3月1日から入院し、懸案だった両脚の膝人工関節手術を受ける
♪今日は痛-い 雛祭り😢
2月 28日(月)晴れ 最高気温15度!ポッカポカ
ウクライナとロシア停戦交渉開始するも難航
ウクライナゼレンスキー大統領EU加盟申請書に署名
大都市圏更にまん延防止更に2週間延長か
東京9632人(重症者69人)全国5万1348人(死者198人)
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(茸雑炊、赤魚の粕漬け焼き、五目煮豆、キャベツおかか、飲むヨーグ
ルト、キウイ)660円、コーヒー110円
五目豆に入っている昆布うっかり食べてもうた💦
昼 新橋「末げん」かま定食(小鉢・漬物・吸い物付き)1300円
午後のお茶 新橋 新橋駅前ビル「巴里小川軒サロン・ド・テ新橋店」ドリップコーヒー660円、ショコラスフレ324円
Aさんからお雛様らしい事前お見舞い頂きました!
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(鰤の照り焼き、牛肉のアスパラ巻き煮、独活とワカメの酢の物、プルー
ンとの紅茶漬け、ご飯、豚汁、あまおう苺)1760円、麦焼酎
明日の入院を前に今日も朝から忙しい。3週間以上留守をするので寝具の大物洗濯をした。毎月1
日に行っている送金を繰り上げて実施。毎週月曜日朝のパクパク日記更新もある。しばらくは日記の
作成も更新も出来ないのでお断りも記載。心配りも細やかやねぇ、私、って自画自賛(笑)。その
上「痛くない最終日」だから美容院にも行くのだ。気温は15度と言うので薄手のコートを着たのだが、
街を歩く人々はコート無し姿もチラホラ。次回はいつ来ることが出来るかわからないのでいつもより短め
にカットして貰った。ランチはずっと行きたかった「末げん」。一番好きなかま定食に竜田揚げも追加し
たい誘惑にかられるが、それは食べ過ぎじゃて、お嬢さん。といつものように諦めたのに奥のテーブ
ルに座った恰幅の良い40代位の男性はかま定食大盛りに竜田揚げ単品、それにビールまで飲んで。ス
゙ルイぞ!違反だぞ!豚になるぞ!と心の中で叱ってやった。悔しいから小川軒まで行ってお茶した
のだが、思わずショコラスフレまで頼んでしまったよ。甘いもの好きじゃないのにさ。これで当面気まま
な外出は出来ないことになる。誠にお名残惜しゅうござりまする。帰宅するとA部さんから雛祭り
と入院見舞いが届いていた。嬉しいな。コロナ禍になるまでは海外旅行にバンバン行っていたから、パク
パク日記も当然バンバン遅れた。3週遅れ、5週遅れ、2ヵ月遅れなんて時も。「原則月曜日更新」な
んて文言は読む人も作る人でさえすっかり忘れていた。ところがコロナ禍になってからは、几帳面な
地方公務員の如く(って形容がテキトーなのだろうか)キチンキチンと毎週月曜日に更新するようになった。
ちょっとでも遅れると焦る💦。が、久しぶりにパクパク日記はお休み頂きます。焼酎も飲み納めだ。
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3月 1日(火)晴れ 入院初日・手術は明日
最高気温18度!春か 今日から隣の病院に入院😢
東京1万1813人(重症者68人)全国6万5434人(死者236人)
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(がんもと野菜の卸し煮、笹かまぼこ、モヤシと青菜の辛子和え、
ご飯、味噌汁、飲むヨーグルト、オレンジ)660円、納豆198円、「菜の屋」の封印わさび漬け、コー
ヒー110円
ここの食事ともしばしお別れ😢
大屋根広場から見えるあの病院へ 一昨年暮れ入院した963号室となった
洗面所・トイレ、バスタブがついている個室は入院患者には超有難い
昼 聖路加国際病院 病院普通食(卵とツナのサンドイッチ、トマトコンソメスープ、サラダ、バナナ)、(スタバコーヒー)
午前10時入院受付に出頭(?)。2時間後初の病院食ランチ。火曜日はサンドイッチランチだ
夜 聖路加国際病院 病院普通食(若鶏胡麻ダレ焼きと焼き葱、切り干し大根炒め煮、小松菜わさ
び醤油和え、さつま芋甘煮、ご飯、お茶
旨くも無いが、不味くも無い
6時に起きた。朝食も早めに済ませ、提出書類など忘れ物が無いか丁寧に点検。まぁ、忘れモノがあ
っても隣だからイザとなればヒカルとかにお願いして取りに来て貰っても良いのだが。一昨年の暮れに
緊急入院した時は、スマホ用の充電用コードも忘れたし、杖まで忘れてしまった。車椅子に乗せられたか
らウッカリしてしまった。10時までに入院受付に来るように言われていたので、大きめのキャリーケースを転
がしながら9時50分に到着した。受付番号は3番だった。いくつも書類を出し、説明を受けてから
9階の病棟に案内される。あら?入口から近いのは良いとしても、申し込んだクラスの病室にしては少
し狭くない?やっぱり。同じ料金払ってここはイヤだなぁとブツブツ言っているところにМ先生登場!
