パクパク日記15年6月3週
バッハ音楽祭を含めてドイツで音楽を愉しんだ
JSバッハメンデルスゾーン
6月 15日(月) 晴れ 暑いぞ!
朝 家食 具だくさん野菜のサラサラスープ、納豆、野菜ジュース
昼 荒木町「宇な米」うな重(特上)4200円
昨夜は1時に寝たが目が覚めたので5時に起床する。顔も洗わずにそのまま書斎へ。昨日4月4週を
アップしてから作成を始めたパクパク日記4月5週を今日の夕方出かける前に何が何でも完成させて
アップしたいという執念。よっ!エラクて涙出るぞ!夢ちゃん!痛い痛い帯状疱疹ピークの痛リア旅
行の週だ・・・シコシコ・・・シコシコ作成・・・やっぱりお腹も空くから朝食もね。今日出発だから旅支度
もついでにしてと・・・シコシコ・・・。あぁもう1時だ。早く行かないと鰻が売り切れになってしまう。
シャワーを急いで浴びて「宇な米」へ。うな重の特上を食べる。旨い!帰宅してから続きをシコシコ・・。
夜 成田・成田ヒルトンホテル「梅園」5400円シェフ厳選デリシャスチョイスディナー8(前菜、
コーンスープ、黒豚キャベツ回鍋肉、蟹玉、海老チリソース、野菜の塩味炒め、鶏肉とカシュー
ナッツ、水餃子、海老蒸し餃子、杏仁豆腐と胡麻団子)、生ビール900円×2杯、甕入り紹興酒15
年一合 @9900円
集中して作成したので4月5週が仕上がった。アップしていたら、玄関辺りから何か物音が。誰だ
・・・そっと書斎のドアを開けてみたら姪のカオルだった。ご主人のМ山君家の用事の都合で仙台
から今日来たのだと。いつも留守に来てくれるから滅多に会うことが無いので暫くお喋りした。夜
スーツケースを持って成田ヒルトンホテルへ。月曜日は日本料理店が定休日だから中国料理の「梅
園」へ。アラカルトにしようと思っていたのだが、デリシャスチョイスディナー8がお得だからと
勧められ注文してしまう。以前も食べたことがあるが、量が多過ぎてお腹がはち切れそうになるの
が難。だって前菜とデザートと別に数十種の料理の中から8種類も選ぶのだよ。なるべくお腹に溜
まらない料理を選んだつもりだったが、蟹玉がズシンと響いた。チョー満腹。今後はアラカルトだ!
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6月 16日(火)成田は晴れ フランクフルト曇り ベルリン晴れ
第1食 成田・成田ヒルトンホテル「テラスレストラン」朝食ヴュッフェ
第2食 成田空港第一ターミナル 全日空スイートラウンジ 冷やし中華そば(小)
久々の冷やし中華!
5時半起床。昨夜は浴衣を着て寝たら「寝乱れる」のではないかと緊張してちっとも熟睡出来なか
った。一人なんだから、いくら寝乱れてもいいのにさ。ちょっと早くても開いているだろうと10分
前にレストランに行ったが、きっちり6時半まで開けない。ヴュッフェの内容は日航ホテルの方が
ずっと良い。軽めにしたので空港のラウンジでも食べる。ヤッホー!冷やし中華がある!旨いよ!
第3食 ルフトハンザ航空成田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(和食)
第4食 ルフトハンザ航空成田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(和食)
ルフトハンザ航空711便フランクフルト行きに搭乗。新聞雑誌は機内に入る手前に並べてあって客
が各自取る仕組みだから早く搭乗しないと週刊文春や新潮など人気のある雑誌は品切れとなる。映
画は5年前の「英国王のスピーチ」を観た。コメディ映画だったのね、知らなかった。吹き替えの
声優も含めて見応え聴き応えある作品だった。数日の寝不足を解消したいのだが、小学校からの同
級生という隣のお婆さん2人のお喋りが止まることを知らず、結局全く眠ることなくドイツに到着。
第5食 ドイツ・ベルリン・「リージェント・ベルリン」客室にて おにぎり、サンドイッチ、
ビール、ウィスキー
フランクフルト空港のラウンジで暫く休憩してからベルリン行きに乗り換え午後6時ベルリン着。
昔ながらの便利でちっぽけなベルリン空港。遠くて不便な新空港は永遠に出来ないのかもしれない
な。完成予定が何度延期されたのか知らないが。2階建てバスで「リージェント・ベルリン」へ。
何となく元フォーシーズンズ東京椿山荘(現ホテル椿山荘)に室内が似ているなぁ。荷物を片付け
着替えて一人だけの夕食。ミニバーからビールを取り出してパカン。グビグビ、おにぎりパクリ!
