パクパク日記11年10月3週
ハンガリーが生んだリストさんは、今週土曜日200歳になられたんよ
ホッロークーの婆ちゃん
ドナウ川とくさり橋
10月 17日(月) ハンガリー・ペーチは晴れ 1フォリントft=約0.4円
朝 ビカル 「城館ホテル プフナー」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
6時起床。昨夜はトイレに2度起き、3時にマキちゃんからメールが届きで、2時間おきに目を覚ました。
シャワーを浴びてから7時に朝食レストランに行くと未だ準備が整っていないぞ。そのうち、もの凄く怖
い表情の女性がスクランブルエッグを作り出した。こんなに早く来るんじゃないよ!って思っているらしく
客を睨みつけている。あんたね、7時オープンなんだからもっと早く準備しなさい!外はエライ寒さだ!
初期キリスト教墓地は世界遺産
堂々たる大聖堂 旧ガーズィ・カスィム・パシャ・モスクは現在教会
美しいセーチェ広場 ヘレンドと双璧をなす名窯ジョルナイ焼きが町のあちこちに
ビカルはペーチ近郊と言っても60`離れているから、町に出るまでバスで優に1時間はかかる。ペー
チは人口16万人ハンガリー5番目に大きな町で、ローマ時代はソピアネと呼ばれ、14世紀には国内
最初の大学が設置された。1543年からオスマントルコに占領されて150年間を過すことになるが、今
は活気に溢れた大学の町である。先ずは4世紀ローマ時代に作られた初期キリスト教礼拝堂の地下
のカタコンベを見学。石棺のレリーフが美しい。ここを含めて初期キリスト教の地下遺跡は数ヶ所で発
見されていて、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。オスマントルコに150年支配されている間
イスラム教モスクが造られるは当然のことだ。旧ガーズィ・カスィム・パシャ・モスクは16世紀にセーチェ
ニ広場に建設されハンガリー最大のトルコ建築であったが、現在はカトリック教会として使われている。
昼 ペーチ「RUNDO」 本日の定食(スープ、米入り肉) 790ft、カプチーノ 360 ft
今日は暑い!本日ランチは自由食。皆さんいろんな店に行かれたが数人はちょっと奥まった気さくな店
「RUNDO」へ。ランチメニューでは炭水化物を避けられるような料理は見つからないので「本日のラン
チ」を注文。スープはいいとしてメインは米入り肉という炊き込みご飯のよう。鶏肉だけ拾って食べる。1
時間強のフリータイム。町をふらふらしながら、ハンガリーの100円ショップを見つけた。「1ユーロデス
カウントショップ」と看板にあった。290ft均一だったので、ラメ入りのマニキュアを3本買った。スーパー
でネラルウォーター1,5lをl購入。99ftってことは40円しない?今日はたくさん歩いて1万歩超えたよ!
夜 ビカル 「城館ホテル プフナー」 ディナーヴュッフェ、ビール大 500ft、白ワイン 200ft×2、
赤ワイン 200ft×2杯
バスでビカル村まで帰る。午後5時着。今夜の夕食はヴュッフェレストラン。広いホテルの敷地だから、
コートを着て懐中電灯持参のイデタチである。昼間はあんなに暖かだったのに、夜はメッキリ寒いです
なぁ。10分位歩いてようやく到着。料理はたいしたことないのだが、大生ビール、赤ワインダブル、白ワ
インダブルを注文しても合計が1300ft。520円である。酒代だけ考えれば、ハンガリーに永住したい!
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10月 18日(火) 晴れ 中日セリーグ2連覇
朝 ビカル 「城館ホテル プフナー」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
卵焼くおねえさんが怖い!
