パクパク日記13年10月3週

          デッサウ・クヴェトリンブルグ・シュベリーン・ベルリン・・・ドイツ旅は続く

         SLのモリー号 クヴェトリンブルグ

10月 14日(月・体育の日の祝日) ドイツ・ベルリンは晴れ    1ユーロ=約135円

朝 ドイツ・ベルリン 「マリティム プロアルテ」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

   ここの朝食ヴュッフェグッド!

先週からドイツに来ている。30度近い成田から飛んだミュンヘンの気温は6度!乗り継いで隣国チェコ

に近いザクセン州の州都ドリスデンに行った。翌日ヨーロッパを代表する名陶マイセンで溜息だけつい

て何も買わず、第二次世界大戦では徹底的に破壊された街を見事に復元したドリスデンでは感動して

息をのんだ。マルティン・ルターの宗教改革のキッカケとなった「95条の論題」を教会の正門扉に貼り

付けたのは翌日行ったヴィッテンブルグ。当時聖職者は婚姻を禁じられていたが、ルターは堂々結婚

して子供を6人も作ったんだよね。ベルリンの近郊ポツダムでは世界遺産のサンスーシー宮殿を瞬間

見て、ポツダム会談が開かれたツェツィーリエン宮殿に行く。最盛期の紅葉が晩秋の陽に映えていた。

  

            世界文化遺産の芸術造形学校バウハウス建築群のバウハウス校舎          教授用住宅マイスターハウス

今日は、昨夜から滞在しているベルリンから南西に130`バスで走ってデッサウの町へ。通常なら1

時間45分で到着するハズが、月曜朝に加え事故渋滞でアウトバーンに乗るまで1時間もかかってしま

い、デッサウには11時に到着した。ヴァルター・グロピウスが1919年芸術造形学校であるバウハウス

をヴァイマールに設立した。大量生産が可能な機能的なデザインが特徴だった。ナチスが台頭して来

た時代「右翼的」と嫌う人も多かったため1924年デッサウに移転した。ユンカース航空機始め工業生

産の街として発展していたデッサウの市長がバウハウスを誘致したものだ。この地で最盛期を迎えたも

のの、政治的な理由で再び移転せざるを得なくなってベルリンに地を移した。ユンカースが近くにあっ

たため爆撃されたが、東ドイツ時代1976年再建・復元され、デザイン教育センターとして再開された。

昼 デッサウ 「KORNHAUS」 野菜のクリームスープ帆立貝入り、鱒のソティと温野菜、アイスクリー

ムとチョコレートタルト、城ワイン 3,8ユーロ

  

  

エルベ川の辺りに1930年バウハウスの建築物として建てられたレストラン「KORNHAUS」コーンハ

ウスでランチ。エルベ川はチェコからドイツ国内を流れてハンブルグから北海に注ぐ大河だが、今年6

月氾濫してドイツ北東部で大洪水をひき起こした。今日はゆったり流れているけど。このレストランのテ

ーブルセッティングには栃の実や色づいた葉の手芸品が置かれたりでとってもオシャレ。スープも魚の

メイン料理もデザートも量はたーーぷり。今日は札幌から参加のI村夫妻がお仕事で参加せず4人だ。

  

     木組みの建物が美しいクヴェトリンブルクは世界文化遺産。蔦の紅葉に包まれた市庁舎            渡り鳥が飛んで行く

デッサウから西に車で2時間走った小さな町クヴェトリンブルク。ブルクとは「城」という意味だ。ハンブ

ルクとかローテンブルクとかアシャフェンブルクとかレーゲンスブルクとか地図を広げると「城」だらけだ

なぁ。それはともかく、クヴェトリンブルクは1000年の歴史を持ち戦災をのがれた古都で、16世紀、1

7世紀に建てられた家を含めて1300軒もの木組みの家があることでユネスコの世界文化遺産に登録

された。町を案内してくれたおばあちゃんガイドさんが、「ワタシの家覗いて行く?」と誘ってくれた。背の

高いスルーガイドのペトラさんは遠慮する程天井が低く、2人が擦れ違うのもやっとという狭さだが、キ

チンと整頓されて住みやすそうなお家だった。人口減で改修出来ない家も増えた由。マルクト広場に面

した市庁舎をビッシリと覆う蔦が真っ赤に染まりふと空を見上げれば渡り鳥がどこかに飛んで行った。

夜 ベルリン 「一心」 蒸し餃子 3.2ユーロ、鮭そぼろ蒸篭丼 5.2ユーロ、味噌汁 2.5ユーロ、キリ

ンビール 2.8ユーロ、ベックスビール 1.7ユーロ 16.2ユーロ(チップ込み)