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6月 17日(水) ベルリンは晴れ 夜小雨 1ユーロ€=約143円
朝 ドイツ・ベルリン・「リージェント・ベルリン」 卵白アスパラガストマトオムレツ、バイエル
ン地方のホワイトソーセージスイートマスタードと塩パン添え、他はヴュッフェ
ホワイトソーセージが旨い!
緑の木漏れ日が美しい マルクト広場のコンツェルトハウス・ベルリンとフランスドーム
午前のお茶 ベルリン「KAFFEE BROT KULTUR」カプチーノ 2.9€
昼 ベルリン「BRASSERIE GENPARMEN MARKT」アスパラガスのクームスープ、サーモンソティホワ
イトアスパラガス添え、レモンシャーベットとフルーツ
6時起床。シャワーを浴びて朝食へ。ホテルのレストランはミシュラン1つ星らしいが、確かにスタ
ッフがちとツンケンしているあたりはそうかもなあと。温かい料理は注文制でオムレツと白ソーセー
ジを頼んだら卵白オムレツが来ちゃったよ。卵黄無いオムレツなんて味気無い。ソーセージは甘いマ
スタードを付けて食べる。皆さんはブランデンブルク門、チェックポイント・チャーリー跡、博物館
島のベルガモン博物館などの市内観光に出かけられた。私は行かない。ベルリンは5回目だからもう
観光飽きた。ゆっくり部屋で過ごしてから散歩に行く。晴れ上がった青空、爽やかな風、緑の木立の
木漏れ日が美しかねぇ。歩き疲れたらちょっとお茶して休憩。12時に指定されたレストランに行った。
アスパラガスのクリームスープはニンニクと塩が強過ぎ日本人の口には合わん。ヨーロッパは塩味が濃い。
夜 ホテル客室にて (自由食)サラダ、キッシュとサラダ、バナナ
「ドイツ・オペラ・ベルリン」外観 ドイツ・オペラ・ベルリンオーケストラ 通路が1つも無い客席
シンプルで斬新な舞台装置 終演後観客に挨拶する歌手と指揮者 ブラボー!
午後はフリータイム。ドイツの人気キャラクター「アンぺルマンショップ」やギャラリーラファイ
エットに何人かで買い物に。ついでにデパ地下で今夜のカンタン食を仕入れた。夕刻部屋でサラダ
半分とキッシュ3分の1食べて腹ごしらえ。着替えてバスで「ドイツ・オペラ・ベルリン」へ。旧
西ドイツ側にある。ヴェルディ作曲のオペラ「ナブッコ」は7時半から始まった。歴史に残るバビ
ロン捕囚をテーマにしていてナブッコとはバビロニア王。歌い手ではナブッコが奴隷に産ませた娘ア
ビガイッレを演じたソプラノが圧倒する上手さ。対して妹フェネーナは凄く太った黒人の女性歌手
でロマンチック役にはキツクおまけに歌も下手でガッカリだった。捕囚達の合唱「行け!我が想い
よ、金色の翼に乗って」がつとに有名だが、故郷を思って歌う合唱団の歌に涙ボロボロものだった。
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6月 18日(木)曇り時々晴れ
朝 ベルリン「リージェント・ベルリン」ポーチドエッグ、バイエルン地方のホワイトソーセー
ジスイートマスタードと塩パン添え、他はヴュッフェ
アンハルト=ケーテン侯国の城 城内はバッハの時代の楽器を展示した博物館になっている
作品の発表を行った聖アグネス教会のオルガン 領主ケーテン候レオポルトの葬儀で一度だけオルガンを弾いた聖ヤコブ教会
昨夜のオペラ「ナブッコ」は演出も舞台装置も良かった。そして合唱団が素晴らしかった!朝食後
ケーテンに向け出発し12時半到着した。ヨハン・セバスチャン(JS)・バッハは1717年長年務め
たザクセン=ヴァイマールを離れてアンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長となった。ケーテン候レオ
