パクパク日記12年5月3週

         フランスの大統領が交代するというのでちょっと行ってみた。ボンジュール!

    モンサンミッシェル  ルーアンの店頭

5月 14日(月) 晴れ

朝 家食 バナナ、ビシソワーズスープ

7時起床。早速パソコンの前に座り、43週分のパクパク日記を仕上げてアップ作業。1時間かかっ

たけど、無事更新出来てホッ。このまま東京にいれば、1ヶ月遅れ解消も実現可能そうだが、そうも行

かないのよね。今日出かけちゃうから。カンタン朝食の後、次は何するの?スーツケース作りですね。

昼 家食 コロッケふすまパンバーガー、卵とコーンのスープ、お茶

水分を飛ばすためにふすまパンを3度オーブントースターで焼いて冷まし、1日分6枚づつ真空パック

に。これをスーツケースに詰めれば荷作り完了!あとは手荷物の準備。外に食べに行く時間がもった

いないから、昼食も家でチャチャッと。夕刻スーツケースを福山通運に預けて地下鉄で新宿に向かう。

夜 成田日航ホテル「サンセットラウンジ」 野菜スティック、三種前菜盛り合わせ(小) 2100円、イカ

の四川風炒め 1500円、シューマイ(4個)  700円、生ビール 2杯、ジントニック @5450

  

  

ここ数年、成田前泊は日航ホテルと決めている。夕食は、ここ「サンセットラウンジ」と決めている。飲み

助で保守的な人間だから・・・。こう回数を重ねていると、入っていくだけで、「ほら、また中華料理出前

で頼む酒呑み婆さんが来たぞ」の雰囲気になる。かどうかは知らんが、たぶんね。料理はいつもハーフ

サイズを注文するのに、イカの四川風炒めはどう見ても3人前はあるフルサイズ。代金は1500円しか

支払わないけど食べても食べても無くならずに参った。お陰でシューマイ残しちゃったよ。満腹である。  

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5月 15日(火) 成田は雨  パリは小雨    今日は24時間+7時間=31時間

第1食 成田日航ホテル「セリーヌ」 ブレックファーストセット

いつも朝食ヴュッフェを含んだプランなのだが、今回はどうしたわけかブレックファーストセット付きだっ

た。これを予約した人「セリーヌ」の別室で食べる。お粥かぁ。これは要らんな。サラダと茹で卵とコーヒ

ーで第1食終了。物足りない分は、空港のANAラウンジできつねうどんと稲荷寿司で補う。補い過ぎ。

第2食 成田空港 ANAラウンジ きつねうどん(小)、稲荷寿司

第3食 ANA成田=パリ ビジネスクラス機内食

  

  

パリ行きANAに乗る。私の大好きなスタッカード座席。似たような座席は中東のエディハト航空にもあ

るあるが、あれは狭過ぎて寝返りも打てなくて全然ダメ。バージンアトランティック航空(キャセイの機材

にも一部あり)のアッパークラスシートも好きだけどね。スタッカード座席の良いところは、ほぼ誰の顔も

見ずに(見られず)坐っていられること。飲み過ぎて酔っ払っていても、映画観て泣いていても、うとうと

して鼻ちょうちん作っていても見られない!素晴らしいじゃん。そんなことで、赤ワイングビグビ飲みな

がら、映画「戦場の馬」を観て涙ボロボロ。映画はともかく、ジョーイという馬とアヒルの演技が凄いの!

第4食 ANA成田=パリ ビジネスクラス機内食 わきやプレート

「戦場の馬」の次は「ALWAYS三丁目の夕日64」を観て、またもやボロボロ。ただ茶川竜之助役の吉

岡秀隆がギャーギャー叫ぶ場面が多くて都度ヘッドホン外すから忙しい。堤真一は面白い役者だし、

星野六子役の堀北真希は、梅ちゃん先生とちゃんと演じ分けているね。当り前か。涙流すと腹が減る。

2食目は、1品料理のアラカルトでもいいし名店プレートでもいいし注文料理に幅がある。以前栗原は

るみ監修の料理を注文して全く美味しくなかったことが2度あったが、わきやプレートはいいね。旨い!