「やぁいらっしゃい、いよいよ明日手術ですね」ってニコニコ顔。部屋が狭くて変形なのでイヤなのだと
お願いすると看護師リーダーが1部屋空いているからとチェンジしてくれた。蜂窩織炎で10間入院した
時と同じ部屋963号室になった。わ〜い!ここでも書類を数種提出し、借りるパジャマや購入する室
内履きのサイズを検討した。昼食が運ばれて来る。そうだ、この病院は「火曜日はサンドイッチランチ」、「日
曜日は麺類ランチ」と決まっているのだった。収納場所もたっぷりあるから持参した荷物を収納し、読
めるのかどうか不明だがたくさん持って来た本も並べる。明日はいよいよ手術である。水は6時ま
でに飲む、手術室には午前8時前に入ると超早いのだ。だから、今夜は早めに寝なくては。無酒日
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3月 2日(水)不明 入院2日目・手術当目
朝から昼過ぎまで両脚の膝人工関節手術を受ける
東京1万2693人(重症者68人)全国7万2647人(死者235人)
朝 無し!
昼 無し!
手術終了!麻酔だ輸血(自分の血液)だ何だと数本の管に繋がれて、飯など喰えるか!
夜 無し!
5時半起床。今日3月2日は母の誕生日だ。生きていれば109歳になる。成功するようその母が見
守ってくれているに違いない。シャワーを浴び、髪も洗い終えると消毒をする。手術用の下着と手術着
を着用して待つと「行きましょうか」と看護師のY本さんが車椅子を押して4階の手術室に行く。
最初小部屋に通されて、PC画面を見つめながら各種確認をする看護師を中心に私の手術を担当す
るK村先生以下整形外科の医師達、麻酔を担当する医師達、アシストする看護師など7,8名が一堂に介
して短いミーティングをするのだ。やがて「手術室に移動します」とズラリと並ぶ手術室の中の一つに運ば
れた。結構広い部屋の真ん中にベッドがある。そこに横たわるのは誰あろう、私である。ヤダナァとは思
うものの、「気が変わりましたので止めませんか」とは言い出せないな、この雰囲気では。背中を丸
くした姿勢に麻酔の処置をされたり、鼻にマスクを被せられたりしているうちに、夢の世界へ・・食べ
物関係の夢を見ていたような気がする・・・「はい、夢子さん、手術は終わりましたよ」と起された。
エェッ!もう?と壁に時計を見ると、8時半に気を失って既に4時間近くが経っていた。主治医のK
村先生が「両膝の人工関節手術予定通り終わっていますからね、安心して下さい」と仰った。麻酔は
効いているのだろうが、両膝にもの凄い鈍痛がある。いろんな処置をされてからベッドごと9階の病
室に帰る。カラダは何本もの管、管、管。手術中出血した自分の血液を濾して自分に戻す輸血みたいな
のもやっている。背中には麻酔を入れる管が入っている。痛い時には握らせられたボタンを押すと麻酔
がカラダの中に入って行く仕組みらしい。手術をした両脚の患部はグルグル巻きにされているらしく、ビ
クとも動かない。その代わり足首から下をスッポリ巻かれ定期的にポンプが作動して自動マッサージをしてく
れている。血栓を防ぐための装置らしいよ。部屋に帰ってから麻酔が効き出すまで3時間程かかり、
その間の膝の鈍痛はつい唸る程の痛さだ。あぁ〜ツライ〜はぁ〜ツライ・・・。夕食?要らん!全く食欲が
沸かない。考えてみれば昨夜夕食を食べて以来ずっと食べていない。それにしても膝をずっと伸ばし
っぱなしがツライ。膝を曲げたい、寝がえりしたいと思いながら寝ているしか無い手術日当日だ。無酒日
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3月 3日(木)曇り夜雨 入院3日目・術後1日目
雛祭り(どころでは無かったが)
西村京太郎氏死去(享年91歳)
ロシアとベラルーシのパラリンピック個人出場、逆転で不可に!