ポルトは音楽に理解があり、バッハを破格の待遇で迎えた。ブランデンブルク協奏曲などの作曲にも
力を注いで過ごし、1720年には領主に随行して2ヶ月の旅にも出た。しかし旅から帰ってみると妻マ
リア・バルバラは急死して埋葬された後だった。ケーテンで6年過ごしたバッハはライプチヒに移る。
昼 ケーテン「Brahaus Kothen」野菜入りポテトクリアースープ、チキン入りミックスサラダ、
2色アイスクリーム
早い夜 ライプチヒ・シュタインベルガーグランドホテル スモークフィッシュタルタル、鱈の
フィレレンズ豆のカレーとディジョン・マスタードソース、カッテージチーズとアーモンド パ
ッションフルーツ、エスプレッソ
3代目のゲヴァントハウス 大ホールは1920席 ホテルに帰ってビールで乾杯
ケーテンで遅いランチを摂り、バスでライプチヒに移動。1時間の予定が渋滞のため1時間半かか
ってシュタインベルガーグランドホテルに到着した。旧市庁舎の裏という絶好の位置にある5ツ星
ホテルである。ライプチヒでは今バッハ音楽祭の真っ最中。今夜早速その一つ、ゲヴァントハウス
で行われるコンサートに行く。おっとその前にホテルで5時からエラク早い夕食だ。美味しいのに
そそくさと食べねばならずもったいない。8時コンサート開始。ゲヴァントハウス管弦楽団、指揮者
はシャイーだ。最初の曲はラフマニノフのユースシンフォニー1楽章、次はバルトークのヴァイオリ
ン協奏曲1番。ソリストは私が一番好きなヴァイオリニストのギドン・クレーメルだ!暫く見ないう
ちに髪はすっかり白くなって彼も年を取ったなぁ。そして最後はラフマニノフのシンフォニー1番。
座席がオケの右上から見下ろす席だったのでラッパ系やパーカッションがよく見えて面白かった!
大迫力やね。大拍手が続いたがアンコールは無し。10時5分終演。歩いてホテルに帰り、ビールだ。
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6月 19日(金) 晴れ
朝 ライプチヒ・シュタインベルガーグランドホテル 朝食ヴュッフェ
ライプチヒは今年「1000年祭」 メンデルスゾーン寄贈の旧バッハ像 復元されたメンデルスゾーン像
聖トーマス教会のバッハのステンドグラス 聖トーマス教会の天井 メンデルスゾーンのステンドグラス
午前中はライプチヒの市内見学。日本人ガイドは・・あら、4月もお世話になりましたね、O川さん。
ホテル隣の旧市庁舎の2階に「1015」の文字が。何でも文献にライプチヒが初めて登場してから
今年はちょうど1000年目になる「1000年祭」なのだそうだ。「1000年祭」のバッハ音楽祭にも力が
入っているんですって。ライプチヒはこの7ヵ月で3回目!だが、小さい町なので一緒に歩いた。聖
トーマス教会前にあるバッハ博物館には現役時代描かれた肖像画が1週間前アメリカから寄贈されて
展示されていた。アメリカ在住バッハ研究者が100歳で亡くなり寄贈された由。ニコライ教会ではオ
ルガンを練習している人がいて音色を聴くことが出来た。一番楽しみメンデルスゾーンハウスに行く。
メンデルスゾーンハウスはゲヴァントハウスの程近い場所にあった。裕福な銀行家の家に生まれた
メンデルスゾーンだから、広々とした2階家に住んでいたのだね。真面目で几帳面な彼らしく書か
れた自筆楽譜など印刷物と見間違うほど。そして趣味で描いたという絵画が数多く残され、素人離
れした筆力に驚かされる。メンデルスゾーンが亡くなると、夫人はすぐに親しくしていた画家を呼
んでデスマスクを取り、死に顔をスケッチさせた。メンデルスゾーン好きには必見の家であるな。
昼 タイプチヒ「PHO VIET」(自由食 4人で)揚げ春巻き4,5€、フォーガー6,5€、水2,3€
午後はフリータイム。こっそりヴェトナム料理を食べに行こうと思っていたら、一人参加仲間に見
