ローカーボパクパク日記10年11月1週

      モナコ公国、コート・ダジュール、♪秋〜のリビーエラ、コモ湖、そしてヴェネツィア・・・・

亡きグレース王妃 王妃のお墓

11月 1日(月) 東京は午前中雨 午後晴れ(らしい) ニースは夜でわからん

第1食 自宅にて プロティン@、A              

6時半起床。昨夜から雨がずっとバシャバシャと降っている。プチ断食3日はやるべきなのだろうが、国

際線の機内でプロティンをゴクゴク飲むのも無粋。今朝までとした。体内の糖を完全に抜くために、4月

は1週間やった(ドクターにやらされた・涙)時は、全く空腹を感じなかったのに、今回はひもじくてひもじ

くて。家の中をざっと丸く掃除機かけ、トイレ掃除、ゴミ捨て、植物の水遣りで家事終了。さて、出発だ。

第2食 成田空港 「エアフランスラウンジ」 持参の低糖ファリーヌ 2個、ヨーグルト、紅茶

    2日半ぶりの個型食!嬉しい!

「忘れ物は無いね?」「無い!」と自問自答して9時半家を出る。四谷3丁目交差点の写真屋まで来て

思い出す。「あっ、カメラ忘れた!」。一眼レフカメラを忘れて来た。何てこった。おいおい、大丈夫かい。

取りに戻った。新宿西口からリムジンバスに乗ったが、道はとても空いていて80分で第一ターミナルに

着いた。しかも集合時間を間違って覚えていて1時間以上早く着いてしまって。ANAのダイヤモンド会

員用のセキュリティ入り口が閉鎖されていた。ラウンジで2日半ぶりの個型食を食べる。噛むっていい。

第3食 KLMオランダ航空ビジネスクラス機内食

  

これまでアムステルダムに行く時はJALに乗ったが、JALはアムステルダム線を廃止しちゃったんだ

よね。で、KLMオランダ航空。もしかして初めてかなぁ、乗るの。2階席で隣は誰も来ないな。よしよし。

第4食 KLMオランダ航空ビジネスクラス機内食

プチ絶食中は、もちろん酒も飲まなかった。だから3日ぶりのアルコール。つい嬉しくてビールに赤ワイ

ンをグビグビ飲み、ちょいと寝たら二日酔い状態。バーカ!よって2食目はほとんど食べなかったのだ。

11時間のフライトでアムステルダムのスキポール空港着。ここでニース行きに乗り換える。ここで最初

の事件発生!あるご夫婦の奥さんのパスポートが無いんですわぁ。ってことで、オランダに入国できず

早くも2人離団。前回の旅も、最初に着いたシドニーの空港で1名行方不明になったしね。ニースから

バスに乗り、45分でモナコ公国のホテルに到着。今日は24+8=32時間の長い長い一日であったな。

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11月 2日(火) モナコは曇り 時々小雨         1ユーロ=約115円

朝 モナコ・フェアモンテモンテカルロ 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

    それほど旨くもない・・・

昨夜はヘトヘトに疲れて1時半にベッドに入ったのに、何と隣室でエレキギターを弾いて騒ぎ始めたの

だよ。ウルサイ!静かにしろ!壁がガンガン叩いて抗議するも向こうは大音響で騒いでいるからね、聞

こえないんだわ。そんな状態が4時前まで続いたら眠気が飛んで朝まで一睡もせず!シャワーを浴び

て髪を洗い朝食へ。オムレツを焼いて貰ったが、焼き過ぎでたいして旨くない。食後、隣室の客に「騒ぐ

な」と言ってよ、と交渉して貰う。え、出来ない、何で?5ッ星ホテルで1階にはカジノもある。そして何よ

りもF1モナコグランプリコースでヘアピンカーブの難所「ローズ・ヘアピン」が真ん前という立地なのだ。

 

