パクパク日記14年1月5週

           仏領ギアナ、再びスリナム、そしてガイアナを訪れて帰国の途に

  ギアナ宇宙センター カイエチュールの滝

1月 27日(月) 仏領ギアナ・クールーは晴れのち曇り 時々雨

朝 仏領ギアナ・クールー「デ・ローシャス」 朝食ヴュッフェ

     

先週から南米に来ている。日本人の多くが知らないガイアナ三国。最初に三国の真ん中に位置するス

リナム、そして昨日から仏領ギアナに来た。首都はカイエンヌだが、観光に便利なクールーの町に宿泊

している。朝食を摂るためレストランに行くと、昨夜は蚊が入って来たオープンスペースから黒い小鳥

(小鳥というわりにかなりデカイ)が入って来て餌を求めて飛び回っている。食べ残しだけではない、ヴ

ュッフェで並べられている料理だって、客がテーブルに並べた皿だってお構い無しに狙う。ッルサイ!ア

ッチ行け!なんて追い払っても次から次へと狙いに来る。彼等にとってもまさにレストランなのである。

      ソユーズ発射台を下車して撮影             発射するとこんな風なんだぁ               コントロールルーム 

     カウントダウンを行うジュピターセンター                 最後に宇宙センター博物館を見学した

仏領ギアナにとっての経済の中心はここクールーにあるギアナ宇宙センターである。以前アフリカのア

ルジェリアでロケット発射実験を行っていたが、同国が独立したためギアナにロケット発射基地を設け

た。1975年になってロシアと米NASAに対抗するため欧州12ヶ国によって設立された欧州宇宙機関

ESA)が利用するようになり欧州の商業人工衛星をここから発射している。アリアン5ロケットと12ヶ

国の国旗に出迎えられ、パスポート提出、荷物検査などを経て大型バスに乗り込む。入場料45ユーロ

(!)もするのに満員だ。ESAにはアリアン、小型のVEGA,ロシアとの共同運営のソユーズの3つの

発射台があり、打ち上げ場で下車して見学。最後はロケット発射のカウントを行うジュピタールームを

見学した。コースを終了してから、併設されている宇宙センター博物館を自由見学。なかなかの体験。

昼 クールー「KARTING」 トマトとチーズサラダ、魚(アクパ)ソティクリームソース ショートパスタ添

え、レモンシャーベット

  

  

ランチに仏領ギアナの名物ラム酒ドリンクが出た。酒飲みの私も昼間は飲まないことにしているし、か

なりアルコール度数が高いので味見程度にしておいた。ドライバー兼ガイドのマガリさんがゴクゴク。そ

りゃ午後の運転もあるしマズイんでない?あぁ、ラム抜きですかぁ。メインの魚料理にはパスタ添えだと

案内があったが一皿ドカーンと出て来た。「これだけあったら添えもんじゃない」。ちょっとだけ食べる。

  

        首都カイエンヌの中心地            要塞跡ではモデルの撮影が                博物館のスカーレットアイビスの剥製

午後は首都カイエンヌの見学。クールーから車で約1時間の距離である。途中で何度か雨が降った。

ギアナ三国は今雨季なんだって。午後2時半に到着したのだが、シェスタタイム(?)らしく、店舗はシャ

ッターを下ろしているところが多かった。この町の商業はほぼ中国人がやっているそうで、安っぽい衣

料品を並べていた。フランス人は年に一度フランスに帰った時、家族全員の一年分の洋服を買って来

るのだそうだ。政治と行政機能は町の一部に集中し、その一つにはブラジルからの不法侵入者を取り

締まる軍の施設もあった。トイレを借りがてら博物館へ。この国にもスカーレットアイビスがいるのだな。

夜 クールー・デ・ローシャス 「LE PARADISIER」 モッツァレラチーズのフライ、ポークソティフォア

グラソース、フルーツサラダアイスクリーム添え、ビール、白ワイン、赤ワイン

   

カイエンヌ郊外にあるカルフールで食料品などを購入してからホテルに戻る。今夜の夕食レストランは

蚊に刺されないもう1つのレストラン「LE PARADISIER」だった。こじんまりして上品である。ビール

は瓶になって良かったがワインの量が昨夜より少なくなって1勝2敗(?)。前菜のチーズフライもメイン

のポークも、そしてデザートも美味しい。南米でインドネシア料理やフレンチを食べるとは思わなんだ。

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1月 28日(火) 雨 風も強し!