東京1万2251人(重症者70人)全国7万0348人(死者255人)
朝 聖路加国際病院 病院普通食 飲むヨーグルトのみ!
昼 聖路加国際病院 病院普通食 パイナップル2片のみ!
夜 聖路加国際病院 病院普通食 特別和食1760円(鮭チャンチャン焼き、春菊芥子和え、さつま芋と湯
葉の含め煮、ちらし寿司、漬物、お吸い物、ひなあられ)3分の1食べた
誰か食べてね K岩が送ってくれた今夜の東京タワー 夢ちゃんガンバレ
一晩中ウツラウツラしていた。寝ているようでもあり起きているようでもあり・・それでも6時起床。午
前7時半には整形外科のY下先生が両脚のグルグル巻きをハサミでジョキジョキ切って解放してくれた。新た
に縦長の大きな透明絆創膏をバチンと貼って終了!若いY下先生は口も達者だから、私も頑張って応
戦(そんなところでガンバってどうする!)する。あぁ言えば、こう言うって感じで。朝ご飯?要ら
ん!じゃ、飲むヨーグルトだけね。昨日苦しんだ膝のドーンと重い鈍痛は昨日麻酔が効き出してからは楽
になったのだが、主治医のK村先生は今の薬が終わったら背中に設定している麻薬の仕組みを外せ
と仰っていると聞いた。ナニ?外す?またあの地獄のような痛みかい!新しい麻酔の薬足してくださ
ーい。何でもこの背中からの麻酔を長時間やっていると炎症を起こす危険があるのでなる早で止め
るのが医学的には良いのだそうだ。😢😢😢 そうかもしれないけど、あれ程の痛みはガマン出来な
い。お願いしますよ!じゃ、あと1本ね、ということで夕方5時頃までは延長して貰った。昼ご飯?
