パクパク日記23年3月3週

         前半は伊豆グルメを貪っていたのに、後半は絶不調でダウンした

 

 伊豆長岡の三養荘庭園  六冠+一般棋戦グランドスラム

              

3月 13日(月)東京も伊豆も雨 午後止む

                 東京313人、重症者8人、全国3233人、死者48

朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(鮭のつけ焼き、

 

  

 お天気がねぇ・・😿

 

昼 伊豆高原「ミクニ伊豆高原」海の輝きコース(本日のアミューズ:豚肉のパティ、パンとオリーブオイル、伊東産真

鰯のマリネ 伊豆産花山葵のお浸し 伊豆高原育ち西洋タンポポとクレソン ルッコラのサラダ、伊東漁港直

送鮮魚の炭火焼きブールノワゼット伊豆産菜の花と葉にんにくのソティ蕗の薹とオニオンヌーヴォのベニエ、伊豆

産柑橘のタルトシブースト、朝霧高原卵のバスク風チーズケーキ三島人参エビスのアイス、コーヒー、小菓子)

 

  

       雨がバシャバシャ降る中、踊り子号で伊豆高原へ。駅近くの「ミクニ伊豆高原」でランチ

 

  

                朝からの風雨で停まっていた大室山のリフト動き出す

 

          晴れていたら、こんな景色も。山焼きも見応えあるらしいよ

 

           城ヶ崎まで随分歩かされた。伊豆大島など伊豆七島のいくつかが見える

 

    ようやく下田に到着              今日から2泊下田東急ホテルに宿泊

 

夜 下田「地魚寿司 竹寿司」造り盛り合わせ2200円、もずく酢600円、お好み鮨:鯵、小肌、地

金目、中トロ、穴子、生ウニ、玉子焼き、羽生烏賊(ばしょういか)2貫、麦焼酎ロック3

11825円(添乗員Tさんの分もね)

 

 死球を与えたチェコ選手にお菓子でお詫びの朗希君

 

