアテマラ・リオ・ドゥルセ 「CATAMARAN」 黒豆スープ(お替り!)、ガーリックトースト(お替
り!)、魚(スノーク)のムニエル ライスと野菜添え、フルーツ、水 1ドル
遺跡観光を終えて、バスで1時間走ったところで舟を待つ。グアテマラで一番大きな湖・イサバル湖とカ
リブ海に注ぐドゥルセ川が交差する場所を5分位舟で移動した。何しに?お昼ご飯食べに。焼き立ての
ガーリックトーストが美味しく2枚半も食べた。熱々の黒豆スープも旨くてこれもお替り。何が目指せ10
キロ減だ!だからメインの魚は一口食べて残したよ。ドライバーと車が替わり、フローレス目指して走る。
途中で、隣国ベリーズのすぐ近くを走る。昔グアテマラの一部だったが英国に乗っ取られてしまった。女
王様の国、ジェントルマンの国なんて言われる英国も昔は海賊まがいのことをしたいた国だったのだ。
夜 フローレス 「ペテン・エスプレンデッド」 野菜スープ、パン、魚(ドラード)のフィレ ポテトと野菜添
え、ケーキ)、3点セット 12ドル
ずいぶん北まで走って来た。ペテン・イツァ湖に面したホテルに着いたのは6時前。30分でシャワーも
(シャワーしかない簡素なホテル。でも町一番の高級ホテル)洗髪も済ませて、7時から夕食。湖に面し
たアウトドアの食卓はちょっと涼し過ぎ。湖で獲れたドラードという魚料理が出た。目指せ10キロ減だ。
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3月 3日(火) フローレスは快晴!
朝 フローレス 「ペテン・エスプレンデッド」 朝食ヴュッフェ+ミニ「赤いたぬき」
♪赤いきつねと緑のたぬき
4時半起床。実は本日私は、有休休暇を取ったというか、お休みというか、パスというか、つまり観光に
行かずに勝手に過すことにしている。今日見学するセイバル遺跡に行くには、バス+船+40分の登山
と聞いて出発前に不参加を決めていた。膝が悪いから、40分の登山なんて耐えられん。そうゆうことで
一日中寝ていたっていいのに、4時半に起きちゃうのよね。一緒に朝食を摂って、皆さんをお見送りね。
午前中のお茶 フローレス 「バーガーキング」 ペプシコーラ 7Q
2泊したホテル「ペテン・エスプレンデッド」 750mの橋を渡る ホテルの前はペテン・イツァ湖
素晴らしい晴天だ。こんな日は・・・・そう、洗濯だ。洗濯が終わっても未だ7時半・・・。時間がたっぷりと
いうのも良いような困ったような、である。ペテン・イツァ湖にはフローレス島がある。長さ750mの橋で
繋がっていて、このホテルはその橋のすぐ側にあるのだ。島に渡ってみっか。暑い!バイクやトクトク三
輪車などの交通量が多くて排気もスゴイ!島をうろうろと歩いたが、特に見るべきものもなく、スゴスゴ
と戻る。あぁ暑い!橋の終点に「バーガーキング」と例の「ポヨカン」があった。汗だらだらだったので、コ
ーラを注文してごくごくと飲む。涼しい店内で絵葉書3枚書いて本読んで・・・。あら?お腹がゴロゴロ!
昼 フローレス ホテルの客室にて I岡添乗員特製おにぎり、S部さんに貰ったインスタントおにぎり、
ランチボックス、水など
水着なんか持って来なかったよ
生水を飲まない、なんて海外旅行の鉄則じゃないか!水が悪い地域では、生水だけでなく、氷も、生野
菜もカットフルーツでさえ口にしない。歯を磨くにもミネラルウォーターを使う国も結構ある。それなのに
クラッシュアイスがどっちゃり入ったコーラーをグビグビ飲んだわけだ。バーカ。お腹が痛くなったので、
ここで私のフローレス観光は終了し、ホテルに戻った。お昼は、ランチボックスもあるが、おにぎりが2つ
ある。そっちがいい。おにぎり2個食べて、はて目指せ10キロ減は可能なのか?午後は読書して泣く。
夜 フローレス 「ペテン・エスプレンデッド」 I岡添乗員特製そうめん、サラダ、ラザニア、フルーツ、3
点セット 12ドル
Hさんの奥さまは食事欠席。でもそうめんの割り当ては少ない・・・・
セイバル遺跡に行かれた皆さんは4時前に帰って来られた。雨が多い地域だからと雨具持参で行かれ
たが、お天気だったそうだ。蚊もそれほどはいず、登り坂も40分よりずっと短かったらしい。しかし、遺
跡はどうでしたと伺うと、「遺跡を発掘している日本人の先生とお会いできて良かった」という感想が返
って来た。ははーん、行かなくても良かったってことか?今夜は恒例のそうめん。そうめん好きの私とし
ては、てぐすね引いて楽しみにしているわけで。ところが、量が少なかった。私はもっと食べたかった!
