パクパク日記15年3月1週

     スペイン・アンダルシアの旅。ジブラルタル海峡を渡ってモロッコへも

 

オークラのお雛様s_IMG_3775.jpgs_IMG_4020.jpgコスタ・デ・ラ・ルス

 

3月 2日(月)成田は晴れ パリは曇り

第1食 成田日航ホテル「セリーヌ」朝食ヴュッフェ 2200

 

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第2食 エールフランス成田=パリ ビジネスクラス機内食

第3食 エールフランス成田=パリ ビジネスクラス機内食

昨夜は大雨の中成田日航ホテルにチェックインしたが、今日は一転良い天気だ。「セリーヌ」で

の朝食ヴュッフェ。納豆と猫まんまだけにしてカレーは我慢。空港で添乗員のK子さんと再会。

彼女とは2年前フランスにご一緒し、先月も南の島々に行けば2度目の旅となるハズだった。エ

ールフランスのビジネス席は、相も変わらずの2・3・2席。中央側の真中席が空席になったの

だけが救いだった。映画「舞妓はレディ」を観る。周防監督のミュージカル仕立ての映画で、「マ

イフェアレディ」のパクリでもある。鹿児島弁津軽弁ミックスの地方ポッと出少女を立派な舞妓

に仕立て上げる言語学者の話。♪ 舞妓はレディ〜 覚えちゃった。2本目は小栗旬と黒木メイ

サ、綾野剛の「ルパン3世」。全く期待しないで見たら意外と面白かった。一睡もせずパリ着。

第4食 エアヨーロッパ パリ=スペイン・マラガ ビジネスクラス機内食(おにぎり)

激混みのラウンジとゲートで待って、エアフラグループ・エアヨーロッパのマラガ行きに乗り込

む。2時間半のフライトだ。添乗員K子さんに成田で貰ったおにぎりを食べながら赤ワインをグ

ビグビ。モーレツな眠気に襲われた。午後11時マラガ着。もう真夜中なのにターンテーブルか

ら我々のスーツケースが出て来ず、「すわ、ロスバゲか!」と不安がよぎったが、東洋人の荷物

だけ違うレーンから出て来た。胸撫でおろす。ホテルにチェックインし、寝たのは午前2時!

             ____________

 

3月 3日(火) 晴れ    1ユーロ=約140円

朝 スペイン・マラガ TRYPグアダルマル 朝食ヴュッフェ

 

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        アンダルシア地方を代表する白い村ミハスのサン・セバスティアン通り

 

6時起床。シャワーを浴びてカーテンを開けると素晴らしい朝焼け!海に面したホテルだったん

だ。今回ツァー参加者は11名だが、うち5名の方々とは2回目だ。男性4名全員の方と以前同

じツァーに参加したことがあるのだよ。ま、今回の旅も通好みって感じだからね。今日はアンダ

ルシアを代表する白い村を訪ねる。先ずは標高420メートルの高台にあるミハス。寝不足でウト

ウトしていたら着いてしまった。ホントに見渡す限り真っ白な村だ!イスラム時代の情緒が今も

色濃く残っているなぁ。ロバタクシーはのんびり歩き、馬車はパカパカ走る。坂が多いのが難。

昼 スペイン・ミハス「El Olivar」 野菜スープ、魚のミックスフライ、アイスクリ

ーム、紅茶 1,5ユーロ

 

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  カエサルも近くで皮膚病治療をしたカサレスの村にはアーモンドの花が咲いていた

 

ミハスでランチを済ませた後、もう一つの白い村カサレスへ。ローマ帝国時代、私の好きなカエ

サル(シーザー)が皮膚病治療に使ったエディオニアの湯がすぐ近くにあるということから、カ

エサルのスペイン語読みでセサルを取ってアラブ人がカサラと呼んだことから村の名前がつい

たんだそうよ。日本各地にもそんな風に名付けた温泉がある。鹿に姿を変えた文殊菩薩が信心深

い猟師に教えた湯「鹿教湯かけゆ温泉」とかね。桜によく似たアーモンドの花が満開であった。

夜 イギリス領ジブラルタル 「ザ ロックホテルジブラルタル」 グリーンピースのスープ、

ラム料理、ラズベリーのババロア(3点チョイス制)、3点セット:ビール 3ユーロ、白

ワイン 7ユーロ、赤ワイン(サービス)