WBC4連戦をこれ以上望めない上々の成績で終了し、私は今日から「美味しい旅」に出る

のだが、問題はお天気だ。西の地方は既に雨が降っているし、これから向かう伊豆地方も

確実に雨と予報が伝えている。東京はいつ降りだすか。是非10時過ぎにお願いしたいも

のだと出かけたのだが、920分には早くもポツポツと。チェッ!東京駅から数十年ぶりに踊

り子号に乗る。これでもグリーン車かと思うシンプルな作りだったが、料金が安いもの仕方ない

ね。10時定時出発。特急と言いながら、よく停まりますなぁ。雨は更に激しくなり窓に雨

が打ち付けるから景色は全く見えない。2時間強で伊豆高原駅到着し、下車。52年前にこ

の駅を利用したことがあるが、とんでもなく様変わりしていた。大阪から来た添乗員と参

加者、関東からの参加者11名が揃って雨の中を「ミクニ伊豆高原」へ。駅から見える近さな

のだが、それでも丘の上にあるので意外と距離はあった。先月岡山から中国地方を回った

ツァーでご一緒したT板さんと同じテーブルでランチ。本店の「オテルドミクニ」や札幌の「サッポロニクニ」、

それに会員である病院にある「ミクニマンスール」は何度も利用している。今年の夏も北海道のど

こかにあるミクニのレストランに行く予定だ。いったい何店あるのかは知らないけどアチコチに相当の

数ある。もっとも本店の「オテルドミクニ」は建物老朽化のため昨年暮れで一旦休業し、1年後

にはコジンマリしたレストランにするらしい。この伊豆高原は建物の設計を隈研吾さん(ここもかよ

〜〜ってウンザリする程多い!)が設計してオープンしたのだそうだ。肝心の料理であるが、アミュ

ーズからデセールまでどれも印象に残るものは残念ながら無かった。しかし、食べている間に

雨が止んでくれたからいいか。午後は天然記念物の大室山にリフトで頂上に行く予定だが、風

が強く寒そうなので私はパス。その辺を散歩し、大室山が4000年前噴火した火山なのだな

ぁ、伊東の大地とか城ヶ崎海岸はその時出来たのかぁ、なんてことを少し学んでおった。

次に行った城ヶ崎海岸はどうやって出来上がったかを学んだので是非見たいと思ったのだ

が、駐車場でバスを降りてから坂道を15分以上も歩かされ、ヘトヘトになってしまったよ。今

日から2泊する下田東急ホテルにチェックインしたのは515分。ここの来るのは42年ぶりだ。

今夜は自由食。添乗員のT林さんの発案で近所の鮨屋に行くことになった。タクシー3台に分

乗して。11人なので食べたい握り鮨を事前に注文した人も半分位いらしたが、席についた

途端「おまち!」って出てきてしまってね。私は鮨屋でいつもするようにツマミを食べながら

焼酎を飲んで、地元のもずく酢も注文。あとはお好みで鮨ネタをいくつか握って貰った。下

田と言えば地金目鯛が有名だが、特に美味しいことも無い。一番美味しかったのは羽生烏

賊(ばしょういか)!ネットリした烏賊で食べるのは初めて。羽生を「はぶ」でもなく「はに

ゅう」でもなく「ばしょう」と読むってのも面白いよなぁ。美味しくて、ついお替り!!   

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3月 14日(火)伊豆下田は晴れ 風強し

                 東京開花宣言

                 大江健三郎氏今月3日死去(享年88歳)

                 東京988人、重症者7人、全国10323人、死者64

朝 下田・朝食ヴュッフェ3052

 

  

午前中は徒歩観光をサボリ、11時からタクシーでグルリと下田の名所旧跡を回る。ペリーはここから上陸

 

 300人の部下を引き連れてペリーが歩いたとされるペリーロード          三島由紀夫が愛したマドレーヌの清月堂

 

    碁盤の目のような下田市内      吉田松陰渡海企ての跡がここ        ハリスの住まいにもなった玉泉寺

 

昼 下田・寝姿山(下田ロープウェイ)山頂「THE ROYAL HOUSE特別ランチセット(デザートとコーヒー付き)

 

  

 寝姿山山頂まで下田ロープウェイで23分。こじゃれたカフェ「THE ROYAL HOUSE」で地元食材満載の特別ランチセット

 

  女性が寝ている姿に似ているから寝姿山。ロープウエェイはバストトップ辺りに着く(キャッ!)

 

                 伊豆七島の多くが頂上から眺められる

 

              黒船型の遊覧船で下田湾内クルーズ

 

                   吉田松陰が密航を企てた弁天島はここ

 

 下田東急ホテル「マ・シェール・メール番所」下田東急ホテル開業60周年記念ディナー「食で旅する伊豆半島」

伊豆産栄螺の香草バター焼ブルゴーニュ風、伊豆半島名物明日葉と富士山サーモンのキッシュ桜ソース、地元で

愛される「はんば海苔」を浮かべたコンソメスープ、下田産伊勢海老と南伊豆野菜の直売所「湯の花」

の野菜を使ったコトリヤード番所スタイル、希少な伊豆牛フィレの低温調理磯香るヒジキ入りマディラ酒ソース伊

豆産の温野菜添え、東伊豆の「きめし」炙り地金目鯛に三つ葉をあしらったココットライス、南伊豆

産天草で作った心太黒蜜ヴァニラアイス添え抹茶のエスプーマ、ハーブティ)ワインペアリング:伊豆スパークリングワイ

ン爽輝2020、伊豆信濃リースリング辛口2020、伊豆プティ・ヴェルド2018

 

  

中村直人料理長の下田東急ホテル開業60周年記念ディナー「食で旅する伊豆半島」を愉しんだ

 

 美味しゅうございました

 

