パクパク日記11年5月1週
クリスタル・セレニティ号のワールドクルーズも最終週へ
ポルトガル・リスボン
船・カウントダウン
5月 2日(月) 晴れ 終日航海(モーリタニア、西サハラ沖航行中) ウサマ・ビン・ラディン射殺される
朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ
なかなかの味
クリスタル・セレニティ号ワールドクルーズ2011はいよいよ最終週に入った。ま、ワールドクルーズと言
ってもフルに乗っている人にとってであって、私のように最終区間だけ乗っているような客には、3週間
中の3週目に入ったということだ。2日前消化器系がちと弱って夕食を抜いた。吐き気は無くなったもの
の腹コワシは相変らず。今朝も鶏粥に焼き海苔をパラリとかけて食べた。図書室で閲覧できる日本の
新聞が昨日から毎日新聞から読売新聞に変わった。船室で、大介君と有里ちゃんに絵葉書を書いた。
昼 クリスタル・セレニティ号「ティスト」 アメリカン・ヴュッフェ
今日のランチはアメリカン・ヴュッフェだった。えぇ?だいたいいつもアメリカだろ?と言いたいところだが
ガンボやジャンバラヤなどの南部のケイジャン料理、チリコンカンのようなテクスメクス料理などが並ん
でいて、なるほどね、と思ったのだ。しかし、食べるかというと・・・ちょっとだけ。船が北上し始めてから
ずっと風が強く、しかも今日は船が揺れていて、日課となった7階デッキでのウォーキングも強風と縦揺
れとの戦い。外を歩くのは2周で諦めて、5周は船の中を歩いた。洗濯とサイトチェックもちゃんとやる。
夕方の軽食 船室にて キャビア、ビール
旨いものは身に危険ですか・・・
5日ぶりに船室でキャビアを食べた。黙っていると、毎日でもバトラーのウラルがキャビアを船室に運ん
で来る。それを毎日食べていたんじゃあ、どうゆうことになるか想像するだけでも恐ろしい。正面切って
断ると「それじゃあ何を持って来ようか」ってな話になるので「ドントディスターブ」札をかけて防ぐのだ。
氷皿に浮んだキャビアに茹で卵の黄身と白身、刻んだ玉葱、サワークリームを入れてかき混ぜ、それ
にレモンを絞ってね。カリカリのクラッカーに載せて食べるのさ。旨いが危険。毎日食べると豚確実だ。
夜 クリスタル・セレニティ号「ティスト」 鼎泰豊:豚焼売、ポーク餃子、炒め青菜、ヌードルスペシャル
スパイシーソース(汁無し坦々麺)、チーズ盛り合わせ、アルコール3点セット+赤ワイン
今夜は3度目のフォーマルナイト。まぁ一応「馬子にも衣装」を着てみたが、ダイニングに行くのもメンド
ーで軽食の「ティスト」に行くことにした。夜だけ中華点心があると聞いていたが、行ってみるとあの人気
点心の店「鼎泰豊」ディンタイフォンのメニューがあるではないか!ほれ、台湾に本店があって、アメリ
カや日本やアジア各国にも店舗がある小籠包で有名な店よ。しかし・・・豚焼売もポーク餃子も炒め青
菜も旨くない。全く旨くない。ここで「鼎泰豊」点心を初めて食べた人は幻滅するに違いない。しかし最後
に食べたヌードルスペシャルスパイシーソースは汁無し坦々麺。辛くて旨い!面目躍如って感じだね。
寝る前BBCニュースをぼんやり見ていたら、ウサマ・ビン・ラディンを射殺したとか言っていた。本当?