 

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今回のツァーのこだわりの一つは、イギリス領ジブラタルに宿泊すること。ところが、昨夜マラ

ガに到着したところで予約されているのはスペイン側のホテルであることが発覚し、関係者は大

慌てでホテルを取り直したのだそうだ。普通のツァーではホテルの料金がとても高いので敬遠す

るところを我々は敢えて宿泊するのだよ。イギリス領ジブラタルは、ヨーロッパ大陸とアフリカ

大陸の間の狭いジブラルタル海峡に突き出た岩の塊から成る岬である。バスで向かっている時相

当遠くからジブラルタルの象徴ターリク山が見えて来た。パスポートコントロールを通ると道路

は飛行場内を通過する。敷地が狭いので何と一般道路と滑走路が交差しているのだよ。そのため

飛行機の離発着時には踏切りの遮断機が下される。世界で唯一踏切がある飛行場なのだ。大型バ

スから小型バスに乗り換えてホテルに向かう。1932年創業の四ッ星ホテルは眺めがとても良い。

            _____________

 

3月 4日(水) 晴れ

朝 イギリス領ジブラルタル 「ザ ロックホテルジブラルタル」 朝食ヴュッフェ

 

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 かすかに見えるアフリカ大陸まで24`    最南端にある灯台     ライトアップされた鍾乳洞

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      英領ジブラルタルの象徴ターリク山と昔から山に住む野生のサル

 

小さなバスでジブラルタル観光。先ずは岬の最南端にある灯台。ここからアフリカ大陸までは

24`の距離でうっすらとモロッコが見える景色は感動的ですらある。小さな鍾乳洞を見た後は

ジブラルタルの象徴ターリク山にロープウェイで登る。岩山には野生のサルが昔から住みついて

いてロープウェイの終点辺りでもチョロチョロ遊んでいる。標高426mの頂山から眺めは見事だ。

昼 イギリス領ジブラルタル 「Bastion Rock」 サラダ、フィッシュ&チップス、プリン、

白ワイン、コーヒー 1,5ユーロ   

 

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   ジブラルタルの町  滑走路と一般道が交差するから踏切りがある ジブラルタル海峡を渡るフェリー

 

ここはイギリスだからランチは正当なフィッシュ&チップス。トーゼン美味しくは無いわな。こ

の旅行に来て3日目。風邪が治り切らないということもあるのだろうが、どうも食欲が無くて。

アルコールは順調に飲めるのだが、食事となるとスープ以外食べる気にならない。2口位食べて

残している。痩せるかもしれない・・ニカッ。午後は2時間フリータイムとなった。ここはイギ

リスだからちゃんとあるマークス&スペンサーで、群馬から参加されたMさんの買い物に付き合

う。その後はヒマも持て余してカフェでお茶しながらお喋りをする。Mさんにご馳走になった。

夜 アフリカ大陸 スペイン領セウタ 「TRYP CEUTA」 ハム・豆野菜煮、トンカ

ツ ポテト添え、アップルパイ、ビール 2ユーロ、白ワイン 3ユーロ、赤ワイン(サービス)

 

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再び国境を越えて、スペインの大型バスに乗り換え。港のあるアルヘシラスに移動して午後5

時半のフェリーに乗り込む。いよいよジブラルタル海峡を渡ってアフリカ側に行くのだ。デッキ

に立って近づくアフリカ大陸を、遠ざかるヨーロッパを撮影しようと張り切っていたら、全く外

には出られないフェリーの構造だと知ってガックリ。1時間でアフリカ大陸に上陸。着いたのは

モロッコ?否!スペイン領セウタなのであります。意外なことにアフリカ大陸の方が気温低い。

港近くのホテルには5分で到着。客室のトイレ。便器に座ると蓋が倒れて来て背負う形になる。

変なの!相変わらず食欲なく、つついただけで飽きてしまう。サービスの赤ワインは3杯飲む。

            _____________

 

3月 5日(木)アフリカ大陸も欧州側も晴れ  強風!