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3月 4日(水) 晴れ
朝 フローレス 「ペテン・エスプレンデッド」 朝食ヴュッフェ+ミニ「カップヌードル」
5時起床。今日は朝食にミニ「カップヌードル」も食べた。地球のどこに行っても「麺好き」は引き摺って
いくのだよ。さて、今日は今回の旅行のハイライト、ティカル遺跡の見学である。張り切らざるを得んな。
世界遺産ティカルの入り口
これがティカルのマーク 入り口近くの池にはワニがおりました
マヤにとってセイバの木は重要だった
西端にあるW号神殿は高さ70m
W号神殿頂上からの眺めは緑の海
テオティワカンの影響を受けた「失われた世界」のピラミッド
ハナグマ君もいる
55mのV号神殿
2番目の高さを誇るX号神殿
僅か7,8年前はこんな状態だった 別名「大ジャガーの神殿」 T号神殿
グラン・プラザのノースアクロポリス 現地ガイドのローランドさん T号神殿と向き合うU号神殿
遺跡に向かうバスに、町のハズレで男性が乗って来た。ティカル遺跡ガイドのローランドさん。体格の
良い照英みたいだ。1時間でティカル国立公園に入る。遺跡は17キロ先にあって、ここから徐行運転
で20分程かかった。最盛期ティカルは16平方kmに3千を越す建物があったが、現在発掘されている
のは、そのわずか20%である。それでも主な建物を見て歩くのはタイヘン。最初に目指したW号神殿
に着く頃には汗びっしょり。木製の階段を登って神殿の頂上へ行く。膝が痛いので止めるつもりだった
が、何とか登った。見渡す限りジャングル、緑の海だ。その木々の上に、T号、U号、V号神殿の上部
が見える。よくもこんなジャングルに神殿都市を作ったものだ。失われた世界、7つの神殿の広場、V
号神殿をちらっと見てX号神殿と廻る。ハナグマがあちこちでちょろちょろと走っている。X号神殿横の
急な階段を皆さんは果敢に登って行かれた。私は下から撮影するカメラマン。セントラルアクロポリス
からグラン・プラザを見下ろして、ほぅ!!と感嘆な声が上がる。T号神殿、U号神殿が素晴らしい!
昼 ティカル遺跡 ビジターセンターレストラン 野菜スープ、チキンソティ、フルーツ、コーヒー、水
1ド
約4時間のティカル遺跡見学だった。登った神殿はW号だけだったが、遺跡内の道も起伏がかなりあ
って、膝はガクガク。仲良しになったSベさんが早く歩けず遅れた私に付き合ってくれ、2人でお喋り。S
べさんは昔、胃下垂でいくら食べても太らなかったって。羨ましい!お昼など1軒では足りず2軒ハシ
ゴしたこともあったって。ウラヤマシイ!!私も胃下垂になりたーい!!ランチのチキンは一口だけね。
夜 グアテマラシティ 「ヴィスタ・レアル」 シーフードサラダ、パン、魚、プリン、ハーブティ、3点セット
18ドル
3回目の部屋はジュニアスィート
ティカル遺跡からフローレス空港へ。小さな空港だ。田舎の小さな空港なのに、手荷物検査はムッチャ
厳しいのだそうだ。遺跡帰りの人が多いのに、防虫スプレーや痒み止めや日焼け止めクリームなどは
ビニール袋に入れてもダメ!ヘアピンが何でダメなのよ!そうゆうことで皆スーツケースを開けて仕舞
うことになる。そういえばグアテマラは入国する時、カメラの持ち込みにウルサイと聞いた。1台ならOK
だが、2台目からは購入価格の12%を徴集されるって。私は旅行には少なくても3台持ってゆくので隠
したんさ。アハハ。しかし、グアテマラに着いたのが真夜中だったせいか、税関では調べられなかった。
TAKA航空でグアテマラシティに戻る。ホテルは3度目になる「ヴィスタ・レアル」。3度目なのにウェル
カムドリンクのシャンパンを出してくれて笑ってしまう。ラッキーなことに部屋はジュニアスィートだった。
夕食はホテルのレストランでサヨナラパーティ。今回はご夫婦1組、一人参加男性2名、女性3名の僅
か7名。一目見れば全員いるかわかってしまうのでチョー楽チン。たった7名だが、個性の強い人々だ。
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3月 5日(木) 晴れ
朝 グアテマラシティ 「ヴィスタ・レアル」 朝食ヴュッフェ(但しコンチネンタル)
噴煙をあげるフエゴ火山
4時半に起きたが、余りに寒いのでベッドの中で本を読む。グアテマラシティは海抜1500mだから、朝
晩はとても寒いのだ。しかもこのホテル、一番高級なのに暖房が効かない。毎朝7時出発だったが、今
日は帰国する日なので、異例に遅い(?)8時半である。6時過ぎレストランに行くと一番だった。ヒマそ
うなスタッフ達が噴煙を上げているフエゴ山に見惚れていた。いつものヴュッフェだと思ったら、今日は
卵調理サービスが無い。何でさ?と若い男の子に聞くと「今日はコンチネンタルで」。簡素過ぎだぞ!!
