パクパク日記11年1月3週
南極から北上し一旦船を下りて4泊5日のパタゴニアの旅へ
ペリト・モレノ氷河
アンデス越え
1月 17日(月) 未だ南極圏 晴れ
朝 スタープリンセス号14階ホライゾンコート 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
今日が南極圏に滞在する最後の日だ。だから是非晴れて頂きたい!午前4時そーっとカーテンを開け
ると、バッチリ晴れている。ヤッホー!6時前に14階のホライゾンコートで食事を始めると、何とすぐ傍
の海に鯨がいるではないか!しかも2頭。盛大に潮吹きをして見つめる人々を喜ばせる。いいなぁ、こ
れが南極よね。早くもデセプション島が見えて来たので、防寒対策&一眼レフ持参で船首に移動。デセ
プション島は南緯62度52分にあって馬蹄型をした火山島だ。ネプチューンズベロウという狭い入り口
から入るとフォスター湾が広がり、かつては捕鯨基地があった。そしてここには天然の温泉があるのだ
よ。4年前ここで温泉に入ることを楽しみにしていた人が多かったが、普段は静かな湾がその日に限っ
て波が荒く、2度も挑戦したのに断念せざるを得なかったのだ。じゃあ今日はどうかって?こんな大きな
船はネプチューンズベロウから入れません!この島にはヒゲペンギンの大営巣地があって、盛んに餌
取りのペンギン達が海面を飛んでいた。ここから船は北上する。サヨナラ南極の景色ということになる。
昼 5階インターナショナルカフェ 海老とセロリサラダ、チキンとりんごのサラダ、本日のスープ、持参
のふすまパン、カプチーノ 2ドル
10時から野上先生のセミナーは「日本の南極観測」だった。今日も運良く5階インターナショナルカフェ
の席を取れた。ランチはここ!と決めて愛用しているレストランだ。船はこれからドレーク海峡に向かう。
来る時は奇跡的に揺れないドレーク海峡でラッキーしたが、帰りはそうは行くまい。酔い止めを飲んだ。
夜 7階 クラウングリル 北太平洋の帆立貝とフォアグラのソティ、小海老のパンチェッタとビスクスー
プ、持参のふすまパン、フィレミニヨン特選カット8オンス(225g)、持参のふすまパン、フルーツ、3
点セット テーブルチャージ 20j
さぁ、いよいよドレーク海峡!世界で最も荒れる海峡として有名である。しかも、その幅が広いことで世
界一だと、ギネスブックで認定されているという楽しくない記録もある。ドレークの名前は、16世紀の探
検家・英国人船長フランシス・ドレークにちなんで名付けられたらしいよ。その海峡を船室で読書しなが
らウツラウツラしてお待ちしていたのだが、いつになっても船は揺れない。そのまま夕食タイムになって
しまった。今日もS井さんと「クラウングリル」を予約している。数日前に食べて気に入ったので、ほぼ同
じメニューを注文した。但し、フィレミニヨンのステーキは10ポンドで少し多かったので8ポンドにした。
8ポンドは225グラム。よし!完食したぞ!2度目の南極圏を出るのに相応しい晩餐だったと満足!!
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1月 18日(火) 曇りのち小雨 ホーン岬通過
朝 14階ホライゾンコート 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
昨夜寝ながらも「いつからドレーク海峡的揺れになるのか」と身構えていた。しかし夜中の間そして朝に
なっても船は揺れないのだった。ゲェ〜?ドレーク海峡が往復ともに穏やか??こんなことあるのです
なぁ。私は2度目だが、ドレーク海峡初体験の皆さんは大いにカン違いして帰られる。「ドレーク海峡?
