♪ オーストリアのウィーンとザルツブルグに音楽の旅に行く ♪
オペラ「トスカ」 モーツァルトウィーク
1月 29日(月)晴れ
琴ノ若優勝は逃したものの大関昇進確実に
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(ほっけの焼き物、はんぺんと野菜の煮物、小松菜のお浸し、ご
飯、味噌汁、飲むヨーグルト、キウイ)770円、納豆220円、はちみつ南高梅、コーヒー165円
ほっけの皮は美しくないなぁ
昼 明石町「ダイニングルーム」A定食(鉄火丼、さつま芋のレモン煮、わかめサラダ、味噌汁、アイスコーヒー)
1210円
午後のフルーツ 部屋にて 天照アマテラス苺(これで最後)
天照苺もこれが最後😿 A先生も偶然千葉で鉄火重だって。負けた・・😿
夜 明石町「ダイニングルーム」B定食(白身魚の香り蒸し、麻婆豆腐、小海老のサラダ、五目野菜スープ、
ご飯、漬物、タピオカ入りココナッツミルク)1870円、オールフリー385円
今夜は酒を飲みません
荷作りは済んだが、今日は手荷物の準備と次のパクパク日記の作成に忙しい。今朝1月3週を更新し
たばかりなのに、もう次の日記を作るんかい!ってチトうんざりしながらね。昼は鉄火丼。胡麻だれ
とわさびをたっぷりつけて美味しく食べたのに、千葉県でオートキャンプ中のA先生が「今日のお昼は
鉄火重でした」とLINEで写真を送って来た。それが鉄火が溢れる程のお重でして・・どうせ高い
んだろ!なんて思ったら1300円だって・・完全に負けたなぁ。ま、年寄にはこれくらいが適量な
んです!と思うことにしよう。手荷物は何に入れようか考えていたのだが、海外に行く時私はず
っとリュックを担いで行っていたな、と思い出した。納戸からリュックを探して中身を確認すると海外用
のプラグが2つも出て来た!えぇ〜!探しても見つからないので先日Amazonで2つも買ってしま
ったのにぃ。ムダであったことよ。どこ探してんねん!パクパク日記1月4週は9割がた出来た。残
りは帰国してからにしよう。明日朝の出発は早い。5時に起きようと思っている。ってことは今夜
の夕食は酒抜きだな。中華定食だからホントは飲みたいんだけど。年寄り向けなのでちっとも辛くな
い麻婆豆腐にはお木曳き山椒を思い切りバラバラとかけて激辛の麻婆豆腐丼にした。旨い!フルーツは
柑橘類の中では紅まどんなの次に好きなせとか。ジューシーで美味しいぞ!早く寝なくちゃ。無酒日
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1月 30日(火)東京は晴れ、オーストリア・ウィーンは夜で天気はわからん
今日は24時間+8時間で32時間
第1食 羽田空港第2ターミナル国際ターミナルビジネスラウンジ 小さなきつねうどん、サラダ、サンドイッチ小、お赤
飯おにぎり、コーヒー
第2食 ANA羽田=フランクフルトビジネスクラス機内食@
前半の数時間は絶好調でパク&グビ!
第3食 ANA羽田=フランクフルトビジネスクラス機内食A 腹コワシでスープとお茶だけ😿😿
後半は絶不調でトイレ通い💦
フランクフルトで乗り継いでウィーンのホテルに到着したのは午後10時(日本時間朝6時)だった
このホテルは3回目の宿泊。今回は473号室で長い廊下にはハイドンとシューマンの肖像画が
5時起床。別人のようにテキパキ(でもないか。気持ちだけね)と動いてシャワーとか着替えとか片付けと
か旅の最終チェックとか。ご飯は?食べないの、ダイニングルールや自室ではね。空港で食べるんさ。7時半
予約していたタクシーに乗る。「晴海から高速に乗って湾岸で」と指定したのに、このタクシー逆方向に走
り出した。おいおい!である。ここでムダな時間を5分使ってしまったから羽田空港まで20分も
(笑)かかってしまったではないか!早朝で空いていたから15分で到着したのになぁ。丁度1ヵ
月前の台湾もここからだったが、今日の便も羽田空港第2ターミナルに昨年出来た国際ターミナルからの出発
である。添乗員のK野さんとは2年前の金沢以来、研修生として添乗するナナコちゃんとは昨年奥志
賀以来だ。ガラガラの手荷物検査やイミグレなどを通過してラウンジで小さなきつねうどん、サラダ、サンドイッ
チ小などで朝食。10時20分ANAフランクフルト行きに搭乗した。席は8A。やっぱりスタッカード席は個室感が
あったいい。スタッカードとは千鳥という意味で、どの席も通路側というのが魅力。その上、私の席は
窓側でもある。海外に行きまくっていた頃は「映画は飛行機の中で」が習慣だった。往復で3、4