朝 仏領ギアナ・クールー「デ・ローシャス」 朝食ヴュッフェ

       クールーで一番のホテル「デ・ローシャス」は海に面して建っている。今日は風も雨も強い

この旅も7日目。7時起床と初めてゆっくり寝ていた。というのも、今日の観光はサリュー諸島へのクル

ーズなのだが船の乗り換えやら島の徒歩観光など私の「ガラスの膝」にはツラそうなのでパスすること

にしたのだ。窓ガラスが鳴るほど朝から風が強い。その上雨も降っていて。小さな船で沖にいる双胴船

に乗り換えると聞いたが皆さん大丈夫だろうか。朝食後外を1周歩いたが風も雨も強くて早々に帰る。

昼 クールー「デ・ローシャス」客室にて 「出前一丁」麻油味、バナナ、茹で卵、ビール

  

部屋から海を見ると、沖に悪魔島が見える。パピヨンも収監されていた脱出不可能な牢獄の島だ。まぁ

パピヨンはそこから脱出したから後に自伝も書いて映画になったんだけどね。今日のように風が吹き荒

れ、海の色も茶色だとホントに恐ろしげに見える。ランチは部屋でカンタンに。昨日カイエンヌのカルフ

ールで仕入れて来た香港で製造している「出前一丁」の麻油味に朝食会場から貰って来た茹で卵を入

れて食べた。カイエンヌは中国人が多いからカルフールでも売っているのだね。旨かったか?う〜む。

夜 クールー・デ・ローシャス 「LE PARADISIER」 海老サラダ、レビンのフライ ライスと野菜添え、

    アップルパイ、ビール、白ワイン、赤ワイン

  

今日は一日本を読んで楽しかったし、ゆっくり出来て良かった。午後7時待ち合わせ場所のロビーに行

ってみると誰もいない・・・。もしかしてサリュー諸島に行かれた皆さん、帰っていないのだろうか。心配

になって外に出てみる。そうこうするうち添乗員のMさんが現われて、「皆さん、レストランでお待ちです

よ」。それならそうと連絡してよ!でもまぁご無事で良かった!食事をしながら伺ったところによると、行

きの船は大揺れで波を被ってビショ濡れに。1時間半のクルーズで船酔い者続出したのだそうだ。「あ

なたにもあの冒険をして欲しかったわ」と冗談で言われたが、行かなくて正解ということのようであった。

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1月 29日(水) 仏領ギアナは朝のうち嵐 スリナムは曇り

朝 仏領ギアナ・クールー「デ・ローシャス」 朝食ヴュッフェ

  

           よくやく雨が止む。3日前と逆のコース。小舟で仏領ギアナからスリナムへの国境を渡る

5時半日本からの電話で起こされる。和歌山の農園から注文に関しての質問だった。「この電話、南米

にかかっていますが」と言うとビックリしていた。朝から横なぐりの強風と雨で嵐のようだ。暗いうちにレ

ストランに行けば黒い小鳥は来ないので急いで朝食を済ませる。ガイドのマガリさんはお子さんの具合

が悪いということで若い男性が迎えに来た。明日からのストライキに備えてガソリンスタンドの前には給

油のため車の長蛇の列が出来ていた。激しい雨が降る中、3時間車をぶっ飛ばして国境の岸に到着。

昼 スリナム・アルビーナ 「DE ROTS」 チキン、魚、生野菜、野菜炒め2種、ナシゴレン、フルーツア

イスクリーム

  

  

