パクパク日記14年2月4週

          地球温暖化による海面上昇で水没が心配されるキリバスに行った    

      キリバスの少女 戦場になった美しい海

2月 24日(月) キリバスは晴れ           1豪j(Aj)=約102

朝―1 ナウル空港にて 添乗員S井氏特製寿司飯おにぎり

  ナウルから北東方向に飛んでキリバスに向う            

先週からミクロネシア(小さい島々)の一つナウルに滞在している。オーストラリアのブリスベンから4時

間半、赤道直下の世界で3番目に小さな国である。リン鉱石のお陰で一時は豊かな時もあったが、現

在は平均年収50万円、失業率が90%と貧しい。周囲19`の小さな島だから観光する場所もそう無い

のだが、この国に3泊もしたのは、2週に1便のキリバスに向う飛行機が今朝来るから。4時半ホテル

出発するとあって今朝は2時半に起きてシャワーを浴びパッキングしたが、こんな早朝送りの車の運転

手が来るか心配していた。3泊の滞在中働かないナウル人に呆れていたから。未だ暗い中ロビーに行

ってみると、運転手2名、巨漢女性ガイドもいた!空港に着いた。ドライバーと握手するも「See you 

Again!」でも無いよなぁと思い、「Thank you!」。5時半轟音と共に着陸したOurAirに乗り込んだ。

朝−2 キリバス・タラワ・オティタワイホテル 朝食セット

          機内から見たキリバスの首都タラワ。こんなに細長〜〜〜い珊瑚礁の島が首都

   ギリギリ造った飛行機の滑走路          トラックの荷台もスクールバス                 朝ご飯これだけ!        

予定通りの6時45分離陸。パンクチャルOurAirスバラシイじゃない!しかし2週に1便のキリバス行き

は空いていた。1時間もすると前方に珊瑚礁が見えて来たので窓側に移動。やや!これって途中の島

じゃなくて、目的地のキリバスのタラワ?こ、こ、こんな幅が狭いそして長い長い島が首都?ヒェー、世

界にはいろんな国があるもんだなぁ。こんな幅狭島にジェット機の滑走路あるのか!あった!見えた。

縦に造ってギリギリだ。止まり切らなければ海に突っ込むぞ。ドキドキしたが、無事飛行機は着陸した。

飛行機を降りた人は少ない。大半の人はこのままマーシャル諸島に行くらしい。キリバスもオーストラリ

ア並に食品の持ち込みには厳しい。78歳のN亀さんは持っている食品は何だと聞かれて、大きな声で

「すーめ!すーめ!」と「る」にアクセントをつけて答えていた。するめじゃ判る訳ないじゃんさ。「ドラ

イカラマリ」と助け船。アハハ、でもわかったみたい。ナウルとは違って既に車が迎えに来ていた。しか

もガイドは日本人男性!こちらの女性と結婚されキリバス暦19年目のA部さんだった。ホテルに向う。

昼 キリバス・タラワ・オティタワイホテル 中華ランチヴュッフェ

  

   キャスター付きベッドは部屋を漂流          昼は中華料理ヴュッフェ            ホテルの真ん前は美しい海

1時間半ほどのフライトだったが、この間に赤道を越えて北半球に移動した。お天気が良く明るいせい

か海は美しいし、ナウルに較べて「明るい国」って感じだ。海岸には植林されたらしいマングローブがた

くさん植えられている。ちょうど通学時間と重なったので、様々な制服を着た小中学生の徒歩、あるい

はトラックの荷台に乗っての通学風景を見ることが出来た。ホテルに近い場所では豚を飼っている家が

多いらしく、紐で木に繫がれた豚をたくさん見た。市場も通過したし、少なくてもナウルよりは働いている

人が多いということがわかる。ホテル着。2泊するオティタワイホテルもかつては国営だったが、公務員

を削減するために民営化した。現在の国会議員のオーナーになってから徐々に改築を進めているそう

だ。それでもレストラン近くのトイレに行ったら、便器が2つ並んでいた!ツインのトイレ???よーく見

たら仕切り板が取れたままになっていた。朝10時にチェックイン出来たのは嬉しいが、冷房は効いても

お湯はどうやら出ないらしい・・・。昼まで休憩。ホテル真ん前の海で泳いだ男性2人によるとずっと向こ

うまで遠浅の海だそうだ。ランチは中華ヴュッフェ。ここも中華かぁ。時間守るし女性美人揃いでグッド。

  

