パクパク日記10年3月1週

              ショパン誕生祝い音楽会の後は、ドイツのベルリンに向かった

ポーランド国立歌劇場 ベルリン大聖堂

3月 1日(月) ベルリン 曇ったり晴れたり             1zt=ズォチ=約30

朝 ワルシャワ・ソフィテル・ヴィクトリア 朝食ヴュッフェ

   このホテルの朝食はまずまず

6時起床。今日は夜のコンサートまで一日自由行動。だから寝坊してゆっくり過そうなんて思っていても

やっぱり起きてしまうなぁ。7時にレストランに行って朝食。公共バスでどこかの宮殿に行った後、買い

物するという添乗員Kさんのプランに参加する人が多いようだが、私は一人で過すつもり。部屋に帰っ

てテレビをつけると、日本と同じ815分から朝の連ドラ「ウエルかめ」をやっていた。気持ちが日本に

なったついでにマキコにメール。「あんこう肝鍋宴会いつがいい?」。即返事が来て3月8日になった。

昼 ワルシャワ 「TOKIO たんめん+おにぎりセット(稲荷寿司、漬け物付き) 28zt

  

         クローズしているショパン博物館      町中に貼られた特別コンサートのポスター           和食レストランTOKIO

  

ポーランドの冬は寒いと聞いていた。チョー暖かな長いコートを着てきたのに、それでは暑いんである。

脱いで持って歩くのも邪魔なので、上着を着ただけでコート無しで出かけた。これでは東京より薄着じゃ

んよ。風が強くて、ちょっと寒いが、歩いているうちにちょうど良くなる。前回来た時もワルシャワを一人

で歩き回ったから、土地鑑はある。地元民のような顔して歩く。「地元民のつもり」ってことだけだが。現

在修復中のショパン博物館の前を通りかかると、本日要人が来るらしく車両通行止めにしての厳戒体

制を敷いていた。小さなスーパーに2つ程入ってみたが、欲しいものは無い。そのうち空腹を覚え、日

本食のレストランでランチ。寿司が主力のようだが、中華麺もあるじゃないの!いいねぇ。じゃ、たんめ

んとおにぎりのセットね。おまけのようについて来たお稲荷さんが旨い!たんめんも豚肉がどっさり入っ

ていて、スープの味も良かった。ホテルに帰って、「ゴールデンスランバー」読了。実に面白かったそ!

夜 ワルシャワ 「POD RETMANEM」 トマトとモッツァレラチーズの前菜、サーモンのグリル ポテ

トとサラダ添え、アイスクリーム

  

  

        国立歌劇場の前には白馬の馬車。ホワイエにはドレス姿の女性達・・・・200年前のワルシャワの再現だ

   

          200年18歳で優勝した中国のユンディ・リ             アジア人初の優勝者ダン・タイ・ソン     最後を飾ったギャリック・オールソン

5時半ホテルロビーで集合して、いつものように早い夕食を摂る。酒も飲まず、急いで食べるので美味

しいとは思えずもったいない。今晩はいよいよ8日間の特別コンサート最終日。会場も今までの国立フ

ィルハーモニーコンサートホールから国立オペラ歌劇場に移してのガラコンサートである。雪がチラチラ

と舞う歌劇場に着くと、200年前の音楽会の雰囲気を出そうという演出だろうか、劇場前には白馬2

立ての馬車がいるし、ロビーにはロングドレス姿の女性、夜会服姿の青年などがいたりで華やかねぇ。

大きな会場で、席は昨日、一昨日に比べればずっと後方だ。今晩は3人のピアニストが出演する。いず

れもショパンコンクールの優勝者だ。先ずは中国人のユンディ・リ。10年前の優勝者だが、18歳だった

から未だ28歳だ。ノクターン3曲、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ。顔も繊細、音も

繊細・・・美しい・・・・。舞台転換はオートマチックで。フランス・ブリュッヘン率いる古楽器小編成の18

紀オーケストラをバックに、初のアジア人優勝者ダン・タイ・ソン(ベトナム)がピアノ協奏曲2番を弾いた。

ダン・タイ・ソンは1980年第10回大会の優勝者だが、達者なピアニストである。ここまでの2人はアン

コール無しで、淡々とプログラムが進行する。トリを務めるのは、アメリカ人ギャリック・オールソンがア

ントニ・ヴィト指揮国立ポーランドフィルをバックに1番を弾いた。1948年生まれではあるが、オールソン

の音は若々しく、透明感もある。いいなぁ。そして彼はアンコールを3曲も弾いてくれた。ブラボー!それ

にしても、今晩の観客の態度はどうよ。演奏中遠慮なく咳をする、咳ばらいもする、物を床に落とす、途

中で靴音高く出て行く、喋る・・・・モラルの低さにガックリした。しかし、私の隣席(同じグループ)の女性

も最初から最後までぐっすりお休みで・・・・。これにてショパンコンサートはすべて終った。愉しかった!  