ナニそれ?荒れたか?ゼーンゼン!」と間違った感想を持って帰られるのだな。不思議なことだった。
昼 客室にて カップヌードル、コーヒー
南緯60度辺りにある南極収束線は午前4時越えたらしい。今日は南米大陸の最南端、ホーン岬を通
過する位で終日航海。珍しく7時まで寝ていて8時からは洗濯することにした。クシャミ3連発。そのあ
と5連発。鼻水止まらず風邪ですかぁ?各階に洗濯室があるが洗濯機と乾燥機が2台づつだから、毎
日機械の奪い合いが激しい。勝った!アハハ。ハックション!こんなことしていてセミナーに大きく遅れ
た。昼食はロスアンゼルス空港ビジネスラウンジからくすねて、もとい、頂いて来たカップヌードルを食
べた。ローカーボの教えでは全く話にならん位に禁止食である。禁を犯したのに全く旨くなかったのだ。
夜 7階「サバティーニ」 前菜盛り合わせ:パルマ産生ハム・ポルチーニマリネ、ムール貝・チーズフラ
イなど、魚介風味のトマトスープ、グリーンサラダ、ロブスターのグリル シャンパンバターソース、
持参のふすまパン、ムース、カプチーノ、3点セット
夕刻、ホーン岬を通過した。波が荒いというので、1周せずにそのまま通過。4年前もそうだったな。マ
ゼラン海峡やビーグル水道が発見される前船人は、この荒れるホーン岬やドレーク海峡を命を賭して
航海していたのだね。4時から明日始まるパタゴニア旅行の説明会があった。一時船を下りて、4泊5
日のパタゴニアツァーを旅行社がオプショナル・ツァーとして募集したところ、何と何と120名中80名が
「パタゴニアにも行く!!」と回答したのだそうだ。恐るべし!なのである。夕食はクラウングリルと同じ
ように、テーブルチャージ(20j)が必要なイタリアレストラン「サバティーニ」で。旅行社の40年記念と
いうことでそのテーブルチャージはゴチになった。10月の南太平洋クルーズの時は、もっとカジュアル
なレストランでパスタとピッツァが食べられないのであればキツイと言われて行くのを止めた。ここでも
当然パスタとピッツァがメニューにあったが前菜やメイン料理があるから、「要らない」とボティランゲー
ジしていれば大丈夫だよ。6階レストラン飲み物担当ウェイターが応援に来た。サバティーニは日本に
もある有名店だが、ここはそれほど有り難がって食べる味でも無いかな。満腹になった。ご馳走さま!
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1月 19日(水) アルゼンチン・ウシュアイアに寄港 雨
朝 14階ホライゾンコート 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
4年ぶりのウシュアイアの港
「世界の果て号」に乗るのも2回目 囚人服のマネキンが駅に
5時起床。今日もくしゃみが止まらず、エアボーンを水に溶かして飲んだ。今日は1週間ぶりに陸地を
踏める日だ。しかし、生憎の雨。6時55分に朝食を摂りに行くと、もう先客で一杯だった。スタープリン
セス号は7時過ぎ、南米最南端の町・ウシュアイアに接岸した。フェゴ島にある町だが、チリとアルゼン
チンに分れる島の中のアルゼンチン側だ。4年前はここからドイツ船に乗り込み、下りたんだったな。8
時45分、船のエスカーションプランで午前中の観光に出かける。フェゴ国立公園からビーグル水道の
エンセナダ湾を見渡せる場所に行ってから、世界の果て駅から「世界の果て号」に乗車。世界最南端を
走る蒸気機関車だが100年前に伐採された材木を運ぶために設置された。今は観光用列車である。
5階インターナショナルカフェ 海老とセロリサラダ、チキンとりんごのサラダ、本日のスープ、持参
のふすまパン、カプチーノ 2ドル
昼エスカーション用のバスは船に戻る。殆どの皆さんはそのままウシュアイアの町に遊びに行かれた。
雨は降っているし、ウシュアイアの町歩きもメンドーなので一人船に戻る。今日は船の中はガラガラな
ので、席取りに苦労するインターナショナルカフェに悠々坐れたぞ。1週間ぶりの陸地で携帯が通じた。
メールが来ていた。訃報もあった。ガックリ来た。午後は7階と8階のデッキを何周もして運動。4時過ぎ
ウシュアイアの港を後にして出航した。船内アナウンスで呼ばれていた中国人客は船に乗ったのか?
