パクパク日記15年4月1週

       ドイツの旅2週目。オペラとワインそして聖金曜日にはヨハネ受難曲

 

オペラ「ばらの騎士」s_RIMG8943.jpgs_CIMG2200.jpg ドイツの桜

 

3月 30日(月) 曇り        1ユーロ=約135円

朝 ドイツ・ハイデルベルグ 「ホテルオイローパ」 朝食ヴュッフェ

 

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昼 無し

先週からドイツに来ている。J.S.バッハの生誕地アイゼナッハや若い時代に過ごしたアルンシュ

タットなどを訪ねて「マタイ受難曲」を鑑賞し、人気のリースリングドイツ白ワインの醸造所も訪

ねた。昨日の夜、大学町で有名なハイデルベルグのホテルにチェックインした。午前中はこのハ

イデルベルグを観光する予定だったが、朝食を食べて暫くしてからお腹の調子が・・・ってことに

なり、急遽観光取りやめ。トイレ通いが落ち着いた頃、ちょっと町を歩いただけでお別れとなる。

夕方のおやつ バーデン・バーデン ブレナーズパークホテル&スパ 客室にて フルーツ

 

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バーデン・バーデンで最もラグジュアリーなブレナーズパークホテル&スパ ね?バスルームもおしゃれでしょ?

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1998年バーデン・バーデン駅舎をリノベーションした祝祭劇場は2500席  ここが指揮者席! 

 

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        カーテンコールに応える首席指揮者サイモン・ラトル   ラトルの総譜です!

 

午後3時半、人気温泉リゾートのバーデン・バーデンに到着した。高級ホテルが並ぶ当地でも一

番豪華なブレナーズパークホテル&スパに連泊する。わ〜い!今夜はイースター音楽祭が開かれ

ている祝祭劇場で、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」を鑑賞する。演奏はベル

リンフィル、指揮者はサイモン・ラトルだから文句無い。ただ、昼飯抜きだから腹ぺこである。駅

舎をリノベーションしたという祝祭劇場は座席数2500席で欧州でも指折りの劇場となった。座

席はちょっと左側だが3列目だった。ずい分前上野の文化会館でクライバー指揮の「ばらの騎士」

を聴いた時は夢見心地だったことを思い出した。ラトル氏も来年あたりに英国に帰ると聞いた。

遅い夜 バーデン・バーデン ブレナーズパークホテル&スパ 客室にて ルームサービス

(ポテトスープ9ユーロ、ボロネーゼスパゲティ11ユーロ、ビール5,5ユーロ)

 

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三幕目のソプラノ三重唱が素晴らしかった。ズボン役のオクタヴィアンって原作では17歳という

設定。演じる方も大変だよ。何度かのカーテンコールの最後には、ベルリンフィルのメンバーも

舞台に上がっての挨拶。オケメンバーも一緒って初めて見た。帰りに真紅の薔薇を1本貰ってホ

テルに帰る。空腹で目が回りそうだったが、ルームサービスでスープとパスタで一心地ついた。

               ______________

 

3月 31日(火) 降ったり晴れたり 風極めて強し!

朝 バーデン・バーデン ブレナーズパークホテル&スパ 朝食ヴュッフェ

 

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       カイザーシュトゥールは「皇帝の椅子」の意味  ピノ・ノワールが名産

 

EU内を旅していると、バスのドライバーはどこの国の人が来るかわからない。昨日の午後まで

は、怒りっぽい神経質なハンガリー人男性だったが、昨日やはりハンガリー人だが、穏やかで愛

想の良い男性に代わった。皆もホッとした。その彼が運転するバスは、南化する間強風にあおら

れて予定よりちょっと遅れた。翌日聞いたのだが、この日ドイツの全フライトがキャンセルになる

ほど国中大荒れだったそうよ。ライン川の向こう岸を少し行くと、もうそこはフランス・アルザス

地方というカイザーシュトゥールのワインセラーを訪ねた。比較的新しい会社だが、6千ものぶ

どう生産者と契約を結び、500種のワインを製造する大規模なワインセラーであった。見学の

後はお約束のテイスティング。赤1種、白3種の4本で、なかなか旨い。皆さんはワインを購入して。

昼 カイザーシュトゥール「Am Rhein」 オニオンスープ、鴨胸肉のロースト いちじく

とカシスソース、フルーツとクリームブリュレ、ビール 2,4ユーロ

 

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  s_RIMG8967.jpgs_RIMG8969.jpgライン川の向こうはフランス

