パクパク日記10年12月2週
真冬のプラハとウィーンに行きましたの。音楽を愉しみに オホホホ
プラハ国立オペラ劇場
幼少時代のカレル4世
12月 6日(月) 晴れ
朝 ローカーボ家食 鶏肉の唐揚げサンドイッチ、味噌汁
アメフットチームの劇的勝利+「松下」のご馳走で昨夜は幸福の眠りに就き、寝ている間もずっと幸福
だった。で、目を開けるのがもったいなく、寝坊した。「てっぱん」は終っていた。朝刊読む。ふむふむ、
学生関東は早稲田が法政を破って代表になったのだな。関西は関大と立命館の勝者か・・・。我が方
ももう1勝しないとイカンのだが、もうすっかり正月の3日学生代表と戦う気持ちになっておる。その気だ。
昼 無し!
午後のおやつ 新宿 「シルエット」 コーヒーゼリー 600円
ちょっと気にいったぞ!
朝食が遅かったので、昼は抜くことにした。明日出発なので忙しいが、新宿「小田急」に裾上げを依頼し
ていたパンツを取りに行く。「今日は忙しいから、他のものはゼッタイ買わんからね!」。初志貫徹。珍し
いことだ。ちょっと小腹が空いたので、駅中の喫茶店でコーヒーゼリーを食べる。ゼリーに生クリームは
かかっているが、甘くはない。ガムシロは自分でかけまわすのね。これならドクターに叱られないかな。
夜 荒木町 「鈴なり」 6500円のお任せコース(湯豆腐の蟹内子ソース、香箱蟹、前菜盛り合わせ:菜
の花和え物・鯛の昆布巻・白海老塩辛・揚げぎんなん・わかさぎ揚げ・バチ子・カラスミ・なまこ、ふ
ぐの刺し身、白子の玉地蒸しポン酢がけ、お造り盛り合わせ:まぐろ・鯛・ぶり・白烏賊、ふぐ唐揚
げ、目抜けのシジミ汁しゃぶしゃぶ、蟹の炊き込みご飯、香の物、杏仁豆腐)、生ビール、麦焼酎
@9600円
3人だけの「喰う会」
いろんな人達と主に食べる目的の会を作っている。「喰う会」はその名の通り、そんな会の1つだが、昨
今あまり開催出来ていない。久々にやろうじゃないかということにはなったのだが、仕事の都合で2名
欠席、その上前日幹事のH口さんまでノロウィルスに感染したらしということで欠席となった。ノロに呪
われた人は来ないで下さい!お願いです!ということで正規メンバー6名の半分3名でしっぽりやりま
しょう、「鈴なり」で。O橋さんは数年間の関西勤務を終えられ東京に戻られた。関西に行かれる時は
「何で俺が関西よ!ヤダヤダヤダ」と駄々をこねていらしたが、行かれてすぐ、「関西はええですよ、夢
子さん、飯旨いし。当分帰りまへんわ」ってね。H井さんも、一時九州に赴任されていて「あの頃はホン
トに楽しい時代でしたぁ」と九州時代を懐かしく思い出されていた。お二人ともH社にいらしたが、弊家
頁(夢子倶楽部)の愛読者もおいでのようで、先ごろの更新ストップの理由を聞いて来られる方が多い
と聞き赤面する。初「鈴なり」のお二人すっかりこの店の料理がお気に召されたようで、私は安堵した。
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12月 7日(火) 晴れ
朝 無し!