夜 5階アマルフィ シュリンプカクテル、ローストガーリックスープ、牛肉特上リブロース、持参のふす
まパン、シャーベット、紅茶、3点セット
夕食の後船室のバルコニーに出て、ビーグル水道の眺めを堪能した。ウシュアイアのあったフェゴ島と
その南側からクネクネと繋がるビーグル水道は全長240`もある。ビーグルという名前は、19世紀半
ば、地球一周航海の際、この径路を通ったチャールズ・ダーウィンが乗っていたビーグル号に因んでつ
けられたんだよ。両脇に高い山々、無数の滝から水が落ちているのが見える。自分が今どこにいるの
か地図上で考えるとエラク遠いところに来てしまったなぁと深い感慨に捉われて・・・ケッ!柄にも無い。
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1月 20日(木) チリ・プンタアレナスは晴れ 強風 夕刻より雨
朝 14階ホライゾンコート 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
今日から私達は船を一時下りて、4泊5日のパタゴニアの旅に出かける。このクルーズに参加した約
120名のうち、パタゴニア別コースを希望した人は何と80名!3分の2が「パタゴニア行く!」と手を挙
げたのだそうだ。私もその一人だが。ということで、船に残る40名の皆さんから見送られて船を下りた。
船の乗り降りはテンダーボードで
プンタアレナスの港から観た虹
巨大な鯨の尻尾看板
オトウェイ湾のマゼランペンギンの営巣地 子供ペンギンの産毛も抜けて子育ても終盤
船の中にチリの入国管理の係官が乗り込んで入国手続きは終了した。テンダーボードでプンタアレナ
ス港に行き、ここでチリの税関検査を受ける。どうしてかは知らないが、チリは「植物ダメ、肉類ダメ、乳
製品も木工品もハチミツも持ち込んではダメ」とダメ物がやたらと多くて「動植物不所持宣誓書」に署名
してサインしなくっちゃならん。でも今日はカンタンでラッキーだったね、と喜んだら、1人パスポートにス
タンプが押されていなかったということで、1時間も待たされて。バスでオトウェイ湾に向かう。今日は素
晴らしいお天気で、バスの中に射しこんでくる日の光が痛いくらいだ。1時間後到着。ここにはマゼラン
ペンギンの営巣地があるのだ。しかし、営巣地までは遊歩道を延々と歩かねばならない。風速15mは
ありそうなモーレツな向かい風の中、黙々ととっとと歩く、歩く、歩く。参加者は高齢の方が多いのに皆
さん急ぎ足でガンガン歩く。時々転ぶ人がいて怪我人(軽傷)も出る。ようやくペンギンが見えて来た。
マゼランペンギンは穴を掘って巣を作る。巣の近くには産毛がほぼ抜けた子供ペンギンがヨチヨチして
いる。親は揃って海に餌取りに。やっぱりキングペンギンには器量で敵わないけど、これも可愛いか。
遅――い昼 チリ 「ホステリアリオペニテンテ」 スープ、牛・羊・鶏のロースト、サラダ、ラズベリームー
ス、紅茶
ペニテンテ羊牧場の牧場主の館にあるレストランで遅いランチを摂った
今日のランチは遅くなると言われた。ペンギンのルッカリーがあったオトウェイ湾から、人が住む一番近
い場所まで車で2時間かかるという土地柄なのだ。だから、ランチ会場となる大牧場の中の邸宅に到
着したのは2時半。食事の準備が出来るまでウェルカムドリンクのピスコサワー(これ大好き!)という
お酒を飲みながら邸宅の中を見学。約100名分の牛肉、羊肉、鶏肉がジュージューと焼けて食べ始め
たのは3時をとうに回っていた。羊牧場だけに、羊肉の評判が良かった。昼食が終わったのは5時!
