パクパク日記11年2月3週

        標高3700mにある雨期のウユニ塩湖はまさに「天空の鏡」であった!

雲も人もニ重に   2つの月が昇った

2月 14日(月) ボリビア・サンタクルスもスクレも晴れ   ボリビアーノBs=約12円

朝 ボリビア・サンタクルス 「ロス・タヒーボス」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

    徹夜しちゃった、ふぁ〜〜眠い!

昨夜はどういうわけか全く眠れなかった。時差ボケでも無し、ここでは高山病でも無し・・・やっぱり酒が

足りなかったのか。それでもベッドに横たわっていればカラダは休まる。一夜に激しい雨が2回降った

のだよ。4時半には起き出してシャワーを浴びる。6時一番に朝食に行ったのだが、オムレツ屋がいな

い。チェッ。今朝もまたY脇さん(♂)とM下さん(♀)のお二人の先輩と朝食を食べる。朝食時間も早

組、中組、遅組があって私はいつも早組だ。外廊下で灰色のベッピン猫にバッタリ。連れて行きたい!

午前のスナック アエロ・スール サンタクルス=スクレ 機内食

8時にチェックアウトして空港へ。今日は国内線の飛行機で移動する。ボリビア国内線はアエロ・スール

というボリビアの航空会社が仕切っているらしい。で、ここの飛行機はよく遅れることで有名なのだとか。

モニターには「定刻」と出ていたが案の定1時間20分遅れた。憲法上の首都スクレ到着は昼頃だった。

スクレ標高=2750m

昼 スクレ 「ポサーダ・レストラン」 パンプキンスープ、チキンとポテト、デザート、コカ茶 

  

  

  丘の上にあるラ・レコレータ修道院跡は博物館だ     聖堂2階の聖歌隊席には長崎殉教26聖人を記念して作られた  

  

      旧市街は「白の街」として世界遺産に登録されている   カテドラルには宝石の聖衣の聖母マリアが

437mのサンタクルスから、一挙に標高2750mのスクレへ。皆さん、ゆっくり歩きましょうね。そして深

呼吸です。ランチの後で早速高山病を予防するというコカ茶が出された。スープもチキンもなかなか美

味しいランチであった。午後はスクレの観光。現在は立法と行政機能はラ・パスに移ってしまい、最高

裁の司法機能が残るだけだが、独立してから数十年はここスクレがボリビアの首都であった。ラ・レコレ

ータ修道院跡博物館がある丘の上から眺めたスクレの町はまさに高原の都市であったし、町の中心地

525日広場辺りを歩くと、世界遺産に登録された「白の街」を実感する美しさがある。でも、この白い

建物に住んでいる人々は2年に一度建物を白く塗装し直さないと罰金を科せられるとかで気の毒!そ

うそう、カテドラルのマリア様が着ていらっしゃる聖衣はダイヤモンド、ルビー、エメラルドなど眩いばか

りの宝石がくっついていて、それを売却すれば、ボリビア国家の累積赤字がすべて解消する程の金額

らしいのだが、ボリビアの人はガンとして「売らん!」。ほら、敬虔なカソリック信者の方々だからさ。ね。

夜 スクレ 「パラドール・サンタ・マリア・ラ・レアル」 ビーフとポテト、アップルの紅茶煮、紅茶、赤ワイ

ン2杯 20bsボリビアーノ

  

今晩のホテル「パラドール・サンタ・マリア・ラ・レアル」は、17世紀には政府機関の建物だったのだそう

だ。それをホテルに改修したから、全部屋が違う作りになっているらしい。「狭い!暗い!ドアが開か

ん!」とガリガリ怒っている人も約1名いた。1週間前、スクレには大雨が降ってコンピュータはダウン

するわ、このホテルはクローズに追い込まれるわで大騒ぎだったらしいが、今日は穏かな天気であった

なぁ。5ツ星ホテルというので夕食期待していたが、前菜もスープも無しでいきなりメインが出て来てビッ

クリした。え?ビール無い?グラスワインも無い?ボトルだけ?じゃあ3人で1本飲みましょうよ、ね?

