京都2週目は蟹食べて掃除して木曜日10日ぶりに帰京
柴山のずわい蟹 三重県の紅葉
11月 27日(月)京都は晴れたり曇ったり
朝 京都家食 野菜どっさりポトフ、大根サラダ、トマト、カシューナッツ、茹で卵、シリアルパントースト、チーズ、「クノー
ル」コーンスープ、キウイ、飲むヨーグルトルト
ナゼスープモノが2種あるのだ!
瑠璃光院(中K子さん撮影)
昼 京都・八百一本館「ザ・ブレッド」牛蒡とツナの胡麻パン190円、コーヒー300円
食べたのは牛蒡とツナの胡麻パンだけ
永観堂(中K子さん撮影)
夜 京都・柳馬場通五条通上ル「瘁v(3人で)蟹コース@4万5千円(日本酒一献、香箱蟹、焼き蟹で
出汁を取った蟹の吸い物、お造り:アオリイカ・ヤイトカレイ・白甘鯛、八寸:鰻・黒無花果ロース巻・ヘシコ手
毬鮨・酢茗荷・ほうれんそうぬた煎り胡麻・雲子ポン酢・あん肝奈良漬け、ライブ:焼き蟹各種、
蟹の胴蒸し、お好み食事:鯖鮨・牡蠣フライ丼・柳そば、猪子餅(栗餡)、お薄、生ビール小、麦焼
酎ダブル2杯 3人で16万1898円
京都の家にいても、私は紅葉シーズンであろうが、桜のシーズンであろうが、基本的にはどこにも出かけ
ない。今日などは我が家に宿泊している中K子さんが2千円もする瑠璃光院の入場チケットを随分前に
予約してくれたのに、それでも私は行かないのだ。いくらタクシーで行っても、神社仏閣というのは高
い石段とか坂道とか膝悪で歩行に問題を抱えている人間にはツライ場所なのだ。お2人は9時過ぎには
お出かけということなので、今朝は5時半(早過ぎ!)に起きてシャワーを浴びてから朝食の支度。っ
て言ってもポトフは昨日午後ほぼ作ってあるから、それほど仕事は多くないんだけどね。食事は8時
から、と昨夜お2人に伝えていたのに、早く準備してしまった私は「早く食べましょうよ」と催促
するイヤな婆さんなのだ。ポトフがあるのにコーンスープまで用意してしまったこともあり、K子さんは途中
でギブアップ。ヨーグルトもキウイも「取っておいてくれ」って。では行ってらっしゃい!台所仕事を終えて
からはパクパク日記をアップした。散歩がてらランチは「ザ・ブレッド」で牛蒡とツナの胡麻パンとコーヒー。コロナ前
は日替わりのスープがあったからパンで軽い食事をする時重宝していたのだが、「当面はお休みしてい
ます」とのことで寂しい。N村夫妻は瑠璃光院→永観堂→南禅寺の観光王道コースを忠実に辿っていら
っしゃる。昨日は王道中の王道東福寺だったしね。2万歩も歩くのだから体力がある人にだけ出来る
ことだ。今日も早めの3時頃ご帰宅。K子さんは暫くベッドで休憩されていた。そりゃ疲れるものね。
体力回復後夕食に出かける。お2人が待ち焦がれる蟹だ。以前贔屓にしていた「K山」は店内撮影
禁止になってしまってから行かなくなり、昨今はもっぱら「SENE」に行っている。K山さんも
の杉山さんも同じ店で修業された仲。いつもは6席のカウンター席に座るのだが今夜は1室だけある座
敷だった。昨夜のイタリアンと同じパターンだ。普通の会席コースと蟹コースがある中で蟹コースをお願いしている。
今晩の蟹は兵庫県柴山港から水揚げされたずわい蟹とか。柴山港と言えば、有名な香住とほぼ近い
港。このコースはお造りと八寸以外はすべて蟹。最近蟹に苦手意識が芽生え始めた私は、今夜も香箱蟹
をふた口ほど、お吸い物、焼き蟹2本ほどで「もういいか」という感じに。その分N村夫妻に食べ
