パクパク日記24年11月1週
平熱で帰国したのに2日後に入院😿 コロナ・イタリアーノ!
ほとんど寝ていた グランド・ホテル・ドゥ・キャップ・フェラ
11月 4日(月)サン・ジャン・キャップ・フェラもニースも晴れ
遅い朝 グランド・ホテル・ドゥ・キャップ・フェラ フォーシーズンズホテル「Le Cap」朝食ヴュッフェ(ジャパニーズオムレツ、アボ
ガドトースト、パン、生姜と野菜のジュース、バニラヨーグルト、カフェアメリカーノ)
体調悪いせいか朝食も進まない
遅い昼 エミレーツ航空ニース=ドバイ ファーストクラス機内食
夜 無し!😿
北イタリアの美味しい旅の締めくくりは南仏コート・ダ・ジュールのサン・ジャン・キャップ・フェラ岬の先端に建つ豪奢
なパラスホテル、グランド・ホテル・ドゥ・キャップ・フェラ フォーシーズンズホテルの滞在だった。しかし、前々日から発熱し
て憧れのホテルでのディナーは泣く泣く欠席。代わりにイヤになる程長くベッドで寝ていたのだった。朝早
く起きて熱を測ってみる。う〜、未だ38度はあるなぁ。でも昨日ランチしてからたいして食べていな
いのはよくない。シャワーを浴びて、朝食を摂りに行こう。朝食会場は昨日ランチした1階の屋外レストランだ。
健康な人には清々しくて気持ちが良いのだろうが、熱持ちには肌寒くて。メニューにジャパニーズオムレツと
かアボガドトーストなんてユニークなものを見つけたので注文したのだが、どちらも特に美味しくもなく大
半を残してしまう。もしかすると体調の悪い私だから美味しく感じられなかったのかもしれない。
ま、そんなことでクロワッサン半分とフルーツで朝食を終えた。出発は昼前とゆっくりなので、帰国の荷作り
も余裕だ。11時半ニース・コート・ダジュール空港に向け出発。ニースの街を抜ける時「あぁこの街何度も来た
よなぁ」と思い出した。空港に到着して、何人かの方から咳き止めのキャンデーやティッシュ、解熱剤などを
頂き、有難とう雨あられ。皆さん、本当にありがとうございます!14時30分発のエミレーツ航空ドバイ
行きのファーストクラス。昼食を食べていないので何か食べねば。と言いながら食欲はあまり無い。う〜む
とメニューを見ながら悩み、またもやキャビアとスープ、それにデザートを注文。キャビアはしょっぱいのが苦手
なのだが、料理するワケでは無いので味はほぼ一定だからね。スープもデザートも旨くはなかった。映画
「からかい上手な高木さん」を観た。これもコミックの映画化らしいが、母校で体育教師をしている主
人公西方は高橋文哉、彼をからかう高木さんを永野芽衣。永野芽衣ちゃんて25歳というけど可愛い
ね。ドバイ空港に深夜の23時35分に到着し、またもやだだっ広い空港を車椅子を押されて長い移動。
ようやくラウンジで休んでいたら、同じグループだったU田さん夫妻が入って来られた。彼らはやはりフ
ァーストクラスで関空まで乗られる。旅の間結婚50年を迎えたU田夫妻とご一緒するのはこれで3回目と
なる。イタリア・ワインの旅とフランス・ブルターニュの旅でご一緒だったな。U田夫人からも抗生剤を頂く。無酒日
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11月 5日(火)お天気はわかりませーん
朝 エミレーツ航空ドバイ=成田 ファーストクラス機内食 オムレツ、クロワッサンなど
洋朝食も旨くない機内食
昼 存在せず
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(天婦羅盛り合わせ、茶碗蒸し、千切り長芋、春菊の胡麻和え、
ご飯、お吸い物、梨のコンポート)1870円、麦焼酎
成田行きは約1時間遅れて午前3時半離陸。行きは12時間だったが、帰りは9時間半だ。4時間程
眠ってから映画「7人の秘書」を観て、不味い洋食の朝食を食べた。着陸前に熱を測ってみたら36
・5度!わーい!平熱に下がったぁ。咳や鼻や痰は徐々に減っては来たが未だね。飛行機は途中遅
れを取り戻せず、午後5時20分到着予定だったが、約1時間遅れの6時過ぎ着陸。同じ66番ゲート
に着いたからまたイミグレや税関までは長い距離を移動する。その道中グループの添乗員や参加者の皆
さんにお会いしたのでお礼とお別れのご挨拶をした。車椅子を押して下さった方は大ベテランで成田空
港の昔のこともよくご存知。タクシー乗り場まで押して頂いたが、彼とのお喋りがとても楽しかった。夕
方なので心配したが、帰りの道路は渋滞もなくタクシーは午後7時45分自宅到着。部屋に入って荷物を
置き、手を洗ってうがいをしてからすぐダイニングに向かう。今回の旅は9日間。この間アルコールを飲んだ
のは1日だけ!信じらんないでしょ、この私が(笑)。で、ニカニカしながらグラスに麦焼酎をドボドボ入
れて、キュッとね。久しぶりのダイニングの食事だから美味しいに決まっているのだが、思った程ではない
か・・。風邪が未だ抜けていないからだろう。それでも我が家に帰って来たこともあり大きな安堵感。
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11月 6日(水)晴れ 寒いぞ!
