パクパク日記8年12月3週

             クリスマスマーケットで賑わうドイツ・ドリスデンに行った

 

    クリスマスマーケット  マイセン

 

12月 17日(月)午前中雨 午後あがる

朝 家食 海老ブロッコリーサラダ、豚汁、チーズ、ブランパン、ラ・フランス、飲むヨーグルト

 

  

 ラ・フランスおいちい〜

 

昼 六本木・東京ミッドタウン「茅乃舎 汁や」たっぷり根菜のかぼちゃ汁セット1480

 

  

 

この2年お願いしている筆耕会社に来年の寒中見舞いの宛名書き筆耕を依頼。その前は個人の方2

名にお願いしていた。十年以上素晴らしい毛筆書きで寒中見舞いを出しているととんだ勘違いをす

る人が出て来る。「今年は夢子さんのような美しい文字を書けるようになりたい!」なんてね。気

がついてよ、私がそんな達筆であるわけないやん。そして午前中は乃木坂の歯科医院へ。終われば

東京ミッドタウンでランチだい。先日は「糖朝」のちょっとチープな中華だったから今日は「茅乃

舎の汁や」だよん。九州の豚汁セットとさんざん悩んでたっぷり根菜のかぼちゃ汁セットにしたが、

味噌よりカボチャの甘さが際立ってちょっと後悔。20台の頃の私の夢は、銀座に小粋な「汁屋」

という店をやることだった。豚汁、三平汁、けんちん汁、だんご汁など具だくさん汁を各種取り揃

え、気の利いた小鉢とお酒、それに大きな器に入った具だくさん汁を供する。作るのは母で、私は

接客というイメージね。でも母が亡くなってその夢もパー。私も具だくさん汁作れるけど毎日仕事

として作るなんて面倒くさいからヤンナイ。スーパーで明日の食材を買って帰宅し、荷造り始める。

夜 荒木町「御料理ほりうち」3人で)千枚数の子と新竹の子と若布和え、牡蠣と舞茸の白味噌椀、

金目鯛(と赤貝)のお造り、こっぺ蟹、甘鯛の松笠焼き、豚の生姜焼きと三浦大根・茄子のオ

ランダ煮、(牡蠣フライ)、フカヒレスッポン鍋、土鍋炊き込みご飯(福井のいちほまれ)、青

森大蜆と山梨味噌の味噌汁、漬物盛り合わせ、ジャージー牛と塩アイスクリーム)、ビール小、

白ワイン(ブルゴーニュ・シャブリ201711000円、赤ワイン(ブルゴーニュ2011 1

2千円、赤ワイン(ヤルデン・イスラエル・カベルネソーヴィニヨン20141万1千円、麦焼酎ダブルロ

ック 3人で11万3300

 

  

 

今夜はA先生とマキコ夫妻と3人の忘年会。今年はDSRprjでタイヘンお世話になったので、

うんと奮発しよう。このところ近所の荒木町には新しい店が続々と開店していて、殆ど行っていな

いのが実情。ちょうど良いからその中で高級そうな店に行ってみようと言うことで「御料理ほりう

ち」を予約している。7月末にオープンした女性料理長の堀内さやかさんとホール&ドリンク担当

女性と2人で切り盛りする店だ。カウンター席とテーブル席1席(仕切れば個室になる)のこじん

まりした店だが、よくよく考えて設計したんだなぁと思わせる丁寧な造りだ。料理は一番高い1万

8千円のコースをお願いしている。「今年もお世話になりました。たくさん感謝しています。来年

もよろしくね。乾杯!」。牡蠣は白味噌椀で登場した。山梨出身の料理長が故郷の自慢料理鶏モツ料

理に拘っている話は聞いていたが、今夜は豚の生姜焼き。さりげなくこうゆう料理が出て来るのが

いいね。テーブル席用の牡蠣フライをみてつい「食べたい!」と言ってしまったが、ちゃんと出て

来ましたよ!たっぷりのタルタルソースがかかった大きな牡蠣だったので、3人で分けた。今夜の

目玉料理はフカヒレスッポン鍋。贅沢な1品だ。3人とも酒飲みだから、白ワイン1本、赤ワイン

2本を軽く空けた。ただ終盤マキコの眼が座ってしまう。ヤバ!急ごう。何とかタクシーに乗せる。

                _____________

 