て貰った。食事だが今夜は8種用意され、いくつ選択しても良いし、量も指定できる。数年前大S
子さんは全種食べていたが、今夜私は鯖鮨・牡蠣フライ丼・柳そばの3種を少な目で。中華麺の柳そば
はあっさり美味しい。3人で満腹じゃ!と腹鼓を打ちながら(ウソに決まっているだろ)帰路についた。
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11月 28日(火)京都は朝から降ったり止んだり
朝 京都家食 野菜どっさりポトフ、人参サラダ、トマト、カシューナッツ、茹で卵、シリアルパントースト、チーズ、柿、
飲むヨーグルトルト
今朝は人参サラダ
昼 三条通東洞院通西入ル「進々堂三条店」デミグラスソースハンバーグ定食1080円、アイスコーヒー+250円
帰宅してから無花果タルトとお茶
午後のお茶とおやつ 京ばん茶と「ザ・ブレッド」の無花果タルト
夜 京都家食 海苔弁当、野菜どっさりポトフ、パイナップル
海苔弁当は量が少なくてイイネ
昨年辺りから蟹をたくさん食べた日は必ずというくらいお腹を壊していた。昨夜はそのことも頭に
あって食べたのは出された蟹の3割ほどに抑えた。その甲斐があったのか、アレルギー検査で蟹は無問
題とされているせいか、心配したようなことにはならずに安堵した。久しぶりに行った「SENE」
だが、以前女性は女将さんだけで男性の職場だった。然るに昨夜は女性スタッフが半数もいたし、繁忙
期は昼と夜に加えて、午後4時からの部というものあるのだとか。1日3部制?働く方は休憩も無
いじゃん!繁忙期の人気店の悩みだわなぁ。今日N村夫妻は我が家の清掃担当になってくれるので
朝食は何時でも良かったのだが、やっぱり今朝も5時半には起き出す。昨日の朝食と変わったのは
大根サラダが人参サラダに、キウイが柿になっただけでほぼ同じような内容でハッキリ手抜き。昼過ぎN村夫
妻が帰って行かれた。朝からご自分達が使用分の寝具の洗濯から始まって、お掃除やらゴミ捨てや
らで大活躍。お陰で家がピカピカになった。お疲れ様でした&ありがとうございました!N村夫妻が
帰られる直前、カタカナ会社時代の後輩であるS本健氏の訃報が送られて来た。昨日の夕方午後6時前
に家族に見守られての最後だったと聞いた。私より2歳若く、未だに現役で何社もの仕事をやって
いたのに。本当に残念でならない。賑やかだった京都の家が急に静かになった。N村夫妻と一緒に
ご馳走を食べて来たが、今日からは粗食にしよう。ランチに出たついでに八百一本館で買い物。量が
かなり少ない海苔弁当を購入。ドカベンが怖い年齢になると少量のお弁当がとても嬉しいぞ。無酒日
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11月 29日(水)京都は晴れ
アメリカ元国務長官キッシンジャー氏死去(享年100歳)
日大の競技スポーツ運営委員会はアメフト部の廃部を決めたが・・
脚本家山田太一氏死去(享年89歳)
朝 京都家食 野菜どっさりポトフ、玉葱サラダ、トマト、カシューナッツ、茹で卵、シリアルパントースト、チーズ、パイナップ
ル、飲むヨーグルトルト
ポトフ完食 ふぅ〜〜
昼 京都・三条東洞院東入ル「カマル」キーマチキンカレーS1000円+激辛ビーフカレーちょい盛り200円、マンゴラッシー
300円
か、か、辛――――――い!
