岡山県・☃雪・鳥取県・☃雪・島根県・広島県そして兵庫県有馬温泉♨
のれんの町・勝山 温泉番付「西の横綱」湯原温泉 日本三古泉の有馬温泉
2月 13日(月)東京も岡山津山市も曇り
松本零士氏死去(享年85歳)
東京810人、重症者18人 全国9372人、死者130人
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(焼きはんぺん、焼きたらこ、鶏肉と野菜の煮物、しんとり菜の柚
香和え、ご飯、味噌汁、飲むヨーグルト、パイナップル)660円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コー
ヒー165円
昼 新幹線車内にて 今半」すきやき重弁当 1780円、お茶
アイルトン・セナはここに泊まった 湯郷温泉で立ち寄り湯
岡山県津山市に到着 津山城址見学は石段多いので私含む4人はパス
城址からすぐ近くのシロヤマテラス津山別邸に今日から2泊する
夜 岡山県津山市・シロヤマテラス津山別邸「シェフズダイニング咲楽」料理長おすすめ懐石(湯葉豆腐ほうれ
ん草ピューレかけ、オードブル盛り合わせ、お造り盛り合わせ、うちわハギと伯州美人の和風ズッパ、
赤鰈糀焼き、なぎビーフ鉄板焼き、もくず蟹の炊き込みご飯、味噌汁、漬物、デザート)、麦焼酎
「麦じゃがぁ」ボトル
6時起床。今日から3泊+2泊6日の旅に出る。どうして+で繋がるのか。3泊はツァー参加で、解散
後ひとりで2泊するから。ユメコがよく思いつくパターンである。ツァーのタイトルは「名店3軒と温泉三昧
冬の旬菜とザ・シロヤマテラス津山別邸」という長いモノだが、要するに立ち寄り湯しながら地元で評判の良
い店で旨いモノ食べて中国・山陰地方を早回りというものだ。集合場所は岡山駅。空便も考えたが新
幹線で行くことに。東京駅駅弁売り場朝8時半に行くと崎陽軒のシウマイ弁当は既に売り切れ。お願い
だから倍の量を仕入れしておくれ!仕方なく倍以上の値段の「岡半」すき焼き重を買った。岡山駅
には参加者12人と添乗員のO田さんが集合。バスで先ずは湯郷温泉に向かう。湯郷温泉は「岡山県
美作三湯」のひとつで別名「鷺の湯」と呼ばれているとか。近くでレースがあった時、世界的大人気
だったF1レーサーのアイルトン・セナが泊まったという旅館の前を通った。大分県の長湯など以前はよく楽し
んだが、今回立ち寄り湯は面倒なので私は入らない。岡山を訪れていた鶴瓶の「家族に乾杯」のビ
デオを観たり、温泉街をブラブラしたりして待っていた。朝からどんよりした天気で旅期間中の雪が
心配だ。とっても温まったわよ、と皆さん上機嫌で帰って来られ、岡山県の北部に位置する津山に
向かう。津山は大昔から美作国の中心地として栄え、あの森蘭丸の弟忠政が18万6500石を拝領
して津山城を築いた。森家断絶後は越前松平家が10万石で入封し、現在も人口約10万人の岡山県
第3の町だ。今日最後の観光は津山城址見学だったが、下から見ると溜息が出そうな石段が続き、
私も含めて4名はパスしてすぐ近くのシロヤマテラス津山別邸にチェックインした。客室からも津山城址はよく見
える。先週まで行っていた「淡路島」と表紙に書かれた小冊子があるので不思議に思ったら、この
ホテルは「ホテルニューアワジ」の経営なのだとか。夕食はホテル上階にある「シェフズダイニング咲楽」で料理長おす
すめ懐石を頂いた。つい麦焼酎「麦じゃがぁ」のボトルを取って、ついほぼ飲んでしまった。シマッタ!