アメリカ大統領選挙トランプ候補が大差で勝利・・😿
朝 明石町「ダイニングルーム」B定食(無塩トマトジュース、ボイルドエッグ、ベーコンと茸炒め添え、サラダ、トースト、
オレンジ、コーヒー)770円
昼 明石町「ダイニングルーム」」B定食(ほうれん草のキッシュ、ロールキャベツ、サラダ、バゲット、コーヒー)1210円
夜 明石町「ダイニングルーム」B定食(食欲不振により料理を断り、牛挽肉と黄ニラのスープ、メロン、マンゴー
プリン)1870円
食欲が無くってね、スープとデザートだけ
大きなスーツケースを開けて、洗濯を始める。こんなに旅ばかりしている人間なのの旅支度は大キライ。帰っ
て来てからの旅の片付けはもっとキライ!という困った人なのだ。その面倒臭さは、時が経過するにつ
れ大きくなって行くから「なる早で片付けるべし」がイヤを最小にするコツなのである。昨夜も今朝も平
熱だったが、何となくダルイというか。片付けもパソコン作業もため息ついている回数が多く、仕事がテキパ
キとは進まない。午後辺りから背中から腰にかけてズンと重く強張りを感じるような感覚が。いつだっ
たか同じような痛みが出たことがあったが、いつのことやら思い出せない。そんなことを夕刻M先生
にLINEでご報告したところ「念のため明日朝検査に来たら?」と言われた。そうだね、熱は下がった
けど発熱の原因を検査で調べておいた方がいいな。よし!明日朝は病院だ!夕食は大好きな中華定食。
それなのに、どうも食欲が無くて。でも口は乾く。そんなことで中華定食からスープとデザートのメロンとマ
ンゴープリンだけを食べて今日の夕食終了。アッという間に帰ってしまったから驚かれた。こんなことずっ
とやっていたら、きっとスラリと痩せるだろうなぁ。実は昼食キッシュとバゲットを半分以上も残してしまった。
とはいえ、ずっとこんな小食はムリだわね。こんな日は「なる早で寝るべし」である。9時就寝。無酒日
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11月 7日(木)晴れ 寒いぞ!
朝 明石町「ダイニングルーム」」A定食(鰈のつけ焼き、五目煮豆、江戸菜おかか、ご飯、味噌汁、キウイ)
770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165円
9時半病院に行かねばならん
昼 聖路加国際病院 病院普通食(鶏の薬味焼、カボチャの煮物、小松菜の柚子胡椒和え、ご飯、み
かん)
3泊4日入院したら?とM先生がパキパキと手配され、病室はいつもの9階西の病室に
突然入院することになり、呆然として面持ちで病院食のランチを食べる
夜 聖路加国際病院 病院普通食(白身魚のフライ 隠元コーン添え、おかかピーマン、茸とベーコンのトマト煮)
点滴は夕食後の午後7時半から始まり、終わったのは10時近かった
昨日に比べると背中の強張りはかなり良くなった。今日は9時過ぎには病院に出かけるので5時半
には起床。開店7時の13分前にダイニングに行ったのに、それでも7番目だった。ここで1番乗り!