第5食 フランス・ロワール「ノボテルブロア」客室にて サンドイッチ、ウィスキー、バナナ

11時間45分のフライトは一睡もせずにパリに到着してしまった。時差7時間。現地時間午後4時半過

ぎのパリは雨だった。今回参加者と顔合わせ。はい、覚えました。だって今回ツァー参加者5名。その5

名と添乗員のMさん、スルーガイドのルミさんの7人はベンツ製大型バスで移動する。パリ郊外の道

路は渋滞していた。今日はフランス大統領の交代の日なのだ。ブロワのホテルに到着したのは9時を

過ぎていたが、未だ明るい。中国人客の団体がロビーにタムロしていた。本日5回目の軽食を客室で。

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5月 16日(水) フランス・ロワール地方&ノルマンディ地方は快晴   1ユーロ=約100円

 フランス・ロワール「ノボテルブロア」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

昨夜は2時間半ほど眠った後目が覚めて、朝まで眠れずゴロゴロしてしまった。ココロはフランス、カラ

ダは未だ日本にいるってことか。朝食ヴュッフェのパンがムッチャ旨そうであったが、2日目から違反し

ちゃぁアカンしね。ガマン、ガマン。8時45分チェックアウトしてロワール観光に出かける。快晴である。

   

        フランソワ1世が築いたシャンボール城                               ロワール川の向こうにブロワ城が見える

  「6人の女性の城」シュノンソー城                2番目城主ディアーヌ・ド・ポワチエ              優美なお城の姿

ロワール渓谷のロワール河流域265`に渡る地域が2000年ユネスコ世界遺産に登録された。ここ

には19の古城がある。先ず車窓から見えたのはメナール城。あのポンパドール夫人が住んでいた城

ね。次はシャンポール城。フランス王フランソワ1世が建設を命じたものだが、狩猟用の館として440

部屋が必要か?通算55日しか滞在しなかったというのに、パリ市と同じ敷地面積が必要か?何でもラ

イバルのカール5世に「どんなもんよ!」って思わせたかったらしいよ。フランソワ1世にイタリアから呼

ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチの発想が入っているらしいけど真相は不明。ブロワ城、ショーモン城、ア

ンボワーズ城を遠くにボーっと見て最後に人気ナンバー1のシュノンソー城へ。「6人の女性の城」とい

う異名を持つシュノンソー城だが、2番目城主のディアーヌ・ド・ポワチエはフランス王アンリ2世の愛妾

だった。アンリ2世より20歳も年上だった絶世の美女ディアーヌ。しかし王が死ぬとイタリアから嫁いで

来た王妃カトリーヌがディアーヌを追い出して城主となり・・・。ディアーヌの庭もカトリーヌの庭もあるよ。

昼 ロワール「La Cave aux Fouees ICI」 豚肉のリエット、グリーンサラダ、小鳩の煮込みとソー

セージ、山羊のホットチーズ、アップルパイ、白ワイン、赤ワイン、持参のふすまパン

  

  

ランチはかつて石切り場だった洞窟をレストランに改造した店で。ロワール産の白ワインを1杯サービ

スという話だったが、赤も白も大きなデキャンターでドカンとテーブルに置かれた。昼は酒を飲まん主義

だが、今日は飲んじゃいますかね。味見程度に。グビグビ・・・・味見で赤白3杯づつ?豚肉のリエット、

山羊のホットチーズがとても旨かった。ご一緒する4人の方々ともすっかりうちとけた。うぃ〜酔ったぞ。

夜 モンサンミッシェル・メルキュール「Le Pre Sal’e」 2種魚のテリーヌ、チキンのエリカロープ、ク

リームカラメ、持参のふすまパン)、地ビール 7ユーロ、白ワインシャブリ 9ユーロ、赤ワイン、サ

ンテミリヨン 9ユーロ

    

  

 モンサンミッシェル三景(右:バスの中からプレサレの羊と共に  中:午後10時過ぎの夜景 左:ホテルに展示してあった写真)

午後は移動だ。モンサンミッシェルまで4時間強。睡眠不足だし、ランチでたくさん飲んだワインが効い

てきてぐっすり眠るつもりが、目はパッチリ!仕方なく文庫本など読む。午後5時前、やがて向こうに見

えて来た、あのモンサンミッシェル城が!バスの中ではあるが、パチバチ、バシバシとカメラを向ける。

午後6時半ホテル到着。7時半から夕食だったが、レストランに行ってみると95%は日本人観光客でビ

ックリ!数年前に行った夏のスイスのようであった。聞いてみると、他の国の人はわざわざモンサンミッ

シェルに泊まるようなことはしないのだそうで・・・。この辺りの今の日没時間は午後9時45分頃。夕食

後モンサンミッシェル夜景を見たい人は940分に集合した。バスで行く人もいたが、私はB夫人と

歩いてモンサンミッシェルへ。約5千歩歩いて夜景を撮影。さすがに寒くなって来たな。帰りはバスで。

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5月 17日(木) 曇ったり降ったり        今日は母の祥月命日