           ボウタのエメラルドグリーンの海           大潮で削られたボンリキ村の防波堤       植樹されたマングローブ(ヤエヤマヒルギ)

 

       これがヤエヤマヒルギの木           A部さんの指導で我々も約100本マングローブ(ヤエヤマヒルギ)の植樹をした

      

      現地のご夫婦宅を訪問。風通しの良い家でココナツジュースをご馳走になった            正三角形から左の斜め辺を取ったカタチ

午後1時過ぎ観光に出かける。キリバスの首都があるタラワのカタチだが、「逆L字型」と言っても良い

が、一番似ているのは「正三角形から左の斜め辺を取ったカタチ」だ。三角形の内側を内海と言い、外

側を外海と言う。余りに幅が狭いから同時に内海も外海も見ることが出来る場所ばかりだ。三角形の

底辺部が南タラワで政治・経済・商業の中心地。右の斜め辺部分は北タラワで交通の便も悪く人口も

少ない。飛行場はその2辺が交わる角部分のちょっと北にある。今日は昔ながらの牧歌的な住居が続

く北タラワ方面に行く。地球温暖化の影響で海面上昇によって水没が心配されるキリバス。タラワ周辺

では、40年後の2055年までに海面が最大30センチ近くも上昇すると予測がされている。その対策の

一つとしてガイドのA部さんはマングローブのヤエヤマヒルギの植樹を積極的に行っておられ、これま

で地元住民と一緒に空港付近を中心に5万8千本のヤエヤマヒルギを植えたと言う。それならば私達

も植樹しましょうとA部さんの指導を頂いて約100本のヤエヤマヒルギの発芽した胎生種子を植えた。

マングローブというのは塩分を排除する能力を持つ海水や汽水環境で育つ植物の総称でマングローブ

という木は無い。代表的なのは、ここで植えたヒルギである。大きく育ってキリバスの役にたってくれよ。

夜 キリバス・タラワ・オティタワイホテル 洋食と中華料理のディナーヴュッフェ、ビール 3,5Aj、白

ワイン 8Aj、赤ワイン 8Aj

     

夕食はホテルで7時から。今朝までいたどこかの国と違って待たされない。全く。料理はヴュッフェだし、

注文したアルコールもすぐ出て来るし。今日A部さんから伺ったところ、3年前の3.11以前は年に3、

4組の観光客グループがキリバスにやって来ていたが、大震災以降は全く来なくなってしまった。何と

私達グループが大震災以降の初の観光グループなのだそうだ。今回の参加者は9名だが、うち2名は

ナウル2回目!ということは、キリバス目的でこのツァーに参加された由。これまで行った国が、188

国、191ヶ国という猛者だ。私はそんなに行くつもりは無いけどね。このホテルには猫の親子がいる! 

                     ________________

2月 25日(火) 晴れ アヂヂの暑さ

朝 キリバス・タラワ・オティタワイホテル 朝食セット

  