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2月 14日(火)津山は雪が降ったり止んだり
豊田章一郎氏死去(享年95歳)
東京2232人、重症者17人 全国3万2420人、死者191人
朝 津山市・シロヤマテラス津山別邸「みまさかキッチン」朝食ヴュッフェ1320円
昼 シロヤマテラス津山別邸「ミマサカ」カルボナーラセット2800円、ケーキとコーヒー(サービス)
カルボナーラは殆ど残した
午後のお茶 「城西浪漫館」コーヒー
中島病院旧本館は今「城西浪漫館」と言う道の駅とカフェに 朝ドラ「あぐり」ロケ地
津山はだんじりが盛んな町で「津山城下町歴史館」でだんじりを見学
5万石から10万石になった時の大名行列の絵 晴天下の津山城址
夜 津山市「旅館あけぼの」鴨鍋コース(先付け:菜の花お浸し・天豆・小鰯、蛸のぬた、鴨鍋、鴨
鍋蕎麦、アイスクリーム)
ホテルの最上階には「百々温泉」という美人の湯があるそうだが、私は部屋のシャワーで十分だ。朝食は1
階「みまさかキッチン」で7時から朝食ヴュッフェが始まる。宿泊者は1320円という信じられない料金だ。
にも拘わらず、おにぎりを握ってくれる年配の女性が待機していたり、じゃが芋ゴロゴロのカレーも具
だくさんの豚汁もあったりとかなりの充実ぶり。つい好物の納豆カレーなどをワシワシ食べてしまったの
だが、食後はどうもお腹が落ち着かずトイレ通い。昨夜の焼酎飲み過ぎがイカンかったか。今日午前中は
津山市東側の城東地区徒歩観光で9時45分集合。準備して集合場所に行ってみるも、あと1、2回
トイレに行かなくてはイカンかも、という状態だ。う〜む、どうすっかなぁ。よし、午前中の観光は止め
て午後にしよぅと決めて部屋に帰る。結局トイレには行かずに済んだので、ホテルの回りをブラブラ歩いて
みたが、エラク寒い。ランチは自由食だったが、ホテル周辺には津山名物のホルモンうどんを昼提供するような店
は現在無いらしい。私はあってもホルモンなんてゼッタイ食べないので昨夜からホテルのランチを予約した。一番
軽そうなカルボナーラのセットを予約したのだが、そのカルボナーラが異常な程柔らかい。茹で時間を間違えて倍
の時間茹でちゃった、って感じでフォークで巻いているうちに柔らか過ぎて切れてしまう。グチャっとし
て美味しくないので3口食べたところで止めた。皿を下げに来た女性に残した理由を正直に伝える
と、暫くしてからお詫びとケーキとコーヒーが運ばれて来た。帰る時にはシェフが出て来られて、地元の小麦
粉を使った平打ちのようなうどんを利用していると弁明があった。午後の観光は城西地区。津山は
だんじりが盛んな町で「津山城下町歴史館」では24台あるというだんじりの一部を見学。大正6年
に建てられた中島病院の旧本館は現在「城西浪漫館」として道の駅やカフェとして利用されていた。建
物の前には朝ドラ「あぐり」のロケ地とあった。作家吉行淳之介と女優吉行和子さんの母親あぐりさん
のドラマ好きだったなぁ。カフェで皆さんとお茶を飲んでから私はタクシーを呼んで貰い、早退することに。
ホントに協調性に欠ける我儘な参加者だわなぁ、私💦。ただホテルに帰るのではツマラナイので、午前中欠席
した城東地区をゆっくり走って貰い、遅まきながらひとり観光した。夕食は10分程歩いて旅館「あ
けぼの」へ。津山で一番古い旅館で名物鴨鍋のコースを食べるのだ。仲居さんがすべて鍋を作ってくれ
るので、こちらは出されたものを食べれば良い。鴨も良いが、香りの良い芹や出汁がとても旨い。
今回ご夫婦1組以外10名は全員女性ひとり参加。北九州、高知、松山、大阪、名古屋などから個性
豊かな女性(私より年下2名のみ!)ばかり。話面白く酒を飲まなくても十二分に楽しい。無酒日