カミナリ・フユ遺跡は市内の住宅街にある
日本企業が中心となって出資して発掘された
土の宮殿跡
グアテマラ最後の日は、グアテマラシティの半日観光。市内の住宅街にもマヤの遺跡がある。というよ
りグアテマラシティは首都として遺跡の上に拡大して行ったのである。紀元前4世紀から約千年栄えた
古代都市だが、カミナリ・フユとは「死者の丘」という意味。「土のマヤ」として知られているのだそうだ。
国立考古学民俗学博物館は充実している。グアテマラシティに行ったら必見! カミナル・フユの石碑
展示品では人間の顔に関心がある ティカルの想像模型
国立考古学民俗学博物館。素晴らしい博物館だ。ティカル、カミナリ・フユなどこれまで見学して来た古
代マヤ遺跡ごとに分かれて展示されている。遺跡に行けば、「当時の空気」を吸える気がするし、博物
館で出土品を見ると「当時のヒト」を感じる。マヤ遺跡見学ツァーの良い締め括りとなる博物館だった。
昼 グアテマラシティ 「意好酒家」 干し椎茸のスープ、鴨、豚肉と玉葱と赤ピーマンのカレー炒め、小
海老と緑野菜炒め、豚の細切りと揚げ春雨のキャベツ包み、炒飯、オレンジ
最後のランチは中華と聞いて思わず「わぁーい!」。中華好きだからねぇ。でもまぁ、グアテマラの中華
だから期待はすまい。世界中に中華料理屋はあるが旨い不味いはいろいろだから。オレンジが旨い。
午後の軽食 メキシカーナ航空 グアテマラシティ=メキシコシティ 機内食
観光と食事が早く済んでしまって、空港で3時間も待つことになった。お喋りしたり、本を読んだりね。飛
行機からグアテマラの火山などがくっきり見えて、通路側に座ったことを後悔・・・・・・。2時間後悔した。
夜 アエロメヒコ メキシコシティ=ティファナ ビジネスクラス機内食
メキシコシティ空港に午後6時過ぎ到着。行きもそうだったが、乗り換えるだけなのにメキシコに入国す
る必要がある。入国しても、滞在時間はたった3時間(行きは6時間だった)だけどね。アエロメヒコは
第2ターミナルにあり、電車で移動。空港内の移動がムッチャ複雑で、一人では決して乗り換え出来ん
なぁ。夜9時50分発の便は、ビジネス席もほぼ満席。和食の軽食は恐ろしい程不味く、ほとんど残した。
ティファナまでは国内線だから食事もアメニティもプアなのだろうか。3時間でティファナに着くと例のご
とく全員降ろされた。手荷物持ってね。午前1時だが、時差で2時間戻して午後11時。ここでメキシコ
の出国手続きをするのだが、1時間以上かかってふらふら。何とかならんのかい、この仕組み。無酒日
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3月 6日(金) 太平洋上の機内
物理的には9時間あったのだが、寝ていたし、何も食べなかったのでこの日は無かったみたい。無酒日
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3月 7日(土) 成田は晴れ
朝 アエロメヒコ メキシコシティ=ティファナ ビジネスクラス機内食
鰈の煮付けのおかずだった
結局ティファナでビジネスクラスの客は殆ど降りてしまい、成田まで行くのは私を含めて7人だった。満
員だった機内がガラガラになった。帰りは風に抵抗して飛ぶから、飛行機間は12時間半。睡眠薬を飲
んだのに、あまり効き目が無かった。日本時間4時に朝食機内食。この飛行機会社、食事はダメだね。
昼 愛住町 「北の大草原」 辛味噌ラーメン 800円、カレー味付け卵(サービス)、メンマ+100円、
コーン+100円、黒烏龍茶 100円
せっかく3キロ痩せたのに・・・
6時45分成田着。皆さんお世話になりましたー。8時半過ぎ家に着いた。早速洗濯開始。体重を計って
みたら、3キロ減!!目指した10キロには届かなかった(当たり前じゃ!10日間だろ?)が、禁煙して
