パクパク日記15年3月4週
月曜日東京で開花宣言。木曜日からドイツに向かった
イースター近 し 若き日のJSバッハ
3月 23日(月) 由布院も東京も快晴 東京で桜開花
朝 由布院・亀の井別荘 「蛍火園」 和朝食膳
朝のお茶 亀の井別荘 「談話室」 コーヒー
心が落ち着く亀の井別荘の談話室 談話室窓に映る由布岳 奥由布から見た由布岳
先週の金曜日から大分県の由布院に来ている。初「無量塔」と「亀の井別荘」の1泊目はオジョー
と一緒だったが、彼女は仕事で一足早く帰京したから昨日からは一人部屋もお気に入りの「奥
由布」に移った。この部屋からは居ながらにして由布岳を眺められる。朝風呂はたっぷりした桐
の湯船に浸かる。ザンブと温泉が流れ出て気持ちがいい。朝食は和食と洋食が選べる。昨日和
食だったし、洋食もとても美味しいのだが今日も和食にした。何というか和食の方が贅沢な気
がしてね。食後のひとときはここも大好きな談話室でゆったりコーヒーを飲む。ずっといたい!
昼 大分空港 「なゝ瀬」 だんご汁定食 900円
由布院では先週「麺一」と「陽だまり食堂」でランチを摂ったから、今日は大分空港の「なゝ瀬」
にしよう。空港の食堂なのに旨いのかって?う〜む、正確に言えば「不味くない」。だんご汁定
食には鶏めしが付いて来るが、私は「吉野鶏めし」の大ファン。土産におにぎりと素を買った。
夜 舟町 「山灯」 (2人で)山灯コース4320円:前菜5点盛り、出汁巻き・椎茸・海老の梅椀、
初カツオと平目のお造り、肝付きキンキの焼きもの+1300円、新玉ねぎと竹の子グラタン
風、桜鯛のだいだい蒸し、桜海老の煮麺、百合根のいちご大福と抹茶)、生ビール 2杯、麦
焼酎「壱岐」 2人で1万6110円
今夜もA先生が来てくれた。もう昔のことで(え?なんで?って意地悪だねぇ。あんまり昔のこ
とで忘れてしもた)どんなことをやって頂いたか記憶は無いのだが、お疲れさまでした、それ
ではご飯行きましょうということで「山灯」に行く。店長のWさんは未だ若いが、築地の「たむら」
で修行した人だから、料理はもちろん和菓子までの腕を持っている。お抹茶でいちご大福もね。
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3月 24日(火) 晴れ 寒の戻り 気温下る 強風!
朝 家食 大分名物 吉野鶏めし、ピリ辛野菜スープ
昼 四谷2丁目 「太陽トマト麺」 太陽のベジトマ麺 910円、ちびリゾ 130円
銀行に所用があり、ランチを兼ねて外に出る。北風が強く気温がグンと下がったことを実感す
る。こんな日は温まるものを食べたい。一度入ってみたいと思っていた「太陽トマト麺」に行く。
初めての店ではメニューを読みとるのが難しい。ベジトマとはベジタブルトマトのことだな。ち
びリゾは、小さなご飯に残ったスープをかけてリゾットのようにして食べるという意味らしい。
野菜とトマトがたっぷり入った麺は、いかにも女子好みって感じ。確かにお客も女子が多いわ。
夜 荒木町 「の弥七」 (2人で)9千円コース(自家製カラスミの炭火炙り、三段前菜:
よだれ鶏・菜の花と蛍イカなど、スッポン仕立て蕎麦の実椀、明石鯛の黄味醤油がけ金華
ハム出汁で、カラスミ餅・〆鯖・才巻海老・蓮根・若竹・揚げヘレ・ザクロ、ミントティ、
麻婆豆腐、漬物、炊き立てご飯、博多あまおうとまんぺいゆ、自家製杏仁豆腐)、ビール、
麦焼酎ボトル 2人で2万7562円
久し振りの「の弥七」へは大S子さんと一緒に。いつもご主人がよくしてくれて恐縮する。今夜
も9千円のコースをお願いしてたが、定番のご馳走と新しい料理が実にバランス良く供されて来
る。メイン料理には、三段前菜に続く「第2八寸」とも名付けたい色とりどりの一皿が出て来て楽
しくなった。初「の弥七」のS子さんも大満足だ。食事は、麻婆豆腐か坦々麺からチョイスだと。
この店の坦々麺食べたことが無いから大いに興味はソソラレルが、麻婆豆腐も大好きだしと大い
に悩んで麻婆豆腐に。S子さん炊き立てご飯全部平らげて力を見せつける。杏仁豆腐も旨し!
