パクパク日記12年7月2週

            フランスとスペインにまたがるバスク地方は美食の宝庫だった!             

バスクのバラ  パンプローナ牛追い祭(TV

7月 9日(月) スペイン&フランスバスク地方は曇り    1ユーロ=100

朝 スペイン・サンセバスチャン 「ホテル LONDRES」 朝食ヴュッフェ

    ホテルはコンチャ湾に面している

ソムリエN国さんと訪ねるワインと美食と美しい村の旅も7日目。昨日からスペイン・バスク地方のサン

セバスチャンに滞在している。朝食前携帯電話が鳴った。ヤマト運輸がお中元いつ届けたらいいかと。

続いて歯科医のE藤先生からも。みんなスペインまでよく電話して来るなぁ。ホテルの朝食ヴュッフェは

極めてフツーの料理が並んでいた。ここまで5ッ星ホテルばかりだったから、おちるのは仕方ないかな。

  

              結婚式前滞在したルイ14世の館    サン・ジャン・バプティスト教会で挙式した    マカロン発祥は「メゾン・アダム」の店   

10時フランス・バスク地方を訪ねる1日。バスは昨日走って来た道を戻る格好だ。バスク地方はフラン

スとスペインに跨っている。「バスク」とは「「山の民」の意味だとか。そのバスク人は独自の言葉バスク

語を持っている。例えば、「おはよう」はバスク語で「エグノン」。「美味しい」は「オソンド」。45分も走ると

海岸沿いのサン・ジャン・ド・リュズに着いた。あの家作曲家のモーリス・ラヴェルの生家ですって。ラヴ

ェル?あぁ、いやになるくらい繰り返すバレエ音楽「ボレロ」を作曲した人だわ。ラヴェルはフランス系バ

スク人ですか。この町が後世に名を残すことになった歴史的な出来事は「朕は国家なり」のエピソード

で知られる太陽王ルイ14世がスペイン王女マリー・テレーズと結婚した町であること。それまでフラン

スとスペインは長らく戦っていたから、謂わば「手打ち」のような結婚であった。結婚式が行われたサン・

ジャン・バプティスト教会に行ってみると、ナポレオン3世夫人ユージェニーが息子と船で遭難した時漁

師達に助けられたことのお礼として贈られた船の模型が天井から下がっていた。この町の菓子屋「メゾ

ン・アダム」はマカロンを初めてつくったと言われ、婚礼でも献上したらしいよ。添乗員Y本さんが代表

で買ってくれたので1つ食べてみたが、今のマカロンとは全然違う味だった。自由時間に町をぶらぶら。

昼 フランス・サン・ジャンド・リュズ ☆「ホテルグランドホテル」メロンのガスパチョスープ生ハム添え、

黒豚料理ピーマン添え、プチフールとエスプレッソ、白ワイン イレルギーIROU2010 60ユーロ

  

    海岸に面した5ッ星ホテル

今日の昼食は自由食だが、「せっかくの美食の宝庫バスク地方にいるのだから、みんな美味しい店で

食べましょうよ」と昨夜の飲み会で主張して、添乗員Y本さんが頑張ってくれた。月曜日は休むレストラ

ンが多い中で、5ッ星のグランドホテルにある1ッ星のレストランを12時半に予約。それぞれ好きなメニ

ューを撰ぶ。私はメロンのガスパチョスープ生ハム添えと黒豚料理ピーマン添え。う〜む、どれも美味し

いなぁ!それにN国さんが選んでくれた白ワイン。この旅では「昼は飲まん」とは言わないことにした。

       

 ユージェニーの館は今オテルデュパレ                 イゲルド山から見るコンチャ湾とサンセバスチャン

午後は大西洋海岸最大のリゾート地にして、フランス屈指の高級リゾート地であるビアリッツに行く。ナ

ポレオン3世が夫人のユージェニーのために夏の王宮を建てたことから、王侯貴族の保養地にもなっ

た。灯台のあるモンテ・イゲルド展望台から見るビアリッツの海岸。左側にはヌーディスト・ビーチがあっ

たが、今日はうっかり一眼レフカメラを忘れて来てしまったのだ。いえいえ、別に見たいなんてこたぁあ

りません。再びサンセバスチャンに戻って、フニクラに乗ってイゲルド山に登る。♪赤―い火を噴くあの

山へ〜行こうよ〜行こうよ〜♪じゃなかたったな。頂上からの眺めに一堂息を飲む。スゲェ景色だぁ!