今日の午前中の予定は、ホテルの送迎シャトルバスで市内に行き、下田ならではの歴史的名所を徒歩で巡る

というものだ。徒歩かぁ・・そんなに歩けないしなぁ。明日午前中は半休しまーす、と断って朝食

後もゆったりと。下田は何度か来たことがあるのだが、昔過ぎて殆ど覚えていないから名所旧跡に

行ってもいいという気持ちはある。11時前にタクシーを予約して気の良い運転手さんの案内で、たぶん

2時間前皆さんが見学した辺りを観て回る。1853年浦賀沖に黒船が来て、翌年締結された日米和親

条約が結ばれた結果、下田と函館の2港を開くことになった。そんなことでペリーは下田に滞在して

和親条約の細則を定める交渉をここで続けたのだよなぁと170年前のことに思いを馳せる。吉田松

陰と金子重輔がアメリカの船に潜り込んで密航を企てたが発覚してしまったが、これが成功していたら、

なんて考えるのも面白い。その後下田に来たハリスが住んだという玉泉寺に行ってから、待ち合わせ

場所のロープウェイ乗り場に行き合流した。頂上には豪華列車ロイヤル・エキスプレスのカフェである「THE ROYAL 

HOUSE」があってこれまたお洒落なランチを摂る。「ななつ星」などのデザインで知られる水戸岡鋭治氏

の組子細工内装が素敵!素晴らしいお天気でレストランテラスからは伊豆七島の多くの島が眺められた。午

後は黒船遊覧船に乗って下田湾のクルーズを楽しむ。20分間ではちょっと物足りないが、気持ちの良

いクルーズだった。今夜はホテルでの晩餐。昨年10月下田東急ホテルは開業60周年を迎え、中村料理長に

よる記念ディナー「食で旅する伊豆半島」がワインペアリングと共に供された。中村料理長は私も何度も行

っているザ・キャピトル東急ホテル「ORIGAMI」の料理長を務めた方。下田近辺や伊豆半島の魚や肉、野菜

などをふんだんに使った料理で、例えば地元で愛される「はんば海苔」を浮かべたコンソメスープは珍

しくとても美味しい!フレンチなのにパンの代わりに東伊豆の「きめし」炙り地金目鯛に三つ葉をあし

らったココットライスというのも面白い。心太黒蜜ヴァニラアイス添え抹茶エスプーマのデセールとワインまで大満足!!

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3月 15日(水)下田も西伊豆も晴れ 風強し

                   東京816人、重症者7人、全国9405人、死者53

朝 下田東急ホテル「マ・シェール・メール番所」朝食ヴュッフェ 3052

 

  

     皆さんは魚市場の食堂で金目鯛尽くし定食、でも私とS藤さん夫妻はホテルでヴュッフェ

 

唐人お吉はここで生涯を終えた      伊豆の長八美術館        日本の左官の力を結集した美術館

 

 天皇陛下も来館された       漆喰の仕組みがよくわかる      これだけの道具を使って!!

 

 伊豆の入江長八氏              春暁の図(1875年)      ランプ掛けの龍(1875年)

     

     あさばの龍           富岳旅愁(1872年)        美術館入口までのアプローチ

 

 なまこ壁が美しい       バルセロナで活躍中の石彫家外尾悦郎氏「老人と子供」

 

昼 西伊豆・土肥「LOQUAT前菜盛り合わせ、ボンゴレのスパゲティ、人参のリゾット、ティラミス、コーヒー

 

  

          土肥「LOQUAT」でイタリアンランチ(リゾット写真撮影忘れ)

 

  

               3600メートルのロープウィイに乗って標高452mの葛城山山頂へ

 

        今夜は伊豆長岡にある三養荘に宿泊。新館と離れの客室にわかれた。私は早蕨の間

 

  ベッドがある和洋室を要望した。ただシングルベッドは硬いし、枕も低く過ぎて寝ずらい! 浴室隣の化粧の間

 

 温泉源泉かけ流しの浴室は調子が悪く、夕方ようやく直る           食事処まで100m歩かねば・・

 

夜 伊豆長岡・三養荘「懐石料理 雄峰」懐石コース(旬菜:桜海老キャベツ煮びたし・白竜髭菜豆腐・

茸木の芽味噌がけ・桜花長芋・カラスミ大根・菜花金目鯛巻き・天豆塩茹で、お椀:アイナメ葛叩き、

お造り盛り合わせ、真鯛のしゃぶしゃぶうどんと野菜添え、鰆桜塩釜焼き、和牛と筍照り焼

き添え、新馬鈴薯と飯蛸、和牛サーロインステーキ、蒸し鮑・蛍烏賊酢味噌がけ、桜海老炊き込みご

飯、留め椀、香の物、フルーツと桜餅など盛り合わせ)、オールフリー800

 

  

 

今朝のスケジュールは、650分に出発して金目鯛の水揚げ作業を見学し、その後市場の食堂で金目鯛

尽くしの朝食を食べるというもの。毎朝シャワーを浴びたり髪を洗ったりする習慣だから、ってことは

5時起きか?う〜む、行かないことにしよう。それでも5時半には起きたけどね。朝食会場に一番

に行くと、S藤ご夫妻もいらして「出発が早過ぎますよね」と3人で笑ってゆっくり朝食を摂った

のだった。下田漁港の「金目亭」では金目鯛尽くしの朝食だったそうだ。チェックアウトしてバスは西伊豆

方面に向けて走る。バスガイドさんがハリスの妾だったお吉の悲劇を思い入れたっぷりに語り、唄い・・。

松崎の「伊豆の長八美術館」に到着。初めて知ったのだが。松崎は漆喰芸術で知られる左官の神様

「伊豆の長八」こと入江長八氏を輩出したのだそうだ。左官による鏝絵なら大分県安心院(あじむ)