午後のお茶とおやつ 東洞院通六角通下ル「リベルテ・パテスリー・ブーランジェ京都店」 タルトタタンとアールグレイセット
1353円
マンション1階にあるカフェでカレー口にタルトタタン
夜 京都家食 鶏つみれと大根の炊いたん+茹で卵、鯖生姜煮、ひきわり納豆、ご飯、じゃが芋と
玉葱と豆腐の味噌汁、シナノゴールド
フェニックスの廃部のニュースがもっともらしく流れた。ホントかよ、と調べてみると日大の競技スポーツ運営委員
会がその方向を決めたと言うのだ。その委員会、そんな権限があるのだろうか。日大と言えば、こ
こ暫くガバナンスが欠如しているとしか思えない決定をし、または覆すことが続いているからなぁ。
この後、理事会とか学長とか決定に加わるのだろうに、委員会レベルで決めたことが「決定」とし
て社会に出回ってしまうことに問題があるのではないか。それでイインカイ?って言いたいよ。昨日も
そうだったのだが、近所の蕎麦屋「三条尾張屋」は混んでいて店の前でかなり待たねばならない。
昨日替りに行ったレストランがイマイチだったので今日はカレーの「カマル」に行った。4種のカレーのうちビーフカレー
は激辛!以前は全く辛くない野菜カレーと激辛ビーフカレーのハーフ&ハーフで食べていた。しかし、あれから何
年も経った今、ハーフとはいえ激辛のビーフカレーを食べられるのか不安だ。う〜む、ムリかも。じゃあと普
通に辛いキーマチキンカレーに激辛ビーフカレーのちょい盛りを注文。そのちょい盛りでも辛くて辛くて。涙チョチョ
ビれる。昔は「麻の会」だの「辛いモノ同好会」だの辛いモノ好きを集めては激辛をヒーヒー言いながら楽
しんでいたものだが、もうアカンね。引退じゃ。ラッシーを飲んでも辛い口は治らないので、マンション1階に
あるカフェでタルトタタンも食べてしまった。オープンした頃は長い行列が出来る人気のカフェだったが、今はとて
も静かだ。京都には10日いたが明日帰るので夕食は冷蔵庫整理献立。こうゆうご飯いいね。無酒日
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11月 30日(木)京都も東京も晴れたり曇ったり
朝 京都家食 じゃが芋と玉葱と豆腐の味噌雑炊、鶏唐揚げ、玉葱サラダ、トマト、カシューナッツ、茹で卵、
シナノゴールド、飲むヨーグルト
京都の家の冷蔵庫空っぽになった!
昼 新幹線車内にて ミックスサンドイッチ630円、「出町ふたば」豆大福1個
大福食べるなんて自分でもビックリ!
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(甘鯛の西京漬け、筑前煮、南瓜サラダ、しし唐と椎茸の焼き浸し、
ご飯、お吸い物、岩手県のシナノゴールド)1870円、麦焼酎3300円
6時起床。トイレに行こうと目が覚めたらピッタリ6時だった。目覚まし膀胱(まぁ、奥様、お下品ざま
すわ)か。滞在最後の洗濯は東京に帰る前に終えて洗濯モノを片付けて行きたい。じゃ、パッと起き
てシャワーを浴び、洗濯を開始しよう。冷蔵庫空っぽ作戦のため、雑炊には2残っていた卵2個を溶い
て卵とじに。ペットボトルの水だけしか無い冷蔵庫になって満足だが、お腹一杯になり過ぎて苦しい。
お腹をさすりながら最後の片付けやゴミ捨て。洗濯モノも回収して箪笥に片付けた。11時半出発。一
昨日初めて使ってみたタクシー呼び出しアプリ。昨年から2種類のアプリを入れていたのだが、何となく使
っていなかった。思い切って使ってみれば便利やん、これ!すぐタクシーに乗ることが出来た。レストランに
行くには時間が少ないし、お弁当を買うにはお腹が空かず。グズグズしているうちに新幹線に乗っ
てしまった。食堂車はずっと前に無くなってしまったが、今は車内販売まで廃止。だが、グリーン車だ
けはアプリで注文すれば座席に持って来てくれるサービスがある。食べるものは幕の内弁当とミックスサンドの
み。630円のサンドイッチを買った。だんだんお腹が空いて来たが、足りそうに無い。でも大丈夫。売店
で見つけて衝動的に購入した「出町ふたば」の豆大福がある。甘いモノ苦手な人間なのに、昔からこ
の大福が大人気ということは知っている。駅の土産屋で売っているなんて珍しいからね、ついね。で、
1個だけ食べた。甘かったが豆だらけで美味しかった。10日ぶりの帰宅だから郵便物やDM物も多い。
2件届いた生モノは甥に引き取りに来て貰い、兄夫婦とでシェアしたようだ。久々のダイニングルーム。買い物
も調理も後片付けもしないで美味しく食べて酒まで飲めるのだから、改めて「ここは楽園じゃて」。
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12月 1日(金)晴れ
イスラエルとハマス戦闘休止期間延長出来ず戦闘再開。死者多数
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(鯖のみりん漬け、シラス納豆、キャベツの生姜和え、ご飯、味噌汁、
飲むヨーグルト、パイナップル)770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165円
今日から「封印」を封切り!