夜−1 スペイン・サンセバスチャン・ウェスティンホテル 「正陽大酒楼」 5人でシェア) 魚の揚げ物

の付きだし、春雨と野菜炒め、ピリ辛フライドビーフ、アワビとマッシュルームスープ、青菜炒め、ロ

ブスターフライ、五目野菜、モヤシ炒め、鴨入り焼きそば)、ビール、白ワインスペイン 「ALION」

2007 50ユーロ

  

  

    昨日オープン!

夕食も自由食。昨日からウェスティンホテルに中華レストランがオープンしたと聞き、中華料理5人、シ

ーフード3人に別れて夕食を摂ることに。小雨降り出した中、ソムリエN国さんを先頭にウェスティンホ

テルに。迷う。だってウェスティンホテルはマリア・クリスティーナの名前のままだったから。それはとも

かく、昨日オープンしたという「正陽大酒楼」はタイヘンな店であった。紹興酒を飲みたいと言うと中国

の酒は置いてないと。日本酒ならあるって。中国のお茶は無いんだって。中国料理のデザートは無い

んだって。スタッフは中国語だけ話す人とスペイン語だけ話す人だけ。英語、フランス語ダメ?支配人と

いう男性だけ英語が通じるのだった。それでも何品は食べた。N国さんはモヤシ炒めが1番旨かったと

言う。私はスペインワイン「ALION」2007が気に入った。雨が上がりぶらぶら歩いてホテルに帰った。

夜―2 サンセバスチャン 「ホテル LONDRES」 バー タンカレートニック、10ユーロ

ホテルに帰ると11時を過ぎていた。Y本さんが出迎えてくれた。じゃぁ、またバーで飲みましょうかね。

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7月 10日(火) 雨降ったり止んだり

朝 スペイン・サンセバスチャン 「ホテル LONDRES」 朝食ヴュッフェ

       警察官を先頭に今や遅しと待ち受ける人々          午前8時市街地に牛が放たれ、牛達は疾走する

命知らずの男達が牛に追われ牛と併走する         闘牛場に牛を追い立てる         もちろん怪我人続出する

7月6日からパンプローナでサン・フェルミン祭(別名:牛追い祭)が行われている。パンプローナはここ

から南に100`程行った場所にあり、7日から行われる牛追いの模様は、毎朝(8日間)スペインテレ

ビの1チャンネルで生中継されている。私も毎朝7時45分にはテレビ前にカメラを持ってスタンバイ。花

火と共に牛が放たれて闘牛場に追い立てられるまで1`足らずだから、時間も僅か2分数十秒。逃げ

場が無い細い道で牛と一緒に走り、牛の前を逃げまどう男達。私はこうして毎朝テレビ画面を撮影して

牛追い祭を楽しむのだ。ヘミングウェイの「日はまた昇る」に出て来るね、この祭。さて、今日は雨か。

皆さん電車に乗ってどこかにお出掛けのようだが、雨なら私は止めよう。一人でゆっくりと朝食を摂る。

昼 ホテル客室にて パン、茹で卵、ヨーグルト、バナナ、アーモンド

  

