パクパク日記24年1月1

          元旦から台湾・日月潭で過ごし、水曜日夜帰国

【今日から2024年の始まり】

  能登半島で最大震度7の地震!輪島では大規模火災も発生し大きな被害!

   安住伸一郎アナウンサー一般女性と結婚

 

  

     台北101ビルのカウントダウン仕掛け花火。300秒で16千発の花火が炸裂

 

1月 1日(月)台湾台北・日月潭晴れ

朝 シャングリ・ラ ファーイースタン台北「カフェアットファーイースタン」朝食ヴュッフェ

 

 高速鉄道の席は17番!!!

 

昼 台湾日月潭・雲品温泉酒店「KEN CHAN」★★★ 三ツ星シェフKEN CANのコース(3種の前菜、ベジ

タリアン燕の巣茸入り、蓮根野菜のマカデミアナッツ炒め、椎茸と筍の茶葉煮込み、アミガサダケの野菜炒め、

椿油和えそうめん、季節のフルーツ、チーズパイ、白キクラゲと竜眼と梨のデザート)、酢ドリンク

 

  

  5年前も訪れたレストランは、三ツ星シェフのレストランに様変わりしていた!ムチャ旨い!

 

             3度目となるザ・ラルーにチェックイン。このホテルからの眺めが素晴らしい!

 

               レイクビュー83uのツインルーム。今回は501号室だった

 

       ザ・ラルーは台湾初代大統領蒋介石夫妻の別荘跡に建てられた高級ホテルだ。アウトドア温水プールもある

         

夜 日月潭 ザ・ラルー「東方餐庁」3人で)アミューズ、イベリコ豚・アスパラガス・ワイルドライスハーブオイルサラダ、キノコ

のスープトリュフオイル、アンガスビーフのカルビステーキ、ドライフルーツのチーズテリーム、シェフのお勧めデザート、カモミールティ)、

赤ワイン(ロバート・モンダミ カベルネ・ソーヴィニョン2021 ナパバレー 3080 NTj

 

  

 旅の間アルコールを飲んだのはこの夜だけ!エライ私

 