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2月 15日(水)津山も勝山も鳥取県倉吉も島根県松江も激しく雪が降ったり止んだり
東京1858人、重症者16人 全国2万8432人、死者165人
朝 津山市・シロヤマテラス津山別邸「みまさかキッチン」朝食ヴュッフェ1320円
津山最後のプログラムは「衆楽園」と「津山郷士博物館」見学
岡山県真庭市勝山の町並み保存エリア「のれんの町として知られる
橋の下は高瀬舟船場跡 高瀬舟は海辺と山間の物資輸送を担った
ここは出雲街道中町 谷崎潤一郎は疎開地を津山から勝山へ
昼 岡山県湯原温泉「米屋」和牛御膳3850円
夜 島根県松江市「いと賀」のどぐろコース(先付け:合鴨・黒豆・慈姑・子持ち昆布・茗荷、海鼠卸
し、数の子とサーモン粕漬け、帆立真丈海老芋などの粕汁、お造り:ノドグロ・鯛・大トロ、ノドグロ塩
焼き、ノドグロ煮付け、合鴨の揚げ浸し、蒸し寿司、苺とキンカンとアイスクリーム)、ノンアルコールビール
今日は朝8時出発ということで5時半に起きた。雪と寒さで悪天候が予想されるし、岡山県から鳥
取県、さらに島根県へと移動距離も長い。7時オープンと同時に朝食ヴュッフェ。この宿は朝食だけはとて
も美味しかった。2泊もしたが、津山観光は未だ終わらない。 津山最後のプログラムは「衆楽園」と
「津山郷士博物館」見学。「衆楽園」は津山藩主森長継が17世紀半ばに京都から小堀遠州流の庭師
を招いて築いた大名庭園。「衆楽園」と名付けたのは森氏に代わって入封した松平氏である。今日
もボランティアガイドの方の案内だったが、「津山郷士博物館」ではつい熱が入り過ぎて予定していた出
発時間に遅れてしまった。次の目的地は津山から西に向かって岡山県真庭市勝山へ。途中激しく雪
が降って1時間弱の徒歩観光は雪で転倒しないかと心配だったが、勝山に着いた途端に雪は止み青
空も見えた。久しぶりのお客様だとムチャ張り切っておられる観光協会の女性の案内で約500mの勝山
町並み保存地区をゆっくり歩く。雛祭りやだんじりが盛んな勝山だが、この数十年「のれんの街」
としても知られるようになった。地元の染色家と相談して作り上げた思い思いののれんが各戸にか
けられていて実に楽しい。戦時中津山に疎開していた谷崎潤一郎はある時からここ勝山に移った。
宇宙人とも言われた鳩山由紀夫氏の曽祖父鳩山和夫もこの藩の出身だ。案内女性の熱意で観光時間
は遥かにオーバーして(常にこうなる)昼食時間が遅くなる。湯原温泉に移動するまで激しい雪が降
り、昼食場所の「米屋」にはバスの運転手さんに支えて貰ってソロソロとやっとの思いで入ったほどだ。
希望者は食事の前に温泉に入られたが、感想を聞くと「寒かった」そうだ。温泉番付「西の横綱」
湯原温泉と宿の案内にはあったが、温泉番付っていろいろあるから真偽の程はよくわからん。昼食
は自分で焼く千屋牛や揚げたて天ぷらなど豪華。千屋牛は柔らかくてとても美味しい!午後雪は更
に激しくなり、蒜山(ひるぜん)高原を超えて鳥取県に入る。白壁土蔵群で知られる倉吉市に到着
しても雪は降り続けている。私はパスしてバスの中で本を読んでいた。倉吉市は53代横綱で佐渡ケ嶽
親方琴櫻の出身地でもある。さぁ、今日最後の目的地島根県松江に向かおう。日本海を右手に見な
がら走る頃には雪は止んだ。松江駅前にあるエクセル東急ホテルにチェックインし、今日も徒歩で夕食場所の「い
と賀」に行く。2品目に出たのは好物の粕汁。実だくさんでカラダが温まるし、美味しいなぁ。旅行
会社は「ノドグロを中心に」とオーダーしたとかで、お造りで、塩焼きで、そして煮付けでとノドグ