  

  

4時にクヴェトリンブルクを出発してベルリンに帰る。携帯メールが滞っていたらしく、バスの中でいっぺ

に6通メールが届いた。えぇっ!次兄宅のムクは昨日の夕方亡くなってしまったんだ・・・。日本を出発す

る時、「早く会わないとどんどん悪くなるよ」と次兄が心配していた通りになってしまった。去年は13歳

のニケが、そして昨日ムクが。次兄一家はさぞ心を落としていることだろう。合掌。ベルリンのホテルに

着いたのは午後7時。I村夫妻がロビーで待っていてくれた。夕食は自由食。明日朝早起きする必要

があるので、ホテル近くの日本食の店にI村夫妻と添乗員のM崎さんと4人で行くことに。寿司屋とガ

イドブックにはあったが、丼物も蒸篭丼、つまみなど一品料理、団子などデザートまである。いいねぇ。

かなり広い店だがほとんど地元の人のよう。蒸し餃子旨し。鮭そぼろ蒸篭丼は具だけ食べて飯残す。

                    ________________

10月 15日(火) ドイツ・バルト海側もシュベリーンも雨

朝 ドイツ・ベルリン 「マリティム プロアルテ」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

          キュールングスボルン駅のモリー号     町中のカフェの横を走るSL列車          都電のSL版のようだ 

明日は4時に起きるのだから、と昨夜10時にベッドに入ったのだが、緊張しているせいかなかなか眠

りが訪れない。ようやく眠りに就いたのは0時頃だろうか。気合い入れて寝よう。4時まで熟睡!ところ

が、枕元においた目覚まし代わりの携帯が「メールが来たよ」音を鳴らしたのは午前315分。続いて

350分。やれやれ、睡眠時間3時間ちょっとで起きることにする。「ヨーロッパとの時差は夏時間で7

時間!」って何度言えば覚えて貰えるんだろう。そそくさ朝食を食べて、未だ真っ暗な午前7時出発。ひ

たすら北を目指し、バルト海近くのキュールングスボルン駅までぶっ飛ばしたいところだが、あいにくの

雨。トイレ休憩も「迅速に!」。キュールングスボルン駅を1035分発車する小型蒸気機関車モリー

号に乗るつもりなのだ。皆降りる支度をしながらソワソワ。駅前に到着したのは1028分だった。それ

でも駅のトイレ。もちろん「迅速に!」。自由席というので後ろから2番目の車両に乗り込む。次の駅で

子供連れの家族がドヤドヤ乗り込んで来て車内は幼稚園+小学校のような状態に。キュールングスボ

ルンからバルト海に面した海水浴場ハイリゲンダムを通ってバート・ドーベラン駅までのSL列車の40

分の旅。こんなハズじゃあ無かったのに・・・。4時に起きて、3時間半もドライブして乗ったのに・・・・ね。

昼 シュベリーン城内 「オランジェリー」 ポテトスープシュベリーン風ベーコン入り、チキンソティ、ベリ

ームース、コーヒー 2.2ユーロ

  