を見学したことがあるが、あそこの鏝絵と「伊豆の長八」の作品ではレベルが違い過ぎるか。左官の

神様と崇められながら、本格的に絵師としても学び、繊細な作品を多数残した。この美術館は、全

国の腕利きの左官の方々が技を結集して造り上げたものだそうだ。皆さんは「なまこ壁」の民家が

残ることで知られる松崎の町を見学散歩に行かれたが、私は美術館に残ってゆっくり長八の世界を

味わった。ランチは土肥にある鎌倉の「タケル・クィンティチ」の2軒目としてオープンしたイタリアン「ロクワット」で。

「アロマフレスカ」で料理長を務めた大関シェフのコースを頂いた。「ロクワット」はイタリア語で「枇杷」の意。午後

「伊豆パノラマパーク」でゴンドラに乗って452mの葛城山に上る。駿河湾を見渡せる碧テラスに行ったが、富

士山に雲がかかって残念。今夜の宿「三養荘」には午後3時過ぎ到着。旧三菱財閥創始者・岩崎弥

太郎の長男久彌の別荘として昭和4年建てられた建物と庭園を活かした旅館で、「静岡の迎賓館」と

して皇室を始め要人の方々が宿泊して来た由緒正しき宿である。私は新館(と言っても既に30年は

経っているけど)の和洋室(デラックスタイプ)早蕨の間で広さは91u以上あるらしい。掛け流し温泉内

湯が付いているが、お湯が半分位しか張っていない。スタッフに聞いてみると温泉を溜める装置の調子

が悪いそうで直るまで随分待たされた。全敷地は3万坪あるそうで、どこに行くにもかなり歩かね

ばならない。夕食は午後6時から食事処「雄峰」で。そこまで100m以上は悠にあるから10分前

には部屋を出ないとね。T板さんの部屋は広い庭園の奥にある離れ「高砂」で、大浴場に行くだけ

で庭園の中で迷子になったそうだ。夕食の懐石コースだが、4品目に真鯛のしゃぶしゃぶとうどん&野

菜添えが出てきて、これでほぼお腹が一杯になってしまう。うどんと野菜は不要でしょうに。そん

なことでそれからの料理は半分も食べられなかった。期待していただけにガッカリだ。だからと言う

わけではないが、今夜は飲まないことに。因みに現在「三養荘」はプリンスホテルグループである。無酒日

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3月 16日(木)西伊豆も東京も晴れ 

                   東京680人、重症者8人、全国7665人、死者48

                   侍ジャパン93でイタリア代表を下し、準決勝進出! 

 

  

           京都の庭師・小川治兵衛による3000坪の日本庭園を早朝散歩した

 

朝 伊豆長岡・三養荘「懐石料理 雄峰」和朝食膳、コーヒー

 

  

  

  

    「鎌倉殿の13人」の主役北条義時が建立した北条寺。観音菩薩座像、阿弥陀如来座像、牡丹鳥獣文繍帳がある

 

この山の上に北条義時の墓がある     義時の父親北条時政が建立した願成就院には何体もの運慶の作品がある

 

昼 修善寺・中伊豆ワイナリーシャトー「ナパバレー」前菜盛り合わせ、カリフラワーのポタージュスープ、ハコ豚のポルペッ

トトマトソース、パン、デザート、コーヒー

 

   修善寺郊外の丘の上にある中伊豆ワイナリーヒルズの中の中伊豆ワイナリーシャトー

 

      カラオケ「シダックス」で知られるオーナーの志太ワインコレクションセラーには全年度のオーパスワンやロマネコンティなどが

 

                 最上階のレストラン「ナパバレー」でランチを頂く

 

 

 明石町「ダイニングルーム」A定食(カンパチの西京焼き、煮豚、ブロッコリーサラダ、千枚漬け、ご飯、お吸

い物、苺)1760円、麦焼酎ボトル3300

 

  

      準々決勝はイタリア代表との対戦。懐かしいピアザが監督     仲良しフレッチと

 

 午前3時には出発!

