パクパク日記9年1月3週

    旅はタンザニアのマニヤラ湖、タランギーレ、そしてケニアのアセンボリ国立公園へ

木に登るライオン アセンボリ国立公園

1月 12日(月・成人の日祝日) タンザニアは晴れ

朝 タンザニア・セレンゲッティ 「セロネラワイルド・ライフ・ロッジ」 ヴュッフェ

  

5時半起床。朝食を摂りに行くと、レストランには韓国人のグループが。この中に昨夜盛大な喧嘩をし

た夫婦がいるらしい。タンザニアに来てまで喧嘩なんかするこたぁ無いのにね。タンザニアに10ある国

立公園の中でも最大のセレンゲッティを今朝後にする。大物に出会えなかったのが残念で堪らない。7

時半チェックアウトして、サファリドライブしながらンゴロンゴロに戻る。インパラ、イボイノシシ、カバ、バ

ッファロ、トムソンガゼル、ハイエナ、シマウマ、ハーテビーストが見送ってくれた。手を振ってね(ウソ)。

  

    マサイの村では歓迎の唄で出迎えられる       マサイの女性はお洒落だ        高く飛べるマサイがエライ!

  

           家作りは女性の仕事である         村の一角に素朴な幼稚園が        30人の幼児が騒いでいた 

セレンゲッティ国立公園はとにかく広いから公園の出口まで約3時間かかった。そこからンゴロンゴロ

保全地域まではすぐ。なぜなら以前は、ンゴロンゴロとセレンゲッティは繋がっていた。同じ動物保護区

だった。ところが、マサイ族が「おら達マサイは祖先からこの地に牛の放牧権を持っていただ。国立公

園だからって、おら達が住んでならね、放牧しちゃならね、は困るだ!何とかしてけろ!!」と英国政府

に詰め寄って、英国は仕方なく「ソレデハマサイノミナサン、ンゴロンゴロニスミナサイ」ってことになった

のが1965年。しかし10年後「デモ、クレーターノソコスンデハイケマセン」ということになったそうだ。英

国政府もマサイが牛と山羊の肉+ミルク+血しか口にしないので、野生動物を食べることは無いだろう

とふんでのことだ。マサイ族は主にケニアとタンザニアに住む30万人ほどの部族だが、神様から「牛を

託された」と信じ込んでいるから誇り高いらしいよ。そのマサイ村の一つを訪ねた。140人の大家族が

暮らす村だ。初めて訪れた時はびっくりすることばかりだったが、2回目ともなるとね、慣れもあって。マ

サイ側もこうゆう「観光業」は重要な収入源らしく、家の中も見せる代わりに商品の売り込みも激しい。

昼 タンザニア・ンゴロンゴロ 「セレナ・ロッジ」 ヴュッフェ、水 3ドル

  

午後1時、ホテルのレストランでランチ。「セレナ・ロッジ」は、明後日ケニアのアンボセリで2泊するロッ

ジの系列だ。ヴュッフェの内容はずっと泊まっている「ワイルド・ライフ・ロッジ」系列よりレベルが上。細

長くカットしたフルーツがふんだんで嬉しい。でも食べた途端皿を下げるのはヤメテくれー!早過ぎ!

  

          ブルーモンキーの親子!       マニヤラ湖も乾季で水が少ない       小魚をつつくハンマーコップ

  

           これがマニヤラ湖で有名な「木登りライオン」!!今はメッタに見られないそうで、私達は幸運だった!!!

午後3時半マニヤラ湖近くのレイクマニヤラロッジに到着。今日乗っている2号車は、例のパンクのあと

脱輪した問題の車ですよ。で、マニヤラ湖で別の車と交換するため一番に着いたわけ。4時他の2台も

到着したのでサファリドライブに出かける。マニヤラ湖は、大地溝帯の底にあるソーダ性の水の湖。マ

ニヤラ湖国立公園は、面積の多くを湖が占めているが、草原や森林もあって複雑な環境を有している。

ここでは「木登りライオン」が有名と聞いていたが、十数年姿を消していたそうだ。見られることはないだ

ろうと諦めていたら、最後の最後に見たのだよ。しかも写真はバッチリ。寝ていた雄ライオンが、ほんの

一瞬目を開けた顔を撮影したのはたぶん私だけ。連写できる新しいカメラを担いで行った甲斐あった!