 モンサンミッシェル・メルキュール「Le Pre Sal’e」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン 

  

       かつて満潮時多くの巡礼者が落命した           最上階にある13世紀の回廊              オベール司教の夢に出た大天使ミカエル

6時起床。すぐ外を見る。う〜む、雲が多いなぁ。今日はモンサンミッシェルの見学なので雨は降らんで

欲しいのだが、ビミョーなところだ。6時半朝食に行くと、既に何組かの日本人グループが食事をしてお

り、次から次へと入って来る客もすべて日本人だ。レストランのスタッフにはヘンな日本語喋る人多数。  

8時半シャトルバスでモンサンミッシェルへ。モンサンミッシェルはサン・マロ湾上に浮かぶ小島に築か

れた修道院。風が強くムッチャ寒い!念のため持って行ったコートを即着る。9時開門と共に入場。狭

い路地の両脇にはビッシリ土産物屋やレストラン、カフェなどが建ち並ぶ。あぁ、ここが有名なオムレツ

を出す店ね。「プラールおばさんのオムレツ」は38ユーロもする!だらだらした上り坂だったが、途中か

ら石段が出現。これがずっと続く。ハァハァ・・・ヘロヘロ・・・・ハァハァ・・・・。ガイドのルミさんが「金毘羅

さんの3分の1よ〜!がんばってー!」と叫んで励ましてくれる。雨が降って来た。ハァハァ・・・ヘロヘ

ロ・・・・ハァハァ。やっと修道院に着いた。8世紀から数百年に渡って増改築を続けて来たカトリックの

修道院。ここからの眺めはスンバラシイなぁ。工事が長年に渡ったためロマネスク建築とゴシック建築

が交じり合っている。修道院として造られたが、英国との百年戦争時は要塞として、また牢獄としても利

用されたモンサンミッシェルである。今日は私の母の命日でもあるが、キリスト聖天祭である。他の観

光グループは誰も気づかなかったが、ルミさんに教えられてキリスト聖天祭特別ミサを鍵穴からこっそ

り覗いた。ぼんやりではあるが、オベール司教が初めて築いた時の聖堂の一部が見ることが出来た!   

昼 アヴランシュ 「Croixd‘or」 キッシュ、コック貝ベルーテソース魚(鮭・あんこう・鱈)の盛り合

     わせ、ムースケーキ、持参のふすまパン、コーヒー 3ユーロ

  

モンサンミッシェルを築け!と夢で命じられた司教オベールが司教をつとめていたアヴランシュの町で

ランチを摂る。ホテルの中のレストランで、ここで食べたキッシュの美味しいこと!ハンサムなドライバ

ーのヤンさんは猟師町出身なのに魚が苦手。肉を食べていた。このホテルの庭は花だらけで美しい!

    エリック・サティの出身地でもあるオンフルールは港町。フランス最古で最大の木製教会サント・カトリーヌ教会がある

夜 ルーアン・メルキュール・シャンドマルス 砂肝とポーチドエッグサラダ、ポーク料理、カルバドスソ

ースのチーズケーキ、持参のふすまパン、ビール4ユーロ、白ワイン6ユーロ、赤ワイン6ユーロ

   

EU圏内ではバスのドライバーに2時間(だったかな)ゴトに15分の休憩を与える必要がある。それもあ

ってガソリンスタンドに付属されたドライブインでトイレ休憩。モンサンミッシェル帰りらしい日本人観光

客(私らもそうだけど)の大型バスが3台いっぺんに到着してしまい、トイレは日本人客で溢れ返る。そ

こで関西弁のオバちゃんが大声で叫ぶ。「男子トイレガラガラやんかぁ。私らのグループはあっちでしよ

な。旅の恥はかき捨てやぁ」。日本人として恥かし・・・。3時半セーヌ河口にあるオンフルールに到着。

未だ小雨が降っている。傘をさして港町を散策。オンフルールは作曲家のエリック・サティの生まれ故

郷であり印象派の画家達に愛された町らしい。フランス最古の木製教会を覗いたりして過し、夕刻バス

は宿泊地ルーアンに到着した。夕食に出たポークが柔らかくジューシーでとても旨い。仏語でセボン!