本、もっと観たこともあったなぁ。然るに今回は新作、邦画、ハリウッドなどチェックしたが、観たい映画
が無い・・こうなったらバラエティでも観ることにするか。「ざわつく!金曜日」、「オモウマい店」などを
観ながら和食の食事を始めたら番組につられたのかワシワシ食べ、グビグビ飲んでしまって・・3種か
らお選び下さいというデザートなんか「全部!」なんて言ってね。ビール、麦焼酎のWを数杯、CAが間
違えて注いだウィスキー、白ワイン、赤ワイン・・快調過ぎるんじゃね?飲み過ぎなんじゃね?飛行時間14時
間のうち4,5時間までは超ご機嫌に飲み食いしていたのだが・・後半は・・アカン・・お腹痛い・・
トイレ・・それから何とフランクフルトまで7回もトイレに行くことになってしまい・・アホ!ホウホウのテイで飛行機を
降り、広いフランクフルト空港は車椅子で。ビジネスラウンジでもトイレに籠っていてね・・広い空港の端っこから
乗ったオーストリア航空のウィーン行き。小さな機体はほぼ満席。飛行中トイレに行くことがありませんように、
と祈りながら脂汗を流す。ウィーンに到着し、3度目となるホテルブリストルにチェックインしたのは夜10時だった。
日本時間では朝6時だ。今朝5時に起きて午後3時頃食事してからはあんなことになってしまった
から、それ以降は食べず眠らずだった。心底疲れ果てた。自業自得なんだよ。はい、仰っる通りで。
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1月 31日(水)オーストリア・ウィーンは曇ったり晴れたり
朝 ウィーン・ホテルブリストル「ブリストル・ラウンジ」朝食ヴュッフェ
客室からの眺めはオペラ座 「ブリストル・ラウンジ」朝食ヴュッフェ
8頭の馬車がホテルの前に並ぶ! これから1時間ウィーンの歴史地区を回る
皇帝納骨堂のカプツィーナー教会 カプチーノはこの教会の壁の色から ウィーン市庁舎
首相府 8頭の馬車が旧市街を進む 新王宮(オーストリア博物館)
カール大公騎馬像 王宮 シシィ博物館入口
馬車の座席から このオジサンが御者でした 引っ張ってくれてありがとよ
ウィーンのシンボルのシュテファン寺院は12世紀半ばから建設が始まった
北塔にはエレベーター(有料)で上ることが出来る 北塔から観る風景
モーツアルトの弔い寺院の裏で行われた 屋根瓦で描いた紋章 137mの南塔は1359年完成
1784年から87年までこの建物の2階で暮らしたモーツアルト。「フィガロの結婚もここで作曲
昼 ウィーン「DO&CO」フリタッテンズッパ(細切りクレープ入りコンソメスープ)、ウィナーシュニッツェル(きゅうりのサラダ・ポ
テト添え)、パンとバター、ALTWIENER MARILLENBUCHTERLバニラソース
シュテファン寺院前のモダンな建物にあるホテルのレストランでランチ。巨大なウィナーシュニッツェルは半分も食べられなかった・・
午後6時から1892年創業のブリストルホテルのホテルツァーに参加 ホテル最古の家具はこの時計
新婚カップルに人気の最上階にあるジュニアスィート テラスからはカールス教会も見える
プッチーニやバーンスタインなど綺羅星のごと著名人が宿泊したオペラスィート
240uのホテル最大の客室はプリンスオブウェールズスィート。「王冠を賭けた恋」で知られるエドワード8世が滞在していた
居間、寝室の他に執務室、会議室なども備えている
バスルームは3つ、本格的なジムもある 案内してくれた彼女はハンガリー人
夜 無し!
昨夜は寝たのは12時過ぎだったと思う。ヨーロッパに来た時の2日目は、寝不足でも時差の関係かい
つもスッと目が覚める。お腹は・・痛くないな。治ったのだろうか。取り敢えずシャワーを浴びよう。シ
ャワーカーテンの幅がかなり足りないのでャワーのお湯が零れるのが気になる!良いホテルなんだから、こうゆ
うところケチらないで欲しいなぁ。着替えているうちに空腹を感じた。昨日食事してから約24時間
経っているから当然だな。1階フロントの奥にある「ブリストル・ラウンジ」で朝食ヴュッフェ。既にグループ(12
人+2添乗員)の皆さんはほぼ終えているか食事中だった。オムレツを焼いて貰い、ドイツパン・クロワッサン
・イギリスパンが並ぶ中、イギリスパンを1枚トーストした。これにハムやチーズを挟んで食べるのが好きだ。今日
は9時から馬車でウィーンの歴史地区を見学することになっている。今回は音楽の旅だが、ウィーンには何
度も来ている(私は9回目)人が多いだろうとこんな企画を考えたらしい。かなり前に1度乗った
ことがあるが、久々だから乗ってみっか。この時間ウィーンはムチャ寒い。その上馬車の横窓は開け放た
