パクパク日記6年10月2週

            世界一豪華なロボスレイルで2泊3日の旅。ジャガランダが満開だった

ロボスレイル食堂車   ジャガランダ

10月 8日(月) 晴れ

朝 ケープタウン 「ヴィンヤードホテル」 朝食ヴュッフェ            R(ランド)=約20

一昨日の夜ケープタウンの夜景を見学する予定であったが、夜になって雨が降ったため中止となった。

昨夜は雨も雲も無かったので、夕食後シグナルヒルに上って夜景見学。スンバラシイ夜景である。ネオ

ンが少なく町が広い分、暖かな灯が目の前一杯に広がった。「300万ドルの夜景」と言っていたが香港

の「百万弗の夜景」時代とは貨幣価値が違うよね。いよいよ今朝でケープタウンを離れる。3泊した「ヴ

ィンヤードホテル」は素晴らしいホテルであったが、朝食の注文がちゃんときた試しは一度もなかった。

待合室からして豪華っす   これが2泊3日過したロイヤルスィートキャビン   猫足のバスタブも完備しているっす

午前10時ケープタウン駅近くのロボスレイルの待合室に入る。優雅な待合室の入り口でシャンペンで

出迎えられた。ヴァイオリンとクラッシックギターの生デュオは「愛のあいさつ」、「トルコ行進曲」、「ハン

ガリアン舞曲5番」などを演奏している。やがて創業者オーナーのロハス・ボス氏(だからロボス)が乗

客一人ひとりに握手しながら挨拶に回る。私のところにも来たよ。年代ものの蒸気機関車で引っ張るク

ラッシックで優雅な車両で豪華な汽車の旅が出来るプライベートな鉄道を作る、ということを少年時代

から夢見ていたのだそうだ。乗客に乗る客室の名前が知らされる。私は「SELOUS」ってのだってさ。

客室のネーミングは地名と動物名。隣の部屋はスプリングボックだし、インパラなんて部屋もあったよ。

SELOUS」は6両目にあり、何とロイヤルスィートキャビン2部屋しかない!隣もN山さん1人だから、

つまり1車両に乗客2人ってことだ。デラックススィートは1車両3室、一番安いプルマンで5室だ。さ

て、「SELOUS」だが、デッカイダブルベッド、クラッシックなチェア2脚、オットマン、冷蔵庫、エアコン、

電話などが付き、バスルームには猫足のバスタブまで完備しているぞ。シャワーブースもあるのだよ。

昼 ロボスレイル 食堂車 【1934年製】 ペストとオリーブのクラスティーニ、パン、マッシュル

      ームラ ビオリ、シナモンミルクタルトとクックシスター、コーヒー、ビール、白ワイン

  

これが列車の食堂とは思えないでしょ?               最後尾18号車は展望車です

1115分ロボスレイルはゆっくり動き出し、午後1時からランチ。食堂車は2つあり、全乗客が同時に

食事できる。日のあるうちは酒飲まん主義だが、せっかくのロボスレイル飲んじゃうか。乗っている間の

飲食はすべてインクルードされているしね。温かいパンが旨い!料理はそれほどではないけど・・・・・。

車窓から見える景色はこんな  誰ひとりいない、家も1軒もない景色が続く       あっちこっちに大きな蟻塚が見える

食後「SELOUS」で過す。慣れない昼の酒で眠い上、汽車のゴットンゴットンという音が子守唄になって

ついウトウト。これが気持ちいい!目覚めてから、バスタブにお湯を張り、ゆっくりと風呂に入る。外は

どこまでも続く雄大な景色。これをゼータクと言わずに何と言うのだ!アフリカに来て良かったなぁ、清

水の舞台から飛び降りてロイヤルスィート借りて良かったなぁ、仕事辞めて良かったなぁ、生きていて良

かったなぁ・・。午後545分マッジェスフォンテン駅着。ここで7時まで停車。直線距離100メートル

位の小さな村で、郵便局や古いホテルがある。このホテルにはチャーチル英首相の父も来たそうだ。

 

夜 ロボスレイル 食堂車 【1928年製】 スモークサーモンとトマトフュラティーニ、パン、トマトク

     リー ムスープ、グリルポレンタとペストトマトタワーズ、ベルブリュレ、カモミールティー、ドライシェリー、

    白ワイン 3杯、赤ワイン(RUST EN VREDE 2001) 4杯

  