3日前と逆のコースで仏領ギアナを出国し、またもや小舟に乗って川を渡る。10分でスリナムの岸に到

着して国境を無事越える。再入国すると、ドライバーがまた日本の中古マイクロバスで迎えに来てくれ

ていた。ランチは国境の町アルビーナの小さなレストランで。近所の人がちょくちょく弁当を買いに来る

テイクアウトが得意な店のようだ。スリナムに帰って来たら、ジャワ料理。テイクアウト用のプラスチック

フォークで食べずらかったが味は良い。フルーツたっぷり入ったアイスクリームがとても美味しかった。 

夜 スリナム・パラマリボ「レジデンスイン」 コーンスープ、いろいろプレート(海老とトマトのくし、魚のス

モーク、チキン、ポーク、スモークハム、魚フライ、ポテトサラダ、マカロニサラダ)、ガーリックトース

ト、アイスクリーム、ビール 6ユーロ、白ワイン 5ユーロ、赤ワイン 5ユーロ

  

  

水が出なくなった部屋もあったりで、私達グループの評判が良くなかった「レジデンスイン」にまた戻っ

て来た。明日早い出発なので、3時半にチェックイン。先日滞在した時起きたトラブルで散々添乗員が

クレームをつけたせいか、全員前回より良い部屋になっていた。私も前回は床が抜けるような2階の部

屋で階段の上り降りがツラかったが、今回は1階の部屋でホッとした。7時からプール際のレストランで

夕食。朝ご飯がマズイので期待ゼロだったのだが品数も多くなかなかの夕食で皆ビックリ。特にガーリ

ックトーストが美味しくてお替りした程。私は半分食べただけ。明日は1時半に起きる。早く寝なくちゃ!

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1月 30日(木) スリナムもガイアナも一日中降ったり晴れたり

チョー早い朝 添乗員Mさん特製寿司太郎おにぎり

   

      フェリーの欠航で5時間も待った!           ガイアナにやっと到着したフェリー

9時半にベッドに入ったのだが、1時半に起きようと思うとなかなか眠れない。ようやくうとうとし始めた

午後11時前メールが来てまた飛び起きた。そんな具合だったから2時間ほどとろりとしたら午前1時半

の起床時間になってしまった。眠いか?当り前のこと聞かんでくれたまえ。シャワーを浴びたり、パッキ

ングしたりして3時過ぎにはロビーへ。ここでインスタントコーヒーを飲んで、いざ出発。目指すは隣国ガ

イアナとの国境フェリー乗り場。一度トイレ休憩を挟んで車に揺られること4時間半。睡眠不足も途中で

眠ればいいや、なんて思っているのにちっとも眠れなかった。国境にかかる川を渡るフェリーは午前8

時、12時、午後5時の一日3便。その8時のフェリーに乗るため、真夜中に起きて駆けつけたワケだ。

ところが。フェリー乗り場に着いてみると何だか様子がおかしい。切符売り場は閉まっているし。「欠航

だったりして」と冗談を言って皆さんに叱られたが、結果はその通りだった。がっくり・・・。当初11時半に

は船が来るということだが、激しい雨が降る中小さなフェリーがよろよろとやって来て乗り始めたのは午

後1時。5時間も待ったよ。フェリーまでの200bは自分でスーツケースを転がして乗ったら、もう座ると

ころは無い・・・。5時間半遅れの1時半に出航。川を渡ったガイアナでは時差が1時間マイナスとなる。

雨降る中船の中では立ったまま。ガイアナ到着は午後2時。船を降りてもスーツケースを転がしてイミ

グレまでの長い道をトボトボ。まるで難民のようであるなぁ。イミグレで30分待ちガイアナのガイド、ディ

ビット氏の車に乗ったのは午後2時半だった。ここまで3時半に出発したから時差もあって12時間!!