れいるから走り出すと風に当たってもっと寒い!8台の馬車の中で葦毛の2頭が曳く3台目にガイド
のI上さんと一緒に乗った。以前ウィーンに来た時はエゴン・シーレの作品を求めてよく歩いて美術館巡りを
したっけなぁ。リンクに囲まれているウィーンの輪の4分の1位を約60分かけて馬車で見学。いつも説明
など右から左へ通り抜けてしまう人間なのだが、さすが隣でI上さんが説明されているので人生で
初めてというくらいマジメに聞いた。勉強になりました!ホテルまで馬車には迎えに来て貰ったが、降
りるのはシュテファン寺院の横。ありがとね〜。シュテファン寺院では北塔にエレベーターで上った。昔上ったこと
あるのに全く覚えていない。既に屋上にいた現地の数十人の小学生は階段で降りて行った。寺院か
らは程近い「モーツアルト・ハウスヴィエナ」へ。芸術家の方って葛飾北斎にしてもベートーヴェンにしても引っ越し
魔が多いのが不思議だが、モーツアルトも引っ越しばかり。故郷ザルツブルグを飛び出してからウィーンに住み
始めての10年間で13回も転居している。しかし35歳という若さで亡くなったモーツアルトが1784年
9月29日から1987年4月23日までの28歳から31歳までの黄金期2年半をこの家の1階を借り
切って暮らしたのだ。健康面でも財政面でも安定したこの期間「フィガロの結婚」を始め、今週土曜
日ウィーンで聴くことになっている1幕の音楽付き喜劇「劇場支配人」、そして私がモーツアルト作品で1番
好きなピアノ協奏曲23番を作曲するなど仕事の面でも大いに充実していた。この家を出た1987年
にはセレナーデ「アイネ・ナハトムジーク」やオペラ「ドン・ジョバンニ」ななどが作曲された。彼が住んだ多くの家
で現存していたのはこの家だけ。5歳から作曲を始め、35歳の生涯で626曲も作ったモーツアルト。彼
が60代、70代まで生きていたらどれだけの音楽を生み出したのか。昼食は寺院近くのモダンなホテル
のレストランで。初日とあってウィーン名物のウィナーシュニッツェルがメイン料理だったが、完食したのは23歳の研修
添乗員のナナコちゃんだけだった。私だって少し前まではペロリと食べたけどもうダメだ。昼食後解散。
ぶらぶら帰って来たらそろそろ3時だった。夕方6時からホテルツァーに参加した。ホテルの歴史をざっ
と聞き、ハンガリー出身の美人スタッフに3つのスィートルームを案内して貰ったのだが、一つ下の階で私の部
屋の隣に位置するオペラスィートがとても良かった。え?ここプッチーニが泊ったの?バーンスタインも?ポール・
マッカトニーも?次この部屋に泊まりたいなぁ。最後に案内されたのはホテルで最大の客室「プリンスオブウェー
ルズスィート」。「王冠を賭けた恋」で知られるイギリス王のエドワード8世が滞在していた部屋で何と広さ
は240u。1泊7000ユーロからと言うので1泊位は泊れなくも無いけど、ひとりでバスルーム3つあっ
てもムダだからなぁ。なんて言うだけなら自由だね。ウィナーシュニッツェル3分の1しか食べられなかった
昼食だったが、夜になってもちっとも空腹にならない。夕食は抜いて、早めに寝よう。無酒日
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2月 1日(木)オーストリア・ウィーンは曇り昼から雨
朝 ウィーン・ホテルブリストル「ブリストル・ラウンジ」朝食ヴュッフェ
久々にお得意の具だくさんの「トーストサンドイッチ」を作って食べた
朝10時から2時までは別の演目のリハーサル、それ以降当夜(今夜は「カルメン」)演目の準備に入る
ウィーン大学で日本語を学んだマークス氏の案内でオペラ座を見学
ホワイエ(上段写真)も正面玄関階段も豪華
あの有名なオペラ座での舞踏会は来週だよ オペラ座から見た宿泊しているブリストルホテル
昼 部屋食 きつねうどん
雨になったので「日本橋」に行かないで部屋食😿
夜 無し!無酒日
キーシンのコンサートが・・・😿😿😿
昨夜夕食抜いて8時半にベッドに入ったら夜中2時半に3度目のトイレに行ってから眠れなくなった。
どうやっても眠れないと観念して4時には起き出し本を読む。5時半にシャワーを浴び、レストランがオープン
する5分前に行ってみると既に新旧(失礼!)添乗員のおふたりがレストラン前で打ち合わせ中だった。
K野さんとはこれまで南フランスやパリ、金沢などご一緒している。ナナコちゃんは入社2年目、国内旅の
添乗経験はあるが、海外は初ということでベテランについての研修添乗員になった。初ヨーロッパでいき
なり添乗だからタイヘンだよね。今朝は昨日のランチ以来だからお腹ペコペコ。昨日はイギリスパン1枚だったが、