要らん!じゃ、パイナップル2口だけね。術中失った自分の血液は濾してまた自分に戻したのだが、こ
れ以上輸血は必要無いことになったと言う。ホッとする。私純血主義だから(って何だい!)今日か
らリハビリ開始だと言う。昨日手術したのに??翌日からするのが良いのだとK村先生。鬼!!午後
3時前、優しそうな表情のK保田さんが病室に来られた。寝たっきりの私に「はい、それではベッド
に座ってみましょう」エェッ!看護師の皆さんもアシストしてくれてやっとのことでベッドに座る。「はい、
それでは車椅子に移って座ってみましょう」エェッ!看護師の皆さんもアシストしてくれ、スンナリ座れた。
「はい、それでは明日から本格的に始めるリハビリの部屋を見学に行きましょう」と5階のリハビリセンター
に連れて行かれた。午後5時過ぎ恐れていた背中の麻酔装置外される。注文していた特別和食の夕
食を3分の1程食べ終えた頃から、麻酔が切れ猛烈な痛みが戻って来た。鎮痛剤を点滴で落として
貰っているが、すぐには効かないのだ。膝の鈍痛よりも傷口の鋭い痛みが四六時中襲って来る。両
脚の膝を17a程に渡り切開して必要な措置をしてからホッチキス(医学的にはスキンステープラーって言うのだ)
でバチンバチンと止めた箇所に稲妻が走るように痛みがやって来る。その度に思わず身が竦んでウッ!と
唸ってしまう。四六時中痛みがあるから唸りっぱなし。早く点滴の鎮痛剤効いてくれ〜〜!無酒日
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3月 4日(金)曇りのち晴れ 入院4日目・術後2日目
東京1万0517人(重症者70人)全国6万3746人(死者231人)
朝 聖路加国際病院 病院普通食 厚揚げおろし餡、キャベツのゆかり和え、ふりかけ、ご飯、さつま
芋と長葱の味噌汁、飲むヨーグルト
朝はどんより曇っている
昼 聖路加国際病院 病院普通食 あこう鯛の粕漬け焼き 椎茸含め煮、白菜と揚げ煮浸し、胡瓜
と蕪の酢の物、ご飯、キウイ
普通食も昼はフルーツがつく
夜 聖路加国際病院 病院食 特別和食1760円(豚の塩麹漬け焼き、宝玉寄席、隠元の胡桃和え、
黒米ご飯、漬物、卵豆腐とカイワレのお吸物、フルーツ盛り合わせ
昨日の夜は背中からの麻酔装置を外されて術後最も痛くて苦しい時間を過ごした。「片脚でも相当痛
いと聞いているから両脚ならそれ相応の痛さだろうがガマンしよう」と覚悟はして来たが、これほど
の激痛とは!手術したことを後悔する、ということまでは思わなかったが、尋常ならざる痛みにかな
り心が萎えた。夜中の0時半を過ぎた頃からようやく点滴の鎮痛剤が効き始めた。安堵と疲労で眠り
に入ることが出来た。朝食後主治医のK村先生以下整形外科軍団が病室に。「脚の腫れも傷口からの
出血も少ないね。尿道カテーテルが外され、「今日からシャワーOK」が出た。それは良いが、トイレに自分で行く
ということだ!!!その後手術を担当して下さった麻酔医のK山先生が「背中からの麻酔は傷口の痛
みを和らげる作用があったので、外されて痛かったでしょ」と言われ納得。だったら外すなよ、とココロ
の中では思った。午前中リハビリ。車椅子に移るのだけでも大騒ぎだ。5階のセンターで膝の曲げ伸ばし運動
をやった後、左右のバーに掴まって「はい、立ち上がってみましょう」。ヘンな話だが、どうやったら立
てるのか頭が回らない。どこの力を入れるの。あぁここか、と膝上に力を入れようとした途端激痛が!
立てない・・もう1度・・立てない・・「スンマセン、今日は許して下さい、明日こと立ってみせますから」
無念の😢ランチ後、術後初のシャワーを浴びる。洗面台とトイレとバスタブがあるバスルームは、引き戸を閉めれば水
浸しにしてもOKの作りになっている。トイレの横に椅子をセットして貰い、そこに座って2日ぶりのシャワー
とシャンプー。看護師さん2人がかりで世話をして下さる。歯も磨いてドライヤーもかけて新しい寝間着に着
