木曜日から江戸の街に滞在し、東京に戻って来ました
桂 紋四郎師匠 水上から江戸を眺める
4月 18日(月)曇りのち雨 大谷選手所属のエンゼルス ア・リーグ西で首位!
東京3479人(重症者15人)全国2万4258人(死者26人)
朝 明石町「ダイニングルーム」B定食(無塩トマトジュース、フルーツ入りライスクリスピー→トースト、ベーコンとほうれん草
と茸炒め、サラダ、飲むヨーグルト、コーヒー)660円、「後藤屋」のタルタルソース
美味しいタルタルソース今日で終了!
昼 明石町「ダイニングルーム」B定食(ミネストローネスープ、シーフードマカロニグラタン、サラダ、ロールパン、黒豆と黄粉の
アイス小、ミルクティ)1210円
栄養たっぷりランチ
夜 明石町「ダイニングルーム」B定食(まぐろのタルタル サラダ添え、ビーフシシュー、ライス、マンゴー、カモミールティ)
1760円、オールフリー198円、白ワイン770円、赤ワイン660円
エンゼルスはこれまで最下位争いをすることが多く、大谷選手が嘆くのも「さもあらん」と思っていた
が、今朝3連勝を遂げた結果、ア・リーグウェストで首位となった。今日だけかもしれないので、貴重なこ
とだから記録しておきたい。退院した日に1ヶ月リースをお願いした歩行器を今日返却した。約束の日
まで未だあるが、ここしばらくは全く使用していなかった。しかし1週間位はダイニングルームまで食事
に行ったり、隣のビルに用事があって行ったりする時など大いに助けて貰った。ありがとよ!これで
料金は1ヶ月2600円なのだから安いよなぁ。朝食でB定食(洋食)の際には、頂いたタルタルソースをトース
トにつけて食べるのが楽しみだった。それも今日で終わりだ。下さったAさん、ありがとうございま
す!朝食後、パクパク日記4月1週を更新した。退院して3週間で4週の遅れを取り戻した。退院して
から明石町にいる時はいつもパソコンの前にへばりついていたが、これからはちょっと解放させて貰お
う。午後遅くなってからやっぱり雨が降って来た。窓の外は雨で煙ってよく見えない程である。夕
食Bはビーフシチューだった。本来ならバゲットなどのパンを注文するところだろうが、朝はトースト、昼はロール
パンだった。それに夜バゲットでは三食パンになってしまう。実を言うと、私はパン好きではあるが、な
るべくならご飯を食べようと思っている。その方がカラダに良い気がして。だからビーフシチューにライスを付
けた。うん、この組み合わせも悪くない。食後のフルーツは朝食に比して夕食は豪華。マンゴーが嬉しいぞ。
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4月 19日(火)晴れ 夜雨 茨城県で震度5弱
東京3479人(重症者15人)全国4万0893人(死者52人)
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(はんぺん、焼きたらこ、炒り卯の花、ブロッコリーおかか、ご飯、味
噌汁、飲むヨーグルト、パイナップル)660円、納豆198円、「封印」わらび漬け、淡路島のチリメンジャコ、
コーヒー110円
昼 明石町「ダイニングルーム」B定食(牛挽肉カレー(キーマ)、フルーツサラダ、ミルクティ)1210円
キーマカレー大好き!
