パクパク日記11年4月4週

          西アフリカのトーゴ、ガーナを過ぎたところでロイヤルウェディグ!

    トーゴの少年  トーゴ・アカトビエ村        

4月 25日(月) 晴れ 終日航海(カメルーン、ナイジェリア沖航行中)

朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ

    猫まんまは旨い!

昨日の夕方船はサントメ・プリンシベを離れ、カメルーン沖を航行中だ。終日航海日は朝ご飯を8時頃

行く。ふすまパンにカビが生え始めたのでパンは止めて猫まんま。味噌汁にご飯をちょっと入れてね。

午前のお茶 クリスタル・セレニティ号 「ビストロ」 カプチーノ

こうした船に乗るとたくさんいるクルーへのチップが煩雑である。毎日2度部屋の掃除をしてくれるスチ

ュワーデスや毎晩行くわけではないがダイニングのテーブル担当ウェイター、ペントハウス以上ならバ

トラーなどに1日幾らというチップ額が定められている。船を下りる時現金で本人達に渡してもいいのだ

が部屋付けにしてクレジットカード払いも出来る。その方がカンタンなのでY田さんに手続きをして貰う。

昼 5階 イースター・ガラ・ヴュッフェ

  

     

昨日はイースターだった。ランチタイムは5階ロビーをヴュッフェ会場にしてイースター・ガラ・ヴュッフェ

が行われた。1145分からは美しく飾られた料理の撮影タイム。本当に食べてしまうのが惜しい程飾

り付けが美しかった。ヴュッフェの前には船の料理人の紹介があり、「シルクロード」と「鮨BAR」のナカ

さんにはファンから赤いバラが投げいれられた。私は稲荷寿司に目をつけ違反食品だが2つ食べた!

運動は午前中にみっちりやったので、午後はライブラリーでスーちゃんのお通夜の模様など毎日新聞

をじっくり読む。モーツアルトのレクイエムのCDを聴きながら。文庫本も4冊読了し、5冊目に入ったぞ。

  

     白服メガネかけた男性が若き総料理長     あと1時間でディナーが始まるのに厨房はやけに静か・・・

4時半から希望者は厨房見学。見学の前に総料理長から自己紹介とカンタンな説明があった。総料理

長はオーストラリア人で、子供の頃から家族で世界中を旅していろんな物を食べ、「大人になったら料

理人になろう!」と決めていたそうだ。この人働き者で船のあちこちのレストランに顔を出す。他の船の

厨房も見学したことがあるが、食事と食事の時間はここで数百人分の料理を作っているなんて想像で

きない程ガランとしていて何も無い。あと1時間で夕食時間が始まるのに本当に大丈夫なんですかぁ?

夜 「クリスタル・ダイニング」 チキンクリームスープ、グリーンサラダ、仔牛のピカタ、グワバシャーベッ

ト、カプチーノ、アルコール3点セット

  

今晩はインフォーマルの指定なので少しお洒落して5階のダイニングに行く。今日もダイニングで食事

するのは4人だ。え?キリンビールが切れたの?じゃあアサヒビールね。選んだ料理は可も無し、不可

も無しという感じだった。8時前には船室に帰って、濃いウィスキーの水割りを飲む。テレビをつけると、

「ウェストサンドストーリー」をやっていた。ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス、

リタ・モレノ、ラス・タンブリン・・・・。ブロードウェイで上演が始まったのは私が10歳の1957年のことで

4年後に映画化されたのだって50年前の1961年のことだ。しかし、今観ても全然古くないのだよ。ダ

ンスシーンなんて凄い迫力だし、バーンスタイン作曲の音楽は名曲揃いで私はほとんどソラで歌える!

                 _______________

4月 26日(火) トーゴのロメは晴れ

朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ

5時半起床。周りの海には何隻もの船が見える。今日はトーゴのロメに寄港を予定している。docomo

の携帯は電話は可能だが、iモードは通じない。645分猫まんまの朝食を摂っていると、やがてロメ

のセグロ湾に船は接岸した。早速トーゴ人達が歓迎の音楽と踊り。竹馬のような長い木に乗った人も。

  

            トーゴのロメのセグロ港では、歓迎の踊りと唄でもうお祭り状態であった

  

                   アカトビエ村を訪問   純粋無垢な村の子供達に見つめられて、ちょっとたじろぐ

  

      この方が村長                     王様と奥様なのでしょうか            美少女軍団のようです

  

        勇猛果敢な(?)女性達の踊り        村中の人々が広場に集まった        こんな美しいお姉さんも!