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3月 25日(水) 晴れ 今日も肌寒い
朝 無し
昼 家食 麻婆豆腐、豚汁、ふすまパン
夜 荒木町 「やくみや」 お通し:グリーンアスパラめんたい、トマト塩麹マリネ 500円、
牡蠣バター焼き 800円、とり天おろしポン酢 800円、穴子と春野菜の卵とじ 1000円、
しらすと梅チャーハン(小) 800円、しじみ汁 200円、漬物、生ビール 2杯、麦焼酎
「知心剣」2合 @7400円
早くも明日朝ドイツに向けて出発だ。海外、国内旅に年間30〜40回出かけるから、その回数分
旅の準備と片付けをしているわけだ。海外などに行けばホテルが変わる度にパッキングするか
ら、一年でいったい何回パッキングしているやら。何とかバタバタと旅支度はやっつけて、8時
過ぎには「やくみや」へ。ポテサラもあるし牡蠣もあるし嬉しいな。とり天メニューは初めてだ。
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3月 26日(木) 東京は晴れ
第1食 羽田空港国際ターミナル・ANAラウンジ サラダ、きつねうどん
早起きして朝風呂、ごみ捨て、手荷物準備。予約していた羽田定額タクシーが迎えに来てくれ
た。成田空港の場合、スーツケースは事前に宅送会社に委託して運んで貰うことが多いが、羽
田の場合はタクシーで行くから当日自分で持って行く。ってことは、ギリギリまで旅の準備が出
来るから便利なのだ。朝食はANAラウンジできつねうどんと決めているから空腹で倒れそう。
第2食 ANA羽田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(洋食)
第3食 ANA羽田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(サラダ、きつねうどん)
第4食 ANA羽田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(和食)
第5食 ドイツ・リューデスハイム近郊アスマンズハウゼン「クローネアスマンズハウゼン」
客室にて 鮭おにぎり、ウィスキー
ANAフランクフルト行きに搭乗。スタッカードビジネス席の場合、何も言わなくてもA席かK席に
してくれるので便利。映画は今年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞とごっそり賞
をもぎとった「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)を観た。「バッドマン」で有名
になったマイケル・キートン主演のシニカルコメディで面白かった!「さよなら歌舞伎座」公演の
「連獅子」やいつもの「水曜どーでしょう」など観ているうちに午後4時フランクフルトに到着。
バスでリューデスハイム近郊アスマンズハウゼンの「クローネアスマンズハウゼン」に投宿する。
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3月 27日(金) ドイツは晴れたり曇ったり 1ユーロ=約135円
朝 ドイツ・アスマンズハウゼン「クローネアスマンズハウゼン」 朝食ヴュッフェ
道路を隔てた向こう側はライン川が流れる 16世紀創業の超クラッシックホテル
昨夜から泊っている16世紀の貴族の館を元に開業したホテル「クローネアスマンズハウゼン」
は、手動のエレベーター、踏むとギシギシ言う階段など古色蒼然とした5つ星ホテルだ。しかし、
部屋番号の付け方が難解で自分の部屋に辿り着けなかったり、朝風呂に入ろうにもお湯が出な
かったり、すぐ近くを走る列車の音が四六時中うるさく、WI−FIも有料、レセプションなどスタッ
フの対応がそっけなさ過ぎなど問題山積のホテルでもあった。ホントにこれで5ツ星かよ!も
う一晩泊るなんてイヤだなぁ。水風呂入って風邪引きそうなまま朝食。食事は悪くないけどね。
観光に出かける。今日だけ参加人数(6名+添乗員)に合わせてバンが迎えに来た。1時間ほど