      卵料理とベーコンソーセージも出てほっ。               海も空もホント美しい国である  

  日露戦争の砲台がここに運ばれて来た                   旧日本軍司令部跡                   日本人兵士慰霊碑にお線香をあげた

夜間、このホテルは電気も水道も止めてしまう。ナウルの国営ホテルとは偉い違いだ。610分になっ

てようやく水が出てホッとした。しかし、お湯は全く出ない。朝風呂(シャワーしか無いけど)派の私は、

ひんやりした朝方に水シャワーを浴び、水で洗髪する羽目になった・・・。ま、こうゆう国に来ているんだ

からしゃーないわな。おうっ!チュメタイ!チュメタイ!うぅ〜!ドライヤーも無いなぁ。タオルも洗い古し

たゴワゴワのバスタオル1枚切りで、フェイスタオルとかバスマットとかありません。この1枚で全部済

まさねばならん。7時から朝食。待たされなくていいな。それがフツーか。8時半から政治・経済・商業の

中心地南タラワの観光に行く。最後部の席に座ったら、真後ろからギラギラ太陽を浴びて暑いの何の。

政治の中心地バイリキを通過して商業中心地のベシオ地区へ。美しい海に向けて古い砲台が2門置

かれていた。1941年イギリスの植民地だったキリバスを占領したのは旧日本軍。あ〜ぁ。何と何と日

露戦争の艦載砲4門がキリバスに運ばれ、そのうち2門がこの浜辺に設置されたのだ。数年後アメリ

カ軍と激しい戦闘の上玉砕してしまう旧日本軍なのだが、日露戦争の艦載砲じゃあ負けるわなぁ。闘っ

て亡くなった兵士の無念を思って涙出る。後刻日本人兵士の慰霊碑にお線香を上げさせて頂いた。そ

の隣には、工兵として連れて来られて亡くなった韓国人兵士の慰霊碑もあった。どちらも年に一度遺族

の方がお参りに来られるそうだ。日本の援助で出来た港からは、マグロやカツオなどの魚介類、海草な

どの海産物、そしてココナツの乾燥油脂のコプラなどが輸出されていく。郵便局で切手シート購入した。

昼 キリバス・ベシオ 「厨 A BOYS KITCHIN 中華コース(海草と豚肉のスープ、蒸し魚、ビー

フとカシュウナッツ炒め、自家製豆腐の麻婆豆腐、酢豚、チャーハン)、水

  

  

キリバス一番のレストランは中華料理の「厨A BOYS KITCHIN」。ナウル国家の経済が破綻して

から何軒かの料理人と共にキリバスに逃げて来た人達らしい。今では人口2万人が集中するベシオ地

区では人気ナンバー1のレストランと聞いた。冷房の効いた奥の個室で食事を始めたが、量が多くて食

べ切れそうに無いので一般席で食事を始めていたガイドのA部さんをお誘いして一緒にランチ。やっぱ

り住んでいる人の話は興味深い。港の改修工事等で現地に来ている日本人は8人。永住者はÅ部さ

1人だそう。本業は自動車修理と販売業で従業員もいる。とてもガイドでは食ってイケナイ。そりゃそ

うだ。日本人の研究者や調査隊などはぽちぽち来ても、ここ数年観光客は来ないし。この店の料理は

とても美味しい。麻婆豆腐の豆腐は店の中国人お母さんの手造りだそうだ。この島で豆腐売ってない

から作るしかない。海草スープと酢豚が旨い。半分残った料理は当然のようにA部家夕食となるのだ。

  

         キリバスの海は素晴らしく美しい!    日本が作ったバイリキ=ベシオのコーズウェイ    ここが国立競技場

  

    陽気で人懐っこい市場の女性達                  台湾人の寄付で造られた教会             キリバスの国章 軍艦鳥が飛ぶ

昼食の後は日本が造ったベシオとバイリキを繋ぐコーズウェイを通ってバイリキへ。途中撮影ストップし

たのだが、あまりの海の美しさに溜息が出る。父親世代の兵士達よ、こんな美しい海で遥か遠い日本

に焦がれただろ?帰りたかっただろ?こんな穏やかな海で武器を手にする無粋に嫌気がさしただろ?

こんな美しい海岸に平和な時代に愛する人を連れて来たかっただろ?次々と70年前の日本兵士に問

い掛けたくなる。しかし同時に強制的に連れて来られた韓国の兵士や島を占領されたキリバスの人達

のことにも考えが行き、「申し訳ありませんでした」と。人口の5割がカトリックという教会に行く。祭壇も

ベンチも何もない教会がクリスマスともなると信者で溢れかえるのだそうだ。休会中の国会に寄った。

キリバスという国はとんでもなく広い。面積をギュッと縮めると対馬くらいなのに散りばり方が凄いのだ。

夜 キリバス・タラワ・オティタワイホテル ディナーヴュッフェ、ビール 3,5Aj×2杯、白ワイン(旅行

会社のサービス)

  

  

        キリバスの若者の伝統舞踊は迫力満点!観客達にも花の冠をプレゼントされた

ホテルに帰る。希望者はホテルの船を借りて北タラワ方面クルーズに出かけられた、私?行かない。ち

ょっと急ぎの用事が出来まして・・・。でもホント忙しかった。今夜はホテル敷地屋外舞台でキリバスの

若者達によるキリバス伝統舞踊のショーを観ながらの夕食であった。虫除けスプレー持ってくれば良か

った。と思う間に足を食われてピシャッ!伝統舞踊のショーに音楽隊はいない。踊り手が音を出しなが

ら踊るのだ。素朴ながら迫力一杯!注文した赤ワイン品切れで町の店に買いに行ったが無かった由。

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2月 26日(水) キリバスもナウルもオーストラリア・ブリスベンも晴れ