今日スーツケースを預けて、前泊もする。だから朝から忙しい。朝メシなんか食べておれん。早起きし
て旅行中のパンを焼き、完全に冷まして真空パック。それを詰め込んでスーツケースのパッキング完
了!ゴミの始末、古新聞の整理、チョーカンタン掃除、植木鉢の水遣り・・・・ホント出発日は忙しいぞ。
昼 荒木町 「アンシャンテ」 ハンバーグとステーキのランチ(スープ、つけ合わせ野菜、持参のふ
すま
ようやく午前中の準備を終え、スーツケースを預けてほっこりした。急に空腹を憶える。こうゆう時は「ア
ンシャンテ」まで行ってガッツリ食べよう。海外出発前後にこの店に行きたくなるのはナゼだろう。いつも
はハンバーグを注文するのだが、今日はハンバーグとステーキのハーフ&ハーフをお願いした。サラ
ダかスープ、付け合わせの温野菜、メイン、パンかライス、デザートに飲み物、これで千円のランチはチ
ョーお得である。帰宅してから夕方までかかってパクパク日記の10月3週を作成してアップした。ほっ。
夜 成田・日航ホテル 「サンセットラウンジ」 晩酌セット(おつまみ、生ビール2杯)、3種前菜盛り合わ
せ 2100円、牛フィレ肉の黒胡椒炒め 2300円、蟹爪揚げ 900円、麻婆豆腐(小) 1100円、
麦焼酎 3杯、グレンリベット水割り @1万1760円
飲み過ぎだよ!前泊で・・・
西新宿から発車する成田行きのリムジンの最終便は午後6時。その1本前の5時半の便に飛び乗って
成田に向かう。いつもの日航ホテルにチェックインしたのは午後8時近くになっていた。腹空き。すぐ、
晩酌セットのクーポン握りしめて最上階の「サンセットラウンジ」へ行く。あら、今日はカウンターの中の
お酒作り手もホールも全員女性スタッフだわぁ。「女で固めたわけ?」と聞くと、「たまたまそうなった」の
だそうだ。都内の便利な所に住んでいるのに、海外というとすぐ前泊したがり、いつもこの「サンセットラ
ウンジ」で中華レストラン「桃季」の料理を出前させて、酒をガブガブ飲む。63歳にもなって「いい加減に
せいや」とも思うのだが、これも習慣になってしまいましてね。牛フィレ肉の黒胡椒炒めが実に旨いよ!
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12月 8日(水) 成田は朝小雨 ウィーンは濃霧と雨 プラハも雨
朝 成田・日航ホテル 「セリーヌ」 朝食ヴュッフェ+持参のふすまパン
6時起床。お風呂に入り、髪を洗う。外は雨がシトシト降っている。テレビをつけると、昨日の海老蔵の
記者会見が繰り返し放映されていた。ヒドイ怪我と言われていたが、顔はかなり修復されていた。松竹
は「無期限の出演見合わせ」という決断をした。そりゃそうだわなぁ、松竹としてはドタマに来るわなぁ。
よってテアトル東京の1月公演も中止と決まった。共演予定だった役者やお囃子などの関係者、チケッ
ト既に買った客などの迷惑はいかばかりか。海老蔵とCM契約している企業も困惑しているだろうし。
昼 オーストリア航空 成田=ウィーン ビジネスクラス機内食プラス持参のふすまパンと目刺し
わりに好きです、この航空会社
久し振りのオーストリア航空。CAの制服は真っ赤、靴もストッキングまでも真っ赤という出で立ちに慣
れれば、食事のサービスとか私は結構好き。メイン料理の事前リクエストもあるし、必ずスープが出る
のがいい。そして食後のティータイムになると「ウィーンのカフェ」のように10種位のカフェメニューのリ
クエストを出すことが出来るんよ。そのためにビジネスクラスにはシェフが一人乗り込んでいる。ワイン
を注ぐグラスがデカイのがいい(笑)。並々ついでくれる。何度もお替りしたら酔っ払ってしまいましたぁ。
夜 オーストリア航空 成田=ウィーン ビジネスクラス機内食
ま、そんなことで、2回目の食事の頃もまだ酔っていて食欲なく、ほとんど食べなかった。今日は早めに
ホテルに着くし、なんて思って。ところが・・・。ウィーンで2時間程待って、プラハ行きに乗ろうと思ったら
「プラハ行きはキャンセルです」って・・・。何でも、ヨーロッパには今とんでもない寒波が押し寄せている
らしくて。そういえば、午後3時半前にウィーンの空港に着陸した時は、深い霧の中に突っ込んで行くよ
うだった。よく無事に着いたものだとホッとした。今は大雨が降っている。他の便の席を取るべく添乗員
のA野さんが奮闘している。結論を言えば、午後9時過ぎのプラハ行きに何とかかんとか乗り込んで、
何とかかんとかその日中にホテルには辿り着いた。しかし2人の人のスーツケースは到着しなかった。
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12月 9日(木) プラハは晴れ 寒いじょ〜! 1コルナ=約5円
朝 チェコ・プラハ・インペリアルホテル 「カフェ」 朝食ヴュッフェ
ベーコンがスモーク旨い!