夜 タンザニア・マニヤラ湖 「レイクマニヤラロッジ」 ヴュッフェ、ビール 4ドル、赤ワイン 5ドル

「木登りライオン」をバッチリ撮ったと意気揚揚で引き上げるところだった。公園出口近くで赤い4WD

事故を起こして川に落ちかけている現場に遭遇。怪我人はいなかったようだが、皆真っ青な顔だった。

そんなこともあってロッジに着いたのは午後8時。ヘトヘトである。15分でシャワーを浴びてレストラン

へ。空腹なのに食べたい物が無いというサビシー夕食だった。H田さんに強烈下痢薬を今日も貰った。

                ______________________

1月 13日(火) タンザニアもケニアも晴れ

朝 タンザニア・タランギーレ国立公園にて ブレックファーストボックス

  

         これが朝ご飯のボックス         別名「バオバブ公園」。バオバブがいっぱい                ウォーターバッグ

    

        親ダチョウの後を追う10頭以上の子ダチョウ          サファリカーの前を象が通る                  アフリカハゲコウ

タンザニアに来て以来、昼間は暑い、朝晩は寒いという日々を送っている。マニヤラ湖は今まで滞在し

て来た場所に比べて一番虫が多いらしく、ベッドには蚊帳が吊ってあった。そのせいか、昨夜は寝苦し

くて5回も目が覚め、途中から蚊帳は外してしまったよ。今日もハードな行程が組まれていて、朝飯抜

きで6時半出発するのだ。エーン!アフリカの朝は早いんである。朝ご飯はボックスの弁当。ついでに

昼弁当も車に積み込んで出発!1時間半ほどでタランギーレ国立公園に到着。入り口で弁当朝食を摂

ってからサファリドライブを開始。ここは「バオバブ公園」の別名を持つ通り、樹齢数百年のバオバブの

木がたくさんある。昨年夏アフリカの東側に浮ぶマダガスカルに行った時、バオバブは8種から9種ある

と知ったが、あそことここのバオバブではスガタカタチがかなり違うね。黒サイの飼育のために造られた

公園だったらしいが、今黒サイは絶滅していない。あら?ドライバーのジョニーがまた迷子になったよ!

昼 アルージャ・ピクニックエリアにて ランチボックス

    タンザニアサファリもこれで終了!

ジョニーは人柄はとても良いのだが、運転技術がイマイチなのと、迷子になるのが玉にキズ。公園の中

で迷子になった彼は、客が動物観察をしていることなどぶっとんで猛スピードで公園の出口を目指した。

もちろん、他の2台はいない。公園を出て暫く走ったところで携帯連絡を取る。ここまで来るまでに電話

しろよ!!暫くして他の2台が追いついた。アルージャの町のピクニックエリアでまたもやお弁当を広げ

る。朝の弁当とどこが違うのだろう。いくら忙しい日とはいえ2食続けて弁当はツマラン。猫クン達が餌

をねだりに来たのが救いだった。午後は国境の町ナマンガを通過してケニアに戻る。ギラギラ太陽が

照りつける車の中で待つのは暑くて叶わん。東アフリカ、南アフリカは過去来たことがあるが、8月と10

月はとても気持ちの良い気候であったけどね。アンボセリを目指して再び走り出したが、その悪路たる

や・・・。舞い上がる土埃でフロントガラスの前もサイド側も外の様子は全く見えない。人間は洗えばい

いが、カメラが心配。帽子で覆ったり、ケースに入れたりと気をつけねば。ジョニー3号車がトップを走っ

ているので、乗っている私達は不安で仕方ない。また道間違えたんじゃないかと。でも私はわかった。

右手にウッスラ見える稜線はキリマンジャロのものだ!道は合っている!ナマンガゲートを無事通過。

  

                   ケニアのアンボセリ国立公園も夕方を迎えていた。象の家族も家路に着いて

1年半ぶりにアセンボリ国立公園に帰って来た。「帰って来た」なんて言葉を敢えて使いたいのだ。日没

までいくらもない時間帯だけに、ねぐらに帰る動物達をたくさん見かけた。おやすみー、また明日ねー。

午後7時「アンボセリ・セレナロッジ」着。タンザニアで泊まった3つのロッジは、いずれも古く簡素(過

ぎ!)だったので、バスローブや真ッ白なタオルや電話があるだけで、ころっと喜んでいる自分がシャク

だ。しかも電気もお湯も24時間OKですってよ!ワーイワーイ!ってなものである。ま、単純だわな。

夜 ケニア・アンボセリ 「アンボセリ・セレナロッジ」 ミネストローネスープ、魚(テラビア)のソティ+ヴ

ュッフェ 4点セット(ビール 5ドル、赤ワイン 11ドル、白ワイン 9ドル、ミネラルウォーター 5ド

ル)