朝 キリバス・タラワ・オティタワイホテル 朝食セット

   キリバスはこの広さに散らばっている

添乗員のS井さんがお願いしたらしく、昨夜は夜中でも電気は消えなかった。暑くて目が覚めた時クー

ラーが点いてホッとした。しかし、朝になって6時過ぎても水は出ない。こんなこともあろうかと、空いた

大きなペットボトルに昨夜水を詰めておいたからそれで顔は洗ったが問題はシャワーだ。6時35分チョ

ロチョロ出始めた水でカラダも洗い髪も洗う。終わりかけた頃ようやくザーッと水が出て来た。遅いよ!

今朝は大引き潮らしくホテル前の海の様子が一変していた。昨日まで小舟が航行していた場所では海

底の岩が露出し遥か沖で魚を捕っている人を見ると海水は膝あたり。逆に大潮の凄まじさに思いは至

る。一昨日、空港滑走路近くで見た大潮で削られた海岸では椰子の木が50本倒れて流されたそうだ。

午後のお茶 Our航空 キリバス=ナウル機内食 コーヒーのみ(サンドイッチは要らん)

昼 Our航空 ナウル=ブリスベン機内食

  

空港に向かう車から見た海。海水は遥か向こうに引いてしまい、露出した海底を歩きながら海草と貝を

採る人達をたくさん見かけた。空港チェックイン時は大混乱。X線検査の装置が無いので、全員のスー

ツケースをオープンチェックするというのだ。今朝詰めこんだばかりのスーツケースを開けられ、これ何、

あれは何、と持ち物をグチャグチャ触られるのはイヤだねぇ。1人ずつやるから1時間以上かかる。以

X線装置を導入したのだが、初日電源を入れた途端に壊れたそうで・・・。やっと全員終わったら、次

は手荷物検査の厳しいこと!空っぽのペットボトルまで押収する。その上、これまで「パンクチャル!」

と褒めていたOur航空が1時間遅れだって。ようやく午後1時過ぎナウルに向け出発し、1時間15分

後ナウル着。機内待機はNOで全員降りてトランジット待機。3時半再搭乗してブリスベンに向かった。

夜 オーストラリア・ブリストル 「メトロホテルタワーミル」 シーフードミックスフラン 21Aj、生ビール 

大 5Aドル、小3,5Aj、赤ワイン 7Aj

    またこれ食べちゃった

週4便のナウル=ブリスベン間は満席だった。T永さんとT中さんと女性3人並んでお喋りして楽しかっ

た。4時間半のフライト、時差−2時間でオーストラリアのブリスベンには午後6時前に到着した。イミグ

レは誰も並んでいないからスッと通り、いつもならチョーウルサイ税関まで「行け、行け」って。まるで別

の国に来たように短時間で空港外に出た。迎えの車で1週間前休憩したメトロホテルタワーミルに行き

チェックイン。希望者6名で30分後ホテルの軽食堂で夕食。1週間前と同じシーフードミックスフランと

ビールを注文。「お湯が出るって嬉しいね、電気が夜中も消えないっていいね、いつでも水が出るって

ホント有り難いね」と1週間のナウル&キリバス生活での不自由さ解消されたことを共に喜んだのだ。

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2月 27日(木) オーストラリア・ブリスベンは晴れ 中国・広州は雨

朝 オーストラリア・ブリストル 「メトロホテルタワーミル」  朝食ヴュッフェ

  

昨夜は何度も目が覚めた。ツインベッドが狭過ぎて落ちるのではと気にしていたらしい。4時半起きて3

日ぶりにお湯のシャワー。いいなぁ、お湯は!6時半スーツケースを転がしながらロビー階へ。外に出

てみると真夏のオーストラリアでも爽やかな空気だった。こんなホテルの軽食堂にしては意外に充実し

た朝食。いわゆるイングリッシュ・ブレックファーストの流れをくんでいる。フルーツが良い。7時半出発。

昼−1 中国南方航空 ブリスベン=広州 ビジネスクラス機内食 (汁緬と赤ワイン)

  