今朝は2枚トーストして具だくさんのトーストサンドイッチを作った。ガブリ!旨い!今日は8時40分集合してオ
ペラ座の見学ツァーに出かける。出かけるって行っても隣だからケルトナー通りを渡るだけだけどね。以前も
参加したよなぁと調べてみると、あの時はオペラ座のバックヤードツァーだったから舞台の上や舞台奥まで見
学したのだった。今日は平土間の座席やボックス席、ホワイエなどの見学。ヨーロッパで最古のウィーン大学で日本
語を学んだというマークスさんが達者な(でもちょっと変 笑)日本語で案内してくれた。ここは正確
に言えばウィーン国立オペラ座で、1869年モーツアルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」がこけら落としだった。以来リヒ
ャルト・シュトラウスやグスタフ・マーラーなどが音楽監督を務めたが、小澤征爾氏も2002年から8年間アジア人で初め
ての音楽監督だった。毎年2月に舞台の高さまで劇場の床を上げて行われる上流階級によるオーパンバル
(オペラ座舞踏会)は夙に有名。それが1週間後に行われるとあって、劇場内のホワイエなどでは特別な飾
りつけ作業が行われていた。この後「音楽の家」の見学に行くことになっていたのだが、何と今朝良
かったお腹の調子に黄信号が!なんてデリケートなお腹なんでしょ!仕方なくひとりホテルに帰る。回復した
らウィーンでは何度か行った和食レストラン「日本橋」におうどんでも食べに行こう。ところが昼過ぎから雨が
降り出した。寒そうで行く気が失せた。お湯を沸かして非常食のきつねうどんでカンタンランチにしよ。今夜
は今回の旅で1番楽しみにしているピアニスト・キーシンのコンサートがある。それまで本でも読んでゆっくりしよ
う。ところがである。午後遅くなってお腹がキリキリと痛み出した。ヤバイやんか!トイレ通いも始まる・・こ
んな状態で徒歩10分程の楽友協会まで行って約3時間のコンサートを聴いていられるだろうか・・不安・・
迷う・・諦めた。K野さんに連絡し私の代わりにナナコちゃんに私のチケットでコンサートを楽しんで貰うことにし
た。14年前ワルシャワでショパンのピアノ協奏曲2番を弾くキーシンを聴いて知らぬ間に涙をこぼした。あの感動を再
び味わうことは出来なくなった・・。哀しい。ルイボスティー飲んで早く寝てしまおう。毎晩じゃん!無酒日
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2月 2日(金)オーストリア・ウィーンは曇り午後一時雨
朝 ウィーン・ホテルブリストル「ブリストル・ラウンジ」朝食ヴュッフェ
著名人達もこのエレベータに乗ったんだろうなぁ 今夜オペラ座は「トスカ」
大事をとってヨーグルトと液体のみ
かつて王家の狩りの城館があったウィーン郊外のアウガルテン磁器工房と博物館へ
女帝マリア・テレジア帝室直属の磁器釜。ヨーロッパでマイセンに次ぐ歴史を持つ
1時間に及ぶ製造工程見学の後、アウガルテン磁器を眺める人、購入する人
ハプスブルグ家の猟場跡に建つプラーターは1873年万国博覧会の会場ともなった
映画「第三の男」で有名になったクラッシックな大観覧車は15名乗ることが出来る。コース料理も可能
昼 ウィーン「ゲルストナー」クリームスープ、パプリカチキンとダンプリング、ザッハトルテ、メランジェ
オペラ座近くにある「ゲルストナー」は1847年創業で皇室御用達のカフェ
夜 無し!無酒日
左側はオペラ座、右側が宿泊しているホテルブリストル 今夜はプッチーニのオペラ「トスカ」を楽しむ
アンコールに応えて2回歌ったカヴァラドッシ役のピョートル・ベチャラとトスカ役のエレナ・スティキナ 指揮はベルトラン・ド・ビリー
今朝も早起き。当たり前です、超早く寝ているのだから。昨日で3晩続けて夕食を抜いた。そのお
陰もあってかお腹の調子もそう悪くない。とはいえ油断禁物だから朝食はジュースとヨーグルトだけにして
おいた。昨日欠席したキーシンコンサート。代りに行ってくれたナナコちゃんがプログラムを買って来てくれた。演
目を見ると、ベートーヴェンのソナタ、ショパンのノックターンとファンタジー、ブラームスのバラード、プロコフィエフのソナタだった。
いいなぁ、聴きたかったなぁ。なんて行かないって決めたのは自分だし、行ける状態では無かったの
だからそうゆう考えは捨てよう。彼女が素敵だったと言ってくれただけでいい。今日は観光に参加す
る。先ずはバスでウィーン郊外にあるアウガルテン磁器工房と博物館へ行く。ハプスブルグ家の狩猟用の城館と庭