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3月 2日(火) ワルシャワもベルリンも曇り               1ユーロ=約125円

朝 ワルシャワ・ソフィテル・ヴィクトリア 朝食ヴュッフェ

昨夜部屋に帰って冷蔵庫のビールを2本と持参したウィスキーを飲んで気持ち良く寝た。然るに3時半

目が覚めると、それっきり眠れなくなってしまった。今日は30年前に亡くなった母の誕生日だなぁ、生き

ていれば97歳かぁ、なんて考えながらね。5時には起きてシャワーを浴び、6時半一番に朝食を摂る。

昼 特急列車にて 幕の内弁当

  

     ワルシャワとベルリン間を6時間弱で走る特急               日本食の弁当を食べた           やっとベルリン駅に到着

10時半、4泊したホテルをチェックアウトする。ポーランドの通貨ズォチが余っているので、ホテルの売

店で日経新聞を買うと、なんと22,5ズォチもした。675円であるぞ!それでも余ったので、毎晩遅くまで

運転してくれたバスの運転手さんにチップとして受け取って貰った。ワルシャワ中央駅に向かい、11

半過ぎのワルシャワとベルリンを結ぶ特急電車に乗り込む。1等車で6人用コンパートメント席である。

ご夫婦2組とTさんと一緒だ。配られた和食弁当を早速食べ始める。3時半から起きているし、7時に

は朝食も食べ終わったから腹ペコ。揚げ物が多いが、なかなか美味しい弁当だった。車窓から見える

景色は変り映えがしないが揺れない列車だ。6時間弱かかって午後516分ベルリン中央駅に着く。

夜 ドイツ・ベルリン・ラディソン・ブルー 「Heat」 トマトのクリームスープ、パンとナン、ビーフのスライ

ス ペッパーソース、チョコレートムース、ドラフトビール大 5ユーロ、白ワイン 10ユーロ、赤ワイ

ン 9ユーロ×2杯

  

  

ベルリン大聖堂の隣に位置するラディソンホテルにチェックイン。ロビーに巨大な水槽があり、魚がうよ

うよ泳いでいる。入り口は外になるが、水族館で入場料は11、5ユーロだそうだ。有名ホテル跡に建て

替えられた所謂デザイナーズホテルで、居住性には大いに疑問がありそうな印象だ。7時半からホテ

ルレストランで夕食。この旅行5日目にして、夕食時初めて酒を飲む。ま、今までだって飲んでもよかっ

たのだが、コンサート前に酔うのはねぇ、抵抗あるし。久々だからって、生ビールは大ジョッキ、白ワイン

はボトルを3人で、赤ワインも2杯って多過ぎませんか、夢子さん?いいんだよ、これくらい!ひっく!

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3月 3日(水) 曇り一時吹雪 午後晴れ

朝 ベルリン・ラディソン・ブルー 「Heat」 朝食ヴュッフェ

  

7時起床。ほら、昨夜あんなに飲むからネボーするんだよ!トホホ。そんなことで、6時からオープンす

る朝食ヴュッフェには740分に行った。シャワー浴びて、髪を洗って乾かしてからだから、私って素

早いっしょ?いかにもドイツらしい朝食が並んでいる。トーストにたっぷりマスタードを塗って色々挟む。

  