5時起床。3階の屋根裏部屋の客室だから、寝ながらにして星は月が見えた。今日は移動距離が長く
て出発が早いから7時の朝食にはほぼ全員が顔を揃えた。それでも今日も玉子料理は揃っていない。
昨日と同じコワイ顔のおねえちゃんがやっぱりスクランブルエッグを焼くのだ。8時前にはバスは出発。
昼 ホッロークー 「MUSKATLI」 パローツスープ、鯰のオルリー風フライ タルタルソース、持参の
ふすまパン、アップルパンケーキチョコレートソース、カプチーノ 320ft
バスは北東方向に向けて高速道路を飛ばす。最初乗った高速は1年前開通したそうだが、ガラ空きで
ほとんど車の姿を見かけなかった。日本でもあちこちにある「いったい誰のための道路よ!」っていうい
わゆる税金道路らしいよ。4時間以上のドライブで、12時半ようやくホッロークー村到着。ホッロークー
村は「村」として世界で初めて世界遺産に登録された。時分どきなので早速ランチ。レストランの前では
今日「村の顔」モデルを務めてくれるイシュトバーン夫人79歳の可愛いお婆ちゃんの出迎えを受ける。
パローツ人末裔が住むホッロークー村。先ずは温かいパロールスープが出て来たが、意外や意外、ブ
ダペスト一の高級レストラン「グンデル」のグンデルさんがパローツをイメージした創作スープだそうだ。
ホッロークー村の名物モデルのお婆ちゃんが民族衣装の着付けをしてくれる 窓辺にはパプリカが干されている
ホッロークー村のシンボルの教会 各家には表札と煙突の役割を持った図柄が
食事の後半からは、イシュトバーン婆ちゃんが村に代々伝わる糸紡ぎや参加者男女に民族衣装の着
付けをして皆を愉しませてくれた。そして婆ちゃんの若い頃の話やチャールダーシュの踊りまで披露し
てサービス満点。ホントに可愛いお婆ちゃんでねぇ。食後は村の散策。古い石畳の両脇には、パローツ
様式と呼ばれる独得な木造建築の家々が並ぶ。泥と藁を混ぜて造った壁に漆喰を塗った家で、側面
板壁には表札と煙突の役割を兼ね備えた各家それぞれの図柄が彫り抜かれている。しかし木造家屋
は火に弱い。これまでも大火で村は何度も灰と化し、今の村は1909年再建されたもの。126軒に今も
400人が住むが未亡人が多く高齢化が進む一方の由。イースターには1万人の観光客が押し寄せる。
夜 ブダペスト・ソフィテル・チェーンブリッジ グヤーシュスープ、ハンガリー風スタッフ路マッシュルー
ム、エステルハージケーキ、持参のふすまパン、赤ワイン 1500ft
バルトーク・ベーラ・コンサートホールで開かれたリスト生誕200周年記念コンサート
ホッロークー村と別れて午後4時半には首都ブダペストに到着した。ホテルはドナウ川にかかる有名な
くさり橋の袂という便利な立地のソフィテル・チェーンブリッジ。今夜はコンサートに行くので、午後5時
半から夕食と何とも慌しい。そんな忙しい夕食に、あのグヤーシュスープが出た。先週ホルトバージで
食べて落胆したあのグヤーシュスープだ。ホテルのレストランだけあって、味はいい。しかし・・・グヤー
シュスープの本領はこんな上品なんじゃなくて・・・まぁ、いい。今日は忙しいんだ、さっさと食べな!デ
ザートのエステルハージケーキもハンガリー名物だからちょっとだけ食べた。甘っ!!!6時40分バス
でバルトーク・ベーラ・コンサートホールへ。今年はリスト生誕200周年にあたり、その記念コンサートが
開かれている。リストといえば「ピアノの魔術師」と呼ばれた人だから、「ラ・カンパネラ」などのピアノ曲
のイメージが強い。私もそうだ。しかし、カトリック信者であった彼は宗教曲の作曲にも熱心であった。
特に宗教合唱曲の作曲と改革に心血をそそぎ、多岐に渡る作品を残す。今夜はその宗教曲のコンサ
ート。巨大なパイプオルガンとオランダから来た混声合唱団の演奏であった。寝ている人が多かった。