                 グラン・カジノ前の美しい公園        1956年のレニエ3世とグレースの結婚式       5年前亡くなった前大公とご一家 

小雨がパラつく中9時半観光開始。バス?いえ、ホテルのエレベーターで7階へ。そこから外に出ると

グラン・カジノはすぐそこ。1878年にパリのオペラ座を設計したシャルル・ガルニエが設計して完成した

カジノ・ド・モンテカルロ。夜カジノに行く人は、パスコート持参の上、入場料を10ユーロ支払い、正装で

お願いしますね。この建物の中にはパリオペラハウスそっくり(でも小さい!)のオペラハウスもあって、

ここで團十郎&海老蔵も公演を行った。右隣にはこれもベルエポック調のオテル・ド・パリがある。旧市

街からオモチャのようなアズール・エクスプレスに乗って、モナコの名所を見物する。世界で2番目に小

さな国だからあっという間に回ってしまえる。教会も昼休みがあるというので、大聖堂に急ぐ。1956年レ

ニエ3世とグレース・ケリーが結婚式を挙げたのもここなら、お二人始め歴代君主のお墓もここにある。

大公宮殿の前で1155分から衛兵交代式があった。小さな国だからそれもコジンマリとしているよ。

昼 モナコ 「FREDYS」 ニース風サラダ、ポークソティマッシュルームソース、モッツァレラチーズ

(皆さんはプリンのチョコソース)、持参のふすまパン、紅茶 3.5ユーロ

昼食前のフリータイムで、公室ご用達のチョコレート屋「ショコラトリー・ド・モナコ」に皆さん行かれたが、

私は行かない。切手や絵葉書買ったり、写真を撮っていた。モナコで最初の食事は、旧市街のレストラ

ンで。イタリア人経営の店でヤタラと接客が賑やか。味はフツーだったが。私だけデザートはチーズさ。

夜 モナコ 「BISTRO QUET」 野菜のスープ、鱒のフィレバジルソース、フルーツタルト、持参のふ

すまパン、ビール5ユーロ、白ワイン6ユーロ、赤ワイン6ユーロ

3時から夕食までフリータイムだった。買い物に行く人、カジノ見学に行く人、カフェに行く人いろいろだ

ったが私は部屋でNHK海外見ながらうとうと舟を漕いでいた。何せ昨夜一睡もしていないし。夕食は

ライトアップされたグラン・カジノの前を通ってビストロへ。鱒のフィレは人気なかった。3点セット旨し。

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11月 3日(水) 晴れ

朝 モナコ・フェアモンテモンテカルロ 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

5時半起床。2日半ぶりでよく眠れた。シャワーを浴びてから、レストランで朝食を摂っていると、目の前

の地中海から太陽が昇って来た。眩しいぞ。目玉焼きが焦げていて、エラク不味かった。部屋に帰って

歯を磨いていると、NHK海外放送で連ドラの「てっぱん」が始まった。いいねぇ、モナコで「てっぱん」!  

    今日はコート・ダジュール観光

  

            ルノワールの家「レ・コレット」      広大な庭園にはオリーブの木がいっぱい       お洒落な街ヴァンス 

今日はフランスのコート・ダジュールの観光に出かける。コート・ダジュールとは「紺碧海岸」という意味

だ。フランスに行くと言っても、このモナコは全部フランスに囲まれていて、ホテルの部屋から見ている

景色も半分以上はフランスなんだけどね。だからバスに乗ってもすぐ「フランスに入国」ということになる。

一昨日アムステルダムでパスポートを紛失して足止めされたご夫婦が昨夜一日遅れで追い付き、合流

された。西に進んで1時間もしないうちにカーニュ・シュル・メールに到着。ルノワールが晩年過した「レ・

コレット」の愛称がある家に行く。リューマチのため医者から勧められ1907年から78歳で亡くなるまで

12年間を過した。広大な庭からグリマルディ城が見渡せ、オリーブの木がいっぱいあった。カーニュ

から暫らく内陸に走ったヴァンスは、シャガールが5年間住んだ高台の街だ。旧市街の大聖堂には、シ

ャガールの「モーゼの発見」のモザイク画が何げなく飾ってあった。この街、何だかとっても好きだなぁ。

 フランス・ヴァンス 「LA REGENCE」 トマトとモッツァレラチーズ、煮込みビーフと(ペンネ)、持

参のふすまパン、ヨーグルト、紅茶 3ユーロ

  