昨夜はカウントダウン花火を観るために夜更かししたが、今朝は早い出発のため4時半に起きた。元旦か

ら超寝不足!シャワーを浴びてパッキングを済ませバゲジダウン。今朝も1番を目指してレストランに行くと、先

客あり!ムム、1番奪われたかぁ・・。今朝は中華粥にピーナッツとピータン半分を入れて食べる。お粥には

付き物の油条も入れてみたが、あまり美味しくなかったので一片だけね。8時前に集合して台北駅

に向け出発。今日の台北はお天気イマイチのようだ。台湾高速鉄道に乗るのは5回目。日本の新幹線技

術の初の海外輸出案件だったが、開業までには様々なトラブルがあって数回延期され20073月台北

から左営まで正式に開業した。グリーン車は6号車のみでお菓子とお茶のサービスがある。日本の新幹線

と似ているとはいいながら、トイレに行くとアチャッ!って感じで。余りの極狭トイレに身動きするのがタイヘン

(笑)で。最初の駅が板橋で、目的地台中駅には1時間弱で到着。高速鉄道台中駅は台中市内から

はかなり離れた場所にあるので、これまではサビシケげな野っぱらにポツンとあった感じなのだが、こ

の数年台北や海外から移り住む人が多いことから高層住宅が続々と建てられて賑やかな雰囲気に変

わりつつあった。バスで日月潭に向かう。高度を上げるに従い寝不足の影響でうつらうつらと。バス

が停まったのはランチ場所日月潭の雲品温泉酒店だった。5年前もここでランチを摂ったのだが、その頃

は地元野菜を中心にしたヘルシーで素朴な料理のコースだった。然るに現在では三ツ星シェフになられたシェフ

陳偉強KEN CANのコースとなっていて、その料理の美味しさに嬉しい驚き!ベジタリアン燕の巣茸入りの

スープなんて永遠に飲んでいたい程だったよ。ここのディナーも是非食べてみたいぞ!大満足のランチを終

え、湖を3分の1周ほど移動してザ・ラルーにチェックイン。台湾初代総統の蒋介石夫妻の別荘跡10ヘクタールに

建てられた ホテルで、8階建て96室。昭和天皇が台湾を訪れた際にはこのホテルで休憩されたそうだ。

今回私の部屋は501号室。エレベータは長方形の客室の真ん中にあるのだがとても不思議な作りで01

室はエレベータの真ん前。つまり左端は02号室で030407まで続き、ここで01号室。その右側に

0809・・と続くのである。ナゼかわからんが、ま、一番近いので有難い。荷物の整理をしてヤレヤレ

と思ったところで、日本でとんでもない災害が起きていた!能登半島に最大震度7の巨大地震が襲

っている。しかも何度も何度も余震が続き、津波の恐れも!NHKBSを点けてみると、山内泉アナウンサーの

鬼気迫る「一刻も早く逃げて!」という絶叫めいた声に台湾にいる私まで腰が浮いた。5月にも大き

く揺れた能登半島。家族が揃った正月元旦の午後に巨大な地震が襲うなんて!被害が最小のもので

収まるようにと祈るばかりである。6時からホテルの洋食レストラン「東方餐庁」で夕食。今夜はA吉ご夫妻

と同じテーブル。初めてお話してみたら、隅田川を挟んで手を振れば見える程のご近所だとわかりビック

リ。旅では飲まない私が珍しく赤ワインを飲みながら互いの海外旅行体験や仕事の話など弾んだのだった。

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1月 2日(火)台湾日月潭は晴れ

  羽田空港で日航機と海上保安庁機が衝突し炎上!

日航機367人と乗組員12人全員脱出、海保機は6人中5人死亡

朝 日月潭 ザ・ラルー「東方餐庁」朝食ヴュッフェ

 

  

 日月潭クルーズ         ザ・ラルーがよく見える(高層建物は他のホテル)   蒋介石夫妻が休憩した四阿

 

             クルーズ途中で玄光碼頭で下船し30分フリータイム 茶葉で煮た卵が名物らしい

 

 スルーガイドのリンさんは有森裕子似だった   蒋介石が母を思って建てた「慈恩塔」    対岸の伊達部で下船

 

昼 日月潭 ザ・ラルー「ロビー・バー」クラブハウスサンドイッチ サラダとポテトフライ添え480NTj阿里山烏龍茶250

NTj、エビアン150NTj、台湾バナナ 計506 NTj

 

    

               クルーズ後の玄装寺と文武廟の観光をパスしてタクシーで帰る

 

         デカいクラブハウスサンドイッチにビックリ!半分をやっと食べる        このバナナは旨い!

 

               本を読むかは別として落ち着いた雰囲気の図書室

 

                  ランドリーに出した衣類はこんな箱に入って戻って来る

 

夜 日月潭ザ・ラルー「湖光軒」前菜盛り合わせ、ロブスターウニグラタンソース、佛跳墻(台湾式五目スープ)、豚の

角煮とパン、ハタのチキンスープ、チャーシューチャーハン茶油炒め、パクチーとマコモダケの炭火焼き(写真撮るの忘れ

ました💦)、フルーツと仙草ゼリー)

 

  

 

 佛跳墻が素晴らしい!

 