 

どうも調子が悪い。昨夜夕食後は客室で過ごしたのだが、エラク寒いなぁとずっと感じていた。

エアコンの温度も上げたのだが、何せ広い部屋だから効き目が無いようで。ならは早く寝ようと

思ったのだが、ベッドは狭いし硬いし、バスタオルで調整しても枕は低過ぎて、ちっとも眠れない

のだ。結局、2時間程ウトウトしただけで朝5時半になってしまった。客室に温泉があるのは超

便利で起きたらすぐ温泉を楽しめる。ただ、ここの浴室は寒々した感じで入浴中に風邪悪化

なんてことになると困るわなぁ。昨日は温泉故障の修理を待っているうちに夕方になってし

まったので、着替えて荷物の整理をしてから庭園の散歩に出かける。それにしてもこの庭園

の素晴らしさはどうだ!3000坪の庭園の中央には池が配された小川治兵衛の手による日本庭

園が広がっている。四季に咲き競う花は今、沈丁花や木蓮の花。その向こうに本館、こちら

には離れの建物が。タイミング良く、鶯がどこかで鳴いていた。まさにこの庭園は「日本の芸術」

やねぇ。8時から昨夜と同じ場所で朝食。キャリーケースを宅配で送ってから最終日午前中の観光へ。

先ずは「北条寺」へ。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主役となった北条義時のお墓があ

る北条氏の寺だ。ご住職は、昨年の鎌倉殿フィーバーで「観光客にはウンザリ」って感じで、檀家と

事前予約した人以外の一般の見学は断っているとのことだった。しかし、次に行った政子と義

時の父親時政が建立した願成就院では、運慶作の阿弥陀如来坐像など5体があり、代理の方だ

ったがとても丁寧にご説明頂いた。このツァー最後のプログラムは、中伊豆ワイナリー「ナパバレー」へ。ク

ネクネした細い道を上がって行ったところに現われたのが富士山をバッグにした10ヘクタールのぶどう

畑とワイナリーシャトー。シダックス創業者志太勤氏が作ったワイナリーなのだとか。自慢のコレクションを見た後、超

カンタンな見学と試飲。国内ワイナリーに来た時はいつもそうしているように、兄にワイン4本、兄嫁に高

級な葡萄ジュースを送った。この頃から洟水が止まらなくなり、涙もポロポロ、クシャミもバンバン。ランチ

4階にある「ナパバレー」でなかなかのランチコースだったが、風邪だか花粉症だかの症状がツラクて食

欲がわかない。ゆっくりのランチの後は修善寺駅に向かい、午後339分発の踊り子号に乗る。

席がバラバラだったのでしっかりご挨拶が出来なかったが、いろいろお世話になりました。帰宅

して夕食後準々決勝のイタリア戦を観ていても、風邪だか花粉症だかの症状がツラ過ぎて起きていら

れない。あんなに夢中で観ていたWBCの準々決勝なのに試合が終わる前にベッドに倒れこむ。大

勝してくれたから安心して。侍ジャパンは試合を終え真夜中にチャーター機でフロリダに向かったそうだ。

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3月 17日(金)曇り のち雨

                  東京631人、重症者6人、全国6914人、死者38

朝 明石町「ダイニングルーム」B定食(無塩トマトジュース、フライドエッグ、キャベツ炒めとソーセージ、サラダ、トースト、飲

むヨーグルト、パイナップル、コーヒー)660円、「後藤屋」のこだわり卵の自家製タルタルソース

 

 洟水が止まらんぞ、咳も涙も・・

 

昼 明石町「ダイニングルーム」A定食(おにぎり:鮭・梅・(昆布)、うずら団子と野菜の煮物、和風サラ

ダ、具だくさん汁、コーヒー)1210

 

  

 昨日オジョー母娘が届けてくれた

 

 明石町「ダイニングルーム」A定食(すきやき鍋、ホタルイカと和布の木の芽味噌がけ、江戸菜のお浸し、

黒豆、ご飯、ジョナゴールド)1760

 

  

 今夜の会食は延期して貰った・・

 