 これが東西ドイツ統合の象徴ブランデンブルグ門    この髭のおっさんが世界を変えた     東西を隔てていたベルリンの壁

9時からバスに乗り、ベルリンの町を観光。現在ではパリの9倍の大ベルリンに拡大したが、城壁に囲

まれていた時代は小さな町だった。ブランデンブルグ門は18箇所あった城門の1つではあったが、ベ

ルリンの正門とも言え唯一残った門だ。ヒットラーの時代、ベルリンの人口は430万人いたが、今は

350万。ドイツの出生率は1、34人で日本より低く、人口は減っていると聞く。ブランデンブルグ門は

1989年「ベルリンの壁崩壊」の象徴として世界に報道され続けた。当時共産圏だった東欧圏で自由化

への気運が高まっている中、東ドイツでは西側への旅行許可に関する緩和法案通過を発表する際、誤

ってベルリンの壁を含めすべての国境通過点から出国が認められる、と発表してしまい、東ドイツ市民

が国境に殺到した、というのがあの壁事件のキッカケだったのだよ。東ドイツ市民が国境を越えて自由

な西側で真っ先に買ったのはバナナだったんですってね。東では3倍の値段で贅沢品だったらしいよ。

  

        ペルガモン博物館ゼウス祭壇から見る                 ミレトスの市場門             バビロニアのイシュタール門

   

               「イシュタール門」の青いタイル                   紀元前560年頃の「行列通り」

   

                シュプレー川中州にはペルガモン博物館始め5つの博物館・美術館が集まっていて「博物館の島」と呼ばれる

ゆっくりバスを走らせてベルリンの町を一通り見学した後、博物館の島に行く。ここは旧ナショナルギャ

ラリー、旧博物館、新博物館など5つの博物館・美術館が集中する場所。その中のペルガモン博物館

を見学する。今はトルコのベルガマである古代ギリシャ時代の小アジア・ペルガモンで発掘された「ゼウ

スの大聖壇」(紀元前180160年)や「ミレトスの市場門」、バビロニアの「イシュタール門」、さらに「行

列通り」(紀元前560年頃)など巨大な遺跡がそのままに展示されている。ちょっとレベルが違い過ぎる

が、徳島鳴門の「大塚美術館」のシスティーナ・ホールやスクロヴェーニ礼拝堂の立体展示はこれをヒ

ントに作ったのかな、なんて思ったさ。ベルリンに来られる方ここは必見だよ。でも、ドイツにあるべき?

昼 ベルリン ベトナム料理 「Shi―Mai」 タイ風レッドカレー 8,92ユーロ、ダイエットコーク 188

ユーロ

    

1時過ぎホテル前で解散となる。皆さんは添乗員Kさんとランチに行かれたが、私は一人麺を求めて

別行動。中華料理が良かったのだが、お店を見つけることが出来なかったのでベトナム料理で妥協す

る。しかも食べたのはタイカレーなのさ。ドイツのベトナム料理屋でタイカレーを食べる日本人ってわけ

ね。アハハ。期待していなかったのだが結構美味しくて完食したぞ。午後から雲が切れて太陽が顔を

出して素晴らしい晴天となった。午前中激しい雪が降り、風も強かったから一時吹雪のようだったが。

ホテル隣にあるベルリン大聖堂に入場してみたり、博物館島を散歩して、一人ベルリン観光実行した。

 ベルリン・ラディソン・ブルー客室にて ルームサービス クラブハウスサンドイッチ、コーヒー

    コンサート組はルームサービスの軽食  

夜、15人中8人がベルリンフィル本拠地のフィルハーモニーで8時から始まるクラッシックコンサートに

行く。いろいろあって645分タクシーで出発することになり、夕食はルームサービスのクラブハウス

サンドイッチとコーヒー。ポテトフライがどっさり。完食したら、ドイツ人のようにでっかくなりそうで残す。

  

             これがベルリンフィル本拠地フィルハーモニーであるぞ!            ホテルに帰って一人でカンパーイ!