今日も早起き。このホテル、景色は素晴らしいし、部屋も広々して良いのだが、シャワールームの作りはいま

一つ。全面タイル貼りで掴まるバーは無いし、シャワーヘッドの支えも無いので何だか使いづらくてね。ボデ

ィソープ、シャンプーなどはポンプ型容器に入っているが、どれもストッパーがかけてあって取り外しが面倒。

しかも掃除の時、ご丁寧にすべての容器にまたストッパーが・・😿 ま、そんなことはどうでもいいか。

昨日の能登半島の地震のニュースが気になり、BS放送やネットで調べる。時間の経過と共に被害の大きさ

がわかって来て更に心配は増すばかりだ。秘密の通路を通って朝7時から始まるレストランへ。日月潭は

標高700m以上あるから朝晩はかなり冷える。卵料理とコーヒー類は注文制。ヴュッフェは中洋和の料理が揃

うが、パンの種類が多いくらいで料理の数や味は取り立てて魅力的でもない。中華粥にいつも助けら

れる感じだ。9時集合して日月潭クルーズに出かける。これも毎度の観光であるが、今日は朝から素晴

らしい晴天で湖の上から見る景色も楽しみだ。船が岸を離れると、何と言っても一番目につくのは

宿泊しているホテルザ・ラルーだ。小高い丘の上にあるので湖から見るのが一番だ。あの四阿は蒋介石夫妻

が散歩の途中でよく休まれていた、あの建物はクリスチャンの夫人のために蒋介石が造らせた教会、対岸の

高いところにある塔は、蒋介石が中国から連れて来られなかった母を思って造った「慈恩塔」・・と

言った具合に蒋介石だらけなのだった。対岸にある玄光碼頭で30分停泊し、フリータイム。港近くには名

物という茶葉で煮た卵が売っていて買って食べたT中さんの感想はラーメンに入っている温玉のような

味らしい。玄光寺までは石段をずっと上る必要があるので私はパス。こちらの芸人が賑やかに演奏し

ていた。再び船は出発。サオ族が住む伊達部で下船し、皆さんはバスで玄装寺と文武廟の見学に行かれ

るが、私は以前見学したので予約してあるタクシーでひとりホテルに帰る。玄装寺は三蔵法師の霊骨があり、

文武廟は文の孔子と武聖の関羽を祀っていると伝わっている。30分かけて湖を約半周したのにタクシー

600Nj(3千円弱)と安かった。今日のランチは自由食。「東方餐庁」はセットメニューしか無いのでいつ

も「ロビー・バー」で軽食を摂ることにしている。ところが、軽食とは決して言えないボリュームで、今日

も運ばれて来たクラブハウスサンドイッチの大きさに恐れおののいた。しかも2つあって💦1つ食べるので必

死だった。3時から90分のボディマッサージを予約している。とても指に力のある女性で気持ち良さを通

り越して「イテテ」なんて時も。部屋に帰って来るとまた驚くべきことが待っていた!羽田空港で飛行

機同士が衝突?俄かには何が起こったのか理解出来なかったが、着陸したばかりの日航機と海上保安

庁の飛行機が衝突して炎上したというのだ。不幸中の幸いで367人の乗客と12人の乗組員は全員無

事脱出出来たそうだが、海保庁機は機長以外5人亡くなった由。昨日の元旦の巨大地震に続き、2

のこの事故。海保庁機は能登半島に支援物資を運ぶフライトだったと聞く。良き年にと願ったばかりの新

年の幕開けがこれでは、と心は塞ぐばかりだ。今夜は最後の晩餐。「湖光軒」で中国料理のコースだった。

3番目に登場したのは佛跳墻(ぶっちょうしょう)。これまで3回食べたことがあるが、アワビやナマコ、

干し貝柱などを何日も煮込んで作る手間のかかった贅沢なスープなのだ。その匂いで修業僧ですらお寺

の塀を越えてでも食べに来る、というので佛跳墻と命名されたと聞いた。一口啜ってみる。何とも旨

い!!!生涯4回目の佛跳墻をムチャ楽しませて貰った。チャーハンの後にも料理が出て来るのが普通らしい。

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1月 3日(水)台湾日月潭は晴れ、台北は雨

  箱根駅伝青山学院大学新記録で総合優勝

朝 日月潭 ザ・ラルー「東方餐庁」朝食ヴュッフェ

 

   超急いで朝食を済ませる

  

    素晴らしい晴天の日月潭            青空に月が残り、正に日月潭なのであった

 

台中駅のファミマで売っていた味噌の香りがするおでんとピータン          往復とも座席は17番!ふふ

 

昼 台北「禅風茶樓」前菜4種、タイニーシュシュのプチサラダ、肉団子風と梅の高菜煮、中華点心、陳年茶

煮込み豆腐、蒲焼風牛蒡の炊き込みご飯、季節の野菜炒め、キノコのスープ、お茶ゼリー、烏龍茶

                                                                                                          

 

  

        茶葉料理と江浙風ベジタリアン料理のコースは優しくカラダに良さそう

 

夜 ANA台北松山=羽田第2 ビジネスクラス機内食(和食)

 

  

 何とか羽田空港に到着する模様

 