園あった場所にヨーロッパではマイセンに続いて古い歴史を持つアウガルテン磁器工房と博物館、ショップがある。マ
イセンから磁器の技師を招いて磁器を造り始めマリア・テレジアの直属の磁器釜となった。製造過程を順に見学
し懇切丁寧な説明を受けるが、例によって人の話をちゃんと聞いていられない性格なので殆どわから
なかった(💦)でも何かを造っているところを見るのは楽しい。魅力的な絵付けをする人がいらした。
昔は海外でも国内でもたくさんの磁器・陶器を買い求めていたが、数年前の大規模断捨離で手伝いに
来てくれたキョウコの鬼のような指令で器も皿もほぼ捨ててしまった😿だから新しくは買わない。ま、料
理も京都の家以外では殆どしないのだから買っても使いようが無いけどね。バスで少し走ってプラターへ。
ここも王家の狩猟場だった場所で1873年には日本も参加した万国博覧会がここで開かれた。その後
市民に開放され、オーソン・ウェルズが主演した映画「第三の男」で世界的に有名になった大観覧車は今も
現役で稼働している。ってこの映画が公開されたのは1949年(私はその時2チャイだった)だから観た
ことがある人なんて殆どいないと思うけど、主題歌アントン・カラス作曲でチターで演奏される「第三の男のテーマ」
は聞いたことあると思うけどな。この観覧車バカ大きくて15人乗りだが、詰めれば30人もイケルと思う。
イナバの物置のように屋根には何人乗れるかなんて考えちゃって。観光を終えてホテル近くに戻ってランチは
1847年創業皇室御用達店の中でも古い歴史を持つ「ゲルストナー」で。毎日のように前を通っていたがこ
んな凄い店だったとは気づかなかった。1階はケーキショップ、2階がカフェ、3階はレストランになっている。エレベー
ターを降りて天井の豪華さにビックリ!ここはオペラ座か!料理も美味しければサービスも良くてね。2時半か
ら始まるペーター教会のコンサートなどに行かれる人達が中座されたのはもったいなかった。今夜はオペラ座で
プッチーニの「トスカ」を楽しむ。昨日のことがあるので、美味しい「ゲルストナー」の料理を半分残したのが悔
やまれるが。少しお洒落をして隣のオペラ座へ。平場5列目の左側の席だった。昨日は7人の方はここ
で「カルメン」を鑑賞されたが、斬新過ぎる(男性ダンサーの1人が全裸?!)演出で物議を醸していた。
確かにこのところモダン演出のオペラは賛否両論でね。私はモダンオペラが超苦手だが今夜の「トスカ」はクラッシッ
クで安堵した。トスカ役のエレナ・スティキナもカヴァラドッシ役のピョートル・ベチャラもスカルピア役のエルヴィン・シュロットも安定した
美声。3幕で最大の聴かせどころカヴァラドッシの「星は光りぬ」のアリアが終わっても拍手は延々と続き、
何とピョートル・ベチャラはもう1度歌ったのだよ!オペレッタでは拍手が続く限り、3回でも4回でも歌って踊
ったりするが、オペラでは珍しいわなぁ。観客大喜びだった。終演後雨も止んでいて5分でホテルに帰る。
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2月 3日(土)オーストリア・ウィーンもザルツブルグも晴れ!
朝 ウィーン・ホテルブリストル「ブリストル・ラウンジ」朝食ヴュッフェ
さよならウィーン!さよならオペラ座
昼 オーストリア湖水地方アッター湖「Longoshnos」ローストビーフの前菜、湖で獲れた鱒と野菜のトマトスープ、鱸のム
ニエルポテト添え、甘いダンプリング
ランチを摂った湖水地方のオーッター湖。風が強く冷たい
ザルタツァッハ川が客室から見えるこのホテルは500年以上の歴史を持つ
ザルツブルグの旧市街にあるラディソンブル・ホテル・アルトシュタットにチェックイン
夜の軽食 ザルツブルグ・ラディソンブル・ホテル・アルトシュタット「カフェ」アボガドとチーズポーチドエッグサンドイッチ、紅茶
ザルツブルグは今週モーツアルトウィーク。サンドイッチを半分食べ祝祭大劇場へ
ウィーンフィルの演奏で先ずはモーツァルト交響曲32番序曲。次にハイドンのチェロ協奏曲1番 チェロはソル・ガベッタ
最後はモーツアルト(サリエリも)歌劇「劇場支配人」を演奏会形式で 指揮者アンドレス・オロスコ=エストラーダ
4泊したウィーンとも今日でお別れ。毎朝するようにカーテンから外を見ると、オペラ座の上空は青空だった。
ザルツブルグまでの長いドライブが待っているから晴天は嬉しい。荷作りはほぼ済んでいるから朝食を
ゆっくり楽しんだ。3度もこのホテルに宿泊しているのに、これまで一度もBARに行かなかったなぁ。
昔は「BAR人間」だったが、年を取るとすぐ眠くなってBARには行けんのだよ。9時半出発。さよ