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10月 19日(水) 晴れ
朝 ブダペスト・ソフィテル・チェーンブリッジ 朝食ヴュッフェ
料理はまぁまぁだが、スイカはマズイ・・・
6時起床。朝食レストランに行ってみると、他の日本人グループの方々がいらした。あら?あの人会っ
たことがあるな・・・あれれ、あっちの人も知っているような・・・。同じ旅行会社主催の別のコースに参加
されているグループだった。観光に出かける前ロビーでお会いしたら、添乗員も以前ご一緒したA坂さ
ん、以前ツァーがご一緒したご夫婦が2組いらしたから、何と5人も知り合いがいたのだ。世の中狭い。
1907年完成した国会議事堂
1000年の歴史を持つ王冠を展示 優雅な雰囲気の議場
王宮南端にある歴史博物館に行った 聖イシュトバーン像と漁夫の砦 ドナウ川にかかるくさり橋
午前中半日はブダペスト観光。先ずは国会議事堂。ドナウ川を挟んで陸の上にある王宮よりある種華
やかな国会議事堂は建物設計のコンペで見事1位となった総面積1万8千uの堂々たる建物である。
因みにコンペで2位になった案は国会議事堂の真ん前の民族博物館で、3位はその隣の役所の建物。
こうして1位から3位までの建物を見比べてみると、その差は歴然で笑ってしまう程だ。1889年着工し、
17年の歳月をかけ1902年に完成した議事堂に予約した9時半入場。入り口で厳しいセキュリティ検
査があり、見学の間SPがついて来る厳重ぶりだ。内部の見学。なるほどぉ、ハンガリーの名誉にかけ
て莫大な金と時間をかけて造ったというだけあるわ。豪華!金は40kgも使われているそうよ。中でも
初代のイシュトバーン王から950年間歴代王に受け継がれて来た王冠が、2000年国立博物館から移
されてここに展示してある。ピッカピカ!しかし、この王冠は13世紀に造られたのでは?という疑問も
あるそうだ。バスでドナウ川を渡り、対岸の丘の上に。今までいたドナウ川の東側はペスト地区、西側
はブダ地区である。王宮の南端にあるブダペスト歴史博物館に行く。13世紀当時王宮として使われて
いた建物の一部、柱や壁などが、地下室や洞窟を利用して展示されている。階段の上り下りがキツク
て結構疲れる博物館である。マーチャーシュ教会。13世紀に作られた正式名は「聖処女マリア教会」だ
が、15世紀マーチャーシュ王の命令で塔を増設したことからマーチャーシュ教会と呼ばれるようになっ
たとか。マーチャーシュ王はここで2度結婚式を挙げ、ハプスブルグ家のヨーゼフ皇帝とエルジェーベト
王妃がハンガリー王と王妃になるべく戴冠式を行った教会でもある。この時リストは自ら作曲した戴冠
ミサ曲を指揮したんですってさ。絶世の美女エルジェーベト王妃と、女性気絶者続出したというチョー美
男のリストを同時に見られるって、何てゴージャスなの!その場にいたかったなぁと素直に思ったのだ。
昼 ブダペスト 「桃太楼」 野菜ラーメン 1050ft、水餃子 650ft
ブダペスト随一の聖イシュトヴァーン大聖堂の中では、アマチュアコーラスの演奏会が行われていた!ラッキー!
午後はフリータイム。T橋添乗員が、ノーアイデアの人達のために2つのコースを用意してくれていた。
「ジェルボー」で軽食の後、地下鉄で英雄広場→中央広場というコースと、市電で中央広場→市内に何
箇所もある温泉センターでひとっ風呂浴びるコース。しかし、私はどっちも参加せず、一人でラーメン店
「桃太楼」を目指して歩いていた。むふふふ。こうして汁モノ麺類を食べるために店探しするって楽しい
な。迷うことなく「桃太楼」発見!経営は台湾人とのことだが、日本語メニューもあったので、野菜ラーメ
ンと水餃子を注文するのもカンタンだった。客のほぼ全員ハンガリー市民だ。野菜ラーメンつまりタンメ