帰国日の朝。前泊した昨年の29日から早起きが続いているが、それも今日で6日目。8時出発だか

4時半に起きた。使いづらいシャワーに今朝も苦戦し、着替えた後はパッキング。正面玄関を開けてい

るスタッフを捉まえて6時半には精算を済ませた。このホテルは日本語、英語が達者なスタッフが多く、対応も

とても丁寧だ。朝食がヴュッフェなのにレストランの開店が7時だと8時出発組には超速喰いが要求される。

注文したオムレツ以外で食べたのはお粥とパンくらいだった。最後の朝食なのにつまんないの。日月潭は

今日も見事に晴れて、青空に半月がポカリと浮かんでいる。つまり「太陽と月と湖」で、まさに「日

月潭」なのだった。バスでまた山を下りて台中駅へ。10時発の台湾高速鉄道に乗り台北に帰る。昨夜

の夕食では羽田空港の大事故の影響で今夜の帰国便がどうなるのかについての話題でもちきりだった。

参加者12人のうち半数の方が地方に住まわれているし、その日(今日)中に栃木県の自宅に帰られ

る予定の方も。今朝調べた限りでは羽田空港はC滑走路以外の3滑走路は稼働していて、搭乗予定の

便は予定通りの運航とANAのサイトは示している。いつ変更となるかはわからないけどね。台北は小雨。

そのままランチ会場の「禅風茶樓」に向かう。台北は2日から平日で道路は渋滞気味だ。このレストランも5

年前来たことがあり、大豆を中心とした健康的な料理が楽しめる。肉団子風と梅の高菜煮や蒸し餃子

など、ぼんやりして食べていたら挽肉料理だと信じて疑わないハズだ。蒲焼風牛蒡の炊き込みご飯も

良い出来だし、キノコのスープはうっとりする程美味しかった。空港まで送ってくれたスルーガイドのリンさん

にはとてもお世話になったし、魅力的な人柄だからお別れするのが淋しい。また会いたいね!さぁ、

帰国だ。果たして羽田第2ターミナル国際線ターミナルに予定通り到着出来るのだろうか!兄や友人から心配す

LINEも来ている。1650分発のANA羽田行きは予定通り台湾松山空港を離陸した。途中で暫く

旋回していたが、10数分遅れの午後9時に羽田空港に無事着陸!!!良かったぁ。行きと同じくバ

スで移動したり、お願いしていた車椅子の押手が不足していたり、タクシー乗り場に長い行列があったり

で時間はかかったがそれでも10時半には無事帰宅。あぁ〜疲れたぁ。そして楽しかった!!無酒日

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1月 4日(木)晴れ

  能登半島地震の被害が時の経過と共に明らかに

  篠山紀信氏死去(享年83歳)

朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(ほっけの焼き物、五目煮豆、ハム入りサラダ、ご飯、味噌汁、飲む

ヨーグルト、オレンジ)770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165

 

  

 

昼 明石町「ダイニングルーム」B定食(ワンタン麺、ピーマンと豚肉の味噌炒め、中華サラダ、ブルーベリージャムヨー

グルト、アイスコーヒー)1210

 

  

 A先生夫妻は正月もオートキャンプ

              我が家のカレンダー絵柄は猫か大谷翔平君か姪家のハルの3

 

夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(カンパチ塩焼き、牛肉の八幡巻煮、ツナサラダ、江戸菜の磯辺和え、ご

飯、味噌汁、ハワイのパパイア)1870円、麦焼酎

 

  

 数日ぶりにしっかり飲んだ

 

台湾旅行中は前泊日も含め毎朝超早起きをしていたから、ずっと寝不足が続いていた。昨日帰宅し

たのが午後10時半過ぎでそれからいろいろやっているうちに0時を遥かに回ってしまい。しかも

2時間起きにトイレに起きるから当然ながら眠りは浅い。それでも今朝は7時に起きてシャワーを浴びる

とスッキリ。朝食後旅行中の衣類を含めてドカッと洗濯、次に2024年のカレンダー設置作業。毎年K岩が高

価な日めくり猫カレンダーを京都分も含めて2セット送ってくれる。それに元H社のH本さんは岩合光昭

さんの猫カレンダーを送って下さる。札幌在住の姪キリコは愛犬ハルカレンダーを作成して送ってくれる。それ

に自分で購入した大谷翔平カレンダーとインスタお気に入り「marco77774」のカレンダー。つまり我が家には

「猫・犬・翔平」のカレンダーしかないということだ。ハハハ。1階メールセンターに郵便物を取りに行く。こ

こに住み出して4回目の正月だから徐々にここに届く賀状も増えて来た。読むのは後にして台湾

旅行の写真を取り込み作業。点数が多いと、時々写真をまとめてすっ飛ばしたりするから機械に

も油断出来ない。ほらね、ここ70点くらい飛んでいるでしょ。縮小作業は2分割してと。よし、

上手く行ったぞ。A先生は去年キャンピングカーを購入されてからオートキャンプに夢中だが、正月も早速千

葉にお出かけで、今日も犬吠埼からの写真を送ってくれた。犬吠埼で岩に波が砕ける様子の写真

に「某映画のオープニングで岩に波が砕け散るシーンは犬吠埼のこの岩です」とコメントが。あっ、これ東映!    

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1月 5日(金)晴れ

  能登半島地震の死者92

  ドジャース球団&グッゲンハイム・ベースボール・マネジメントは大谷翔平選手と共に

能登半島地震被災地支援に1億j寄付!

朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(厚焼き卵、納豆、野菜の煮物、焼き海苔、ご飯、味噌汁、飲む

ヨーグルト、キウイ)770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165

 

 朝のフルーツ順番がグチャグチャじゃん!

 

昼 明石町「ダイニングルーム」A定食(鰆の西京焼き、椎茸の肉詰め煮物、白菜のわさび和え、ご飯、

味噌汁、黒豆黄な粉アイス)1210円、アイスティ165

 

  

 食べなきゃ良かったアイスクリーム

 

夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(豚肉の焼き物醤油糀ソース、粟麩と野菜の煮物、蟹と春菊の黄身

酢、長芋の醤油漬け、ご飯、お吸い物、とちあいか苺)1870円、麦焼酎

 

  

 

年末年始までずっと多忙な日が続いていたが、今年の新年は旅から帰って久々にゆっくりした日程

だ。昨年、一昨年は年末年始をホテルで過ごした上、数日して都内ホテル泊&箱根泊と慌ただしい日々だ

ったからなぁ。コロナ禍にあっては、いつも新年の第1土曜日に開催する旅行会社W社のニューイヤーコンサート

は東京開催だけだった。地方顧客のために都内ホテル(2022年は帝国ホテル、2023年はフォーシーズンズホテル大

手町)に2泊し、その後箱根で3泊目を過ごすツァーに都内に住む私が参加していたのだ。そのツァーの

間に国技館に行って初場所の初日を2年も続けて楽しんだり、新宿のデパートに買い物に行ったり、

自由食をいいことにホテルのイタリアンでA先生とマキコ、それに甥も呼んで食事したしてね。今年からはニュー

イヤーコンサートは各地で開催ということになってお楽しみのツァーは無くなって少し寂しい。能登半島地震に

遭った方々は毎日寒くてツライ日々が続いていると思うと申し訳ないが、ゆったりした新年は私にとっ

ても貴重な日々なので享受したい。この時間を利用して本年度の寒中見舞い状を出すためのリスト作り

や新しい手帳への書き込み作業などを時々うとうとしながらやっている。大谷翔平選手は、1億j

寄付を明らかにしたドジャース球団&グッゲンハイム・ベースボール・マネジメントと共に、個人でも能登半島地震被災

地支援に寄付したそうだ。これまで野球をする以外プライベートなことは厚いベールに包まれていた大谷

選手だが、129日ドジャース入団を発表してからポチポチと垣間見ると言うか話題を提供してくれて

嬉しいぞ。ドジャースの広報はエンゼルスより積極的にファンサービスのためにインタビュー受けてね、とか言いそう

だなぁ。そうなったら楽しみだなぁ。そうそう大谷選手が日本の全小学校に寄贈したグローブが子供

達の手元に続々と到着しているようでテレビ画面に映し出される嬉しそうな子供達の表情が眩しい。

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1月 6日(土)晴れ

  能登半島地震の死者126人、安否不明210

朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(ししゃもの焼き物、厚揚げと大根煮物、キャベツと人参のお浸し、

ご飯、味噌汁、そんなバナナ!)770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165

 

  

 土曜日なのに、そんなバナナ!

 

昼 明石町「ダイニングルーム」A定食(親子煮、南瓜の煮物、たたきごぼう、ご飯、味噌汁)1210

 

  

 オペラシティでの2024ニューイヤーコンサート

 

夜 明石町「ダイニングルーム」B定食(牛肉の黒胡椒炒め、豆腐焼売、青菜と茸の和え物、野菜スープ、

ご飯、漬物、デコポン、マンゴープリン)1870円、麦焼酎

 

  

 デザートはデコポンにマンゴープリン

 

午後2時から始まるニューイヤーコンサートを聴くため初台のオペラシティに行く。いつもの田久保裕一氏の指揮

N響団友オーケストラの演奏に加え、今年は藝大声楽科出身12人の混成合唱団「杜の音シンガーズ」の

皆さんの演奏だ。1部は「ウィーンからのご挨拶」と題してシュトラウス一家のワルツ作品を中心に。一家の中

でもヨハン・シュトラウス2世は19世紀当時圧倒的人気のハイパースターの音楽家だったらしい。「春の声」、「美

しく青きドナウ」、「こうもり」、「皇帝演舞曲」、「ウィーンの森の物語」・・ことに「美しく青きドナウ」

はオーストリアの第二の国歌とも言われている。いつだったかウィーンの中央墓地名誉区にあるお墓に行っ

たことがある。ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどのお墓と並んで(凄いよね!)ヨハン・シュトラウス2