はムリだな。昨夜殆ど食べなかったせいか、朝食は何とか完食出来た。鰈のつけ焼きは上品だね。9
時過ぎに家を出て病院へ。こうゆう時、この建物に住んでいて良かったことを実感する。超近いし、
何かと親切にして貰えるし。「安心して病気が出来る」って凄い安心感なのである。急な予約をムリク
リ取って貰った格好なので「待つことも覚悟して」と言われたが、10分もしないうちに処置室に案
内され、血液検査やら鼻の奥にグリッと綿棒みたいなのを突っ込むのやら。暫くするといM先生が「ユ
メコさんね、わかりましたよ、ジャジャン!COVID-19でした!」COVID-19?なんか聞いたことあるなぁ。
昔よくその話していたような・・アッ!それ新型コロナじゃん。エーーー!!!5類に移行してから2度目
ですよぉ。グスン。「はい。ユメコさんそれではね、どうしてもということならご自宅に帰っても良いで
すが、糖尿や高血圧などを抱えている高齢者は肺炎になりやすいので念のため入院して一日1回点
滴受けるのはどうですか。ってもう病室手配しちゃんだんだけど。今日の昼食も。ハハハ」って。ホント
M先生は手回しが早いんだから。仕方ない、入院するか。「3泊4日でいいんですね。では必要なも
のを取りにちょっと帰って良いですか」と「外出」の許可を取った。こんなことになるなんて!コロ
ナなんて夢にも思っていなかったのでボーゼンの思いで9階西病室へ。933号室だった。間もなく昼食
が運ばれ来た。あぁこうゆう食事だったね、ここ。住まいのフロントに連絡して一時外出するための迎
えと送りをお願いした。車椅子に乗って病院外に出ると、正面玄関前には多くのカメラマンが待機してい
た。そう三笠宮百合子様のご容態が悪くなり、皇族の皆さまがお見舞いに来られる姿を撮影しよう
としているのだ。百合子様は聖路加国際病院をよくご利用されておられる。30分で荷物を作りまた
病院へ。3泊4日だと退院は日曜日になる。昨年の5月敗血症で入院して以来だ。今日の担当看護
師は顔馴染み。え?〇〇ちゃん辞めてまったの?なんて話も。今日の点滴は夕食後7時半過ぎから。
2時間以上かかり終わったのは10時近かった。必要無いかもだが、睡眠薬を貰って就寝。無酒日
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11月 8日(金)晴れ 寒いぞ!
朝 聖路加国際病院 病院普通食(餡かけ厚揚げおろし、キャベツのゆかり和え、ふりかけ、ご飯、
味噌汁、ヨーグルト)
昼 聖路加国際病院 病院普通食(鰆照り焼き椎茸含め煮、白菜と揚げ煮浸し、胡瓜と蕪の酢の物、
キウイ)
夜 聖路加国際病院 病院普通食(黒酢酢豚、モヤシナムル、ご飯、杏仁豆腐)
よく効くが悪夢見る人も?ホント?
昨夜貰った睡眠薬「デエビゴ」(面白いネーミングだね。南国の花デエゴに似ているか)はよく効いた。通
常夜中に3、4回トイレに行くのだが、昨夜は1回だったからなぁ。依存症にもならないし、副作用も
無い良い薬だが、ただひとつ欠点があると聞く。何だ何だ、欠点って。それはね。悪夢を見る人が
たまにいるとのこと。悪夢って?それはね。人を殺してしまったとか殺されるとか、罪を犯してし
まうとか・・へぇ、でも夢だってわかっているなら大丈夫でしょう。これからも必要があったら飲
むので下さい。帰国する日に兄からLINEを貰った。カタカナ会社で一緒に働いたM下K男氏が今月4日
亡くなったという内容だった。アルバイト情報誌の初代編集長で「フリーター」という造語を世に送ったMっ
ちゃん。華々しく活躍したMっちゃんだが、私より3歳下なのに亡くなったというのだ。帰国して
調べてみると昨日が通夜、今日が告別式ということだったが、隔離されている身では参列するワケに
も行かず、病室でひとりMっちゃんのことを思い出しながらご冥福を祈った。今日は午後から明治
座で歌舞伎を観ることになっていた。中村屋勘九郎、七之助兄弟の舞台。今月歌舞伎座は大掛かり
な工事が入ったため通常の公演をしていない。こうヒマだと楽しみと言えば3食の食事くらい。とは
いえ、運ばれて来た食事を見る度「これだけ?」とガッカリするのだが。それでも4年前に蜂窩織炎で
初めてこの病院に入院した時は「メシが不味い!」と毎日文句タラタラだったが、あの時に比べると味が
良くなったかもな。味付けは悪くはないようなね。今夜も「デエビゴ」飲んで寝ましょう。無酒日
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11月 9日(土)晴れ 寒いぞ!
ロッテ、佐々木朗希投手のポスティグ認める→来季メジャーへ!!!