中国南方航空広州行き。グループでは4人がビジネス席でズラッと4人並んだ席だった。ところが、ビジ

ネス客は他に誰もおらず、24席あるのにガラガラ。ならばと4人がバラバラに散って座ることに。航空

会社の機内誌に路線地図が出ている。中国領土だけに地名があり、北朝鮮、韓国、日本、ベトナムな

どの周辺国の地名は一切記載が無い。あそこはと思い注意してみると、台湾近くに「釣魚島」とあった。     

昼―2 中国南方航空 ブリスベン=広州 ビジネスクラス機内食 (ほとんど食べず)

夜 中国・広州・プルマン広州 「何ちゃらいう広東料理レストラン」5人で) 豚と木耳と野菜炒め(ム

ースールー)、白菜炒め、海老とアスパラの蒸し餃子、焼き餃子、北京ダッグ1羽、楊州炒飯、プー

アール茶、ビール、赤ワイン 5人で1007元

  

  

約9時間のフライトだが、映画は中国映画中心でハリウッドモノも中国語訳しか無いので見ない。ずっと

クラッシック音楽のアルバム聴きながら辻村深月の「本日は大安なり」を読んで過した。時差−2時間、

予定より20分早く午後4時40分広州に到着。タラップ降りると、ファーストクラスとビジネスクラスは別

の車で空港建物に行くのだった。ホテルの場所をホテル案内人に聞くと思いっきり無愛想。空港インフ

ォメーションデスクの女性は大声で喧嘩腰!私達が日本人だからという理由でもなく、誰にも喧嘩腰。

何が気にいらなくてあんなヒドイ態度を取るのだろう。空港隣接ホテルとはいえ、カートにスーツケース

を3個乗っけて押しながら10分以上歩いて行った。汗びっしょり。2ヶ月半前パリでも泊まったプルマン

ホテル。5ッ星だ。ナウル&キリバスの旅だったし、ブリスベンのホテルも簡素だったからラグジュアリー

ぶりが嬉しいね。夕食の広東料理には5人集まった。添乗員のS井さんが既に料理を注文していた。

なかなか良いチョイス。大きなダッグ1羽だったから北京ダッグ食べても食べても無くならない。一生分

の北京ダッグを食べたようだった。海老とアスパラの蒸し餃子好評。誰も元持っていないので私払うよ。

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2月 28日(金) 中国・広州も東京も晴れ 東京は18.6度!4月上旬並の気温   

詩人まど・みちおさん死去(享年104歳)

朝 中国・広州・プルマン広州 朝食ヴュッフェ

  

昨夜はホテルのテレビで久し振りにNHKの番組を観た。4時過ぎ起きてお湯のシャワーを浴びる。秘

境もいいけど、やっぱり快適がいい。5時15分にはバゲジダウンして朝食レストランへ。香港を含む中

国系の超高級ホテルの朝食は豪華。麺もあるし中国粥もあって嬉しい。大阪組は既に出発したそうだ。

昼 中国南方航空 ビジネスクラス機内食 

帰りの飛行機で久々に日本の新聞を読む。訃報が2つあり、TBSアナウンサーだった山本文郎さんと

フラメンコギタリストのパコ・デ・ルシアが亡くなったと。山本文郎さんのラジオの番組に出演したことが

あり、週分の収録を終える頃にはすっかり仲良く。楽しい人だったなぁ。パコ・デ・ルシアは神様のような

ギタリストだった。彼のアルバムはたくさん持っているが中でも「Almoraima」は磨り減るほど聞いた。

夜 四谷三丁目 「鮨処 のがみ」 お通し: ほたるイカ、煮ハマグリ 730円、白魚 630円、だるま

イカ 940円、のどぐろ塩焼き 1470円、焼き立て卵焼き(オミヤも)、握り:赤身 1貫、納豆巻

(ハーフ)、穴きゅう巻(ハーフ)、生ビール 2杯、麦焼酎 @8650円

  

  

  

午後2時半成田到着。スーツケースが一番に出て来たから、皆さんに挨拶してタクシーに載る。今朝テ

レビの天気予報で見た通り、ムッチャ暑い!広州も暑かったから行く時持っていたコートはスーツケー

スにしまいこんだ。詩人まど・みちおさんが老衰で死去された。「ぞうさん」や「一年生になったら」、「ふ

しぎなポケット」、私は「やぎさんゆうびん」が一番好きだった。團伊玖磨さんの作曲だ。

♪ しろやぎさんからおたよりついた 

くろやぎさんたらよまずにたべた 

しかたがないからおてがみかいた 

さっきのてがみの ごようじなあに

夕食は「鮨処 のがみ」へ。ずっと海の近くにいたのに、中国料理ばかり食べる日々だった。改めて魚

介類を旨く食べるのは日本が一番だと思った。この店の魅力の1つは女将とのお喋り。今夜もお喋り!