は眠っておられた。「メリー・ウィドウ」はレハール作曲のオペレッタ。私がオペレッタに嵌ったキッカケになった作品

だ。一番有名なワルツの甘い前奏が演奏され始めると、「メリー・ウィドウ」の舞台を初めて観た時のトキメキ

が蘇って来た。「メリー・ウィドウ」の中に必ずと言って良い程挿入されるオッフェンバックの「天国と地獄」

は、ムーランルージュの踊り子達がカンカン踊りを披露して劇場中がおおいに盛り上がる曲だ。2部はミュージ

カル特集だった。「マイフェアレディ」、「オペラ座の怪人」、「ウェストサイド物語」、「サウンドオブミュージック」。「オペ

ラ座の怪人」を除けば、私の中学、高校時代から夢中になった作品ばかりだ。特に「ウェストサイド物

語」と「サウンドオブミュージック」はそれぞれ映画を20回以上観ていてほぼ全曲を覚える程の熱狂ぶ

りだった。「サウンドオブミュージック」の最後の「すべての山に登れ」を聴いているうちに涙がこみ上

げて来て困った。年寄りになると涙腺が脆くなって・・。良い時間を過ごさせて貰った。帰っ

てようやく年賀状全部に目を通すことが出来た。未だ四谷三丁目の家宛てに来た賀状はあるけ

どね。明石町に居を移してそろそろ丸4年になるが、ここ数年流行り出した「賀状仕舞い」

とやらが激増。面倒だ、という以外理由はあるのだろうか。頂く賀状も年々少なくなっている。

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1月 7日(日)晴れ 

朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(七草粥、身欠き鰊の漬け焼き、ひじきと薄揚げの煮物、香の物、

飲むヨーグルト、パイナップル)770円、コーヒー165

 

  

 お粥はすぐ空腹になる

  

昼 明石町「ダイニングルーム」B定食(五目炒飯、貝柱焼売、モヤシと湯葉のXO醤和え、牛挽肉と卵のスー

プ)1210

 

  

 最近花ネギが苦手に・・💦

   日本橋高島屋のイタリア人和菓子人気バイヤー・キアラさんのお勧め「こもかぶり」を小松空港で買って来た。大きな栗が!

 

夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(鰈の煮つけ、帆立入りさつま揚げ、蓮根と人参のマヨネーズサラダ、し

んとり菜の生姜和え、ご飯、味噌汁、とちあいか苺)1870円、麦焼酎

 

  

  

 帆立入りさつま揚げが旨い!

 