昨夜は倒れ込むようにベッドに入ったが、寝ていても咳は出るし、鼻を何度もかまねばならないし

と忙しく安眠出来ず。寝る前に熱を測ると374分。熱があるとも言えないが、無いとも言えな

い微妙な体温だった。今朝は368分で、もっと微妙だなぁ。風邪なのか、それともこの年で花

粉症なのか、それとも超下火になった新型コロナなのか。洟水が止まらないので、始終洟をかまない

とならないし、涙ポロポロも相変わらずだ。朝と昼ダイニングルームで食事するだけで、大騒ぎだった。今

夜はS君と食事に行く約束をしている。彼とは何年も会っていないし、約束したのも2ケ月程前だ。

そんなことで延期や中止は言い出しにくいが、この状態で何時間も酒を飲んだり、食事をしたりは

考えにくい。しかも、風邪だった場合、S君に移してしまう可能性大だし。加えて予約している店

に当日のドタキャンは全額お支払いする必要もあるし、申し訳ないしなぁ。しかし、いつまでもグズグ

ズ悩んでいられない。S君にメールしたが、返事が来ないので電話した。私のカスレダミ声を聞いただけで

「延期しましょうか」と言って貰って助かった。約1ケ月後の約束をする。今夜の店の近所に住む甥

のヒカルに友人を誘って2人で好きなモノを食べて貰うことにしてお店にもその旨を伝えてお詫びをする。

イカン、その前に美容院の予約もしていた。こちらは3日後「必ず治してから行く」と約束して延期し

て貰った。風邪もイヤだが、後期高齢者になって半年の今になって花粉症もご勘弁だ。いったいどちら

なのか。また熱が上がったので、カロナールを飲んで就寝。明日は今日よりよくなりますように。無酒日

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3月 18日(土)雨のち曇り    貴景勝も休場し、横綱・大関不在の場所に

                  東京627人、重症者6人、全国7123人、死者33

朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(厚揚げの焼き物、大根の鶏そぼろあんかけ、青菜の生姜和え、

ちりめん山椒、ご飯、味噌汁、飲むヨーグルト、オレンジ)660円、納豆220円、「封印」わさび漬

け、コーヒー165

 

  

 

昼 明石町「ダイニングルーム」A定食(鉄火丼、南瓜のいとこ煮、白菜のお浸し、お吸い物、アイスティ)

1210

 

  

 

夜 明石町自室にて 卵トーストサンド、スパイシーチキン、牛肉コロッケ、「クノール」のコーンスープ

 

  

 玉三郎の歌舞伎を諦めてコンビニ夕食

 

木、金と2日続けて睡眠不足だったこともあり、昨夜は結構眠れたようだ。熱も昨夜よりは下がっ

たが平熱ではない。朝食後の薬に、カロナールを追加した。旅や熱絡みのこともあって大相撲の3月場所

のチェックが疎かになっていたが、先場所からただひとりの大関として頑張っていた貴景勝が怪我で休

場。ナンと横綱も大関もいない場所になってしまった。寂しい限りだが、休場ばかりしていた白鵬と

鶴竜のお陰で、これに近い状態に社会やファンも慣れてしまっている。イカンねぇ。洟水と涙はかなりマシ

になったが、代わりに咳に痰が絡むようになって、咳き込むとシンドイ。でも、これまで罹った風邪を

思い出すと快癒期に差し掛かっている感じがする。明後日はゼッタイ外したくないお昼の約束があるの

で、明日一日で治さねば!今夜は歌舞伎座の3部に行くことになっている。玉三郎の「髑髏尼」と

愛之助の伊左衛門と玉三郎の夕霧の「廓文章 吉田屋」だから是非行きたい。席は1階1列22番。

つまり、最前列のど真ん中である。しかし、行くわけにはいかないわな。ここで無理したら、月曜

日は出かけられない。諦めた。しかし、そんな席を空席にしたら玉三郎さんに申し訳ない。住まい

のスタッフの中で行きたい人を探して貰うことになった。楽しんで来て下さいねー。携帯用ティッシュペーパ

ーを大量に買うため隣のファミマに行った。今夜歌舞伎座の予定だったから夕食の予約をしていない。

ファミマでついでにスパイシーチキンと牛肉コロッケ、サンドイッチを購入して夕食にすることに。これでいい。無酒日

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3月 19日(日)晴れ       WBC準決勝アメリカとヴェネゼラはアメリカが激戦の末逆転勝利

                  棋王戦第4局藤井五冠が勝利し、最年少六冠誕生! 

                  NHK杯優勝し4つの一般棋戦すべて制覇のグランドスラム!

                  東京549人、重症者6人、全国5909人、死者21

朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(五穀粥→ご飯、赤魚の焼き物、高野豆腐と野菜の煮物、香の物、

飲むヨーグルト、キウイ)660円、味噌汁275円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165

 

 熱は下がったが、咳がね・・

 

昼 明石町「ダイニングルーム」B定食(コーンチャウダー、オムライス、サラダ、黒豆黄な粉のアイス小、コーヒー)1210

 

  

       A先生撮影(品川区)                    K岩撮影(江戸川区)

  

 明石町「ダイニングルーム」A定食(鶏肉のもろみ味噌焼き、海の札の梅肉あんかけ、麦入り山芋ま

んじゅう、ほうれん草の柚香和え、ご飯、お吸い物、デコポン)1760円、麦焼酎

 

  

          棋王戦第4局藤井五冠が渡辺明棋王に勝利し、最年少の六冠が誕生! 