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2月 15日(火) スクレ・ラパス・オルーロは晴れ

 スクレ 「パラドール・サンタ・マリア・ラ・レアル」 朝食ヴュッフェ

    17世紀政府の建物跡のホテル

昨日大ショックのことがあった。カビを防ぐために自宅で真空パックして持参しているふすまパン。標高

750mでは真空パックはどうなるんだろ。パクッと膨らんでいるのかな?それとも・・・興味津々で昨日

スーツケースを開けた。あらら、見つからない・・・・あらあら?ハタッ!(気がついた音!)見つからない

のではなく、無いのだ。8日分のふすまパンは、今サンタクルスのホテル「ロス・タヒーボス」の冷蔵庫の

中にある・・・・っくっくっくそっ(ま、お下品!)。せっかくカビ防止に乾燥剤入れたのに。パン無しの8日。

  

   ボリビア独立時調印が行われたのは独立の間    巨大な像は国名ともなった英雄ボリーバル

空港に行く前に、昨日休館日で見学出来なかった「自由の家」に徒歩で行く。ふむふむ、1825年スペイ

ンからの独立宣言文の調印をここ独立の間で行ったのね。1839年から1900年ラ・パスの自由党が

「連邦革命」を起すまで、スクレはボリビアの首都だったのね、ふんふん。独立の主体となったのは、ク

リオーニョと呼ばれる南米生まれのスペイン人達なのね。ボリーバルもスクレもサンタ・クルスも皆クリ

オーニョなんだね。よーくわかった!再び徒歩でホテルに戻り空港へ。グループチェクインは有り難い。

午前のスナック アエロ・スール サンタクルス=スクレ 機内食

搭乗開始は時間通リ!離陸したのは予定より早い時間でタマゲタ。アエロ・スールのCAだが、目を覆

いたくなる程思いっきり短いスカートかホットパンツ姿。で、思いっきり厚化粧!経営者の好みなのか!

昼 バス車内にて 日本食の弁当

  

ラ・パス標高=4082m、オルーロ標高=3700m

ラ・パスのエル・アルト国際空港の標高は4082メートル!世界で最も高い地にある空港である。皆さん、

昨日よりもっとゆっくり歩きましょう。深呼吸、深呼吸。ボロボロではあるが、これまでの中ではややマシ

な中型バスでオルーロを目指す。オルーロも標高3700mだから高地対策に変わりはない。当初ラ・パ

スの空港レストランでランチを摂る予定であったが、なるべく早くオルーロに着きたいと、お弁当に変わ

った。日本食のお弁当だって。じゃ、いいか。オカズは鮭、唐揚げ、コロッケ、厚焼き卵などでご飯を食

べられたらさぞや大満足のお弁当だったろうな。その上、オハギがついていて・・・。道路両脇はゴミだら

けで何て汚いんだろう!そう言えばバルカン半島のアルバニアもギリシャもゴミだらけだった。続いて

じゃが芋畑に景色は変わった。ドライブは順調に進み、予定より2時間早くオルーロの町に到着するか

と思った。ところが。もうすぐ着くよ!というところで思わぬし障害が・・・。デモです。デモが行われてい

るからと、町の中心部に通じる道路を封鎖していた。何でも現政府に対して国民の不満が爆発寸前の

ようで、最近各地でヒンパンにデモが行われているようなのだ。不満はお有りでしょうが私どものような

旅行者まで巻き込まないでおくんなましよ。暫らく待っていたが、別の道を探すうちにようやく町に入る。

夜 オルーロ 「ホテルエデン」 アスパラガスのスープ、ポークグリル、デザート、コカ茶、ビール、赤

ワイン 4j

  