中村メイコさんが大晦日に亡くなったのに続いて、カメラマンの篠山紀信さんが4日に亡くなった。所謂

「巨匠」としての篠山さんのイメージが強いが、数年前に読んだ和田誠さんのクリエイターとしての若き

日々を描いた「銀座界隈ドキドキの日々」に登場する新人の篠山紀信さんがイキイキと描かれていた。

篠山さん、たくさんの素晴らしい作品を残された。今年の大河ドラマは「光る君へ」。世界最古の

女性文学と呼ばれる「源氏物語」の作者紫式部の生涯を描くらしい。紫式部は吉高由里子、藤原

道長を柄本佑が演じる。「源氏物語」のファンは世界中にいるらしい。平成27年時点で「源氏物語」

は世界各国32言語に翻訳されているんですってさ。アラビア語、イタリア語、クロアチア語、スペイン語、スロ

ヴェニア語、タミール語、中国語、ドイツ語、ハンガリー語、パンジャビ語、フランス語、ポルトガル語、モンゴル語、

タイ語・・日本語でも著名作家が何度も現代語訳を出している。与謝野晶子などは生涯で2度も翻

訳しているが、最初の翻訳は「初めて行われた源氏物語の現代語訳」として広く出版されたそう

だ。与謝野晶子訳角川文庫全3172万部、谷崎潤一郎訳中央公論全583万部、円地文子訳

新潮文庫全6103万部、田辺聖子訳新潮文庫全5250万部、橋本治訳中央公論全1442

部、瀬戸内寂聴訳講談社文庫全10210万部。「源氏物語」に興味が無いワケでも無かったのだが、

恥ずかしながら抄訳でも読んでいないし、全部翻訳なんてとてもとても。いつまで生きられるか

わからないが、「源氏物語」を読まずに生涯を終えるのはツマランでしょ?これから抄訳に挑戦するっ

てどう?と自らに問うてみたが、「ムリです」だって😿一昨年「鎌倉殿の13人」は珍しく最後まで

観たが、昨年「どうする家康」は中途挫折。さて、今年「光る君へ」はどうなりますでしょうか。

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【今週の振り返り】

春の天皇賞で大穴を当てて、思わぬ大金が手に入った。大型連休前に大阪出張が入り、翌日の日

曜日京都競馬場で枠連が当たったのだ。あの時の勝ち馬はタイテイムだっただろうか。この大金を持

ってただ東京に帰るのか。いや、ゴールデンウィークで約1週間休みなのだからどこかに旅をしようと

思った。京都から湖西線に乗って金沢に行った。駅前のホテルを確保して、その夜は駅から10分程

裏道をクネクネ歩いて見つけた料理屋に行った。カウンターに座り、お任せをお願いすると治部煮や鮴(ご

り)の唐揚げなど金沢料理が次から次へと。どれもとても美味しく、翌日またこの店に行ってし

まった程だ。そして金沢まで来たのなら、能登半島まで足を伸ばそうかと思い始めていた。翌日

素朴な七尾線に乗って和倉温泉に向かった。ここで高級旅館に1泊し、翌日更に輪島へ。輪島の

朝一とやらに是非行ってみたかった。ここで見つけた輪島漆塗りの下駄を母のために購入した。

帰宅して「お土産」と渡すと、大型連休とはいえ6日も泊り歩いて帰って来た若い娘を、母はも

う𠮟ることが出来なくなくなっていた。シメシメ。たぶん1973年のゴールデンウィークのことだ。50年以上

前の話。

 

輪島から金沢に戻る時バスに乗ったのだが、ウトウトしていて気がつくと大型のバスが波打ちぎわスレスレ

のところを走っているではないか!目を覚ました私はホント心底驚いた。ここはどこかなのか!ど

うして海がすぐそこなのに大型バスが走れるのか!混乱の極みだった。それは羽咋市の観光名所、

千里浜(ちりはま)なぎざドライブウェイだった。それからずっと後になって、不美子の旅でも千里

浜に行き4人で渚ドライブを楽しんだが、日本にこんなところがあることでムチャ幸せな気分になっ

た。思いっきりハシャゲる砂浜。この千里浜海岸の砂は一粒が極めて小さく約02mmなのだそう

だ。同じ大きさのきめ細かな砂が海水を含んで硬く引き締まることから二輪駆動でも四輪駆動で

も大型バスでもバイクでも自転車でも何でも通行可能。波打ち際の砂浜を約8`ぶっとばす爽快感

と言ったら他に比べようが無いのだよ。難しい言葉で言えばダイラタンシー現象と言うらしいよ。能登

半島に再び平和が訪れたら、是非一度は体験して欲しい千里浜(ちりはま)なぎざドライブウェイで

はある。

 

2度目の能登半島は金沢で1泊してから、半島の最先端にあり今回の地震の震源地となった珠洲

市のお祭りに行った。志賀町のイタリアンでランチを摂り、目当ての珠洲市飯田町の燈籠山(とろやま)

祭を見学。春日神社前に集結した8基の曳山と高さ16メートルもある燈籠山は大迫力だった。昼も

艶やかな祭だったが、夜の部もある。一旦その夜の宿に行き、早めの夕食を済ませた。苦労して

ようやく予約出来たよしが浦温泉「ランプの宿」である。能登半島のホントの先っぽにある温泉宿で

人気もあるし、料金もバカ高い。「ランプの宿」と名乗っているのに客室にはクーラーがあったり、私

達が宿泊した簡素な造りの客室棟の隣には超豪華な別邸を設けたりで、どうも宿のコンセプトがわか

らなかった。チェックインするには崖の上の駐車場から急な坂を歩いて降りねばならないが、重い荷物

を持って調子の悪い膝を庇いながらソロソロと坂を下っていると、宿の車が客を乗せて私達を追い抜

いて行った。車の迎えのサービスもあるのは有難い!と暫く待っていたが、その車は乗せた客を降ろ

してから戻っては来なかった。この時、2度この急坂を降りたためか膝がガクガクとするようにな

った。再び訪れた夜の珠洲では若山川にかかる吾妻橋の上に灯りを灯した夜の燈籠山や曳山が集

結している。幻想的でもあり、美しい!そこで花火大会が始まる。頭上で開く大輪の花火!翌日

輪島で美味しいランチを食べて帰京したが、贅沢極まりない能登の花火がずっと脳裏に焼き付いて

いた。

 