朝 アフリカ大陸 スペイン領セウタ 「TRYP CEUTA」 朝食ヴュッフェ

 

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 丘の上から見たセウタの町   大陸を2つに裂いたヘラクレスは柱を建てた    市場にも行った

 

スペインより早く一気にレコンキスタに成功したポルトガル。エンリケ航海王子はその余勢をか

ってアフリカ大陸にも手を伸ばす。モロッコは奪えなかったが、北アフリカの突端にあるセウタ

はポルトガル領となった。その後ポルトガルはスペインに併合されてセウタはスペイン領となっ

たのだ。ギリシャ神話でユーラシアとアフリカを2つに裂いたのはヘラクレスということになっ

ているが、そのヘラクレスの柱の前で集合写真を撮り、市場へ。野菜も果物も魚介類も豊富だ。

人口約8万人のセウタには、周辺のモロッコ各地から多くの人が働きに来ている。英領ジブラル

タルにはスペイン人が毎日国境を越え6千人が働きに来ているという話も聞いたから面白いね。

昼 モロッコ・タンジール「Marhaba Palace」 ハリラスープ、ケバブとトマト、チキンの

クスクス、(クッキー)、ミントティ

 

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 突然カメラ目線の子供達        細い路地の向こうは海      面白い帽子の女性達

 

国境を越えてモロッコのタンジールに行く。国境でかかった30分を含めて2時間かかった。タ

ンジールに着いたのはもう1時だったからそのままレストランでランチ。ハリラスープ、ケバブ、

クスクス、ミントティというモロッコらしい献立だった。午後はメディナと呼ばれる旧市街を徒

歩観光。モロッコ一周旅行に来てからもう14年になるが、今でもフェズのスーク(市場)で味

わったドキドキ感は忘れられない。モロッコの魅力の一つは猫だらけであること。夢子狂喜乱舞。

夜 スペイン・タリファ 「LA CODORNIZ」 貝のスープパスタ、ツナのグリル、チョコレー

トケーキ、ビール、白ワイン、赤ワイン(アルコールはサービス)

 

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当初はタンジールの港から対岸のスペイン・タリファにフェリーで渡る予定だった。ところが今

日は強風高波のため港は朝から閉鎖されてしまった。急遽コースを変更し、先ほど来た道を戻っ

てセウタへ、さらに昨日乗ったフェリーでアルヘシラスに渡って更にバスでタリファに行くこと

となった。いろいろありますなぁ。午後720分出港。波が高いから揺れる。酔わないために

も読書は止めた。ジブラルタル海峡を渡る貴重な体験が出来たが、スーツケースを転がしてフェ

リーに乗り降りするのはかなり体力を要する。ヘトヘトじゃい。迎えに来てくれたバスでタリフ

ァのホテルに到着したのは午後9時半。グビグビっと飲んだ生ビールが喉に沁み込むようだよ。

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3月 6日(金)晴れ

朝 タリファ 「LA CODORNIZ」 セットメニュー(生ハム、パン、オレンジジュース、コー

ヒー)

 

  s_RIMG8006.jpgs_RIMG8007.jpg生ハム以外食べるもの無し

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        タリファからモロッコのまではわずか15`!すぐそこに見えるのだ!