夜 向島「ひらおか」(6人で・季節がちょっとずれた白子の会)白子焼き付きふぐコース1万1千円
(鮪のヌタ、栄螺の壺焼き、ふぐ刺し、ふぐのから揚げ、ふぐの焼き白子、ふぐ鍋、ふぐ雑炊、
アイスクリーム)、飲み放題2千円(生ビール、麦焼酎)
2年ぶりの白子の会は名残のふぐ
今朝の和食A定食のおかずは、はんぺんと焼きたらこと言うちょっとトボケたようなコンビだった。で
も大丈夫。私はあちこちから「ご飯の友」を頂いて、レパートリーは極めて多い。先日もМ松さんから淡
路島のチリメンジャコを頂いたので、今朝は葱納豆、封印わらび漬け、そしてチリメンジャコの「三色丼」を作
って食べた。昨日煙ったような雨だったが、今朝はカラリと晴れた。普通なら「洗濯気日和〜〜!」
と朝早くから洗濯機を回すような日だが、もう長らく「洗濯物室外乾燥禁止」の建物に住んでいる
からお天気と洗濯は結びつかなくなっている。あらら〜ちょっと曇って来たわね〜(笑)。今日のラ
ンチは好物のキーマカレー。願わくば、もうちょっと辛くして、願わくば、もうちょっと量を増やして!午
後は、聖路加国際病院の呼吸器内科に予約があり、杖をつかずに歩いて行った。1月中旬大手町の
フォーシーズンズホテルに宿泊している時、突然胸が苦しくなって持っていたニトロを服用したなんてことがあ
った。翌日呼吸器内科で診察して貰い、膝の手術を終えてから検査をするかどうか検討しようとい
うことになった。それが今日。あれから約3ヶ月経過したが、その間発作は起きなかった。じゃ、
また具合が悪くなったら来てね、ということになる。夜は楽しみにしていた「白子の会」。コロナのた
めこちらの店には2年間来ることが出来なかったが、今日はようやく季節がちょっと外れた例会が
出来る。向島「ひらおか」の広々して座敷で「乾杯!」。会うのは久しぶりだから6人のメンバーには
いろいろ変化も。それぞれの近況報告や共通する知人の話、歴代の朝ドラ話、各自や家族の病気の
話、白子の旅の話・・・話題はつきない。4月中旬になってしまったが、ふぐと白子はギリギリ間に
合った。何度もキャンセルしてご迷惑をかけたので「ひらおか」の大将と女将にはお詫びを。やっぱり
一堂に集まっての飲み会は楽しいね。みんな嬉しそうだった。帰り、外に出ると雨が降っていた。
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4月 20日(水)降ったり止んだり 円安止まらず1ドル=129円台
エンゼルス 大谷除く😢全員安打で快勝!
東京6776人(重症者15人)全国4万7899人(死者50人)
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(和風ロールキャベツ、鱧入りかまぼことわさび漬け、江戸菜のゆかり
和え、ご飯、味噌汁、飲むヨーグルト、オレンジ)660円、納豆198円、「封印」わらび漬け、淡路島
のチリメンジャコ、コーヒー110円
昼 明石町「ダイニングルーム」アラカルトメニューから 中華そば(醤油味)880円、アイスコーヒー110円
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(海老と野菜のフライ、牛肉の八幡巻、人参の味噌きんぴら、金時
豆、ご飯、味噌汁、赤肉メロン)1760円、オールフリー198円
明日から2泊3日の旅が始まるので、その準備をした。4月1週大盛り上がりで朝ドラ「カムカムエブリボ
ディ」が終了し、先週月曜日から始まったドラマは「ちむどんどん」。沖縄本土復帰50周年を記念し
てのドラマということで、未だ沖縄がアメリカに支配されていた時代の沖縄本島北部やんばる地域の貧し
い家族の話だ。しかし、1週目で借金を残してお父ちゃん(大森南朋)は死んでしまうし、2週目
の水曜日でお母ちゃん(仲間由紀恵)まで過労で倒れてしまい・・。4兄妹の長男賢秀(浅川大治)
が名前と全く逆のアホで怠けモノで・・。ドラマはこれから、とは思うものの、今のところ観るのは中々
にシンドイ。午後3時から「小さな小さな音楽会」があった。部屋を暗くして灯りはグランドピアノの上
の蝋燭の灯りだけ。リラクゼーションチェアとミニ毛布が用意され、観客は拍手不要、熟睡歓迎という毎日やっ
て欲しいような音楽会だった。曲目はピアノでG線上のアリア、ソプラノでヘンデルの「オンブラマイフ」・・。かな