                     ________________

3月 1日(土) どんよりした寒い曇り 午後から雨

 アーモンド

昼 家食 「鮨処 のがみ」の卵焼き、鶏肉とどっさり野菜スープ、ふすまドッグパン+フランスバター、

でこぽん、ヨーグルト

  

ウクライナ状勢が緊迫している。5年前、同じく旧ソ連邦だったベラルーシとモルドバと共に訪れたこと

があるウクライナ。ドニエプル川が流れ、首都キエフや西側のリヴィフは美しい街だった。オデッサには

猫がたくさんいたし、第二次世界大戦後の日本の処分も決めた会談が行われたのはウクライナのヤル

タだった。ドイツ敗戦90日後にソ連が日本戦うことを条件に、病気で弱っていたアメリカ・ルーズベルト

大統領は日本の千島列島や樺太など日本領土をソ連に引き渡すことを約束なんかしちゃったんだよ。

旧ソ連邦12ヶ国は現ロシアに擦り寄る国とEUと親しくしようとする国に分かれる。親EU国には、ロシ

ア・プーチン大統領は「天然ガス止めるぞ」とか「オマエの国の製品買わない」とか超意地悪するのだ。

夜 舟町 「仙水」 お通し:菜花のお浸しとアイナメの酒盗和え、いぶりがっこ 600円、白海老のかき

揚げ 2400円、新たまねぎのホイル焼き 800円、牡蠣の小鍋 1800円、稲庭うどん、生ビール 

   2杯、麦焼酎ボトル @1万5800円

  

  

帰国したばかりだが、パクパク日記2月1週の作成をずっとやっていて、気がつくと午後9時を過ぎてい

た。こんな時は「仙水」。お手伝いの若い女性達も卒業の季節とあって顔ぶれが代わっていた。そんな

一人Mちゃんと楽しくお喋りしながら美味しく頂く。新たまねぎホイル焼きは食べでがあるなぁ。満腹!

                      ________________

3月 2日(日) 雨

朝 家食 鶏肉とどっさり野菜スープ、ふすまパストラミレタスドッグ、でこぽん、ヨーグルト

  

今日32日は母の誕生日だ。生きていれば、ちょうど100歳!お母ちゃん、100歳おめでとう!NY

ヤンキース入りした田中マー君が、オープン戦で初登場とあって、日米で大騒ぎだったらしいよ。昨日

の朝コンビニで売っている材料で作った鶏肉どっさり野菜スープ旨くてお替りすること3回!私天才!

 アーモンド

夜 荒木町 「やくみや」 お通し:かまぼこと山葵漬け、ポテトサラダ 500円、さっと茹で春キャベツと

海苔ポン酢 500円、牡蠣フライ 800円、牡蠣と豆腐の小鍋 1000円、ちくわ磯辺揚げ 300

円、梅おにぎり 200円、しじみ汁 200円、生ビール 2杯、「知心剣」 2合 @7200円

  

  

  