朝 聖路加国際病院 病院普通食(和風スクランブルエッグ、胡麻辛子和え、紫蘇の実漬け、ご飯、味噌
汁、ヨーグルト)
紫蘇の実漬け貴重
昼 聖路加国際病院 病院普通食(鰈葱味噌焼き甘酢生姜添え、ヒジキと枝豆の炒め煮、オクラのお浸
し、ご飯、バナナ)
佐々木朗希投手はロッテの束縛が外れ、私は点滴カテーテルが外れ(笑)
夜 聖路加国際病院 病院普通食(ハッシュドビーフ、ドレッシング付きサラダ、スチームカリフラワー、ご飯)
再びトランプを選んだアメリカ人に溜息が出る・・・😿
入院3日目。この病院に入院するのは1泊の検査入院を含めれば5回目となる。入院時はたいがい
4時半とか5時には目覚めているのだが、今回「デエビゴ」を服用しているせいか、いつまでも寝
ていたいような。7時半にやっと起き出す始末だ。ま、眠れるってことは良いことだが。毎朝体温
や酸素濃度、血圧などの測定がある。すべて正常値で問題無し!咳や痰もかなり減った。今日午後
最後の点滴が終わる。初めて感染したのは昨年の6月末日。甥と熱海で温泉三昧3泊して帰って来
たら翌日発熱して。甥以外とは誰とも近しく話してもいないし、甥も元気でピンピン。何で私がコロナ
なのよ!と叫びたい感染だった。その時は自室で10日間隔離状態だったが、感染翌日には楽しみ
にしていた新潟旅行に行くことになっていて私も一緒に行くメンバーもガックリ。残念なことをした。あ
の時も発熱していたのは1日半だけであとは咳と鼻だった。今回もイタリアで風邪を引いたと思ってい
ただけだから、発熱期間も2、3日だけ。人によっては症状が重い人、長引く人もかなり多いと聞く
から私はラッキーな方だわなぁ。5類移行後2回感染したということを除けば。「令和の怪物」こと佐々
木朗希選手のメジャー行きが決まったようだ。ロッテ球団が佐々木のポスティングを容認したのだそうだ。大谷
翔平選手の時と違って、球団とのやりとりなどがスカッとしない朗希選手だが、新天地で活躍して欲し
いよ。それにしても日本は優秀な投手の輩出国。NPBも正直「やってらんねーよ!ったくぅ」って
気分なのだろうね。優秀な選手が猫も杓子もという感じでMLBを目指すのだからNPBの監督や関係
者は立腹必至。同情します。最後の点滴を終えて、ずっと右手首近くにセットされていた点滴の装置が
外れた。点滴薬が漏れたらしく手首が脹れ始めて心配。夕食はハッシュドビーフ。いじゃないか。無酒日
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11月 10日(日)晴れ
今日目出度く退院!3泊4日の入院だった
朝 聖路加国際病院 病院普通食(鶏肉と高野豆腐の炒め煮、ブロッコリー揚げ煮浸し、ふりかけ、
ご飯、味噌汁、ヨーグルト)
昼 自室 ケータリング・アラカルト(サンマーメン1155円)、(Aさんにお見舞いで頂いた)味っこみかん3個
やっぱりダイニングルーム食は旨い!
諦めた人(貴景勝)とオラオラの人(大の里)
夜 自室 ケータリングA定食(刺身盛り合わせ、生鱈子と野菜の煮物、分葱とワカメの辛子酢味噌和え、
さつま芋サラダ、ご飯、味噌汁、シャインマスカット)1870円、味っこみかん2個
やっぱりダイニングの料理は美味しい!