  

我々15人の日本人客のために日本語メニューとジャポニカ米、お箸が用意されていた  

夕食は8時から。正装のこと。皺になった金ラメのブラウスを部屋にかけておいたら、ホステスの女性

がちゃんとアイロンを掛けてくれていた。キメ細かいサービスですなぁ。食堂車は1928年製と1934

製とがあり、古い方はビクトリア調。列車全体が何ともノスタルジックでノーブルなのである。キメ細かな

サービスはここでも示され、我ら15人の日本人客のために、日本語のメニューが用意されていた。そう

いえば、客室にあるすべての資料も日本語の翻訳されていたなぁ。ただちょっとオカシナ日本語で、音

引き(−)がすべて(「」になっているじゃないか。例えば(コーヒー)はコ 「 ヒ 「って具合。メイン料理に

はジャポニカ米が添えられている。その上お箸まで。タダを良いことに、ワインがガンガン飲み過ぎた。           

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10月 9日(火) 晴れ

朝 ロボスレイル 食堂車 【1934年製】 朝食ヴュッフェ+オムレツ+トースト

  

列車は夜10時半頃から停車する。乗客が寝やすいように。何せブルートレインなら同じ1600キロを

27時間で走るのに、このロボスレイルは48時間もかけるので時間はたっぷりあるのだ。早朝540

分頃再び走り出した。気持ち良く目覚めて車窓の外を見ると今日も良い天気だ。朝食を摂りに行く時は

入り口のフックに「MAKEUP ROOM」の小さな札をかける。食事中に担当ホステスが部屋を掃除し

てくれる。朝食は冷たいものはヴュッフェ、温かい料理はオーダーする。朝食もまた優雅なのである。

  

   ラウンジ、展望車にはスナックが用意されている   私が泊まったSELOUS室        最後車両にはポストもある

昼 ロボスレイル 食堂車 【1934年製】 野菜のガトーとアボガドムース、パン、ポテトパンケーキトマ

トとモッツェラチーズ添え、アップルケーキ ハイボスクレームアングレーズ添え、コーヒー

  

  

世界最大のダイヤモンド会社・デビアスの掘った穴跡とヘッドオフィス      かつての栄華を感じさせる屋敷

  

キンバリーを出発して10分後2万数千羽のピンクフラミンゴが                 17号車は喫煙ラウンジ

昼食後、キンバリーに到着。そう、ダイヤモンドが発見されて1万人余の男達が一攫千金を求めて押し

寄せた「ニューラッシュ」の町である。トーゼン世界最大のダイヤモンド会社デビアス社の本社もある。

駅前にバスが2台用意され、私達のグループはマイクロバスが与えられた。キンバリー観光に出かけ

る乗客にロボスのスタッフが冷たい水のペットボトルを手渡す。暑い!かつてダイヤモンドで沸き立った

キンバリーも今や失業率が40%を越え治安も悪いらしい。デビアスの創始者で北ローデシア(現ザン

ビア)、南ローデシア(現ジンバブエ)の国名の元になったローズの住んだ家、治療した病院があった。

SELOUS」のある6号車から17号車(喫煙ラウンジ)、18号車(展望車)に行くのはメンドーなので今

まで一度も行かなかった。観光の帰りはまっすぐ最後尾車両へ。クラッシック音楽が流れていて、ここも

優雅じゃん。展望車の後ろには木製のベンチが2つあり、過ぎ行く線路を見るのが楽しい。鳥取から1

人で参加されたM田さんは夜このベンチで星を眺めるのが最高と仰っていた。キンバリーを発車して1

0分、左手に小さな湖が見え、そこには2万羽を超すピンクフラミンゴがいた。夢中でシャッターを切る。

夜 ロボスレイル 食堂車 【1928年製】 ワイルドマッシュルームとサフランのニョッキ、パン、ウ

      ォー ターフラワースープ、キングクリップのディルソース、ケープブランデーケーキ アマルーテカス

      ター ド添え、カモミールティー、ドライシェリー 2杯、赤ワイン 3杯  

  

  

  