能登半島で過ごした記憶はこんなものなのだが、台湾の日月潭に滞在している時、能登半島を巨

大な地震が襲ったことを知り愕然とした。報道で出て来る地名が、珠洲、輪島、七尾、和倉温泉、

志賀など聞き覚えのある場所ばかり。輪島の朝市が行われる辺りは火事で燃えていた・・・能登

半島ほどの被害ではないにしても、つい1ヵ月前に旅した石川県の小松や観音下(かながそ)、

福井県の永平寺や福井市、芦原温泉、坂井市三国町、勝山の恐竜博物館などが次から次へと心配

になった。5月に1週間滞在した富山県も被害がありそう。何度か泊まった氷見の民宿温泉は無

事だろうか。学校や仕事や結婚で遠くに行っていた家族が正月だからと久々に集まり、新年のスタ

ートを共に寿いでいた元旦に起きた悲劇だ。能登半島だけでも甚大な被害なのに、翌日には羽田空

港で飛行機の衝突炎上事故。日航機に乗っていた乗客と乗組員が全員無事だったことには胸を撫

でおろしたが、海上保安庁機は5人の犠牲者を出してしまった。海保機は地震被災地に支援物資

を運ぶ任務だったと聞いては更に胸が痛む。日本列島という国に生まれ暮らしている私達にとっ

て、地震は避けては通れない自然災害なのかもしれない。しかし「仕方がない」と諦めるワケにも

行かない。起きた場合に備えた国民の自衛や国や自治体の迅速で的を捉えた対応で、被害を最小

限に留める努力はせねばならない。今回の日航機の無事脱出も、乗組員の不断の訓練の賜物だっ

たことを忘れないように。

 

台湾のことを書く予定だったが、年明けに襲った大きな悲劇を振り返らずにはすまない。台湾は

もう何度も訪れた国だが、今回は総統選挙と立法委員(国会議員)のダブル選挙を113日に控

えて国中が燃えていた。ことに総統選は、現在の蔡英文氏政権を引き継ぐ対中強硬派の民進党頼

清徳氏と最大野党・国民党の候友宜氏、そして中立派の第3政党台湾民衆党の文哲氏の三つ巴の

戦いだ。頼氏と柯氏は医師出身、候氏は警察出身だ。私が元旦から過ごした日月潭のザ・ラルーは台

湾最初の総統蒋介石の別荘跡地に建つホテルだったが、次の選挙で選ばれる総統は蒋介石から数え

8代目となる。これまで国民党と民進党は総統2期分8年ごとに政権を交代して来た。今回民

進党頼清徳氏が勝利すれば初の3期連続で12年(任期を全うする前提で)となるし、国民党の

候友宜氏が勝てば中国の思う壺になる可能性もある。台湾では選挙投票率は極めて高く、日本で

は考えられない70%を超える。不在者投票や期日前投票はなく、海外在住者は選挙のために帰国

する人も多いと聞く。今回の選挙のために帰国するのは20万人に上るとみられている。総統選の

結果に併せて立法委員(国会議員)選挙の結果も政権を大きく左右する。中国の習近平国家主席

は「台湾統一」を政治目標としていて、アメリカは中国が「2027年までに台湾侵攻の準備を整える」

と分析している。

 

台北初日の夜、繁華街のレストランで台湾料理を食べた後希望者は夜市に行かれたが、そこでも総統

候補が選挙活動をされていて候補者と握手した人まで。何も知らずに台湾を旅行した人は平和そ

うに見える日常と台湾の人の穏やかな人柄にホッコリして帰って来るかもしれないが、こんな小さな

島にいろんな人々がやって来た。台湾原住民が住む地に17世紀スペイン人が、次にオランダ人がやっ

て来て島を領有し、続いて漢民族が、そして19世紀の終わり日清戦争後には清が台湾を日本に

割譲し、1945年までの50年間台湾総督府に統治されるという歴史を持つのだ。その後日本が第

2次世界大戦で敗れると台湾は再び中国のものに。しかし蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共

産党の内戦が起こり、中国大陸で劣勢になった国民党は台湾台北に政府を移して中華民国政府を

樹立して以降台湾を統治してる。しかし、中華人民共和国政府は「一つの中国」の原則を主張し

続け、飽くまでも二重承認を認めないとしている。危機感は大きいハズなのに、台湾の人達は穏

やかな表情で、候補者の誰それは犬派、猫派なんてことを話題にしていた。因みに現総統の蔡

英文氏は猫派で2匹のニャンコを飼っているそうだ。

 

               ムズイことはわかんニャイ

 

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