8時過ぎ出発。今日は船主催のエスカーション「牧歌的なトーゴと伝統」に参加する。66人が大型2台

のバスに乗り込んでアカトビエ村を目指す。大型バスはかなりボロで深く座席に座る気にはならないが

それでも冷房が効いているだけ有り難いやね。英語を話すトーゴ人ガイドはマイク無しで大声で喋りま

くった。何を言っているのかはよくわからなかったが。1時間ほどでアカトビエ村に到着。赤土で本当に

牧歌的な風景である。村長が客人達を迎える儀式をしてくれ入村を許される。子供達がウジャウジャと

いる。その子供達一人ひとりが澄んだ目を向けてまっすぐ見つめて来る。上半身に白い斑点のペイン

ティングをした女達が武器を持って勇猛な踊りを披露し、美少女達を先頭に王様夫妻が入場してくるな

802人の村人総出で歓迎してくれた。後半は船の客の質疑応答。セレニティ号の客は積極的にバシ

バシ聞いていたよ。「王様ってどうやって決めるの?」なんて。私達もアカトビエ村の人達を写真撮った

りシゲシゲと観察したりしたのだが、実は村人も写メで私達を撮影したりして見学されてしまったのだ。

何というのか、この村の人達や子供達は清々しくていいなぁ。バスが見えなくなるまで見送ってくれた。

 クリスタル・セレニティ号 「トライデントグリル」 (パン抜き)ハンバーガー、スープ、オニオンリン

グフライ、フルーツ、アイスティ

   オニオンリングフライむちゃ旨!

もっとアカトビエ村にいたいと思ったが昼には船に帰った。ランチは12階プールサイドの「トライデントグ

リル」に行って、こっそり食べているところをS木さんに見つかってしまった。ハンバーガーのパン抜きっ

ていいかも。オニオンリングフライが実に旨かった。この船に乗って食べた物では、これが一番!だな。

夜 「クリスタル・ダイニング」 スィートコーンスープ、カラマリと海老のシーザーサラダ、黒毛アンガス

牛リブステーキ、フバープソルベ、カプチーノ、ビール、ワイン(サービスディだって!)

  

  

午後は7階でのウォーキング運動、ランドリーでの洗濯、ライブラリーでの読書で過ぎて行った。午後も

ロメの市場に出かけられた人達は暑かっただけで収獲は少なかったと聞いて一安心(笑)。今晩のディ

ナーは時間もテーブルもフリー制であったがどうしたわけかいつもと同じメンバーがいつもと同じ時間に

いつもと同じテーブルに坐ることになって皆で笑った。料理はスープとカラマリサラダが美味しかった。  

                 __________________

4月 27日(水) ガーナのタコラディは晴れ

朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ

6時起床。7時に朝食を食べていると、船はガーナのタコラディ港に接岸した。ここでもやっぱりdocom

は電話は通じてもIモードは通じないのだね。陽射しが強くて、船の甲板にいるだけで汗ばんで来る。

  

      漁村のドゥアカー村で魚の燻製の作り方、主食ガリの作り方など見学       子供達が学校で歓迎の踊り

  

  ドゥアカー村の村長はエライ!      商店の主人のおじさん            子供の瞳が美しい

船主催のエスカーション「ガーナの過去と現在」というコースに参加する。昨日辺りからお腹の具合がよ

ろしくなく、9時過ぎに出発するまでには5回もトイレに通った。8時間コースなのでやや不安な気持ちで

出かけた。大型バス3台は1時間半かけてガーナの典型的な漁村ドゥアカー村へ。今日の現地ガイド

氏もお喋りな男性で1時間半喋りまくっていた。昨日のトーゴのアカトビエ村でもそうだったが、ここガー

ナのドゥアカー村でも「こうゆう趣旨で村に入ることをお許し頂きたく・・・」と客の代表が低姿勢でお願い

し、村長が恭しく「それでは許可しようかなぁ・・・どうしようかなぁ・・・許す」って感じなのである。去年ニ

ューカレドニアの島に行った時もそうだったが、ヨソモノの侵入に厳しいのはどこも同じなのだなぁ。小

魚の燻製工場、キャッサバを粉状にした主食のガリ工場などを見学してから、暑い道を歩いて学校に

行く。子供達が太鼓を叩き、唄を歌い、踊りを披露してくれた。ここでも子供達の澄んだ目が印象的!