12月 18日(火)晴れ

朝 家食 ローストビーフサラダ、茹で卵、ブランパン、りんご、飲むヨーグルト

 

  

 

昼 家食 「まい泉」のヒレカツサンド&海老サンドトースト、野菜と生姜のスープ、りんご

 

  

 

明日からドイツに行く。4日前までいたフランスのブルゴーニュ地方も朝はマイナス6度とムチャ

寒かったが、ドリスデンも負けじと寒いらしい。昨日添乗員のA野さんから電話を頂き「初めまし

て!」と言ったら「夢子さん、もう忘れちゃったんですかぁ、ご飯2人で食べたじゃないですかぁ」

「・・・あぁ、思い出した!A野さんね」とまたボケかましました。基本的にはフランスと同じだ

けど、寒さ対策を少々バージョンアップするか。旅支度にはそれほど時間はかからないが、同時に

パクパク日記の作成がね。忙しいぞ。ランチは「まい泉」のヒレカツサンド&海老サンドトースト

を軽くトーストして。「ふわっ」より「カリッ」の方が好き。だからサンドイッチは必ず焼くのだ。

夜 家食 ホワイトアスパラガスのサラダ、夢子カレー(レトルト)、ひきわり納豆、茹で卵、ト

マト、じゃが芋と玉葱と豆腐の味噌汁、りんご

 

  

 今夜の味噌汁格別にうんま!

 

真面目に働いたお陰で、パクパク日記作成終わって無事更新!やれやれ〜ってほっこりしたいとこ

ろだが、今UPしたのは11月5週じゃないか。もう12月も中旬でドイツから帰国しても、また

すぐどっかに行ってしまう。今年最後のパクパクが11月5週で良いのか!良くない!じゃ、もう

1週分ちと気張れや、ってことで12月1週までシコシコと・・。もう飽きちゃった。あとは帰っ

て来てからやることにして夕食にしよう。味噌汁作るだけだからカンタン。でも美味しい!無酒日

                 ____________

 

12月 19日(水)東京は晴れ フランクフルトは曇り

第1食 家食 聖護院大根とセロリの昆布和え、じゃが芋と玉葱と豆腐の味噌雑炊、りんご、飲む

ヨーグルト

 

  

   素晴らしい晴天です!

 

第2食 ANA羽田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(和食)

 

  

 

第3食 ANA羽田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(ルーロー飯風丼、茅乃舎出汁スー

プ、冷日本茶)

 

   珍しくラーメンは食べず

 

6時に起床。冬は早く起きると真っ暗だからイヤだね。小平市に住んでいた現役の頃は、週に2,

3回一番バスに乗る時間に家を出た。寒いし真っ暗。ちょっと前に帰宅したばかりだから睡眠不足

もあって泣きたくなる思いだった。それに比べれば今は極楽じゃて。今回のツァーもグループの皆

さんは成田空港からJALでフランクフルトまで行く。私は例の通り、ANAに乗って羽田空港か

らひとりで行くのだよ。協調性が無い人は旅行会社泣かせで困るわねぇ。無事搭乗。水平飛行にな

ってから後方のトイレに行った時のこと。3列程後ろに行った時、何やらただならぬ空気を感じる。

右手座席に座っていた女性とその隣の男性が私を指差して大笑いしている。失敬な!誰じゃ!アオ

ギンとハルちゃん夫婦だった。何でこんなところで会うんよ!その上私の左に座っているのはお嬢

さんだった。これから家族3人でスペインをぐるっと回るのだとか。あぁビックリしたぁ。これか

らは前方のトイレを利用しよう。阿部サダヲに惹かれて映画「音量を上げろタコ!なに歌ってんの

か全然わかんねぇんだよ!!」を観始めたが、飯が不味くなりそうなので5分でストップ。次にこ

れならどうだ!と選んだのが映画「マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー」。日本語吹き替え版だ