今日の宿、「ホテルエデン」(名前がスゴイっ!)は町のど真中にある広場に面した5ツ星ホテルなのだ

が、玄関ロビーは哀しくプアで、客室に入ってみてもだだっ広いだけでガラーンとしているのだった。そ

の上、客室の裏は中学校で屋上ではブラスバンドが練習中。ブラバン好きの私であるが、これが思い

っきり下手・・・・。聞いちゃあいられない下手さぶりなのだよ。オルーロで行われるカルナバルは、リオ

のカーニバル、クスコのインティラミと並ぶ南米3大カーニバルの1つで、世界無形遺産にも登録されて

いる。もしや、カルナバルで演奏するんじゃないでしょうねぇ。今年は3月4日からだから間に合わんよ、

これじゃあ。夕食蒔、アルコールを飲んだのは私一人だった。早い人は2750mのスクレで高山病の症

状が出て具合が悪くなってしまった。多くの人が頭痛を訴えている。私?ゼーンゼン、何でも無いのよ。

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2月 16日(水) 朝のうち小雨 のち晴れ 

朝 オルーロ 「ホテルエデン」 朝食ヴュッフェ

頭痛もしないし、食欲不振でもないし、胸苦しくもない。いわゆる高山病の症状は何も出ていないのだ

が、昨夜も眠れなかった。これって高山病?でもね、やっぱり一睡も出来なかった一昨日滞在していた

サンタクルスは400mちょっとの低地だった。ってことは酒が足りなかったんだな。血糖値もやや高い。

昼 バス車内にて ランチボックス

  

   「どの道通ったらウユニさ行けるべか」                今日もカラッと晴れたねぇ      こんな川も4駆で渡って行く

午前中オルーロの町をカンタンに見学。ソカボン鉱物博物館はソカボン寺院に併設されていて、階段を

地下深くに下りて行かねばならない。行かないことにした。行ったのは15人中7人だけで、15分後ゼ

ェゼェ息を乱して帰って来られた。「こんな高地でこんな場所に連れて来なくてもいいべさ!」と怒ってい

た人も。オルーロという町はかつて錫で潤った町なのだ。その錫で成金になったパティーニョの家を見

に行った。いかにも成金らしい家だった。11時、オルーロ駅近くで5台の4駆に乗り込む。1台に3人と

いうことで、早朝メシ組のY脇さんとM下さんと乗ることにした。ドライバーはリチャード。順調に進み始

めたのに30分走ると脇道にそれグルグル回り・・・。え?またデモで道路閉鎖?迂回路がわからん?

ウユニ標高=3700m

  

  

TOYOTAのランドクルーザー・リチャード3号(ドライバーがリチャードの3号車)では、到着時間予想ト

トカルチョに励んでいた。Y脇さん午後6時、夢子6時半、M下さん7時。当選者には外れた2人がビー

ルを奢るということでナシは付いた。舗装されているのにヤケに揺れるじゃないかと思っていたが、後

半の160キロは道なき道。ガタガタガタ・・・Y脇さん、そんなに喋りまくっていると舌噛みますよ!ガタ

ガタガタ・・・あっちに雪を戴いた高い山はアンデスの山々ですよね・・・ガタガタガタ・・・ってことはウユ

ニは近い?おぉ、6時を過ぎたぞ。Y脇さん脱落ね。そして。あれがウユニ塩湖だぁ!!ピタシ6時半。

勝ったぁ。丁度夕陽が沈むところ。ホテルに行く前には湖に行きましょう。何という光景だろうか。生涯

見た何千回の夕陽でベストはこれだ!4駆屋根に乗って夕陽を見つめているのは日本人若い女性達。

今晩夜行でラ・パスに帰る由。Y脇さん「満足した。俺はもうこれで帰ってもいい!」。来たばかりです!

  

      塩のホテルではベッドもテーブルも天井もソファもぜーんぶ塩製!客室の天井から塩のつららが下がっていた

夜 ウユニ 「塩のホテル」 キヌアスープ、塩蒸しチキンとリャマ、デザート、ビール 2本 40Bs

  

  

最高の夕陽を味わってカンドーに酔いしれた我々は車で5分の塩のホテルにチェックイン。床も壁も家

具もすべてウユニ塩湖から切り出された塩で作られているのだよ。かなり丈夫だが、暖房がキツ過ぎた

り、雨が長く続くと溶けてしまうのだとか。8時からレストランで夕食。例の到着時間トトカルチョで買った

のでビールをご馳走して貰った。オルーロからウユニまで7時間半かかったことになる。トイレは青空ト

イレ3回、そのうち1回は配られた弁当タイムも兼ねて。天気が良かったから今日は極めて順調だった

のだそうだ。あのデモのグルグル回りが無ければ6時間以内だったな。Y脇さんは満足しちゃったそう

だが、ハイライトは明日だよ。明日雨水が適度に溜まっていて、晴天で風が無ければ素晴らしい景色

が見られるハズだ。全員で明日の晴天を祈ろうね。あの音は何?屋根から聞こえる激しい音。雨だ・・。

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2月 17日(木) ウユニは快晴!