バート・ドーベラン駅で子供達が走り回っていたSL列車モリー号を降りる。迎えに来てくれたバスでシ

ュベリーンに向かう。1時間半のドライブだ。雨の中のね。シュベリーンは、メクレンブルク=フォアボン

メルン州の州都でドイツの中では一番小さな州都である。「七つの湖の街」とも呼ばれ、シュベリーン湖

に佇むシュベリーン城が有名なのだそうだ。雨の中橋を渡ってシュベリーン城へ。城の敷地にあるレス

トラン「オランジェリー」に行く。昔は植物園だった建物だそうだ。そこで思い出した!先月行ったフラン

ス・シュノンソー城の敷地にあるレストランも「L’ORANGERIE」という名前だった。同じだね。あの時は

野菜プレート、白身魚のソティとチーズ、アイスオムレツシュノンソーというアイスクリームだった。今日

はポテトスープシュベリーン風にチキンソティ、そしてベリームースだった。午後2時から城見学開始。

    シャンボール城を真似た城

シュベリーン城は14世紀には要塞的な役割で窓は小さく守備のための建物だったが、16世紀から17

世紀にかけて宮殿に改装して行く。そして19世紀半ばフランス・ロワール地方にあるシャンボール城を

モデルに建てたのが現在のシュベリーン城である。メクレンブルク大公フィリードリッヒ・フランツ2世の

玉座の間や武器庫、陶磁器のコレクションなどを見学。3時半にはベルリンに向かって帰る。雨の中。

夜 ベルリン 「Gaffel Haus」 (料理は6人でシェア) サラダプレート 7.9ユーロ、ベルリン名物カ

リーヴルスト 7.5ユーロ、グラーシュ 9.25ユーロ、ハリング(ニシン)ステップ 7.75ユーロ、KOL

SCHビール(400t) 3.6ユーロ×2杯、赤ワイン2.9ユーロ @17ユーロ(チップ込み)

  

  

紅葉・黄葉も終わりに近いという季節なのに、バスの中から一面の菜の花畑が何度か見えて、皆で首

をひねる。一面の向日葵(枯れてはいたが)畑もあった。何だか天候がおかしいのは世界中なんだね。

今夜も自由食。朝早く移動も長かったので、皆さんずい分お疲れだ。ホテルの隣にあるビアレストラン

に行きましょうよ。盛岡から参加されたY口さんを除いた6人で「Gaffel Haus」のゆったりした席に座

る。料理はポーションが大きいので6人で4皿もあればいいっしょ。私が選びますよ。サラダとベルリン

名物ソーセージにカレーソースをかけたカリーヴルスト、お店オススメ・牛肉料理のグラーシュ、そして

ニシン酢漬け・ハリングステップ。みんなでシェアして食べましょう。恐ろしく出来上がりが遅い店であっ

たが、味はまぁまぁ。ビールを飲みながら、今日はあんなに遠くに行く必要あったんでしょうかねぇ・・・。

                    _________________

10月 16日(水) ベルリンは曇り夕刻晴れ  台風26号首都圏直撃 伊豆大島で土砂災害

朝 ドイツ・ベルリン 「マリティム プロアルテ」 朝食ヴュッフェ

  

  

           ベルリンの「壁」も少なくなって      ベルリンの象徴ブランデンブルグ門         ベルリン大聖堂

            ベルガモン博物館にはバビロニアのイシュタール門や行列通りなど見所が多い

今日は午前9時出発とあって、いつもと同じテーブルで朝食をゆったりまったりと食べる。日本を含めて

世界中のホテルで朝ご飯を食べているが、ここの朝食ヴュッフェは相当レベルが高い。料理の種類も

多いし、美味しいし。今日は肉系をやめてスモークサーモン、スモークした鯖、ニシンマリネなど魚系料

理。こんな寒いドイツにいるのに、ふすまパンに黴が生えてしまったのでとても小さなクロワッサンを食

べた。オジョーからメールが来て、台風26号の被害状況を教えて貰った。首都圏も直撃され26日の通

学通勤はタイヘンだった由。そして伊豆大島は土砂災害で大きな被害が出た模様。伊豆大島は大学

時代夏の合宿で1週間滞在した島だ。ベルリンも3回目ということは市内観光も3回目。1989年ベルリ

ンの壁が壊され始めてから早くも24年が経つ。歴史の記憶としての壁を残してあちこちで撤去が進ん

でいる。撤去された場所には道路にその「記し」が残されていた。ブランデンブルグ門広場ではハンガ

ーストライキをしている人達の周囲に人垣が出来ていた。ベルリン大聖堂。初めてのベルリンでは大聖

堂の隣のホテルに滞在したから毎日眺めていたものだ。大聖堂のトイレを借りてから、歩いて博物館

の島へ。この島には、5つの美術館・博物館があって世界遺産に登録されている。ベルガモン博物館。

現在入口工事が行われていて以前の出入口は撤去されていた。迫力あるベルガモン博物館である。

昼 ベルリン 「一心」 牛丼 5.9ユーロ、冷奴 2.8ユーロ、味噌汁 2.5ユーロ

  

  