夜 チリ・プエルトナタレス 「コスタウストラリス」 キングクラブミルフィーユ、トマトスープ、持参のふす
まパン、ラム、4点セット 25ドル
昼食が遅かった代わりに、今夜の宿泊場所プエルトナタレスには1時間程で到着した。途中でパタゴニ
アに棲息するコンドル、ニャンドゥー、グアナコなどの鳥や動物を見ることが出来た。夕刻から雨が降り
出し、ホテルに着く頃には本降りに。パタゴニアコース参加者80名は、20名づつ新たな4つのグルー
プに編成された。仲間が多いというのは賑やかで楽しい反面、80名が同時にチェックインし、同時に食
事を始める(観光地では同時にトイレに行く)のだから、いちいちが大騒ぎ。添乗員という仕事はツクヅ
クタイヘンだよなぁと同情しちゃうよ。そんな中、参加者のお一人の具合が悪くなって救急車で運ばれて
行った。心配だ。夕食は8時半から。私らにはエラク遅い時間だが、土地の人はこれがフツーらしいよ。
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1月 21日(金) 南パタゴニアは概ね晴れ
朝 チリ・プエルトナタレス 「コスタウストラリス」 朝食ヴュッフェ
昨日からの雨が止んだ朝、ウスティマエスペランサ湾の向こうにはアンデスの山々が見えた
5時起床。昨夜からの雨も止んで、客室のカーテンを開けたら、目の前には素晴らしい景色が広がって
いた。ホテルの真ん前は船を浮かべたウスティマエスペランサ湾で、その向こうにはアンデスの山々が
聳えているではないか。ここプエルトナタレスは、パイネ国立公園の玄関口なのだ。朝食ヴュッフェで、
ふすまパンをトースターで温める時、カビが生え始めていることに気がついた。旅も15日目になった。
チリから国境を越えてアルゼンチンへ。遠くアンデスの山々を見ながらカラファテへ
昨夜救急車で運ばれた方は、お元気になられて一緒に参加されていると聞いて安堵した。7時チェック
アウト&出発。今日はチリからアルゼンチンの国境を越えて、カラファテ郊外のロス・グラシアレス国立
公園まで行くのだ。1時間でチリ側国境に近いセロ・カスティージョに到着。ここで出国手続きを済ませ
たのだが、アルゼンチン側国境まで緩衝地帯が7`もある。ここを走れるのはバス2台だけだというこ
とで、私達はバスを下りて隣のバスに乗せて貰った。ギューギュー詰め。アルゼンチンへの入国手続き
をようやく終えて暫らく行ったところにアルゼンチン側のバスが4台待っていた。国境を越えるのはタイ
ヘンだ、ヤレヤレ。左手にアンデス山脈が見えているが、あそこまでは150`も離れている?しかも大
きく迂回して行くので、カラファテまで300`走らねばならない・・・・カラファテの手前の丘から、アルヘ
ンティーノ湖が見えて来た。アルゼンチンの最大の湖で琵琶湖の2倍。エメラルド色の水色が美しい!
昼 アルゼンチン・カラファテ車中にて ホテル製のランチボックス
ホテル製のランチボックスは豪華! ロス・グラシアレス国立公園内のペリト・モレノ氷河は世界自然遺産
全長35`、先端部の氷河の幅5`、高さ60mのペリト・モレノ氷河 息をつめて崩落を待つ
国境で時間を取られたので予定より遅れてカラファテには2時に着いた。ホテルでランチボックスをピッ
クアップしてから、更にロス・グラシアレス国立公園に向かう。湖で餌を啄ばむフラミンゴがたくさんいた。
バスを走らせて1時間ちょっと走ったところで見えて来たのは、あらら?あれはペリト・モレノ氷河?これ
だけ離れているのに、何たる大きさ!氷河に近づくにつれて先ほどまでの青空が隠れてしまい、雲が
増えて雨まで降り出した。ここはいつもこんな天候らしいよ。さぁ、待ちかねたペリト・モレノ氷河に到着
したぞ!発見者ペリト・モレノさんから名前を貰った世界自然遺産の大氷河である。全長35`、先端部
の氷河の幅は5`、水面から見えている氷河の高さ60m、水面に隠れている氷河100m以上という
とんでもなく大きい氷河なのだよ。これが1日2mづつ前に進んで来るが、その分毎日崩落する。その
崩落場面を見るために世界から多くの観光客が詰め掛けて来るのだ。氷河は青白い。青白くて美味し
そうに見える。あそこもそこもあっちもこっちも崩れそうな氷ばかり。だが2時間大きな崩壊は無かった。
夜 カラファテ 「ポサータ ロスアルモス」 キングサーモングラタン、サーロインステーキ、(アップルケ
ーキ)、3点セット 15j
緑が美しいホテル
午後6時まで氷河を見守ったが、明日また来るねとカラファテの町に帰る。氷河から離れると、たちま
ち青空が戻り、大きな虹まで見えて来た。昨日、カラファテの町はドシャ降りで、氷河観光もままならな
い程の悪天候だったらしいが、私が来るとちゃんと晴れてくれたわけね。よしよし。今日のホテルのポ
サータ ロスアルモスは5ッ星で、ゴルフ場も併設した緑に溢れた美しいホテルだ。夕食は8時半から。
新たにグループになった方々とテーブルをご一緒しお喋りが弾む。大氷河観光の興奮が続いている。
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1月 22日(土) 南北パタゴニアは概ね晴れ
朝 カラファテ 「ポサータ ロスアルモス」 朝食ヴュッフェ
カラファテの実
船ではいつも9時半には寝ていた。夕食は6時からだし。しかし、パタゴニアに来てからは夕食が8時半
から始まるので寝るのは11時半とか12時になってしまう。それでも起きるのは5時と同じだから睡眠
不足になっちゃうな。今日午前中はフリータイムなのだが、希望者は旅行社の厚意でペリト・モレノ氷河
の遊覧観光をすることになった。私など「わぁーい!」と歓声あげて参加を表明したが、十数名の人は
いかないんだってさ。町の名前になったカラファテとは植物の名前で実をつける。朝食ヴュッフェには甘
い菓子類と一緒に数種類のジャムが並んだがカラファテのジャムもあった。旨いかって?フツーだね。
昼 カラファテ車中にて ホテル製のランチボックス
遊覧船で南壁に近づく
3回も崩落したのだよ!!!