昨夜は午前1時過ぎに寝たが、5時半には起きた。昨日遅くて気がつかなかったが、ホテルの前は市
電が走っているのだ。そして真っ白な世界。未だ暗い雪道をプラハ市民が慣れた足取りで歩いている。
寒そうだなぁ・・・。シャワーを浴びてから朝食を摂りに行く。ベーコンだけはムッチャ旨いが他はフツー。
テレビの18チャンネルでJSテレビが映り、8時15分から「てっぱん」を観た。プラハで「てっぱん」かぁ。
プラハを走る市電 プラハ城衛兵はハンサム! プラハ城の聖ヴィトー大聖堂
高さ100m近い聖ヴィトー大聖堂正面
ステンドグラスが見事な聖堂内部
これはアルフォンス・ミシャの作品
プラハ宮殿下の王立ぶどう園 プラハと言えばカレル橋 カレル橋から見たプラハの街
8時55分に集合して9時からプラハの市内観光。プラハの街を流れるヴルタヴァ川(ドイツ語でモルダ
ウ川)の西岸にあるフラッチャニという小高い丘にバスは着く。ドライバーは「じゃあね」と行ってしまう。
プラハの街は大きな車進入禁止の場所が多いからバスは帰る。これからはずっと徒歩観光。エーン!
それも雪道をね。ゲェーッ!!プラハの街を見下ろすプラハ城には歴代王が住んだ。9世紀から造り始
めて、14世紀カレル4世治世時代には完成した大きな城だ。敷地には旧王宮、宮殿、教会、修道院が
あるが私らは聖ヴィトー大聖堂に向かった。雪道だから滑らないようにね。高さが100m近くて大迫力。
大聖堂の内部にはチェコのアールヌーヴォーを代表する画家のアルフォンス・ミシャの作品があった。
丘の上からはプラハの街が一望出来る。「百塔の町」と言われそうだが、確かに街のあちこちに高い塔
が見えるわなぁ。王立ぶどう園のある雪の坂道をソロソロ歩き、旧市街に出てカレル橋をそろりと渡る。
昼 プラハ 「三羽の鵞鳥」 野菜とハーブスープ、鱈のソティ ポテト添え、シャーベット
バスを降りた時から、顔が痛い。寒くて痛い。耳などちぎらそうに痛い。銀行強盗に間違われてもいい
から、顔をすっぽり覆う毛糸帽子を被りたいと思った。一度宮殿にあるカフェでお茶休憩はしたものの、
カレル橋を歩いているうちにまた十分カラダが冷えた。ここで橋の袂のレストランでランチ。冷えたカラ
ダにスープが有り難い。メインは大したことない。地元菓子パラチンケンの代わりに私はシャーベット。
夜−1 プラハ・インペリアルホテル 「カフェ」 サワークリームスープポーチドエッグ入り、チキンソティ
とサラダ、ふすまパン
今夜はオペラ鑑賞!