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5月 18日(金) 曇り時々雨

 ルーアン・メルキュール・シャンドマルス 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

  終焉の地に立つジャンヌ・ダルクの像       モネの連作(右写真はその1枚)で有名なノートルダム大聖堂は改修中

午前中は徒歩でルーアン観光。かつてノルマンディー公国の首府として栄えた古い街でしっとりと落ち

着いた印象だ。ルーアンはジャンヌ・ダルクが火刑に処された町だ。処刑場であった旧市場広場には、

ユニークなデザインのジャンヌ・ダルク教会があり、その前にはジャンヌ・ダルクの像が十字架を見つめ

ていた。11時に教会は開くと聞いていたがナゼか閉まったままだった。大時計通りを歩いて10分もす

るとモネの連作でも有名になったノートルダム寺院に着く。1063年に創建が始まった寺院立派だねぇ。

昼 ルーアン「La CO‘URONNE」 ミックスサラダ、鴨肉のソティカルバドスソース、シャーベッドフル

ーツ添え、持参のふすまパン、コーヒー 6ユーロ

  

 王冠という意味の「La CO‘URONNE」は木骨組みの建物でフランス最古のオーベルジュ    昔から有名人が訪れる店

  

ジャンヌダルク教会の真ん前にある「ラ・クローヌ」というレストランは、フランス最古のオーベルジュだそ

うだ。1345年創業という。「王冠」という意味だ。グレース・ケリー、ブリジッド・バルドー、ソフィア・ロー

レンなどチョー豪華女優陣や芸術家、政治家などがしばしば訪れて食事を楽しんだそうだ。11時半か

らの早めのランチはこの店の3階個室で。店内に入ると有名人の写真とサインだらけだった。サラダに

続いてメインは鴨肉。デザートは完熟フルーツにシャーベットが2個ものっていた。濃厚で美味しいな。

  

       噴水庭園から宮殿を見る            ここでルイ16世とマリー・アントワネットは挙式した      3人の子供とマリー・アントワネット

ルーアンからヴェルサイユ宮殿までは結構近い。宮殿見学の予約時間は3時。2時半に到着したので

30分間庭園の見学をチャチャッと済ませる。全部歩いたら1日かかる程の広さだ。去年7月に来たば

かりだから見学にもあまり力が入らないが、押し合いへし合いされているうちにだんだん意地が出て来

てまたもやバシャバシャと写真など撮ってしまった。中国人観光客が何と多いことよ。この宮殿を造った

ルイ14世は幼くして即位し、在位期間は何と何と62年間を超えるのだよ。先ごろ、英国のエリザベス

女王2世在位60周年のお祝いが盛大に行われたが、ルイ4世は17世紀を超えていた。でも、今ヴェ

ルサイユ宮殿を訪れる人々での1番人気は、やっぱりマリー・アントワネットと鏡の間みたいね。ふぅ。

夜 シャンティー「シャトー・モンヴィラルジェンヌ」 フォアグラチキンロールのサラダ、ビーフサーロイン

ステーキ、チョコレートタルトフルーツ盛り合わせ、持参のふすまパン)、白ワイン 2杯、赤ワイン 

2杯、ビール 4,5ユーロ

  

  

  

初日シャルル・ドゴール空港からご一緒して素晴らしい案内をしてくれたスルーガイドのルミさんとはヴ

ェルサイユ宮殿でお別れ。彼女のフランスの苗字を聞いた。えぇ!ミッシェルさん?メルシーボークー!