朝 ウユニ 「塩のホテル」 朝食ヴュッフェ

塩のホテルの正面玄関と屋根

昨夜は激しい雨が数時間続いていた。屋根がスレートみたいな建材なので、その音が大きく不安にさ

せた。その上10時頃には停電しちゃうし。おそるおそる目を開けてみると明るい!パァーっと明るい!

晴れだぁ。やったぁ!!!朝食は食べるものが少なかった(ふすまパンも無いし・・・グスン)が、皆さん

ニマニマ。高山病で食欲も無く、グッタリしていたK端さんも今日は元気に見える。さぁ行きましょうよ。

 100`×120`の広さがある           4駆で湖の上を走る            湖を歩くとチョー気持ちいい!

           ホテル前の塩製のテーブルとベン   50年前に作られた塩ホテルプラヤブランカ      塩はこうして乾燥させる

塩の表面は亀甲型(六角形)になるのだ。鏡のような湖に映ってすべてがニ重に見える

9時からホテルロビーでガイドのオズワルドさんからウユニ塩湖のレクチャーを受けてから、4駆のリチ

ャード3号に乗り込んだ。昨夜の大雨で地面はぬかるんでグチャグチャ。リチャード、今日もよろしくね。

昨日夕陽を楽しんだ場所に行ってみると、昨日より水量(みずかさ)が増していた。水も濁っているじゃ

ないか。しかし、車で湖を走らせているうちに、透明度はぐんぐん増して美しくなって行く。ヤッホー!暫

らく走ると、建物が見えて来た。湖の中に建物?これは50年前に作られた塩のホテル。現在は細々と

ホテルもやっているが、主に博物館や有料トイレのある休憩所として利用されているのだとか。「はー

い、皆さん、ここから湖を歩いてみましょう。記念撮影もしましょう」とO村さんが声をかける。長靴組も

いるが、私はサンダルを持って来た。おっ!M下さんは裸足?そろそろと湖に下りてみる。最初こそヒ

ヤッとしたが、水はどんどん温んでちっとも冷たくない。で、チョー気持ちいい!あぁ、何という景色なん

じゃぁ。目に見えるもの、雲も人も車も、鏡のような湖面に映って全部ニ重に見えるぞ!これを「天空の

鏡」と言うのだそうだ。そのうち、どこがホンモノで、どこが映ったモノなのかわからなくなる。極楽浄土っ

てこんな場所でしょうか・・・・。ここでも日本人の若者に大勢会った。皆さんバックパッカーの長旅組だ。

昼 ウユニ塩湖 ピクニックランチヴュッフェ

  

        6人のドライバーがテキバキと湖上レストランを設営してくれた        こんな旨いメシは無いぞ!

安全上の理由で、一般のツァーは古い塩のホテル以遠は通行不可。しかし、我々は特別許可を得てい

るとかで、更に湖の奥に行く。本来は魚の島に行く予定だったが、それは取り止めになり、岸から10

ロほどの場所でピクニックランチを摂ることに。ここって車の中で食べるということ?いえいえ、暫らくお

待ち下さいと言われて見ていると、4駆の6人のドライバーがテキパキ動いて、テーブルと椅子を並べ、

ビニールシートで日よけまで設営。ヴュッフェテーブルには、茹でたじゃが芋、焼いたチキン、野菜サラ

ダ、茹で卵、パン等飲み物が手際よく並べられた。頂きマス!何て美味しいんだ。サイコーのランチ!

  

          こんな夕陽を2日続けて見ることが出来る幸せ! しかも今夜は月が2つ昇った。1Q84?