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 強風を利用していたるところで風力発電       コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)

 

タリファはスペインというかヨーロッパ最南端の町だ。ムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)

が最初に築いた町で昔から船の通行税で潤った。様々な料金表を表す「タリフ」はこの町名が語

源となった。風が強いのでサーフィンポイントでもあるらしい。朝旧市街を徒歩観光したが、風

が強いの何の。それにしても高台から海狭ごしに見たモロッコの何たる近いことか!泳ぎの達者

な人なら泳いで渡れそうだ。カディスに行く途中、コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)の町を幾

つに立ち寄る。白い海岸が美しいバルバーテ、リゾート地として人気のコニール・デ・ラ・フロ

ンテーラ。どの町も風が強く、強い太陽の日射しが痛いようだった。途中で見渡す限り風力発電

機という場所がありバスの中の我々は唖然とした。「何基あります?」「千やニ千できかない」。

昼 チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラ 「Bodega El Carretero」 ツナとパプリカ、ア

ンチョビとレタス、白身魚のスパイスフライ、チーズとハムのフライ、ポークと野菜のバー

ベキュー焼き、洋梨のコンポート、ワイン飲み放題!

 

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ランチを摂るワイナリーレストランまでの道は大型バス侵入禁止ということで長く歩くことに

なった。ヘトヘト。その代わり旅で一番のご馳走と酒飲み放題であったから、急に機嫌がよくな

る。食欲ないとロクに食べなかった私が、旨い旨いと本来の夢子に戻った。ワイナリーのレスト

ランだからワイン飲み放題。この赤ワイン美味しいのにボトルで買っても5ユーロの安さだ!

夜 カディス 「南京酒家」(自由食 4人で)カニ入りコーンスープ 295ユーロ、春巻 

15ユーロ×2、野菜炒め 4ユーロ、海老チャーハン 4,3ユーロ、デリシャス焼き

そば 4,2ユーロ、ビール 2ユーロ

 

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午後5時カディスのホテルに到着。海の真ん前の新市街のホテルだ。今夜は自由食。「そろそろ

和食か中華が食べたいな」とK子さんにお願いしていたら近所の中華料理屋を予約してくれた。

ところがお店が開く午後8時に集まったのは3人+K子さん。まぁ、ワインセラーでの遅ランチ

が終わったのが午後4時近かったからね。それに酔っ払うまでワイン飲んだ人多かったし。「南

京酒家」に行ってみると一番!4人でシェアすることにして5つ注文。この店の味はいいなぁ。

            _____________

 

3月 7日(土)晴れ

朝 カディス「TRYP LA CALETA2」 朝食ヴュッフェ

 

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    1812年カディス憲法記念碑            百数十年かけて建築したカディスの大聖堂

 

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      17世紀の画家ムリーリョの作品。ムリーリョは65歳カディスで亡くなった

 

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           ヘレス・デ・ラ・フロンテーラにあるイスラム時代の王宮アルカサル

 

カディスは一年300日が晴天という羨ましい町だ。数々の歴史に満ちているが、コロンブスは2

回目と4回目の新大陸までの航海にカディスから出発した。そんなこともあって新大陸との貿易

の中心地となって商業的な発展を遂げた。旧市街を歩く。スペインで初めての憲法となる1812

年カディス憲法が発布された場所の記念の塔、カディス美術館ではムリーリョやルーベンスの絵

を、サン・フェリペ・ネリ礼拝堂ではムリーリョの「無原罪の御宿り」を観て市場や大聖堂を見

学してクタクタになった。やっぱりここは観光客多いですなぁ。その後シェリー酒の里ヘレス・

デ・ラ・フロンテーラに向かう。早い時間にクローズされるため昼食前にアルカサルを見学した。

昼 ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ 「Tendido6」豆と貝のスープ、5種の魚のフライ、チ

  ―ズケーキ、ビール(サービス)、コーヒー 1,5ユーロ

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  闘牛場が隣にある  ギネスブックに載っている世界最大風見鶏  ボデーガには皇太子殿下の写真も

 

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   ボデーガ観光客のための列車    「ティオペペ」の樽   試飲はお約束。辛口と甘口の2種

 