り昔のことだが、この曲をCMで歌ったキャサリン・バトルが一時日本でエライ人気になったことがあった。
美しいリリック・コロラトゥーラ・ソプラノだが、ボリュームに欠けたのが残念だった。いつも睡眠不足だから眠りたか
ったのだが、音楽を聴いているうちに終わってしまった。良い企画、ありがとうございました。夕
食のメインは海老と野菜のフライだった。オールフリーを飲みながら、もちろん丼にして食べましたよ。無酒日
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4月 21日(木)晴れのち曇り 夜雨
大谷翔平投手好投で初の勝利!4打席2安打2打点
東京6713人(重症者15人)全国4万7131人(死者51人)
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(ししゃもの焼き物、厚揚げと野菜の煮物、キャベツおかか、ご飯、
味噌汁、飲むヨーグルト、キウイ)660円、納豆198円、「封印」わらび漬け、淡路島のチリメンジャコ、
コーヒー110円
昼 浅草「駒形 前川」うな重特上(うな重、きも吸い、お新香、水菓子)5985円
旅の一日目は東京ステーションホテルに集合して先ず向かったのは駒形の「前川」。特上のうな重を頂く
東京スカイツリー界隈にある都内唯一の屏風専門店「片岡屏風店」で2代目からからくり屏風作りの指導を受ける
ここまで年を取っても、子供時代からの不器用さは変わらん。 これはお隣の方の作品
屏風作りを終えると人力車がお出迎え。隅田川を渡ってそのまま浅草観光へ きんつばの「亀十」
浅草歌舞伎で通った浅草公会堂 浅草と言えば雷門 勘三郎を模した鼠小僧
浅草六区の入口でビートたけしの兄弟子さんに声を掛けられる。突き当りは浅草演芸ホール 今も残る置屋さん
「花やしき」は最初植物園、次に動物園。そして遊園地となった イケメン車夫O木さん
東京ステーションホテルに今日から2泊。ここに泊まるのは3回目だ
夜 東京ステーションホテル・バンケットルーム (3種前菜取り合せ:赤西貝の青大根柚子風味和え・虎河豚白子
の酒蒸しおろしと薬味入りポン酢・がさ海老の炙り、鴨肉の炙りロースト和風トリュフソース千住葱焼き
東京野菜のピクルス添え、うぐいす玉子豆腐蛤と鮑の三つ葉風味餡掛け、平目の大葉風味きのこ
味噌焼きと雲丹風味焼き、和牛鍋、高知県四万十産香り米の炊き立てご飯、一番出汁、東京べ
ったら漬け、マスクメロンと苺、カモミールティ)スパークリングワイン、白ワイン、赤ワイン
上方落語の桂紋四郎師匠の独演会
シェフから料理の説明が 桂紋四郎師匠も一緒に食事
今朝は早くから大谷翔平選手が3試合目の登板。ドキドキドキ・・1回表の攻撃からエンゼルスがえらく頑
張って6点を挙げる。うち2点は2塁打を打った大谷の打点。その裏からの大谷選手のピッチングが素
晴らしかった!6回途中までひとりのランナーも許さず、奪った三振は自身最多の12個!投げる彼の表
情はキリリと引き締まり、相手を寄せ付けないオーラをカラダ中から発しているようだった。大谷選手の大
活躍ですっかり気を良くして東京ステーションホテルに向かう。これから2泊3日「江戸・東京を愉しむ旅」
が始まる。参加メンバーは7名なのに、34席のデラックスシートの群馬バスに乗って駒形に向かった。早速隅
田川を眺めながら「前川」の特上うな重を頂く。最初に仲居さんが「特上の方はどなた?」と言っ
たので、一瞬座敷に緊張が走ったが、なーに全員が特上なのだった。鰻好きの私が一番好きな店は
荒木町の「宇な米」だが、「前川」のうな重もとても旨い。1番に完食した!食後は隅田川を渡っ
て東京スカイツリーの真下でバスを降車。少し歩いて都内では唯一となってしまった屏風専門店「片岡屏
風店」で、2代目からからくり屏風作りの丁寧な指導を受けた。子供の頃から工作はムチャ苦手だっ
たが、やっぱりヨワイ70を超えても不器用な人間は変わらない。苦労して作り上げたハズなのに、小
さな屏風を開けてみたら・・😢傷心のまま(嘘だよん)迎えに来た6台の人力車の1つに乗り込
んだ。車夫はイケメンのO木さん。人力車には2年前京都の嵐山で初めて乗ったが、その時と同じ会
社だ。隅田川を渡って雷門、伝法院通り、浅草六区など回っていると、六区商店街の会長という
方が車夫O木さんと私に声を掛けられた。ビートたけしの兄弟子だった方で「明日の夜、「マツコ&有
吉のかりそめ天国」って番組でウチの鯨の缶詰を紹介してくれるんだとよー、ありがてーやなー。