氷河トレッキングする人々もいる
航空写真から見たペリト・モレノ氷河(写真)
大崩落はこんならしいよ(写真) さよなら!大氷河君
8時半ペリト・モレノ氷河に向けて出発。今日も良い天気だと喜んでいたが、ロス・グラシアレス国立公
園に入り、氷河に近づいて来るとやっぱり天気は崩れる。氷河展望台に行く手前にある遊覧船乗り場
には10時に到着。遊覧船は貸切りだった。2階の展望デッキに立って、リコ水道側から氷河の南壁を
中心に見学する。雨と風が激しくなり、風を受ける顔は引きちぎれそうに冷たい!氷河の壁がグングン
近づいて来るが、崩落の危険があるので150mは離れていないとイケナイのだそうだ。エンジンを止め
て船がユラユラとしている時、ドドドーッと氷河が崩れた。崩れた氷が湖面に沈む。ドッカーン、もいちど
ドッカーンと大きな水飛沫が上る。もの凄い迫力。思わず、皆で拍手、拍手。凄いのを見させて貰った
ね、と下の船室に下りていくと、またもやドドドーッ。さっきの崩落より大きいかったよ!写真を撮るのは
諦め、この目にしっかりと焼き付けた。その後もう一度崩落して船内ガイドも驚く程の崩落ぶりだった。
アルヘンティーノ湖の水は青い 北パタゴニアのバリローチェ この町はチョコレートの町!
遊覧船参加者は氷河崩落を何度も見て満足感でウシウシ、一方不参加者は町も小さくてつまらなかっ
たし、氷河見学者の笑顔がウットオシくて不機嫌、という感じで飛行場に向かったのだ。バリローチェ行
きのアルゼンチン航空の飛行機は週に4便。満席だった。窓側の席だったので、アルヘンティーノ湖を
上空からジロジロ見ることが出来た。氷河が溶けた水はエメラルド色でホントに美しいなぁ。国内線な
のに2時間40分も乗ったところで、北パタゴニアのバリローチェに到着。これだけ北に飛んで来ると気
温も随分上がって25度以上あった。南半球の現在の季節では南が寒くて北が暑いのだ。トイレでシャ
ツを脱いで夏バージョンスタイルになる。ホテルにチェックインした後、夕食まで町を散策。「南米のスイ
ス」と呼ばれる高級なリゾート地で、チョコレートの町としても有名とか。チョコレート屋で溢れていたぞ。
夜 アルゼンチン・バリローチェ 「ホテルエーデルワイス」 野菜のテリーヌ、鱒のソティ、(アップルケ
ーキとアイスクリーム)、3点セット 16ドル
今夜泊まる「ホテルエーデルワイス」は、名前に似合わず5ツ星ホテルらしい。町の中心地にあって便
利ではあるが、表通りに面している客室は車の音がちとウルサイ。夕食には目の前にあるナウエル・ウ
アピ湖で獲れたトラウト(鱒)料理が出た。毎日、夕食時のビールを飲む時が一番嬉しい。グビグビグビ
っと最初の一口を飲んでプッハーと息を吐く時、あぁ今日も楽しい一日でした!ってね。10時半就寝。
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1月 23日(日) 北パタゴニアは快晴!