  

       マティスの集大成のロザリオ礼拝堂           ニースにあるマティス美術館         コート・ダジュールの夕陽

昼食はヴァンスの街で。サラダもメイン料理も盛りがたっぷりで、レストランの女性もエラク愛想がいい。

フランスっぽく無いじゃん?デザートはバカでかいヨーグルトに各種甘いものをかけるのだ。私はプレー

ンで十分だよ。昼食後、ヴァンス郊外のロザリオ礼拝堂へ。アンリ・マティスが1948年から3年間をか

けて渾身の創作エネルギーを注いだ礼拝堂である。とても小さな、そして南仏らしい明るい礼拝堂には

マティスが選び抜いた緑と黄色と青のステンドグラスから柔らかな光りが射していた。最後にニースに

あるマティス美術館を見学する。マティスは1954113日に亡くなった。そう、56年前の今日!!

 モナコ・フェアモンテモンテカルロ  プリンセスメニュー(モナコ郷土料理の前菜、舌平目のアーモ

      ンド添え、持参のふすまパン、桃(のタルト)、シャンパン(ホテルからのサービス)、モナコビール

      7,5ユーロ、白ワイン11ユーロ、赤ワイン12ユーロ

  

  

ニースの「英国人の散歩道」をちょいと歩いてからまたモナコ公国に戻って来た。南仏プロヴァンスとか

コート・ダジュールとかの言葉から来るイメージで考えると意外かもしれないが、ニースは北海道の網

走と緯度が同じなんだよ。夕食は宿泊しているホテルのレストランで、グレース王妃をイメージしたプリ

ンセスメニューを頂く。食事の前に自己紹介タイムがあった。今回参加した旅行会社はご夫婦が多い

のが特徴で、夫婦6組、女性友人同士2組、女性一人参加2名、合計18名、東京からの参加は6

だった。料理はたいして美味しくは無かった。仲良くして頂いているY崎さんが今日、83歳になられると

いうA野さんご主人が明日お誕生日ということで♪ハッピーバースディーを歌う。おめでとうござんす。

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11月 4日(木) 晴れ

朝 モナコ・フェアモンテモンテカルロ 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

今日も早起き。朝焼けと日の出がとても美しかった。3泊したモナコとお別れして、イタリアに向かうのだ

が、今日から旅行会社が所有しているスーパーリラックスカーを利用する。モナコはフランスに囲まれ

ているが、イタリア国境とも近い。だから、バスが走り出すとすぐフランスとなり、イタリアにもほどなく入

るハズだったのだが、高速道路のトンネル内で事故渋滞のためストップ。ゲゲゲ、こんなところで?25

分で再度走り始めてホッとする。イタリアに入る。右手下の方にはリビエラ海岸。おっ、サンレモの町。

あぁ懐かしいなぁ。サンレモ音楽祭だよ!♪ラ〜ララララ〜アルディラ・・・。伊東ゆかりも出演したよね。

昼 イタリア・ジェノバ 「PUNTA VAGNO サラダ(皆さんはスパゲティジェノベーゼ)、イカのポテト

煮、持参のふすまパン、ジェラート、紅茶 2ユーロ

  

ジェノバに到着。そうそう、スパゲティのジェノベーゼで有名なあそこよ。バジルと松の実とオリーブオイ

ルのバジルソースね。でも、私はパスタ類を食べてはアカンのや。これから毎食パスタが出て来るのに、

私は食べんのや。エーン。代わりにサラダ。オリーブオイルとバルサミコ酢で勝手にドレッシング作って

食べる。皆にも分けてあげる。その代わりスパゲティ2本味見させてね。メインはイカじゃがみたいだ。

午後のお茶 ポルトフィーノ「何とかいうカフェ」 カプチーノ 5ユーロ

  