午後はフリータイム。まぁそうは言っても、皆さんで旧市街まで一緒に散歩しましょうか。朝9時からずっ
と歩いていたので、エラク疲れた。ということで、2時半頃ホテルに戻る。今晩はオペラ鑑賞なので5時
宿泊しているホテルで軽食を摂る。スープとチキン。でもこれ決して軽くないです。結構満腹になった。
夜―2 プラハ・インペリアルホテル 「BAR」 ピルスナービール(大) 85コルナ、(小) 75コルナ
プラハにある国立オペラ劇場 今晩の演目はプッチーニの「トゥーランドット」
バスで国立オペラ劇場に送って貰う。寒い!今晩の演目は「トゥーランドット」。プッチーニ最後のオペラ
となった「トゥーランドット」だが、プッチーニが作曲するまでに、既に11人の作曲家によってオペラ化さ
れていたってことはあまり知られていない。その上、召使のリューが自殺したところでプッチーニは癌で
死んでしまうのだよ。続きは、アルファーノという人が補作をしてプッチーニ作曲「トゥーランドット」は完
成したのだね。午後7時開幕。主役のカラフ王子とトゥーランドット姫の姿を見て、何だか「食欲」を無く
す。声だけ聞いて姿は観ないようにしようかと下を向いているうちに眠くなったりして・・・・。カラフの父テ
ィムールと召使リューは容姿も声も良いのだけど。「誰も寝てはならぬ」では拍手が大きかったけどね。
どうもすっきりしないので、ホテルに帰ってからバーへ。K多夫妻とH母娘も一緒だ。チェコと言えば、
ピルスナービール。昔この国に来た時、カンドーしたビールだ。しかし、今日飲んでみると、苦いなぁ。
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12月 10日(金) プラハは晴れたり雪が降ったり
朝 チェコ・プラハ・インペリアルホテル 「カフェ」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。体重計もあるから計量する。ほぉ、−18.5`ねぇ。ふふふ。6時半にレストランに行くと1
番。15分程誰も来なかった。茹で卵やスモークサーモンなどいろいろ取るがやっぱりここはベーコン。
王宮跡に造られら市民会館 「プラハの春」は会館の中にあるスメタナホールで始まる
アルフォンス・ミシャが内装を手がけた市長の間。天井と壁の絵画が素晴らしい。バルコニーでチェコスロバアキアの建国宣言がなされた
チェコの偉人達 右からドヴォルザーク、スメタナ ヴァーツラフ広場
今日も8時55分集合して9時から観光。昨日は10分程バスに乗ったが、今日はいきなり徒歩である。
で、ずっと徒歩だそうで・・・・。雪道を・・・。最初は市民会館。えぇ?プラハまで行って何で地方行政の
箱モノ「市民会館」なんか行くんだよ!!と額に青筋立てて怒っておられるお爺さん、それは違います。
プラハの市民会館は歴代の宮廷があった所に20世紀始め建てられたのが市民会館である。毎年「プ
ラハの春」の音楽祭は、市民会館の中にあるスメタナホールで開幕するのだ。そのスメタナホールには
大統領、プラハ市長が坐るバルコニー席が設けられている。プラハが生んだ芸術家の作品結集してい
る。特に市長の間にはチェコの代表的な画家アルフォンス・ミシャの作品があり、その中の幼少期のカ
レル4世の肖像には心を奪われてしまった。1918年チェコスロヴァキア共和国の建国宣言は市長の間
のバルコニーで読みあげられたと聞いた。オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊して独立を宣言した。
雪道を歩いて、アルフォンス・ミシャ美術館へ。チェコが生んだアール・ヌーヴォーを代表するグラフィッ
クデザイナー。彼の出世作、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のためのポスターが展示されていた。ミ
シャの作品、特に初期の頃はロマンチックな女性的なものが多いが、のちに「スラブ叙事詩」のような骨
太の作品も残した。しかし、チェコスロヴァキアを解体したナチス・ドイツによって「ミシャの絵画は愛国
心を刺激する」として逮捕・拷問され、それが元で釈放4ヵ月後この世を去る。ハンサムな人だった。
昼 プラハ「グランドカフェプラハ」 スープ、グヤーシュ ショートパスタ添え、フルーツ,紅茶
旧市街には旧市庁舎や旧市街広場があり、いつも賑わっている
ランチは旧市街広場の「グランドカフェプラハ」で。プラハには一度来たことがあるのだが、昔のことでほ
とんど覚えていないことに愕然とした。それでも旧市庁舎の天文時計の定時パフォマンスは、ホントに
短い。我が家斜め前にある四谷消防署のカラクリ人形の時報の方がずっと勇ましいし長いし満足あり。
今回ツァー参加者は15名。ご夫婦5組、母娘2組、1人参加1人。昼食は一番疎遠なご夫婦と一緒だ。
夜プラハ・インペリアルホテル 「カフェ」 チキンブロススープ 85コルナ 、仔牛のウィーンナー
シュニッツェル マッシュポテト添え 299コルナ、ふすまパン