つかり、4人で行くことに。A木さんは「一度も食べたことが無いヴェトナム料理」なのだそうで
揚げ春巻もフォーガーもえらく気に入られたようだ。ドイツに来て塩辛くない初めてのスープだね。
皆さんと別れてから町をぶらぶら。音楽の町ライプチヒらしく、管楽器のストリートライブも。ト
ランペット、トロンボーン、イングリッシュホルン、チューバの編成で、「パッヘルベルのカノン」、
「G線上のアリア」、「水上の音楽」、「オンブラマイフ」、「ハレルヤ」などを次々と演奏している。
夜 シュタインベルガーグランドホテル客室にて (自由食)カブトラーメン、水
コンサート前のイギリス製カップラーメン 聖トーマス教会のコンサート ホテルの火災か?とビール
今夜もバッハ音楽祭のコンサートだ。聖トーマス教会で鈴木雅明氏指揮、ロンドン・ロイヤルミュ
ージックアカデミーとニューヨーク・ジュリアード音楽院メンバーで、バッハのカンタータ75番、
2つのヴァイオリンのための協奏曲、カンタータ11番を聴く。夕方になってもお腹が空かなかった
ので、イギリスのストラットフォードのスーパーで買ってスーツケースに入れっぱなしになってい
たカップラーメンで済ませた。コンサートは、やっぱり若手アーティストだなぁという出来であっ
た。早くビールが飲みたいと急ぎ足でホテルに帰る。エレベーターに片足を入れたところで非常ベ
ルがケタタマシク鳴る。火災かぁ?客はホテルスタッフの誘導で一応避難。そのうち誤作動である
ことがわかったが、消防団も来た。客室まで我慢出来ず、ロビー階のバーで生ビールをグビグビ!
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6月 20日(土)降ったり晴れたり何度も
朝 ライプチヒ・シュタインベルガーグランドホテル 朝食ヴュッフェ
マイセン旧市街の広場 結婚式の出番を待つ白鳩
マイセン磁器陶器工房を見学 マイセン陶器で出来たパイプオルガン マイセンのバッテンマークの変遷
昼 マイセン・マイセン博物館レストラン ワイルドガーリックとホワイトアスパラガスのスー
プ、仔牛のハムのフィレ ホワイトアスパラガスとハーブポテト添えオレンジビネガーソース、
ホワイトアスパラガスとストロベリーのデザート、コーヒー2€
ずっと良いお天気が続いていたが、今日は曇ったり激しく降ったり、かと思えばパーッと晴れたり
の不安定な天気だ。そんな中ライプチヒを後にしてマイセンに向かう。マイセンの旧市街で待ち合
わせた日本人ガイドのS藤さんは去年12月にドリスデンを案内して貰った方だ。広場にはナポレオ
ンが何度も宿泊した宿もあった。マイセンの磁器陶器工房を見学。以前見学した場所ではなく新し
く出来たところで見学場所はショートカットされていた。ランチは博物館内のレストランで。スー
プもメインもデザートも、今が旬のホワイトアスパラガスがたっぷり使われていて嬉しい!K子さん誕生日。
早い夜 ドリスデン・ケンピンスキー・タッシェンベルクパレ客室にて ルームサービス:ク
ラブハウスサンドイッチポテト添えとスープ
ゼンパーが設計した「ゼンパーオペラ」には去年12月も来た スザンナ役のエミリー・ドーン
大歓声と鳴り止まない拍手の中で出演者達のカーテンコールが繰り返される。全員寝間着姿(笑)
マイセンからドリスデンまではバスで30分程だ。アウグスト強王が愛妃のために築いたタッシェン
ベルク宮殿を再建したホテルケンピンスキー・タッシェンベルクパレにチェックイン。今夜は「ゼン
パーオペラ」でモーツァルトの「フィガロの結婚」を鑑賞する。夕食は5時に配られたルームサービ
スのクラブハウスサンドイッチと添乗員のI橋さん持参のインスタントスープで済ませる。このホテ