ったのがダメだったのか暫くして耐えられず、これもストップ。映画ヤメテビデオにしよう。私に

は鉄板の「水曜どうでしょう」2話と山田孝之好きだから「deal」を2話観た。相棒役の菅田将暉

の長髪がうるさげ。2食はずっと「一風堂」の味噌ラーメンとサラダばかりだったから今日は変え

てみよう。ルーロー飯風丼と茅乃舎出汁スープ。丼の味は良いがエラク濃い。量が少ないから許す。

第4食 ルフトハンザ航空フランクフルト=ドリスデン ビジネスクラス機内食(軽食)

 

フランクフルトの空港では、車椅子使用者はリフト型のバスから飛行機に乗り込む。乗客2人だけのビジネスクラスには軽食が

 

第5食 ドリスデン・タッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー 客室にて おにぎり、ビール

 

  

       2度目となるタッシェンベルク・パレ・ケンピンスキーの客室。天井が高くて広々しているが寒いなぁ

             このバーにかけておけば何でも乾いて超便利! 禁断ビールと海苔巻で最後の食事

 

フランクフルト空港に到着したが、ドリスデンまでのフライト乗り継ぎ時間はあまり無い。ラウン

ジに寄ることなく、そのままドリスデン行きのゲートまで直行することになった。って言うか車椅

子を押してくれるオジサンがそうするぞ!と言うので「ヤー」と答えただけだけど。使用する機材

が小さいため、ゲートからは階段を下りてバス便。しかも機内にはタラップを上がらねばならない。

そんなわけで何度も乗ったあのリフト昨日がついた車で乗せて貰うことになった。その車に乗って

待っていると日本人らしい方々が4人乗って来られた。「失礼ですが、〇〇ツァーの方々ですか?」

と聞いてみれば、同じツァーの母娘2組だった。更にドリスデン空港に着いてみれば、同じツァー

で車椅子利用希望者が計5人もいてビックリ!小さな空港だから、車椅子もピストン輸送みたいで

(笑)。ホテルに行くバスを待っている時余りの寒さにブルッとする。5泊する王宮前のタッシェンベルク・

パレ・ケンピンスキーにチェックイン。何年前かに泊まったな、ここ。これから夜のクリスマスマーケット

に行くって?いえいえ、私は結構ですって。荷物の整理し、着替えてビールと海苔巻でホッとする。

____________

 

12月 20日(木)ドリスデンは曇り時々小雨   1€=約130

朝 ドリスデン・タッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー「インターメッツォ」朝食ヴュッフェ+茹で卵6分、チキ

ンスープ

 

  

            ヴュッフェの他に6分の半熟茹で卵とチキンブロスを注文してみた

 ホテルスタッフによるホテル内部見学ツァー。第2次世界大戦時空襲で大きなダメージを受けた

当初の正面玄関から続く装飾的な階段        スィートのリビング        陶器の間は会議室に

                    礼拝堂だった場所は展示会場に     天然のスケートリンクが中庭に

       ドリスデンの街のあちこちで、大小様々なクリスマスマーケットが開かれている

  破壊された旧市街復興の象徴はこのフラウエン教会。東ドイツ時代45年間無残な姿のまま放置されたが東西統一後見事に蘇る

 

昼 ドリスデン「カフェレストラン・コーゼルパレ」カボチャのクリームスープとザクセン風牛肉料理ポテ

ト団子(クレーセ)添え

 

          その名の通り宮殿のようなレストラン。フラウエン教会の隣にある

 