ン。塩味のスープもまぁまぁで結構イケる。水餃子は注文を受けてから皮を捏ねて包む本格派。いいね、
この店。でもたんめんの麺と餃子の皮を全部食べたのでは糖質取り過ぎ!泣く泣く皮を大半残した。ペ
スト地区をぶらぶら歩く。ここからなら聖イシュトヴァーン大聖堂も近いかも。ありました。ブダペスト随
一の大聖堂だからとにかくデカイ。入り口で200ft寄付して大聖堂に足を踏み入れると、堂内に響く美し
いハーモニー!アマチュアの混声合唱団がミサ曲を歌っていた。高い天井は素晴らしい音響効果で、
昨夜のコンサートより感動が大きいような。グッドタイミングで大聖堂に来た幸運に感謝。良き午後だ。
午後のお茶 ブダペスト 「ジェルボー」 カプチーノ 1031ft
1858年創業の「ジェルボー」はロココ様式の天井や豪華なシャンデリアでゴージャスな雰囲気
ブダペストの町をあちこち歩いて疲れたらカフェでゆっくり休むがいい。じゃぁやっぱりブダペストで一番
有名な「ジェルボー」に行くか。皇妃エルジェベードやリストも訪れたことがあるブダペストを代表するカ
フェだよ。雰囲気満点の広い店内には、日本人観光客もちらほら。紅いカップでカプチーノを楽しんだ。
夜 ブダペスト 「GUNDEL」 スモークトラウトとサラダ、ポークメダイヨンのロースト、サワーチェリー
とカッテージチーズ入りシュトリューデル、ビール 1300ft、白ワイン 1500ft、赤ワイン 1800ft×
2杯(1杯は旅行社のサービス)
今夜はさよならパーティ。旅行会社が張り切って用意してくれたのは、ブダペスト一のレストラン「グンデ
ル」である。グンデルさんの料理は、ハンガリーらしさも忘れないフレンチということらしい。店の入り口
にはエリザベス英国女王や前法王のヨハネ・パウロ2世など超著名人が訪れた時の写真が飾られてい
る。毎晩誰か有名人が食事していると言うので楽しみにしていたら、2階の個室に案内されてガッカリ。
ハンガリーの酒は安い!毎晩グビグビ飲んでいたが、さすがに「グンデル」はちと高いですな。メインの
ポークメダイヨンのローストがとても美味であった。9時ホテルに帰る。客室の窓からライトアップされた
くさり橋が見えるなんて何とも贅沢だが、今夜で見納めだ。明日は早いから早く寝ましょう。十時就寝。
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10月 20日(木) ブタペストは雨
朝 ブダペスト・ソフィテル・チェーンブリッジ 朝食ヴュッフェ
3時半頃から目が覚めてウトウトしていた。5時シャワーを浴びて6時にはバゲジダウン。6時半朝食レ
ストランに行くといつものんびりされている方々も顔を揃えられていた。急いで朝食摂り7時過ぎ出発。
昼の軽食 ルフトハンザ航空 ブダペスト=フランクフルト 機内食
ブダペスト空港からフランクフルト行きルフトハンザ航空に8時45分搭乗。忙しい朝だったなぁ、とホッ
としたのだが・・・・離陸時間の9時15分になっても飛ぶ気配無し・・・・皆早起きして来たのに・・・・何だ
かよくわからないが、フランクフルト空港上空で強い風が吹いているから何とかかんとか。日本から来
た日もそんな理由でウィーン行きのフライトがキャンセルになったしなぁ・・・・まだぁ??・・・・乗り継ぐ成
田行きの13時40分に間に合うのかぁ?・・・・・搭乗してから約2時間後、10時半過ぎようやく飛んだ。
夜 ルフトハンザドイツ航空 フランクフルト=成田ビジネスクラス機内食
フランクフルト空港では、早足乗り換え。こうゆう時大きな空港ってのはホント大変であるよ。万歩計だ
けはカチカチ嬉しそうにカウントしているけど。午後1時過ぎ、またエアバスA380−800に乗り込む。
飛行機はばかデカいのに、ビジネスクラスも席はコジンマリしていてね、何だかね。ルフトハンザのウィ