なら〜オペラ座、さよなら〜ウィーン。途中ドライブインでトイレ休憩。ドイツは有料のところが多いが、ここは
無料だった。50ユーロを細かくするために安いお菓子を3つ買った。何とこの9ユーロが旅行期間中使
った唯一の出費だった!空港で車椅子押してくれる方々へのチップは別にしてね。バスはビュンビュン進
んでいる。素晴らしい景色で嬉しいぞ。湖が70数個あるという湖水地方に入り、ランチはオッター湖の
湖畔レストランで。因みに湖はドイツ語で「ゼー」だからオッターゼーだ。湖で獲れた魚料理だったが、パンや
自家製バターも含めとても美味しいランチだった。食後湖まで行ってみたが、風が強くて冷たかった。
ここからザルツブルグまでは近い。インスブルックで夏を過ごしていた頃、日帰りでザルツブルグ音楽祭に何
度か来たこともあるので、この街は6回目だろうか。宿泊するホテルは旧市街に位置するラディソンブル
・ホテル・アルトシュタット。表玄関は車が入れない旧市街だから、出入りはザルタツァッハ川に面した裏口となる。
ここから急な階段を上らねばフロントには辿りつけない😿必死である。しかも割り当てられた客室に
行くまで階段が2か所あり、しかも客室はメゾネット!2人の添乗員の部屋と交換して貰った。現在ザ
ルツブルグはモーツアルトの誕生日1月27日前後の約1週間開かれている「モーツアルトウィーク」である。午後5
時からサンドイッチの軽食を済ませてから祝祭大劇場へ。今夜はウィーン・フィルコンサートだ。この劇場は何度か
来ているが、バリアフリー対策として設けられている急な傾斜の通路が却って怖い。指揮者は派手な
指揮ぶりのコロンビア人アンドレス・オロスコ=エストラーダ。1曲目はモーツアルトの交響曲第32番。1779年に作曲さ
れ序曲だけだ。次はハイドンのチェロ協奏曲。チェリストはアルゼンチン生まれのソル・ガベッタ。低音が力強い。アン
コール曲で演奏した「ハバネラ」は彼女のお国柄らしく魅力的だった。休憩の後はウィーンの「モーツアルトハウス」
に住んでいる頃作曲した「劇場支配人」を演奏会形式で。経費抑えたい劇場支配人と高いギャラを
貰いたい歌手達のやりとりがテーマの喜劇だ。あまり上演されない演目を物珍しく鑑賞した。無酒日
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2月 4日(日)オーストリア・ザルツブルグは小雨のち曇り
今日は立春!
朝 ザルツブルグ・ラディソンブル・ホテル・アルトシュタット 朝食ヴュッフェ
しっかり朝食を食べる
今、ザルツブルグはモーツアルトウィーク。座席数約800席の「モーツアルテウム」大ホールで午前11時からコンサート
若い頃からファンだったアンネ・ゾフィー・ムターが若々しくて嬉しいぞ!
遅い昼 ザルツブルグ・ホテル・ザッハー「カフェ」海老とチーズと野菜のサラダ、ザッハトルテ、アールグレイ紅茶
遅いランチは、近くのホテルザッハーのカフェで軽食。ザッハトルテはこの旅で2回目!
昼食後解散。皆さんはそれぞれ買い物や観光に行かれたが、私は旧市街をひとりブラブラ散歩
旧市街側のホテル入口
夜 部屋にて 小海老の天ぷら蕎麦
豪華なディナーのハズがこうなった(笑)
ドジャースファンフェスタでも翔平君は超人気!
明日は朝早く空港に向かうので今日がこの旅の実質最終日である。朝食会場は昨夜軽食を摂っ
た場所とは違うフロア。ザルタツァッハ川を見下ろすなかなか素敵なレストランだ。ただし、床に2ヶ所段差
があって普通の人は何でも無いのだろうが、足が悪い立場には両手に皿を持っての行き来はツラ
カッタ。今日の出発は10時半とあって皆さんの姿は見えない。クロワッサンとハムが美味しかった。音楽
の旅の最終プログラムは「アンネ・ゾフィー・ムタートリオ」のコンサート。私にとってこの旅2番目の目的だ。アンネ・
ゾフィー・ムターは13歳で名指揮者のカラヤンに才能を見出され、ベルリンフィルと共演した程の国際的天才少
女として知られたヴァイオリニスト。私はクラッシック音楽の師匠に「この曲聴きなさい」と教えられて聴
いたのは彼女が弾くブルッフ作曲ヴァイオリン協奏曲で、以来擦り切れる程そのCDを聴いた。そのアン
ネも昨年60歳。彼女の誕生日を祝してウィーンの楽友協会で「60歳記念コンサート」が開かれ、そのライ
ブ録音CDも発売された。写真でしか知らない若々しかったアンネ・ゾフィー・ムターは現在どんな風に年
を取って、どんな演奏を聴かせくれるのか、楽しみでならない。会場は庭にウィーンから移築され
た「魔笛の小屋」があることでも知られるモーツァルテウムの大ホールだ。3人が舞台に現われた。若い!