       ガイアナでは学校の下校時間にぶつかった。日本と同じような制服を着ている。日傘をさすのも似ているね

チョー遅い昼 ガイアナ・ニューアムステルダム 「La CARIBIE DINER」 カリブ料理:ヌードル、ラ

イス、チキン、ビーフ、魚、トマトときゅうり、アイスクリーム、コーヒー、ビール 1.5ユーロ

  

ガイドのディビッドさんも、今朝早く首都のジョージタウンを出発して、フェリー乗り場で何時間も待って

いてくれたのだ。彼の説明によると、私達が乗る予定のフェリーが故障してしまい、小さな代わりの船が

数時間遅れで動いたのだと言う。ふーん、そうゆうことか。折角あんなに早起きしたというのにね。ディ

ビッドさんは昼食レストランのあるニューアムステルダムまで1時間だと言ったが、実際到着したのは1

時間半後の4時だった。以来「彼の言う時間は1、5倍すべし」というコツを皆は会得した。添乗員M

んが昨夜握ってくれたおにぎりを車の中で朝早く食べただけなのにあまり空腹でも無い。少し食べる。

夜 ガイアナ・ジョージタウン 「ペガサス」 シュリンプカクテル、マルゲリータピッツァ、チョコレート&ス

トロベリーアイス、ビール、白ワイン、赤ワイン

  

「ギアナ」とはインディヘナの言葉で「水の多い土地」という意味である。ジョージタウンまでも大きな川

があって、そこに架かる長い橋が、昔の勝どき橋のように大きな船を通すために時間によって開く可動

式なのだ。橋が開いている時に引っかかると長い間待たされるため、毎朝テレビで橋の開閉する時間

が知らされるのだそうだ。橋に近づくと、それが終わった時だったのでホッとした。ジョージタウンのホテ

ルにチェックインしたのは午後7時前。午後7時半からの夕食には2人が欠席。ホントに疲れた1日!

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1月 31日(金) 晴れ 一時雨

朝 ガイアナ・ジョージタウン 「ペガサス」 朝食ヴュッフェ

  

        れまでで一番充実した朝食ヴュッフェ        13人乗りのセスナに乗る           全員窓側だよん

  

             段々になったオリンダイクの滝               いつもはいる蚊も今日は少ない         こんな場所にもロッジが

昨夜田中マー君がNYヤンキーズ入りしたことを知った。大本命に決まったわけだが、7年で162億円

だってさ。年俸2200万j(約23億円)!月給にすると37000万円、日給なら440万円、2週に3

回の登板で100球投げるとすると1球投げるごとに60万円かぁ。それだけ貰うんだからマー君もタイ

ヘンだ。ガンバ!それはともかく、今日はこの旅最大のハイライトであるオリンダイクとカイエンチュール

の滝を見に行くのだ。小さな飛行場から13人乗りのセスナに乗る。貸し切りだから全員窓側の座席を

確保出来た。ジョージタウンがある海沿いは雨模様だったが、ブラジル国境近くでは素晴らしい晴天!

昨夜から皆の「晴れてくれ〜!」の願いが叶った。最初はオリンダイクの滝。段々畑のような滝だねぇ。

皆さんは急な坂を降りて川辺の散歩に出かけられたが、私は無人のロッジで気持ちの良い風に当たり

ながら休憩していた。どこからか小さな姉弟が現われた。ガイドに聞いた話ではこの辺りの子供は国境

を越えて2日がかりでブラジルの学校に通うのだとか。だから彼等はポルトガル語で話すんですって。

昼 ガイアナ・カイエチュール国立公園ロッジ 持ち込みランチ:チキン、豆、ナシゴレン、生野菜、マカ

ロニサラダ、バナナ、スイカ

  

    セスナ機でオリンダイクからカイエンチュールへ          カイエンチュール国立公園のロッジでランチを摂る

  

ポルトガル語を話すらしい姉弟、その父親に見送られてセスナ機は飛び立つ。30分飛んだ頃、眼下に

カイエンチュールの滝を眺める。先ずは左側に、セスナは旋回して次は右側に。ポタロ川から轟々と水

煙を上げるカイエンチュールの滝。夢中でシャッターを切った。やがてセスナ機はカイエンチュール国立

公園のロッジの真ん前に着陸した。レンジャーやガイドの方々がロッジにおられた。ガイドのディビッドさ

んが、セスナから大きな荷物を下ろして来られた。中には・・・たくさんの密封容器に料理がギッシリ!