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5月 3日(火) 晴れ 北風強し 終日航海(西サハラ、モロッコ沖航行中)
遅い朝のお茶 クリスタル・セレニティ号 「ビストロ」 フルーツ、ヨーグルト、紅茶
グズグズ病に罹ってしまった・・・
終日航海日はグズグズ病になって困る。7時半頃やっと目が覚まし、ベッドの中でゴロゴロ。普段はダ
メな私でも、旅に出ると突然「早寝早起YUMEKO」に変身し、規則正しい生活をしていたのに・・・。朝
ご飯は一番じゃないと気分が良くなかったのに・・・。11時「ビストロ」でヨーグルトとフルーツをつまむ。
昼 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 ランチヴュッフェ
規則正しい生活に戻そうと、昼はちゃんと食べることにした。さっき食べたばかりだが、規則正しくね。
昨夜チラッとテレビで見たウサマ・ビン・ラディン射殺情報を知りたい。ネットで調べた。ふーんそうかぁ。
アフタヌーンティ クリスタル・セレニティ号 「パームコート」 モーツアルトカフェ 紅茶とプリン
船というところは、太りたいと思う人間にはとても便利な場所だ。朝食、お茶、昼食、夕方のカナッペ、
夕食、夜食、その上、アフタヌーンティまである。また豚に戻るのはイヤなので、アフタヌーンティ会場の
「パームコート」には近づかないようにしていたが、今日はモーツアルトカフェ開催と聞いて行ってみた。
サービスするウェイターもモーツアルトを演奏する女性四重奏団も中世の衣装を着て雰囲気を盛り上
げていた。夕方、船の両側には島影を発見。あれはカナリア諸島ではないか!去年1月に行ったなぁ。
カナリアは小鳥の名前だとばかり思っていたのに「犬」という意味だと知ってタマゲたことを思い出した。
夜 クリスタル・セレニティ号 「イタリア料理 プレゴ」 ポーチドロブスター、ポルチーニ茸のクリームス
ープ、アンガス牛フィレゴルゴンゾーラチーズ風味、ソルベ+シャンパン、カプチーノ、アルコール3
点セット
今夜は添乗員Y田さんの呼びかけで、イタリアンの「プレゴ」で夕食を摂る。先週、日本食の「シルクロ
ード」には全員(10人)参加されたが、今日は4名が他のレストランに行かれた。まぁクルーズの場合は
普通のツァーと違うから団体行動を取る必要は無いのだろうが、ちょっとね、寂しいやん。「プレゴ」は初
めてだが、ここも日本人客が多い。注文を取りに来たウェイターは、金髪碧眼で、かなりのイケメン(古
ッ!)君だった。ほぅ、イタリアンでもピッツァなんか置かない方針なんだな。料理は結構美味であった。
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5月 4日(水) 晴れ 終日航海(モロッコ沖、ジブラルタル海峡西側航行中)
朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ
今日も良いお天気!
生活を立て直すべく6時に起きるつもりだったのだが、あらもう8時だわ。目覚まし聞こえなかった・・・。
昼 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」太陽の料理ヴュッフェ ランチヴュッフェ
乗組員の避難訓練
午前中、乗組員の避難訓練があった。これ、毎週やっているらしいが、いつもは寄港日に行われている
から見たことはなかった。1912年に起こったタイタニック号沈没事故から国際的に義務づけられたら
しい。私はと言えば朝のうちに洗濯を済ませ、ウォーキングも自分に義務づけている7周を歩く。今日で
16日連続1万歩超えた。でもねぇ、太ったのよねぇ。ズボンがキツクて!って昼スパゲティですかぁ?
夜 クリスタル・セレニティ号 「鮨BAR」 蕪煮と数の子、刺し身盛り合わせ、クリームコロッケ、
卵焼き、牛たたき、軍艦巻、漬物、味噌汁、トロピカルデザートとフルーツ、アルコール3点セット
今晩は鮨BARに行こうとS木さんと約束した。鮨BARは予約出来ないので、開店15分前の5時45分
には行って待つ。よし、5番目だから入れるね。付き出しは数の子。コリコリと旨い。親分のナカさんは
日本人客に今日のスペシャルを出してくれる。S木さんには五目ちらし寿司、私にはクリームコロッケ!