 

               今日放送があったNHK杯決勝でも藤井五冠が勝って優勝!4つある一般棋戦すべて制覇!

 

カロナールのお陰か安定した平熱に。ただ痰が絡む咳が時折出ると止まらなくなるのはツライ。「快癒予定

日」と決めた(私が勝手に)明日には何とか間に合いそうだ。それも嬉しいが、花粉症から逃れ

られたのは行幸という他ない。眠れぬまま「あぁこの年でこの年で花粉症とは悲しかり」なんて

念仏のように呟いていたが、それも免れ心底ホッとしている。既に花粉症に悩まされている方々に

は申し訳ないが。3年以上世界中を苦しませた新型コロナウィルスだが、数少ない良いこともあった。そ

れは「風邪引き女」の私がこの間、一度も風邪を引かなかったこと。生涯でこれほど長く風邪を

引かなかったのは初めてのことだ。マスクをして手洗いやうがいをしていたお陰だよね。さて、今日

は将棋ファン(いえ、藤井ファンでした)として待ち焦がれた日でもある。棋王戦の第4局が日光市で

開かれているのだ。正直なことを言えば、渡辺名人・棋王はカラキシ藤井五冠に弱いから、第3局で

棋王奪取するとお思っていたのだが、珍しく藤井五冠のポカがあって決着は第4局まで持ち越した

のだ。「今日こそは!」と夕方から待っていたが、午後725分渡辺棋王が132手で投了!ここ

に羽生九段が持っていた242ケ月の最年少六冠の記録を208ケ月と大幅に更新して達成!今

日午前中放映のあったNHK杯決勝戦も藤井五冠が勝利。4つある一般棋戦のすべてを制するグランド

スラムを達成!恐ろしき20歳!来月からは渡辺明名人に挑戦する名人戦7番勝負も始まる。早くも

七冠の声も・・・渡辺明名人ドキドキだね。お祝いに2日間止めていたお酒も再開してひとり乾杯。

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【今週の振り返り】

 

あれは1981年昭和56年のことだっただろうか。母が19805月に67歳になったばかりの若さ

で亡くなった。私は32歳だった。兄2人は結婚してとうの昔に独立していたから、母がいなく

なってからは、激務の仕事をこなしながら父の食事の世話なども私の役割になった。最愛の母が

いなくなり、超苦手な父とふたり暮らしになったことが私の大きなストレスだった。それが1番の原

因だと思うが、私は体調を大きく崩した。午後になると微熱が出て、夕方には378分、9分に

なる。毎日だ。それが数ヶ月続いた。心配してくれた方々から大きな病院の診察を受けるよう紹

介状を頂いた。どこで検査しても、診察を受けても原因はわからなかった。そんな時上司のI田

さんから電話を頂いた。「転地療養したらどうだろう」と提案してくれた。「え?転地療養って

「風立ちぬ」の世界ですか?私も涼しい高原のサナトリウムに行くって感じですかね、節子みたいに?」

なんて軽口を叩いて叱られた。

 

転地療養、良いかもしれない。しかし、私が選んだのは涼しい高原のサナトリウムではなく、伊豆半島

の下田のホテルだった。暖かい地で海を見ながら、美味しい魚を食べて・・いいじゃないか。あの頃

は「一休ドットコム」も「じゃらん」も無かったから、宿泊施設を探すのが大変だった。ナゼその順番

だったのかは覚えていないのだが、最初に予約の電話をしたのはPホテルだった。「〇月〇日から〇

泊宿泊したいのですが・・」とここまではスムーズに進んだ。「お泊りのお客様のお名前と人数は」

と聞かれて、自分の名前と1人で、と答えた。問題はここからだ。「大変申し訳ないのですが、宿

泊のご予約は承ることは出来ません」と返答の内容がガラリと変わる。先程までどうぞどうぞ、と

いう感じだったのに、名前と1人と聞いただけで豹変したのはナゼなのか。驚いたのと納得が行か

ないので、私は執拗に理由をPホテルマンに聞き続けた。イライラした口調で答えていた彼は暫くしてこう

言ったのだ。「ですから、当ホテルは女性ひとり客のお泊りはお断りすることになっています。自殺

とかされる可能性も考慮しておりまして・・」エェッ!!!女性ひとり宿泊客は自殺しやすい???