  

  

7時半から夕食。何とセットメニューだって。但し、スープとチョイスのメインだけだけど。他はたくさん皿

数が並ぶヴュッフェから選んでくる。メインはポークかビーフか魚のチョイスだったので魚料理を選んだ。

アルコールはとても高い。グラス赤ワインが1杯11ドル!今までの3倍もする。例の3点セットと水を頼

んだら合計30ドルになった。現地の人なら1ヶ月暮らして行けるかもな。酒が高いのなら、チーズとクラ

ッカーとフルーツをつまみにしてゆっくり味わってやろうじゃないの。今回の旅行で初めて満足の夕食。

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1月 14日(水) ケニアは晴れ

  

      朝日で山の頂きが輝くキリマンジャロ              白サギを乗せたバッファロ             アフリカのトキでーす

    

        オブザベーションヒルとキリマンジャロ全景       ハイエナ家族【右】を追い払う象家族           あちこちで竜巻が

5時に起きて盛大にお湯の出るシャワーを浴びる。ホワホワのタオルでカラダを拭く。ドライアーはバス

ローブを着て・・・やっぱりこういう方がいいや。6時半アンボセリでのサファリドライブに出かける。ロッ

ジを出てすぐ右手にキリマンジャロが見える。おぉ!白い雲から頭を出して、僅かに残る頂上の雪が朝

日に染まっているではないか!5895mのアフリカ大陸で最高峰のキリマンジャロは、雲がかかりやす

い山で全景を見せることは余りない。この日は雲が増えるどころかどんどん減って8時頃にはすべてが

見えた。それだけでも感動!キリマンジャロは左側の稜線が誠に長くて見事なカーブを描いている。左

側だけなら、富士山に勝つ。しかし、右側がゴツゴツしていることと傾斜が左右では違っているのが富

士山に叶わないところだ。え?何言っているか?失礼しました。乾季の今アンボセリ湖は干上がってい

て南東側の湿地帯に動物は多いようだ。あちこちで小さな竜巻が同時に巻き起こっていた。腹空いた。

 ケニア・アンボセリ 「アンボセリ・セレナロッジ」 ヴュッフェ

  

8時半にロッジに戻って朝食。たくさんのフレッシュフルーツジュースとカットフルーツが大人気。三食パ

パイア、メロン、マンゴー、スイカ、パッションフルーツなどグワシグワシと食べている。他の宿泊客は朝

のサファリドライブが終わったら、プールで泳いで木陰のベンチで昼寝したり、部屋で読書などしてのん

びり過すのだが、私達はまたもや9時半から出かけるのだ。3グループは3台の車&ドライバーをロー

テーションで毎日変えているが、グループ自体には変化なし。つまり初日からずっとA賀さん、S川さん、

H多さんと4人が4WDに乗っているのである。食事も4人テーブルで摂ることが多いから、まるで4

人だけでタンザニア&ケニア旅行をしているみたい。こんな時、お付き合いを躊躇うような人と遭遇する

と困るわな。ま今回は良かったけど。それにしても今回はチーターと豹には一度もお目にかかれない。 

 ケニア・アンボセリ 「アンボセリ・セレナロッジ」 ヴュッフェ 水5ドル

  

3食このレストランでヴュッフェです・・・       国立公園の標高は1120メートル         ロッジの客室から庭を眺め

  

              やっぱり湿地は人気です     温暖化の他に象の増加も影響? 砂漠が進むアンボセリ       象の大放尿シーン(失礼!)

読書しながらウトウトして午後は過し、3時半から今回の旅のほぼ最後のサファリドライブ。大物に会い

たい!平原に立つ雄ライオンのタテガミを!ライオンの親子を!しなやかなチーターを!豹見ないとビ

ッグ5を見たことにならんよ!まぁ希望を述べるだけならタダだから、最後に色んなこと言ってしまう。聞

いているのは、いつもの3人だけだし(笑)。現実は厳しいもので、いませんでした。その代わり、赤ちゃ

ん象を連れた母親象のそれは長い放尿&大脱糞シーンに遭遇しましてございます。今回はこれまで!