冬のドイツではお天気は諦めねばならない。ほぼ毎日どんよりした曇りか雨でムチャ寒い。青空は

望めない。だからドイツの人は「冬はこんなもんよ」と期待しないようだ。そんなドイツにいるの

だから、常に防寒の服装で傘も必携せねばならない。その代わりと言っては何だかが、朝食はボリ

ュームたっぷり!ハムやチーズの種類が豊富だし、スモークサーモンや魚の酢漬けなど魚介類もた

っぷり。その上、卵料理や中国料理の点心やスープも注文出来るのだよ。初日なので6分の半熟卵

やチキンブロスを注文してみたが、全体に量が半端なく多くなってしまうので明日からはヤメだ。

午前中の日程はホテル見学ツァーの後カンタンな市内観光。このホテルの建物のスタートはアウグ

スト強王の愛人コーゼル伯爵夫人のために建てられた宮殿だった。とっかえひっかえの愛人達の中

では9年ももった(当然その間王様はいろんな女性と並行して付き合っていたけどね)し、子供も

3人生まれ、一時は彼女も政治に口出ししたりでブイブイ言っていたらしい。だが彼女もやがて愛

人の地位からは滑り落ち、この宮殿は歴史的ないろんな役割を果たしながら、23年前からホテル

として新たなスタートを切った。昨年はオバマ元アメリカ大統領も宿泊された由。見学ツァーの後

皆さんは市内観光に出かけられたが、ドリスデン4回目の私はサボった。君主の行列の壁画とかに

行くらしいから。でもランチは食べ逃さない。寒い寒い街を歩いてしっかり場所を聞いておいたレ

ストランに向かう。雨がシトシト降っている上に強い風が吹き付ける。洟が垂れてくるよ〜。やっ

とフラウエン教会が見えて来てレストランに無事到着。皆さんと合流してランチにありついたぞ。

午後のお茶 エルベ川クルーズ コーヒー

 

       「コーベル伯爵」という名前の船で1時間半のエルベ川クルーズ 

    ドリスデン城      名画を集めたツヴァインガー宮殿内のアルテマイスター絵画館には明日行く予定     

        現在は州立歌劇場となった「ゼンパーオーパー」       宿泊しているタッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー

 

 ドリスデン・タッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー「インターメッツォ」サーモンのマリネとシトラスフルーツ、

仔牛のロースト、フルーツラタトイユとアイスクリーム、ビール小5€、白ワイン11€、赤ワイン

11

 

  

 

午後はエルベ川クルーズ。最初こそガイドのS藤さんの説明を聞いていたのだが、同じテーブルに

座ったS田夫妻とK藤ちゃんペの4人でお喋りに夢中になり、結局1時間半笑って喋って・・。S

藤さん、ゴメン。ガイドのS藤さんとお会いするのは3回目だ。クルーズが終わってから皆さんは

フラウエン教会の内部見学やクリスマスマーケットに出かけて行かれたが、私はひとり川辺をゆっ

くり歩きながらホテルに帰った。今夜はホテルのレストランでの夕食。今回のツァー参加者は16

名だが、一人参加はK藤ちゃんペと私の2人だけ。ご夫婦が2組、母娘が2組、姉妹が1組、中学

校同級生の浪花マダム4人組。5人の方々はゼンパーオーパーにバレエ「くるみ割り人形」を観に

行かれたが、残りの方々のことが食事中に次々に明らかになる。同級生4人の浪花マダムは79歳、

一番驚いたのは母娘のお母さんが、91歳(もうすぐ92歳)と93歳なのだ!最高齢のI見さんは、

後日明らかになるのだが、足腰達者でお嬢さんより足が速い。疲れ知らずでどんどん歩く。ツァ

ーグループの皆さん、そんなお母さんを見て毎日カンドーしていた。I見さん母娘は愛知県瀬戸

市在住とか。ってことはリャリャリャ、将棋の藤井聡太七段と同じですね!食事はフツーだった。

____________

 

12月 21日(金)ドリスデンは曇り時々小雨

朝 ドリスデン・タッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー「インターメッツォ」朝食ヴュッフェ

 

         ホテルのレストラン「インターメッツォ」までの長い通路は博物館のよう

       レジデンス城2階のザクセン王家の宝飾品コレクション「新緑の丸天井」

アルプスの水晶を掘って作った見事な入れ物         この船、象牙で作られている!(左が上部、右が下部)

 歪んだ真珠を使った装飾品。歪んだ真珠=バロック様式の語源となった        黄金のコーヒーセット

 ムガール帝国の皇帝アウラングゼーブの誕生日   アウグスト2世の肖像        緑を発する41カラットダイヤモンド 

昼 無し!