たっぷりウユニ塩湖の休日を楽しんだ後、3時過ぎコルチャニ村へ。ここでは、ウユニ塩湖の昔ながら

の塩製法を見学し、完成した塩などを購入した。世界一ミネラルが豊富な塩なのだそうだ。一旦ホテル

に帰ってから、再びウユニ塩湖に夕陽を見に行く。今日の見学者は我々グループだけ。こんなスゴイ光

景を貸し切りで見学出来るって贅沢極まりない。ド派手な夕陽を見て、ふと振り返ると、何と満月の月

が昇ったところだった。湖に月が映って2つの月。これって、村上春樹の「1Q84」みたいじゃないかぁ?

夜 ウユニ 「塩のホテル」 野菜スープ、チョリソーと羊肉、ゼリー、ビール2本 40Bs

  

具合が悪かった人も含めて、今日は全員に良い笑顔が貼り付いていた。全員が雨期のウユニ塩湖に

満足した。具合の悪さも吹き飛ばすような光景だったということだな。しかし夕食になるとやっぱり具合

は悪くなっちゃったんだって。今日も私だけビールを2本飲んだ。M下さんが欠席でN波さんとお喋り。

                 __________________

2月 18日(金) 晴れ 一時小雨

朝 ウユニ 「塩のホテル」 朝食ヴュッフェ

    さよなら、ウユニ塩湖

今朝は出発が早い。だから4時半には起きた。そそくさと朝食を摂って615分出発。家族経営の塩

のホテルの皆さん、お世話になりました。オルーロに向かう前に、ウユニ塩湖にサヨナラを言いに行く。

すると日の出に遭遇した。明るくなった空をフラミンゴの群れが飛んで行った。さよならーウユニ塩湖。

昼 バス車内にて ランチボックス

     1号車が故障して修理中。この場所で1時間近くリャマを見たり、近所の子供と遊んだりして待った

昨日塩を買いに行ったコルチャニ村で、前を走っていた1号車が煙を吐いて停まってしまった。近隣の

家から水を貰ってぶっかけたりして何とか動き出す。しかし、その後も何度も何度も停まってしまうのだ

よ。ラジエーターに穴が空いている?この調子では、オルーロまで何時間かかるかわかりませんなぁ。

2回目の青空トイレの場所では、1時間近く修理に時間を要し、ついに1号車は諦めることに。6台分乗

していたが、5台で行きましょう。待っている間リャマの写真を撮ったり近所の子供と遊んで楽しかった。

ラ・パス標高=4070m、ホテルは3200m

  

   世界最高所にある首都ラ・パスはすり鉢状        やっとデモを目撃!          町中が坂道なんだぁ

オルーロに到着したのは午後2時だった。615分に出発したから8時間近くかかったということだ。

オルーロで4駆の皆さんと別れて、オンボロバスに乗り換える。変な日本語喋る女性ガイドマルセラも

待っていた。こんなオンボロでも、大きな車の方がやっぱり楽やね。皆ぐったりして眠っていらっしゃる

が、私は最後部の席で本なんか読んでいますねん。6時過ぎ、首都ラ・パスの町に入る。世界最高所

にある首都である。いつも渋滞しているそうだが、金曜日の夕方とあってバスはちっとも進まない。そん

な時、「デモ隊だ」の声に窓の外を見ると、人々が何か叫びながら行進している。ようやく目撃したぞ!

夜 ラ・パス「ホテルカミノレアル」 トマトクリームスープ、サラダバー、牛肉と卵料理、デザートヴュ

      ッフェ、3点セット 9j

  

  

標高3650mのラ・パスであるが、今夜泊まるホテルはすり鉢の底の方にある「ホテルカミノレアル」。

3200m地点の5ッ星である。到着したのは7時過ぎ。そのまま夕食を摂ることになった。ここの数日

3700m地点にいたから、500mでも随分楽になった人も。私は相変らず何でも無いんだけどね。スープ

とサラダはヴュッフェだった。トマトクリームスープが美味しかったので、ボールサイズでお替りする。メ

インはチョイスだったが選んだ牛肉料理は巨大な肉(でも極薄!)で食べでがあった。ゆったりするね。 

                  _________________

2月 19日(土) ラ・パスは曇り のち雨

 ラ・パス「ホテルカミノレアル」 朝食ヴュッフェ

  