2時頃まで有川浩の「図書館戦争」を読む。面白い!このシリーズ別冊も含めてあと5冊あるから嬉し

いな。ランチは朝食ヴュッフェで頂いて来た卵やバナナ、ヨーグルトなどでチョーカンタンに。雨が止ん

だようなので、サンセバスチャンの町見学にぶらりと出かけた。ここの大聖堂は建設されてから未だ

100年余りで比較的新しいらしい。スペインの中でも富裕層が多い街と聞いたが覗いて見る店はセー

ル実施中でとんでもなく安い。安過ぎと文句言う筋合いも無いが手が出ない程安いということもある。

上野動物園で生まれたパンダの赤ちゃんが死んだらしい。NHKワールドのニュースが伝えていた。

夜 サンセバスチャン 「AKELARRE」☆☆☆ BEKARKIコース(蟹のエッセンス ぶり煮-とライス風

パスタ添え、マテ貝仔牛のすね肉添え、フォアグラのソテー 塩とフレークと胡椒を添えて、平目の

ココチャ(喉肉)、塩抜きした鱈とパリパリのパスタ、ビーフのスライス ポテトと胡椒のテールケー

キ、デザート@フロマージュいろいろ、A いちごとクリーム、プチフール、カモミールティ)、シャン

パン「SALON」1991、白ワイン ブルゴーニュ バターモンラッシュ「ルフブレ」2006、赤ワイン ス

ペイン 「エルミタ」2003、赤ワイン スペイン ベガシシリア「ウニコ」1996、デザートワイン トカイ

ワイン 1972               ↓ワインを撰ぶN国氏

  

  

  

  

  

  

この旅最後の美食は、サンセバスチャン郊外にある「AKELARRE」で。ミシュラン☆☆☆である。車で

丘の上のレストランに向かい、午後8時15分に着いた。ところが、「8時半まではAKELARREません」

ということで(冗談ですよ)待たされた。ようやく店に入ってみると、横長の窓の外にはカンタブリア海が

広がっていて歓声が湧く。メニューはAB2つのコースがあり、皆悩む。私は「BEKARKI」バスク語でロ

ケットと名付けられたBコースにした。海岸をイメージしたというアミューズは、小さな蟹だの珊瑚礁だの

波だのが表現されていて、日本の盆景のようであった。私がBコースに惹かれたのは大好物のフォア

グラのソテーがあったから。塩とフレークと胡椒を添えられえも言われる旨さであった。Aコースを選択

された隣席のM浦夫人から半分食べてといろいろ頂くから、結局両方のコースを食べたようなもの。

150%の満腹でデザートまでようやく辿りついたって感じ。今日のN国さんのワイン選択も素晴らしく、

赤ワイン2本はスペイン産。「エルミタ」2003はこの店でも1本6万円、N国さんの店で飲むと15万円す

るそうだ!私はそれより少しお安いベガシシリア「ウニコ」1996が大層気に入った。旨い!オソンド!!

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7月 11日(水) 降ったり止んだり

朝 スペイン・サンセバスチャン 「ホテル LONDRES」 朝食ヴュッフェ

昨夜ホテルに帰って来たのは午前1時前だった。それからウィスキーを飲んで2時過ぎに寝たが、今

朝も7時半には起きて牛追い祭を見ながら撮影する。3泊したこのホテルとも今日でお別れ。そして今

夜の便で帰国の途に着く。MR子さんと朝食を摂ってからゆっくり荷作りをする。腸がちょっと痛む?

昼 スペイン・ゲタリア「ELKANO」 (8人でシェア)ツナのアミューズ、魚のスープ、サラダ、魚介類の

炭火焼き(海老、イカ、スコーピオンフィッシュ、大きなカレイ)、パン、白ワイン2本 @80ユーロ

  

  

  

昼過ぎチェックアウトしてバスで西のゲタリアという漁村に向かう。その昔マゼランが世界一周の航海

に出たもののフィリピンのマクタン島で現地住民との戦いでマゼランは死亡。マゼランの後を指揮して

世界で初めて世界一周を成し遂げたフアン・セバスチャン・エルカノはこのゲタリアの出身なのである。

265名いた乗員は帰国した時たったの18名に減っていたそうだ。そのゲタリア村で1番のレストラン

「エルカノ」でランチを摂る。メニューを見ると申し訳程度に肉料理も無くはないが、ほとんどが魚料理。

「魚のことなら任せろ」っぽいマネージャー氏がY本さんにお奨めの魚を説明している。スペインも日本

もそうゆうとこ、一緒やね。魚のスープ、サラダに続いて注文したお勧めの魚介類は、玄関外で炭火で

焼かれる。行ってみると、鰈やイカや注文を受けた魚介類が脂をポタポタ流しながらコンガリと焼かれ

ていた。イカ焼き、焼きカレイの旨いこと、旨いこと。脂がたっぷり乗っていて、天然ならではのフレッシ

ュな旨さが指をシャぶらせる。「これが最後の食事ですね。お世話になりました」と乾杯もしたのだった。

  