5時起床。当然外は真っ暗。膝体操、血圧を下げるメディカルグリップ、シャワーを浴びても朝食

サービスが始まる6時半までは悠々。10分前に部屋を出たがエレベーター前で添乗員のA野さん

とバッタリ。連れだってレストランに行き時間前に「一番乗りね」と入ったら、もうオジサンが

一人で座っていた。キミキミ、フライングしちゃぁアカンよ。あら、私らもそうだった、ハハハ。

今日の午前中はお宝見学。ホテルの真ん前にある レジデンス城の1階には「(歴史的)緑の丸天

井」、2階には「新緑の丸天井」というザクセン王家の宝飾品コレクションがある。前者は時間の

予約が必要で入場料も高い。後者は予約の必要も無いし、無料!この2つはアウグスト強王が自

慢の豪華宝物を賓客に見せるために1723年〜1730年作らせた展示室である。もう何度も来てい

る「新緑の丸天井」だが、当時の職人の技術の高さやセンスの良さ、製作かけた気が遠くなるよ

うな時間の長さに舌を巻く思いだ。お宝見学の後は、近所のツヴァインガー宮殿内のアルテマイ

スター絵画館に名画見学に行くべく歩き出したのだが、途中で電池が切れた。あの絵画館も何度

も行っているから、ここでフケちゃお。ってことで、午前中早退してひとりホテルに帰ったのよ。

ところが、11時半なのに客室の掃除が未だ出来ていない。仕方なくロビーで本なぞ読んで待って

いたのだが、結局来たのは3時頃で昼飯を抜く羽目に。これも何だな、サボった罰ってこっちゃ。

夜 ドリスデン「カフェ・シンクルバッフェ」(自由食)グリーンピースのクリームスープ59€、

ネギのキッシュ55€、水小25

 

  

 オペラ「ヘンゼルとグレーテル」鑑賞

 

昨夜ゼンパー劇場ではバレエ「くるみ割り人形」が上演され、何人かの方が観に行かれた。「く

るみ割り人形」は何度も観たが、この劇場でも観たことがあるので今夜のオペラ「ヘンゼルとグ

レーテル」に行くことにした。幼稚園の頃、母に絵本を買って貰って読んだ覚えがある。でもエ

ンゲルベルト・フンパーディンク作曲のこのオペラは初めてだ。劇場に行く前にちょっと手前に

ある「カフェ・シンクルバッフェ」で軽食を摂る。昨日バレエの前に同じ店で軽食を摂られた方

々に評判が良かったというネギのキッシュをA野さんに教えて貰い、それにグリーンピースのク

リームスープを付けたら大満足の夕食となった。小雨降る中ゼンパーオーパーへ。因みにゼンパ

ーとはこの劇場を設計した人の名前。初演の指揮者はウェーバー、ワーグナーもここで7年間指

揮し、「タンホイザー」の初演も行った。原作が童話で子供が大勢出演するからか、場内には子供

連れの家族で一杯。日本ではオペラにこれほど多くの子供達が観ることは絶対無いと思うので不

思議な光景。期待せずに行ったが存外楽しかったかな。歌い手は悪人魔女が群を抜いて巧かった。

____________

 

12月 22日(土)ドリスデンもマイセンも雨

朝 ドリスデン・タッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー「インターメッツォ」朝食ヴュッフェ

 

  

 たぶん4回目となるマイセンへ。先ずはマイセン製のパイプオルガンのミニコンサートを聴く

工房とは別にマイセン磁器が出来るまでを見学者に見せる部屋が4部屋ある

 マイセンのシンボルマークも時代によって変化している      マイセン磁器博物館を見学

             最後にマイセンショップやアウトレットで買い物(をする人も)

 

昼 マイセン マイセン工房「レストランマイセン」栗と林檎のスープ、白身魚とタリアテッレ、

パンケーキとアイス、カモミールティ

 

  

 