でマインツに到着。サッカーの岡崎が所属しているチームの本拠地ね。岡崎もいるけど、印刷機
を発明したグーテンベルグの生誕地であり、ドイツ東西冷戦時代は西の最前線でアメリカ軍が
駐留していた町でもある。大聖堂を見学して外に出ると市が出て賑やか。若い女性達がイース
ターエッグを売るとなりには早くもホワイトアスパラが並べられ、春の味覚到来を告げている。
昼 マインツ・ハイアットリージェンシーマインツ「Bell Pepper」 ニシンの酢漬け、
鮭のグリル パンナコッタとチョコアイス、麦酒
浅野秀雄氏によるドイツワインの講義 HIDE’S WINE639 ライン川を見下ろす丘陵のぶどう畑
マインツのホテルで上品なランチを済ませた後、ニアシュタインの日本人醸造家浅野秀雄氏を
訪ねる。2001年ドイツに移住して修行の後独立し、「HIDE’S WINE639」を手掛けられている。
先ずは風がぴゅーぴゅー寒い丘の上にあるぶどう畑へ。ライン川のこちら側だけがぶどう栽培に適
していて、あちら側はサッパリなのだそうだ。セラーに戻ってドイツワインについてのカンタンな
講義を受けて2種のワインのティスティング。639は2006年から生産を始めてサンキューの意。
夜 リューデスハイム「SCHLOSS」 ポテトスープ、チキンブレスト ショートパスタとブロッ
コリー添え、アイスクリーム、カモミールティ、地ビール(クロンバッハ)3,9ユーロ、赤
ワイン(ラインガウ辛口)5.2ユーロ
夕食は車で15分程のリューデスハイムで。その昔からリースリング種ぶどうで作られる白ワイ
ンの醸造地として潤った町でユネスコの世界遺産に登録されている。夕暮れのしっとりした町を
散策した後レストランへ。ドイツのワインは90%が白ワインだが、今夜は赤も飲んでみるか。う〜
む、やっぱり白の方がいいな。ライブ演奏に合わせて老年夫婦が踊り出した。踊れるっていい。
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3月 28日(土) 晴れ 夜小雨 本日夜中からサマータイムに移行
朝 ドイツ・アスマンズハウゼン「クローネアスマンズハウゼン」 朝食ヴュッフェ
アイゼナッハのバッハ博物館 古楽器が展示されている バッハの父親肖像画
博物館ではバッハ時代のハープシコードやチェンバロ、クラヴィコードなどの演奏があった
今回の旅はJSバッハの生涯を辿ることも目的の一つ。そのバッハが1685年3月21日生まれ
たのはアイゼナッハだった。生家跡に建つ古いバッハハウスと新しいバッハ博物館には古楽器
が並ぶ。何だか鍵盤の感じが違うと思ったら、黒鍵と白鍵が逆だった。白鍵の材料が貴重だっ
たのがその理由だって。古い楽器を使ったプチ演奏会となる。楽器が小さいだけ音も小さい。
昼 アイゼナッハ近郊 ヴァルトブルク城「Landgra Fen Stube 」 塩鮭
のクリームスープ、ローストポーク ポテトとブロッコリー添え、チーズケーキ
1067年テューリンゲン伯が山頂を見て「待て(wart)汝我が城(burg)となれ」と叫んで築城を命じる
聖女エリザベートは4歳で嫁いだ タンホイザーの歌合戦の舞台に ルターが聖書を翻訳した部屋
バッハが洗礼を受けた聖ゲオルグ教会に行く途中で、ルターの家があったが工事中であった。郊
外の丘の上にあるヴァルトブルク城の見学前に、ちょっと下にあるレストランでランチ。スープ
は飲むがメイン料理となると三分の一も食べると「もういいや」って気になって残してばかりい
る。はぁはぁ言いながらヴァルトブルク城へ。世界遺産である。ドイツ語ツァーに参加したので日
本人は渡されたカンタンな資料を読みながら見学。ハンガリーから4歳で連れて来られ14歳で
結婚。20歳で未亡人となると修道女となって24歳で亡くなった聖女エリザベートもこの城に
住んだ。この城には、ルターが8カ月間閉じこもって聖書をドイツ語に翻訳した部屋もあった。
夜−1 エアフルト「ホテルプルマン」 スープ、ビーフシチュウ、(デザートはパス)
夜―2 エアフルト「ホテルプルマン」客室にて ビール、ウィスキー
アルンシュタットのバッハ教会 2列目の席で「マタイ受難曲」を鑑賞 ここでバッハもオルガンを弾いた?