替えて、あぁ〜気持ち良か〜〜!久々にサッパリした。3時半からCPMというマシーンをセットし、膝角度60
度から自動膝曲げ運動。左30分、右30分。その間にY下先生が傷口のガーゼ交換。時間が有り余って
退屈な入院生活になるのではないかとのイメージもあったが、どうしてどうして。結構忙しいのである。
今日からパラリンピックが始まって、開会式を見始めたのだが間もなく興味を失ってテレビを消した。無酒日
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3月 5日(土)晴れ 入院5日目・術後3日目
パラリンピック開幕
東京1万0816人(重症者71人)全国6万3673人(死者132人)
朝 聖路加国際病院 病院普通食 鶏肉と高野豆腐の炒め煮、浅利の胡麻芥子和え、紫蘇の実漬け、
ご飯、玉葱のワカメの味噌汁、飲むヨーグルト
昼 聖路加国際病院 病院普通食 白身魚カレー風味揚げ スナップえんどう添え、ヒジキと枝豆炒め煮、
オクラのお浸し、ご飯、バナナ
夜 聖路加国際病院 病院食(特別和食1760円)メカジキバター焼き、茶巾湯葉、ほうれん草七味和え、
ご飯、漬物、お吸い物、リンゴ
特別和食は漬物と果物が旨い
昨夜は11時頃眠ったと思う。病院と言えば消灯時間が設定されているが、ここは全室個室なので
夜中まで電気をつけて本を読んでいても構わない。午前4時頃まで熟睡したようだ。夜中でもトイレ
に行くとなれば、2人か3人の看護師さんに手伝って貰わないとならない。それは申し訳ないな、
と思っているからかいつもの2時間おきトレイの間隔が長くなっているようだ。それにかなり疲れて
いたのも熟睡した理由だったようだ。5時間以上熟睡したなんて、十数年ぶりかもしれない。午前
中リハビリ。担当してくれるK保田さんは何と安曇野のご出身だ。私が少女時代過ごした大町市とは
ご近所だ。大王わさび農園や県歌「信濃の国」の話などをふたりでしただよ。偶然でも嬉しいずら。
そして昨日断念した一瞬立ちが出来たのだよ。10秒間立っていられた。しかも2度も!達成感大き
い。車椅子で病室まで帰り、そのままテレビの前にテーブルと椅子をセットして貰ってランチ。それまではベッド
の中で起き上がって窮屈な姿勢で食べていたのだ。やっぱり食事は椅子に座った方が食べやすい。
但し、両脚の血が下がってジンジンするのが難だ。午後のCPMの膝角度は昨日から5度上げて65度
に設定して左30分、右30分。この程度なら軽い、軽い。午後キョウコからビックリのLineが来た。4月か
ら荒木町に住むことになった長男のD介クンの引っ越し祝い兼転職祝いの宴会を2月末にやったのだ
が、正式な配属の連絡が来て霞が関ではなく、名古屋の小牧空港近くの某所になったと言うのだ。せ
っかく長い間探して契約した荒木町のマンションは解約せねばならないし、趣味のオケ活動にも支障が出る
し・・と本人には大ショックな配属になったのだそうだ。まぁ、仕事の世界ではそんなことも起きるね。
本人が気持ちを早く立て直すのが大事になって来る。今夜の夜勤のH津さんは札幌出身で、姪キリコの
夫の勤務先で眼鏡を調達したのだそうだ。就寝前の血圧は100-50だった。何だか嬉しいぞ。無酒日
_______________
3月 6日(日)晴れのち曇り 入院6日目・術後5日目
東京9289人(重症者71人)全国5万3969人(死者132人)
朝 聖路加国際病院 病院普通食(スクランブルエッグ、ブロッコリーの磯辺和え、ふりかけ、ご飯、味噌汁)、
封印わさび漬け
今朝から自宅から持ち込んだわさび漬けが食卓に登場!
昼 聖路加国際病院 病院普通食(温蕎麦、麺つゆ、天ぷら:海老・南瓜・かき揚げ、白菜青紫蘇
和え、オレンジ
この病院の日曜日の昼食は麺ランチ。嬉しいな♪
東京マラソンで男子日本選手トップは鈴木健吾選手、女子日本選手トップは一山麻緒。二人は夫婦!