今日は朝から雨だ。一日降り続けそうな雨。昨日から添乗員A野さんと朝イチで朝食を摂ることが

習慣化しつつある。今朝はA野さんがオーダーした点心を1つ貰った。ドリスデンであることを考

えれば、上手く作られた点心だ。今日の観光はマイセン。到着してからアルブレヒト城見学組とマ

イセン磁器博物館組に分かれる。丘の上にあるアルブレヒト城は行ったことは無いが、一番上から

歩いておりて来るなんて芸当は出来そうもないから博物館組に入ったが、93歳のI見さんがお城

に行かれたからまたビックリだった。マイセンに来るのもたぶん4回目なので工程見学や博物館

見学も身が入らない。マイセン磁器を使用してのランチも3回目だった。栗と林檎のスープは塩

味が濃すぎて残す人続出。カモミールティが一番美味しかった。隣にはやはり日本人グループが。

 ドリスデン・タッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー 客室にて(自由食)カップヌードルナイス、ロカボナ

ッツ、ロカボクッキー、トマト梅、チョコレート、ウィスキー、お茶

 

   こんな食事も好きな私

 

今夜も夕食は自由食。グループの希望された方々は添乗員のA野さんとドリスデンで一番大き

なクリスマスマーケットを見下ろすカフェに行かれるとか。私はいいや、行かない。代わりに

暖かい部屋でウィスキーチビチビやりながらカップ麺やらナッツを食べて本を読もう。久世光

彦著「簫々館日録」を大切に大切にそれこそチビチビと読んでいたのだが、残りはあと僅か。

この憧れて止まない簫々館の日々に終わりが来るのが寂しく、九鬼さんが自殺してしまう日が

怖くてそっと次の頁をめくって来た。もうすぐ終わる・・。久世光彦さんはテレビや舞台の優

れたプロデューサーで「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」など大ヒットドラマを生み出して

来た。しかし私はテレビでの活躍より、50歳過ぎてから書き出した小説家としての久世光彦

のファンである。耽美的で周到に計算された文章にはコロっと参ってしまうのだ。あと僅かだ。

____________

 

12月 23日(日)ドリスデンもザクセン・スイスもピルニッツも降ったり止んだり晴れたり

朝 ドリスデン・タッシェンベルク・パレ・ケンピンスキー「インターメッツォ」朝食ヴュッフェ

 

  

ドイツで初めて青空を見た(一瞬だったけど)     チェコとの国境沿いに広がるザクセン・スイス国立公園に行く

ザクセン・スイス国立公園にはカッパドキアのような巨大な奇石群が!隆起した海面下が白亜紀にエルベ川の浸食によって形成された

  健脚家達は上の展望台から下りてバスタイ橋まで行かれた  橋の無いエルベ川は渡し船で

 

午前のお茶 ザクセン・スイスの何チャラホテル  コーヒー3€ 

昼 ピルニッツ「Wintergartencafe」仔牛肉のサルティンボッカ、チョコレー

トタルト、コーヒー

 

  

 

開店早々の朝食組に今朝は加藤ちゃんペも加わった。「えぇっ!加藤ちゃんペはチコちゃんを知ら

ないの?それが誰かもわからないの?名前や番組の話も聞いたことない?」。う〜む、そんな人が

イマドキいるんだぁ。今年の流行語大賞ノミネートされているのになぁ。この番組のこといろん

な新聞や雑誌に取り上げられているのになぁ。放送時間に在宅していないのなら録画して観てね!

今日はドリスデン近郊のエクスカーション。チェコとの国境近くの広大なザクセン・スイス国立公

園まで約1時間。途中一瞬だったが青空が出て思わず撮影した。貴重、貴重。バスを下りて暫く歩

いて行くと、平坦な地形のドイツに1億年以上前海面下の地殻変動で隆起したが長年の浸食作用に

よって造り出された奇石群が広がっているのだ。その高さは100bにもなる断崖絶壁が林立してい

る。奇岩の向こう側に見えるのはチェコね。元気な健脚家の皆さんは奇岩にかかるバスタイ橋まで

行かれ、行かん!という7名は近くのホテルでお茶を飲む。ザクセンのスイスという名前も面白い。

 

     ドリスデンからエルベ川を遡ること10`。ザクセン国王の夏の宮殿だったピルニッツ城

             ピルニッツ城の内部や広大な庭園はこんならしいよ  

 