        花の服を着た仔犬のパピー    ユニークなデザインのグッゲンハイム美術館       世界遺産の運搬橋ビスカヤ橋

午後4時半ビルバオに到着。外観だけの見学が多いという珍しいグッゲンハイム美術館。しかし、私達

(いえ、正直に言えば私です・・・)は美術館前にある広場の花犬パピーに釘づけ!何て可愛いの!年

に2回花の衣替えをするそうだが、日本の「菊人形」って何よ、というドデカイ仔犬パピーなのであった。

ビルバオの世界遺産に登録されているビスカヤ橋に行く。1893年世界初の運搬橋としてこの地に造ら

れた。橋の遥か下に釣り下げられたゴンドラに車(6台)や人(300人)を載せて川の端から端に運んで

いる。行きは橋桁の上を歩いて160メートルを渡った。下は見ない!ここで日本人の若者達に出会う。

夜 スペイン・ビルバオ ホテル「Barcelo」 ディナーヴュッフェ、ビール 2本 4,6ユーロ

  

あらら?今夜の便でパリに飛んで、成田行きに乗り継いだのではなかったの?はい、そのつもりでし

た・・・。最後の観光を終えて、午後6時過ぎビルバオの空港に向かった。空港近くでバスドライバーに

電話が入り、何だかイヤな予感。我々が乗る予定だった午後8時40分発パリ行きエールフランスがフ

ライトキャンセル!ガビン!別の便でパリに行くこと可能か・・・ノン。最終便だし。他の空港に飛んでパ

リに行く方法は・・・ノン。エアフランスデスクには長蛇の列。Y本さんが列に並んで交渉してくれる間、

私らはコーヒーショップで待つ。N国さんは帰国した日に大事なお仕事が控えているので何としても帰

りたい。U田夫妻はパリでグループと別れて今夜から高級ホテルに4泊される予定だった。2時間経過。

今夜はエアフランスが手配したホテルに全員泊まることに。送ってくれたバスには待っていて貰ったか

らそれに乗って市内へ。「Barcelo」 でヴュッフェの夕食。最後の乾杯したのにねぇ。何でこうなるの!

                        _______________

7月 12日(木) 晴れ!  

朝 ビルバオ ホテル「Barcelo」 朝食ヴュッフェ

  

時差の関係でこちらの深夜から活動を始めたG旅行社の東京本社の手配により、U田夫妻は午前5

時にホテルを出発して7時過ぎのパリ行きの便に乗られた。続いてN国さんは4時に連絡を受け7時に

ホテルを出発された。午後1時台のパリ発成田行きの座席が1席取れたそうだ。N国さんは恵比寿の

      ☆☆レストラン某J.Rのシェフ・ソムリエ。大事なお仕事に間に合いますね。ま、これは朝食の時Y

本さんに聞いた話。Y本さんは既に2度も空港に送って行かれたとか。お疲れさまでした。良かったね。

昼 ビルバオ 「Asia di ROMA」 (5人でシェア) みっくすサラダ、ナポリタンスパゲティ、海老と野

菜のカリー炒め、トマトとツナと海老のピリ辛ピッツァ、4種のチーズピッツァ、水、コーヒー) 

17ユーロ

  

  