私らはシャンティーのシャトーホテルに向かった。午後6時シャトー・モンヴィラルジェンヌに到着。19

紀に造られたロス・チャイルド家の邸宅をホテルに改造したホテルである。全部違う部屋と聞いていた

が、私に割り当てられた客室は花柄カーテンのサッパリした部屋。天井が高いのがいいか。夕食前に

庭園に出てみると、写真を撮っているのは私らグループの5人だけだった。ゴージャスなレストランで晩

餐。明日からのパリは自由行動なので、皆さん揃っての夕食はこれが最後となる。赤と白ワイン2杯づ

つサービスして貰った。私は他にビールも飲んで、部屋に帰れば持参のウィスキーも飲むんだけどね。

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5月 19日(土) シャンティーもパリも晴れ 夜小雨

 シャンティー「シャトー・モンヴィラルジェンヌ」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

   

       朝食ヴュッフェは6時半から       蔦が絡まるシャトーホテル         シャンティー城は撮影しただけ

   シャイヨー宮から眺めたエッフェル塔    ナポレオンが建設を指示した凱旋門     市民の憩いの場チュイルリー公園

8時半チェックアウトして一路パリへ。の予定であったが、ドライバーのヤンさんがサービスしてくれてシ

ャンティー競馬場とシャンティー城を撮影できるよう迂回して近くで停車してくれた。こんな人柄の良いド

ライバーも珍しい。そしてパリへ。順調にバスは進んでシャイヨー宮でエッフェル塔を撮影し、地下道を

通って凱旋門の下にも行ってみた。B夫妻とS木さんはパリ(というか初フランスね)初めてということで

興奮して楽しそう!お天気良くて良かったよね。コンコルド広場で下車。この広場はマリー・アントワネッ

トを含む1343人もの人々が処刑された場所でもある。モネの晩年の傑作と言われる「睡蓮」で有名な

美術館であるオランジュリー美術館を1時間ほど鑑賞して観光終了。チュイルリー公園を歩いて昼食。

昼 パリ 「福禄寿酒家」 コース(コーンスープ、鶏肉唐揚げ、酢豚、牛と野菜炒め、椎茸甘煮と白菜、

麻婆豆腐、チャーハン、杏仁豆腐

  

  

ルーブル美術館にほど近い中華料理屋でグループ最後の食事。中国人グループを多数受け入れる店

らしく、お決まりのコースがドカンと出て来る。中国料理にはチト煩いから全く感心しない料理であるが、

久々の箸と米に皆さん嬉しそうだった。昼食後はオペラ座裏のギャラリー・ラファイエットで買い物のた

1時間フリー。その後、私だけバスを降りて皆さんにお別れする。帰国する時またお会いしましょう。

  

     ルグラン・インターコンチネンタルのエレベーターホール                      今回の客室はここ。スクリーブ側だ

他の皆さんはベルシーのホテルに向かわれたが、私1人ホテルを替えてルグラン・インターコンチネン

タルにチェックイン。アシスタントの方が手伝ってくれるから全く心配ない。考えてみるとこの1年間にこ

のホテルに泊まるのは3回目だなぁ。オペラ座と同じガルニエの設計で「双子のガリニエ」と呼ばれる。

夜 パリ 「16 HAUSSMANN」 57ユーロのコース(花塩とオレンジ風味のオランダソースで仕上げ

たグリーン&ホワイトアスパラガス、カダイフで仕立てた仔羊のパイ包み焼き、チョコレート・ピスタ

チオのスィーツ)、シャンパン、ビール 7ユーロ×2杯、赤ワイン

  

  

夕食は「16 HAUSSMANN」の57ユーロのコースを予約して貰った。参加した旅行社ではこうゆうサ

ービスもあるのだよ。「16 HAUSSMANN」とは、HAUSSMANN通りの16番地という意味。ラディソ

ンホテルの1階にある。「ボンソワー」と挨拶しながら入って行って、予約表の紙を出せばそれでよろし

い。フランス語わからんでも困ることは無い。でも何か飲むかと言われたら、即「ユヌ ビエール シルブ

ープレ!」。「ビア プリーズ」でもいいんだ、通じるから。2杯飲んじゃったよ。ルミさんにここは美味しい

よ!と勧められたが、確かに上品で丁寧な料理って感じ。シャンパン、ワインついて57ユーロは安い。

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5月 20日(日) パリは曇り小雨晴れそして雨

朝 パリ・ルグラン・インターコンチネンタル 「カフェ・ド・ラ・ペ」 朝食ヴュッフェ

  