   英国植民地・ゴールドコーストの奴隷貿易の拠点となったケープコースト城は負の遺産として世界遺産に登録された

白亜の要塞、ケープコースト城に行く。ガーナを始めとする西アフリカ諸国は欧州各国による、金、象牙、

奴隷の貿易拠点となった悲しい歴史を持っている。ここケープコースト城も新大陸に積み出されるまで

奴隷達が収容されていた建物である。2百万人もの奴隷が集められて奴隷船が来るのを待っていた。

信じられないことにその8割がここで命を落としたと言う。アメリカのオバマ大統領夫人ミシェル夫人の

祖先はケープコーストから運ばれた奴隷でガーナではミシェル夫人のことを「ケープコーストの女王」と

称えているのだとか。空も海も思いっきり美しいだけにそんな過去の悲惨な歴史が信じがたい思いだ。

昼 ガーナ 「ココナッツグローブ・ビーチリゾート」 ランチヴュッフェ

     

ランチはビーチリゾートのホテルでヴュッフェだった。ガーナ国内で食べる唯一の食事であったが、まぁ

どこにでもあるような料理で参考にもならなければ旨くも無いのだった。え?もう3時近くですか?午後

は同じように世界文化遺産に登録されているエルミナ城に行く。ケープコートは英国の拠点だったが、

ここはポルトガルによって造られ、後にオランダの手に落ちた。負の遺産を観るのはツライ。帰りのバス

は渋滞を避けるため白バイが先導してくれた。もの凄いスピードで飛ばしたので5時過ぎに無事帰船。

夜 クリスタル・セレニティ号 「シルクロード」 付き出し3点、刺し身盛り合わせ、鯵フライ、鯵たた

      き、餃子、焼売、稲庭うどん、くず餅、アルコール3点セット

  

  

暑い中でも8時間の観光は疲れた。夕食は女性4人「シルクロード」で和食を頂く。ナカさんは、私が鯵

フライ好きと覚えていてくれてたっぷり用意してくれた。この人には鯵のたたき、あの人には餃子と焼売

といった具合で、「太るな!」と言われても、これじゃあね。アハハ。鮨を食べない代わりに稲庭うどんを

フルサイズで食べていちゃあ太るわけです。しかも〆はくず餅!今日13日目は旅のちょうど半分だな。

                _________________

4月 28日(木) 晴れ 終日航海(コートジボワール、リベリア沖航行中)

朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ

 クリスタル・セレニティ号 「トライデントグリル」 (パン抜き)ハンバーガー、スープ、オニオン

       リングフライ、アイスティ

  

           最近のお気に入りのランチはこれ!         コンピュータルーム        船尾のデッキは空いていていい!

昨日アメリカ南部で大規模な竜巻が起こり、死者300人以上に上ったと言う。アメリカ南部も自然災害

が多くてタイヘンだ。アメリカは今回の東日本大震災で多大な援助をしてくれた。西アフリカの海上から

厚く御礼申し上げます。洗濯の合間にコンピュータルームでグーグルニュースをチェック。そうか、そう

か、日本の東北では余震も減って来たんだな、良かった、良かった。この船にはあの巨大地震が起き

た時にも乗船していた人達(日本人も)がたくさんいらっしゃる。船の中の反応などを聞いてみると、被

害の重大さを把握するまでにかなりの時間を要したが、日本人客は他の国の乗客に毎日お見舞いと

慰めの言葉を貰ったのだそうだ。そして一応に留守宅の様子を心配されていらした。それはそうだね。

午後のお茶 客室にて 「ビストロ」のコーヒー

夜 クリスタル・セレニティ号 「シルクロード」 付き出し3点、刺し身盛り合わせ、ところ天、しゅう

       まい、焼き鳥、ビーフたたき、芋煮ころがし、漬け物、カレー、蟹味噌汁、(白玉ぜんざい)、アル

       コール3点セット

  

今晩は2度目のフォーマルナイトである。そして「シルクロード」で全員(と言っても10人だが)が揃って

の初の夕食となった。皆お洒落して6時半集合。そして二人乗っておられる日本人コーディネーターの

UさんとM子さんもゲストとしてテーブルを一緒に囲まれた。え?M子さん、船に乗る前はフロリダのエ

プコットセンターで働いていたの?あそこで食べた焼き鳥が人生で食べたナカで最悪だった!もっとも

26年前の話だけどね(笑)。ところ天の次に焼き鳥が出て来たので思い出したのだ。今日のメイン料理

は5種類からのチョイス。海鮮ちらし丼、カツ丼、納豆丼、かき揚げ丼、カレーの中から選べって。私は

迷わずカレーにした。ご飯はほんのちょっとだけ食べた。食事が終わった後全員で記念撮影。パシャ! 