  

      セスナ機からカンエンチュールの正面を撮影      轟々という凄まじい音で声も聞こえない。いくつも虹がかかる

持ち込みランチを摂った後は、いよいよカイエンチュールの滝を見に行く。通常のコースだと1時間半

激しい坂道を歩かねばならない。ガラスの膝にはムリだ。そこで、私だけ一番の見所E地点にガイドの

フィリップさんが連れて行ってくれることになった。有り難い!歩くこと20分、徐々に音が大きくなり、つ

いに目の前に滝が現われた。凄い迫力。落差226bは世界で19番目だそうだが、アフリカにあるヴィ

クトリアの滝の2倍以上の高さがある。いやいや素晴らしかった。帰りのセスナからもう一度滝を見た。

  

     空から見たジョージタウンの町                 町の中心にある大聖堂(写真)         中央市場の前には日本の中古車が並ぶ

帰りのセスナは大雨にあって大きく揺れた。私以外の皆さんは仏領ギアナのクルーズでも大揺れし、飛

行機でも揺れるのかと苦笑していた。4時飛行場に到着し小雨降る中ジョージタウンの町を車窓観光。

大聖堂ではお葬式をやっていたが、こちらでは葬式に参列した後は、近くで大音響の音楽をかけて酒

をガム飲みするのだとか。インド系44%、黒人30%、混血17%、インディヘナ)%という国民構成だ。   

夜 ガイアナ・ジョージタウン 「ペガサス」 チキンとマカロニスープ、ポークリブ、フルーツサラダ、ビー

ル 4j、白ワイン 6j、赤ワイン(サービス)

  

これから移動ばかりなので、今夜の夕食が全員揃う最後の食事となる。最後の晩餐は旅行社から1

飲みモノがサービスされる。赤ワイン下さい。昨夜は「ピッツァナイト」とかで夕食のメインがマルガリー

タピッツァであったが、今日はポークリブ。食べにくいが味が良い。デザートのフルーツにタマゲル。全

員分だと思ったフルーツテンコ盛りの皿は1人分ですって。こんなにフルーツ食べたら果糖だらけでカ

ラダに悪いぞ。昨日も早かったが、明日朝はもっと早い。2時半出発だから午前1時に起きようかな。

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2月 1日(土) 早朝過ぎて天気分らず マイアミは晴れ

チョー早い朝−1 ガイアナ空港にて 弁当(チーズサンド)ひと口

昨夜は9時半にベッドに入ったが、全く眠れず本を読んで眠気を待つ。11時就寝。早くも0時半にトイ

レに起きる。じゃ、このまま起きてしまおう。1時間半しか寝てないじゃん。シャワーを浴びて、パッキン

グして、自分でスーツケース転がしてロビーへ。月曜日ガイドを引退するというディビッドさんが迎えに。

朝―2 カリビアン航空 ジョージタン=ポートオブスペイン ビジネスクラス機内食 ひと口

朝―3 カリビアン航空 ポートオブスペイン= ビジネスクラス機内食

  

ホテルから45`走って3時半空港到着。こんな時間なのに、空港には既にたくさんの人がいるんだな

ぁ。5時半発カリビアン航空トリニティ・トバゴのポートオブススペイン行き。飛行機まで150mほど歩く

のだが、雨がザンザン。全員びしょ濡れで飛行機に乗ったのだった。約1時間でポートオブススペイン

に到着。かなりの人がここで降りる。マイアミまで行く私達乗客はそのまま機内で待機。掃除の人、パ

スポートチェックする人などが来る。1時間半後新しい客が乗って来る。ビジネス席には日本人ビジネ

スマン数人が乗って来た。8時半離陸。9時半にようやくマトモな食事が出て来た。マイアミまでの4時

間のフライトの中で1時間ほどウトウトしただけだった。窓の下にはカリブ海の珊瑚礁や島々が見える。

昼 無し

夜 アメリカ・マイアミ 「ジョンソンプラザ」客室にて 「サブウェイ」のピッツァ、りんご、味噌汁

  