今晩はチェコフィルハーモニーのコンサートを聴きにドヴォルジャークホールに行く。その前に添乗員A
川さんと2人でホテルのカフェで食事。スープの中の大きなチキンとウィーンナーシュニッツェルの仔牛
と「肉肉しい」食事となった。ドヴォルジャークホールは撮影禁止。ロビーでさえ「ダメ、ダメ」と注意に来
る。このホールの作り方がユニークで、座席は緩やかなカーブを描いて左右どこにも通路が無い。例え
ば10列の真ん中辺りの席だとすると、10列の左右どちらかの端っこから入るしか無い。だから、開演
間際に真ん中の人が入って来ると、その人が入って来た側の半分の人は立ち上がってその人を通す
しか無い。早めに坐った私らは5、6回席を立つ必要があった。「ありがとう」も「すいませんね」の言葉
もないままに。誰がこんな座席を設計したんだろ!プンプン。さて、7時半からコンサートは始まった。マ
ルチヌーのラプソディ、ヴィオラ協奏曲(ヴィオラ:Tabea Zimmermann)、ノヴァークのフィルハモニ
ックダンス、最後にドヴォルザークの交響曲6番ニ長調。指揮者はPetr Altrichter。この方初めて知
ったが、若き日の小澤征爾氏を彷彿させるダイナミックで表情豊かな音楽を作り出す人だ。うん、いい。
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12月 11日(土) プラハもホラショヴィツェもチェスキー・クルムロフも晴れ
朝 プラハ・インペリアルホテル 「カフェ」 朝食ヴュッフェ
5時起床。体重は落ちたまま、ムフフ。3泊したプラハも今日でお別れ。シャワーを浴びた後、スーツケ
ースのパッキングをしていたら突然NHK海外が映らなくなった。なんで?チェックアウト後8時半出発。
世界遺産のホラショヴィツェの小さな村にはパステルカラーの可愛い家が並ぶ
バスはヒーターが効いていてポカポカ。ほとんど全員が眠り出す。私も・・・気持ちいい・・・うとうと・・・ぐ
っすり。旅が始まってからずっと寝不足だったが、毎日徒歩観光だから居眠りする機会が無かった。よ
うやくこうして大型バスに揺られ、昼寝となったわけです。10時ガソリンスタンド併設の売店でトイレ休
憩。エスプレッソなんぞ飲んで、さて出発しましょうか、というところでバスに異変。故障だって・・・・。バ
スの下に運転手さんが潜って30分奮闘した結果、無事バスの故障は直った。これから向かう世界遺
産のホラショヴィツェまでの道が雪に閉ざされているかもという心配があったのだが、朝からの晴天が
雪を溶かしてくれた。ホラショヴィツェ村到着。U字型に並んだパステルカラーの家々は、オモチャの家
のようだ。13世紀から修道院の資産の一部であったが、16世紀にはペストで2人を残して死に絶えた
こともあった。今残る建物は19世紀に造られた南部ボヘミアの民族的・農村的なバロック形式。第二
次世界大戦でも無傷に済んだが、戦後の冷戦時代放棄され荒れ果てた。1990年から修復が始まり定
住者も増えてゆく。1998年世界遺産に登録され、現在の住民は140人という。でも維持が大変だね。
昼 チェスキー・クルムロフ 「ル・ジャルダン」 サラダ、ポークとクネドリーキ添え、(私だけケーキ
代わりの)無糖ヨーグルトとお茶
世界で最も美しい町のひとつと言われるチェスキー・クルムロフも世界遺産に登録されている
世界遺産のホラショヴィツェ村を出て、これも世界遺産のチェスキー・クリムロフに到着したのは午後1
時だった。大型車両の進入禁止という街で、バスを駐車場に置いて、歩いてレストランに向かう。たいし
て美味しくもないランチを済ませた後、チェスキー・クルムロフの観光開始。チェスキーは「ボヘミアの」
であり、クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」という意味なのだそうよ。川とはプラハの街を堂々と流れ
るヴルタヴァ川(ドイツ語でモルダウ川)。上流はこんなに細いなんだね。13世紀南ボヘミアの豪族ヴィ
ートコフ家によって城が築かれ、その後支配者は何度か交代したが、美しい町並みは残され、世界で
最も美しい町のひとつとされている。2002年記録的な洪水で大被害にあったが、今修復されている。
夜−1 チェスキー・クルムロフ 「ホテルドヴォルザーク」 クリームスープ、鱒のソティ ポテト添え、
フ
ナ、赤ワ
お城から眺めたチェスキー・クルムロフの町の美しさに全員が息を飲んだ。確かに美しい町だ。観光後
フリータイムとなり、小さな広場で開かれているクリスマス市を覗いたり、雑貨を買ったりと楽しんだ。今
日の宿泊は、お城を仰ぎ見る橋の袂の 「ホテルドヴォルザーク」。立地は最高だが、まぁ田舎のホテ
ルということで不都合はたくさんあった。ま、1泊だからガマンすっか。1万円両替したチェコの通貨・コ
ルナが未だどっさり余っている。明日でチェコを出るから今晩全部飲んでしまおうと思うのだが、ビール
もワインも200円とか300円なので、幾ら飲んでも減らない。K多さんのご主人と酒飲み競争するか?