昼 明石町「ダイニングルーム」A定食(和風ちゃんぽんうどん、ピーナッツ胡麻豆腐、パプリカとプチトマトの甘
酢漬け、黒豆と黄な粉のアイス)1210円、ミルクティ165円
具だくさんの和風ちゃんぽんうどん
サンシャイン劇場で落語会
遅い夜 荒木町「松庵」(2人で)お任せ(海老芋の炊いたん、桜海老真薯揚げ、焼き白子のせ蒸
し寿司、香箱蟹、三重の天然ふぐ刺身と生白子、浜名湖天然鰻蒲焼き、三重の天然ふぐ白子焼
き、ふぐの唐揚げ、伊勢海老と蟹から取った出汁を使ったカレー蕎麦、自家製栗きんとん)、生ビ
ール小、麦焼酎ボトル 2人で7万900円
寒中見舞い状を作成し、印刷会社に入稿した。長く印刷物に縁がある仕事だったが、膨大な原稿やポ
ジフィルムや紙焼き写真などを整理し揃えて入稿作業を毎週やっていた。昔は活版印刷、後に写植(写
真植字の略)に変わったが、先ずは文字原稿を写植会社で完成させてから印刷会社の出番となる。完
全原稿になるまでには初校、再校、三校、時には念校なんてのもあり、印刷段階になれば色校正(再
校、念校も)があった。ことほど左様に原稿用紙から印刷物となるまでタイヘンな作業があったのだ。深
夜の仕事を終え暫くすれば朝日が昇るような時刻に牛丼屋でビールを飲みながら「そのうちさ、原稿や
写真が空を飛んで勝手に入稿出来るなんて時代が来るといいね」「そうなったら凄いわ!・・でも、
有り得ない夢だけどね、はぁ〜」なんて夢想し、キビシイ現実に深い溜息をついたものだ。しかし、あれ
から数十年経ったいま、それは夢では無くなった。パソコンでチョイチョイと原稿書いて写真を数点選び、葉書
大に貼り付ければ、それで入稿のための原稿となるのだ。あの頃からこんな仕組みの技術があったら
なぁ、青春を返せ!とみんな言っていたよなぁ。夜、池袋サンシャイン劇場に笑福亭鶴瓶師匠の落語の会に
行く。師走第一金曜日の夕刻とあって高速道路はすっかり低速道路になっていて到着まで時間がかか
った。サンシャイン劇場に行くなんて何年ぶりだろう。昔、劇団新感線の公演に何度か来たような。15列目
の左側の席だったが、意外によく見える席で、いつもの芝居やコンサートと違って男性客が多い。お誘いし
たA美さんは既に着席されていた。数年前赤坂シアターで開催された鶴瓶師匠の落語の会はA美さんから
ご招待頂いた。先ずは洋服衣装姿の鶴瓶師匠がとりとめもない、でも面白い話を数十分延々としてい
く。初めて来た男性客に「やるんですよ、落語。そのうちやりますんで心配せんと」と何度も説明
し、その度に笑いが起きる。落語二題のうち最初が「かんしゃく」だったせいか師匠松鶴のエピソード
で笑わせる。松鶴師匠をよく知るA美さんの話では「師匠のモノ真似そっくり!」だそうだ。今年2月
22日に急死された弟子の笑瓶さんのビデオが流れる間に着物姿に着替えて登場し、松鶴師匠に修業時代
の体験を元にした「かんしゃく」、休憩を挟んで古典落語の「芝浜」を演じられた。予定より少し早く
終わり、タクシーで荒木町へ。午後9時から「松庵」で乾杯し、私の好物ばかりが並ぶ素晴らしいご馳走
を食べたのだった。天然のふぐに天然の鰻、そして特製のカレー蕎麦にデザートには栗も!あらら、もう
午後11時じゃないですかぁと慌てて帰宅の支度。昨今は午後11時にはすっかりベッドで夢の中の生
活をしてるから、「真夜中に帰る不良高齢者」の気分である。でも、楽しく美味しい一日だったなぁ。
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12月 2日(土)晴れ