からは増える一方だったから嬉しい。ヤッターマン!とVサイン(古っ!)してラーメンを食べに行った。
夜 家食 サラダそうめん、薬味、甘酢生姜、伊予かん
帰国したら即、写真の整理&パクパク作成だ。眠くて仕方ないのに。気がつくと、パソコンの前でコック
リしていたりする。眠気覚ましに夕食を作ろう。昼ラーメン食べてカロリー過多だから、そうめんにキャベ
ツやキュウリなどの千切り野菜を混ぜてボリュームを増やした。だからいつも3束以上食べるのに、今
日は2束だぜ。夕食後HDDに録画した「天地人」を見てから、午前1時半までパソコンの前。無酒日
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3月 8日(日) 曇り
朝 家食 にゅうめん、伊予かん、アロエヨーグルト
冷も温も好き、そうめん
5時に起きた。昨夜1時半に寝たのに。早起きがクセになったか?夕食をそうめんにする時は、多めに
茹で翌朝煮麺にするのが好き。酸っぱい伊予かんを食べていたらそこに宅配便。タンカンが来たよ!
昼 新宿 「中村屋」4階 「ラコンテ」 カレーバイキング 1785円
昨日から食事時間と睡眠時間以外はパソコンに向かっているので、すっかり飽きてしまった。昼前トツ
ゼン思いついた。伊勢丹のバーゲンに行こう。バーゲンの前にカレー。そうだ、中村屋の4階にカレー
バイキングをやっている「ラコンテ」があったなぁと思い出し行ってみた。カレー5種、白飯とサフランライ
ス、ドライカレー、サラダ各種、デザートと飲み物。90分1本勝負で1785円だ。90分間もカレーを食べ
続けられんってば!ご飯を十字型に盛って、4種類のカレーが混じらないよう工夫した。もりもりカレー
を食べながら、中米の旅行中「目指せ!減10キロ」運動をやっていたことをふと思い出した。反省・・。
夜 家食 鰻の蒲焼き、焼き野菜とサラダ、菜の花の胡桃和え、ネギ納豆、ご飯、味噌汁、パイナップ
ル
紀伊国屋で本をたくさん買って送って貰ったが、伊勢丹のバーゲンでは、ほんのちょっとしか買わなか
った。感心、感心。いつもそんな感じでね。昼のカレーバイキングを反省したわりに、夕食を並べてみて
「品数が多過ぎるぞ!」と思った。痩せるにはずっと中米にいるべきだよね。パクパクをアップ。無酒日
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【今週の振り返り】
中学校でも高校でも歴史の授業は古い時代から始める。旧石器時代とか 新石器時代とか 貝塚と
か、縄文時代とか、弥生時代とか、埴輪とか・・・・。西洋史でもピテカントロプス何とかとか、ペキン原人
とか チグリス・ユーフラテス川とか・・・・。この辺で歴史に興味を失って脱落する子供が続出した。私も
歴史は結構好きだったのに、古代は苦手でアクビばかりしていた。古代を悠長にやっていたツケが3学
期にやって来て、一番大事な近代や現代は「各自、教科書を読んでおくよーに!」なんてことになっち
ゃってね。日本が何をしたか、何をされたかを知らない若者達ばかりになる。いつかもこの覧に書いた
が、歴史の授業は、近代、現代をやった後で古代に戻ればいいと思うのだが。そうすれば、若い女の
子達が円高でウォンが安いと買物ツァーに韓国に行って、「えぇっー?日本が韓国に昔なんかやらかし
たっんだってぇ。聞いてないよねぇ」なんてバカ丸出しのことは言えないと思うのだけど。
閑話休題。考古学でよく知られているのは、何と言ってもインディ・ジョーンズだわね。ハリソン・フォード
扮する考古学者が、世界を舞台にスリリングな活躍をする映画も「クリスタル・スカルの王国」で5作と
なった。年老いたハリソン・フォードを見たくなくて私は映画館に足を運ばなかったが、インディ・ジョーン
ズシリーズを見て「ボクは大きくなったら考古学者になる!」と思った子供も世界には結構いると思う。