観てくれやー」って。「花やしき」が昔は植物園で、次に動物園になって、戦後遊園地になった
なんて話もO木さんから聞いた。たっぷり1時間お喋りしながらの人力車浅草観光はとても愉
しかった。ホテルに帰って、夕食前プライベート落語会。関西から桂紋四郎師匠を迎えて、これまたた
っぷり1時間楽しい噺を愉しんだ。たった7人で落語会なんてゼータクじゃないの。食事テーブルには
桂師匠も加わってお喋りしながら。A美さんの大阪の親友のご子息も噺家と聞いていたのだが、
紋四郎さんはご子息佐ん吉さんと桂春蝶師匠下の弟弟子に当たると。和牛鍋がとても美味だった。
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4月 22日(金) 晴れのち曇り
東京5396人(重症者14人)全国4万3003人(死者51人)
朝 東京ステーションホテル「アトリウム」朝食ヴュッフェ 5250円
東京駅駅舎の屋根裏にあるレストラン「アトリウム」での朝食は6時半から
昼 日本橋小舟町「日本橋舟寿司」先付け:蛍烏賊・鴨・ウルイ、茶碗蒸し、焼き八寸、握り寿司、赤
出汁、小玉西瓜4950円
午前中は古地図を手に日本橋の街を歩く。でも私はパスして寿司屋から(笑)
午後2時、日本橋の下からクルーズに出発。サックス奏者の三四郎さんが歓迎の演奏
日本橋川から神田川へ 緑が深くなる御茶ノ水駅近辺 昔よく来た柳橋だ
船は隅田川に入ると、川幅がぐーーんと広くなる 三四郎さんの音楽を聴きながら
もうすぐ我が家という地点で急に右折して日本橋川へ入り、スタート時点の日本橋に戻る
夕食前に東京ステーションホテル内の見学。駅舎南ドームの凝った装飾 長逗留した松本清張氏は「点と線」を書く
夜 東京ステーションホテル「ブラン ルージュ」巻鰤とクリームチーズ百一珍豆腐カナッペ、帆立貝のグラチネ シャンパーニュ風
味 ブリオッシュウ添え、ホワイトアスパラガス茹で立てと団扇海老のソテ カプチーノ仕立てのビスク添え、舌平目
のヴァプール キャビア添え、仙台牛フィレ肉のステーキ 各種野菜添え黒トリュフ香るソースポルト、シェフパティシエのス
ペシャルデザート:ヨーグルトムースとバニラアイス、カモミールティ)、シャンパン、白ワイン(豪シャルドネ)1480円、赤ワイン
(メリュキュレ2014ドメール メフロ)2400円
「ブラン ルージュ」の個室で
昨夜は早めにベッドに入ったのだが、0時には目が覚めて3時頃まで眠れなくなった。もう何十年
もダブルベッドに寝ているので、ツインルームのシングルベッドは寝返えりばかりする身にはかなりシンドイ。よ
うやく朝になってシャワーを浴びてから4階にある「アトリウム」に朝食を摂りに行く。ヴュッフェであるが、
和洋ともに1品1品小分けしてそれぞれをラッピング。だからアチコチのレストランが義務付けているビニール手
袋は不要である。但し、食卓に並べた皿からすべてラッピングを外す必要はあるが。これで5250円か
ぁ、高いわなぁ。今日午前中はボランティアガイドと共に古地図を片手に日本橋界隈を歩くことになって
いる。ここは歌川広重が描いた江戸百景の場所よ、なんて感じで(たぶん)。私は行かない。歩き
過ぎるのもよくないと言われているし、暑そうだし。で、昨日の大谷選手の活躍ぶりをスポーツ紙と
一般紙で舐めるように何度も読んでいたのだが、昨夜の寝不足もあってか途中から白川夜船・・。
添乗員のS広さんから日本橋散策は予定より早く終わりそうだと連絡があり、慌ててタクシーで小舟町
の「日本橋舟寿司」に駆け付けた。皆さん、暑い中歩き回ってヘトヘトとか(パスして良かった)。握り
寿司だけかと思いきや、先付から立派な焼き八寸まで付いた量の多いランチコースだった。握りのシャリを
残してすんません。午後は「日本橋」の真下からクルーズがスタート。橋の下の流れは日本橋川。築地に
移転する前の東京都の魚市場は日本橋にあったんだったよな。昨夏奥志賀でご一緒した三四郎さん
がサックスを吹きながら出迎えてくれた。演奏付き7人で貸し切りの船だ。マスクをしているから良いよ
うなものの、日本橋川、神田川を走っている間は少々ドブ臭いのが難ではあるが、船から眺める
東京もオツなものですなぁ。やがて隅田川に入ると、ぐーーんと川幅が広くなり開放感に溢れる。一
旦船は上流に向かう。昨日美味しいうな重を頂いた「前川」がよく見える。川の下をいくつも通る。