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               古代から温泉地として愛されて来たバーデン・バーデン   

 

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         ブラームスやヨハン・シュトラウス、フルトベングラーなど芸術家にも愛された

 

ランチはワインセラーから程近いライン川に面したレストランで。メインの鴨肉はジューシーでと

ても美味しいのだが、その量が凄い!数えてみると13切れあったが、小食の私は(むふっ)5切れ

で諦めた。バーデン・バーデンに帰って一人で散歩に出た。馬酔木、桜、ラッパ水仙、菫、モクレン、

こぶし、連翹、アーモンド、椿・・・・何種類もの花が綺麗だ。高級温泉保養地のバーデン・バーデン

だから、劇場もあれば社交場、カジノ、競馬場、高級レストランなど客を飽きさせない施設もいっぱい。

夜 バーデン・バーデン「ル ジャルダン デ フランス」 アミューズ:パンナコッタと芽キ

ャベツのポタージュ、ホワイトアスパラと野菜のサラダ仕立て、ホロホロ鶏とラザニア、ル・バ

ーブのシャーベット、ラズベリーマカロン、カモミールティ)、ビール4ユーロ、白(リースリン

グ)5ユーロ×2杯、赤ワイン8ユーロ

 

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夕食はミシュラン1つ星のフレンチレストランまで少し歩く。前菜にはホワイトアスパラと野菜のサ

ラダ仕立て。春のヨーロッパでのご馳走はホワイトアスパラガスと思っているから嬉しいぞ!ドイツ

国内を車で走っていると、農地にはビニールで日光を遮断したホワイトアスパラ畑がずっと続いて

いて、いいなぁ、食べたいなぁとずっと思っていたのだよ。ドイツの中では洗練されたお店である。

               _____________

 

4月 1日(水) 晴れたり曇ったり降ったり 一時激しい霰!

朝 バーデン・バーデン ブレナーズパークホテル&スパ 朝食ヴュッフェ

 

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旧マイン橋から見るマリエンベルク要塞は以前司教の住まいでもあった   ヴュルツブルグのレジデンスは世界遺産

 

2泊したバーデン・バーデンを出発して、次の訪問地ヴュルツブルグには午前11時半に到着した。

ホテルに荷物を置いて市内観光へ。マイン川にかかる旧マイン橋は橋の両端に石像がずらっと

並んでいてプラハのカレル橋に似ている。2つを双子橋というらしい。この町で必見は世界遺産

のレジデンス。司教領であったヴュルツブルグレジデンスは、18世紀に建設された大司教の宮殿

だ。名建築家ノイマンの設計で、最も有名な「階段の間」にティエポロによって描かれた天井一枚

画は世界で一番大きいフレスコ画である。柱の無い広大な吹き抜け天井は、すぐ崩れると酷評さ

れたが、第二次世界大戦の空襲でレジデンスは破壊されても、この天井画だけは無傷で残った。

昼 ヴュルツブルグ「ユリウス・シュピタール」 サラダ、カマスのムニエル ポテトと生野

菜添え、カシスアイススパークリングワイン漬け

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      ヴュルツブルグはフランケンワインの中心地。「ユリウス・シュピタール」のセラーを見学

 

ヴュルツブルグは学生の町でもあり、レジデンスの一部は学舎としても利用されている。そして、フ

ランケンワイン生産の中心地でもある。ランチはワインセラーの一つ「ユリウス・シュピタール」のレ

ストランで生野菜だらけの料理を食べた。食後は「ユリウス・シュピタール」見学。ワインセラーは財

団活動の一つで、病院、養老院、薬局など多岐に渡る活動をしているそうよ。日本と縁が深いシー

ボルト。オランダ人と思っている人が多いようだが、実はドイツ人で、ここヴュルツブルグの出身な

のだ。シーボルト一族は医者の家系らしい。逆にレントゲン線を発明したレントゲンは記念館がある

などこの町で活躍したが、実はオランダ人なのだよ。ホテルまで歩いていると霰が降って来た!

夜 ヴュルツブルグ「マリティムホテル」(自由食 1人で)アミューズ:メロンと生ハム・チーズ、

カリフラワーのクリームスープ6ユーロ、コッコヴァン(鶏の赤ワイン煮ヌードル添え)24ユー

ロ、生地ビール3.5ユーロ、白フランケンワイン55ユーロ、赤ボルドーワイン59ユーロ

 

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今夜は自由食。私以外の皆さんは旧市街まで歩いてどこかの店に行かれたらしいが、私はホテルの

レストランで食べることにする。アミューズの後はカリフラワーのクリームスープ。ほのかに甘くて、

美味しい。グビグビっとビールを飲んで、鶏の赤ワイン煮であるコッコヴァンに取りかかる。ナイフを

そっと入れるとハラリと骨から肉が外れるほど柔らかく煮込んである。素晴らしく旨いぞ!白ワイ

ンは地元のフランケンワインにしたが、赤はフランスのボルドーね。満足感の高い夕食となったよ! 