朝 アルゼンチン・バリローチェ 「ホテルエーデルワイス」 朝食ヴュッフェ
今回の旅の17日目だ。今日は出発が遅いから寝坊しようと思っていたが、足が攣ってやっぱり6時に
は起きてしまう。昨日からお腹の具合がよろしくない。クルーズ中はずっと「快食快眠快便」だったから、
カビ始めたふすまパンが原因かも、と残りのパンは捨てることにした。もったいないけど。これからは夢
子倶楽部の読者の方からふすまパン真空パックに乾燥剤を入れるといいと助言頂いた通りにしよう。
バリローチェの中心セントロ・シビコ ナウエル・ウアピ湖の向こうにアンデスの山々
「南米のスイス」と呼ばれるバリローチェ 広場にいたセントバーナードの子犬
今日の出発は10時45分。お腹が収まったので散歩に出る。セントロ・シビコから坂を下りて行くと、目
の前にナウエル・ウアピ湖が広がる。空気が清々しい。首都のブエノスアイレスなどからも、夏は避暑
に、冬はスキーに多くの人が訪れるという人気のバリローチェ。氷河を発見したペリト・モレノ氏もこの
町に家をプレゼントされ一時期住んでいたこともあったと言う。チェックアウトして今日はアンデス越え。
昼 アルゼンチン・アンゴストゥーラ 「ロス・アミーゴス」 エンパナーダ(ミートパイ)、チキンソティ、
(3
アンデス越えの風景 「チリ冨士」のオソルノ山(2652m)をあちらこちらから長く楽しんだ
アンデス山脈は南北に7500`も続く世界最大の山脈だ。その長い長いアンデスを横断出来るのは何
箇所しか無いのだそうだ。今日はその希少なルートを通ってアンデス越えをするのだ。ナウエル・ウア
ピ湖を左手に見ながらバスは進む。その向こうにはカテドラル山(2388m)や雪を頂いたトロナドール山
(3554m)が見える。ナウエル・ウアピ公園を走り進むとやがて湖に浮ぶビクトリア島やアラジャネスの
森に見惚れていると、今日の昼食場所アンゴストゥーラに着いてしまった。花が咲き乱れるレストランで
美味しいランチを摂った後、アンデス越えのドライブが続く。ここでまたもや国境。チリは入国審査はと
もかく、例の税関が厳しいのでやたら時間がかかる。車で移動している人も全荷物を調べられていた。
バスの中から笑ってこの風景を眺めていた我々もしっかり荷物を調べられた。2度目のチリ。この地域
は1年に400日雨が降るといわれているそうだが、今日は雲ひとつないピーカン。晴れ男と晴れ女ば
かりなんだな。やがて楽しみしていた「チリ冨士」と呼ばれるオソルノ山が見えて来た。道路がオソルノ
山の周囲をまわるように通っているので、長い時間楽しませて貰った。ホントに美しい山だと見惚れた。
夜 チリ・プエルトモン 「ディアゴ・デ・アルマグロ」 アボガドシュリンプ、サーモンソティ、(ストロベリー
ムース)、3点セット 12j
プレルトモンのホテルに着いたのは夜の8時半だった。長いドライブだったなぁ。国境を越えるのに約3
時間費やしたから余計遅くなったが何しろアンデスを越えて来たのだから仕方ないやね。プエルトモン
と言えば鮭。だからか夕食には巨大な鮭のソティが出た。明日でパタゴニアの旅4泊5日も終了する。
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【今週の振り返り】
大型客船の南極クルーズは2012年から禁止されると言う。理由は環境保護の観点だと言う。従って、
私達が乗っている11万トンのスター・プリンセス号にとっても、これが最後の南極クルーズとなった。と
はいえ、4年前に私が乗ったブレーメン号(約7千トン)などの小さな船は今まで通り乗り入れは可能で
あるから、南極観光は引き続き出来ますよ。
木曜日から一旦船を下りてパタゴニア旅行に出かけた。これまでもパタゴニアには何度も誘われた。し
かし、4年前南極旅行の際、ウシュアイアなどフェゴ島やプエルト・ウィリアムズなども行ったことからダ