                ________________

4月 29日(金) 雨のち晴れ 終日航海(リベリア、シエラレオネ沖航行中) ロイヤル・ウェディング!

朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ

昨日に引き続き終日航海。船はセネガルに向かっている。昨夜から雨が降っていた。終日航海の日は

朝ベッドの中でグズグズすることが多いのだが・・・おっ!今日はロイヤル・ウェディングだ。起きよっと。

  

  

       ショーが行われるギャラクシーラウンジの大画面でロイヤル・ウェディングの様子を観る乗客達

部屋にあるテレビでも朝から(正確には昨日から)ロイヤル・ウェディング一色だ。テレビでもいいけど、

どうせなら6階のギャラクシーラウンジの大画面で観るか。9時過ぎに行ってみると、もう大きなラウンジ

は先客で一杯。船からシャンパン、カクテル、カナッペのサービスもあった。もっと若い頃は亡きダイア

ナ妃似のハンサムなウィリアム王子だったが、ここのところすっかり薄毛になってしまって後ろからのカ

メラアングルはアカンね。その点2歳下の弟ヘンリー王子はフサフサだ。黄色のお召し物のエリザベス

女王がウェストミンスター寺院に到着されるとイギリス人客の中には涙を拭く人多数。そして花嫁のキ

ャサリン・ミドルトルさんが父親に付き添われて到着。ダイアナ妃の時より地味なウェディングドレスだ

が、清楚な感じの彼女にはよく似合う。それにしてもケイトさんも相当な美人だが、この日株を上げたの

は妹のフィリッパさん。ヘンリー王子とどうか、と世界中で考えた人が多いらしいよ。私もその一人さ!

昼 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 ランチヴュッフェ

     今度はうまく行くといいね

ロイヤル・ウェディングの挙式中、英国国歌が演奏された。ギャラクシーラウンジの正面席一番前から

10列目位の乗客が立ち上がり、国旗を降りながら「神よ女王陛下を守り給え」を歌い始めた。ほぅ、あ

そこが英国人の乗客だったのだな。私達日本人も日本を愛していることに負けるつもりはないが、「君

が代」が流れても英国人と同じ態度を取らないだろうなぁ、などと考えてしまった。新夫婦のお幸せを!

午後のお茶 クリスタル・セレニティ号「ビストロ」 カプチーノ

  

             ピアニスト・ハイペリオン・ナイト氏による日本人のための特別コンサート

午後1時半からピアニストのハイペリオン・ナイト氏が日本人乗客のためにプライベート・コンサートを開

いてくれた。日本でもコンサートを開いたことのある同氏が今回の大震災のお見舞いとして発案された

のだそうだ。バッハ、ベートーヴェン、ショパン、リストなどを演奏されたが、クラッシックコンサートでアレ

ンジしてしまうのはどうなのか・・・・。お気持ちは有り難いが、演奏はちょっとね。コンサートの後は、強

風の中7階デッキでウォーキングの運動。向かい風の時は進めず、追い風の時は走ってしまうようだ。

夜 「クリスタル・ダイニング」 カボチャのクリームスープ、帆立貝のソティ、アンガス牛フィレのス

        テーキ、キンフィムシャーベット、カプチーノ、アルコール3点セット

  

夕食は5階ダイニングディナーを5人で。話題はもっぱらロイヤル・ウェディングについての感想を喋り

合う。ウィリアム王子の薄毛が気の毒だとか、キャサリン妃妹さんとヘンリー王子のロマンスの実現性

はどんなものだとか。ズバズバ言うN山さんがいらしたから、大いに笑い転げたのだった。楽しい夕食。

                _________________

4月 30日(土) 晴れ 終日航海(ギニア、ギニアビサウ沖航行中)  

朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ

    ヴュッフェでも食べるものが決まってくる

日本は昨日からゴールデンウィークに入った。数日有給を取ると長い休暇になる今年のカレンダーだ

が、大震災の影響もあって、国内海外とも旅行や行楽は盛り上がっていないようだ。2日分の新聞を読

んでから洗濯。この船に乗ってから2日に一度は洗濯をしているから、着替えなどほんのちょっと持っ

てくれば良かったのだなぁ。まぁ結果論だが。乾燥している間はコンピュータルームで過す。真面目な

顔でパソコンに向かっているお爺さんの画面をとチラリと見ると、トランプゲームなどやっているのだっ

た。A○君のサイトをチェックしてみると、あららぁ、彼4月中で会社辞めてしまったんだぁ。どうするの?