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(身欠き鰊のつけ焼き、炒り豆腐、小松菜お浸し、ご飯、味噌汁、
飲むヨーグルト、オレンジ)770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165円
珍しく食欲無し。でも完食
誕生日がまた来たみたい!
昼 明石町「ダイニングルーム」B定食(海老と茸の汁そば、黒豚焼売、青菜と湯葉の和え物、アイスコーヒー)
1210円
寒くなってもA先生のオートキャンプ熱は益々熱くって感じ。館山の夕陽(A先生撮影)
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(鰤の照り焼き、牛肉の八幡巻煮、ブロッコリーサラダ、春菊の生姜和
え、ご飯、味噌汁、マスクメロン)1870円、麦焼酎
昨夜遅い夕食後タクシーに乗る時、明美さんから重い紙袋を手渡された。今朝朝食後開けてみてビックリ!
「バカラ」の太っちょ猫ちゃんやら薔薇のプリザーブドフラワーやら「榛原」のレターセットやら・・。えーー!
困っちゃう!えーー!嬉しい!また誕生日が来たんか!って感じであるぞ。A美さん、ありがとうご
ざいました。甥から四谷の本宅に届いた郵便物・DM物を纏めたレターパックが送られて来た。ドッサリ入っ
た郵便物・DM物を開封して行く。すると様々な課題が明確になって行く。長らく使用していない四
谷の置き電話を解約すべきだろうか・・そう言えばガラケーとアイパッドの解約未だやっていないなぁ・・
どこで手続きするんだっけ・・3月中旬はどこに旅しようか、・・母校への寄付はいくらするか・・
使用用途は何に指定しようか・・お歳暮送らない人に年末用のハム・ソーセージ送ろうか止めようか・・生
活して行く上ではたくさんの選択とたくさんの決断をしなくてはならない。大きなことだけでなく、
小さいことも大事だから。夕食は鰤の照り焼きだった。父が亡くなりひとりで年越を始めてから大晦
日に必ずと言う程食卓に並べたのは鰤の照り焼きだった。ひとり好きだから特別に寂しいと思ったこ
とは無い私だが、1人の食卓でも季節や行事に合わせてそれなりのモノを考えて食べていた。毎年大晦
日には新宿に行き、紀伊国屋書店で本を買い、中村屋でカリーライスを食べてから伊勢丹の地下で年末年始
の買い物をした。「久しぶりに食べるから鰤、目出度い時食べるから鯛」といつも同じことをつぶや
きながら買っていた。丼作者の私は今夜作ったのは鰤の照り焼き丼。そのままやんか!ハハ、すまん。
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12月 3日(日)晴れ
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(焼きはんぺん、焼きたらこ、南瓜と鶏そぼろ餡掛け、カリフラワーお
かか、ご飯、味噌汁、飲むヨーグルト、バナナ)770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー
165円
はんぺんは何を考えているんだろ
昼 明石町「ダイニングルーム」アラカルトメニューから 中華そば880円、青菜のお浸し275円、アイスティ165円
栄養バランスの観点からお浸しも注文
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(ふぐの唐揚げ、擬製豆腐と野菜の煮物、ささみ・きゅうり・ど
んこの胡麻酢和え、江戸菜のお浸し、ご飯、味噌汁、苺)1870円、麦焼酎