ブルような気がして行く気がおきなかった。だから、氷河が崩れたとか崩れなかったとかとパタゴニアに
行ったことのある人の話もいい加減に聞いていたし(笑)。しかし、今回のクルーズで、ずっと船に乗っ
ていますか、それとも途中で下りて4泊5日パタゴニアに行きますか?と「はーい!行きます!」とすっ
きり答えた。「ついで」ならいいじゃないの。氷河にも崩れて貰おうじゃないの、ってね。
そもそもパタゴニアってどこか?国の名前でうかい?ノン!!南緯40度以南の地域の名前じゃ。チリと
アルゼンチンの二国に跨る。それではパタゴニアという地名はどこから来たのか。マゼラン海峡を発見
したマゼランが1520年にこの地域に住んでいた先住民を見て、大きな(ゴン)足(パタ)=パタゴン族と
命名したからだと言う。しかし、実際先住民は足が大きかったのではく、彼らが履いていたブーツが大
きかっただけだと言われているんよ。この長細い地域の西側にはアンデス山脈が聳える。アンデス山
脈は北緯10度から南緯50度までの南北7,500`、幅は750`の世界最大の山脈で、最高峰はア
コンカグア(6960m・アルゼンチン)だよ。
ま、それはともかく、そのアンデス山脈に南西から強い偏西風が吹きつけ、チリ側に年間5000ミリの
雨をもたらす。気温の低い地域に降る大量の雨から、大規模な氷河が形成されるのである。その氷河
はペリト・モレノ氷河を代表格として大小50もあって、その規模は南極、グリーンランドに続いている。
対照的なのが、東側のアルゼンチン側の気候。北部はコロラド川とネグロ川があるから広大な草原が
広がって農耕にも適している。しかし南部は乾燥した砂漠が広がっている。
アルゼンチン側のパタゴニアでは1800年代から牧羊が始められ、人が住み始めたといわれている。
羊はフォークランド諸島から連れて来られた。その羊は品質が良いとされるシェットランド諸島の羊と同
品種で、パタゴニアで育てられた羊も品質が高いといわれている。こんな場所だからそれまで住む人が
いなかったんだね、と納得しようと思ったら、ペリト・モレノ氷河から南に160`離れた洞窟で壁画が発
見されたのだ。クエバ・デ・ラス・マノス(ラス・マノス洞窟)で発見されたのは、洞窟の壁に手をつき塗料
を吹き付けたもの。ネガとポジの手形があって、紀元前のものと考えられているらしいよ。この洞窟壁
画は1999年世界遺産に登録された。更には恐竜の骨も発見され、パタゴニアにも恐竜がいたことが
明らかになったのだそうだ。
パタゴニアはチリとアルゼンチンに跨るのだから、パタゴニアを訪れる観光客としては、両国が仲良くし
て欲しいところだ。しかし、現実はあまり仲良しとは言えないらしい。今回もたった4泊5日なのに、チリ
からアルゼンチンへ、アルゼンチンからチリへと国境を2度も越えた。ヨーロッパ並に、通過したことに
気がつかなかったところまでヤレとはいわないが、2時間も3時間もかかるのはエラク困る。両国の間
にはいろいろ難しいこともおありのようなので、全面的仲良しになれとまでは言わない。しかし、パタゴ
ニア国境だけは「かなりフリー」って感じに行きませんかね。そうすれば、パタゴニアの観光に訪れる人
はもっともっと増えると思うよ。観光収入も増えていいじゃない。アルゼンチンの大統領はクリスティナ・
フェルナンデス・デ・キルチネルさん、いかがでしょう。大富豪のチリ大統領のセバスティアン・ピニエラ
さん、いかがでしょうか。
お願いごとするならスペイン語で言いニャ!
*
旅の始まりは 1月 1週、 1月 2週 をご覧ください。
*
えー、明日からちょっと海外に出かけて参ります。2月度の海外旅行。
夢子さん、ちょっと待ちぃな。あなた未だチリにおるんよ!日本に帰国どころか、
スター・プリンセス号にも戻っていないのに、次の旅行に行くって言うの?
「あ、はい・・・・すんません。」
そんなことで、次回の更新は2月26日頃かな。重ね重ねすんません
ほな、行って来ます・・・・・。