夜 聖路加国際病院 病院食 特別和食1760円(鶏の和風シチュー、水菜と蓮根のサラダ、長芋の蟹餡
かけ、漬物、ご飯、吸い物、パイナップルとオレンジ)
トイレに行く度に周囲を巻き込んで大騒ぎが続いていたが、日々着々と私の動きは良くなり、「小騒ぎ」
くらいになって来た。誰にも迷惑をかけずに早く一人で何でもできるようになりたい。特にトイレはね。
今日は日曜日だから主治医はお休み、リハビリもお休みだから楽チンでいいなぁと思ったのだが、何と8
時50分から病院全体は停電なのだ。テレビがフッと消えた。灯りも消えた。冷蔵庫も消えたらしい。
電動ベッドが使えないとムチャ困るのだが、これだけは非常用電源に繋げたので使えてホッとした。来週の
普通病院食のメニュー表と特別食メニュー表を取り寄せて、1週間の食事計画を立てた。1週目の今週は夕食
に特別和食を4回頼んだ。来週は朝食と夕食に何度かの特別洋食を注文してみよう。1年3ヵ月前蜂
窩織炎で10日間入院した時は、12月30日、31日のサービス停止日を除いて朝昼夜と特別食を注文した。
そして不味い!不味い!と文句タラタラだった。特に特別和食のお吸物は一口啜っただけで飛び上がる程
塩辛くて参ってしまっていた。この病院にまた入院することになって「またあの病院食を食べるのか
ぁ〜」とガックリ来ていたのだが、今回それほど不味くも無いのである。普通食も特別食も。「アレ?今回
はクレーム少ないですね」とМ先生に揶揄されてしまったよ。痛みで食欲が沸かないためにかなり残して
しまっているが。でもお昼は完食した。だって日曜日は麺ランチと決まっていて今日は天婦羅蕎麦だった
のだ。明後日8日はヒカルの亡き奥さんM智代さんの祥月命日。お花を手配した。ついでに5月中旬彼
を誘って温泉にでも行くかと宿と飛行機の予約をした。CPMの膝角度は昨日から5度上げて70度
に設定。左30分、右30分自動的に運動させられたがまだまだ余裕がある。午後4時前通電!夕食に
出た特別和食のメイン料理鶏の和風シチューは美味しくて、ご飯もほぼ食べてしまった。「鎌倉殿の13人」
を観てからEテレビのピアソラ特集を観る。何というドラマチックな人生だろう。なかなか寝付かれず。無酒日
_______________
【今週の振り返り】
おかしな話なのだが、自分の膝についての記憶がとても曖昧なのである。膝に何かの不具合を感じて
いたのだろう、眠る前に膝のストレッチ運動を決めた回数やっていた。ずっと前から。今考えれば、長く
続けて来たそのストレッチ運動はかなりデタラメだったから、ほぼムダに近かった。情けないけど。銀座7丁
目のビルで働いていた頃、行きも帰りも往復タクシー通勤だった。晴海通りから数寄屋通リに右折した時
が、膝運動を始めるタイミングだった。両脚、特に左脚を何度かブラブラさせないとタクシーを下りてすぐには
歩けなかった。何だか膝が固まったような感じになって初めの一歩が踏み出せなかった。だから、例
え10分位でも座っていたら、必ずウォーミングアップをしてから歩き出していた。こんなことが続いたら、
フツー膝の不調の原因を調べ、治療法の指導を仰ぐべく専門医に診て貰おうと思うと思う。ところが、
私は全く医療機関に行くことは考えていなかった。そしてそのまま時間がダラダラと過ぎて行った。
次に気が付いたら、左膝が大きく曲がっていた。仕事の第一線を退いてからはスーツやワンピースを着るのを
止めた。パンツスタイルだけにした。靴もパンプスを止めてウォーキングシューズに切り替えた。だから自分の膝の状
態がどうなっているかなどマジマジと見る機会もなく、意識が膝には向かなかった。だから大きく「く」
の字に曲がってしまった左膝に気がついてタマゲてしまった。そこまで曲がるまでに気がつけよ!と今
では思うけど、現に全く気がつかなかったのだから呆れながらも仕方がないのだ。で、どうしたかと
言えば・・何もしなかった。困ったなぁと思っただけで。それが変形性膝関節症だなんてことに思い
を致さなかったのだから、私は相当にアホだ。ホント、アホで大バカモンである。しかし、それだけ「く」の字
に曲がってしまったから左脚の方が短いカタチになり、歩く姿がギクシャクしてしまう。歩く姿勢が乱れる。
その頃から左膝には強い痛みを感じるようになり、それは日増しに強くなって行った。私でもヤバイぞ!