夜 ケニア・アンボセリ 「アンボセリ・セレナロッジ」  ベジタブルスープ、ターキーとポテト+ヴュッフェ

 3点セット 25ドル

  

    広い蚊帳だから暑くはない

帰り道検問中のレインジャーに聞くとこの1ヶ月チーターは目撃されていないそうだ。理由は「恥かしが

りやだから」だってさ。シャワーを浴び、髪を洗ってさっぱりしてから夕食。まぁ残念なことも多かったけ

ど、やっぱりサファリはいいですねぇ、なんて話しながら。部屋に帰る時、夜空を見上げると満天の星!

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1月 15日(木) 晴れ

 ケニア・アンボセリ 「アンボセリ・セレナロッジ」  ヴュッフェ

    

       今日も全容を見せたキリマンジャロが送ってくれた、さいならーアンボセリ。また来るねー

5時半起床。今晩遅くのフライトでバンコックに向かうので、帰国の荷造りをする。2泊したロッジをチェ

ックアウトして7時半出発。キリマンジャロは霞んではいたが、今日も全景を見ることが出来る。その面

では幸運であった。1時間程最後のサファリをして天井窓を下ろす。ヌヌヌ?車が故障?今度はリーダ

ー格のコンベが運転する1号車だ。どうもオイル系統がヘンらしいよ。車のアクシデントには慣れたので

Y路親子3人が我々の車に乗り移って来た。1台の単独行動の時は、こういう助け合い出来ないよね。

昼 ケニア・ナイロビ 「Rock House ケニア料理ヴュッフェ

    ジラフセンターには11頭のロスチャイルドキリンが飼育されている         餌を直接あげる楽しみあり

1号車はナマンガの町で修理して何とか普通に走るようになった。1号車の故障とナイロビに入ってか

らの渋滞で、ランチ会場には1時間遅れの午後2時に到着。前回ナイロビでは美味しい中華とか和食

を食べたので期待していたのに、またもやヴュッフェ!しかも皆不得意なアフリカ料理!何て気が利か

ないのか、と泣きたくなった。スープを2杯飲んだだけで終わり!しかし、近くのジラフセンターで機嫌は

直った。絶滅の恐れのあったロスチャイルドキリン(またはウガンダキリン)の繁殖のために作られた施

設が今は癒しの場所となっていた。チョーク状の餌を掌に乗せて差し出すと、灰色の長い舌でペロリと

食べる。ザラザラした舌の感触が手に残る。ふふ、楽しっ!キリンって可愛い顔しているねぇ。楽しっ!

 映画「愛と哀しみの果て」の原作「アフリカの日々」の作者カレン・ブリクセン博物館      彼女は絵画も得意だった

友人の小S子さんがキリマンジャロ登山に来られた頃は、ナイロビは女性二人でぶらついても安心な町

だったらしいが、今や全く違う。チョー危険なのだ。よって今日我々はナイロビの中心部にさえいかな

いのである。で、次に行ったのは郊外の「カレン・ブリクセン博物館」。1軒のお屋敷の敷地がとんでもな

く広い超高級住宅街にある。映画「愛と哀しみの果て」という映画をご存知だろうか。原作は「アフリカの

日々」で、作者はアイザック・ディネーセン。本名はカレン・ブリクセンである。1914年デンマークから旧

英領東アフリカ(現ケニア)に移って来たブリクセン男爵夫人が17年間のアフリカ生活を綴った作品だ。

博物館は、実際彼女が住んだ家を移築した建物にある。家具もそのまま、若い頃から亡くなる直前の

カレンの写真、離婚した男性、映画でロバート・レッドフォードが演じたデニス(実際の人物)などの写真

も。映画はアカデミー作品賞、監督賞など7部門を受賞したのよね。でも邦題がヘンテコだと思う私は。

夜−1 ケニア・ナイロビ 「Pampa Churrascaria 焼肉BBQ+ヴュッフェ ビール

  