ロボスレイルのスタッフは観光から戻ると冷たいおしぼり、シャンパンオアオレンジジュースでお出迎え

だ。バスタブでまたもや優雅な入浴を楽しんでから、夕陽に見惚れた。陽が沈んでからも長い間空と雲

が美しかった。夕食の食卓には昨夜なかった蝋燭が灯され、照明もほの暗い。暗い上に列車は揺れる

から、料理の写真を撮るのに苦労。昨日気に入ってさんざん飲んだ「RUST EN VREDE 2001」は

品切れになってしまったということで、同じ2004を飲んでみたが、青臭い若僧のようで気に入らなかっ

た。食後客室に帰ってびっくり。夜のベッドメーキングがとってもお洒落。緑の毛布を工夫して生花を挿

し、シャンパンのボトルとグラスがベッドに置いてあるではないか。そしてベッドの片隅には、オーナー

宛のアンケートとチップ(20US弗)を入れる封筒も。シャンペンは飲み切れないから持って帰ろうっと。

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10月 10日(水) 晴れ

朝 ロボスレイル 食堂車 【1934年製】 朝食ヴュッフェ+オムレツ+トースト

  

終点手前2時間の地点で、電気機関車から蒸気機関車に交換する。運転席にも乗せてくれる

  

煙をはいてシュッポッポと走る     車庫にあったティファニー蒸気機関車    到着後も豪華なラウンジで休憩

ロボスレイル社は、19世紀終りと20世紀前半に製造された4台の蒸気機関車を保有しているそうだ。

しかし、石炭と水の補給装置を整えるのが難しくなり、全区間を蒸気で走るのは困難。そこで終点の一

つであるプレトリア近辺の数十キロだけ蒸気で走らせることにしている。10時半頃、スタッフが「ここで

蒸気機関に替えるから先頭まで見に来てください」と言いに来る。ここまで引っ張って来た電気機関車

が切り離され、いよいよ蒸気機関車のお出ましだ。これも見せ場らしく、乗客全員が写真を撮っている。

希望者は運転席にも乗せて貰える。ロボスレイルは、最大でも72名の乗客しか乗せないが、今回の旅

は50名。15人日本人がトップでアメリカ、ドイツ、スイス、アイルランド、カナダなどの客が乗っている。

先頭の蒸気機関車が動き出した。ロボスはブルートレインと違って、窓の開閉が出来るから撮影には

便利。笑ったのは、たくさんの備品の中にゴーグルがあったこと。蒸気のスス除けですってさ。1145

分ロボスレイルは48時間余の旅を終えて、ロボス専用駅に到着。何とオーナーのボス氏が「ウェルカ

ム プレトリア」と言いながら、出迎えるではないか。専用セスナでケープタウンから飛んで来たらしい。

昼 プレトリア(ツワネ) 「ラドマイヤーズレストラン」 パンプキンスープ、バナナパン、牛肉フィレ マッ

シュルームソース、マルガプリン(南アフリカ伝統のプリン)、コーヒー、マンゴージュース 16R

  

  

モルレッタ・クルーフ国立公園の中にある 「ラドマイヤーズレストラン」            スプリングボックの親子

列車から荷物が下ろされ、バスや車に積み込まれるまで乗客はまたもや優雅な待合室でお茶など飲

んで過す。乗ってこんなことを言うのもアホみたいだが、ロイヤルスィートの料金は如何ほどか知らん。

「地球の歩き方」には2番目のデラックススィートで2万2千Rとあった。大枚ハタいた「夢の列車の旅」

はこうして終ったのである。2回目の訪問になるプレトリアの街を40分走って国立公園内にあるレスト

ランに行く。どうしてここにレストランがあるかは知らないがお洒落な店であった。スープとパンが旨い。 

プレトリアの街はまさにジャカランダの花が満開   クルーガー第3代大統領の銅像

午後のお茶 プレトリア(ツワネ) 「ハリーズ」 カプチーノ

旅の最後のお目当ては、ジャカランダの花。南米ボリビア原産ののうぜんかずら科の木で、約100

前、たった2本の苗木がブラジルから運ばれたのが今ではプレトリアだけで7万本を数える。10月から

11月が開花時期だが、気温によって早くなったり遅くなったりするのは桜と同じらしい。ヴィクトリアの滝

の水量が一番少ない時期でも敢えてこの時期に訪れたのはジャカランダの花を見るためだ。街中で薄

紫の花が咲き誇っているが、市庁舎横の通りが一番美しかった。桜のトンネルならぬジャカランダのト

ンネルである。でも南アフリカの人たちは、日本のようにお花見なんかしないみたい。美しい花だなぁ。

夜−1 プレトリア(ツワネ) プレトリア・シェラトンホテル サラダ、パン、キングクリップのフィレ 

     タリア テッレ添え、レモンとライムのブリュレ、ビール 16R、白ワイン 22R、赤ワイン 22R×2杯

  