今日は早く起きた。普段の生活のように朝食前にシャワーを浴びようと思ったから早起きしたのだ。こ
の病院の9階西病棟は病室が広い上に横に一体化したトイレ・バスルーム・洗面所が付いているので超便利。
一応用意はされているが、自宅からシャンプー・コンディショナーなどトイレタリー製品は持参した。よし!これでサッ
パリした。入院用のパジャマ(レンタル製品)から自分の服に着替える。そう、今日は退院なのだ。退院時
間は自分で決めていいとドクターから言われていたので朝食後10時とした。住まいからはスタッフの方が迎
えに来てくれた。4日間でしたが、お世話になりましたぁ〜!1階で会計を済ませ、病院の外に出る
と大勢のカメラマンが未だ集まったまま。三笠宮百合子様、頑張っておられるなぁ。私室に帰ったものの、
発症翌日から10日間は隔離状態が続く。明後日まで食事はケータリングサービスだ。昼はアラカルトのサンマーメンとA
さんからお見舞いに頂いた味っこみかん。サンマーメンも美味しかったし、味っこみかん酸っぱいが美味し
く3個も食べてしまった。やっぱりここはいいなぁ。今日から大相撲九州場所。ふとテレビ画面を見る
と、新大関の大の里が花道で入場を待っている手前に、チンマリと立っている可愛らしい人物が。誰かと
よーく見ると、若くして引退したばかりの貴景勝関だった。パンパンだった丸い顔がスッキリしてお小姓さ
んのようだ。綱取りを諦めた若き元大関と我が世の春とばかりに堂々とした新大関。そのコントラストをクッ
キリと炙りだしたような光景に、思わずスマホを構えてパチリ!!!夕食は刺身盛り合わせだった。無酒日
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【今週の振り返り】
仕事は多忙を極めたが、忙しければ忙しい程よく酒を飲み交わしていた。多くは職場内のメンバーとの飲
み会だったが、接待酒が大半を占めていた時代もあり、1次会、2次会、3次会と仕事酒、4次会あた
りでようやく仲間うちとのお疲れ様会なんてこともあった。仲間内の飲み会もコアメンバーに毎回少しずつ
メンバーが入れ替わった。毎晩酒もガンガン飲んだが、談論風発、自由に語り合うことも飲み会の楽しみの
大きな一つだった。話題はいろいろ。これまで観た映画のベスト3を洋画の部と邦画の部で各自発表し合
うとか、小中学生時代一緒だったユニークな同級生のこととか、初恋の思い出や失恋悲話とか、子供の時大
好きだった曲の披露とか、日本に住めなくなった場合世界のどこに住みたいかとか・・ね。ほら、今だ
ってこんな話題をツマミにして飲みたくなったでしょ。ある夜の話題は、これまで行った海外の国々や地
域で忘れられない国はどこか、というものだった。
マリちゃんとケンイチさんは「断然イタリア!」と最初から最後まで言い続けた。自分が行った1度か2度のイタリア
旅行を語り合って、同じ町の話になれば「そうそう、あそこが素晴らしのよねー!」と声高々に誉め合
っていた。黙っていれば2人で何時間でもイタリア賛辞を続けていそうで、周囲は少し引く有様だった。そ
れから数年経った頃、ふと思い出してマリちゃんに聞いてみた。あれから他の国いろいろ行かれたけど、
今はどこの国が1番好きなの?「そうですねぇ、・・やっぱりイタリアですね」ってマリちゃん。そんなにイタリア
いいっすかねぇ。絶賛ものっすかねぇ。一方M井ちゃんの場合はハワイだった。夫婦、家族で何回でもハワイ。
海外と言えば十数回連続でハワイに行っていた。他は行くつもりは無いようだった。それぞれが好きな場所
に行けばいい、と思ってはいたが、他には全く見向きもしないM井ちゃん夫婦に業を煮やして「一度でい
いから、パリとかロンドンとかヨーロッパにも行ってみてよ。頼むから」とお願いする羽目に(笑)。帰国した
M井夫人が「パリ素敵でしたぁ。ハワイ以外にもいいとこありましたぁ」と報告されて、ホッと肩の荷を下ろし
た気分になったのだった。
私が初めてイタリアに行ったのは1979年昭和54年のことだった。今から45年前である。イタリア含めてその時
が初めてのヨーロッパだったが、たった一人の個人旅行だった。語学得意?全然!当時大いに利用された6ケ
国辞典1冊持っての渡欧である。アメリカ出張を終えての「ついで欧州ひとり旅行」。だから欧州入りしたの
は、ニューヨークからコンコルドに乗ってのイギリス・ヒースロー空港だった。あの頃は未だユーロなど無く、欧州でもそれぞ
れの通貨を使用していたからjを£ポンドに換金した。ロンドンに3泊してまた飛行機に乗ってローマへ。当時
イタリアの通貨はリラだった。一部タクシーとほぼ徒歩のローマ観光。バチカン美術館のシスティーナ礼拝堂でミケランジェロの「最後