夜―2 チェスキー・クルムロフ 「ホテルドヴォルザーク」のBAR シーバスリーガル ロック
ホテル客室から眺めるチェスキー・クルムロフ城
酒飲み競争したわけではないが、4人で盛り上がり、そのままホテルのバーになだれ込む。かなり酔っ
ていたと思うのだが、部屋に帰って来たらお城がライトアップされていて美しい。撮影。手ブレしない!
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12月 12日(日) チェスキー・クルムロフは朝雪 ウィーンは晴れ 1ユーロ=約115円
朝 チェスキー・クルムロフ 「ホテルドヴォルザーク」 朝食ヴュッフェ
5時起床。7時半オープンというレストランをお願いして7時に開けて貰い、朝食を摂る。たしたものは
無いが文句は言わない。大型車両進入禁止だから、バスが待つ停留所まで歩かねばならない。運
悪くそこに雪が降って来てしまった。新潟の雪のように大きな雪がジャンジャン降る中、7時50分出発!
昼 オーストリア・ウィーン「FUEHRICH」 コンソメ野菜スープ、仔牛のウィーンナーシュニッツェル、
持参のふすまパン、(皆さんはりんごのパイ アップフェル・シュトゥルーデル)、カプチーノ
シェーンブルン宮殿もクリスマス
宮殿前の広場ではクリスマスマーケット開催
市庁舎前のクリスマスマーケット クリスマスイルミネーションが美しいぞ!
日本からプラハに着いた日も大荒れだったが、ヨーロッパはそれまで記録的な大寒波が押し寄せてい
た。飛行機キャンセルで数時間ウィーンで待たされた私達など運が良かったらしく、翌日パリのシャル
ル・ドゴール空港やスイスのジュネーブ空港は閉鎖されたそうだ。しかし、それ以来寒波は一休みで連
日それほど寒くない日が続いている。お天気の中をバスは飛ばし、何と正午前にウィーンに到着した。
そのまま旧市街のレストランでランチ。チェコの素朴さに比べ、やっぱりウィーンの料理は洗練されてい
るわ。でも、デザートのアップフェル・シュトゥルーデルの代わりに私が頼んだヨーグルトもシャーベットも
無く、でかいオレンジ1個ゴロンと持って来たのには参ったけど。食後はシェーンブルン宮殿へ。「美し
い泉」が発見されたことからシェーンブルンの名がついたハプスブルグ家の夏の宮殿だ。フランスブル
ボン家のヴェルサイユ宮殿に負けない宮殿と当初は計画されたが、予算不足で計画は縮小縮小を重
ねて今の大きさになったらしよ。この宮殿を見学して思い起すのは3人の女性。16人の子供を産んで
育てた女帝マリア・テレジアと、その十一番目の娘でフランス革命で処刑されたマリー・アントワネット、
そして美貌の皇妃エリーザベトだ。宮殿の庭では、大規模なくクリスマスマーケットが開かれ、大勢の
市民で賑わっていた。雪が降る中、アカペラのコーラスでクリスマスソングが流れる。寒いけどいいね。
夜 ウィーンのホテル客室にて 茹で卵2個、ふすまパン、禁断のミニチキンラーメン
ウィーンフィルの本拠地楽友協会 大ホールはニューイヤーコンサートでお馴染み
市庁舎前のクリスマスマーケットとイルミネーションを楽しんだ後、宿泊先のグランドホテルにチェックイ
ンした。今晩はフリータイムだが、国立オペラ劇場でオペラを観る人、シュテファン寺院の夜のコンサー
トに行く人、そして私とN瀬ご夫妻の3人のように楽友協会のコンサートに行く人と分れる。部屋で、行
きの飛行機で貰って来たチキンラーメンミニのカップラーメンとプラハのホテルから失敬して来た茹で卵