そもそも自殺は女性に比べて男性の方が圧倒的に多いのに。開いた口が塞がらないほどの驚きだ

った。

 

以来、私はPホテルには泊まらないよう心掛けた。まぁ、たいがい泊まる時は一人だから、泊まろう

と思っても泊まれないことになったのだろうが。仕事は多忙を極めた。朝早くから夜遅くまで、徹

夜仕事も度々だった。そんなに働くのなら、仕事が終わったらすぐ帰宅して眠れば良いようなのだ

が、その日一日で溜まったストレスを解消したかったし、一仕事終えたことへのご褒美の意味でも、そ

の後のお酒は欠かせなかった。飲み始めたのも遅かったある夜、銀座のバーでそろそろ帰ろうかと

タクシーを呼んで貰うことに。親しくしていたバーのママは「明日朝また早いのでしょ。もうこんなに遅い

時間だからホテルに泊まったら?」と言ってくれた。その日に限らず、帰宅する元気が残っていない

時は、銀座8丁目にあるホテルに度々泊まっていた。そのホテルは満室でも私のために1室空けておいて

くれた。しかし、その夜はまさに満室だった。「私がホテル取るから」とママが電話を架けてくれた。そ

して怒り出した。「ですから、泊まられる方は大きな会社(それ程でも無かったけど)の大幹部

(身体だけ大だった)の方で、あなた方が心配するような自殺なんかゼッタイされませんよ!これほ

ど言ってもダメなんですか!じゃいいです!」ガチャッ!(受話器を置いた音)芝公園にあるPちゃ

んに電話したらしい。Pホテルで女性ひとり客の宿泊が断られる理由についてあちこちで話題になっ

た。Pホテルトップのオーナーが「そうしろ!」と指令を出したから、というのが真相らしかった(事実

はわかりません)。もしそれが事実だとしたら、オーナーの意向ということだけで、宿泊施設としてそ

んな理不尽な方針を守っていかねばならないPホテルで働く方々が気の毒でならないし、誰ひとり

異論を唱えないのかと言うことも不思議でならなかった。

 

話は1981年に戻る。どうお願いしてもPホテルが「それではどうぞ」と言いそうにも無いし、そん

な偏ったというかクレージーな考え方をするホテルで転地療養なんかするものか!とこちらから願い下

げにして他のホテルを当たることにした。それが下田東急ホテルだった。「〇月〇日から女性ひとりで〇

泊宿泊したいのですが」と最初から担当者に希望を言う。「お調べしますので暫くお待ち下さい

・・お待たせしました!はい、〇月〇日から〇泊、ユメコ様お一人でのご予約お受けできます。お待

ち申し上げております!」そして、私は下田の入江を見下ろす高台にある下田東急ホテルに滞在した

のだ。196210月伊豆で最初の本格的リゾートホテルとして開業して19年目、今から42年前のことだ。

この時、下田東急ホテルに何泊してどう過ごしたのか記憶はほとんど残っていない。たぶん56

したのだと思うが、この「転地療養」で私の病が癒えたワケではない。その後信州での本格的な転

地療養などを経て、ようやく快癒した。

 

 

下田東急ホテルは、晩年になった三島由紀夫が愛したホテルとしても知られている。1964年から自決す

1970年まで毎夏家族や友人と約1ケ月間同ホテルの2部屋を借りて滞在し、最後の長編小説となる

「豊穣の海」をここで執筆した。それ以外の作品でも下田を舞台にしたもの、同ホテルのプールをイメージ

して書かれた作品もある。三島由紀夫は下田を「サンクチュアリ(聖地)」と表現し、「下田は僕の夏の故

郷です」とも言ったそうだ。ご存知のように三島由紀夫は19701125日陸上自衛隊市ヶ谷駐

屯地で割腹自殺を遂げ、45歳の生涯を終えた。そんな三島は下田市内にある「日新堂菓子店」の

マドレーヌをとても気に入っていたことでも知られ、今でもホテルの売店にはこのマドレーヌが販売されてい

る。1962年に開業した下田東急ホテルは2017年リニューアルされ、昨年10月開業60周年を迎えている。

今回は42年ぶり2回目の滞在となった。

 

               3回目滞在の時は連れて行ってニェ  ヤダ! 

 

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