    ビルバオは美しい町

結局、居残り組は7月3日成田から飛び立った5人となった。MN昭さん&T子夫妻、M渕R子さん、

添乗員染五郎似のY本さん、そして私。私を除く4人は午前中街に出かけて行かれた。私は例によって

部屋で本を読み、その後気ままに街歩き。鉄鋼業の衰退と共に町も寂れて行ったが、グッゲンハイム

美術館建築が起爆剤となってデザインの町に変貌したビルバオ。磯崎新氏がデザインした建造物もあ

ると言う。これを「ビルバオ効果」と言うらしいよ。古いものと新しいものが見事に融合した美しい町であ

る。帰国が1日遅れたので13日予約しているいくつかに国際電話してキャンセルOR延期した。12

にチェックアウトし荷物をホテルに預けて5人でランチ。男性陣が探してくれた和食の店に行ってみると

「Asia di ROMA」とある。ローマのアジア?メニューを見ると焼き鳥とか寿司などもある。日本のビ

ールもある。でもイタリア料理の方が多いか。でもスタッフ全員中国人で、賄い飯は旨そうな中華料理

だった。どういう店なんだ、ここは!しかし、注文したサラダも海老カレー味もピッツァも全部旨かった!

午後の一杯 ホテル「Barcelo」ラウンジ シャンパン(M浦さんにゴチになった!)

  

午後はホテルの裏にあるフニクラに乗ってどこかに行くハズだったが、フニクラは現在運転休止と聞い

て、ホテルラウンジでシャンパン飲んでお喋りすることにした。あんなこともあった、こんなこともあったと

5人でこの旅行を思い出しながらほっこりタイム過す。シャンパンM浦さんのご主人にご馳走になった。

夜の軽食 ビルバオ空港カフェ ペンネのクリームソースなど 8ユーロ

今日こそ飛べよ!と早めに空港に行く。今日3度目となるY本さんはエアフランスのスタッフに顔を覚え

られていた。パリからビルバオ行きが飛んだと聞いて一安心。今夜の夕食はパリで乗り換えてからの

真夜中になるので、空港カフェで各自が買ったものを分け合って食べた。搭乗したのち飛び立ちホッ!

夜のおやつ エールフランス ビルバオ=パリ クッキーとコーヒー

                        ________________

7月 13日(金) パリも成田も雨

遅―い夜 エールフランス パリ=成田ビジネスクラス機内食

  

ビルバオから1時間半のフライトで到着したパリは大雨が降っていた。そんな中、ターミナル移動するた

めバスに乗ったり歩いたり。濡れちまいやした。2335分発の成田行きエアフランスに搭乗。帰りは

中央の通路側の席が取れてホッとした。夕食は午前1時頃。フォアグラ食べて赤ワインをグビグビね。

昼 エールフランス パリ=成田ビジネスクラス機内食

行きも帰りもエアフランスにはエラク迷惑を被ったが、欧州系航空会社には珍しくスリッパがあり、日本

の雑誌も備えていたのでちょっとだけ溜飲は下がる。上掛けも薄くていいし。3時間程眠ったらしい。約

11時間のフライトで成田に午後5時半着。あらら〜成田も雨降っている。皆さんお世話になりました!

夜 舟町 「おちあい」 浸し豆、じゅんさい入りとろろ汁、刺身盛り合わせ、揚げ銀杏、和風しゅうまい、

イカ揚げ、蓬そば、ビール(小)、麦焼酎 @4500

  

  

成田からのタクシーは順調。午後7時過ぎには四谷三丁目自宅に到着した。2回目の機内食は殆んど

食べなかったので空腹である。メールチェックしたらすぐ飲み、いや食事に行こうね。「おちあい」で浸し

豆を食べながら、「三ッ星料理もいいけど、これもいいんだよねぇ」とポロッと言うとご主人が「うちは四ッ

星よ」って。醤油味がシミジミ旨い。帰宅して「梅ちゃん先生」の録画を観る。視聴率調査でbPだって?

                      _________________

7月 14日(土)  相変らず九州北部で大雨

朝 無し

昼 家食 ツナサラダ、豚汁、ふすまバウンズパン

9時起床。洗濯機を廻しながら、留守中の新聞などをゆっくり読んでグズグズしていたら12時を過ぎて

しまった。慌てて加古川の病院と薬局に薬&パンを注文したら「午前中の分は終了したので明日届け

ることは出来ません」と言われてしまった。ケチ!九州北部では今日も大雨らしい。どこまで降るの!