ロが3度も登場。脂が乗ったノドグロは美味しいが、こう続くと「too mach!」状態。ノドグ
ロ煮付けと合鴨の揚げ浸しはO田さんに食べて貰った。今日も飲まなかったぞ!凄いだろ。無酒日
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2月 16日(木)松江と奥出雲は曇り 広島県福山と兵庫県有馬温泉は晴れ
東京1454人、重症者16人 全国2万1263人、死者135人
朝 松江市・エクセル東急ホテル「MOSORO」朝食ヴュッフェ2200円
小さなノドグロの開きもあったヴュッフェ ホテルは松江駅前
国宝松江城 小船でのお濠巡りも人気 松江歴史館へ
この鎧兜がお出迎え お茶で知られる不昧公 松江歴史館は広々とした畳敷
「ごうぎんカラコロ美術館」
昼 奥出雲「たち花」懐席コース(湯葉コゴミ山女魚の出汁ジュレ餡かけ雪の泡のせ、ズワイ蟹と舞茸真丈
と季節野菜の吸い物、お造り:カンパチ・億出雲サーモン・岩魚、地鶏と野菜と飯蒸し味噌のポンカン釜
牛蒡新芽揚げと葉ソース添え、高原トマト出汁セロリムースキャビアのせ、奥出雲合鴨の低温(45度)ロースト
ワイン山椒と蜜柑のソース、ニタ米の炊き込みご飯、赤出汁、蕗の薹味噌と大根ダイチ漬け、菜の花アイス
と人参ケーキ)
奥出雲から広島県福山まで2時間半のドライブ
「奥出雲おろちルーフ」゚を走る 3つ目に見た城は福山城 新幹線が止まってしまい💦
夜 有馬温泉・VIALA annex有馬六彩 日本料理「澪里」幸コース1万3200円(焼八寸、ふぐの造り
てっさ、とらふぐ唐揚げ、セコ蟹贅沢盛り、てっちり鍋、ふぐ雑炊、香の物、甘夏蜜柑と苺)生
ビール小と麦焼酎「黒閻魔」ボトルで5665円
月曜日から始まった中国地方を回る旅も今日が最終日。雪と寒さの中で温泉と旨しモノを求めて、4
県を一筆書きしている旅である。朝食ヴュッフェで美味しかったのはしじみの味噌汁だけだったが、昼
もご馳走なので食べ過ぎずに良かった。多くの人は荷物を宅配便で送られたが、私は今夜から有馬
温泉だから送らない。今朝は先ず松江城の「松江歴史館」へ。バスを降りた場所は松江城のお濠巡
りの小船乗り場。2年前だったが、隠岐の島と玉造温泉の旅の最終日にこの小船に乗ることになっ
ていた。もっとも小船に乗るには私の膝では姿勢的に無理なので乗らずに待っているつもりだった
が、3夜目に40度近い熱が出て最終日の朝ツァーを離団。ナゼか飛行機もスイッと乗ることが出来て帰宅
後PCR検査したら陰性だった、なんてことがあったな。松江城は5つしかない国宝のお城の一つで
遠目で見ても実に堂々として美しい。「松江歴史館」で松山城の歴史などを学ぶ。関ケ原の戦いの戦
功で出雲24万石を与えられた堀尾忠氏によって築かれたが嗣子なく3代で京極氏26万石が入封し
たがこれも続かず、1638年からは信濃松本藩から松平直政が18万6千石で入封して明治まで続い
た。松江の殿様と言えば、「不昧公」の号で知られ大名茶人として名高い松平治郷。不昧公のお陰
もあって、今も松江は和菓子が盛んだ。次に「ごうぎんカラコロ美術館」へ。旧山陰合同銀行北支店の
建物を美術館としていて、1階には絹谷幸司の大きな作品を中心に展示され、2階は松江ゆかりの
版画家の作品が展示されている。警備員1名が常駐しているだけでとても静か。作品はとても少な
いが入場無料で撮影禁止だった。松江から南に移動して昼食場所の奥出雲へ。山深い道をズンズン進
むのだが、途中、松本清張の作品「砂の器」で殺された男の勤務地・島根県仁多町亀嵩(かめだ
けと読む)の近くを通りかかる。小説では、同地は出雲でありながら東北弁のようなズーズー弁を使
っていたことが判明し・・なんてストーリーなのだが、私は映画化された作品を3回も観てしまったよ。