橋の上はJRやら車やら人が通っている。江戸時代は幕府が橋を作ることを厳しく制限していて大
火で多くの人が亡くなったことがあり、その教訓から現在のような多くの橋が架かるようになった。
三四郎さんのサックスが「ひまわり」を奏でている。いいなぁ〜、こんなライブの素敵な音楽を聴きなが
ら風に吹かれての舟遊びをして・・。東京湾に向かって下っていた船は、もうすぐ私が住む辺りに
差し掛かるな、と思った途端右折して日本橋川に入ってしまった。そしてスタートした日本橋下に戻っ
て1時間半のクルーズは終了。楽しいひとときだった。午後6時からホテルの館内案内の後、ホテルのフレンチ
「ブラン ルージュ」の個室で夕食。個人的にも何度か仲間うちの食事会を開いた個室とは違う部屋で
窓からはKITTE丸の内が見えた。久しぶりの「ブラン ルージュ」のお料理の数々、やっぱり美味しい。
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4月 23日(土) 晴れ 暑い! 知床半島で26人乗り観光船が浸水し、連絡途絶える
東京5387人(重症者14人)全国4万3966人(死者34人)
朝 東京ステーションホテル「アトリウム」朝食ヴュッフェ 5250円
最終日は豊洲市場の見学から。ボランティアカイドさんの案内で歩いて歩いて・・何て不便!
飲食店街は土曜日なのにガラガラだった・・印度カレーの中栄
聖路加ガーデンに移動。慶応義塾発症の地とか浅野内匠頭の上屋敷跡など(私の住まいも)
ロシア大使館の前は厳重な体制
昼 麻布十番「富麗華」コース(前菜盛り合わせ、香港式点心三種盛り合わせ、フカヒレ入りアボガドの濃
厚スープ、名物北京ダッグ、上海名物黒酢の酢豚、空豆と板春雨の炒め、花穂紫蘇とホタテの彩卵白
炒飯、ザーサイ、苺の杏仁豆腐)6600円、プーアール茶847円
旅の最後は麻布十番「富麗華」の個室にて豪華なランチコースを頂く。総支配人もご挨拶
食べ過ぎランチ
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(牛肉のすき煮、サーモン砧巻の酢の物、みぶ菜のお浸し、ご飯、味
噌汁、マスクメロン、抹茶わらび餅)1760円、オールフリー198円
最終日の朝は6時に起きた。シャワーを浴びて6時45分に朝食に行くと、既に3人の参加者の方と添乗
員S広さんは食事中だった。「江戸・東京を愉しむ旅」に参加した7人のうち6人は23区の住人で
S藤さんのお母様だけが茨城からの参加だった。ホテルをチェックアウトしてから大型バスで豊洲市場へ。この
近くの座席が動く劇場には何度も来たことがあるが、市場の見学はしたことがない。築地市場は人気
があって何度も見学や買い物、食事に来る人が絶えない観光地の一つでもあったが、新しい豊洲市場
は観る立場としての利便性には著しく欠けた作り。そのせいか「一度来たらもういい」と言われてい
るようだ。とにかくだだっ広い上に動線を無視した作りで、どこに行くにも歩いて歩いて・・。退院
して1ケ月の私などには苦難の市場そのものだった。その結果、6街区水産仲卸売場棟3階にある20
店ばかりの飲食店をグルリと一回りしたらもう降参状態。その先の水産仲卸売場は諦めて、バスガイドの
Hさんとバスに戻る。次の見学場所は・・あら!私が住んでいる明石町じゃありませんか!聖路加ガー
デンにある浅野内匠頭上屋敷跡や慶応義塾発祥の地、「解体新書」を翻訳した地など日本近代文化事始
めの地を見学したのだった。近所の人に会わないように祈りながらの見学だった。さぁ、それでは最
後の日程、ランチ場所に向かいましょう。途中警察や機動隊の車・バスなどがギッシリ停まっているロシア大使
館の前を通過して麻布十番の「富麗華」に行く。このレストランは中国飯店が親店で、私がよく行くパレス
ホテルの「琥珀宮」の姉店でもある。「富麗華」にも以前は何度か来たことがある。3階の個室でコース料
理。1時頃から始まったコースが終了したのは2時半過ぎ。北京ダッグも含めてこんなに食べてしまって
は、今夜の夕食は食べられんなぁ。軽く都内をドライブして東京駅で解散する皆さんにバタバタと挨拶し
てタクシーで帰宅した。楽しい旅だったな。やっぱりいつになってもお腹が空かないのだった。無酒日
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4月 24日(日)曇りのち雨 佐々木朗希投手先頭打者に安打され完全投球ストップ!