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5月 5日(木) ポルトガル・リスボンは晴れ
朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ
朝日に映える発見のモニュメント
4月25日橋の下を通る テージョ川の向こうに太陽が昇る
リスボンに寄港する日だ。4時から目が覚めた。5時過ぎ、ようやくようやく携帯のメール来た音がした。
4月20日のナミビア以来だ。わぁ、いっぱいメールが来ている。西アフリカを航行中溜まっていたんだ。
窓の外を見てみると、あららぁ、朝日が当っているのはベレンの塔じゃない?ということは発見のモニュ
メントがすぐ見えるハズ。おぉあった、あった。パジャマ姿で発見のモニュメントを拝見できるとは感激!
エドアバド7世公園から旧市街とテージョ川を見下ろす
リスボン名物路面電車
ボート遊覧でテージョ川からバイシャ地区やアルファマ地区を眺める
停泊中のクリスタル・セレニティ号
これがベレンの塔 発見のモニュメントをこんな角度で!
リンドバーグもリスボンに来た!
そうか、日本は今ゴールデンウィークだ。皆さんお出掛けなんだ。ハワイ島にいるオジョーと、沖縄にい
るマキちゃん、たぶん東京にいるSブーにメールの返事を出した。9時半、「陸と川から見るリスボン」の
船主催のエスカーションに参加。さんざん船に乗っているのに、船を下りてまた船に乗るってヘンだけ
どね。まずはバスで市内観光。この町には16年前に来た。あぁ、懐かしいなぁ。でも、忘れちゃったこと
も多いなぁ。あの紫の花はジャカランダじゃないか!南アフリカは10月だけど、ポルトガルは今頃なの
だね。バスの次は船。今日のリスボンは気温16度。2階で風に当ると寒いほどだ。まずは川を遡ってリ
スボンの東側を見学。コメルシオ広場、丘の上にはサンジョルジェ城、カテドラルが見えるアルファマ地
区・・。ヴァスコ・ダ・ガマ橋が見えたところでUターンして河口側ベレン地区へ。世界遺産のジェレニモス
修道院、今朝見た発見のモニュメント、ベレンの塔。結局発見のモニュメントとベレンの塔は4回見た。
昼 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 ランチヴュッフェ
良い景色でしょ?
午後1時に船に帰って4月25日橋を眺めながらランチ。午後も希望者は市内見学に行くことになってい
たが、船に帰って来たらまたもやお腹がグルグル。トイレ通いしていては見学には行けんわなぁ。全く
困った腸だ。7階デッキでのウォーキングも涼しいから気持ちがいい。今日も1万歩以上歩いたぞ!!
夜 クリスタル・セレニティ号 「ダイニング」 イカのソティ、ビーフコンソメスープ カニフリッター添え、
チキンカチャトーレ、ソルベ+シャンパン、カプチーノ、アルコール3点セット
6時に出発予定だったのに、船は5時50分動き出した。最終地点の英国ドーヴァー目指して。クリスタ
ル・セレニティ号では出航の際、サッチモ(ルイ・アームストロング)が歌う「この素晴らしい世界」What
a
Wonderful World」が流れる。この曲、いつ聞いてもジーンと来る。今日の夕食はどれもパッとしな
かった。メニュー選びはほとんど成功しているのに今日はダメだったか。出航してから1時間半、オジョ
ーから返事が来た。ギリギリ間に合ったようだ。10日程映らなかったNHKワールドがようやく見れた。
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5月 6日(金) 晴れ北風強し 終日航海(イベリア半島沖航行中)
朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ
明後日下船とあって、朝食後アルファベット順にパスポート返還と英国入国審査があった。この旅で文
庫本9冊読んだが、そのうちの5冊をライブラリーに寄贈した。持って帰るのも面倒だし。今読んでいる
のは直木賞を受賞した山本兼一氏「利休にたずねよ」。千利休の本名は田中与四郎さんだったんだ。
午前のお茶 「ビストロ」 カフェカプチーノ
昼 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 メキシカンヴュッフェ
ピンク線を船で移動した
メキシカンヴュッフェのランチを食べてから、アンケートを記入した。詳細なアンケートでエラク時間がか
かる。部屋付けにしたチップとは別にチップ袋に現金を用意。いよいよ下船という雰囲気になって来た。
夜 クリスタル・セレニティ号 「ダイニング」 チキンレバーペースト、ポルチーニ茸のクリームスー
プ、南アフリカン産のロブスターグリル、クルーズ特製のベイクドアイスクリーム、カプチーノ、アル
コール3点セット
最後のフォーマルナイト。船長主催のパーティには行かず。明日は「シルクロード」を予約しているから
このダイニングも今晩が最後になる。それかどうか、メニューにはかなりのご馳走が並んでいる。チキ
ンレバーペーストがとても旨かった。デザートは、クルーズの終わりにはお約束のアラスカパレードだ。
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5月 7日(土) 夜のち曇ったり降ったり 終日航海
朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ
明日の下船に合わせ、早起きの練習。6時半にはちゃんと起きた。しかも朝食に行く前に、ランドリーに
行って洗濯機に最後の洗濯物を放り込む。「リドカフェ」 でいつも親切にしてくれたフィリピン人のウェ
イター達。そろそろお別れだね、という表情をする。部屋に帰ると2人のスチュワーデスからチップお礼
レターが置いてあった。ペントハウスのスチュワーデスはレベルが高い。9時半には洗濯が終了した。
昼 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 ランチヴュッフェ
今夜の準備も着々と
パッキングには3時間くらいかかるかと洗濯など早めに始めたのだが、何と40分で終了!早く終わり
過ぎて気が抜けた。最後のランチは、禁止食だがとっても美味しかったスパゲティにしよう。あら?今日
はあまり旨くないなぁ。5階の吹き抜けロビーでは今夜のカウントダウンの準備が着々と進んでいた。
夕方の軽食 船室にて キャビア、ビール
今日が最後だからキャビアも食べよう。バトラーのウラルにもチップ袋をテーブルに置いておいたら、イ
ラスト入りのお礼レターが置いてあった。お茶目なウラルだ。一生分のキャビアを食べた3週間だった。
夜−1 クリスタル・セレニティ号 「シルクロード」 お通し、刺し身盛り合わせ、漬け物、鯵フライと千切
りキャベツ、茄子の田楽、うな丼(鰻のみ頂きました・・・)、カレー、味噌汁、稲庭うどん(小)、胡麻
豆腐風デザート
クリスタル・セレニティ号最後のディナーは「シルクロード」で。同じことを考えるらしく、今日は日本人客
で一杯。それぞれ好きなメインをお願いしてある。私はもちろんカレーだ。ところが、鰻丼と稲庭うどんを
注文した人達が時間を突然変更したため、余分に料理が来てしまった。残すのはもったいない。しかし
添乗員のY田さんと私以外は80代の皆さん。許容量は少ない。2人でシェアして食べた。ご飯はほとん
ど残しはしたが、この日の夕食だけでも確実に2`は増えた。ナカさん、皆さんお世話になりました!