アフリカ最後の買物でナイロビのスーパーに行こう!ということになった。金曜日の夕方だからなのか

どんでも無い渋滞!今日はヒマを持て余すかと思ったが、結果は忙しくてね。アハハ。スーパーでは南

アからの輸入品ルイボスティのお徳用を買ったのみ。他の皆さんは紅茶やコーヒー、ナッツなど山のよ

うにお買い上げだ。クレジットカード払いの人は、その手続きに随分待たされた。夕食はパナリホテル

の2階のBBQレストラン。サラダなどの前菜、スープはヴュッフェだが、各種の焼き肉は串に刺した形

で現われる。ブラジルのあれ?先ずはポーク、次はニンニクビーフ。デザートは焼きりんごが旨かった。

夜−2 ケニア航空 ナイロビ=バンコック ビジネスクラス機内食

午後8時前空港着。ケニア航空のチェックインをしたのだが、これがモウ!ハァ!ヘロっ!って感じで。

私ら「ビジネス席の座席表はどうなっていますか?」、ケニア航空窓口女性「AB通路CF通路G」。え

ぇ?右の窓側が1列?んなわけないじゃん!なんでCからFに飛ぶのよ!いくら私らが言ってもダメ。

彼女は知らないんだもの。或いは知っているけど憶えられないのかもね。午後10時発。やれやれだ。

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1月 16日(金) バンコックは晴れ

朝 ケニア航空 ナイロビ=バンコック ビジネスクラス機内食

ナイロビからタイのバンコックまで約9時間。昨夜ワインを杯も飲んでしまってちょい二日酔い気味。時

4時間、午前11時前にバンコック着。私らはタイへの入国審査も受けず、この空港内に11時間も

過す旅人なのである。トランジットツァーを希望した家族も手続きの煩雑さで諦めた模様。あぁため息。  

昼 バンコック ジョモ・ケニヤッタ空港 「バンコック カフェ&バー」 シュリンプダンプリグ、ポー

       クボー ルスープヌードル、ミネラルウォーター 約1000円

   

バンコックの空港にはトランジットホテル「DAYROOM」というビジネスホテルのような施設がある。昨

年3月ラオスに行った帰り、ここで休憩をした。何となく息苦しい客室だが、空港のそのヘンで過すより

は楽チンだわね。シャワーもあるし、ベッドもトイレもある。とにかく11時間いるのだから1回目の食事

はタイ料理を食べようぞ。勇んで食べたが決して旨くは無いなぁ。でもヴュッフェじゃないし、久々の汁

緬は嬉しいざんす。次はマッサージだ。60分間フットマッサージは超気持ちいい。全身より足だわね。

夕方の軽食 バンコック ジョモ・ケニヤッタ空港 「DAYROOMS」 フルーツとコーヒー

    12時にチェックインした空港ホテルを7時半チェックアウト

ホテルに帰ってからずっと本を読んでいた。久しぶりに宮部みゆきの時代物を読んでいる。彼女ストー

リーテラーだね。シャワー浴びた時間以外本を読む贅沢だ。7時過ぎに荷物をまとめてロビーで軽食。

夜の軽食 バンコック ジョモ・ケニヤッタ空港 タイ航空ビジネスラウンジ ポテトクリームスー

        プ、サン ドイッチ

    10日ぶりの日本の新聞と雑誌

行く時はケニア航空の事務処理能力の問題でビジネスラウンジなど使う余裕は無かった。今日はあり

余る時間があるからタイ航空のシルクラウンジへ。久々の日本の新聞と雑誌が嬉しい。えーそうかぁ。

夜 タイ航空 バンコック=成田 ビジネスクラス機内食

午後10時半過ぎ離陸。寝る前のつまみって感じのトレーが出た。ジントニック2杯飲んで暫しの睡眠。          

  ________________________

1月 17日(土) 東京は晴れ 朝方えらく寒かった!      阪神・淡路大震災から14年

朝 タイ航空 バンコック=成田 ビジネスクラス機内食

    朝食なのに鯖の味噌煮

バンコックから成田に飛ぶ場合、5時間弱で着いてしまう。速くて文句あるのか!とスゴマれると「あり

ません」と小さな声で言うしかないが、夜中便の場合やっぱり不便なのよ。「乗った、食べた、寝た、食

べた、着いた」を5時間弱でやるのだから、忙しくてさ。更にこの日は「予定より15分早く到着します」と

アナウンスがあった。朝ご飯は3つのチョイスだったが、鯖の味噌煮と白いご飯を頼んだ。旨くもないけ

どね。「当機は成田空港に間もなく着陸致します。現地の天候は曇り、気温はマイナス3度・・」。ゲェ!