ベルガモン博物館を出たところで解散となった。明日出発まで自由行動。Y中母娘は引き続き博物館

の島に残られた。Y口さんはどこかの博物館へ。他の人は一旦ホテルに帰ってから森鴎外記念館に出

かける人も。私?先ずはランチだな。去年行った中華はどうか。ちょっと遠い・・・3年前行ったベトナム

料理は?博物館の近くだったのになぁ・・・じゃ、一昨日行った「一心」にすっか。近いし。1時過ぎだった

が、広い店内は満員。暫く待って座り、メニューをさんざん検討。悩んだ末に牛丼と冷奴と味噌汁という

新橋にいるサラリーマンのようなランチとなった。ベルリンの人は、慣れた手つきで鮨や丼を食べてい

るのだった。泊まっているホテルは、フリードリッヒ通りに面し、ウンター・デン・リンデン通りにも近くてチ

ョー便利。そんなことで、どこにも行きたいわけではないのでその辺りブラブラ散歩してちょいと買い物

(マニュキュア5本)なんぞしてお茶飲んで本読んでのんびりしたベルリンの午後を過ごしたのだった。

夜 ベルリン 「MAREDO」 オニオンリング 2.4ユーロ、トマトスープ 3.9ユーロ、ビーフ100%ハン

バーグステーキ(200g) 11.2ユーロ、ドラフトビール500 4.2ユーロ、赤ワイン500 8.9ユーロ

32ユーロ(チップ込み)

   

  

最後の夜も自由食。今夜こそ7人全員で夕食行きましょう。添乗員M宮さんがどうかしらと連れて行っ

てくれたイタリアンはセルフの店だった。「どうもこれじゃあ落ち着かないから別の店に行きましょうよ」と

M崎さん。「ステーキの店が近くの放送局ビルにあるのよ」。ここが落ち着いて、しかも美味しくて良かっ

たのであります。特にトマトスープはお替わりしたい旨さだった。ドイツに来てビーフ100%ハンバーグ

ステーキ200gというのを注文してみた。う〜ん、肉肉しいハンバーグだ。赤ワイン500CC8.9ユー

ロという安さだったのも気に入った。早くも今夜がドイツ旅の最後の晩餐。アッという間の1週間だった。

                 _________________

10月 17日(木) ベルリンは雨のち晴れ ロンドンは晴れ

第1食 ドイツ・ベルリン 「マリティム プロアルテ」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

今日は出発が10時半だから寝坊しようと思っていたのに、やっぱり6時には起きてしまった。「マリティ

ム プロアルテ」での最後の朝食ヴュッフェ。どうせ違反してパンを食べるなら、昔の大好物を食べてみ

よう。薄手の食パンをカリカリに焼いてバターをたっぷり塗ったトースト。そこにハムやらチーズやら茹で

卵をドッサリ挟んで食べるのが朝の楽しみだった。3年半ぶりかなぁ、この食べ方。良心の呵責もある

ので食パンは1枚でね。ガブリ!あぁ〜うんまぁ〜!毎日食べたいよ〜。パッキングをして出発準備!

第2食 ルフトハンザ航空 ベルリン=ロンドン ビジネスクラス機内食

    空から見たロンドン

ルフトハンザロンドン行きは、新しく完成したシェーネフェルト空港に行くのかと思ったら、近くのテーグ

ル空港から飛ぶのだと言う。近いが極限までに狭いテーグル空港。チェックインしてもいる場所が無い

からチェックインは1時間半前だ。ロンドンとは時差1時間。時計を1時間戻す。約2時間のフライトで

ロンドン・ヒースロー空港に到着した。一昨日のANAロンドン便は欠航、昨日は4時間遅れだった由。

第3食 ロンドン・ヒースロー空港 (シンガポール航空)ラウンジ スープと料理いろいろ

  