 クリスタル・セレニティ号 「トライデントグリル」 (パン抜き)ハンバーガー、スープ、オニオン

     リングフライ、アイスティ

    何だかランチも食が進まない・・・

赤道を通過してから1週間。数日は西に向かっていたが、今は北上中。カナリア寒流に近づいて来た

せいか、気温はかなり涼しくなって来た。そして風はかなり強い。午前中日課となったウォーキングをし

ている時も風に飛ばされないよう時々バーに掴まるほどだった。今日のランチはフィリピンヴュッフェ。

世界中あちこちウロウロしている私だが、フィリピンには行ったことが無い。そしてフィリピン料理と言っ

ても何ひとつ思い浮ばないのだから情けない。そんなこともあって、今日もランチは「トライデントグリ

ル」。ところが、食べいる最中にどうして訳か冷や汗がたらり・・・・お腹も・・・。異変を感じ部屋に帰る。

夜 無し!!

    やけに夕陽が美しいじゃないかぁ・・・グー

結果的に言うと午後から具合が悪くなった。吐き気と下痢。私は殆どの場合、体調を崩すと言えば消化

器系である。原因は何となくわかるような・・・・てへへ。こうゆう時は何も飲まず食わずがいい。一食くら

い抜いても痩せはすまい(痩せて欲しい!!)。そうゆうことで夕食も晩酌もしないで寝ていた。無酒日

                _______________

5月 1日(日) セネガル・ダカールは晴れ

朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ

  

5時半起床。下痢は治ってはいないようだが、吐き気は全く無くなった。カビてしまったふすまパンはも

ったいないが、すべて捨ててしまった。具合がよくなるまで、血糖値より胃腸重視ということで、朝食に

鶏粥を食べる。日本人用に味噌汁とご飯があるように、中国人向けに中国粥もあるのだ。S木さんに梅

干を貰ってお粥を食べた。旨いなぁ。たった1食抜いただけなのに何人かの人に大丈夫か心配された。

  

      こんな角度で船を見るのは初めて                世界遺産のゴレ島         1848年奴隷解放を喜ぶ銅像

  

     アフリカ最大の奴隷積み出し港だったゴレ島は花々が咲き乱れる美しい島              砂絵が盛ん          

                ゴレ島の女の子とアクセサリーを売る女性               挨拶する歴史博物館の館長

午前8時クリスタル・セレニティ号はセネガルのダカール港に接岸した。アフリカ最後の寄港地である。

8時半、接岸した船の隣から小さなフェリーに乗り換えてゴレ島に行く。沖合3キロにあって、現在ユネ

スコの世界文化遺産に登録されているゴレ島はポルトガル→オランダ→フランスと主権者は変わった

が、1848年奴隷解放となるまでの約300年間アフリカで最大の奴隷の積み出し港があった島だ。奴隷

の家博物館、歴史博物館など悲惨な歴史を記すものは残るが、それを上回るコロニアル風の情緒豊

かな美しい島。「ゴレ」とは、かつて支配したオランダ語で「良い停泊地」という意味だそうだ。しかし、爽

やかな空気の中で島を散歩していると子供達が「マネー!マネー!」とせびって来る。物売りの攻勢も

激しい。勝手に靴を磨き始める。観光客が絶えないからスレているのかなぁ。でも猫が可愛かったよ。

昼 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 ランチヴュッフェ

   

船には午後1時前に帰って来た。ランチは小量ね。もともとこのクルーズに参加を決めたのは、西アフ

リカ、特にセネガルに来たいと思ったから。だから、午後からのダカール観光にも参加したかったのだ

がお腹がグルグル言っていちゃあ参加は出来ないわなぁ。肝心な時こうだから私の腸も困っちゃうよ。

夜 「クリスタル・ダイニング」 カニケーキ、ほうれん草のクリームスープ、キエフ風チキン、バニラム

       ース、カプチーノ、アルコール3点セット

   

  