全然年取っていないじゃん!チェロは未だ30代のマキシミリアン・ホルヌング、ピアノはラトヴィア生まれでコロンと
した体格のラウマ・スクリデ。曲目はモーツアルトのピアノ三重奏曲第1番、同第4番、同第3番、同第5番。
楽譜を追う時だけお洒落な眼鏡をかけて演奏するアンネ・ゾフィー・ムターは贅肉ひとつ無いカラダで美しい
ヴァイオリンを奏でた。美しい天才は健在!午後1時過ぎコンサートが終わり、徒歩2,3分でホテルザッハーの
カフェで軽めのランチ。細く切った白菜のような食感の野菜の上に茹でた海老と薄切りチーズが載った
サラダ。これが旨い!デザートはザッハトルテか林檎ノシュトゥルーデルの2択。大昔このホテルに宿泊した時も食
べたし、ウィーンでも食べたのに「ザッハトルテ」を頼んでしまったよ。インスブルックの「カフェザッハー」でも毎
年食べていたのにね。ここのトイレに行ったら装飾がやたら派手でスマホを持って来なかったことを
後悔した。撮影したかったなぁ。お茶を飲んでから解散。夕食までのフリータイムに日本語ガイドの
方もいらして、買い物やら観光やらに皆さんお出かけだ。私はシュターツ橋を渡って旧市街をブラブ
ラと。ホテルに帰ると3時だった。今面白い本を読んでいる。今夜はサヨナラパーティで外のレストランに行く
予定になっているが、何だか面倒になってしまった。非常食もあるし、夕食はパスして読書を
続けよう。翌日に聞いてみたら、現存する中欧最古のレストランに行かれたのだそうだよ。無酒日
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【今週の振り返り】
年末年始、台湾には行ったけれど、実に4年ぶりとなるヨーロッパである。1年は覚悟、なんて思
っていたのはトンデモナイ甘い考えで、結局新型コロナ感染は4年という長き年月に蔓延り、しかも未
だ完全には収束していないのが実情だ。2005年の春にひらがな会社を辞めてから始まった私の
本格的な海外旅行。奇数月は海外、偶数月は国内なんて1度は決めたのが何ともお笑い草で、
タチマチのうちに毎月海外、多い時は月2回海外なんて状態に発展してしまった。一度動き出した
ら止まらない歯車のようで、いったいどれほどの回数海外に行ったのか。ある時出かけた旅の
長く退屈なバス移動時間、それまで行った国を数えてみた。その数字に新しい国を足して行った
結果、私は154ヵ国に行ったことがあるらしい。最多では年間16回海外に行き、海外の間には
国内旅行にも行き、なんて生活を15年間続けて来た。どんどん年も取って来るし、もっとゆっ
くりした生活をせねば、と頭では思うのだが、予定を記入する手帳に余白を見つけると「ここ
に何かの旅を入れられるな」と私の頭は勝手に動き出す。中毒のようだ。そんな時、新型コロナの
パンデミックが起こった。
2000年2月パリに行った海外を最後に、申し込んでいた海外ツァーはすべて中止となった。その数
は6本だったか7本だったか。テレビのニュースやドキュメント番組で見るパリやミラノの姿が余りに無残で目
を覆いたくなるようだった。感染が収まっても、また憧れの気持ちを持って海外の街を訪れるよ
うなことが出来るのだろうか。これまでと見方がかなり変わってしまったような気がした。何枚
もの皿を回していた15年間。ようやく回っていた皿を回収して目が回るような忙しさから抜け
出たのだから、もう海外旅行は卒業することにしても良いのではないか。何の予定も無く、今日
は何をしよう、と思うのも新鮮で良いでしょ、と自らに問いかける。しかし、少しコロナが収まる
と国内旅行に行き始めた。それは激しさを増して昨年はほぼ毎週出かけた。忙しい生活のリズムに
早くも戻ってしまったのである。海外旅再開しましたよ〜!お出かけになりませんか〜!馴染み
の旅行会社からのお誘いが多くなった。それでも、海外に行く決心がつかない。飛行機の便がコ
ロナ前の状態とは程遠いことが一番問題だった。しかも現在はロシア上空を飛べないから以前よりフラ
イト時間が長くなった。余計好きな飛行機会社の好きな経由地で飛んで体力を温存したい。ヨーロッパ
に行くのに中東経由なんてイヤなのだ。これで海外旅はオシマイにしても後悔は無いような気もして
いた。
しかし、重い腰を動かすことがあった。某旅行会社のパンフレットを何気なく眺めている時、見つけ
た2人の名前。エフゲニー・キーシンとアンネ・ゾフィー・ムター。2人とも私がうんと若い時に好きだったピアニストと
ヴァイオリニストだ。キーシンは旧ソ連生まれで2歳からピアノを学び始め、12歳でモスクワ・フィルとショパンのピアノ協
奏曲を弾いた演奏がレコード化される程の神童で知られた。コンクール入賞歴は無いが、長年国際的ピア
ニストとして世界各地で演奏を行っている。2010年はショパンの生誕200周年だった。それを記念して
ポーランドのワルシャワでは連続8日間の「特別演奏会」が開かれた。そのうち3日間の演奏会を聴いた。
1日目の夜はショパンのピアノ協奏曲の1番と2番。先ずは1番をやはりロシア人のニコライ・デミデンゴが弾き、
2番はキーシンが弾いた。デミデンゴもその顔に似合わず繊細な演奏だったのだが、キーシンが最初の1音
を出した途端に私は心臓を掴まれる程驚いた。デミデンゴが弾いた同じピアノなのに全く違う音色だ
った。その時の日記を読み返してみると「ショパンが憑依したかのようだ」とあり、すっかり魂を
揺さぶられてしまったのさ。ふと気がつくと涙が勝手に頬を零れ落ちて行ったりして。そのキーシン
のコンサートがウィーンのあの楽友協会黄金のホールであるのだ。それにザルツブルグではアンネ・ゾフィー・ムターが。こ
んな素晴らしい機会は私の人生の中で最後だろう。よし、行くぞ!