第4食 ロンドン・ヒースロー空港 (ANA)ナンバー1ラウンジ コーヒー

    台風26号の爪痕厳しく

午後2時前タラップを下りると、ロンドンはベルリンより暖かだった。ここで約5時間の乗り継ぎ時間が

ある。台風で影響があったANA便も今日は平常ダイヤと聞いてホッ。そんなに時間があるならいろい

ろ行ってしまおうかな。シンガポール航空ラウンジに行ってみると、広々しているのに誰もいない。クリ

ームスープ、焼きそば、チリコンカンなどがとても美味しい。いいなぁ、ここ。旨いし落ち着いて。しかし日

本の新聞を読みたくなり、買い物しながらラウンジを移動。伊豆大島の大被害が伝えられていた・・・・。

第5食 ANA ロンドン=成田 ビジネスクラス機内食 (洋食コース) カメラ故障!で画像無し

1935分発のNH202便成田行き。シンガポール航空ラウンジで食べた料理は、機内食が出る頃は

こなれていて良かった。しかし、愛機カメラの調子が悪い。ビールは写せたが、食事はダメ。動かなくな

った。ショック!帰国したら入院させなくっちゃ。映画「アンコール!!」を観る。頑固者のアーサーにテ

レンス・スタンプ、妻のマリオンにヴァネッサ・レッドグレイブ。テレンス・スタンプがかつて「世界で最も美

しい男」と呼ばれたんですって?信じらんないよ、あの爺さんがぁ?アーサーが頑固者と言っても、ワタ

シの父に較べれば可愛い。父はホンモノのインゴウジジイだった。そのアーサーの歌声が素晴らしい。

                      ________________

10月 18日(金) 成田・東京は晴れ

朝 ANA ロンドン=成田 ビジネスクラス機内食(和食膳) カメラ故障!で画像無し

続いて「グランド・イリュージョン」を観始めたのだが、たいして面白くないなぁと思っているうちに居眠

りしてしまった。飛行機ではメッタに寝ない私だが2時間ほど寝たようだ。予定より早く午後3時成田着。

1週間前あれだけ暑かったのに強い風が冷たい。台風がまた秋を戻したようだなぁ。タクシーで帰宅。

夜 四谷3丁目 「酒月」 お通し:カボチャのサラダ、ポテトサラダ 380円、サーモンのタルタル仕立

て 530円、特辛のチリビーンズとバゲット 550円、鹿児島さつま揚げ 500円、山うにとうふ 

380円、生ビール(小) 450円×2杯、麦焼酎「寿福絹子」ロック×2ハイ @4590円

  

  

  

洗濯やら郵便物とメールのチェック、ドイツで撮影した写真のパソコン取り入れなど一連の作業が終わ

ってから、さて、今夜はどこに飲みに行こう。そうだ!「羅無櫓」の料理担当だったヤスコちゃんが独立

して開いた店に行ってみようか。何屋さんなんだろ。BAR? でも料理自慢の彼女がフードメニュー無し

は考えられん。知らんぷりして電話して聞いてみよう。「もしもし、そちらには食べ物ありますか?」「つま

み程度なら。あっ、ご飯も炊きました」「おかずは・・・」「あら?その声はYUMEKOさんですね」。地下

鉄四谷3丁目3番出口「さぼてん」が入っているビルの3階に「酒月」ありました。カウンターとテーブル

1つのこじんまりしたお店。いつ開店したの?店の練習しているうちに何となく・・・ですってさ。ポテサラ

美味しいねぇ。今日カレーは無いのね。じゃチリビーンズ辛くしてね。開店間の無いのに常連客多し!

                      _______________

10月 19日(土) 曇り夕刻から雨

朝 アーモンド、ヨーグルト

昼 家食 「さぼてん」の一口ヒレ勝つふすまパンドッグ、オニオンスープ

  

午前中は大阪のキョウコの誕生日プレゼントを準備して送る。明日はアメフットチームの大事な試合が

あるから昼食は家で勝つモノ!前半も後半もぐわんばるんだぞ!と一口ヒレ勝つを2つふすまパンに

挟んで食べた。午後2時から乃木坂プラズマ治療。肝臓が少し弱っている以外悪いところ無いって!

夜 荒木町 「和食 こんどう」 お通し:甘鯛の菊花和え 土佐酢ジュレ、ジャコ入り蟹とアボガドサラダ

 1000円、さわら山椒焼き 1000円、甘鯛と松茸の小鍋仕立て 3000円、大山地鶏の竜田揚げ

 800円、飛騨牛の八丁煮込み 1200円、3年物奈良漬け(サービス)、きのこの稲庭うどん、生ビ

ール 2杯、麦焼酎ロック 4杯 @1万2700円

  

  

  

昨年6月荒木町に開店した「和食こlんどう」だが、昨今は人気沸騰して予約が取れない。去年はふらっ

と行っても座れたのにね。でも新しいお店が高評価を得て繁盛していくのを見るのは楽しい。増してや

地元にあって早くから贔屓にしている店であれば尚更ね。「遅い時間でいいでーす。最初のお客さんが

帰られたら連絡してくださーい」という手を使って今夜は行った。これも近所に住んでいるから使える手

ね。お通しの甘鯛の菊花和え土佐酢ジュレから美味しい。そろそろ季節も終わりかけているから、高い

けど甘鯛と松茸の小鍋仕立て注文しちゃおうかな。今年は松茸不作の年だったそうだが、個人的には

かなり頂きましたです、すんません。久々の飛騨牛八丁煮込み。旨いが味濃ゆくて白いご飯欲しい!