ルも絶好の位置にあるから劇場までは歩いてすぐ。7時からオペラは始まった。何度も観ている演目
だが、こんな斬新で奇抜で大胆で前衛的なフィガロは観たこと無い!エロティックで自由奔放で官能
的で、何と言っても面白い!演出家は歌舞伎も観ているのでないかなぁ。黒子の存在がそう見えた。
遅い夜 ドリスデン・ケンピンスキー・タッシェンベルクパレ客室にて フルーツ盛り合わせ、
ビール、ウィスキー
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6月 21日(日)晴れ
朝 ドリスデン・ケンピンスキー・タッシェンベルクパレ「「Intermezzo」」 朝食ヴュッフェ
タッシェンベルク宮殿を再建したホテルケンピンスキー・タッシェンベルクパレ
ツヴィンガー宮殿の中庭 マイセンのカリヨンは「四季」の夏 ラファエロの「システィーナのマドンナ」
昨夜の「フィガロの結婚」は刺激的だったなぁ。夜部屋に帰ってビールやウィスキーを飲みながら
暫く興奮していたものなぁ。芸術は素晴らしい!午前中はドリスデンの市内観光。例によって私は
パスして美術館のアルテ・マイスターから合流する。ツヴィンガー宮殿中庭にあるマイセン製カリ
ヨンは午前中1回だけ鳴らされる。ヴィヴァルディの四季を季節ごとに。夏のメロディが流れた。
午前中のお茶 ドリスデン・アルテ・マイスターカフェ (3人で)カプチーノ3,2€
昼 ドリスデン「Italienishes Dorfhen」トマトスープ、小海老のスパゲティ、アイスクリーム、
コーヒー2,5€
アルテ・マイスター絵画館で名画の鑑賞。ここに来るのは3回目だが、ラファエロ好きだから飽き
ることは無い。「システィーナのマドンナ」良いよなぁ。1754年にアウグスト3世が大枚はたいて購
入。イタリアのピアチェンツァから運ばれた。第二次世界大戦でドリスデン爆撃の被害から守られた
ものの、ソ連赤軍が持ち去られ、10年後ようやくドリスデンに戻って来た歴史を持つ。とにかく無事
で良かったよ。ランチは劇場広場にある一角のレストランで。長い店名は歴史から「ちっちゃなイタ
リア人村の窓」という意味だそうな。雰囲気は良いが、味はまぁフツー。スパゲティは茹で過ぎだね。
ドリスデン城中庭天井 宝物館「新しい緑の丸天井」内部(撮影禁止なので印刷物です)
カトリック旧宮廷教会外観と内部 マイセン磁器製のピエタ像
午後はドリスデン城内の「新しい緑の丸天井」の見学。ザクセン王家の財宝コレクションを展示
している宝物館。1階が「歴史的緑の丸天井」には金銀宝石琥珀をちりばめた財宝が展示されてい
るらしいが、ここは時間指定券を予約しないと入れない。が、16世紀以降の象牙やクリスタルを
集めた2階の「新しい緑の丸天井」ならいつでも入場OK。ここだって十二分に凄いんだ。41カラット
の緑色に光るダイヤモンドとかね。豪華絢爛な展示品に出るのはため息ばかり。銀を産出したザク
センはこれほどまでに裕福であったが、何度かの戦争はいつも負ける方に付いてしまい、領土はど
んどん狭くなって行ったのだ。ここで観光は終了。フリータイムにカトリック旧宮廷教会に行った。
夜 ドリスデン・ケンピンスキー・タッシェンベルクパレ「Intermezzo」マリネしたホワイトアスハ
ラガスとサーモントラウトのフィレ サラダ添え、仔牛のヒレ肉クリームソース ホワイトアスパラガスとハーフポテド添え、
ミルフィーユストロベリーとピスタチオアイスクリーム、カモミールティ、ビール、白ワイン、赤ワイン
早くも今夜は最後の晩餐。というか毎晩オペラやコンサートだったから、最初で最後の夕食会とな
った。音楽会も楽しいが、やっぱりこうしてゆっくり座ってお酒飲みながらの夕食はいい。今夜も
ホワイトアスパラガスのオンパレード!メインの牛肉に添えられたホワイトアスパラガスは5本!