                 ポルトフィーノは映画俳優やセレブの別荘がある隠れ家的高級別荘地なのだそうだ

リビエラ海岸とは、フランス国境から昼食を摂ったジェノバまでを西リビエラ、ジェノバからトスカーナ地

方までを東リビエラと言い、全長は250キロのリグリア海に面した海岸のこと。午後からは東リビエラを

走り、今夜からの宿泊地サンタ・マルガリータ・リグレに到着。ここで2台のミニバスに乗り換えて、ポル

トフィーノに向かった。海岸に沿った細いクネクネ道を30分走る。途中海で泳ぐ女性を発見してたまげ

た。ポルトフィーノは、富豪やソフィア・ローレンなど映画俳優が別荘を持つ高級リゾート地なのだそうだ

が、夏場賑わう場所も寒くなるとエラク淋しくっていけないね。カフェでカプチーノを飲んで帰って来た。

夜 イタリア・サンタ・マルガリータ・リグレ 「ホテルパークスイス」 ミネストローネ(皆さんはミートソー

スラビオリ)、七面鳥料理、持参のふすまパン、クリームキャラメル、ビール5、5ユーロ、白ワイン

5,5ユーロ、赤ワイン5.5ユーロ

  

    プリン半分食べた

ポルフィーノが高級リゾート地なら、宿泊するサンタ・マルガリータ・リグレは庶民的なリゾート地なのだ

そうだ。宿泊する「ホテルパークスイス」は4ッ星ということだが、客室は湯沸し器も冷蔵庫も無いし、チ

ョーサッパリしていて、今朝まで滞在したモナコのホテルから星1つ落ちただけとは到底思えない簡素

さだ。ふすまパンを真空パックして持ち歩く私には、何より冷蔵庫無しが痛い。仕方なく、夜の間は室外

に出して冷やすことにする。ホテルでの夕食。皆さんはラグーをかけたラビオリだったが私だけミネスト

ローネスープにして貰った。食事前のビールを飲む時が、一日で一番嬉しい時。ぐびぐび、プハーッ!

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11月 5日(金) 快晴!

 サンタ・マルガリータ・リグレ 「ホテルパークスイス」 朝食ヴュッフェ+添乗員Tさん持参の味噌汁、

      (皆さんはシバ漬け、お粥)

  

5時45分起床。毎日10時には寝てしまうから、4時過ぎには目が覚める。起きたら、先ずは血糖値を

計ってからシャワーを浴びる。今回の旅は、時間的にゆるゆるだから、毎日朝と夕方2回シャワーを浴

び、髪を洗っているのだ。秘境の旅だと7時出発、6時出発、5時出発なんて日程がよくあるから「お風

呂に入れるだけで有り難い!」ってな気持ちになるんだけどね。朝食には、添乗員のTさんが重い思い

をして持って来られたお粥、シバ漬け、実だくさんの味噌汁が出た。私は味噌汁だけご馳走になった。     

   

            移動は列車で       チンクエ・テッレ最初に行ったのはヴェルナッツァ村     チンクエ・テッレ名物シャッケトラ

  

        マナローナ村は漁師の村               海岸沿いに5つの村が               マナローナ村にあった昔の段々畑

  

       今日は素晴らしい晴天                          海もキラキラ光っている         岩にへばりつくようなカラフルな家々

今日は世界自然遺産に登録されているチンクエ・テッレ観光に行く。チンクエ・テッレは「5つの村」とい

う意味だ。バスで1時間強かかってレヴァントに向かい、列車に乗る。チンクエ・テッレは1874年鉄道

が敷設されるまでの移動手段は船だけであった。11世紀に要塞都市として生まれた村々は、長い間孤

立していたから未だに中世の面影を残している。海まで岩山が迫り出した急斜面にカラフルな家々がし

がみつくように密集して建てられている。耕地が無い。急斜面の硬い岩盤を砕いて石垣を築いて段々

畑を作る。土は砕いた時に出来た砂だ。そこに葡萄を植えてワインを造り、漁業をして生きて来た。チ

ンクエ・テッレの人々が築いた石垣の総延長は6700kmで、日本列島を往復する距離というから、タマ

ゲテしまうのだ。西から2番目のヴェルナッツァ村、4番目のマナローラ村に行った。猫もいて美しい。

昼 イタリア・マナローラ「MARINA PICCOLA」 魚介類のスープ、(皆さんは魚介類のスパゲティ、

       スカンピのショートパスタトマトソース)、カラマリと海老のフライ、スタッフドムール貝、持参のふす

         まパン、洋梨のチョコムース、シャッケトラ(サービス)、コーヒー 2ユーロ

  