    月の谷は砂岩質の奇岩が林立する       コンドルのつもりらしい             町の中心ムリョリョ広場

今日は9時半出発とゆっくりだ。ホテル近くの月の谷に行く。砂岩質の奇岩が林立する渓谷で、柔らか

い岩が長年の雨水で侵食されて、こんな光景になったらしいよ。谷の向こうには、日本人を含む外国人

が楽しむというゴルフ場や射撃場が見えた。坂を上って町の中心のムリョリョ広場。カテドラル等見学。

昼 ラ・パス 「NEW TOKYO 日本食膳(天ぷら、鮭の生姜煮、煮物、酢の物、ブロッコリーのお浸

し、漬け物、ご飯、味噌汁)、(汁粉)

  

ランチは日本食。嬉しいな。先週の土曜日、サンファンの「イトウ食堂」で食べた料理美味しかったなぁ。

ここは 「NEW TOKYO」というお店で、たくさんのおかずを載せた日本食膳だった。ワカメときゅうり

の酢の物が旨い。ご飯を食べられないのが悔しいね。デザートは餅入りお汁粉?店を経営する女性が

挨拶に来られた。え?サンファンに30年近く住んでいたんですかぁ?私達も行って来たんだすよー!

午後の軽食 ラン航空 ラ・パス=リマ 機内食

夕方の便でリマに向かう。国際線だからラン航空だ。定刻に離陸したと思ったら、到着は予定より30

も早かった!時差−1時間。4070mの空港から、一挙に海抜ゼロメートルのリマへ。高地ではずっと

無口だったN村さんなど飛行機の中から大声でバリバリ喋っている。人が違うみたい。高地から脱出。

夜 ペルー・リマ 「ホテル・ラマダ・デル・ソル」 アスパラスープ、鱈のグルリ、(ケーキ)とアイスクリー

ム、ピスコサワー、3点セット 18j

    

 今日から堂々酒が飲める!

1週間前に泊まった空港真ん前のホテルにチェックイン。皆さん、高地から解放されてリラックスしてい

る。明日の晩もあるけど、一応今夜サヨナラパーティということで、飲み物が1杯サービスされる。じゃあ

ピスコサワーを貰おうかな。それにいつもの3点セットね。酒を我慢していた人も今日から飲めますね。

                    _________________

2月 20日(日) リマは晴れ

第1食 ペルー・リマ 「ホテル・ラマダ・デル・ソル」 朝食ヴュッフェ

   大阪組、良い旅を!

朝食の席で、大阪組20名と会った。これから私達が辿った同じコースの旅をされるのだ。私達より1

間早く出発したグループの方々は、ほぼ全日悪天候で、ウユニ塩湖でも曇り空だったとか。つくづく私

達は強運だったなぁと感謝せねばね。さて大阪組はどんな旅をされるのだろう。楽しんで来て下さい!

第2食 ラン航空 リマ=ロスアンゼルス ビジネス席機内食

第3食 ラン航空 リマ=ロスアンゼルス ビジネス席機内食

第4食 アメリカ・ロスアンゼルス 「インターコンチネンタル・センチュリーシティ」 ズッキーニのスー

プ、Barramundi、Sabayonのムース、3点セット 30j    

  

リマ空港の免税店でペットボトル型のウィスキーを見つけて4本買った。成田以外ではなかなか売って

いないのよ、これが。ラン航空のロスアンゼルス行きでは1Cの座席だったが、隣席が空席だったので

ゆったり乗ることが出来た。ベートーヴェンとバッハを聴きながら、ずっとディーヴァの「悪魔の涙」を読

んで過す。読了!8時間半でロス到着。例によってイミグレで1時間以上待たされ、挙句にはいろんな

事を質問された。「今まで何カ国行ったの?何しに?旦那はいるの?今幾ら持っているの?・・・・・」ウ

ルセーよ。そんなことどーでもいーだろ!やっと終わったら、次は税関でも長蛇の列で40分待たされた

ぞ!ふんとにアメリカって国はもう!プンプン。午後6時半に到着したのに、全員が揃ったらもう9時!