夜―2 クリスタル・セレニティ号ワールドクルーズカウントダウン シャンパン
8時前からワールドクルーズのカウントダウンパーティが始まった。バンド演奏とダンス、船長挨拶。シ
ャンパンが配られ、長かった(私らは3週間だけだけど)船旅を締め括った。天井に吊るされた風船が
盛大に落ちて行く。私も長い爪で10個風船を割った。気持ちが良かった!スーツケースを出して寝る。
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5月 8日(日) 最終日 イギリス・ドーヴァーに到着 曇りのち晴れ
朝 クリスタル・セレニティ号 「リドカフェ」 朝食ヴュッフェ
「リドカフェ」の朝食もこれが最後
船は午前4時頃ドーヴァーに着いていたようだ。早起きせねばと思っていたから何度も目が覚めた。5
時半起床。船はこのままドイツのハンブルグに向かい、ドッグで大規模改修工事に入ると言う。そんな
こともあって、下船は6時半から始まり、すべての乗客が9時半までに下船せねばならない。6時半前
朝食を摂りに行ったが、いつになく混雑していた。初めて来たドーヴァーは、愛想ない景色だなぁ。日曜
日とあって港ではたくさんの釣り客が釣り糸を垂れている。スチュワーデスのカロリーナと別れを惜しん
でから下船。大型バスでカンタベリーに向かう。どんよりしていた曇り空がだんだん明るくなって来た。
午前中のお茶 英国・カンタベリー「COSTA」 コーヒー
カンタベリーのハイストリートを散策
カンタベリー大聖堂
ドーヴァーからわずか30分でカンタベリーの町に到着。小さな町だが、カンタベリー大聖堂があること
と「カンタベリー物語」で有名だ。先頃行われたチャールズ王子のロイヤル・ウェディングを執り行ったの
はこのカンタベリー大聖堂のローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教である。今日は日曜日だから
午前中はミサが行われていて大聖堂に入ることは出来なかった。「COSTA」でデカイコーヒーを飲む。
昼 英国・ロンドン 「三越」 松花堂膳(刺し身、若竹煮、スコットランドの牛肉のステーキ、鯛の梅
唐揚げ、漬け物、(ご飯)、果物
順調に走っていたバスもロンドン市内に入ると渋滞に巻き込まれた。昼食場所である「三越」に着いた
のは午後1時。朝ご飯が早かったからお腹はペコペコだ。三越の和食レストランは日本人客で大賑わ
い。堀り炬燵式の座敷に落ち着いた時はほっとした。松花堂膳は皆さんには好評だったが、ご飯を食
べないと物足りない。店を出た時にはもう空腹を覚えた!3時過ぎ、マンダリンオリエンタルハイドパー
クホテルにチェックイン。希望者は買い物に出かけられたが、私はお風呂に入り夕食までほっこりした。
夜 英国・ロンドン 「チャイナシティ・ラッセルスクェア」 シーフードレタス包み、家鴨の南京ダッグ、
小
の蒸し
7時、バスで中華レストランに行く。この旅2度目の10人全員揃っての3度目の食事。美味しい料理も
そうでない料理もあったが、昼食からずっと空腹だったのでバクバク食べた。ホテルに帰って、ようやく
NHKワールドを見つけた。何と201チャンネル!NHK海外じゃないんだね。眠っても揺れているよ。
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【今週の振り返り】
先週分で力尽きて寄港したセネガルのことを書かなかった。ちょっと書かないとセネガル猫に叱られて
しまうわねぇ。先週分と言えば、ひとつ訂正とお詫びを。あの地震の翌日がお嬢さんの結婚式だったM
井ちゃんからメールが来た。「ガーナの人口2400人になってますよ!」。正しくは2400万人に決まっ
ておる。「万」の一字を入れ忘れただけだ。だいたい2400人では世界で2位のカカオは生産できない
だろ?なんて自分のミスを反省するどころか威張ってどうする!スンマセン・・・。これもそれも、一度書
いたものは読み直さないという子供の頃かの性分が原因なんだよね。それはわかっているんだけど、
性格っていうヤツはどうも直らない。
ここまで寄港して来たサントメ・プリンシベとかトーゴと違ってセネガルはご存知でしょ?え?知らない?