夜 ドリスデン郊外「ビラ ゾルヂンフライ」アミューズブーシュ、鱒とイクラのタルタル、パン、

卵の黄身料理、牛頬肉の煮込み、チーズケーキとアイスクリーム、カモミールティ)、ビール小、

白ワイン、赤ワイン何杯も(笑)

 

  

 

ザクセン・スイス国立公園の後は、ザクセン国王の夏の宮殿として使用されていたピルニッツ城に

行った。城の敷地内のカフェでランチを摂ってから皆さんは城内見学に。私はレストランで暫く過

ごしたり、ショップを覗いたり、あちこちぶらぶらと散歩していた。夕刻ドリスデンに戻る。今夜

は最後の晩餐。郊外の有名レストランでの優雅なディナー。皆持って来た中で一番お洒落と思う服

を着てバスでレストランに向かう。店名の「ビラ ゾルヂンフライ」とは「愁い無し」という意味

だそうで、フランス語で言えば「サンスーシー」である。帰国移動日の明日は24日のイブだから、

今日クリスマスディナーと思えば良いわけだ。料理名を聞いても料理が運ばれて来ても何だかよく

わからない料理が続いたが、白も赤もワインは無くなればついでくれるから早飲み(笑)の私は断

然有利!真ん前の席のS田さんのご主人と共に「飲み放題」状態だった。えへへ、ごめんなさい。

               _____________

【今週の振り返り】 

信じ難い財宝コレクション「新緑の丸天井」(当然「緑の丸天井」もです)を見学しても、アルテマ

イスター絵画館が入っているツヴァインガー宮殿に行っても、お城の隣にある「カトリック旧宮廷教

会」に行っても、とにかく旧市街を観光すれば、出て来る名前は「アウグスト強健王」と呼ばれるア

ウグスト2世。そればかり。調べてみると、この人相当変っていうか、ホントにとんでも無いエピソ

ードに事欠かない人物なのでちと触れてみたい。彼の名前であるが、アウグスト2世とはポーランド

・リトアニア共和国の国王としての名前であって、元々のザクセン選帝侯としての名前はフリードリ

ッヒ・アウグスト1世である。ややこしいので、ここではアウグスト2世(あるいは強健王)と呼ぶ

ことにする。

 

まぁモノゴトには「功罪相半ばする」という言葉があるから、「功罪相半ばする人」と評してもいい

かもしれない。「毀誉褒貶相半ば」の方がピタッと来るかな。先ずは「功」の部から。芸術と建築の強

力なパトロンだった。前述したように優れた芸術作品の熱心な蒐集家だった。ザクセンでは銀が採れ

たから金には困らない。資金はたっぷりあるから、世界あちこちの名工達の渾身の作品を買いまくる。

貴族や宮殿を訪れる賓客達に「凄いだろ!」と自慢する。美しい城も建てる。ドリスデンにもワルシ

ャワにも宮殿を建設。マイセン磁器も結果的に彼が育てたことになる。そうして彼が残したものが300

年近く経った今、ドリスデンやマイセン観光の目玉になっているのだから、アウグスト2世は感謝され、

崇められても良いハズなのだが。それと同じことはウィーンにおけるハプスブルグ家であり、フィレン

ツェ(ローマも含め)におけるメディチ家でもある。メディチ家があれほど芸術家達を厚く支援しなけ

ればルネッサンスはどうなったのだろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラフ

ァエロの希代の天才3人がほぼ同世代に大活躍出来たのもメディチ家のお陰である。閑話休題。ま、そ

うゆうことでアウグスト2世は素晴らしい芸術作品と建築物を後世に残したことで評価すべきというの

が「功」だ。

 