大学の友人イトちゃんのお父さん橋本忍プロで製作した映画だったこともあり。昼には素晴らしい晴
天になった。昼食を摂る「たち花」のご主人は、昨夜夕食を摂った松江一と称される「いと賀」
で修業されたことがわかった。能書き好きのご主人で2時間の予定だった食事時間は2時間半に。
これから広島県の福山まで行くので気が気でなかったが、両備バスが頑張って何とか20分遅れで
福山に到着。5時過ぎの新幹線には間に合う。とはいえ混雑回避のため駅のかなり前でバスを降ろ
されてしまった。駅で解散!しかし、大変だったのはここからだった。午後3時過ぎから車両故
障で新幹線が各駅で停まっていた。偶然尾道から東京に帰る途中で新幹線に乗車中のクロイワからライン
が来て2時間半遅れと嘆いている。有馬温泉での夕食の予約時間は7時15分。ホテルに連絡して事
情を説明し、何時まで待ってくれるか問い合わせる。幸い1時間遅れで新幹線が動き出し、ホテルに
到着したのは7時45分!コートを着たままレストランに行き、生ビールでひとり乾杯!はぁ〜、シンド!最近、
こんなことが続くなぁ。2日間も禁酒したこともあって、麦焼酎「黒閻魔」ボトルをグビグビっと。
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2月 17日(金)有馬温泉は晴れ
東京1272人、重症者16人 全国1万8456人、死者133人
朝 VIALA annex有馬六彩 日本料理「澪里」和朝食膳3300円
洋室スィートルームは83平方メートルと広々 客室の風呂は金の湯
太閤に因む瓢箪型4段お重 4段をバラすとこんな感じ それに焼き魚がつく
ホテルの裏は杉ケ谷行宮跡 魔除け・邪気払い役の鬼瓦 舒明・孝徳二帝が3回行幸された
有馬温泉寺町界隈 有馬温泉銀の湯 廃屋の庭先で白梅が満開!
少年法然上人おちえいただく勢至丸 奈良時代温泉寺を建立したのは行基?
念仏寺は秀吉の妻ねねの別邸跡と伝えられている 聖徳太子が建立したとされる極楽寺
昼 有馬温泉「有馬ごんそば」三つのり(韃靼十割蕎麦・信州十割蕎麦・信州二八蕎麦盛り合わせ)
2400円
1時間3300円の家族風呂は銀の湯だった
夜 VIALA annex有馬六彩「リストランテアルトゥーラ」Vistaコース1万2100円(ヤリイカの炙り菜の花のピュレ 蕪
の燻製マリネと旬の柑橘フルーツ添え、帆立貝柱ムースと桜海老の長芋かるかん風筍のサルターレ、スパゲティーニ
真鯛と山菜のアクアパッツァ風、オマール海老とキャベツのヴァポーレ カリフラワーのピュレ、グラニテ、国産牛フィレ肉
の炭火焼きアスパラガスのインパナートとチーズソース、白いガトーショコラとラズベリーのセミブレッド温かいショコラソース
と共に、カモミールティ)、赤ワイン「サッシカイア ヴィダルベルト2017」1万9800円
ペロリと食べました
前回に続き、VIALA annex有馬六彩は洋室スィートルームを借りた。83uと広く、バルコニーは卓球台を4,5
台置ける程の広さだ。しかも温泉付きで栓を捻ると金の湯である赤い湯が出て来る。昨今は大浴場
には行かないで部屋の温泉で済ませることが多い。朝食は8時から予約制の和朝食膳3300円を「澪
里」で。太閤に因んで瓢箪型の4段お重が出て来た。これをバラして並べているところに鯛の焼き物
も届く。おかずが多過ぎか。VIALA客専用のラウンジでゆっくり朝刊を読む。月曜日から忙しかったか
ら、こんなのんびりした午前中が有難い。斜面に旅館がへばり付くように建てられている温泉地だ
から、温泉街を歩くということは坂道を上ったり下がったり。上る時は良いが下がるのは膝悪人間