夜 四谷三丁目 「炉端焼き 喜怒哀楽」 付きだし:茄子の肉味噌かけ、水茄子刺身 350円、茹で立

て枝豆 550円、石もち焼き 1480円、海鮮アボガドサラダ 海苔添え 650円、とうもろこし 430 

円、イカの塩辛、温うどん 400円、生ビール 2杯、麦焼酎ボトル 3800円 @9070

  

  

そう言えば今日714日はパリ祭だなぁ。一昨日パリで延泊していたら、大騒ぎだっただろうが、帰っ

て来てしまったのだから、シコシコとパクパク日記でも作るしか無い。シコシコシコ・・・・・喉が渇いた。シ

コシコシコ・・・・腹が空いた。もう止めて飲みに行こう。「喜怒哀楽」に行く。生誕半世紀パーティの主役

だったK岸君が先日こんなことを言っていた。「夢子さんが最近行っている「喜怒哀楽」ですけど、あの

店は僕の方が先に行っていたんですからね」って。だからどうだって話ではあるが一応店長のユーさん

に聞いてみた。カメラに映ったK岸君を見せて「この人以前よく来ていたらしいね」。「あぁK西さんです

ね」。アハハハ。名前間違って覚えられてたんだぁ。アハハハ。音だけで覚えたんで、と頭かいていた。

                      _________________

7月 15日(日) 晴れ あぢぢぢ

朝 無し!

昼 新宿紀ノ国屋ビル 「珈穂音」 野菜のうま煮定食 800

    昭和39年創業

ようやく北九州地方に降り続けた雨が止んだようだ。良かった、良かった。明日の新幹線の切符を買い

に四谷駅まで行く。後ろにたくさん人が並んでいるのに、優柔不断なヤツがいるとイライラしちゃうよ。

朝食抜いて空腹だから余計ね。切符を買ってから新宿三丁目へ。紀ノ国屋ビル地下の「珈穂音」という

店に入った。昭和39年創業で「カポネ」と読ませるそうだ。働いている人達も古色蒼然としている。紀ノ

国屋で10冊の本と雑誌1冊を買い、次は伊勢丹へ。富山の味噌500gを2つ買う。帰宅してモーレツな

勢いで64週の続きを作ってアップ。1日帰国が遅れたが、読者に約束(っていうか、何となくの見通

しね)した通り15日にアップするなんてマネ、政治家には出来んだろうなぁ。なんちゃって。腹空いた。

夜 四谷三丁目 「鮨処 のがみ」 付きだし:磯つぶ貝、淡路島〆ごま鯖 1260円、釧路の新秋刀魚 

940円、壱岐の白イカ 940円、青森の鬼かさご 1260円、長万部ほっき貝 940円、焼き立て卵

焼き、しんこ握り 900円、穴きゅう、生ビール2杯、麦焼酎ボトル @12930

  

  

   メダカ?いえ、しんこ

この近所にも日曜日営業する店が増えて嬉しい。「すし処のがみ」は月曜日定休日(月1回日月連休)