午前11時半マイアミ空港到着。時差更に1時間マイナス。ここの午前11時半は早朝までいたガイアナ

の午後1時半ということだ。この国には10日前入国したばかりというのにひとり一人じろじろとパスポー

トをチェックされ入国審査を受ける。あらら、私の前でチェックを受けていた同じツァーのI野さんが係員

に連れて行かれちゃったよ。堂々とした態度で・・・。で、なかなか帰って来ないから皆心配。30分後無

事帰って来られた。7年前に行かれたイエメンのビザで引っ掛かったそうだ。私も同じ頃行く予定だった

が出発1ヶ月前に訪問都市の1つが渡航禁止になって催行中止になった。 そうこうしているうちにホテ

ルに着いたら既に午後3時。そのままホテルにチェックイン。のんびり本など読みながら過した。夕食付

いていないので空港の「サブウェイ」でピッツァを買って来た。部屋にレンジがあった(ラッキー!)ので

温めて食べた。アツアツコリコリ旨いじゃないか。3本日本から持って来たウィスキーも全部空になる。

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2月 2日(日) マイアミは晴れ アトランタは曇り

朝 アメリカ・マイアミ 「ジョンソンプラザ」 朝食ヴュッフェ

午前のおやつ デルタ航空 マイアミ=アトランタ ビジネスクラス機内食 バナナ

昼 デルタ航空 アトランタ=成田 ビジネスクラス機内食(洋食)

  

  

最後の朝の出発も6時半と早い。しかしここまで3時半、2時半出発なんて日程があったから「別に・・・」

って感じだ。昨夜はあまりの寝不足にさすがの(何の「さすが」だろうか)私も午後8時半には寝てしまっ

た。2度トイレに起きた時間は10時、11時半といずれも「今日中」だったから自分でも笑ってしまった。

行きの宿泊時も食べたサビシー朝食を摂ってからホテルのシャトルバスで空港へ。マイアミ空港デルタ

航空ラウンジで見た新聞トップはスーパーボウル!そうなのだ、今日はアメリカンフットボールチャンピ

オンを決めるスーパーボウルが行われるのだ。せっかくアメリカにいるのに残念だなぁ。その代わり、ア

トランタから乗ったデルタ航空では、球Qコーターごとに試合経過がカンタンに報告されるのだった。大

方の予想を裏切ってシアトル・シーホークスがデンバー・ブロンコスを大量リード。いいぞ!勝てよ!!