には要注意だ。これまで行こうと思いながら坂道が難で諦めていた蕎麦屋に行こうか歩き出したの
だが、途中にはいつも行く「有馬ごんそば」もあって、「今日もここでいいや」と安易な気持ちにな
り、蕎麦屋新規開拓は次回ということに。メニューに悩みながら韃靼十割蕎麦・信州十割蕎麦・信州二
八の蕎麦盛り合わせである三つのりを注文。最初は真面目に食べ比べをするも、だんだん面倒にな
って来て、あっちをズルズル、こっちもズルズルとどれがどれやら。帰りにホテルの庭園側出入口前にある
炭酸煎餅の店に寄るつもりだったが、ナゼか門は閉まったままだ。この出入口横には石碑が建ってい
て「杉ケ谷行宮跡」とある。7世紀半ばに舒明天皇と孝徳天皇が家来を引き連れて、3回に渡り有馬
温泉を訪れて行宮に11ヵ月も滞在されたのだそうだ。そんな場所に建っているホテルに泊まって私は
焼酎なんて飲んで酔っ払っているワケだね。午後3時から家族風呂を借りた。行ってみると7、8人
一緒に入ってもゆったり出来る程の大きな湯船で、透明な銀泉だった。普段ならカラスの行水なのだ
が、1時間3300円で借りたので我慢して10分位浸かっていて疲れてしまった。夕食はイタリアン。旅
行中もずっと和食が続いたので、ヨコメシとワイン選びなども新鮮。いつだったか行ったことがあるイタリ
アのサッシカイアがあったので、それを飲むのもいいな。今夜は、料理もワインもとても美味しかったのだ。
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2月 18日(土)有馬温泉は曇り 東京は晴れ
東京1146人、重症者13人 全国2万7467人、死者134人
藤井聡太五冠棋王戦2戦目連勝し、六冠に王手
朝 VIALA annex有馬六彩 ザ・ダイニング「万彩」朝食ヴュッフェ2695円
昼 ANA伊丹空港=羽田 プレミアムクラス機内食
旨くない・・残す
夜 明石町「ダイニングルーム」B定食(チンジャオロースー。豆腐焼売、青菜と茸の和え物、鮭とフカヒレのスープ、
ご飯、漬物、(桃饅頭)、せとか)1760円、麦焼酎
5泊6日の旅も今日が最終日。早く起きて、客室の金の湯をザブザブと浴びてから朝食へ。このホテル
の朝食開始はナンと7時半からとかなり遅い。イラチだから10分前に行って待っていた。大きなお盆を
持って料理を取って行くヴュッフェは苦手なのだが、ここではお盆を載せられる補助車を貸してくれた。
サンキュ!湯豆腐も納豆もカレーもあって良いぞ。たっぷり取ったお豆腐に、これまたおろし生姜をたっ
ぷり載せて食べる。旨い!客室の広いベランダからの眺めが好きだ。有馬の温泉街の向こうに童話っ
ぽいカタチの山がたくさん見える。その奥にも山また山という牧歌的な感じがいい。昨日売店で購入
した炭酸煎餅や有馬山椒が入ったドレッシングなどをスタッフの方に手伝って貰ってダンボールに詰めた。合計
で30位あったのでダンボールギリギリ。入って良かったよ。有馬温泉からタクシーに乗ると、伊丹空港まで
は新神戸駅まで行くのとそう差はない。土曜日ということもあってスイスイと進み、ジャスト30分で空港
到着。東京から「飛行機+タクシー」2時間前後で有馬温泉に行くことが出来る計算だ。舒明・孝徳天
皇や秀吉など有馬温泉を愛した方々は、難波や大阪から牛車や籠や馬で来られたのだろうが、今は
東京からでも2時間と聞いたら怒るだろうね。6日も留守にすると荷物や郵便物もドッサリ。これを片
付けるのに時間がかかる。今日は渡辺棋王に藤井五冠が挑む棋王戦第2局だったが、藤井五冠が連
勝した。5番勝負だからあと1勝で史上最年少六冠が誕生する。藤井五冠このところ後手番で3連
敗していたが、今日の後手番勝利は大きな転換になるかも。渡辺名人棋王は藤井五冠に2勝14敗!