2個でカンタン夕食。チキンラーメンなんて8ヶ月半ぶりで、嬉しくて涙でたさ。添乗員のA野さんが送っ
てくれたが、楽友協会はホテルから歩いても3分。ほら、毎年ウィーンフィルがニューイヤーコンサート
やる場所ですよ、ウィーンフィルの本拠地ね。世界で最も音響が良く美しいホールと言われるここに足
を踏み入れるのは実は初めて。ちょっとキョロキョロしてしまいますわな。今夜のコンサートは人気沸騰
で買うことが出来たチケットはカテゴリー4。行ってみたら最前列・右端5番の席だった。膝と舞台は何
と15cmしか離れておらん。海老蔵と同じ(笑)12月6日に81歳を迎えたニコラウス・アーノンクール指
揮で、古楽器オーケストラのウィーン・コンツェントス・ムジクスは、10月と11月日本に最後の来日公演
を果たした。バッハのミサ曲ロ短調などを精力的に演奏したと聞いた。今晩はモンテヴェルディ作曲の
「聖マリアの夕べの祈り」。ドイツ語だったからプログラムを買わなかったので正確ではないが、多分ア
ーノルト・シェーンベルク合唱団の混声合唱を中心として、男性合唱、少年合唱、男性ソロ、デュオ、女
性デュオなどと古楽器オケの掛け合いが続く。男女ともデュオは客席内にすっと現われて歌い、楽器も
廊下に出て木霊のように弾くなど、聴くだけでなく、目も忙しくて1時間50分の大曲を全く飽きることなく
聞き惚れたのだ。演奏後のスタンディング・オベーションは10分も続き、N瀬ご夫妻と3人は大感激。
今晩ここに来て良かった!興奮冷めやらぬ私はグランドホテルの部屋に帰り、ビールをグビッと飲む。
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【今週の振り返り】
12月12日の午前中、バスはいつの間にかチェコからオーストリアに入った。国境を過ぎたところにトイ
レがあったからバスが停まり、そこに国境があったことに気がついたくらいだ。この国を最初に訪れた
のはもう20年以上も前のことだ。当時は、共産圏で東欧諸国と呼ばれ、しかも国はチェコスロヴァキア
共和国だった。とにかく初めて共産圏に来たのでエラクキンチョーしていたのだが、ホテルの冷蔵庫に
入っていたビールを飲んだ途端、「旨い!」と叫び、心が溶けた。そのビールには「Budweiser」と書か
れていて、「ナヌ?バドワイザー?日本ビールの故郷のチェコが何でアメリカのバドワイザーなんか冷
蔵庫に入れているんだ!」とムラっと来たのだが、アメリカのバドの100倍旨かった。しかし、それはバ
ドワイザーではなく、ブドワイザー。もっと詳しく言えばブドワイザー・ブドバルで、アメリカバドワイザー
の名前の元になったブランド。アメリカのメーカーに名前を売ったらしいよ。因みにブドワイザーは、12
月11日に行ったホラショヴィツェとチェスキー・クルムロフの間位にあるチェスケー・ブデッィヨヴィツェと
いう町で醸造されている。13世紀から歴史があるというからスゴイのさ。
最近はレストランなどで「ビールは何にされますか?」と聞かれると、「サントリーのプレミアムモルツ」と
言う人が増えて来た。しかし、それまでは「アサヒスーパードライ」と指名する人が圧倒的だった時代が
長かった。そのスーパードライは、このチェコのピルスナービールのホップを輸入して作ったと聞いた記
憶がある。そうそう、世界中でビールの一人当たり消費量が一番多いのはどこの国だと思いますか?