               ______________

 

4月 2日(木) 雨後くもり後晴れ 一時吹雪!

朝 ヴュルツブルグ「マリティムホテル」 朝食ヴュッフェ

 

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シュタイングレーバーのピアノ工場見学  ワーグナーが初めて買ったピアノ  リストが愛用したピアノ

 

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   ワグネリアンにとっては「聖地」のようなバイロイト祝祭劇場とワーグナーその妻コジマ 

 

ドイツのおへそヴュルツブルグに別れを告げて、雨の中バイロイトに向かう。2時間で到着した。ま

ずはピアノメーカーの「シュタイングレーバー社」を訪ねる。これまでいろんな工場を見ているが、

ピアノメーカーは初めてだなぁ。すべて手造りの高級品で現在の経営者は6代目とか。ワーグナー

が30歳で借金して初めて買ったピアノや、同社の記念すべき第1作ピアノ、リストがいつも弾いて

いた愛用のピアノなどが展示されていた。少し離れた工場では手造りに拘る職人達に感心したよ。

新宮殿と辺境伯歌劇場(私はパス)してからバイロイト祝祭劇場へ。ワーグナーを愛するワグネリ

アンにとっては「聖地」のような場所だが、ワーグナー大の苦手の私は全く興味関心が無いのだ。

昼 バイロイト 「Dutzer」 トラウトのマリネ、フランケン地方の牛の首肉のグリル、

いちごのムース、コーヒー2.8ユーロ、ビール3ユーロ 

 

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バイロイトでランチを済ませて、最後の目的地のライプチヒに向かう。良い天気で青空だったのに、

走っている間にみるみる悪天候に。一時は吹雪でバスの外は何も見えない状態になった。不思議だ。

夜 ライプチヒ 「パノラマタワーレストラン」 アスパラとペコリーノチーズとバジルの前

菜、鱈とポテトのスープ仕立て野菜のせ、スフレとラズベリーソースのシャーベット、生地ビ

ール2,4ユーロ、白ワイン7,4ユーロ、赤ワイン(スペイン・リオハ)7,2ユーロ

 

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午後7時過ぎにライプチヒのホテルフルステンホフに到着した。大急ぎで客室に荷物を置いて、旧

市街を斜めに突っ切る形で「パノラマタワーレストラン」まで歩く。29階の展望レストランに着い

たのは午後8時。喉乾いたぞ!ビール飲みたいぞ!ライプチヒの街の灯を眺めながらの夕食であった。

帰りは、ゲヴァントハウス劇場前からタクシーに乗る。5分で到着。やっぱり楽ちんが好きだわ。

               ______________

 

4月 3日(金) 朝小雨くもり

朝 ライプチヒ・ホテルフルステンホフ 朝食ヴュッフェ

 

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 ゲーテは3年間ライプチヒ大学に通った    ライプチヒ時代恋した女性?  生涯でゲーテが愛した女性達

 

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  東西の壁崩壊のキッカケとなったニコライ教会    バッハが活躍した聖トーマス教会とバッハの銅像

 

昨年12月に来たばかりのライプチヒだが、皆さんと一緒に市内観光に出かける。広場に立つ堂々

たる銅像が。ライプチヒ大学法学部の学生だったゲーテである。生涯で12人の女性を愛したと伝

えられるゲーテだが、この町では著名建築家の娘が意中の人だったらしい。ライプチヒは昔から

商業の街として栄え、ライプチヒ・メッセ(見本市)を通してマイセン磁器やシュタイフ社のテディベアな

どが世界に紹介されて来た。今も残るパッサージュ街は当時の見本市商館の名残である。ニコライ

教会には聖金曜日のミサで入れなかったが、東西の壁崩壊のキッカケとなった教会として知られる。

そしてバッハが晩年の二十数年をカントルを務めた聖トーマス教会とバッハ博物館。バッハいいなぁ。 

昼 ライプチヒ「アウアーバッハス・ケラー」 クリアスープ、牛肉のロール巻 芋団子と赤キャ

ベツ添え、フルーツといちごアイスクリーム、黒ビール32ユーロ、コーヒー2,6ユーロ

 