ひとり暮らしが始めてそろそろ40年近くなる。仕事ばかりして、それ以外の家事だの何だの面倒な
ことは親任せというか頼りっきりだったが、親に死なれてみて「しっかりしなくちゃ!自分でやら
なくちゃ!」ということが現実のものとなった。確定申告の書類を作るなんてことから、ほつれたス
カート(もう十数年前から履いていないが)の裾を慣れない針持って祭縫いするとか、トイレットペーパーや
洗剤やトイレタリー製品などを買い置きするとか、役所に粗大ゴミの申し込みをするとか大きなことから小
さなことまで、自分で全部しなくてはならなくなった。それは今も続いている。毎日毎日続いている。
やらねばならないことをどうやってこなすか。A5サイズのメモ紙にやるべきことを箇条書きし、やる度
に消して行く。そうやってボーッとしている自分に忘れないようアラームを出し、やりたくないことも避
けて通れないよう自分を叱咤激励するメモなのだよ。今日のメモには「パクパク日記作成」の他に「荷造
り忘れない」の項目も。来週木曜日出発の旅の荷作りだ。今日は珍しくサクサクと働いていて、気づく
と旅支度まで終えていた。明後日まででいいのにさ。そんな私を母親に見せたいな。褒めてくれる
だろうか。夕食のメインのおかずはふぐの唐揚げだった。ダイニングルームのこの値段ではふぐは天然なワケは
無いが、それでもふぐの唐揚げ丼は焼酎によく合った。しっかり働いた今日のご褒美のようだった。
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【今週の振り返り】
月曜日、2歳下ではあったがカタカナ会社の同僚だったS本健氏が亡くなった。多くの人は健さんと呼ん
でいたが、私はずっと健ちゃんと呼んでいた。私は武蔵小金井駅、健ちゃんは荻窪駅を利用していた
から、遅くなった中央線で一緒に帰ったことが何度もある。50年近く昔のことだから細かいことは覚
えていないのだが、彼はとても若い頃結婚した奥さんとは別居と言うか、実質離婚している状態だっ
た。喧嘩別れしたという感じではなく、奥さんの希望でそうしているようだったが、長く正式に離婚
しようとはしなかった。ある夜、健ちゃんにどうして離婚しないのか聞いてみた。「それはね、彼女
が経済的に自立出来るようになるまで待ちたいから」と言うのが答えだった。それまでにはもう少し
時間がかかるのでそれまでは待つんだ、と健ちゃんは言う。神出鬼没で器用に立ち働く日頃のイメージ
とは全く違う彼が持つ信念にも似た優しい思いやりだった。
八王子の出身で、彼のお母様は私の高校の大先輩だった。私は都立になった男女共学(でも男と女は
1対3だった)になってから入学したが、お母様の時代は府立第四高女だったから多摩地区の女性で
はトップクラスの学校だったと思う。正式に離婚されてから、健ちゃんはY子さんという素敵な伴侶を得
た。優秀な男の子2人に恵まれ、国立に一軒家を持たれた。入居前に、四谷三丁目の私のマンションで使
っている「カッシーナ」のソファが新居用に欲しいモノと同じようなので見せて、と我が家に来られたことがあ
った。その頃はカタカナ会社でもいろんなことがあってストレスが溜まり、飲まずにはいられない時代でもあ
った。健ちゃんともよく飲んだ。ヤケ酒グチ酒のように見えたが、今考えるといつだってとても楽しい
飲み会だった。そうこうするうちに、健ちゃんは常務だったか専務の席を捨てて、転職した。P社で
も彼は常務後に専務になった。数年後、退任して料理学校に通おうかと思っていた私は健ちゃんに呼
び出される。正確に言えば、私が滞在していた「山の上ホテル」に健ちゃんが訪ねて来たのだ。経過は省