と思い始めた。
その頃、ある健康クラブに入会した。1泊2日のバカ丁寧な人間ドックを受診することがサービスのメインだが、
会員には主治医がついて、いろんな健康相談が出来る。私の主治医のS科先生に膝の相談をした。人
工関節の手術を受けるのが順当だろうと云われた。「S科先生、私もそれは調べました。でも痛い手
術をしても元通りに歩けるようになるのは7割で、3割はうまく行かないようですよ」と生意気に反
論。すると、S科先生は「神の手」と呼ばれる整形外科医の話をしてくれた。良い話を聞いたとかなり
調べてみたのだが、その整形外科医は既にリタイアしているらしいという残念な結果だった。
ステッキ専門店を探した。「チャップリン」という専門店でフェニックス(不死鳥)柄の素敵なステッキを購入した。これ
で一安心(チャウだろ!そんなことで安心するじゃないよ!)だ。次に毎年遊びに行く札幌の鮨屋で耳
よりのことを聞いた。当時はiPS細胞でノーベル生理学・医学賞受賞した山中伸弥教授に世間の尊敬の
目が集まった時代だったが、再生医療で膝を治療する医療機関があると言うのだ。杖をついてやっと
歩いて来たお婆さんが、その治療を受けたら帰りはスタスタと杖無しで帰って行ったと。ただ、その小耳
に挟んだ話は曖昧なことが多くてずっと探したのだが、なかなか見つからなかった。諦め始めていた
ところに札幌のМちゃんから連絡があった。「ここ訪ねてみたら」と。予約を取って早速行った。膝
の痛みはカンタンに言えば、軟骨が擦り減ってしまった結果炎症が起きて発生するのだが、痛みの緩和作
用を持つ自己組織の成分を培養後膝関節に注入するという治療法だ。入院の必要も無い。しかし、あ
れから数年経ったから現在は方法が結構変化しているようだが、自己組織の成分を取り出すのにムチャ
痛い思いをした。それに大金が必要だった。結論を言えば、私には効かない治療だった。やった後の
МRI検査の結果、私の膝のダメージが大き過ぎて効かないのだと言われ、再生治療は諦めた。
毎日鎮痛剤を飲まないと痛くて歩けないような時期が1年以上続いていたが、「鎮痛剤を飲み続ける
とかなりの確率で潰瘍が出来る」と主治医に注意されてからは薬をきっぱり止めて運動に切り替えた。
それからは、治らないまでも日常生活に困らない程度に膝の状態を保つ運動を毎朝することに徹した。
主に大腿四頭筋、内側広筋の強化のストレッチである。海外旅行でも国内旅行でもどこででも毎朝15分は
このストレッチ運動を欠かさなかった。そのお陰もあって杖さえあれば、何とかこのまま人生を終えられ
そうだな、と思ってもいた。
しかし、朝昼晩と食事を頂いているダイニングルームでそれは起きた。数ヶ月姿が見えなかったので退職さ
れたのかと思っていたホール担当の男性の姿を見かけた。タイミングを見て声をかけた。「ずいぶんお久しぶ
りですね」「はぁ。実は膝の手術を受けましてね、退院してからもリハビリなど続けていたので復帰する
のに時間がかかりました。傷が痛くて手術なんか受けなければ良かったなんて思ったこともあったの
ですが、今はすっかり痛みも取れて。ほら、あんなに曲がっていた脚も真っすぐになったんですよ。
走れますからねぇ、思い切って良かったです」彼の答えにガツンと来た。勇気を持てば、私も曲がった
脚が治るのだ。その話を隣の病院の主治医M先生にした。「良い話ですね、手術するしないは別にし
て整形外科の先生を紹介しましょう」とその場で部長先生の予約が決まってしまった。あとはあれ
よ、あれよ・・・次週に続く。
ボクが痛いのは膝じゃなくて別なとこ
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