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 地下の「アウアーバッハス・ケラー」店内   ワイン樽に跨って飛んで行ったファースト博士 

 

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「ファースト」は「アウアーバッハス・ケラー」で聞いた話に発想を得て生まれた。店前のファーストとメフィストフェレスの銅像

 

ランチはゲーテに所縁あることで知られるワイン酒場「アウアーバッハス・ケラー」で。ライプチ

ヒ大学法学部の学生だったゲーテは学問には全く身が入らず、「アウアーバッハス・ケラー」に

入り浸りだったらしい。で、この酒場で昔からドイツに伝わるファーストの話を聞くのだ。何とファ

ーストはこの店のワイン樽に跨るとビューンと表に飛んで行った、と。それがキッカケとなって、

「ファースト」の執筆に生涯をかけ情熱を傾けることになる。飲んでいたって役に立つのだよ!

夜 ライプチヒ「COFFE BAUM」 シューマン風コース(ソーセージ入りポテトスープ、小

豚のシューマン風、クバルク)

 

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今夜は午後7時から聖トーマス教会で「ヨハネ受難曲」を鑑賞する。そんなことで明るいうちから

ホテルを出て早い夕食を摂ることになった。「COFFE BAUM」は、ライプチヒで最古の、

欧州でも2番目に古い喫茶店なのだそうで、各部屋ごとに趣向を凝らしていて面白い。今夜はシ

ューマンメニューと伝えられたが、どうしてそういう名前なのか説明は無かった。それでも。ソ

ーセージが入ったポテトスープも豚肉のメイン料理もデザートもどれも旨い。水分ゼロが残念。

 

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   聖トーマス教会のバッハの墓        演奏はオルガンの前の教会後上部で演奏される

 

7時過ぎからのコンサート会場は聖トーマス教会だ。昨年12月もここでクリスマス・オラトリオを

聴いたが、教会にはトイレが無いから対策がタイヘンなのだ。12月もそうしたように、今夜も夕

食ではお茶もビールもワインも水さえ飲まなかった。とにかく演奏が終わってホテルに帰るま

でトイレに行かない!という状態でいないとね。今回は席順悪く、後ろを振り返ると太い柱!演

奏者が全く見えない席だった(涙)。それでも、聖金曜日当日、作曲者が活躍した聖トーマス教

会でヨハネ受難曲を鑑賞出来る幸運には感謝しなくっちゃな。演奏は、ゲヴァントハウス管弦楽

団、合唱は聖トーマス教会少年合唱団。ソリストではアルトとテノールがグッドであった。120分の

演奏が終わっても、誰ひとり拍手はしない。聖金曜日の受難曲は、そうゆうことらしいのだね。

               ______________

 

4月 4日(土)ライプチヒは快晴

第1食 ライプチヒ・ホテルフルステンホフ 朝食ヴュッフェ

第2食 ホテル客室にて 卵ベーコンサンド、水

 

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昨夜ホテルに帰ってから、客室ミニバーからビールを取り出してグビグビ!やれやれ、やっと

水分補給が出来るわい。これで旅の間に予定されていた4つのコンサートがすべて終わった。

満足感と共に、「終わりましたかぁ」という安堵感も。さぁ、調子が出て来たからウィスキーも

飲んじゃった。いつものことだけど。今朝はゆっくり起きて朝食。近くのショッピングモールを

覗いてドイツ人が好きなグミを買う。パッキングが終了したら、午後1時集合して出発である。

第3食 ライプチヒ空港ラウンジ

 

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第4食 ミュンヘン空港ラウンジ

第5食 ANAミュンヘン=羽田ビジネスクラス機内食 和食 

 

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                ______________

 

4月 5日(日) 東京は降ったり止んだり

昼 ANAミュンヘン=羽田ビジネスクラス機内食 ガーデンサラダ、そらとん(「一風堂」の

とんこつラーメン)、冷たい緑茶

 

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経由地のミュンヘンで4時間以上待って羽田行きに搭乗。やっぱり復路の機内食は和食や麺類に

なるなぁ。お箸が恋しいから。夜ミュンヘンを発って、羽田空港には午後3時過ぎに到着。お世話様!