  

今日は雲ひとつ無い素晴らしい晴天だ。マナローラのキラキラ光る海岸沿いを散策してから、レストラ

ンでシーフードの昼食。皆さんが食べた魚介類のスパゲティとスカンピのショートパスタトマトソースの

代わりにお願いした魚介類のスープが、ロブスターやらスカンピやらムール貝やら魚がどっさり入った

デカイ皿で出て来てびっくり。5人でようやく食べたのだ。その上、カラマリ(イカ)や海老のフライも出て

来て、今日のランチは大満足さ。食後にはサービスで、チンクエ・テッレ名物のワイン、「シャケットラ」を

味見。デザートワインは甘くて好きではないのだが、これは旨い!不毛の土地なのに人々の努力が凝

縮されているかと思うと余計に美味しい。周囲の皆さんの分も頂く。今年1月行ったカナリア諸島のラン

サローテ村で作られているワインを思い出した。あそこも火山灰の過酷な環境でのワイン作りだった。

因みに「シャケットラ」は「押し潰す」という意味で小量生産のため高価でこの土地でしか売っていない。

  

            マナローラ村からオマジョーレ村まで続く「愛の小道」は絶景の遊歩道

  

オマジョーレ村の駅から海を見下ろす                                                景色の良いプラットホームでしょ?

マナローラ村からオマジョーレ村までは、鉄道と並行して「愛の小道」という遊歩道がある。イタリア語で

「ヴィアデッラアモーレ」だからその通りだが、私ら年寄りにはケッ!と笑ってしまうようなネーミングだ。

二人で歩いて途中で鍵をかけると愛が成就する?ッテヤンデェ!という感じである。どんな目的でこん

な断崖絶壁に遊歩道を作ったのか。真相は二番目の鉄道を造る目的で工事を進めていたのだが、途

中余りに硬い岩盤にぶち当って降参し「鉄道は止めて散歩道に変更」ということなんだって。なーんだ。

夜 サンタ・マルガリータ・リグレ 「トラットリアPINO」 ミネストローネ、白身魚のソティ ポテトとズッキ

ーニ添え、持参のふすまパン、パンナコッタ、ビール 4,5ユーロ、白赤ワインサービス

  

帰路も快速列車に乗ってレヴァントまで戻り、待っていたバスでホテルに帰ったのは5時過ぎだった。

一昨日誕生日だったA野さんのご主人が高熱を出し、地元のドクターがホテルまで往診してくれたよう

だ。そういえばF田さんの奥さんも咳が出るということで、ご夫婦は観光パスされた。旅行中風邪引か

ないよう、寝る前ハワイで買って来た「エアボーン」を飲もうっと。夕食は近所のトラットリアで。珍しくパ

スタが無くて喜んでいたら、ミネストローネスープには米がどっさり入っていて涙。結局デザートのパン

ナコッタが一番旨かったが、赤白ともワインがサービスだったから良しとする。デキャンター全部飲む。

食事をいつもご一緒している3人の方は全員静岡から。「下町の太陽」と「寒い朝」を歌って笑い合う。

                _________________

11月 6日(土) 曇り

 サンタ・マルガリータ・リグレ 「ホテルパークスイス」 朝食ヴュッフェ

昨夜食事から戻って寝酒のウィスキーを飲もうと思ったら、前日まであったペラペラプラスチックのグラ

スまで無い!簡素もここまで来ると「過ぎるぞ!」と怒りたくなる。仕方なく、ウィスキーを口にふくみ、そ

の後水をふくんで口の中で「水割り」化したのだよ。トホホである。今朝も545分起床。お腹の具合

がよくなくて、出発するまでに3回トイレに通う。「胃強腸弱」体質だから困っちゃうよね。9時半出発!