ングラスも小さくて気にイラン。もっと大きなグラス無いのか?と聞いたら、2杯づつお持ちしますって。
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10月 21日(金) 曇 夜から雨 20日リビア・カダフィ大佐死亡
朝 ルフトハンザドイツ航空 フランクフルト=成田ビジネスクラス機内食
和食も食べてみっか。うまくはないな・・・
時差7時間、フライト時間約10時間半。A380−800のお休みモードシートは足が斜め下になってちっ
とも安眠出来ないので、結局一睡もしないまま午前7時40分成田空港着。ふわぁ〜〜〜ぁ。大あくび。
昼 四谷三丁目 「サイゼリア」 シーフードグラタン 499円、サラダとシーフードチャウダー 280円、ドリンクバー 180円
タクシーで帰宅し、早速洗濯とスーツケースの片付け。次は留守中のメールチェック。あれ〜メール繫
がらね、インターネットも繫がらね、なんでだね。仕方ないからランチ兼買い物でも行くか。「サイゼリア」
のスープ、夏バーションのカボチャの冷製スープからシーフードチャウダーに変わっていた。珍しくシー
フードグラタンを注文。マカロニ残すと満腹には到底ならんな。この店安くていいけど見栄えが悪いね。
夜 荒木町 「羅無櫓」 今夜の3点お通し:カボチャのサラダ・ハムソティ・ブロッコリー、豚の角煮、ス
ルメイカの生姜炒め、ポテトサラダ、豆腐よう、五島うどん、生ビール×2杯、芋焼酎お湯割り×4 @7900円
夜になってもメールもインターネットも繫がらない状態が続いている。再起動なんてもう何十回もやって
みたし、A先生にも相談を試みたが連絡は取れなかった(昔のアドレスにメールしたことが翌日判明)。
じゃあ諦めて飲みに行く?この10日間はビールとワインばかり(パーリンカも飲んだけど)だったから、
日本に帰って来た今日は焼酎だな。ってことで「羅無櫓」へ。「いらっしゃ〜い!今日はどこからお帰り
ですかぁ?」「ハンガリーでーす」。こんなにヒンパンに日本と外国を行ったり来たりしていても、やっぱり
日本は旨いなぁ、と思う。行方を捜されていたリビアのカダフィ大佐がついに捕まって殺されちゃった。
「砂漠の狂犬」の最後は、血だらけで引き摺り回された惨めな姿だった。リンチじゃあアカンよなぁ・・。
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10月 22日(土) 雨のち曇り リストの200歳誕生日
朝 家食 ヒレ勝つふすまパンバーガー、プチトマト、オニオンスープ、低糖ヨーグルト
勝つんだよ!
7時起床。昨夜は一晩中雨の音が聞こえていた。今朝も雨だ、大事な試合なのに・・・。そう、今日はア
メフットのリーグ戦最終戦が行われる。朝食には勝つものを食べて応援に行く気は満々なのだが、帰
国翌日雨の日にグランドにいたら風邪を引くのではと気になっている。悩んで悩んで取り止めることに。
昼 四谷2丁目 「カレーうどん食堂 のら豚屋」 グリルチキンカレーうどん 900円、辛3+40円
豚でなく鶏を載せて
試合の行方を気にしながら、昼食は「のら豚屋」に行く。考えてみると、「のら豚」ってヒドイ名前だなぁ。
野良猫、野良犬はいるけど、野良豚なんているのかぁ?この店の基本メニューはカレーうどんに炙った
豚バラチャーシューを載せるのら豚カレーうどん。しかし、私はいつも(2度だけど)チキンを載せるのだ
よ。野良鶏ではないと思うけど。辛さは5段階まであり、+40円の3にした。5でもイケルと思うけどね。
で、試合はどうなったんだ。メールが来ないぞ!とジリジリ。そこに知らせが。勝ったぁ!28対10。リー
グ戦第一ステージは5戦全勝でディビジョン1位通過した。これで第二ステージは優位に戦えるぞ!