あちこちから「そんなに好きならあげます」と貰ったから9本になった。もう肉なんて食べている
余裕無い。ひたすらホワイトアスパラガスを食べてはワインを飲み。前菜にも2本添えられていた。
生涯でこんなにたくさんアスパラを食べたこと無かったな。話も盛り上がって実に楽しい夜だった。
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【今週の振り返り】
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685年3月21日生まれ、1750年7月28日没)は、16世紀後半か
ら18世紀にかけてドイツで「音楽家一族」と知られたバッハ家の一員だった。両親が亡くなって兄
と暮らしたエアフルトでは、バッハ=音楽家を意味した。バッハ家はこのエアフルト系とアルンシュ
タット系の2つの系統があったが、一族の集合地点は常にエアフルトだったらしい。
父のアンブロジウス・バッハもアイゼナッハの町楽師兼宮廷音楽家を務めた音楽家だったが、もうけ
た子供8人のうち4人が音楽家となった。その一人が大バッハことヨハン・セバスチャン・バッハと
いうわけだ。大バッハには、最初の妻マリア・バルバラとの間に7人の子供がいたが、フリーデマン
(ハレのバッハ)とエマヌエル(ベルリンのバッハ)の2人が高名な音楽家となった。マリアが急死し、
再婚したのはソプラノ歌手の若きアンナ・マクダレーナ・ヴィルケ。彼女との間に13人の子供が生ま
れたが、多くは夭折してしまう。しかし、クリストフ・フリードリッヒ(ビュッケンブルグのバッハ)
と末子ヨハン・クリスティアン(ロンドンのバッハ)も音楽家となり、ことに末子ヨハン・クリステ
ィアンはイングランド王妃専属の音楽家となり、モーツアルトに大きな影響を与えた。
今でこそ「大バッハ」は「音楽の父」と尊ばれ、バッハ音楽祭が各地で開催されるほどの偉大な作曲家
として知られているが、当時はオルガン奏者として、晩年はトーマス教会のカントル「トマスカントル」、
そして音楽家として活躍する子供達の「父親」として知られていたらしい。よって1750年に亡くなると、
人々の脳裏から大バッハは急速に忘れられていった。
現在のような「大バッハ」と評価されるようになったのは、メンデルスゾーン無くしては語れないのだ。
ハンブルグで生まれたフェリックス・メンデルスゾーンは、僅か17歳の時に「夏の夜の夢」序曲を作曲
した。ほら、今でも結婚式で盛んに使われる「結婚行進曲」もここに入っているんだよ。あれを17歳で
作ってしまう「神童」であったのだ。そのメンデルスゾーン20歳の時、約80年前に亡くなったヨハン・
セバスチャン・バッハの「マタイ受難曲」を公開演奏しようと決心する。彼は大昔の先輩バッハを尊敬
していた。作品の素晴らしさを印象づけるために大幅な削除等も行い、ベルリンのジングアカデミーホー
ルで通奏低音のピアノを弾きながら指揮をした。会場には国王ウィリヘルム3世や詩人のハイネなども聴
衆の一人だった。公演は大成功で10日後のバッハの誕生日3月21日にも追加の演奏会が開かれた程だっ
た。古臭いと人々から忘れられていたバッハの作品はこうして再び陽の目を見て、「音楽の父」とまで言わ
れるようになったのだ。メンデルスゾーンさん、ありがとう!なのである。
メンデルスゾーンは、26歳の時、バッハが活躍したライプチヒにやって来る。ゲヴァントハウス管弦楽団
の指揮者として。34歳の時ライプチヒ音楽院を開校して人材育成にも傾注した。スコットランド交響曲やヴ
ァイオリン協奏曲、序曲「フィンガルの洞窟」、「無言歌集など多くの作曲も行った。「歌の翼に」もよく知ら
れた曲だ。一度聴いた音楽、一度見た楽譜は完璧に記憶するし、音楽以外にも5カ国語を操る程語学に優れ、
絵を描かせればプロの画家顔負けの出来栄え。こんな才能に満ち溢れたメンデルスゾーンあったが、僅か38
歳で生涯を閉じてしまう。残念でならない。しかもメンデルスゾーンの死後3年経って、ワーグナーは「音
楽におけるユダヤ性」で芸術性を否定されちゃうわ、第二次世界大戦中にナチス将校によって、ゲヴァント
ハウス前の銅像が引き倒されちゃうわで踏んだり蹴ったり(涙)。何て気の毒なメンデルスゾーンなのだ!!
ま、今は聖トーマス教会に銅像は復元されたし、彼の音楽は今でも人気があるからいいけどね。今回は、バ
ッハとメンデルスゾーンを身近に感じる旅であった。
僕はメンコン好きだワン