昼 愛住町 「北の大地」 香り味噌ラーメン 850円+卵(サービス)+メンマ 100

    帰国一食目はラーメン

タンザニア、ケニア、バンコックの熱を引き摺って来たから、成田で飛行機を降りた途端、自分が吐く息

が白く変わるのを見てタマゲタ。で、エラク寒い。今朝の6時だもんなぁ。皆さんお世話になりましたぁ、

挨拶してタクシーに乗る。土曜日の早朝は高速空いていて、53分で自宅に到着。昼は味噌ラーメン。

昼のお茶 四谷三丁目 「ドトール」 アイスコーヒー 200

夜 家食 おふくろ中華そば、りんご、黒烏龍茶

    あぁ、この味この味!

帰宅して早速写真の整理を始めた。持って行ったカメラは4台。これが全部メーカーが違うのだよ。3台

分は今までも使っているから問題無い。しかし、キヤノンの一眼レフ「キャンちゃん」は今回初めて使っ

た。メディアはMF(メディアフラッシュ)。パソコンは「ソフトをインストールしろ」と要求する。ソフトを探し

て入れても「ダメだかんね」の繰り返し。カメラの先生であるケンイチさんに電話しても出ない(後でわか

ったが、彼は卓球の日本選手権を観戦中だった)。パソコンの先生A先生に電話すると「さっきまで飲

んでいて寝たばかりだから酔っ払っている」とのことだった。私が成田に着いた時間まで飲んでたの!

でもA先生は優しいから、夕方ちゃんと来てくれた。で、5分で直してくれた。ありがと!!夕食はおふく

ろ中華そば。真夏を除く我が家の人気メニューであった。冬には週3回も食卓に乗ったことも。 無酒日

             ________________________

1月 18日(日) 曇り

朝 家食 おふくろ中華そば、アロエヨーグルト、黒烏龍茶

    朝は格別旨い!

2晩続けての機中泊であった。しかもバンコックからの便では2時間ちょっとしか寝ていない。昨日は随

分疲れていたのに、忙しくて夜中1時半まで起きていた。8時まで熟睡。体力回復だぁ。何をしていたか

と言えば、いつものパクパク作成に加えて寒中見舞いの宛名書きをしていた。基本的には筆耕の方に

お願いしたのだが、昔のマンションの住所を書く人が未だかなりいらしてSY子が転送してくれたの

だ。引っ越してもう5年になるというのにね。もう早稲田にはいませんよー。朝はパン食にする予定だっ

たが、どうしてもおふくろ中華そばを食べたい!で食べた。うんまいなぁ!これなら週5回でもいいぞ!

昼 愛住町 「フェアファックス」 リゾットブランチコース:グリーンサラダ、温かいパン、海老と茄子のカ

レークリームリゾット、デザート、コーヒー) 1600円、コーヒーお替り 420円 計2020

  

    カレー味のリゾットメッチャ旨!

考えてみたら、帰国して連続3回中華麺を食べている。いや、中華麺以外食べていない。バカかとお思

いの方もおられようが、これがYUMEKOなんである。カレーや麺など好きなものは続けて食べてもち

っとも構わないのでありんす。しかし中華そばはあと1回分しかない。近所の「フェアファックス」のブラ

ンチコースに海老と茄子のカレークリームリゾットを見つけた。これが実に旨い!カレーの辛さとクリー

ムの柔らかさが見事なバランス。じっくり噛むと、思わずウットリしちゃうくらいだ。続けて食べたいぞ!

夜 家食 おふくろ中華そば、胡麻寄せ豆腐、りんご、黒烏龍茶

  