逆の面。彼はザクセン選帝侯の次男として生まれたが、父親の死後を継いだ兄が愛人に天然痘を移され、

嫡出子を残さないまま急死したため選帝侯の座が転がり込んだ。リードリッヒ・アウグスト1世となっ

たのだが、その数年後ポーランド・リトアニア共和国の国王の死去にともなって行われることになった

「国王自由選挙」に出馬する。ポーランド・リトアニア共和国国王にもなりたい!という強い野心が生

まれたのだ。そのためにはカトリックに改宗する必要があったのだが、彼はアッサリと改宗してしまう。

ザクセン選帝侯は代々プロテスタント・ルター派の熱心な支持者であったし、神聖ローマン帝国ではカ

トリック諸侯会議に対抗する新教徒諸侯会議の議長はザクセン選帝侯の役割だったにも関わらずである。

ザクセンの豊かな国庫からポーランドの貴族や聖職者達に莫大な賄賂を送り、ロシアとオーストリアの

支援を得て選挙に臨んだ。対抗馬には前国王の息子やフランスが推薦するコンティ公など有力な候補が

いたのだ。ザクセンの人々がこうした選帝侯の振る舞いに呆れっぱなしだったのは言うまでもない。そ

こまでして臨んだ選挙だったのに、勝利したのはフランス人のコンティ公だった。しかしここからが我

らが(ってことは無いね)アウグスト2世は信じられない行動に出る。コンティ公が到着する前に大急

ぎでポーランドに入り、勝った!勝った!と戴冠式を行って国王即位の既成事実を作ってしまったので

ある。いや〜凄いわぁ、この人。ポーランド・リトアニア共和国国王アウグスト2世の誕生である。し

かし、その後がイケナイ。彼は戦争では全く運が無いというか無力の人だった。ほぼ負ける。ヨーロッ

パで大国だったポーランド・リトアニア共和国は徐々に弱体化していき、彼の死後度重なるロシア、プ

ロイセン、オーストリアの周囲3つの大国に国土を分割され続け、やがては地図から消えてしまうのだ。

ショパンは地図からポーランドが消えた時代に生まれたのである。

 

強健王という名前はナゼ付いたのか。彼の異称には他に「ザクセンのヘラクレス」や「鉄腕王」なんて

のもあるのだよ。とにかく驚異的な力持ち。いわゆる「怪力」の持ち主だった。力自慢をしたくてたま

らないから、人前で素手で蹄鉄をへし折って「どうだ!」ってやっていたらしいよ。アウグスト2世の

先祖だったポーランド人ツィンバルカ・マゾヴィエツカも怪力の持ち主で、壁に釘を素手で突き刺した

り、胡桃を片手でわったりしたらしい。因みにこの人物はナント女性であり、神聖ローマ皇帝フリード

リヒ3世の母親である。

 

 

名うての女たらしで精力絶倫!妻のクリスティーヌは後継者となるアウグスト3世を産んだだけだが、

次から次へとっかえひっかえした愛人との間に365人から382人の子供を作ったとされている。しかし、

アウグスト2世は、この私生児のうち一握りの子供だけしか認知しなかったと言うからしょうもない男

だよね。認知された子供の中で一番出世したのは、フランスの大元帥まで上り詰めたモーリス・ド・サ

ックス。ある時は異母兄であるアウグスト3世と敵対するフランス王ルイ15世に忠誠を誓い続けた気

骨のある人物だった。父親とはドエリャア違うわな。因みに、このサックスさんの娘は、あのポーラン

ドの作曲家フレデリック・ショパンの愛人というかパートナーだった小説家ジョルジュ・サンドの祖母

となる。つまり、アウグスト2世はジョルジュ・サンドの高祖父っちゅうことになるんだな。もう一つ

余計なことを言えば、このジョルジュ・サンドはショパンと出会う前、詩人とか歯医者さんとかいろい

ろ付き合っていたけど、その中には音楽家のフランツ・リストもいたのじゃよ。皆さん、お盛んという

か節操が無いっていうか。世間知らずのババには難しくてわかりませんですて。熱心なプロテスタント

だった妻のクリスティーヌは夫のカトリックへの改宗にはもちろん従わず、夫のポーランドでの戴冠式

にも欠席。ドリスデン郊外の城でひっそりと暮らした。ある夫婦のそれぞれのその後である。

 

              ニャンということでしょう

 

           バックナンバーのトップへ    夢子倶楽部のトップに戻る

  未だ 12月 2週 をご覧になっていない方はクリックね