昼 ミラノ 「13GUIGNO」 (ポルチーニの)リゾット、ミラノ風カツ烈、タルト、カプチーノ

    

  

            スカラ座前のレオナルド・ダヴィンチ像    ヴィットリオ・エマヌエーレU世ガッレリア       ミラノのシンボル ドォーモ  

リビエラ海岸を後にして山越え。辺りは濃霧に包まれて、10メートル先は見えないほどだ。昨日の真っ

青な空と海、それに色鮮やかな家々で彩られたチンクエ・テッレとはエライ違う世界でおますなぁ。正午

ミラノ郊外のレストラン到着。既に日本人のグループが食事していた。パスタだったら、サラダかスープ

に変更して貰っているが、今日の前菜はポルチーニ茸のリゾットだと言う。ポルチーニ茸大好きで、今

なら乾燥ではなくフレッシュが入っているに違いない。そのポルチーニを拾って食べるだけでもいいな、

私もソレお願いしまーす。運ばれて来たリゾットは、ただ黄色いだけでリゾットなんぞどこを探しても1つ

も入っていない。皆さんで「細かく刻んだか、すりおろして混ぜてあるのでは?」と食べてみるが、ポル

チーニ茸の味も臭いも何もしないのだった。オマケに塩辛くて食べられない。何タルチーア!のランチ。 

午後2時間ミラノ市内観光。主にドォーモね。ミラノは何回来ただろう。4回目?後半は買い物をした。  

夜 コモ湖畔 「ホテルバルケッタ・エクセルシオール」 サラダ(皆さんはトマトソースのペンネ)、チキン

ブレストロースト、持参のふすまパン、ヨーグルト(皆さんはフルーツサラダ)、ビール6、5ユーロ、

白ワイン6,5ユーロ、赤ワイン6.5ユーロ

  

  

短時間であるがミラノ市内を案内してくれた女性は、びっくりする程の辛辣×皮肉屋ガイドだった。しか

も「昨日の朝からインフルエンザに感染しましてね」なんてマスクもかけず、シワガレ声で言うものだか

ら、私はずっと近づかないように気をつけた。マッコト「くわばら、くわばら」なのである。バスは一路北に

走り、1時間もするコモ湖に面したホテルに到着した。5時というのに、もう辺りは暗い。6時頃何のお祝

いか不明だったが、ブラスバンドを先頭に長いパレードが湖の周りからホテル横まで行進していた。そ

れで思い出した。M崎君の次女遥ちゃんが所属している吹奏楽団が、吹奏楽コンクールの高校の部で

金賞を受賞したと成田で飛行機に乗る前、新聞で知った。遥ちゃんは一番大きなチューバを担当して

いて、高校3年生だから最後の大会だった。良かったね。夕食はホテルのロビーにあるレストランで。ペ

ンネの代わりに食べたサラダを味付けたバルサミコ酢メインのチキンにもかけるとグンと旨くなるのだ。

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11月 7日(日) コモ湖もミラノもヴェネツィアも雨・・・

 コモ湖畔 「ホテルバルケッタ・エクセルシオール」 朝食ヴュッフェ

寝ているうちから、雨音には気がついていた。だって、シトシトではなく、バシャバシャと降っていたのだ

から。今日の午前中はコモ湖遊覧の予定だが、雨だけでなく霧も出て景色もよく見えない。これじゃあ

船に乗っても仕方ないな、とコモ湖遊覧はパスと決めた。その間暖かいホテルのロビーでカプチーノを

飲みながら本を読んで待っていた。大雨の中を船に乗った皆さん、あそこがソフィア・ローレンの、あそ

こがヴェルサーチのヴィラです、と言った説明は聞いたようだが、あまり見えなかったらしい。初めて来

たコモ湖だったのに、これでコモ湖滞在終了。ガッカリだ。11時昨日来た道を戻ってミラノに向かった。

昼 ミラノ 「TERRAFERMA」 サラダ(皆さんはアスパラとイカのパスタ)、黒鯛のフィレ、持参のふす

まパン、飲むレモンシャーベット、コーヒー 3ユーロ

  