南太平洋の島々をうろうろしている間にカレンダーは早くも3月になってしまったが、パクパク日記はよ

うやく2月1週分を作ってアップ。東京にいるあいだにガンバッて追い上げても、海外に出てしまえばや

はり1ヶ月遅れになってしまう。仕方ないね。女性2人の店、「やくみや」に行く。この店のポテサラ大好

き!そろそろ牡蠣の季節も終わる。メニューに無い牡蠣フライと牡蠣と豆腐の小鍋を食べるのだった。

                        ______________

【今週の振り返り】

世界3番目に小さいナウルから月曜日早朝飛んで行った「キリバス」も伝えたいことがたくさんある国で

あった。キリバス共和国は赤道付近に散らばる33の環礁(円形状の珊瑚礁のこと)で構成されていて

ギルバード諸島、フェニックス諸島、そしてライン諸島(の一部)がある。その33の環礁の散らばり方が

凄い!左右というか東西の距離は何と3870km!南北の距離は2050km!陸地を合わせたら、日

本の対馬ほどの広さしか無いのに、排他的経済水域は世界3位なのである。東西の距離3870kmって

どれほどのものかと地図をジロジロ見ていたら、面白いことを発見した。一番西側にある島から真下

(南)に目線をずらすとニュージーランドがある。一番東側にある島から真上(北)に目線をずらすと、ハ

ワイがあるのである。どのくらい広く散らばっているかイメージわくでしょ。

陸地合わせれば小さなキリバスに有人島は19。その19の島に合計約10万人の人々がいるが、その

うち半分の5万人は、私が2晩滞在した首都タラワに住む。「正三角形の左斜め辺を取ったカタチ」とタ

ラワを表現したのは私だが(笑)、その底辺部分南タラワの西端で、旧日本軍が要塞を造りアメリカ軍と

戦ったベシオ島(今は日本が造ったコーズウェイという道路で繫がっている)には2万人が住み商業の

中心地になっている。このベシオに国唯一の十字路があった。

このキリバスが20年程前世界で有名になる出来事があった。ミレニアムを5年後に控えた1995年の

1月1日。広域に散らばっていることで同じ国なのに日付変更線を跨ぐ不便を解消するため、キリバス

政府は日付変更線を、国土を1周させるよう東側に大きく移動させたのだ。その結果、キリバスは地球

上で一番早く日付が変わる国となった。つまり、キリバスの最東端にある旧カロリ島は地球上で真っ先

2000年を迎えることになったことから、島名を「ミレニアム島」と変更した、なんてことがあった。

キリバスの人々の平均年収は、50万円というナウルよりは少し良いものの63万円と貧しい。失業率

が90%のナウルよりはかなりマシだが、失業率70%だって十二分にツライわなぁ。ナウルと同じでか

つてはリン鉱石も採れたが枯渇してしまい、今は農業、漁業、養豚業、広い排他的経済水域利用して

漁業権の貸与などで生計を立てている。昨今ココナッツの乾燥油脂コプラの価格が暴落してしまい、生

産者から買い取って輸出している政府は大赤字に泣いている。第二次世界大戦中は、旧日本軍に占

領されてアメリカとの激しい戦闘の地となった。この地で日本人兵士4千人が玉砕した。

東部にあるライン諸島の一つ、クリスマス島は世界最大の環礁だが、1956年から1962年までの5年

間、イギリスとアメリカの核実験場として使われたのだ。ここで3度の核実験が行われた。もっともその

頃ライン諸島はアメリカ領であり、1979年キリバスが独立する時、アメリカが所有権を放棄したことによ

ってキリバスの領地となったものであるけどね。

キリバスの受難は続いている。そしてこれまでの中で一番深刻な受難。国が沈みそうなのである。地球

温暖化の影響で海面は年々上昇している。キリバスのような環礁の国は標高が低いから水没の危機

に晒されている。ツバルの水没の危険性を知っている人は多いが、キリバスの国土浸水は世界で最も

深刻な状況を迎えているのだ。2055年までに海面上昇は30センチを超えるだろうといわれている。私

が旅に出かける前日(2月17日)の日経新聞夕刊を読まれた方もおられようが、同紙でフィジー大統領

の談話が掲載された。「キリバス水没なら全住民受け入れ」というタイトルだ。キリバスの首都を訪れた

フィジーのナイラティカウ大統領はキリバスが実際に水没の危機にひんした場合、全住民を受け入れ

る用意があることを明らかにしたそうだ。「キリバスの一部または全国民がフィジーに逃れ、住み着く必

要が出てくるかもしれないと指摘した上で、「困っている隣人にわれわれが背を向けることはない」と述

べたそうだ。キリバス政府は将来の国民の海外移住も視野に、フィジー(人口約90万人)の土地購入

を決定し、国民の職業訓練も強化しているのだそうだ。

キリバスの国章は昇る太陽と海を飛ぶ国鳥・軍艦鳥、そして海には魚の群が真っ赤に染まった空をバ

ックに描かれている。一番願いたいのは地球の温暖化にストップがかかり、海面上昇の危険が去るこ

と。それが叶わなくても、水没はずっとずっと先のことになって欲しい。A部さん始めキリバスの人々、

そして私達が植えたマングローブのヤエヤマヒルギが水没の危機を救ってくれるよう願ってやまない。

                 アタイもニェがっている    ニェ!

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       * ナウルの旅の始まりは  2月 3週  をご覧ください。