東京4936人(重症者14人)全国3万8579人(死者15人)
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(厚焼き玉子、野菜の煮物、白菜の生姜和え、焼き海苔、ご飯、
味噌汁、飲むヨーグルト)660円、納豆198円
今日からお目見え帆立ラー油
昼 銀座東5丁目「WALD HAUS」ウィークエンドランチ:サラダ・トマトクリームスープ・パン・ポークのトリッパソースマッシュポ
テト添え2500円、コーヒー300円
歌舞伎座を出ると雨だった
夜 明石町「ダイニングルーム」A定食(鶏肉のもろ味噌焼き、射込み高野豆腐(海老)、蓮根のサラダ、
プルーンと杏の紅茶漬け、ご飯、お吸い物、きよみオレンジ)1760円、胡瓜の漬物220円、
麦焼酎2750円
5日ぶりの焼酎が旨い!
4月歌舞伎座1部は「天一坊大岡政談」の通し狂言。八代将軍吉宗のご落胤と称して浪人を集めた
紀伊の国の小坊主法澤(猿之助)が、天一坊と名乗って最大の難関と思われた大岡越前守の調べも
無事に済ませ、後は将軍吉宗公との面談を残すだけ。しかし、このご落胤は偽物だと睨む大岡越前
守が、自らと家族の命を懸けて詮議した結果、天一坊の嘘を暴いて極刑とする。これは江戸時代の
実話に基づいている話なのだが、裁いたのは大岡越前守ではなく、実際は町奉行の詮議であったそ
うだ。大岡越前守は松緑、山内伊賀亮に愛之助。面白い展開の話のハズなのだが、何だかペロンとした
平坦な運びで。2月コクーン歌舞伎で上演された宮藤官九郎脚本、串田和美演出の「天日坊」は、自ら
のアイデンティティを求めながら大暴れする「天日坊」の勘九郎始め、七之介、獅童の素晴らしい殺陣な
どで大いに魅せたから、今日の舞台は盛り上がりにエラク欠けた。せっかく猿之助が演じるのに演出が
おとなし過ぎて中途半端だった。外に出ると本格的な雨が降っていた。急な雨のせいか、3軒隣の
「プロント」は外まで行列が出来ていた。当てもなく歩き出し、ふと入った店が「WALD HAUS」だっ
た。ウィークエンドランチは魚か肉料理を選ぶ。係の女性が「魚は白身、肉は豚」と説明した。で、肉を注
文すると、私の大の苦手なトリッパをたっぷり使ったソースが肉を覆い隠していた。トリッパをすべて取り
除いているうちに食べる気持ちもだんだん失せて・・。こうゆう好き嫌いのある食材については最
初から説明してくれなくっちゃ。食べ残しの皿を運ぶ際に支配人らしき男性に注意すると、コーヒーを
サービスしますと言ってくれたが、それは断った。何だか歌舞伎もランチもお天気もイマイチな一日だったな。
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【今週の振り返り】
明石町に来て丸2年が過ぎた。コロナ感染が始まって、日本で初めて緊急事態宣言が出されたのが2年
前の4月7日だった。お忘れかもしれないが、あの時は安倍政権だった。3月中旬に突然(確か文
部科学大臣も後から聞かされたのではなかったか)学校を一斉に休校するよう命じて大混乱を起こ
したり、国民からは冷たく笑われただけで、ほとんど役に立たなかったアベノマスクを大金注ぎ込んで配
布したり、その失政ぶりには目を覆いたくなるような状態だったっけね。だから、その後、またも
やお得意の仮病で政権を放り出して首相を辞任した時には心からホッとしたものだ。次が菅政権、そ
して今は岸田政権だ。閑話休題。四谷三丁目に住んでいる頃は、朝食こそコンビニモノで設えて家で食べ
ていたが、昼も夜も近所の店に頼りっきりだった。荒木町は、知る人ぞ知る「旨いモノのラビリンス」と
呼ばれるが、何本もの細い路地ごとにたくさんの飲食店がビッシリと顔を揃えている。ミシュランの☆を持
つ店もさりげなく暖簾を掛けていて、どの店に入ろうか迷ってしまうのが嬉しい悩み。今から20
年近く前に、この魅力的な飲食店が密集している荒木町に惹かれて住まいを得てから、グルグルとお
店巡りを繰り返し、2年前には厳選した十数軒の馴染みの店があった。しかし、出された緊急事態