昨日に続いて、今日もミラノ郊外のレストランでランチ。サラダを味付けたバルサミコ酢を黒鯛のフィレ

にもかけまわす。旨い!同じテーブルの皆さんも全員かけたらから、瓶はカラッポになった。デザートは

飲むシャーベットで珍しい。午後は一路ヴェネツィアを目指す。コモ湖の雨が追いかけて来るようで、ミ

ラノも途中通り過ぎたヴェローナの町も、そして3時間半後に到着したヴェネツィアも雨が降っていた。

夜−1 ヴェネツィア 「ANTICO PIGNOLO シーフードサラダ、ミネストローネスープ(皆さんはシ

ーフードパスタ)、スカンピとイカ・海老のフライ、グリーンサラダ、持参のふすまパン、ティラミス、エ

スプレッソ、ビール 8,5ユーロ、白赤ワインサービス

  

  

ヴェネツィアの玄関口、ローマ広場から水上タクシーで今日から2泊するホテル、「ダニエリ」に向かう。

ヴェネツィアは車が一切入れないから、タクシーかバスか自家用かは別として船以外の輸送手段は無

い。10人乗りの水上タクシーに揺られること20分。最高級ホテルの「ダニエリ」は専用船着き場を持っ

ている。降りたところが、「ダニエリ」の4階分吹き抜けの豪奢なロビーだった。豪奢でもあるが、長い時

代を感じさせる14世紀に建てられた元宮殿の建物なのだ。夕食はサン・マルコ広場近くのレストランで

イタリア式のフルコース。今回の旅行で一番美味しいのはこのレストランだわ。ワインも付いていたし。

夜―2 ヴェネツィア ・ホテルダニエリ BAR ジントニック 2杯 38ユーロ

  

お酒を飲まない方が多く、ワインが付いた食事だと殆ど私が飲んでしまうことになる。今晩はビールの

後で、赤白ワインをボトルで1本半は飲んでしまったよ。15分も歩いて帰ると酔いは更に回って、「誰か

バーに行きませんかぁ?」。誰もいなかったので、一人で行ってしまった。楽しい夜じゃないか。ヒック!