夜 家食 「サボテン」の牡蠣フライと唐揚げ、キャベツ、プチトマト、牛蒡サラダ、豚汁、ふすまパン、柿
パクパク日記は10月1週。いつものことだが、ハンガリーから帰って来たのに京都で過した週のパクパ
クを作るのはどうも気が抜けましてね。遅れているのは自分のせいだけど、やりにくいことは事実だ。
夕食は鍋にたっぷり作った豚汁と牡蠣フライ。柿も美味しい季節になった。10時半から朝ドラ「カーネ
ーション」録画2週間分を観る。主人公糸子はやっぱり大きくなって子役の二宮星ちゃんは出なくなった
が、尾野真千子もなかなか。涙100斗泣きっぷりが凄まじい!小林薫父親も存在感たっぷり。無酒日
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10月 23日(日) 曇り 今日はポカポカ トルコM7,2の地震 オルフェーブル三冠馬
朝 家食 唐揚げ、キャベツ、プチトマト、豚汁、ふすまパン、低糖ヨーグルト
昼 六本木・東京ミッドタウン 「鈴波」 銀鱈定食 1365円、持参のふすまパン
午前11時乃木坂のO本先生の治療院へ。最近腰痛がちとキツイ。そのヘンのところをみっちりお願い
しますわ。O本先生は真面目で熱心だから、治療時間をオーバーしてやってくれた。乃木坂からちょっ
と歩けば、東京ミッドタウン。いつも長い行列の「鈴波」が空いていたので入ってみる。ご飯は少し貰っ
たが、もちろんふすまパンで食べる。やっぱり粕漬けの銀鱈はご飯に合うものだわね。午後3時繫がら
ないネットをどうにかしようとオジョーが家に来てくれた。結論としては、マンションの部屋にネットケーブ
ルの接続が悪かったということだ。わーい!3日ぶりにメール、インターネット開通!?今日は菊花賞。
オルフェーブルが7頭目の三冠馬達成!ヤンチャな馬で、デビュー戦となる新馬戦でアッサリ勝った後
騎手を振り落としたかと思ったら、6年ぶりの三冠馬の偉業を達成したこの日も騎手は振り落とされた。
夜 四谷三丁目 「炉辺焼き 喜怒哀楽」 付き出し:ポテトサラダ、うるめイワシ甘酢漬け 350円、す
みいか刺し身 780円、しめじバター 430円、さつま芋焼き 430円、ジャンボなんこつつくね
780円、生ビール中 580円×2杯、麦焼酎ボトル @7830円
10月1週のパクパク日記をアップして、夕食は「喜怒哀楽」に行く。安いし、美味しいし、陽気だし、日曜
日も営業しているしで、最近すっかり私の食堂となってしまった。今日はすみいかの刺し身がいい。新
鮮なのに柔らかくてコクがある。「旨い!」と言うと、「お客さまからスミイカ刺し身、美味しいとお褒め頂
きましたぁ!」と大声で言われて、恥かしくも楽しい。うるめイワシ甘酢漬けもさつま芋焼きも旨かった!
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【今週の振り返り】
もう25年も前の話だ。あら?先週もこんな書き出しだったかな。あれとはまた別のお話です。オペレッ
タの存在はもちろんずっと前から知ってはいたが、友人に勧められて行ったウィーン・フォルクスオーパ
ーのオペレッタ公演を見てすっかり心を奪われてしまった。演目はオペレッタで最も人気のある「メリー
ウィドウ」。その夜は最高のキャストが組まれていたことが後日わかったが、その日より優れた公演に
は今まで会ったことがない。それほど素晴らしい公演であり、興奮してつい徹夜で語り明かして翌日仕
事を休んでしまったほどである。以来、フォルクスオーパーの来日を楽しみにするようになった。ドイツ
語でフォルクスオーオーパーとは「大衆的オペラ座」ってな意味なのだそうだ。数年後、そのフォルクス
オーパーとハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場の合同公演があり、それが実に面白かった。そ
の後、ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場の単独公演が毎年行われることになり、いつの間に
やら、すっかりハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場の大ファンになっていた。
フォルクスオーパーが洗練された都会的なオペレッタとするなら、ブダペスト・オペレッタは思いっきり土
臭くて人間味が溢れた世界だ。歌はもちろん、アクロバットのような踊りも演技もみな達者。笑いに溢れ
た舞台。アリアやデュオの間の台詞には、バンバン日本語を挟む。「ありがとう」だの「さようなら」なん
て短い言葉だけでなく、「俺たち友達、そうだよな?」なんて台詞も入る。十数人で結成したブダペスト・
オペレッタを愛する会の名前は「オレタチトモダチソーダヨナ倶楽部」であった。「メリーウィドウ」や「こう