プレトリア唯一の5ッ星ホテルのシェラトンで最後の晩餐。夫婦4組、母娘1組、一人参加女性4名の

14名の旅であった。母娘組のお嬢さんの次に私が若く、唯一の喫煙者。途中、持病の調痙攣にも襲わ

れたが幸い早く治ったし、お天気にも恵まれて楽しい旅であった。皆さん、お世話になりました、乾杯!

夜―2 客室にて 「日清」のサッポロ一番カップスター(醤油味)

珍しく寝付かれずテレビでイングランドVSクロアチアのサッカーの試合を見る。1−0でクロアチアリー

ド。あれれれ、イングランドはキーパーに返したバックパスを、ゴールキーパーが見事に空振りして2

目を入れられちゃったよ!バッカみたい。それにしてもお腹が空く。禁断であることは重々承知している

が、誘惑に勝てない。ヨシ、食べちゃおう。大事にここまで持って来たカップスター(醤油味)ツルツル。

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10月 11日(木) 晴れ

朝 プレトリア(ツワネ) プレトリア・シェラトンホテル 朝食ヴュッフェ

夜中の禁断カップラーメンを美味しく食べて寝たのは3時半だった。ウェイクアップコールでようやく6

半に起きる。今日は帰国の日だ。胃がもたれて・・・なんてことは全くなく朝ご飯もモリモリ食べたのよ。

 プレトリアの街はジャカランダで紫に見える       白いジャカランダもある                超高級住宅街

空港に行く途中、3度目になれうユニオンビルの丘に上り、プレトリアの街を見下ろす。まるで街中が紫

色かと思う程、あちこちでジャカランダが咲いている。丘の向こうの超高級住宅街に行けばそこには珍

しい白いジャカランダも咲いている。今年2月アルゼンチンに行った時、咲き残っていた白い花を見た。

昼 キャセイパシフィック ヨハネスブルグ=香港 ビジネスクラス機内食

  

ヨハネスブルグ発1250分香港行き。キャセイの機内食で気に入っているのはガーリックトースト。

夜 キャセイパシフィック ヨハネスブルグ=香港 ビジネスクラス機内食

  

お昼のたっぷりお酒の飲んで、誘眠剤も飲んだからよく寝た。13時間余のフライトもよく眠れればシンド

クは無いのだ。夜と言いながら、飛行機の中では朝食メニュー。でもメインはクドイ焼そばを食べたよ。

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10月 12日(金) 