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【今週の振り返り】

秘境の旅ばかりでもなぁ、と今回は優雅な旅をすることにした。旅行日程が楽チンなことで有名な旅行

社主催の中から、とりわけゆったりして豪華そうな旅を選んだ。題して「地中海の宝石モナコ滞在とベニ

ス「ダニエリ」に泊まる休日」。ホレ、優雅そうだしょ?豪華そうだしょ?往復の飛行機は全員ビジネスク

ラス。ま、私はそうでなくても個人的にいつもビジネスクラスだけど。そうゆうことで、何の構えも緊張も

無しに、油断しっぱなしで出発した。そしたら一眼レフカメラを家に忘れたり、成田で隣のゲートから搭

乗してメキシコに行きそうになったりで、「アンタ、ダメじゃん」なのだった。

最初に行ったのはモナコだった。モナコ公国。モンテカルロだ。世界で2番目に小さな国。じゃあ1番小

さいのはどこよ、というと、はい、ピンポーン、ローマのヴァチカンであります。まぁあそこは特殊だから

ね。国連加盟している国としては、モナコ公国は堂々世界最小となる。どの位小さいかと言うと、皆さん

驚くなかれ、日本の皇居の2倍の国土しかないのだ。2平方キロメートル!人口は35千人前後だ

が、モネガスクと呼ばれるモナコ人は約6千人しかいない。そもそもの始まりは、12世紀の終わり、ここ

に土地を与えられたジェノバ共和国がモナコを建設した。12世紀終わりにその要塞を奪ったのが、現

在の公室グリマルディ家の始祖フランソワ・グリマルディだったのだそうだ。彼には「狡猾な男」という渾

名があったんですって。18世紀から19世紀にかけて数十年間、フランスやサルディニア王国の支配を

受けたが、領土の6分の5(!)をフランスに売却してモナコ公国の主権を回復したのだ。もともと小さな

国だったが、これでホントにチッ〜チャな国になっちゃったのだよ。

モナコと言えば、豪華なカジノとF1のモナコグランプリ。モナコグランプリは、小さな市内の公道、1

33キロのコースを78周(1967年までは100周だった!)もするんだよ。道幅は狭いし、コーナー

は多いし、宿泊したホテルの真ん前にあるような超厳しいヘアピンカーブはあるし、ドライバーには技量

と度胸が試されるコースなのだ。過去最多優勝者は、亡きアイルトン・セナで6勝、ミハエル・シューマッ

ハとグラハム・ヒルが5勝で続いている。

そして、私達の年代にとってモナコといえば何と言っても、グレース・ケリーが嫁に行った国だ。ハリウッ

ド映画女優として活躍したのはわずか5、6年なのに、数々の作品に出演してアカデミー助演女優賞、

主演女優賞を獲得した。浮名を流した相手も、ゲーリー・クーパー(悔しい!)、ビング・クロスビー、ウィ

リアム・ホールデン+数名に上る。恋多き女性だった。ホント美しい人だった。「クールビューティー」って

言われたんだった。カンヌ国際映画祭を訪れて知り合ったモナコ大公のレニエ3世に一目惚れされ、プ

ロポーズされる。多いに迷い、悩んだ末、グレースは決意して1956年に結婚。27歳の時だ。以後、一

男二女に恵まれ王妃として過すが、198252歳の時、車の運転中脳梗塞を起して、40mの断崖絶

壁から車ごと転落。同乗していた次女は奇跡的に助かるが、王妃は翌日亡くなった。その後、やっぱり

車の事故で亡くなった英国のダイアナ王妃と共に、王妃の非業の死として長く人々の記憶に残ることと

なった。長女の妊娠を隠すためにエルメスのバッグをお腹で隠したために有名になった「サック・ア・ク

ロワ」は、以後「ケリーバッグ」って名前が変わったっけね。持っていないけど。大聖堂内にある王妃の

お墓には、彼女が好きだったバラを始め、たくさんの花で美しく飾られていた。

モナコは、個人居住者には所得税を課さないタックス・へブンで、それがためかは知らないが、日本人

でモナコに住んでいる人も多いのだ。鈴木亜久里、佐藤琢磨と引退&現役レーサー始め、ウォーキン

グでエラク稼いで朝からシャンパンを飲んでいるらしいデューク更家、驚異のアラフォー・クルム伊達君

子、 そしてあの中田英寿。中田英寿はモナコの邸宅を構え、市民権も獲得しているそうだ。うーむ、羨

丑、 ましいぞ!

グレース王妃の息子のアルベール2世はもう52才だが、未だ独身。代わりに犬ソリに乗って北極圏に

行ったり、地球温暖化の調査のため南極に行き、南極点に到達(す、すごい!)したり。ま、認知した非

嫡出子は2人いるそうですが。そのアルベール公、本年6月南アフリカの元水泳選手の女性と婚約さ

れ、来年結婚が予定されているとか。52才で結婚かぁ。11歳しか年上でない私だが、結婚する可能性

はあるかって?ジェンジェンありませーん!アルベール2世にプロポーズされても、行く気はありませー

ん!え?そんな心配ジェンジェン無い?そうね・・・・。

             アンタ、オカシクナイ?ンニャ?

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      11月10日に帰国し、予告は13日にしましたが、11月11日10月4週のパクパク日記を

アップしようと思ったら・・・サーバーと繋がらない!おまけにメールも受信は出来ても送信

できず!そこから悪戦苦闘が始まりました。まぁ、細かいことは省略しますが、長い間更新

しなかったので、それはそれは大勢の方にご心配をおかけして心苦しく思っています。

しかも、今回はA先生の自宅からアップしてもらっていて、復旧はしていないのです。

とりあえず、2週分を更新しますが、この後も更新時期がずれ込むことご了承ください。

いつもご愛読ありがとうございます。                           夢子拝