だから日曜日営業している。女性客が帰ってからは貸切となった。前回この店に来た時はベルリンから

帰国した日で、留守中に来ていた連句の宿題をモゴモゴ言いながら考えていた。女将さんから「どんな

句考えたんですか?」と聞かれて恥かしながらご披露した。それを覚えておられて「この前の句は決ま

りましたか」と聞かれた。「お蔭さまで!一発治定!」。よしよし、未だしんこがあるね。今日は2枚づけ

だったが、仕事する前のしんこを見せて貰ってビックリ。こんなに幼いの?メダカ級の小ささだわねぇ。

                ________________

【今週の振り返り】

      ♪ ピレネーの山の男は  いつも一人 雲の中で

         霧に濡れ 星を眺めて  物言わず 切るは樅の木

         ハイホー ハイホー 千年の古い 苔の木

      ♪ ピレネーの山の男よ  いつも一人 何を想う

         雨降れば 小屋の小鳥に ひげ撫でて 昔を語る

         ハイホー ハイホー 思い出の 愛の駒鳥

       ♪ ピレネーの山の男よ  春は行き 夏が来るよ

          角笛は 風に流れて 旅馬車は 今日も急ぐよ

          ハイホー ハイホー 故郷の おまえの町へ

西条八十作詞古関祐而作曲の「ピレネーの山の男」は、メガネをかけた岡本敦郎氏が折り目正しく歌っ

た。最近の「ヤマガール」は知らないが、昔は山に行ってテントや山小屋や民宿に泊まることになると、

夕食後は決まって皆で歌うことがお約束であった。「アルプス一万尺」とか「♪ 娘さん よく聞けよ 山

男に惚れるなよ〜」の「山男の歌」とか「♪ 黄昏の灯は〜ほのかに点りて〜」と近江俊郎が歌った「山

小屋の灯」とかね。懐かしいなぁ。「ピレネーの山の男」もそんな風に山で歌った曲だ。ピレネーってどこ

だ?子供の私は調べた。ふーん、ピレネー山脈はフランスとスペインの国境にあるんだな。なるほど、イ

ベリア半島のつけ根部分になるわけね。それからスクスク育って(横に育ち過ぎ)大人になってから

バスク地方が、そのピレネー山脈西部両麓にあることを知ることとなる。

バスク地方はピレネー山脈の両麓位置し、フランスとスペインに跨る7地域(フランス3地域、スペイン4

地域)を指す。もうちょっと難しく言えば、歴史的な領域としてのバスク国はバスク人とバスク語の歴史

的な故国を指す概念ということになる。その昔はガスコーニュ公国であったり、ナバーラ王国だった時

代もあったが、後にフランスとスペインの領土になった。その後もゴチャゴチャいろいろあって、スペイン

では自治州運営を良しとする穏健派が大勢を占めるが、急進派は今も分離独立を求めている。

まぁ難しいことは置いておくとして、バスク地方は独自な文化を持っている。先ずは建築。バスクの家は

必ず白い漆喰壁で、窓枠は赤茶か深緑か濃紺の3色のどれかで無ければならない。違反すると、お役

所から「コラコラ」と注意を受けるそうだ。

著名なバスク人はと言うと、宗教界ではイエズス会の創立者のイグナチオ・デ・ロヨラ、同じくイエズス会

の宣教師フランシスコ・ザビエルがいる。前述したが世界一周を初めて成し遂げたエルカノがいる。音

楽界では、これも前述した作曲家のモーリス・ラベルの他にヴァイオリニストのパブロ・デ・サラサーテ。

ピアノデュオ奏者のラベック姉妹もいる。キューバ革命に加わったチェ・ゲバラも、女優にして大統領夫

人となったエビータ(エバ・ペロン)もバスク系アルゼンチン人なのである。ビルバオに本拠地を置くサッ

カーチーム「アスレティックビルバオ」は、1898年創設の古豪チームだが、選手をバスク人もしくはバス

クに縁のある選手だけでチームを構成している。これまでコパ・デル・レイ(スペイン国王杯)では24

の優勝を誇るが、選手の移籍市場の国際化が進む中での「バスク純潔主義」を貫くチームは苦戦を強

いられている。今後バスク主義を緩和するのか、しないのか、興味深い問題である。

そしてバスクと言えば、バスク料理。フランス・バスク地方はフランス国内でも屈指の美食地域として人

気を集めている。スペイン・バスクはピンチョス発祥の地でもある。そうそう、りんごで作ったお酒のシー

ドルもバスク発祥で、この地からフランス全土に広がって行ったらしいよ。友人のオジョーは「バスクと

言えば豚でしょ?」とメールに書いて来たが、バスク豚の生ハムも人気料理。頭とお尻が黒いピエ・ノワ

ール種という、まるでぶどうの名前のようなバスク豚は一時絶滅の危機に陥ったが、バスク地方の人々

の努力で3000頭まで増えて来た。これをバスク名物の唐辛子と一緒に調理すると旨いんだよ。洗練

された星付きレストランの料理も魅力的だが、地に足がついたバスク料理も実に味わい深いのだ。

バスク語でありがとうは「スカレ・カスコ!」、そしてたくさんの料理を「オソンド」ご馳走さま!!

              ボクもバスクドッグフーズ好き! 

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         * 旅の始まりは  7月 1週 をご覧くださーーい。