午前4時枕元においた携帯で起こされた。メールだった。おぉ!昨夜ドイツのドリスデンのチームと試合

をしたアメフットチームの試合結果だった。29対17で勝利!わぁーい!昨日試合が始まる頃、頑張れ

よー!とドイツの方向観て祈っていたのだ。まぁ親善試合だから勝ってどうなるってものではないが、嬉

しい。朝食は有名なカフェでもある「カフェ・ド・ラ・ペ」で。和食があるのだよ。ふすまパンはここまで冷蔵

庫が無いホテルが多くてダメになってしまった。クロワッサン半分と味噌汁に一口ご飯入れて食べた。

 小雨降る中オルセー美術館前の行列        オルレアン鉄道終着駅を使用した美術館は修復を終えたばかり

9時ホテルを出発して95番のバスに乗る。昨日買っておいた地下鉄と共通のカルネを使う。ルーブル

美術館の中庭を突っ切ってセーヌ川を渡ったらバスを降りよう。セーヌ川に沿って西の方に暫く歩けば

左側に元駅舎だったオルセー美術館が見えて来る。2年間の修復工事も終わって朝9時半からオープ

ンしている。935分に到着したが、既に行列。並ぶこと15分で中へ。入場料9ユーロ、5ユーロのイ

ヤホンを借りる。先ずは5階までエスカレーターで上り、印象派の絵画をジックリと鑑賞。マネ、モネ、セ

ザンヌ、ドガ、ルノアール、シスレー・・・・。一昨日ルーアンで見たノートルダム大聖堂の連作もあった。

昼 パリ 「ひぐま」 チャンポンと焼き餃子セット 10ユーロ

  

私の場合、美術館での集中力が続くのは2時間。10時から見始めて正午でオシマイにする。その位が

ちょうどいい。雨は止んだな。外に出ると朝の2倍の人が並んでいる。日曜日のパリは美術館くらいし

か行くところ無いしね。帰りは歩いて。「金太郎」に行ってみたら、休み!え?この店日曜日定休日だっ

たっけ。仕方なく「ひぐま」に行った。焼き餃子は旨かったが、チャンポンはどうもね。麺は殆んど残す。  

午後のお茶 パリ 「スタバ」 アールグレイ  3,35ユーロ

夜―1 パリ 「カプシーヌ」 スープ・ド・ポワソン、牛ランプ肉のフランベ・ペッパー風味 ポテトグラタン

添え、タルト・タタン バニラアイスクリーム添え

  

スタバでお茶しながら読書したり、パリの街をぶらぶら散歩したりで午後を過す。今日は1万6千歩いた

ぞ!普段なかなか運動しない人間であるが京都とかパリとかに来ると不思議にテクテクと歩いている。

夢ちゃん、パリジェンヌになる?え?それはムリ?っるせい!今夜の夕食はホテル近くの「カプシーヌ」

で。昨年12月にこの店に来て気に入って予約をお願いした。その時の個室とは違って2階の一般席だっ

たので、赤い照明の影響で料理はすべて赤く見える(涙)。大好きなスープ・ド・ポワソン。味は良いが

ちょっとぬるくてね、そこが減点。以前美味しかった鴨肉を食べようと思ったのに、今日のメニューには

ない。代わりに注文した牛ランプ肉はフツーだった。デザートのタルト・タタンも半年前とはスタイルが変

わっていた。記憶と違う料理で少々ガッカリはしたが、便利な場所で気軽に食べられる所は買いだね。

夜―2 パリ・ルグラン・インターコンチネンタル バー ジントニック 2杯

  

午後8時半にレストランを出たが、この時間ではもちろん明るい。嬉しいような、困ったような現象だ。そ

れじゃ、ということでホテルのバーで2杯飲むことに。「ラ ディシオン シルブープレ」(勘定してちょ!)