インターコンチに到着して夕飯を食べ出したのは10時近かった。スープは旨いが、魚は思いっきり不

味いぞ!3点セットの値段30j。やっぱりアメリカは高いわ、ボリビアに較べて。アハハ、較べるな!

                    __________________

【今週の振り返り】

ウユニ塩湖は、ボリビア中央西部のアルティプラーノにある塩の湖である。アルティプラーノとは、西山

系アンデス山脈と東山系山脈の間に広がる高原地帯のことだ。標高4000m前後の高原はペルー南

部からボリビア、チリにかけて広がっている。このアルティプラーノには、ウユニ塩湖の他にチチカカ湖

やボオボ湖などの大きな湖がある。ウユニ塩湖は南北100`、東西120`で、面積は12000平方

km。約1万平方kmの岐阜県より大きく、四国の半分の大きさを持つ湖なのだ。いやいや、正確に言

えば、湖ではなく「塩原」、広大な塩のかたまりである。でも、やっぱり塩湖と言おうっと。この大きな塩

湖に塩はいったいどの位あるのか。塩の厚さは約10mあって、全部で20億トンの塩があるのだよ。ス

ゴイだろ?一生食べても食べきれない。当たり前だ!

ウユニ塩湖の観光シーズンは2回ある。7月〜10月の乾期と12月〜3月の雨期。乾期には見渡す限

り真っ白な塩の大地を見ることが出来るらしい。しかし、もの凄―く寒いらしいよ。一方雨期は、その塩

の大地に雨水が溜まって冠水する姿を見る。この広い広い塩湖は高低差が50センチしか無く、世界で

もっとも平らな所でもあるわけだ。このまっ平らな塩の上に水が溜まれば、巨大な鏡となる。水が透明

で、無風で波が立たなければ、ここは「天空の鏡」となるのである。私達は最高のコンディションで雨期

のウユニ湖を楽しむことが出来た。怖い位の幸運に恵まれたのだ。本当にありがとう!

20億年前、アンデス山脈は海底が隆起する時に出来た。だから、大量の海水がそのまま山の上に残

され、乾燥した気候なので水分が蒸発して大量の塩が塩原になったと考えられている。この塩湖の底

には大量のリチウムが存在している。世界の埋蔵量の約半分がここにあると見積もられ、日本も含め

て各国企業がリチウム採掘に名乗りを挙げているらしいよ。リチウム電池はこれから有望だとは思うけ

ど、そのためにこの奇跡のようなウユニ塩湖の景観が失われるのも困るなぁと思っている。それにして

もウユニ塩湖は遠い。218日の朝6時過ぎにウユニ塩湖から帰路に着き、日本に着いたのは2

22日。機中泊も含め45日もかかったことになるんだものね。う〜む。

私とM下さん以外の方々が苦しんだ高山病。3千m以上の土地には今までも数回行ったことがあるが、

ほとんどどこでも何でもなかった。高地には強いらしい。一般に高山病を予防するためには

         ゆっくり行動すること

         深呼吸を何度もすること。30回は深呼吸しよう

         熱い風呂やシャワーは避ける

         大喰いはしない

         アルコールは摂らない、或いは小量にする

         煙草は止めよう

         睡眠薬は飲まないように

         カラダを冷さない。暖かさを保とう

         水分は十分にまめに取る

         排尿をよくしよう。トイレに何度も行くこと

を励行すると良いらしい。私はアルコールはずっと飲んでいた反面、水はあまり飲まなかったが高山病

にはならなんだ。そうそう、若い人ほど高山病になるという傾向もある。ってことは、私はババアというこ

とになるのだろうか。え〜、そちらさんはどちら様でしたかいのう・・・・

            にぶいってこともあるんじゃニャイの?   「黙れ!」

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*   旅の始まりは  2月 2週 をご覧ください。