の審判」を見上げ続けて首が痛くなったし、サン・ピエトロ寺院ではミケランジェロのピエタにすっかり魅せられ動け
なくなった。今は透明な囲いがされているようだが、当時はそんなもの無かったから写真もバッチリ撮れた
し、聖母マリアの深い嘆きが観るものにジワジワと直接伝わって来るようだった。地図を見ながら「この辺の
ハズなのになぁ」と散々歩き回り、諦めて日陰を求めて裏の通りに行ってみたらそこに探していたトレビの
泉が!驚いて飛び上がったりしてね。コロッセオではひとり「デカイ!」と呟き、スペイン広場の階段ではお約束通
りジェラートを買って座って食べた。未だ禁止ではなかった。何とか教会の「真実の口」も探して行った。つ
まりは、大好きな映画「ローマの休日」で王女アンナと新聞記者のジョーが行った場所をナゾッテいたような感もあ
る。そうそう私の好きな洋画1位は「ローマの休日」だった。
イタリアの次はスペイン、フランス、スイス、ドイツと6か国を回って45年前は帰国した。それからイタリアには度々出かけ
た。イタリアは面積で言えば日本の8割程の小さな国だが、長い歴史を持つこともあり、観光客としてかの
地を訪れると様々な異なるそして魅力的な顔を観ることが出来る実に魅力的な国である。まさにマリちゃん
の言う通りなのだ。大都市で言えば、ローマ然り、ミラノ然り、フィレンツェ然り、ベネツィア然り。北のヴァッレ・ダオスタ州
のチェル・ヴィイアに行けば、裏側からマッターホルン(モンテ・チェルヴィーノ)を眺められるし、コーニュまで行けばイタリア最高峰
グラン・パルテイーンを拝むことも出来る。ドロミテに行けば数千メートル級の山々を見放題である。かと思えば、シチリ
ア島もサルディニア島もある。シチリアには真夏の暑い時に行ったことがあるが、素朴ながら滋味深い美味しさに
感動しながらも「あっ!ここはマフィアの本場だった。気をつけねば!」なんて急にキョロキョロ周囲を見渡してや
たら用心深くなったりしてね。ナポリに行けば、西暦79年ヴェスビオ火山の爆発によって一夜のうちにして灰
と瓦礫に埋もれた街ポンペイに連れて行かれる。私はたぶん3回ポンペイに行ったような記憶が。もっと南に
行くと洞窟住居で知られるマテーラとかトンガリ屋根(トルッロ)で知られるアルベロベッロなんて言う世界遺産の登録さ
れた街もある。多くの顔を持つイタリア。確かに1番好きな国はイタリアって言う人多いのわかるわ。うん。
今回サンレモには初めて訪れたのだが、サンレモ自体は60年以上前の少女(キャ!そうゆう時代もあったんですって、
私にも!)の頃から馴染みの地名だった。何しろサンレモ音楽祭と言えば、日本で普通に語られる有名な音楽
祭だったから。サンレモ音楽祭は1951年(昭和51年)からスタートし正式にはイタリア歌謡祭。毎年決まる優勝曲か
ら世界的ヒットが出たことも度々ある。その始めは1958年の「ヴォラーレ」だった。知っているでしょ?ヴォラーレ。
その後も「チャオ・チャオ・バンビーナ」とか私が大好きだった「アル・ディ・ラ」とか日本でも大ヒットした。1964年にヒッ
トした曲にはジリオラ・チンクエッティが歌った「夢見る想い」が、翌年にはボビー・ソロの「君に涙とほほえみを」があ
ってどちらも懐かしい曲だ。コニー・フランシスやポール・アンカなど外国アーチストも音楽祭に参加するようになり、日本か
らは芹洋子や伊東ゆかりが参加したことがある。1981年には松田聖子も出演したと聞き、調べてみたらトシ
ちゃんとプレゼンテーターをしただけの役割で歌わなかったらしい。日本でこのカンツォーネ・ブームはしばらく続いた。
今回サンレモには2泊したので、私がパスした街歩きの途中では会場となるアリストン劇場にも行き、これまでの優
勝者パネルを見学したそうだ。日本ではすっかり忘れられたようなサンレモ音楽祭だが、現地では今も行われて
いるそうよ。
たぶん5年ぶりくらいの久々のイタリアであったが、お天気にも恵まれ、美しい景色を堪能した。個人的にはト
リュフは食傷気味でちょっと・・なんてケシカラン贅沢なことを言っていた私でもその朝掘り出して来たばかりの
白トリュフには「参った!」と感服。トリュフも新鮮かどうかってとっても大事だったのだ。卵がたっぷり入った
手作りの出来立て熱々パスタにこれでもか!と削った白トリュフ!旨かったなぁ。これこそボーノ!であった。発
熱さえ無ければ美味しいイタリアの旅で終わったのに・・。
猫はねぇ、トリュフ掘る気全然ニャイよ
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