でも、セネガルの首都なら知っていますよね。ダカールです!かつては通称パリ・ダカで知られるパリ・
ダカール・ラリーの終点であった。1979年から始まったレースで、パリを出発してジブラルタル海峡を渡
り、モロッコ、西サハラなど西アフリカ諸国を通って、セネガルの首都ダカールにゴールとする「世界一
過酷なレース」と言われた。サハラ砂漠を横断するだけだって十二分に過酷なのに、時にはテロに遭う
わ、強盗に襲われるわ、襲撃されるわ・・・まぁ、そんな事件、事故が度重なって、今「ダカール・ラリー」
は南米で行われているらしい。大昔、そんなパリ・ダカレースの映像をテレビで見て、苦労の連続でも
最後にはあんな美しい海辺の町にゴールするのはいいなぁ、とダカールのキラキラ光る海を眺めたこと
を覚えている。ダカールというのは現地ウォロフ語で「タマリンド」を意味するのだそうだ。
セネガルはヨーロッパとの接触は、サブ・サハラの国の中で最も古く1443年にはポルトガル艦隊がセ
ネガルに来ている。ポルトガルは、先週行ったゴレ島を海路貿易の拠点とし、定住始めた。ポルトガル
人の後にもオランダ人、イギリス人、フランス人が押し寄せて、金と象牙と奴隷の交易のためにセネガ
ルの海岸地帯を激しく奪い合った。前週のパクパクにも書いたが、ゴレ島はアフリカで最大の奴隷積み
出し港となり、奴隷貿易禁止となる1848年までの300年間で約2000万人の奴隷を送り出したのだ。
各国の支配権争いはフランスが勝ち、1815年フランスの実質支配となり、1960年セネガル共和国とし
て独立した。国土は日本の半分位、人口は1270万人(1270人じゃありません)で主要宗教はイスラ
ム教である。
ポルトガルの大航海時代はそう長く続いたわけではない。しかし、死後「航海王子」と敬われたエンリケ
王子の元、ポルトガルはその後ヨーロッパとアフリカ、アジアを結ぶ大きな足跡(船だか足跡とは言わな
いか)を残した。15世紀の始め、ヨーロッパ人にとってアフリカ沿岸の最南端はカナリア諸島の南200
`に位置するボハドル岬であった。当時ボハドル岬は世界の果てで、その先には煮えたぎる海が広が
っていると信じられていたそうだ。船乗り達の恐怖は極めて激しいもので、その先への航海は不可能だ
った。エンリケ王子は1422年から何度も迷信に挑み続け、「ボハドル岬の先」を目指したが都度失敗
に終わった。しかし、1434年派遣した探検隊がその先に進むことに成功し、船乗り達の迷信が打破さ
れた。その後ディアスやヴァスコ・ダ・ガマなどによって喜望峰経由でインド洋に行く航路が発見され、
大航海時代が本格化するのである。今回私が乗ったクルーズ航路は、まさにこの大航海時代の挑戦
の歴史を遡っていくようなものであった。
気候に恵まれ、海は極めて穏やかであった。毎日船のデッキを何周もしながら、大海原を見つめてい
た。周囲には船影はひとつもなく、島も見えない。鯨がいるわけでも、イルカがいるわけでも、ましてや
ペンギンが泳いでいるわけでもない海。カモメさえ飛んでいない。そんな海をこの500年以上多くの船、
船乗り達が南下し、北上して通過して行ったのだなぁ。大嵐もあっただろう、食料や飲料水が不足した
船もあっただろう、船乗り同士の仲間割れがあったかもしれない、転覆しそうな船もあっただろう。そん
なことを想像しながら、毎日毎日歩いていた日々が終わった。歩いたからって、どんどん太ることを止
めることは出来なかったが・・・・。
で、太った分どーすんの?にゃ?
*
旅の始まりは 4月 2週、 4月 3週、 4月 4週 をご覧ください。
*
もう1週アップして行きたいのですが、2日後出発なのでムリかもしれません。
ダメだった場合、次回の更新は6月10日頃になります。
前の旅で未だ日本に帰っていないのに、また出かけるのかって?
いいじゃないですか、船は下りたんだし・・・。