福音史家を歌いながら指揮したクリストフ・プレガルディエン(右端) 余韻に浸りながら
今夜音楽会があるアルンシュタットから車で30分程のエアフルトのホテルに着いたのは午後5
時過ぎ。そそくさと夕食を済ませて会場に向かった。テューリンゲンバッハ週間音楽祭のオープ
ニングコンサートはバッハ教会で演奏される「マタイ受難曲」。バッハ教会は、JSバッハが18歳
で初めてオルガン奏者として雇われ22歳まで働いた教会だ。貰った指定席は何と前から2列
目で素晴らしい位置だ。オーケストラに合唱団、そしてソリスト達。演奏が始まって驚いた。テノ
ール歌手による福音史家のレスタティーボの番が来ると、それまで後ろを向いて指揮していた
クリストフ・プレガルディエンがくるりと前を向いて歌い出したのだ。ゲゲゲ。彼はこの出番の多
い福音史家を歌いながら指揮するってことか!ピアノやヴァイオリンの弾き振りはあるが、歌い
ながら指揮ってのは初めてだ。歌詞は完全に暗譜しているしテノール歌手として大成した人!
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3月 29日(日) くもり
朝 エアフルト「ホテルプルマン」 朝食ヴュッフェ
青色染織で昔から栄えたエアフルトの大聖堂。クリスマスマーケットが盛んなことでも有名
バッハの家族がが住んだ家にパッフェルベルも住んだ 建物が上に建つクレーマー橋はベッキオ橋より古い
エアフルトのガイドは年配の日本人男性だった。お陰で時間は短かったが、この町の理解が進ん
だ。ドイツの大きな町では珍しく戦禍の被害が無かったエアフルトは、昔から青色染料で潤った。
バッハの両親が住んでいた家には、17世紀から18世紀活躍したパッフェルベルも住んでいたと
いう。小曲だが日本人にはパッフェルベルのカノン好きな人多い。この町には44の教会がある。
私もね。ルターはエアフルト大で学んだ。橋の上に建物が並ぶクレーマー橋は橋とは思えない。
昼 アルンシュタット 「ZumBurgkeller」 コンソメスープ、魚のロースリゾット添え、
クリュームブルュレ、コーヒー
バッハと最初の妻マリア・バルバラと結婚式を挙げたドルンハイムの聖バルトロメオ教会
古楽器を使用したマチネコンサートでバロック音楽を楽しむ
アルンシュタットのレストランでランチ。今日もメインはちょっと食べただけ。午後は近くのドル
ンハイムにある聖バルトロメオ教会でマチネコンサートを楽しむ。若き音楽家3人によるバロック
時代の作曲家たちの作品を古楽器を使って演奏。2階のパイプオルガンの前に座って聴いた。
バッハのチェンバロの曲はマリア・バルバラの死を悼む曲で結婚式会場で聴くのが皮肉だった。
夜 ハイデルベルグ 「ホテルオイローパ」 ビスクスープ、スモークトラウトのタルタル、黒羽根の
チキン、赤スグリのケーキ、黒ビール5,8ユーロ、白ワイン8,5ユーロ、赤ワイン8,5ユーロ
渋滞もあって、ハイデルベルグのホテルに着いたのは午後7時過ぎだった。ここも5ツ星ホテル
だが、昨日までのホテルに比べると今の時代の豪華なホテルって感じでバスタブにはお湯が出るし、
wi−fi無料だし、いいな。レストランもゴージャスで、夕食の料理にはいかにもの「高級
感」が漂う。味もまずまずだったが、そこはほれアルコールがエラク高い。ワイン8,5ユーロ!