ポツダム広場にあるフィルハーモニーまで3台のタクシーに分乗した。一緒に乗ったT村さんは「あら、

お財布忘れて来たわ。あなた払っておいて。え?要らない?あ、そう」って。帰りも同様だった。で、翌日

になってもお礼のひと言も言わないのだった。こんな人もいるんだね。ま、それはともかく、コンサートの

話だった。アメリカで活躍するジェームズ・レヴァインがベルリン州立歌劇場管弦楽団を振るというので

申し込んだ。曲目はマーラーの交響曲第3番。6楽章まであって演奏時間は100分。演奏時間の長さ

でギネスブックに載った曲だ。フィルハーモニーは、クラッシック音楽が好きな人なら憧れのホールだ。

なんと言ってもベルリンフィルの本拠地だからね。フルトヴェングラーやカラヤンなど大指揮者が率いた

世界ナンバー1を誇ったオケだ。8時演奏会開始。あら?あらら?ジェームズ・レヴァインが出て来るハ

ズだったのに、違う人だよ・・・・ゲゲゲ、あれは3日前ワルシャワでピアノコンサートをやったバレンボイ

ムじゃありませんか!ま、ベルリン州立管弦楽団は彼のオケではあるが・・・。演奏が始まった。1楽章

だけで30分はあるんじゃないかと思う長い楽章。今日のオケは、ベースだけで9本、パーカッションも7

名という大編成でその上、50名の女性合唱団、40名の少年少女合唱団が舞台上で控えている。5楽

章になると、登場したアルト歌手と合唱団も加わって更に大音響となる。私は結構マーラー好きだから

喜んで聞いてたよ。今晩も日本人客多かったが、2列隣の着物姿のオバちゃんは演奏中イビキかきな

がらずっと寝ていて周囲から呆れられていた。 演奏は素晴らしかったが、指揮者どうして変わった?             

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3月 4日(木) 晴れ 午後から小雪

朝 ベルリン・ラディソン・ブルー 「Heat」 朝食ヴュッフェ

  

    レストランの隣はベルリン大聖堂だよ!

4時半起床。こんなに早起きばかりしていても困るんだよね。ゆっくりとシャワーを浴び、髪を洗っても時

間はたっぷり残っていて。もちろん、朝食までに髪は自然に乾いたさ。6時1番にレストランに行き、朝

食を食べる。隣のベルリン大聖堂がよく見える席に座ると、外は薄っすらと雪が積っていた。モリモリ!

  

        文化フォーラムにある絵画館           フェルメールの「紳士とワインを飲む女」 右は「真珠の首飾りの女」

  

                   「コロナ」の聖母」  ラファエロさん、大――――好き!       ピーテル・ブリューゲルの「ネーデルランドの諺」

今日も一日自由行動。いつもなら一人でぶらぶらする私だが、添乗員Kさんプランは絵画館見学とい

うので参加することにした。公共のバスで行くから3回乗るとお得な一日乗車券を買って貰った。200

というバスに乗れば、昨夜行ったフィルハーモニー前まで行く。絵画館はそのすぐ傍だ。バスは安いが

なかなか来ない。待っている間の風が冷たいぞ。日本人男性ガイドのYさんが案内してくれたが、話が

クドイので勝手に観ることにした。分割収蔵されていた美術品は東西ドイツ統合により、絵画館に収蔵

されることになった。ポーランドから奪略したものもあれば、ソ連に略奪されて戻って来ないものもあっ

た。ルーベンス、レンブラント、フェルメール、ラフェエロ、ブリューゲルなど著名な作品もゆっくり鑑賞。

昼 ベルリン・KaDeWe「Le Buffet」 アラビアータパスタ 9,95ユーロ、カレースープ 4,8ユーロ、

ダイエットコーク 2,7ユーロ

  

  

      カイザー・ヴェルヘルム記念教会               白熊クヌートがいる動物園             「菩提樹の下」ウンター・デン・リンデン通り

再び公共バスに乗ってクーダム通りに行く。1943年爆破されたカイザー・ヴェルヘルム教会は、戦争

の悲惨さを次代に伝えようとそのままの姿で遺されている。日本の広島原爆ドームのような存在なの

かもしれない。暫らく歩くと、ベルリン動物園。こんな町の真ん中、繁華街にあるんですかぁ。白熊のク

ヌートに会いたい!とずっと思っていたが、ベルリン市民にあれほど人気だったクヌートも、大きくなって

しまって人気が落ちたのだとか。会いに行くのは断念した。カーデーヴェー(KaDeWe)とは、ドイツ最

大級の老舗デパート。その最上階にあるカフェテリア形式のレストランに行く。具を自分で選んで調理し

て貰うパスタを食べた。日本なら食料品は「デパ地下」がフツーだが、ここは上階の6階にあるのよね。

夜 ベルリン・ラディソン・ブルー 「Heat」 ミックスサラダ、パンとナン、白身魚 ポテト添え、アップル

パイ 場に荒アイスクリーム添え、ドラフトビール大 5ユーロ、白ワイン(サービス)、赤ワイン 4

ユーロ×2杯

  