タンザニアの第1週パクパクを夕食前にアップした。国内旅行が控えているからあと1週分も急いで作

らねば。おふくろ中華そば、もう最後の1杯になってしまった。寂しい!悲しい!そんなに嘆くのなら自

分でカンタンに作れるのだからしょっちゅう作ればいいっしょ?はい、そうさせて頂きますです。無酒日

            ______________________

【今週の振り返り】

ケニアにはおよそ1年半前の一昨年8月にも行った。旅のほとんどがサファリドライブ。アフリカ動物の

ビッグ5(ライオン、バッファロ、象、サイ、豹)はもちろん見たし、チーターの狩りも見た。早朝のバルー

ンに乗ってマサイマラNPの雄大な眺めを楽しんだ。ナクル湖では百万羽のフラミンゴを前にして慌て

ふためき、ヌーの大群の河渡りにわずか3分の待ち時間で遭遇して、激写するわ、叫ぶわで興奮しまく

りだった。150%満足の旅だったのだ。「これ以上のサファリ旅行は無い!こんな出来過ぎの旅をした

ら、これからのサファリはガッカリするだけだ」と心配になった。で、その通りになった・・・・。

それが2007年のことだ。その年の12月ケニアでは大統領選挙が行われ、30日キバキ大統領の再選

が発表された。それは選挙の本当の結果なのかぁ?と不服を訴えた野党勢力の抗議行動がやがて暴

動に繋がり、多数の死者が出てしまった。行って来たばかりの国の事件だったから、胸を痛めながら新

聞を読んだ。去年の暮から新年にかけてもちょっと騒ぎがあったと聞いたが、今は落ちついたようだ。し

かし、首都ナイロビの治安は益々悪くなっているらしい。ナイロビのど真ん中は車で通過するだけでも

危険だから止めましょう、と現地の日本人スタッフは言う。前回は1泊だけだが中心のホテルに泊まっ

たし、スーパーにも行ったのに。スラムは肥大化して今や80万人が住んでいるという。80万人と言え

ば、アイスランドの全国民の約3倍だぞ。そのスラムに数組のギャングが存在し、私がナイロビ郊外に

行った前夜ギャング同士の撃ち合いがあって3人死者が出たそうだ。

毎日車でご一緒した3人の方といろんなお喋りをした。裸足のアベベはエチオピア人だったけど、長距

離ランナーはどうしてケニア人が圧倒的に多いのだろう、という話題になった。タンザニア人の有名な

長躯距離ランナーなんて聞いたことがない。これも現地のスタッフに教えて貰ったところ、優秀な長距

離ランナーのほとんどは、ケニア北部の高地に住むカレン族なのだと言う。酸素濃度の低い高地で生

まれ育てば、心肺機能が自然と高められるというわけか。普通の選手達はわざわざ海外の高地に出

かけて行って「高地トレーニング」をやっているね。

日本では、高校でも大学でも企業でも多くの外国人ランナーが活躍している。やっぱりケニア人が多い。

日本でトレーニングを積み、強くなったケニア人選手といえば、ワイナイナ、ワキウリ、ワンジルの「3

ワ」選手である。ワイナイナは、コニカに所属して1996のアトランタで銅、2000年のシドニーで銀メダル

を獲得した。ワキウリはヱスビー所属で1988年のソウルで銀、ロンドンマラソンでは優勝した。記憶に

新しい北京オリンピックの優勝者ワンジルは、もっと若いうちから来日。仙台育英を卒業してからトヨタ

に入った。彼はランナーとして卓越しているだけでなく、書道の全国大会で金賞を受賞したらしいよ。松

浦あややファンというのも微笑ましい。女性では、アテネと北京オリンピックで銀、世界陸上では2003

年パリ金、2005年ヘルシンキ銀、2007年大阪金と素晴らしい戦績を残しているキャサリン・ヌデレバ

もケニア人である。

2009年1月20日、44代アメリカ大統領に就任予定のバラク・オバマ氏の父親はケニア人である。「オ

バマ」はアフリカ中南部に住むバントゥー系にみられる名前なんですってよ。バラク・フセイン・オバマ・

ジュニア氏が3歳になる前に両親は離婚し、ケニアに帰った父親はその後5回も結婚したらしい。1982

年に交通事故で亡くなってしまったが、ケニアでは今エラク盛り上がっていた。スーパーやお土産屋に

いけば、オバマ氏の顔が商品化されてあちこちに並べられている。当選が決まった時のケニアの喜び

ようはタイヘンなものだったと聞くが、就任式もケニアに勇気と誇りをもたらすに違いない。ガンバレ、ケ

ニア!

そうそう、父親のバラク・フセイン・オバマ・シニア氏が生まれた場所は、ニャンゴマ・コゲロという所であ

る。ランナーのワイナイナの生まれ故郷は、ニャンダルワ県ニャフルル市なのだそうで、何とも猫っぽい

地名ニャのだニャ。楽しいニャア

          ニャはっはー ボクも走るの得意だニャア

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    * タンザニア・ケニアの旅の始まりは 12 をご覧下さい。

    * ケニアの2007年の旅は 07848月5 をご覧下さい。