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【今週の振り返り】
クラッシックの作曲家で誰が好き?と聞かれるとちっと困る。好きな作曲家が多過ぎちゃって。
思いつくままに挙げてみると。モーツアルトもシューマンもブラームスもベートーヴェンもショパ
ンもメンデルスゾーンもチャイコフスキーもマーラーもヘンデルもドヴォルザークもラフマニノ
フもビゼーもヴェルディもサティも好き・・・・・あっ!大事な人がいた。バッハ。ヨハン・セバスチャ
ン・バッハだ。ちゃんと、「J.S.Bach」と言わないと当時のドイツはバッハさんだらけで、どのバッ
ハさんのことかわからなかった。意味から言うと「小川さん」。J.S.Bachの一族は音楽家一族
で知られていた。
一族のそもそもの祖は、ルター派の信仰のために、ハンガリーから亡命して来たハンス・バッハ
の息子であるファイト・バッハで、その子孫達が、アイゼナッハやアルンシュタット、エアフルトな
どの町で、街楽師やオルガニスト、歌手、宮廷楽長、宮廷楽団員などになって、作曲したり演奏し
たりして活躍していた。その数たるや数十人を数えていたというから凄いじゃないか。当時は
バッハ=音楽家を意味していたらしいよ。J.S.Bachは8人兄弟の末っ子だったが、母はバッハ
が9歳の時に、街楽師であった父親も10歳の時亡くなっている。兄に引き取られて勉学に励ん
だバッハは後に修道院付属学校の給費生に受け入れられた。18歳でヴァイオリニストとして宮
廷楽団員となり、代役でオルガンも時に弾いていた。
そんな時、アルンシュタットの新教会(現在はバッハ教会になっている)に新しいパイプオルガン
が設置される。試し弾きの試奏者に選ばれたのはJ.S.Bach。その演奏を聴いた教会関係者は、
「この若者、こんなにオルガンが上手なら、この教会の正式なオルガニストとして雇ってしまお
うか」と考えるようになった。幸運!若きJ.S.Bachはこうして正規のオルガニストとして初め
て採用されたのだ。彼は、この教会でオルガンだけでなく、聖歌隊の指導も任されて絶好調の
18歳だった。バッハはこの教会に22歳になるまで4年間いた。最初の妻となる、従姉妹で1歳年
上のマリア・バルバラとは22歳の時、ドルンハイムの聖バルトロメオ教会で結婚式を挙げた。
ドイツに来て未だ3日しか過ごしていないが、先ずはバッハの生誕地アイゼナッハに行った。生誕
地跡につくられたバッハ博物館では、当時の楽器の演奏を聴いた。バッハが18歳にしてオルガ
ニストとして初めて雇われたアルンシュタットのバッハ教会では、バッハの名曲「マタイ受難曲」
を聴いた。そして最初の妻マリア・バルバラと結婚式を挙げたドルンハイムにある小さな聖バル
トロメオ教会では、古楽器を使用したマチネコンサートに耳を傾けた。演奏された曲の一つに、
バッハが妻マリアの死を悼んだ曲もあって、それを結婚式を挙げた空間で聴く皮肉もあったの
だが。エアフルトは、両親が住んでいたこともありバッハの一族が集合する場所でもあったらし
い。バッハの生涯を辿ることを目的にしたツァーでは無いのだが、ここまではそんな調子で進
んでいる。バッハが益々身近に感じられる。
おいらアイゼナッハに住んでいるんだニャ
※ パソコンの変更やサーバーなどの相次ぐトラブルが続き
文字は読みにくいし、最後はアップしたハズの写真が消え
てしまうなど、もうヘトヘト。そこに突然の病!その病を
抱えて海外に行ったからか、帰国後も体調悪く、こんなに
更新が遅れてしまいましたぁ・・・・。相すみません。
でも、どうやら写真問題解決したんさ。キャピー!嬉涙!
俄然やる気になったぞ。