カーデーヴェーではゾーリンゲンの刃物を買った。それだけ。Tさんとタクシーで帰る時、ベルリンの町

にはまた雪が舞って来た。こんな天気を繰り返しながら、きっと春になって行くのだろうね。今回最後の

夕食はホテルで。関西から参加されたI上さんは、ベルギーに留学されているお嬢さんが会いに来られ

て一緒に食事をされている。最後の夜は旅行会社から1杯サービスされる。じゃ、白ワインくださいね。

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3月 5日(金) 晴れ

朝 ベルリン・ラディソン・ブルー 「Heat」 朝食ヴュッフェ

    毎朝挟む「ハサミ夢子」です

最後の朝は6時半に起きた。10時半出発だから焦ることは無い。何でもトーストに挟んで食べちゃう私

であるが、今朝なんて目一杯挟んだよ。食べにくくってさ。アハハ。今回は、ワルシャワ4泊、ベルリン3

泊だったから、パッキングも2回ぽっきり。チョー楽チンな海外旅であった。ベルリンの町も見納めね。

昼 ルフトハンザ航空 ベルリン=ミュンヘン ビジネスクラス軽食機内食

行きはフランクフルトからワルシャワに飛んだが、帰りはミュンヘン経由。13時過ぎに出発した機内で

は、ビジネスクラスだけ鶏の餌のようなサラダの軽食が出た。これじゃあ腹空きさん解消できません!

夜 ルフトハンザ航空 ミュンヘン=成田 ビジネスクラス機内食

1時間ちょっとでミュンヘン着。4時ちょっと前の成田行き。行きも帰りも混んでおるなぁ。ビジネス席もほ

ぼ満席だよ。早速、日本の新聞をムサボリ読む。日経、朝日、読売、毎日・・・それが終わったら週刊誌

だ。そうそう、お腹も減っているし、喉も渇いているのよ。ジントニック早く作って!はい、お替り下さい!

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3月 6日(土) 東京は降ったり止んだり

朝 ルフトハンザ航空 ミュンヘン=成田 ビジネスクラス機内食

11時間のフライト、時差8時間あるから、成田には午前11時過ぎに到着した。天気はあまりよくな

い。スーツケースもすぐ出て来たから、タクシーにさっと乗って、あっという間に帰宅した。しかし・・・留

守中に新潟の叔父(叔母の連れ合いであるが)が亡くなり、葬儀も終わったと知り、疲れがどっと出た。

昼 無し

義理の叔父逝去の件、長兄に連絡がつかなかったり、たまったメールの中に、京都の大好きなカレー

レストラン「プティ・ムッシュー」が3月末で閉店します、というメールがあったりで、食欲が出ないのだ。

夜 荒木町「おく谷」 お通し、能登のもずく酢 450円、新物天豆 650円、豆鯵のから揚げ 600円、

       カレー大根 500円、ゴーヤチャンプルー 600円、塩辛炒飯 800円、漬け物、生ビール 550円、

       冷酒 「浦霞」 600円×3合 お土産入れて@8400円

  

  

疲れてもいるし、意気消沈もして結局夕食を作る気持ちは全く無くなった。どこかで美味しいものを食べ

させて貰おう。どこに行くか・・・「おく谷」。天豆、もう新物出たの?野菜の季節感なくなったね。豆鯵の

唐揚げ旨いなぁ。やっぱり料理は日本!留守中に届いていた連句の作品集を1部持って行き、読みな

がら飲んでいたら、「それ何ですか?読ませてください」ということで差し上げた。そこでご主人が何と言

ったか。「この宗匠という方、私知っているような・・・。というか弟さんのお店で働いていたことあるんで

すよ」。ゲゲェッ!その店なら私も行っていましたよー!この前はH本アヤ&イト姉妹を知っているとい

う話であったし、世の中まっことコンマイぜよ!今夜もまた〆は塩辛炒飯を頼んで堪能した。ご馳走様。

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3月 7日(日) 雨

朝 家食 無し!  

昼 愛住町 「峨眉山」 麻辣湯麺(杏仁豆腐付き) 900円

    これこれ、麻辣湯麺!