朝 キャセイパシフィック 香港=成田 ビジネスクラス機内食

南アフリカ時間では午前2時に香港着。でも、時差が6時間あるから、香港は朝の7時頃。乗り換え時

間が短かったが、ハイライトを4本纏め吸いする時間はあった。喫煙ブースがたくさんある香港の空港

好きです。成田行きの飛行機で久々に日本の新聞を読む。ほう、パリーグでは日本ハムが25年ぶりに

優勝したのね。それにしてもホークスは可哀相だ。セは中日か。落合監督が号泣したんだって。機内食

は次々と出て来るけど、お腹空いていないから前菜だけ。午後2時半前には成田に着いた。長い旅。

昼 無し

成田から乗ったタクシーの運転手さんと1時間余り競馬の話をした。ディープインパクトの敗因は何だ

ったのかとの私の質問から、彼が馬運車の仕事をしたことがあるとか、子供の頃から競馬場に通って

いたなんて展開になって。タニノムーティエ対アローエキスプレスの対決、ハイセイコウの涙の引退話

なんて懐かしい話も出て。そう言えば私は30年近く競馬をやっていたのだった。今は足を洗ったけど。

夜 四谷三丁目 「尾張屋」 カレー南蛮きしめん 780円

    カレーと汁緬が両方楽しめる

家に着くなり、スーツケースを開けて洗濯に取り掛かる。30分で荷物の片付け終了。やる気になれば

早いじゃん。メールが550通。その大半が、海外からの売り込みDMH系。「30代の人妻です。お

付き合いください」とか「乱交パーティへのお誘い」とか。こうなると「社会の害」ですな。プンプン。夕食

はカレーきしめんだ。旅行中ずっとうどんが食べたかったので嬉しい。さぁパクパクの作成だよ。無酒日

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10月 13日(土) 晴れ

朝 家食 野菜どっさりサッポロ一番塩ラーメン、無花果、アロエヨーグルト

    やっぱ朝ご飯はこれだわ

「帰国した夜は限界まで起きている」のルールを守ったら、寝たのは午前3時半になってしまった。それ

でも8時には起床。起き上がると背中がイテテテ。まるで背中に鉄板を背負っているような感じだ。これ

って筋肉痛でしょうか。NHKの連ドラは田辺聖子さんの自伝モノが始まっていた。藤山直美が主演。

昼 無し!

昨夜、アフリカで撮影して来た4500枚の写真の整理は終えたから、94週分のパクパク作成。旅は

金曜日からだから早めに進行できた。夕刻、丹波の黒さやがどっさり届く。イトミからの誕生祝いの由。

夜 家食 宇都宮焼き餃子、じゃが芋ごろごろ切り干し大根、丹波の黒さや、ネギ納豆、ご飯、味噌汁

  

    今晩は茶色のおかずです

長旅の上、睡眠不足、しかも昼メシ抜きでカラダがクタクタであることに気がついた。パソコンを一時中

断して6時から夕食の支度に取り掛かる。こんな時料理は気分転換に良いのだ。丹波の黒さやは段ボ

ールにたっぷり入っている。枝から豆を取るのに30分、大鍋で茹でて塩をパラパラ。ほう!うまいでや

んすな。さすがは高級な豆だわ。ご馳走さん。旅行中、うどんと共にシバシバ頭に浮んだのはネギ納豆

ご飯。ワシワシと頂きました。満腹になるとうとうとしてしまう。イカン、イカン。アップしなくちゃ。 無酒日

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10月 14日(日) 晴れ

朝 家食 味噌雑炊、じゃが芋ごろごろ切り干し大根、丹波の黒さや、柿、アロエヨーグルト

    味噌雑炊好きな私です

今日も背中の痛みは取れていない。ベッドから起き上がるのも一苦労だ。朝ご飯は好物の味噌雑炊に

する。我ながら呆れる位に家食のバリエーションが少ない。スコットランドの中村俊介がハットトリック!

昼 無し

今日も昼メシ抜きで、パクパク日記を作成している健気な夢子。疲れているのに、毎回これがシンドイ

のだが、たくさんの写真の中から紹介したい写真を選んだり、地名を思い出したりすることは、終った旅

をなぞることになるので楽しい作業でもある。一時帰国の宮崎藍ちゃんは1打差で2位に終ったのね。

夜 家食 野菜と水餃子のスープ、鯖の水煮缶、ネギ納豆、丹波の黒さや、ネギ納豆、ご飯

  

夕食を作るのもメンドー。食品庫を眺めていたら、鯖の水煮缶を発見。小学生の頃の給食でシチュウと

カレーは魚の缶詰入りが多かった。それが妙に好きで、家でも鯖缶のシチュウを作って家族から嫌がら

れたっけ。缶詰を温めて、ネギとおろし生姜を乗せて醤油をタラリ。昔は小躍りしたが今はそれ程美味

しくは無い。ちょっとテレビでも見ようか。あらら、NHKのプラネットアースで、さっきパクパクに書いたば

かりのサイモンズタウンが出て来てびっくり!私はここで鯨とペンギンを見たのだよ。懐かしい。無酒日

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【今週の振り返り】

子供時代の記憶で、南アフリカで思い出すことといったら、プロゴルファーのゲーリー・プレイヤーしか

ない、というのは寂しい話だが、本当である。アーノルド・パーマーや次いでデビューしたジャック・ニク

ラウスなどと腕を競った一匹狼のプレーヤーは1961年マスターズで初優勝し、13年後の1974年再

びチャンピオンに輝いた。子供心に、南アフリカの人なのにどうして白人なのだろう、と素朴な疑問を抱

いた。

南アフリカは人類発祥の地らしく、原始人の化石が多数発掘されている地だ。コイコイ族とサン族が暮

らす中に、北からズールー族、コーサ族が南下して15世紀には黒人の地域となった。その頃ヨーロッ

パでは、新しい大陸、香辛料を求めて海に漕ぎ出す賭けのような大航海時代が始まっていた。ポルト

ガルのバルトロメウ・ディアスが喜望峰を発見したのが1488年、その11年後にはインドルートを発見し

たヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰に立ち寄った。実際のアフリカ最南端は、喜望峰の南東150キロのアグ