アルカサルの隣には1835年創業の「ティオペペ」で有名なボデーガ(醸造所)ゴンザレス・ビ

アスがある。ギネスブックにも載っているという世界最大の風見鶏が派手だ。4時からボデーカ

見学。そうそう町名ヘレス・デ・ラ・フロンテーラは、スペイン語で「シェリー」という意味だ。

シェリーは酒精強化ワインの一つで発酵の途中でブランデーを加えて発酵を止め、古いワインと

新しいワインをブレンドして造る。1月行ったポルトガルのポートワインも酒精強化ワイン仲間

だ。最後に試飲場所で辛口と甘口の2種を試飲。同じテーブルに座った下戸の女性の分も飲む。

夜 カディス 「arana」(自由食 5人で) 蛸のガルシア風グリル、イカのグリル、シ

ーフードスープ、パスタのパエリャ、ビール @35ユーロ

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今夜も自由食。今夜近所のシーフードレストランを希望したのは4人+K子さんだった。すっか

り仲良しになったMさんもいつも参加してくれるから心強い。スープがちょっとぬるかった以外

タコと烏賊のグリルもパスタのパエリアもどれも美味しいじゃないの。細いパスタパエリア初めて。

          _____________

 

3月 8日(日)晴れ

朝 カディス「TRYP LA CALETA2」 朝食ヴュッフェ

 

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 展望台向かいのサンタ・マリア教会   パラドールのカフェから見た眺め

 

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岩山の断崖に貼りつく白い村アルコス・デ・ラ・フロンテーラにはあらゆるところにアラブの面影が

 

2泊したカディスを発ち、白い村アルコス・デ・ラ・フロンテーラに行く。アンダルシア地方に

はやたらと何ちゃら「デ・ラ・フロンテーラ」という町名があることに気づきませんか?8世紀

から数百年の間イベリア半島はイスラムのムーア人の支配を受けたが、キリスト教徒が盛り返し

て両者が対峙する町があちこちにあった。「国境」とか「前線」とかを意味するのが「フロンテ

ーラ」というわけだ。レコンキスタでイスラム教徒ムーア人はポルトガルやスペインから追放さ

れたが、彼らが石灰を塗って造った家並の白い村など恩恵は残っている。坂道多くて足腰大変。

昼 サアラ・デ・ラ・フロンテーラ「Lago」アンダルシア伝統いろいろタパス、ミックス

サラダ、チキン・チョリソ・魚介のパエリア、イチゴとバニラアイス、白ワイン(サービス)

 

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       8世紀に造られたムーア人が築いた古城と麓のサアラ・デ・ラ・フロンテーラの村

 

この旅では最後の「デ・ラ・フロンテーラ」となるサアラ・デ・ラ・フロンテーラに行く。アン

ダルシアの奥深くに分け入って行く突然丘の上に古城と裾野に貼り付く白い村が見えて来る。そ

れがサアラ・デ・ラ・フロンテーラだった。太陽が燦々と照りつける屋外のテーブルでランチ。

アンダルシアの郷土料理のタパスと具だくさんのパエリア。これまでスペインで美味しいパエリ

アに出会ったことは数少ないが、今日のパエリアはカレー風味でなかなかイケる。毎日良い天気。

夜 ロンダ パラドール・デ・ロンダ 海老・蟹・マッシュルームのパイ、イベリコ豚のロー

  スト ブラックトリュフソーソ、ブラックビターチョコとオレンジのムース、カモミールテ

ィ、アルコールはフリードリンク(シェリー、ビール、白ワイン、赤ワイン)

 

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午後4時半最後の宿泊地となるロンダに到着。ロンダは渓谷の景勝地で、最も有名なニエボ橋が

よく見えるパラドールに2泊する。どうしてこんなに便利な場所にパラドールがあるかと言えば

以前市庁舎だった建物をパラドールにしたから。客室で荷物整理を終えてからアイパッドを開い

てメールチェック。インターネットで夢子倶楽部を開いてみたら何と閲覧不能状態になっている

ではないか!サーバーの容量オーバーということだろうか。A先生にメールする。夕食は午後8

時からパラドールのレストランで。ウエルカムドリンクのシェリー始め、ビールもワインも飲み

放題ってのがいいじゃないの。スペインは、ランチは午後1時か1時半だし、夕食は8時過ぎと

日本人感覚では食事時間が遅い。その代わり、アルコールがサービスという店が多くて嬉しい!