                     _______________

10月 20日(日) 一日中冷たい雨    天野祐吉氏死去享年80

朝 家食 イベリコ豚コロッケふすまドック、オニオンスープ

昼 四谷4丁目 「モスバーガー」 ロース勝つ!バーガー(パンはふすまバウンズにすり替え)340円、

      サラダ・ドリンクセット 350円、オニオンフライ 230円、クラムチャウダー 260

  

今日は大事な試合だ。秋のリーグ戦決勝。全勝チーム同士の対決だ。問題はずっと降っている雨。ま

るで台風のように冷たい雨が吹き付けて来る。横浜スタジアムに向けて家を出たが、駅に着くまでにび

しょ濡れ。う〜む、この雨の中横浜スタジアムで3時間も立っていられるか・・・立つのが無理ならスタン

ドに座ったまま風邪引かないか・・・う〜む、今日は自宅応援に切り換えた方が良いようだ。せめてと4

丁目の「モスバーガー」に向かい、ロース勝つ!バーガーを食べる。横スタ近くの関内の「モス」に行く

つもりで持って来たふすまバンズバンにロース勝つをスルッと挟み換えて。午後1時半、自宅のパソコ

ンの前に座わる。チームの公式ツィッターで試合状況が刻々と知らされる。雨の中パスは通らないよう

だ。ヤバッ!先行されちゃった。0:3。暫し膠着状態。おっ!相手のミスでセーフティ。2:3。オフェンス

頑張り、ようやくタッチダウン。TFPも成功して9:3。更にFG成功して12:3。最後の相手の攻撃をディ

フェンス陣が連続QBサックなどで守りきる。あとはニーダウンして時間を潰し・・・12:3で勝ったぁ!!

夜 荒木町 「宮わき」 お通し:白魚玉〆、京水菜と京揚げの煮びたし 650円、フルーツトマトと焼き

セロリの南蛮漬け 650円、白子ポン酢 1000円、すっぽん〇鍋 2100円、日高産天然鮭「銀聖」

塩焼き 1100円、カニ玉煮麺、生ビール 500円×2ハイ、麦焼酎「ふしぎ屋」Wロック 2杯 

@1万500

  

  

    

チームはこれで全勝で第2ステージの2試合に挑む。第2ステージに進む9チームのうち、上位2チー

ムによる準決勝。勝者同士の「ジャパンXボウル」は12月中旬。その勝者が社会人チャンピオンとなる

のだ。今年もなりたい!4年連続で。今日は一日中冷たい雨だった。選手もコーチもチアもそして横浜

スタジアムで応援した皆さんお疲れさん!夜は「宮わき」に行く。この店も繁盛店で2回に1回は「満席

です」と断られる。タイミングの問題でもあるようだが。日高産天然鮭「銀聖」塩焼きがあるというので食

べてみた。鮭児は知らんが、時知らず(時鮭)より旨いということはないんじゃないか。寒い夜はすっぽ

んが恋しい。土鍋でグツグツ煮え立ったすっぽん鍋が運ばれて来ると幸せ感が周囲に漂う。旨いぞ!