実際なったかどうかは別として。日本人では、エジプトの吉村先生。学問上のホントの手柄については
知らないが、考古学というもの世間に知らしめた功績はある。
今回の旅は、遺跡巡りの毎日であった。ただボンヤリと「中米に行こう」と思いついた私にとっては、思
いがけない遺跡巡りだった。情けないヒトです。皆さん、中米を旅するということは、「遺跡巡り」をすると
いうことですよー!旅したユカタン半島のグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスは、マヤ文明の地
域だった。メキシコ南東部とベリーズにもマヤの遺跡はある。この地域にヒトが住み始めたのは紀元前
6世紀頃だったらしい。都市によって違いはあるが、7、8世紀頃最盛期を迎え、やがて衰退していく。
マヤ人は数学にエラク強かったと聞いて、お友達にはなれんなぁと数学音痴の私は思ったものだ。彼
等は二十進法を用いて「ゼロ」の概念を発明した。そのマヤ人の子孫であるグアテマラの女性達は、民
族に伝わる織物の複雑な絵柄を図面も全く見ずに織るという。頭の中に色糸の数がすべて頭に入って
いるのだと言う。数学だけでなく、天文学にも彼等は秀でていた。ホンジュラス・コパンの神官は、7世
紀に1年の長さを365.2420日と算出した。現在我々が使っているグレゴリオ暦の一年は365.24
25日なのだそうで、わずか0.0005日しか誤差が無い。スゴイじゃないか。で、コパンの神官はマヤの
他の都市に「一年はねぇ、365.2420日だかんねぇ、みんなー、参考にしなさいよー」と伝え広めたそ
うだ。エライ!
遺跡に行くと、神殿やピラミッドは天文学に基づいて作られていることがよくわかる。右の方向から太陽
の光が差し込むのは夏至、左方向からは冬至、光りが真ん中に来るのは春分と秋分の日なんて計っ
て作ってあるのだわ。ふーむ。火星とか金星の軌道も計算していたらしいよ。マヤは暦を3つ持ってい
て、農業用暦(1周期260日のツォルキン暦と1年365日のハアブ暦)と宗教上の長期暦があった。長
期歴では、世界が始まったのは紀元前3114年8月13日なんですと。すべてこの日から数えて何日目
かってことで日付は表す・・・・。1年の正確な長さを知っていてスゴイ!と褒めたばかりだが、一方では
これだよ。年月の単位も1日=1キン、20日=1ウィナル、1年=1トゥン、20年=1カトゥン、400年=
1バクトゥンを使用した。遺跡に数多く残されているステラという石碑には、時の王が前面に彫られ、側
面にはマヤ語で世界創造の出来事などが記されているが、すべての日付は紀元前3114年から換算さ
れているのだよ。あぁ、頭痛くなるぜ。
コパンの「18ウサギ王」が、キリグアの「嵐の空王」に捕えられ殺された話は既に述べた。何たる名前
なんだ、と笑った。しかし、こんなおかしな名前は彼等だけではなかった。16人いたとされるコパン朝の
王様の名前をみても「睡蓮ジャガー王」、「月ジャガー王」、「煙空王」、「煙ジャガー王」、「煙猿王」、「煙
貝殻王」、「地平線上の太陽王」・・・。こうして並べてみると、なかなかって感じもするけどね。
マヤの暦の話に戻るが、紀元前3114年に始まった世界は、2012年の冬至付近で終わるとされている
らしい。これって終末論?それで思い出したが、流行りましたよねぇ、ノストラダムスの大予言。1999年
の7月人類は滅亡するとか何とか。あれから十年近く経った今、実際そうゆうことがなかったことを私達
は知っているが、マヤのヒトが大昔そう考えたってことだけは頭の片隅に置いておこうと思う。あと3年9
ヶ月か。それまで何キロ痩せられるだろう・・・・・。
俺さまは「カリカリ好きネコジャガー王」だニャア
*
中米の旅の始まりは 2月 4週 をご覧ください。
え?3月2週も早く作れ? エーン、私は忙しいんだよう!