もり」もいいけど、やっぱりブダペスト・オペレッタ劇場は「チャールダーシュの女王」や「伯爵家令嬢マリ
ッツァ」に「らしさ」を発揮する。主役のソプラノ・カロチャイ・ジュジャは美人で歌も巧いからみな大好き。
来日する度、日本語で日本の歌も歌ってくれる。オズヴァルト・マリカは最高齢と思うが、小さな体で見
事な踊りを披露する。彼らと会える年末から年始にかけての公演が本当に待ち遠しかった。そのうち、
大ファン4人は「全員仕事を辞めたら、ブダペストに一緒に行ってオペレッタを見まくる」という約束を酒
場でしたりしてね。
そんなことがあったからハンガリーに行きたくても「4人で行く約束があるから」とずっとガマンしていた。
しかし暫らくしてハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場日本公演の呼び屋(興行プロモーター)が倒
産してしまい、彼らの来日が途絶えてしまった・・・。現地の劇場でも、オペレッタはミュージカルと交互
上演であり、上演回数もそれ程多くないというようなことも聞こえて来た。ジュジャさんは今でも活躍して
いるのだろうか、マリカさんは引退したのか・・・わからなくなってしまった。結局4人全員が仕事を辞め
たのだが、こうなると「ブダペストに4人で行こう」という気持ちにはなれないわねぇ。今回ブダペストの
夜、オペレッタ劇場に行こうと思い調べて貰ったら、「その日公演はありません」とのことだった。オペレ
ッタはどんどん力を失ってゆくばかりで、それが哀しい。
ドイツ人の作曲家ブラームスの作品(編曲)に「ハンガリー舞曲集」がある。21番まであるうち1番と5
番が特に有名である。21世紀の今でも、ハンガリー舞曲はハンガリーの民俗音楽と思っている人は当
然多いと思う。当時のドイツでも、ロマ人のジプシー音楽とハンガリーの民俗音楽を同一視してしまう誤
解があってハンガリー人は怒っていたらしいが、そこへもって来てブラームスがロマ人から採譜したジ
プシー音楽を「ハンガリー舞曲集」とタイトルをつけて大ヒット。更にそういった誤解に拍車をかけてしま
ったようなのだ。同じように、ハンガリー生まれのリストの作品に「ハンガリー狂詩曲」がある。これもロ
マ人によって編曲された演奏をリストが採譜し、ハンガリー古来の伝統音楽と位置づけて「ハンガリー
狂詩曲」と名付けたから、当時の愛国的ハンガリー人は激しく怒り、リストを非難した。
そんなに厳密に言わんでも・・・と思われる方もおられようが、中国のドラがドワ〜ンと鳴っているのに、
「実に日本らしい音ですねぇ」なんて他国の人に言われたら、私達は毅然と「チャイます!それは中国
の音、日本とは全くチャイます!」と言うでしょ?そうゆうもんですよ。それを「日本舞曲」なんてタイトル
がつけられて世界中にヒットなんかされたら怒りまくるでしょうに。わかる、わかる。まぁそれはともかく、
ハンガリー音楽ではないブラームスの「ハンガリー舞曲集」とハンガリー音楽ではないリストの「ハンガ
リー狂詩曲」、私は大好きです。
リストは作曲家でもあったが、超絶的な技巧を持つ最高のピアニストでもあった。今年生誕200周年を
迎えているが、彼を超えるピアニストは現われていないと言われている。とにかく、どんな南極じゃなか
った難曲でも、初見でカンペキに弾きこなしたのだそうだ。しかも、1度も鍵盤を見ないで弾いたんです
ってさ。信じられない!そのリストの演奏を聴いて、あまりの衝撃、カンドーに気絶する観客は数知れ
ず・・・。後にシューマン夫人となる少女クララはリストの演奏に衝撃を受け、その場で号泣したという逸
話も残っている。子供時代にベートーヴェンに褒められ、ショパンに驚嘆され、メンデルスゾーンに「人
生の中で最高の演奏」と激賞された。クラッシック音楽史に登場するキラ星のような作曲家に褒めちぎ
られ、女性ファンがバタバタと失神する超アイドルだったリスト。派手で華やかな女性遍歴を重ねたこと
は想像に難くない。リストの娘の一人、コジマは作曲家ワーグナー夫人となった。あのリストが父親で、
あのワーグナーが夫という人生も凄いよね。12歳からはパリ、スイス、キエフ、ローマ、ドイツなどで暮
らしていたし、生涯ハンガリー語を話すことが出来なかったリストであるが、生まれた土地であり11歳
まで過したハンガリーを終生「祖国」として愛していた。ハンガリー人であるというアイデンティティを持っ
ていた。1811年生まれのハンガリーの音楽家リスト・フェレンツは、本年2011年10月22日(土)200
歳を迎えた。ヨカ男子リストに会って私も失神してみたかった・・・。
ボク生後2週間だニャン ガキ!
* ハンガリーの旅の始まりは 10月 2週 をご覧ください。