正解は・・・・越後製菓!じゃなかったチェコです!それまで一番だったドイツを抜いてね。チェコビール
は旨いし、安いし。9日に飲んだビールが苦いと思ったのは、ピルゼン地方を発祥とするピルスナービ
ールで、ホップの苦味が特徴なのだ。私はベルギービールも好きだし、アイルランドのギネスも好きだ
よん。え?ビールは3,1%糖質が含まれているから、糖尿病人間は飲まない方がいいんだろって?は
ぁ、よくご存知で・・・・。だから、ビールは一日1杯というマイルールを作り、守って(だいたい)いるので
ございます。
以前は、オペラを含めてクラッシックのコンサートによく行っていた。しかし、最近はサッパリ。ナゼかと
いうと、クラッシック一流演奏家のチケット売り出しは早いのだ。エラく早い。モノによっては1年以上先
のセット売りなんてのもある。人気海外オペラの引越し公演ともなると、S席は6万円以上で3演目だと
20万円!なんて目玉が落っこちてしまいそうな値段をつけるチケットもある。それとは別に、この6年私
はほぼ毎月海外旅行に行っている。1年前から買っておいたオペラのチケットが、これまたどうしても行
きたい海外旅行と重なってしまい、オペラを泣く泣く諦めるなんてことも何度かあって・・・・で、音楽を聴
きに行かなくなってしまった。その間に歌手は年を取り、指揮者は交代し、ある人は亡くなって行く。もう
誰がいいんだか、人気者なんだか疎くなってしまった。
今年は、ショパン生誕200周年であった。ポーランドのワルシャワで特別音楽会があるというので出か
て行った。そうなのだ、日本で音楽を聴けないなら海外で聴けばいいのだ。特別音楽会は、ショパンの
誕生日と考えられる2月22日と3月1日両方をカバーすべく連続8日間、ショパンを生んだポーランドで
開催された。私はそのうち後半3夜を聴いた。1夜目はニコライ・デミデンコが協奏曲の1番を、エフゲニ
ー・キーシンが2番を弾いた。キーシンのピアノで身心共に震えてしまった。2夜目は、バレンボイムが
力強い(過ぎる)ピアノを弾いた。最終日はショパンコンクール優勝者の中国人ユンディ・リ(可愛い!)、
初のアジア人優勝者ダン・タイ・ソン(ベトナム)、そしてギャリック・オールソン(アメリカ))が協奏曲1番
を弾いて特別音楽会を締め括った。ドイツのベルリンに移動し、ベルリンフィルの本拠地フィルハーモニ
ーに行く。ジェームズ・レヴァインを聴きに行ったつもりだったが、彼は腰痛のためキャンセル。バレンボ
イム(3日前ピアノ聴いたばっかりなのに!)が代わって彼のオケ・ベルリン州立管弦楽団でマーラーの
6番を振った。大迫力の100分間だった。
ワルシャワもベルリンも寒かった。じゃあ、暑いコンサートはどう?ということで、夏にはアメリカのタング
ルウッド音楽祭に行った。マサチューセッツ州のタングルウッドで毎夏開催されるタングルウッド音楽祭
は、小澤征爾さんが29年間も音楽監督を務めたボストン交響楽団が音楽会のレジデンス・オーケスト
ラ。1日目はシャルル・デュトワ指揮でチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番とプロコフィエフの「ロミオと
ジュリエット」など、2晩目はまたもや腰痛のジェームズ・レヴァインにフラレて、スペイン人の若い指揮
者がマーラーの4番を振った。夏の夜なのに、この日はエラク冷えてフリースを買い込んでガタガタ震
えて聴いた。最終日(私らのね)は、昼のコンサートで、人気者のヨーヨーマがエルガーのチェロ協奏曲
を弾いたが、私は最後の曲、ムソルグスキー「展覧会の絵」(シャルル・デュトワ指揮)にいたく感動した。
半オープン劇場と芝生の上のコンサートも素晴らしかった。
そして今回はまたしても雪が降る寒い寒い環境で音楽を聴きに来た。こうすれば、音楽も海外旅行も両
方出来るじゃん!という単純なことにようやく気がついた。気がついたからには、来年からもこのスタイ
ルは続くのかな?
クラッシックもいいけど、演歌もええニャン〜
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滞留した不良在庫じゃなかったパクパク日記、年内に片づけるべく
シコシコぐわんばっております!ケナゲだろ?
次の更新はいつ? わからん・・・・が、近日中じゃ!