目覚めたら、10時だった。寝たのは午前2時だったから8時間寝たことになる。これで良いのだ。いつ

もホント眠り浅いし、睡眠時間短いしね。朝抜いたから、腹ペコである。「峨眉山」の前まで行ってメニュ

ーを見たら麻辣湯麺とあった。これはこの店で最強の辛くて痺れる汁緬だ。もちろん汁全部飲み干す。

夜 家食 「おく谷」の塩辛炒飯、わかさの塩焼き、ポテトサラダとトマト、もずく酢、味噌汁、でこぽん、

ヘルシア茶

  

夕方、ポテトサラダなど作る。マヨネーズどっさりはダイエットの敵(あんたいつからダイエットやってる

のよ!)だから、ヨーグルトをたくさん入れる。魚のわかさに塩を振って焼く。味噌汁を作る。ご飯は昨日

「おく谷」の塩辛炒飯があるから炊かない。いただきまーす。うんなかなか。メキシコ後編作成。無酒日

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【今週の振り返り】

大学時代、同じ音楽クラブに入っていた友人にN川さんがいた。こけし人形そっくりの顔立ちで、抜ける

ような真っ白な肌をしていた。そのN川さんは、卒業後どういう経緯だったか忘れてしまったが、国連に

就職してニューヨークで働いていた。数年後、国連を辞めて帰国することになり、どうせ帰るならヨーロ

ッパのあちこち旅行して帰ろうと思いつく。その道草のんびり欧州旅行で、N川さんはドイツ人の青年と

出会う。互いに何だか離れがたく思い、結局二人は結婚することに!ドイツ人の青年は歯医者の卵で

N川さんはドイツの歯医者夫人に納まった。

結婚して1,2年経った頃だろうか、N川さんは里帰りして中野のご実家に暫らく滞在された。大学時代

の友人数人と訪ねて、ドイツでの暮らし、ドイツ人との暮らしなどをいろいろ質問した。彼女が説明する

には、こんな暮らしぶりであった。ドイツ主婦の食事の支度は・・・買物に行く→肉屋のショーケースの

前で考える。今夜のハムとソーセージはどれがいいかしら?数種選んで買う→チーズ屋に行ってショー

ケースの前で考える。今夜のチーズはどれがいいかしら?数種選んで買う→パン屋に行きショーケー

スの前で考える。今夜のパンはどれがいいかしら?数種選んで買う→家に帰って、サラダと共に食卓

に並べる。以上おしまい!なんだそうだ。温かい料理は、日曜日の昼食だけで、あとはこうした冷たい

食事を繰り返すのだ、と。これは1970年代の話だし、ドイツのどの地方の話か失念したので、今とは随

分違うのかもしれないが。楽チンでいいねぇ、と言ったものの、そんな食生活ではゼッタイイヤだ、と思

ったこともよく覚えている。1979年、一人でドイツを旅した私は固いパンと冷たい料理ばかりに飽いて、

当時はビンボーだったがフンパツしてキッコーマン経営の「大都会」に行って日本料理屋を食べておお

いに溜飲を下げたものだった。今回チョー久々にドイツに行ったのに、真っ先にこんなことを思い出すと

ころが、私らしいのかもしれないね。エヘヘヘ。

ベルリンには今回初めて行った。1949年ドイツが東西に分裂してから1990年再統一されるまで、ベル

リンの東部は東ドイツの首都であった。西ドイツはボンを首都にしていたが、統一を機会にベルリンは

91年からドイツ連邦共和国の首都として機能始めた。「ベルリンの壁崩壊」が1989年だから、去年の

11月で20年経ったことになる。ドミノ倒しのように、東側諸国が全体主義を嫌い、社会主義を捨て、国

のありようを次々と大転換して行く様子を、働き盛りの私は激務の合間にチラチラとテレビの映像で見

ていた。走って生きている時代、テレビをチラチラ見ただけだから、その時起っている本当の意味をちゃ

んと理解していたとは到底思えない。大好きなスパイ小説の舞台が減るなぁなんてぼんやり思っては

いたが。今考えてみれば、自分がヨイヨイになる前シャンと生きている間、リアルな歴史的大事件に遭

遇しながら、目の片隅でしか捕らえていなかったことに後悔しきりである。実にもったいない。考えてみ

れば、私の大学時代の専攻は歴史(授業にはあまりお邪魔しませんでしたが)だったではないか。惜し

いことをしたのだよ。わかっている?

でも、20年前のベルリンだけではないのだ。今だって、世界はどんどんと変容し、歴史はどんどん作ら

れている。今、史学科出身を活かさない手はないじゃないの、夢子さん!うん、まあね、それはわかっ

ているんだけど・・・・ね。

         歴史は夜作られるってホントかニャア    知らん!

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      ワルシャワ・ベルリンの旅の最初は 24 をご覧ください。

未だ1週遅れですなぁ。知っとるわい! そのうち何とかするわい!