飛行機問題であるが、ツァーはルフトハンザ航空でミュンヘンを経由してウィーン入りすることになっていた。私
はひとりANAでフランクフルトを経由してウィーン入りし、ガイドに迎えに来て貰ってホテルに行くよう手配を
お願いしていた。帰りもザルツブルグから皆さんは早い便でフランクフルトに行き、ルフトハンザ航空で羽田に
到着するのに対し、私はゆっくりフランクフルトにひとりで行き、5時間待ってANAの夜便の羽田行き
に乗ることに。ところが。出発数日前になってルフトハンザ航空ミュンヘン行きの欠航が決まり、旅行会
社は慌てて、私と同じANA便を手配してグループと一緒に行くことになった。しかし、帰りが問
題。東京は5日と6日に大雪が降るという情報があって、搭乗便を変更すべきか迷っている最
中である。あんなに楽しみにしていたキーシンのコンサートは原因不明の腹痛と腹コワシで断念し、別料金
も支払ったフライトも今のところどうなるかわからん状態。ハハハ。人生は思ったようにはならないと
いうワケだ。関係無い話だが、今ヨーロッパではヤフーニュースが閲覧出来ない。ムチャ不便だった!!
アンネ・ゾフィー・ムターがソリストのブルッフ作曲ヴァイオリン協奏曲を聴け、と教えてくれたのは、私のクラッシック音楽
の師匠I田ケンイチさんだ。彼はクラッシック音楽のみならず、バレエにも造詣が深く、しかもオーディオもムチャ
詳しい。だから我が家のオーディオ装置は長年ケンイチさんが選んだし、設置も彼がしてくれた。そう考
えると、私の人生には大勢の師匠がいたことを思い出した。連句の師匠はI田トモユキさんだったし
、読書と競馬の師匠はO田ユウイチさんだった。O田ユウイチさんは昨年の9月80歳で亡くなった。こ
の10年位は殆ど会うこともなかったが。歌舞伎の師匠はIマリちゃんだ。今の歌舞伎座もこけら
落としから10年以上経ったが、先代歌舞伎座のさよなら公演最後の日、お礼としてIマリちゃん
をご招待して一緒に「助六」を観た。芝居後は築地「虎杖表店」に行って、ふたりとも気が抜け
たような飲み会をしたのだった。彼女はあとちょっとで歌舞伎座通い50年になるのではないだ
ろうか。パソコンやスマホなど高性能機械の師匠はこの日記にもよく登場するA先生である。およそ30
年前に初めてのパソコンを秋葉原まで一緒に購入に行き、セッティングから指導まで何から何まで教えて
貰った。以来、10数台のパソコンを入れ替え、4年前から四谷と京都の家も結ぶ3軒のオンラインも実現
している。スマホの買い替えなどもオンブにダッコ状態。新居入居や断捨離時の整理整頓の師匠はキョウコ
である。私と違って頭の中が立体化されているから、多くの荷物もこうすればスッキリと片付くなん
て即座に判断して指導してくれる。ひとりで生きて来たように錯覚しがちだが、実に多くの師匠
に導かれているのだな、と改めて実感した。
そうそう、今週ウィーンのホテルブリストルで見学した「プリンスオブウェールズスィート」であるが、「王冠を賭けた恋」
で知られる元イギリス王のエドワード8世が滞在していた部屋とカンタンに書いた。でも皆さん、ご存知で
すよね。2度の離婚歴のある平民のアメリカ女性ウォリス・シンプソン夫人と結婚するために、歴代最短の在位
325日で退位したイギリス王のエドワード8世のこと。退位後はウィンザー公爵となった人。兄の突然の退位
で王位につかざるを得なかったのは吃音の弟ヨーク公だ。映画にもなったが母のメアリ皇太后の元で泣き
じゃくったヨーク公はジョージ6世として泣く泣く即位した。その長女が一昨年96歳で惜しまれて亡く
なったエリザベス女王である。つまり、エドワード8世のお騒がせの恋が無ければ、エリザベス女王は実現し
なかった。今のチャールズ国王も無かったことになるのだ。突然の退位で世界中を混乱させたエドワードが
姿を隠したのはオーストリア・ウィーンの郊外だった。数ヶ月後、彼にはウィンザー公の称号が与えられた。母メアリ
皇太后とジョージ6世と嫁エリザベス王妃とは絶縁状態が続き、「許可を得ず帰国したら王室からの手当
を打ち切る」と通告されていた。各地を転々としていたが、後にウォリスとの夫婦で帰国を許したのは
姪のエリザベス女王だった。どの時代にウィンザー公爵がウィーンの「プリンスオブウェールズスィート」に滞在していた
のかはわからないが、そんな歴史的人物が実際ここにいたのだなぁとの思いを持って240uのスィート
ルームを歩き回った夢子であった。
話がニャがい!
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