                      _______________

【今週の振り返り】

フランスのロワール地方には随分昔に行ったことがある。パリから1日のバスツァーに参加したのだっ

た。毎晩遅くまで遊ぶ日々だったのに、その朝は随分早く起き出してロワール古城巡りのバスに乗車し

た。とてもヘンチクリンな日本語を話す中年女性がマイクで何か喋っていたが、聞きずらい上に睡眠不

足でロワールまでの2、3時間はグッスリ眠りこけた。やっと古城巡りが始まったのだが、城に着いても

目が覚めず、説明も聞いていずで何を見たのか全く記憶が無い。まぁ、そんなことだったから、今回は

初めて来た場所のようにジロジロと興味を持って観光したのだった。

19あると言われるロワール古城の中で、フランソワ1世が建設を命じたシャンポール城にも興味はあ

るが、やっぱり面白いのはシュノンソー城である。ロワール河支流シェール川の上に建てられた美しい

姿もさることながら、「6人の女性の城」という異名の通り、シャンポール城主6人の女性の歴史は実に

興味深い。2代目城主ディアーヌ・ド・ポワチエは、15歳で39歳年上の領主に嫁ぎ、2人の娘を産む。

32歳で未亡人となるが、いろいろいろ実にいろいろあって、フランソワ1世の次男アンリ2世の愛妾とな

る。彼の子供達の家庭教師でもあったのだが・・・。しかもアンリ2世の正妻カトリーヌの従姉弟でもあっ

たのだが・・・。ビックリするのは、愛妾になったディアーヌは国王の20歳年上であり、愛妾になった時

は既に39歳だったことだ。羨ましい・・・・。彼女は若返りのために飲み続けたと言われる金の中毒で亡

くなったと推測されている。

3番目の城主はアンリ2世の正妻カトリーヌである。カトリーヌ・ド・メデシィス。フランス料理が現在のよ

うなカタチになったのは、カトリーヌとフランス王室の婚姻が関係していると大昔教えて貰ったころがあ

る。嫁ぐ姫に随行したイタリア・フィレンツェのメディチ家の料理人達がフランスに料理の術を伝えたこと

が今のフランス料理になったと聞いた。料理の話はともかく、メディチ家のカトリーヌである。器量は「中

の下」だったらしい。しかも気が強い。夫のアンリ2世が強く思っているのは、先日襲名した2代猿翁で

はないが、幼い頃にココロを奪われた20歳年上の超美人ディアーヌ・ド・ポワチエである。どんなことが

あってもアンリ2世は、ディアーヌを頼った。考えること、行動すること、すべてディアーヌが基本であっ

た。アンリ2世はそのディアーヌ・ド・ポワチエにシュノンソー城をプレゼントした。ディアーヌは狂喜した。

マズイことに、カトリーヌとディアーヌは従姉妹同士でもあった。嫉妬深い従姉妹のことを慮り、賢いディア

ーヌはアンリ2世に「夜はカトリーヌのところに行きましょうね」と勧め、カトリーヌは10人の子供を産

むことになる。1559年アンリ2世は馬上槍試合の傷が元で亡くなってしまう。カトリーヌはディアーヌに

告げる。「このシュノンソー城から出て行って!代わりにショーモン城に移ってよ!!」。ま、こんなこと

があって、シュノンソー城の主はディアーヌからカトリーヌに移ったわけですよ。そんなことを考えながら

城を見学すると更に愉しい。

モンサンミッシェルは、「聖ミカエルの山」という意味である。708年大天使ミカエルが、アヴランシュ司

教オベールの夢に出て来て、この岩山に聖堂を建てよ!と命じた。オベール司教は「まぁ、夢だし」と本

気にしない。また同じ夢を見る。また無視。そして3度目の夢でミカエルはオベールの額に指を当てて

命令した。「こらぁ、造らんかいっ!」と恫喝したわけ。翌朝目を覚ましたオベールは頭蓋骨に穴が空い

ていることを発見して驚愕。「へへぃ、ただいま、ただいま」と慌てて小島の岩山に小さな聖堂を建てた。

それが、モンサンミッシェルの始まりであり、「西洋の驚異」と称されるカトリックの巡礼地の一つとなっ

た。余談だが、「大天使」とはエライ天使だとばかり思っていたのに、10段階のうち下から2番目の言わ

ば「主任クラス」の天使と聞いてビックリした。

1877年モンサンミッシェルに現在のような地続きの道路が築かれ、修道院のある小島と対岸は潮の干

潮に関係なく渡れるようになった。ここサン・マロ湾はヨーロッパの中でも干潮の差が最も激しいところと

して知られ、かつては一気に満ちる潮で多数の巡礼者が命を落としたのだ。しかし、地続き道路は潮流

を堰き止めるため、この百数十年の間に2m以上の砂が堆積してしまった。そこで、この道路を取り壊

して、新たに橋をかける計画が作られ、とっくに実行に移されているハズであった。しかし、2012年の

今になっても、本格的な工事は行われていない。遅れても計画はゼッタイ実行するとのことだから、そ

のうち、橋がかかったモンサンミッシェルが出現するのだろう。7回目のフランス訪問でようやく来た私

ではあるが、お奨めですよ、モンサンミッシェル。一度はご覧になってくださいまし。

                 サルコジからオランド?それニャヌ?

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