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2月 19日(日)曇り
東京992人、重症者13人 全国1万4162人、死者48人
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(赤魚の焼き物、しらす納豆、青梗菜おかか、ご飯、味噌汁、飲
むヨーグルト、バナナ)660円、納豆220円、「鍵屋」のちりめん山椒、コーヒー165円
「鍵屋」は由布院亀の井別荘の売店
昼 明石町「ダイニングルーム」B定食(鶏入り汁そば、もち米団子、小海老サラダ、アイスティ)1210円
午後3時開演「清水ミチコリサイタル 〜カニカマの夕べ〜に行った
夜 紀尾井町・ホテルニューオータニ「大観苑」(2人で)大観苑前菜プレート2800円×2、四川風スープ1000円×
2、烏賊とセロリ炒め小3300円、牛フィレ肉の黒胡椒炒め4500円、四川麻婆豆腐2600円、小ご飯
300円×2、フルーツ杏仁豆腐1000円×2、あまおう胡麻団子3ケ1500円、焼売(土産)2ケ7900円
2人で4万5659円
今日もアラカルトチョイス。良いチョイスだった
午後2時、オジョーが迎えに来てくれた。彼女と会うのは実に2年2ヶ月ぶり、アメフットチームがライスボウルで
日本一になった試合で会って以来だ。今日午後3時開演予定の「清水ミチコリサイタル 〜カニカマの夕べ〜」
を楽しみにLINE CUBE shibuyaに行く。旧渋谷公会堂はすっかり新しくなっていた。広い地下の
駐車場で降りてエレベータで上って来ると、会場の出入口はすぐそこだ。これまでの4回はいつもオジ
ョーが買ってくれたが、今回のチケットは私が購入した。6列目の左側のベリーグッドな席でラッキーした。予
定より少し遅れて始まったリサイタル。いつものようにずっと笑いっぱなしで、休憩無し(ご本人は着
替えなどされたが、観客はビデオを観てずっと笑っている)で午後5時過ぎまでピタリ2時間!今回
で5回目の清水ミッちゃんコンサート。何度でも来たい・見たい・聞きたい・笑いたい。さて、今夜の食
事はどこに行こう。彼女の車があるからホテルで食べる方向で何か所か電話を架ける。鮨→満席、麺
処→日曜夜営業無し、天ぷら→満席ということで席に余裕があったホテルニューオータニ「大観苑」を予約。
ここで約1ヵ月前にヒカル夫人М智代さんの7回忌法事の食事会をやったばかりだ。コースはシンドイので、
いつものようにアラカルトから5種類の料理と小さなご飯、それにデザートで量も丁度良かった。麦焼酎
のボトルを預けることが出来た。オジョーとは久しぶりなので話は尽きないけど、帰りも送って貰った。
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【今週の振り返り】
今週水曜日岡山県津山観光の仕上げに「衆楽園」に向かった時、ボランティアガイドの男性が、誇らし
げに「この道をもう少し行った左側にある鶴山中学には、最近女子駅伝で大活躍している中学生
ドルーリー朱瑛里ちゃんが通っています。ご本人は注目され過ぎて戸惑っているようですよ」と言っ
たと思うと「皆さん、今見えている建物は津山商業高校ですが、ここには先日М1グランプリで優勝
したお笑いコンビの「ウエストランド」の2人河本と井口が通っていたのですよー」と最近の津山出身者
が注目されていることを嬉しそうに語っておられた。確かに「時の人」が2人(1人と1組)も
いるって凄いかも。スレンダーな美少女が、駅伝で次々と前を走る選手達を抜いていた。牛蒡抜きだ。
10数人も抜いた美少女にメディアはたちまち夢中になった。そんな騒ぎをドルーリー朱瑛里ちゃんは嫌
って、最近レースに出て来なくなった。そうか、彼女はすぐそこの中学校に通っているのだなぁ。こ
うなったら先週の淡路島に続いて、ご当地津山輩出の有名出身者もチョッコシ書いてしまおうかな。
朝ドラ「カムカムエブリバディ」のスタートは岡山が舞台だったが、2代目のヒロインるい(深津絵里)は高校を