ペントハウスの客室には、立派なジャグジーバスがついている。しかし、シャワー派の私はほとんど入

らない。お腹をこわしているのだから、温まるか。グワン、グワン、グワン・・・(ジャグジーが作動してい

る音)・・・・5分。もういいわ。6時、部屋にある白ワインを1本持って夕食に行く。今日からアサヒビール

も無くなったということで外国ビール。熱々バターが詰まったキエフ風チキン。夕陽の美しい夜になる。 

               ___________________

【今週の振り返り】

トーゴ共和国。南北は560キロあるのに、東西に走る海岸線は70キロに過ぎない。地図をみると、ま

るで七夕の短冊のようなカタチをしている。四国と九州をあわせたくらいの短冊状の国土に住むのは

660万人で首都はロメである。こんなカタチをしているのだから、国の成り立ちには何かあったに違い

ない。その通りだ。良港がなかったことから欧州の大国はトーゴに関心を払わなかったが、ナミビアと一

緒で、後発のドイツが支配権を持った。ドイツ時代は第一次世界大戦でドイツが敗けるまでの短い期間

であったが、その間の開発は急で、生ビールを早くから楽しめたのもその成果の1つだ。大戦後に分割

され西は英領ゴールドコーストとなって独立時ガーナの一部となり、フランス領となった東半分が1960

年独立してトーゴとなった。そんなことで、トーゴは短冊状の国土になったというわけ。

ドイツが宗主国であったのは短期間であったのに、現在でもトーゴにあるビール会社はドイツ系が中心

らしい。しかも、それらのビールが「アフリカナンバー1!」の呼び声が高いのだとか。しかも大瓶1本が

70円というから羨ましい。トーゴのビールだからといって、北欧の「トーゴービール」と混同されると困

る。東郷平八郎元帥を「独立運動の恩人」としてその顔をラベルに印刷したというフィンランドの「アミラ

リー(提督の意)が「トーゴービール」があったと誤解されているというディープな話があるが、それとは

全く関係ない話なので悪しからず。ビールのみならず、ソーセージも旨いという話を聞いた。ドイツの次

はフランスの支配下に入ったから、パリジャン好みのフランスパンも旨いらしい。そんなトーゴに行った

のに、牧歌的なアカトビエ村に行ったばかりでトーゴ訪問は終わってしまった。ビールもソーセージもバ

ゲットも味わう機会がなかったトーゴだった。

ガーナ共和国は、東は上述したトーゴ、西はコートジボワール、北はブルキナファソに囲まれている。

国土は日本と同じくらいで、人口は約2400人である。ガーナはトーゴと違って、地形が良いことや金を

産出する恵まれた地域であったことから長い苦難の道を歩むことになる。ポルトガル人はこの国をゴー

ルドコースト(黄金海岸)と名付け、金の次は象牙、象牙の次は奴隷を積み出すことになるのだ。今回

訪れたケープコースト城やエルミナ城も、当初は貿易品の保管や欧州諸国同士の闘いのための砦の

機能だったのだが、奴隷貿易が盛んになると積み出しまでの奴隷収容所になって行く。体重60`以

上の成人男子は銃1丁、子供は手鏡1つで取り引きされた黒人奴隷。南北アメリカに積み出される前

に多くが命を落とした。欧州各国が奴隷貿易に携わっていたことは事実だが、黒人達を捕まえて彼らに

売り渡していたのは、同じ黒人のアシャンティ王国などなのである。

ガーナと日本は長年友好関係を築いて来たが、そのきっかけとなったのは野口英世博士である。博士

は黄熱病研究のため中南米に滞在した後、黄熱病が発生したガーナに渡る。ここで研究成果の証明

に尽力するも、研究中に自らも黄熱病に感染して51年の生涯を閉じた。博士が亡くなったのは、ガー

ナの首都アクラであり、1928年昭和3年のことであった。ガーナには、現在野口英世メモリアルガーデ

ンがあり、日本政府によって設立された野口英世記念研究所はアフリカにおける伝染病研究の中心的

役割を果たしている。

もう1つ、ガーナと言えばチョコレート。年間生産量40万トンでコートジボワールに次いで世界第2位な

のだ。日本のカカオ豆輸入の80%以上がガーナから輸入されているというが、2番目のガーナからの

輸入品は何とイカですって。何かなぁ、チョコレートとイカってね、ちょっとね、組み合わせが・・・。

セネガルは・・・・お腹空いたので、それはまたの機会に!

          またの機会っていつニャ?キッ!   セネガル猫さん怖い!

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      旅の始まりは 4月 2週、 4月 3週 をご覧ください。

      あと何週あるんだっけ。先はまだまだ・・・・・・。