夜 荒木町 「宮わき」 お通し:蕗の梅煮、天豆塩茹で600円、新たまねぎ擂り流し650円、菜

の花辛し浸し600円、焼きポテトサラダ650円、琵琶湖天然もろこ焼き1000円、すっぽん

○鍋2200円、生ビール×2杯、兼八ロック3杯 @1万円

 

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3回に2回は満席で断られる「宮わき」。特に日曜日の夜はね。夜9時近くまで待ってようやく

入れて貰った。この時期なら、新たまねぎ擂り流しがさっぱりと旨い。琵琶湖天然もろこ焼き

どこで食べても、今年は型が小さいねぇ。焼きポテトサラダは相変わらず旨い。「ポテトサラ

ダコンクール」が開催されたら、最低でも「特別賞」は確実!と私は保証しているんだけどね。

                ______________

【今週の振り返り】

ライプチヒは人口50数万人のドイツ・ザクセン州にあり、州都のドリスデンより人口が少し多く、

旧東ドイツ地域ではベルリンに次いで2番目の都市だ。このライプチヒという町は実に凄いん

である!この町に所縁がある人物と言えば、もちろんバッハ。だが、バッハだけではないんで

ある。ハイデルベルク大学に次いで歴史の古いライプチヒ大学では、あのゲーテが、そしてニ

ーチェが、あららぁ、作曲家のシューマン(彼も法学部!ビックリ!)までが学んでいる。

日本人では作家の森鴎外(本名:森林太郎)が官費留学生としてドイツで最初の1年間をライプ

チヒ大学医学部で学んだ。他には「味の素」を発明した池田菊苗やノーベル物理学賞を受賞し

た朝永振一郎もライプチヒ大学の留学生であった。

 

メンデルスゾーンはゲヴァントハウス管弦楽団楽長として招かれてライプチヒの住人となり、こ

こで生涯を終えることになる。ゲーテは音楽の神童メンデルスゾーン少年に会っていて、以来

何度も二人は会ったというエピソードが面白い。メンデルスゾーンは20歳の時、死後80年近く

経って、人々からすっかり忘れ去られていたバッハの「マタイ受難曲」を編曲し、ベルリンで演奏

してバッハの存在をヨーロッパ中に知らしめた。メンデルスゾーンは祖母から16歳の誕生日祝い

として「マタイ受難曲」の写譜を貰っていた。80年前の厖大な宗教曲の写譜をプレゼントに選ぶ

なんて、何というセンスが良い高尚な一家なのだろう。

2人の妻との間に20人の子供をもうけたバッハ。うち成人したのは9人だが、うち6人が音楽家

となった。やっぱりバッハ一族は音楽のDNAが色濃いのよ。6人のうち3人は後世に名を残すよ

うな音楽家となったが、最も成功したと言われるカール・フィリップ・エマヌエルは生存中、父親

より有名だったらしい。見直されたJ.S.バッハは後に「大バッハ」と呼ばれるようになった。ま

さに、J.S.バッハにとって、メンデルスゾーンは恩人なのである。

メンデルスゾーンは、ゲヴァントハウス管弦楽団楽長の傍ら、ライプチヒ音楽院(現フェリックス・

メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプチヒ)を設立し、講師として親友シューマン

も加わった。この学校の日本人最初の留学生は滝廉太郎であったが、小澤征爾氏が中心とな

って活動している「サイトウ記念」の斉藤秀雄もここで学んだのだ。

 

ライプチヒはワーグナーの生まれ故郷でもある。

ワーグナーは若い頃、メンデルスゾーンにゲヴァントハウス管弦楽団演奏して欲しいと提出した

自分の作品の譜面を紛失された恨みか、大成してから「音楽におけるユダヤ性」などでメンデ

ルスゾーンを攻撃し続ける。それがキッカケとなってナチスからメンデルスゾーン作品は演奏が

禁止されたり、銅像が引き倒されたりと言われなき迫害を受けることになる。まぁ、本人は亡く

なっていたけど、草葉の陰で「くっそ〜!」って怒っていただろうなぁ。

名ピアニストであり、シューマンの妻となったクララ・シューマンもこの地で生まれた。夫ロベル

ト・シューマンが亡くなった後、若き作曲家ブラームスとどうかなっちゃったんじゃないかと、今

も噂が絶えないが、真相はわからない。

そうそう、現在のドイツ首相であるアンゲラ・メルケルは、ライプチヒ大学の物理学専攻の学生

であった。ことほどさように、このライプチヒという町は実に凄いんである!

 

         s_CIMG1598.jpg 飛行場近くにポルシェの工場もあるニャン

 

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    ようやく写真は出ましたが、文章のフォントがねぇ、読みづらいのよね。

もちょっと我慢して下され。

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