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【今週の振り返り】

仏領ギアナでガイド兼ドライバーを務めてくれたマガリさん。仏領ギアナに来て5年目という。ナゼここ

に来ることになったのか。消防士のご主人の転勤先が仏領ギアナになったのでフランスから2人で引っ

越して来た。3年ギアナで勤務している間に男の子も生まれ、いざフランスに帰国する段になって2人

は考える。「子供が小さいうちはギアナにいる方がいいんじゃないか」。そこで「ギアナ勤務継続希望」を

出してここに留まることになったのだと言う。ご主人はスペースセンターの消防署に勤務し、彼女もまた

ESAで子供向けガイドも務めているそうだ。

マガリさんに仏領ギアナで暮らす魅力を聞いてみた。社宅はスペースセンターから5分の場所にあって

通勤がチョー楽チン。夫婦2人で働いていても、近所に住むいろんな国の人がベビーシッターをしてくれ

て交流が出来る。彼等はとても親切だ。気候はずっと暑いから衣料や燃料などにお金がかからない。

だいたいお金を使う場所もそう無いので、収入はそのまま貯蓄に回せて将来に備えられる。子供の教

育の問題が無ければ、仏領ギアナはとても住みやすい土地だ・・・。と凄いフランス語ナマリの英語で答

えてくれた。彼女のケースは、ギアナでも仕事や収入に非常に恵まれた家族の話だとは思うが、フラン

ス人なら敬遠すると思っていたギアナを志願して留まるケースもあるのだと興味深く聞いた。

その昔、ギアナは「緑の流刑地」として恐れられた土地だった。1848年奴隷制度の廃止によって、プラ

ンテーションの働き手を失ったフランスは、本国の囚人収監場所の不足を理由に囚人をギアナでの代

替労働力にしようと考えた。「囚人植民地政策」は、1852年から始まる。しかし、熱帯性気候での過酷

な長時間労働で死者が続出したこともあってその政策は不評極まりなかったが、それでも約90年間続

いて1945年ようやく終了したのだ。先週触れた映画「パピヨン」の主人公もその一人だった。

南米大陸で、独立国家で無いのは仏領ギアナだけである。ギアナの人々は独立を望まないのだろうか

と聞いてみた。答えは「誰も独立なぞしたくない。独立する意味が無い!」と一刀両断。今はフランスの

海外県の位置付けだ。だから仏領ギアナの人々はフランス国民である。本国フランスへは、パスポート

無しで毎日一便飛ぶエールフランスの直行便に乗りさえすればいい。EU諸国にも自由に行ける。スペ

ースセンターが設置され、欧州宇宙機関(ESA)が設立されて稼動するようになって、仏領ギアナは豊

かになった。フランスからの支援があるから。貧しい人々には毎月400から500ユーロの生活補助が

出る。そんな利点を捨てて貧しくなるとわかっている独立などするわけがないということだ。なるほど、

そうゆうことか。

 

「ガイアナ」という国を1978年に起こった「人民寺院」というアメリカの新興宗教による集団自殺事件で

覚えている方もおられよう。「ガイアナ人民寺院の悲劇」という映画も作られた、この集団自殺は、914

人もの人が亡くなった大事件であったが、カルト教祖のジム・ジョーンズに率いられてアメリカから移住

されてしまったガイアナこそいい迷惑だったと思う。ガイアナと聞いて、知っているのはその集団自殺事

件だけではガイアナという国が気の毒過ぎる。南米で唯一の英語国というのも移住先に選ばれた理由

なのだろうか。今回の旅で最後に訪れたそのガイアナ。独立する前ギアナ三国は、英領ギアナ、スリナ

ムもオランダ領ギアナだった。「ギアナ」とはインディヘナの言葉で「水の多い土地」だということは既に

述べたが、「ガイアナ」は「ギアナ」の英語読みである。

そのガイアナには木曜日、大苦労の末スリナムから到着した。フェリー乗り場から車を走らせる。国道

沿いに建つ家はすべて高床式だ。それと言うのも、肥沃な平地は海岸沿いにしか無いため、狭い海岸

地帯に人口の9割が居住している。家は海に近い。高波に備えての高床式なのだ。貧しい国と聞いた

わりに国道沿いに建つ家は新しくて皆立派。多くの人が主に北米に出稼ぎに行き、母国に仕送りして

帰国後に建てた家なのだそうだ。その国道には、牛や馬、豚、ポニーなどが走ったり、歩いたり、寝転

んでボーっとしたりしている。どこかで見た風景だぞ。そうだ!インドだ。インドにはこれらの動物に加え

て、イノシシや羊、猿、駱駝までいた。

午後3時から4時と中学の下校時間に移動した。そのお陰で、たくさんの制服を見た。紺、エンジ、緑、

茶、青などのジャンパースカートを白のブラウスと一緒に着た女子中学生、白のポロシャツにベージュ、

グレー、紺などのズボンを履いた男子中学生。何だか日本の中学生みたいな感じだなぁ。国民の4

近くがインド・パキスタン系と聞くが、黒髪、黒目の女子中学生が日傘をさしていたりして、親近感を感じ

てしまうのだった。                  

 パピヨンって蝶?犬?そんニャやつは猫ニャおらんニャ

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         * 旅の始まりは  1月 4  をご覧ください。

      ホントによく雪降りますよねぇ。もうウンザリなのに、また・・・って。

そんな時でありますが、また別の暑い国に行って来ます。

蚊取線香とムヒ持って。次回の更新は34日かな、5日かな。

どうぞ、皆さま転ばぬようケガされぬようお気をつけくださいまし。