宣言は飲食的にも厳しく、殆どの店が休店に追い込まれる。そうすると、私はいったいどこで食事
をするのだ・・。
食事が一番大きな問題だったが、2年前明石町の住まいに移って来た。カラダの自由が難しくなった
らお世話になろうと、その数年前に申し込んで部屋作りを進めていた場所だ。つまり、いずれ住む
だろう「隠居処」のつもりだった。しかし、超ラッキーなことに、内装工事を進めていたその部屋は緊
急事態宣言が出た数日後という絶妙のタイミングで完成したのだ。その施設にはダイニングルームがあるから、
朝昼夜の食事に悩むことは無い。片付けも要らない。買い物に行く必要も無い。しかし、コロナが収
束したら、また荒木町の生活に戻るつもりだったから、最低限の洋服などをA先生の乗用車で2,
3回運んで貰っただけで、引っ越しはしていない。ところが、いつになってもコロナ禍は収まらない。
収まったかと思えば、すぐ新たなウィルスが登場しては蔓延り、といった展開が何度も繰り返されて、
とうとう2年が過ぎてしまった。そのうち、明石町の生活がすっかり身についてしまう。食事の
心配をしなくて良い。掃除をしなくて良い。荷物の授受に煩わされない。クリーニングも郵便もフロントに
出せば良い・・こんなラクチンを2年続けたら、今さら全部自分でやらねばならない生活に戻れるのだ
ろうか。とても不安である。
居住者の人と触れ合いがあるのは主にダイニングルームである。半年ほどは、コロナ禍もあって「黙食」を
義務づけられていたから、ほほ誰ともお喋りせずに食事をした。酒を飲んだ。人生の大先輩ばかり
で、私などは女子校生ってな位置づけだったかと思う。しかし、毎日、毎食顔を合わせていれば、
だんだんに名前を覚え、挨拶をし、短いながらも会話を交わすようになる。ご夫婦、男性ひとりの
方、女性ひとりの方、中にはご夫婦でも、別々に食事に来られる方々も何組がおいでだ。音楽の話
題で盛り上がった人とは、その後仲良しになった。大谷翔平選手の話題で共感した方とは、その後
仲良しになった。ちょっとした旅に出る度に、小さなお菓子のお土産をお渡しする人も出来た。居
住者だけでなく、ダイニングのホールスタッフも全員顔を覚えた。暫くお顔が見えなかったと思うと、本宅に
帰っていた方、入院されていた方などいろいろだ。しかし、中にはダイニングルームからケータリングを依頼し
ている方、すべてご自分で準備されて部屋で食事される方、外に食べに行かれる方、ダイニング利用者
でも時間帯が違う方もいらっしゃるから、一度もお会いしていない方々もたくさんおられる。
しかし、ここに住んで一番有難いのは医療体制が充実していることである。同じ建物の4階にもク
リニックがあるし、隣には大きな病院がある。この2年間で高熱を発したことが3回もあったのだが、
どの時もケアスタッフが病院に連れて行ってくれた。一番ヒドイ症状の時は、蜂窩織炎でそのまま10日間
入院することになった。あとの2回は病院でPCR検査を受け、3時間後には電話で陰性だったと連
絡があった。四谷の家で一人で暮らしていたら、どんなにか不安だったろうと思う。今回の膝の手
術に至ったのも、病院に親しいドクターがいて相談出来たことが大きい。高齢になって一番重要なこ
とは、やっぱり医療体制に不安が無いことだ。部屋のどこで倒れても、アチコチにある呼び出しボタンを
押せば大丈夫と思うと、安心して倒れられるしね。すっかり油断して、隅田川の景色をぼーっと眺
める日々なのである。
その明石町が、今週の旅の観光場所に入っていた。「江戸・東京を愉しむ旅」と題した今回の2泊
3日は、もう60年間も住んでいる東京をちょっと違う角度で眺める面白い機会だった。よく知る
浅草を人力車から眺め、日本橋川、神田川、隅田川から東京を眺めた。最後は「日本近代事始め」
の地として明石町に来た。私は、そんな町に来て2年が経過した。
ビョーイン行かニャいよ!
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