ラス岬であることが後年判明したが、この時ポルトガルの王はポルトガルに明るい希望を見出したとし

て「CAPE of GOOD HOPE 喜望峰」の名を授けたのだそうだ。その後1652年オランダ人のヤン・

ファン・リーベークがケープタウンに上陸し、東インド会社の補給事務所を開設。インドまでの長い航海

の途中で、水や新鮮な野菜を積み込む補給地としては最適の場所だったのだ。ここは気候もいいぞ、

という話を聞いたのかどうかは知らないが、続々とオランダから農民(ボーア人)が移住してケープ植民

地を作る。その後、イギリスがオランダを破ったフランスにケープを渡すまいと保護領とし、1814年正

式にイギリスの植民地とする。イギリスは奴隷解放を宣言したが、奴隷に労力を頼っていたボーア人が

反発して内陸に大移動。内陸部に何度か国(ナタール共和国、トランスバール共和国、オレンジ自由

国)を作るが、その度にイギリス軍に蹴散らかされ(ボーア戦争)、結局イギリスの勝利に終って併合さ

れてしまう。この間、ただの高地だったヨハネスブルグ近くで大きな金脈が発見されるわ、キンバリーで

はダイヤモンドが発見されるわで、この土地が素晴らしい宝を埋蔵していることが明らかになる。金とダ

イヤモンドだけでなく、プラチナ、ウラン、チタン、鉄鉱石などがざっくざく。これはヨダレもんだなぁ、であ

る。ガマさんは苦労してインドに行くより、この国を掘れば良かったのである。

1913年から世に悪評猛々しい黒人の居住地を隔離するアパルトヘイト(人種隔離政策)が始まり、第

二次世界大戦後の1948年からは差別を激化する法律が次々と制定されて、反抗するネルソン・マン

デラ達と激しく衝突する。世界はアパルトヘイトを止めない南アフリカを強く非難し、この国は孤立した。

1989年大統領になったデ・クラークがアパルトヘイト撤廃を決め、1991年ようやく撤廃された。その3

年後には27年間も牢に入れられていたネルソン・マンデラが黒人で初めての大統領に選出された。マ

ンデラ元大統領は、80歳をとうに越えられたが、今でも絶大な人気を博していると言う。

この国の歴史を語ると暗くなる。しかし、実際の南アフリカは、雄大な自然に恵まれた美しい国である。

気候がいい。地中海地方を思わせる気候であることに気がついた白人達は、ここに葡萄を育ててワイ

ン作りを始めた。素晴らしいワインが出来た。珍しい花を含めて、多くの植物がある。魅力的な動物も

たくさんいる。治安さえ良ければ、ずっと暮らしたくなる程の国だ。問題は治安なのだ・・・。アパルトヘイ

トが撤廃されたことは良かったのだが、近隣からどっと不法移住者が大都市に押し寄せた。

2010年、次のW杯はこの南アフリカで行われる。ヨハネスブルグやケープタウンなど大都市は治安が

悪い。バスで観光するにも「貴重品はバスの中に置いて」と注意される程だ。現地のガイド氏に言わせ

れば、治安の良い場所を選んでスタジアムを作っているから大丈夫と言っていたが、観戦者はどこにで

も行く。他の国のノリで、単独でW杯観戦は止めた方がいい。危険な場所を指示してくれる人と一緒で

ないと、後ろから首を絞められ、身包み剥がされてしまうかもしれない。要注意だ。厳重注意だ。でも。

私はまたこの国を訪れたい。この国の魅力には勝てない。ビッグファイブ(象、ライオン、サイ、豹、バッ

ファロー)の絵柄のランドのお札は換金しないで持って帰って来た。

 アフリカにも猫がいるって書いてニャ 他の動物ばかり載せるニャ!

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 * アフリカの旅は 9 410月 1 にも掲載されています。