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【今週の振り返り】

ドイツといえば、自動車業界だけでもメルセデス・ベンツを始めBMW、アウディ、フォルクスワーゲン、

ポルシェなど世界的にメジャーなブランドを有している工業国だ。光学機器にしてもカール・ツァイスや

ライカがあり、映画用カメラではアーノルド&リヒターがある。ドイツは戦前から科学技術に優れた国で

現在のGDPは世界4位。フランスと並んでEU(欧州連合)の中核国である。医学・化学・数学・物理学

などの自然科学分野でも文学・演劇・音楽など芸術分野でも実に多くの人材を輩出して来たドイツだ。

従って非英語圏ではノーベル賞受賞者も群を抜いていた。私達日本人は、ドイツ人を緻密で勤勉な国

民性と崇め、良い意味でライバル視して追いつく目標にしたものだ。

そんなドイツが昨今おかしい。OECDの学力調査「PISA」では、先進国の中では最下位レベル。しか

も読解力分野でも数学的分野でも科学的分野でも、どれもが最下位レベルだったのだ。あれだけ多く

の受賞者を輩出したノーベル賞でも、ここ数年はパタリと受賞が止まったままだ。そう言えば、今回の

短いドイツ滞在の間も、食事時サービスのレベルの低さや遅さに何度もイライラさせられた。ドリスデン

のホテルでの夕食が済んで、ビールなどの飲み物代数人分を請求したところ請求書を持って来るまで

に30分待たされ、テーブルで寝てしまうなんてこともあって。5月アメフットチームとデュッセルドルフに

試合遠征した時も、依頼した通りバスが来たことは一度も無かった。夜の試合終了後迎えのバスを夜

中まで待って寒さに震えた。バスの運転手はガールフレンドと地元サッカーチームの応援にバスで行っ

たが敗戦騒ぎの渋滞に巻き込まれて駐車場から出られなかったとかで1時間半以上遅れて来た。しか

も2台のハズが1台しか来ないし・・・。

あの計画的で正確で几帳面で勤勉なドイツ人気質はどこに行ってしまったのだろう。ゲルマン魂は死語

になってしまったのか。「諸悪の根源は教育にある」という人が多い。学校は午前中のみで午後は授業

なし。家に帰ってゲームで遊びテレビを観る。中には母親に勉強を見て貰う子供もいる。夏休みは6週

間。その他にも秋休み、クリスマス休暇、冬休み、春休み。平日にも関わらずSLのモリー号で大勢の

子供達が騒いでいると思ったら、秋休みなんだと。しかし、問題はそんなことより、ドイツが採用している

3分岐型教育制度にあるらしい。6歳から4年間の基礎学校(グルトンシューレ)を終えた10歳の時点

で子供達の将来が3コースに分かれて行く。総合大学進学を目指す中心のギムナジウム(9年間)、事

務・専門職の実科学校・アールシューレ(6年間)、職人養成の基幹学校・ハウフトシューケレ(5年間)

の3コースに10歳で分かれて行くのだ。州によって違うが、どのコースを選択するかは親が決めるわ

けではない。担任の先生と校長が算数と国語の成績を元に「お宅のお子さんの成績でしたら〇〇に行

くのが良いでしょう」と親に通知し、承諾すると〇〇の入学許可書を渡すのだそうだ。

昔は総合大学に入学希望する人は多くはなく、職人の親方について技術を学びマイスターを目指す子

供も多かったから3分岐型教育制度も機能していた。しかし、現在は7,8割の生徒・親が総合大学進

学を希望しギムナジウムコースに行きたがる時代だから問題噴出。それぞれのコースで受け入れ人数

が決まっているからムリヤリ実科学校・アールシューレや基幹学校・ハウフトシューケレに行かされた子

供はギムナジウムに行けなかったと劣等感を持ち心の大きな傷となる。先生も困り果てて、社会的に

恵まれない子供や移民の子供を基幹学校に入れていてその結果マイスター制度の崩壊が起こってい

るというのだ。かつて東ドイツは労働力不足を解消するため移民を積極的に受け入れたことがあり、ド

イツでは今も移民が多い。例えばベルリンには250万人のトルコ人が住む。イスタンブール、アンカラ、

イズミールに続いて4番目に人口(トルコ人の)が多いのがベルリンなのだそうよ。確かに10歳でエリ

ートと非エリートみたいな意識が出来るのはマズイはなぁ。

昨年ベルリンから帰る時、ガイドにこう言われた。「今度みなさんをベルリンにお迎えするのは、この近

くて便利なテーゲル空港ではなく、いま拡張工事を行っているシェーネフェルト空港になる予定ですよ。

市内からかなり遠いですが広くなります」。シェーネフェルト国際空港を大幅に拡張し、ベルリン・ブラン

デンブルク国際空港として2011年10月30日開港する予定であった。それが工事の遅れで何度か延

期されて2013年10月27日開港の見込みであった。しかし。(アハハハ)今年の1月、「すんません。

いろいろあって2013年10月27日開港ムリです・・・。もうちょっと、というか気長に待ってください」と言

ったかどうかは知らないが、4回目の開港延期が決まった。今週空港まで送ってくれた日本人ガイドの

予想によれば、「来年も開港はしないと思います」。ドイツ人気質はどこ行ったんだよぉ。

               勤勉な日本人はどこに行ったのかニャア

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          * ドイツ旅の始まりは  10月 2週  をご覧ください。