卒業すると岡山から大阪に出て来た。更に京都に移り住むことになったが、彼女の夫となったオ
ダギリジョーは津山市出身なのである。B‘sのヴォーカルの稲葉浩志も津山出身。その他にも、アナウンサ
ーから司会者となった押坂忍(私は彼と結構仕事上でお付き合いがあった)、そして「その日の
まえに」や「とんび」、「流星ワゴン」など名作小説を多数書いている作家の重松清がいる。人口
10万人規模の地方都市で、これほど有名人を輩出しているって珍しくないか。そもそも津山の
殿様からして、美少年のイメージがムチャ濃いあの森蘭丸の弟ってところから始まっているからなぁ。
父が退職金で家を建てたのが東京近郊の小平市。当時のサラリーマンの定年は55歳だった。小平に住
むようになって2,3年経った頃、我が家と道路を隔てた土地に平屋建ての家が建った。やがて
その新築の家に引っ越して来たH本家は幼い男の子がいる若夫婦だった。同志社大学で知り合
って結婚したそうだが、夫は岡山県玉野市出身、奥さんは北海道の稚内出身だった。陽気な夫
婦で、たちまち我が家と仲良くなった。幼いマサキ君は起きるとすぐパジャマ姿で我が家にやって来
た。毎朝である。「オバチャーン、ご飯!」と言いながら家に入って来ると、母にご飯を作らせて当
然のように食べていた。私の両親は孫のように彼を可愛がった。やがて奥さんのR智子さんは
2人目を身籠ったが、体調が優れず入院することに。マサキちゃんを預かりながら母は毎日R智子
さんを病院に見舞いに行った。その数ヶ月後無事生まれたのがヨシキちゃんだった。孫が2人に
なった・・・岡山玉野市からご主人のお母さんが何度も訪ねて来たし、ご主人の従妹のトシコち
ゃんが池袋の大学に合格して2年程下宿していたこともあった。トシコちゃんは当時岡山市や津山
市で何軒もあるお鮨屋を営む家のお嬢様だった記憶がある。現在は著名な筝曲奏者であり、世
界の孤児の支援活動なども幅広くされていると聞く。そんなお付き合いがあったから、我が家
も何となく岡山には縁がある気がしていた。次兄が結婚する時の仲人はH本夫妻だったし、ヨ
シキちゃんの岡山市で開かれた結婚披露宴には、私達3人兄妹がお招き頂いて、長兄は主賓スピ
ーチ、私は「愛の賛歌」を歌わされて💦。お母様がご高齢になられ、勤務していた会社も一区
切りついたところで家業の酒屋を継ぐため一家で玉野市に帰られたが、そのお家にも泊まら
せて貰ったこともある。だいぶ前に未亡人になられ、ここ数年ご連絡が無いのが心配ではあ
るのだが。
平成元年度の新入社員の件で、ランニングクラブ担当の部長から相談があった。高卒の社員選手が
多い中で初めて大卒の選手が入社して来る。その選手の職場を私の担当部署でお願い出来な
いかというものだった。S木博美という高卒選手を2年前に引き受けていたから2人になっ
ても同じだな、と承知した。あの時の国体の開催場所は忘れたが、ランニングクラフ所属の選手達は
出身県の代表として国体に出場していた。S木博美は千葉の代表だったが、大卒の新入社員
は出社日の月曜日(原則週一出社だった)の昼休み、ぼんやりとデスクに座っていた。「あら、
あなたは国体行かなかったの?」と声をかけると「私、岡山県出身なんですけど、県からは
声がかからなくて・・弱いから・・」「そっか。でも大丈夫だよ、真面目に練習していれば
そのうち強くなって、大きなレースにバンバン出られるかもしれないじゃない、元気出して。ね
っ!」と特に確証も無く彼女を慰めた。その私の無責任な慰めは、まさにその通りになって、
彼女は2回もオリンピックに出場し、銀メダルと銅メダルを獲得してしまったのである。その時国体
に出られずにションボリしていたのは、有森裕子さんである。彼女の2回目出場のアトランタオリンピッ
クには、私もアメリカまで応援に行った。岡山からは有森選手のご両親も来られていて、競技場
に入って来た彼女を一緒に応援した。
考えてみれば、岡山との縁は60年も前からあったのだった。
オイラも短距離ニャらニャァ
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