略するが、暫くして私もP社で働くことになってしまっていた。全く働くつもりは無かったこともあ
って、2年間経たないうちに退任してしまったが、その時も健ちゃんが助けてくれた。
P社で働いていた後半は病気ガチだった私だが、退任して翌日からすっかり健康体になった。健ちゃん
もどの位後だったか覚えていないが退任し、のちにライバル企業の社長になった。エンターティンメントと関係の深
い企業だったから、エンタ大好き&仕事大好きな健ちゃんはイキイキと働いていたらしい。そんな健ちゃんが
今週月曜日に亡くなった。会長職を辞してからも、頼まれるといいですよと何社も引き受けて、亡く
なる数日前まで引き継ぎなどをしていたと聞く。9月2日に超久しぶりに健ちゃんとY子さんに会って、
そのうちにまた一緒に飲みに行こうと思っていた矢先に逝ってしまった。しかし、夫人のY子さんに
伺ったところでは、「やりたいことはすべてやったから思い残すことは無い」とキッパリ言っていたそう
だ。健ちゃんは仕事を精一杯楽しむ人生を送って来たが、仕事を辞めてから人の数十倍も遊び暮らし
ている私は彼のように「思い残すことは無い」と未練なく言えるか甚だ不安である。そうせねば、と
は思っている。健ちゃんのようにせねば、と思っている。健ちゃん、安らかにお眠り下さい。
今週は水曜日に脚本家の山田太一さんも89歳で亡くなった。先週も亡くなった作家伊集院静氏のこと
をこの欄で書いたのだが、伊集院氏とは2度会ったことがあるとはいえ、それはおでん屋さんや和食の
店でたまたま居合わせたという偶然の話しだった。しかし、山田太一さんとはしっかり会ったことがあ
る。会ったどころか、打ち合わせをしながら会席料理を一緒に頂いたことがあるのだよ。
TBSのドラマ「ふぞろいの林檎たち」が初めて放映されたのは1983年5月だった。山田太一さんが原作・
脚本を担当し、主題歌はサザンオールスターズの「いとしのエリー」だった。大学大衆化に伴って社会問題となっ
た学歴差別を背景としていた。1983年のパートTは架空の四流大学に通う落ちこぼれの大学生3人の青
春を描いていた。ある日私が担当している調査会社(いくつも兼任していた仕事のひとつ)にドラマの
脚本を書く上で相談に乗って欲しいとTBSから連絡があった。1985年3月からのパートUでは3人の大
学生が就職するが、四流大学卒業生が実際どんな仕事に就いているのかデータベースで知りたいということ
だった。指定された料理屋の座敷で、M谷君と私は調査データ集を山のように持ち込んで山田太一さんと
テレビ局のディレクター(だったと思う)とあぁでもないこうでもないと話しあった。もっぱら大学生3人の
うち一人中井貴一演ずる仲手川吉雄の就職先が俎上に上がった。その結果、彼は宅配会社の空港近くの
物流センターで働くことになったことを後にドラマを観て知ることになった。大和運輸に宅急便が誕生したの
は1976年で、佐川急便と共にドライバー職はキツイ仕事だが高収入を得られると若い人の間で話題になって
いたこともあって、私が「宅配会社はどうでしょうね」と言った記憶がある。そんなことがあったから
か、ドラマの打ち上げに招待されて、人生たった一度のテレビドラマ打ち上げパーティを体験した。ずっと忘れて
いたのだが、山田太一さんが亡くなったことで、いとしのエリーのメロディと共に、私の記憶が呼び覚まされ
た。因みにドラマ「ふぞろいの林檎たち」は1997年4月から7月までのパートWまで続いた。いずれも高視
聴率を記録した。合掌
アタイも悲しいニャァ
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