            _____________

【今週の振り返り】

ジブラルタル海峡はもちろん知っていた。自分が実際ジブラルタル海峡を渡ることになるとは思

っていなかったが。勧められてこのツァーに行くことになり、ジブラルタル海峡のスペイン側に

イギリス領ジブラルタルがあるということを初めて知った。

スペイン南端にある面積65平方qの小さな岬だが、大西洋と地中海を、欧州とアフリカ大陸

を隔てる場所だから軍事的には極めて重要な場所であることから「地中海の鍵」と呼ばれて来た。

3万人が住むイギリス領ジブラルタルに1歩入れば、公用語は英語となり、通貨はジブラルタル

ポンド、走るバスはダブルデッカー、スーパーで売られているのはイギリス商品、スーパーの閉

店時間も本国と同じ午後6時、公衆電話ボックスのデザインも警察官の制服も教育制度もすべて

がイギリス本国と同じとなる。

ナゼここがイギリス領になったかと言えば1704年から始まったスペインの王位継承戦争がドン

パチ行われている間にイギリス軍はジブラルタルを奪い、1713年のユトレヒト条約で正式にイ

ギリスの統治権が認められてしまったのだ。以来300年以上に渡り、ジブラルタルはイギリスに

とって地中海を制する重要なポイントになっている。当然ながらスペインは返還を求め続けてい

る。領土問題が再燃した1969年行われた返還を求めるか否かの住民投票では、スペイン系の住

民が7割もいるのにも関わらず、圧倒的多数でイギリス領土のままでいることを望む結果となっ

た。スペインは返して欲しいが、「地中海の鍵」をイギリスは手放さないだろうなぁ。

711年イスラム教徒のイベリア半島侵攻が始まった。当時イベリア半島を支配していた西ゴート

国で内輪揉めがあって寝返った知事の勧めでイスラム軍はイベリア半島を攻めることにする。ベ

ルベル人のターリックが7000人の兵を率いてジブラルタル海峡を渡りジブラルタルの岩山に上

陸した。岩山は「ターリックの山」を意味する「ジュベル・ターリック」と呼ばれ、それが訛っ

てジブラルタルとなったそうよ。イスラム時代、ジブラルタルはアフリカとの玄関口となったが、

1489年レコンキスタ成功でようやくスペインに戻ったのに、215年後今度はイギリスに持って行

かれたってわけさ。

ジブラルタルと真逆なのがアフリカ大陸のスペイン領セウタである。イスラム軍のイベリア半島

攻撃の拠点であったのがセウタだった。スペインより二百数十年早い13世紀中頃にはレコンキ

スタをやり遂げたポルトガルは、14世紀ペストの流行で衰退したが、ジョアンT世は交易に力

を入れて息子のエンリケ航海王子に命じて北アフリカのセウタを占拠させた。その後ポルトガル

王朝が途絶えた時スペイン王フェリペ2世がポルトガル王を兼ね、その後併合してしまう。従っ

て北アフリカのセウタもスペインのものとなる。ポルトガルはその後スペインから独立するが、

セウタは割譲という形で正式にスペイン領となった。モロッコが独立する時もスペインはセウタ

を渡さない。返すつもりは無いのだ。

ヘラクレスが建てた二本の柱のジブラルタルとセウタで、役者は違うが何だか同じような歴史を

持つ町があるのである。

 

           s_CIMG1589.jpg ニャンか言った?   ウンニャ

 

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        未だ 2月 4週 を読んでいない方はクリックして下さい。

       ※21週分からパクパク日記の作成・アップ方法を変更しました。

        パソコンはまずまずですが、アイパッドではフォントも行間も指定

        と変わってしまい、読みずらいこと!作った本人が言っているので

        すからホントです。スンマセン。

        先日新しいパソコン(テンちゃん)を購入しましたので、そいつに

        期待することにします。

        26日から出かけます。次回の更新は410日位かな。また1ヶ月遅れ

        に逆戻り。せっかく追いついたのになぁ・・・。チェッ。